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金沢旅行も残すところ今日一日だけとなりました。9:30頃にホテルでのチェックアウトを済ませ、荷物を預けてから観光に出かけました。「武蔵ケ辻・近江町市場(バス停)」から「小松空港」行のリムジンバスの発車時刻が16:53なので、残された時間は、7時間です。まず、ホテルから徒歩6分500mの距離にある加賀藩中級武士「寺島蔵人」の「武家屋敷 寺島蔵人邸」を訪れました。ここでは、素晴らしい苔むす庭園の中で飛び石を伝わりながら散策できます。そして、「武家屋敷 寺島蔵人邸」の反対側に位置し、390年前から菓子づくり一筋に歩み続けている「森八 本店」へ行きました。訪れた当日に「さくら餅」の実演販売をしていました。「森八 本店」から「ひがし茶屋街」とは「浅野川大橋」を挟んで対角線上に位置している3階建ての建物が続く「主計町茶屋街」へ向かいました。「主計町茶屋街」の裏通りに「暗がり坂」があり、それを上ると「市場発祥の地」とされる由緒ある「久保市乙剣宮」へと続いています。次に、ドクターXの撮影として使われた「中の橋」を渡り、昨日、雨でよく見ることのできなかった「ひがし茶屋街」方面に向かいました。途中に、「前田利常」の位牌を守り現在も安置している「円長寺」に立ち寄りました。その後、「ひがし茶屋街」の散策を済ませ、近くにある天保年間創業で190年の歴史ある名店「高木糀商店」へ行き、自家用として糀を買いました。そして、「橋場町(ひがし・主計町茶屋街)」バス停から「城下まち金沢周遊バス」に乗り、「にし茶屋街」のある「広小路」バス停で下車し、「金沢三茶屋街」のひとつ「にし茶屋街」へ向かいました。それから松尾芭蕉も奥の細道の旅の途中に立ち寄った「願念寺」へ、「願念寺」からすぐそばにある迷路のような内部は一度入ったら出られないといわれ、別名忍者寺の「妙立寺」へ行きました。そして、金沢旅行で最後のグルメスポット「Espresso Bar ケサランパサラン」で美味しいコーヒーとデザートを堪能しました。<br /><br />《第三日目(最終日)の見学等の順路》<br />①「武家屋敷 寺島蔵人邸」⇒②「森八 本店」⇒③「主計町茶屋街」⇒④「久保市乙剣宮」⇒⑤「円長寺」⇒⑥「ひがし茶屋街」⇒⑦「高木糀商店」⇒⑧「にし茶屋街」⇒⑨「願念寺」⇒⑩「妙立寺」⇒⑪「Espresso Bar ケサランパサラン」⇒⑫「小松空港と空カフェ」<br /><br />【①「武家屋敷 寺島蔵人邸」】<br />ホテルから裏道をとおり「武家屋敷 寺島蔵人邸」までは徒歩6分500mほどです。「武家屋敷 寺島蔵人邸」は裏通りにあるので、見逃さないように注意してください。<br />「武家屋敷 寺島蔵人邸」は、加賀藩中級武士「寺島蔵人」の屋敷で、「金沢城大手門跡」から徒歩3分くらいのところに位置しています。この周辺は、江戸時代には寺島蔵人邸と同規模の武家屋敷が並ぶ中級武士の居住地だったそうです。画に親しみ、「艮&#23988;」、「静斎」、「王梁元」、「応養」などの号があります。「寺島蔵人邸」は敷地内に残る家屋、土蔵、土塀および庭園が江戸時代の中級武家屋敷の様子を伝えるものとして、昭和49年(1974年)3月に金沢市指定文化財史跡となりました。「寺島蔵人邸」の魅力は、何と言っても庭園でしょう。庭園は散策でき、樹齢300年以上のドウダンツツジが春に開花する姿と秋の紅葉の様子は見る人の心をくぎ付けにするそうです。「武家屋敷 寺島蔵人邸」は、意外と分かりにくい場所にあります。私たちも「森八」に行く途中に、案内板を発見したので分かりましたが、裏路地にあり見逃しがちでしょう。正門を入ると右手にチケット売場があり、呼び鈴を鳴らして係の人を呼びます。お金を支払い屋敷の中に入ると、まず、靴を脱いで上がると13畳半の広い座敷があります。ここで係の人が「武家屋敷 寺島蔵人邸」と「寺島蔵人」のことについて、丁寧に説明してくれます。もちろん無料です。やはり、こういう説明があるとより一層理解が深まり、興味を持って楽しく見学することができますよね。その他1Fには、5畳の茶室、文化5年(1808年)に寺島邸を訪れた「浦上玉堂」が琴を弾いた部屋という4畳の間、美術関係の「展示室」そのほか数部屋ありました。展示室には、「寺島蔵人」の書画ほか、寺島家伝来の所蔵品の数々を展示しています。また、所蔵品の中には「狩野探幽」、「池大雅」、「浦上玉堂」、「岸駒」などの著名な書画家の作品や、「寺島蔵人」と交流のあった金沢の文化人の作品が含まれています。2Fにある8畳の間は「寺島蔵人」の画室「白雲深処」と伝えられていますが、現在は安全上の理由から非公開となっていました。そして、素晴らしい庭園を散策しました。寺島邸の庭園は、家屋の北側と東側に広がり、池泉回遊式で、春はドウダンツツジの開花、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の姿を変えて目を楽しませてくれるそうです。それぞれの季節の自然の景色をパネルにしたものが掲示され、13畳半の座敷から見るとまさに額に入っている絵のようでした。それと飛び石がキチンと配置され、その上を歩きながら庭園を見るとまた違った趣を感じました。池もありますが、水のない枯池で、庭園の名称「乾泉」の由来となっています。庭内に配置された飛石や石橋などは地元の戸室石や滝坂石を用いているそうです。金沢城と同じですね。そして、「森八」の2Fにある「森八茶寮」から見ることのできる武家屋敷「寺島蔵人邸」の庭園は、まさに名園にふさわしい景観だそうです。<br /><br />【②「森八 本店」】<br />「森八 本店」は表通りにあり、裏通りにある「武家屋敷 寺島蔵人邸」の反対側にあり、わずか徒歩2分140mの距離にあります。<br />「森八」は、時を遡ること390年前から菓子づくり一筋に歩み続けています。商標も歴史があり、森八家の始祖「亀田大隅」の胴丸に描かれていた紋章「龍玉」です。「森八本店」は、平成23年(2011年)に金沢市大手町に新築移転してきたので、伝統的な金沢の商家をイメージした外観も内観もとてもきれいで、清潔感があります。お菓子のみならず、「金沢菓子木型美術館」や「森八茶寮」も併設し、また「落雁手作り体験」などもあり、金沢の菓子文化に親しめるよう工夫をこらしています。残念ながら時間の都合上体験はできませんでしたが。<br />何故、「森八」へ行ったかというと、「全国和菓子教会」のイベントが、東京の京王プラザホテルで開催された際に、運よく多数の応募の中で当選しました。全国から職人さんが来て、和菓子の製造の実演をしたのですが、その中の一つに「森八」がありました。そこで実演したのが唯一の女性の若女将でした。それが印象的で、金沢に行ったらどんなところか見たいという思いがあったからです。「森八」を訪れた当日には、店内で「さくら餅」の実演販売をしていました。二つ買って帰りの飛行機の中で美味しくいただきました。<br /><br />【③「主計町茶屋街」】<br />「森八」から「主計町茶屋街」へは、「百万石通り」を進むと二又に分かれ、右折すると「浅野川大橋」があり、「浅野川大橋」の左側に「主計町茶屋街」があります。<br />「主計町茶屋街」は、「ひがし茶屋街」とは「浅野川大橋」を挟んで対角線上に位置しています。明治時代に入って、「ひがし茶屋街」の前身の「東の廓」が満杯になったことで、新たな旦那衆の遊びの場として形成されました。「ひがし茶屋街」、「にし茶屋街」とともに「金沢の三茶屋街」のひとつに数えられています。主計町の茶屋建築の特徴である3階建ての建物の間には幅の狭い道が続き、レトロな街灯や桜並木、ゆかりの作家の文学碑も川沿いにあります。「主計町茶屋街」の名前の由来は、加賀藩士「戸田主計」の屋敷があったことに由来しています。「主計町茶屋街」は、ももちろん国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されていいます。そして、日中も薄暗い石段が続く「暗がり坂」や作家の「五木寛之」が名付けた「あかり坂」などが人気のスポットになっています。また、「主計町茶屋街」では、今も「一葉」、「仲乃家」、「まゆ月」、「えんや」、「み笑」の5軒のお茶屋が営業しています。時折、芸妓さんのお稽古場となっている「主計町事務所」から、三味線や鼓の音色が漏れ聞こえてくるのも風流です。「主計町」は作家の「五木寛之」ゆかりの街で、表通りにある鍋料理店の前には、昭和46年(1971年)の作品「浅の川暮色」の文学碑が置かれているほか、「五木寛之」が命名した「あかり坂」に記念碑が設置されています。「五木寛之」ばかりでなく、幻想文学で知られる「泉鏡花」は、主計町の隣町の下新町で生まれました。鏡花の生家跡は「泉鏡花記念館」となり、生家前の道は「新町・鏡花通り」と名付けられています。<br /><br />【④「久保市乙剣宮」】<br />「主計町茶屋街」の裏通りにある「暗がり坂」を上るとすぐ「久保市乙剣宮」があります。<br />「久保市乙剣宮」は、金沢における「市場発祥の地」とされる由緒ある神社です。創建年代は不詳ですが、平安時代の初め「乙剣大明神」と称して、このあたりが加賀国小坂庄久保市村と呼ばれていた頃、「産土神」として創建された古社です。中世に「久保市乙剣宮」前に市場が形成され、商売繁盛の神様として崇敬を集めています。境内を抜けて「主計町茶屋街」へと通じる石段の坂道は「暗がり坂」と呼ばれていて、観光スポットとして有名です。その名の通り昼間でも仄暗く、情緒にあふれ、昔ながらの景色と出会えます。かつては商売で儲けた旦那衆が昼でも暗いこの坂道を通って茶屋街へ遊びに行ったそうです。そして、「久保市乙剣宮」は、主計町のお店の氏神様です。また、文豪「泉鏡花」の生家が近くにあって、幼い頃によく遊んだそうです。境内には「泉鏡花」ゆかりの神社として、「泉鏡花」が詠んだ句碑が建立されています。<br />「石鳥居」をくぐると、まず、左手に「手水舎」があり、その奥に「拝殿」があります。「久保市乙剣宮」自体は、小さくて、見るところはありませんでしたが、「拝殿」の立派さは異彩を放っていました。特に、「拝殿」の屋根は、表面に葺かれた銅板瓦が深い緑で歴史を感じさせるものでした。<br /><br />【⑤「円長寺」】<br />「久保市乙剣宮」から「円長寺」は徒歩6分400mの距離にあります。「浅野川大橋」を渡り、二つ目の角を右折し、50mほど進むと左手に「円長寺」があります。<br />「円長寺」は、「真宗大谷派」の寺院です。創建年代については不詳ですですが、由来によれば。前田家三代藩主「前田利常」が卯辰山周辺で鷹狩をした際に、円長寺を小休憩所に使用したとされ、「前田利常」の位牌を守り現在も安置しています。そのご縁から400年が経つ今でも利常公の位牌が安置され、そのため前田家の家紋である「剣梅鉢」の袈裟の使用が許されています。また、「本堂」の屋根瓦にも「剣梅鉢」がありました。<br />「山門」に向かって、右側の塀には、詳しく書かれた説明板がありますので、これを読むと「円長寺」の理解がより一層深まりました。さて、「山門」をくぐり境内に入ります。正面には、「本堂」そしてすぐ左手には「御輪堂」があります。説明板があったので読んでみると、「御輪堂」には、木造の巨大な書架(本棚)があり、棚の中には「大般若経」など約5000巻以上の般若心経などのお経が納められ、これを廻し一周させると、それらのお経の全てを読んだのと同じご利益が得られるとの内容が書かれています。当日、鍵がかかっていたので中に入ることができませんでした。ところが、お寺の方に声を掛ければ、開けてもらえ、なんと「御輪堂」内の写真を自由に撮ることもできだそうです。ちなみに、「御輪堂」の中には、三体の父子像である「傅大士」と、息子の「普建」、「普成」があります。「傅大士」は実在の仏教者で庶民に一切経蔵を広めたそうです。これから訪れる方は是非チャレンジしてください。<br /><br />【⑦「高木糀商店」】<br />「ひがし茶屋街」の散策を終え、「高木糀商店」へ行き、お土産を買いました。<br />「高木糀商店」は、天保年間創業で190年の歴史ある名店で、「ひがし茶屋街」の近くにあります。目立つような看板もなく、お店は非常に分かりにくかったです。建物は、歴史と風格があり、まさかここでお店をやっているのという感じです。長い縄のれんがあり、お店の中は見えません。ただ、その長い縄のれんの下から二人組の女性の足が見えたので、これが「高木糀商店」と確信しました。「ひがし茶屋街」方面から来ると屋根に煙筒があるので、それを目印にするといいかもしれません。先客が買い物を済ませ出てきたので、中に入ると、カウンターに発酵商品の味噌、糀、甘酒等が数点ならんでいるだけでした。我が家は、定番商品の「糀」を買って帰りました。店の方の説明によるとこの「糀」は、石川県産コシヒカリを杉桶で蒸し、石室で製造した白糀だそうです。<br />ちなみに、「高木糀商店」は、建物、道具、製法にいたるまで創業以来受け継がれたものを大切に使っているそうです。<br /><br />【⑧「にし茶屋街」】<br />「橋場町(ひがし・主計町茶屋街)」バス停から「城下まち金沢周遊バス」に乗り、「にし茶屋街」のあるにし茶屋街バス停で下車し、「金沢三茶屋街」のひとつ「にし茶屋街」へ向かいました。バスの乗車時間は、12分ほど、バス停から徒歩4分300mほどの距離にあります。<br />「にし茶屋街」は、「ひがし茶屋街」、「主計町茶屋街」と並ぶ「金沢三茶屋街」のひとつです。「にし茶屋街」は、約100mの目抜き取りに出格子が美しい2階建ての「茶屋建築」に老舗割烹が軒を並べ、趣のある一角を作り上げています。「にし茶屋街」は、「ひがし茶屋街」に比べて茶屋街のエリアは小さいものになっています。「ひがし茶屋街」には、「美音」、「明月」、「はん家」、「浅の家」の4軒のお茶屋が営業していて、3つある茶屋街の中で最も多い15名の芸妓が所属しているそうです。そして、北陸随一の繁華街、片町からほど近く、金沢三寺院群の中で最も大きい寺町寺院群もあります。作家「島田清次郎」が過ごしたお茶屋の跡地に建つ「金沢市西茶屋資料館」は見どころのひとつです。「金沢市西茶屋資料館」では、お茶屋の座敷を再現した空間を観光ボランティアガイドが無料で案内してくれます。<br />《「にし茶屋街」の付近の見どころ》<br />①「寺町寺院群」<br />「金沢三寺院群」のなかで最も規模が大きく、約70もの寺社が集まっている寺院群です。忍者寺で知られる「妙立寺」、「室生犀星」ゆかりの「雨宝院」、天然記念物の大桜で有名な「松月寺」などが点在しています。夕暮れになると梵鐘が鳴り響く光景は「残したい日本の音風景100選」に選ばれました。「静音の小径」とも呼ばれています。「金沢三寺院群」のひとつであり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。残り2つの寺院群は「卯辰山山麓寺院群」と「小立野寺院群」です。<br />②「妙立寺」<br />「妙立寺」は、「忍者寺」と呼ばれています。落とし穴になる「賽銭箱」、床板をまくると出現する「隠し階段」、「金沢城」への抜け道が整備されていたとされる「井戸」などの仕掛けが寺のあちこちで見られます。創建当時、徳川幕府と緊張状態にあったため、襲撃に備えて出城、砦の役目を果たしていました。外観は2階建てですが、実際は7層になっていて、23部屋と29階段もあると言われています。迷路のような内部をガイドが案内してくれます。事前の予約が必要です。<br />③「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」<br />「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」は、建築とまちづくりをテーマとし、令和元年(2019年)7月に開館しました。「東宮御所」(現仙洞御所)や「東京国立博物館東洋館」などの設計を手がけた日本を代表する建築家であり金沢市出身の「谷口吉郎」の住居跡に建てられ、「谷口吉郎」の長男であり、「ニューヨーク近代美術館」や「GINZA SIX」などを設計した世界的に活躍する建築家の「谷口吉生」が設計しました。建物内に、現存する施設である迎賓館赤坂離宮和風別館「游心亭」の主和室と茶室を忠実に再現展示する新しいスタイルの施設です。「にし茶屋街」から徒歩約5分ほどの距離であり、施設にはオリジナルグッズやMoMAグッズ等を取り扱ったショップも併設されています。<br />④「鈴木大拙館」<br />「鈴木大拙」は、D.T. Suzukiとして世界で知られる金沢が生んだ仏教哲学者です。「鈴木大拙」の考えや足跡をひろく国内外の人々に伝えるとともに、来館者自らが思索する場となることを目的に開設された館内は「展示空間」、「学習空間」、「思索空間」の3つの空間を回廊で結ぶとともに、「玄関の庭」、「露地の庭」、「水鏡の庭」の3つの庭によって構成。設計は国際的な建築家「谷口吉生」。静寂な雰囲気をうみだす大きなクスノキの古木や、朝夕、四季によって彩られる散策路もみどころです。<br />⑤「美術の小径・緑の小径」<br />「石川県立美術館」と「中村記念美術館」を結ぶ石段の「美術の小径」には、平行して「兼六園」から流れる「辰巳用水」が流れています。「中村記念美術館」から「鈴木大拙館」へと続く「緑の小径」を歩くと、「本多公園」が広がっており、国の登録有形文化財「旧本多家長屋門」を見ることができます。また、隣接して「松風閣庭園」もあり、武家庭園であった当時の雰囲気を感じることができます。<br />⑥「中村記念美術館」<br />「中村記念美術館」は、茶道美術の名品をはじめ江戸時代の絵画、古九谷、加賀蒔絵、加賀象嵌など、約1000点を所蔵する金沢の茶道文化と伝統工芸を紹介する美術館です。<br /><br />【⑨「願念寺」】<br />「にし茶屋街」の「西検番事務所」を過ぎ細い路地になります。「南大通り」に出て道路の反対側に「ローソン金沢野町一丁目店」があります。信号を渡り、ローソン金沢野町一丁目店」の脇を通り進むと右手に「願念寺」があります。<br />「願念寺」は、忍者寺として有名な「妙立寺」の裏手にある真宗大谷派の寺院です。「願念寺」の創建は慶長年間(1596年~1615年)と伝えられています。創建された当初は現在の片町付近にありましたが、万治2年(1659年)に現在地に移ってきました。願念寺は「松尾芭蕉」の弟子である「小杉一笑」の菩提寺としても有名で、元禄2年(1689年)に「奥の細道」の旅の途中に「松尾芭蕉」が金沢に訪れた時には、「小杉一笑」は36歳の若さですでに亡くなっていました。師である「松尾芭蕉」は「小杉一笑」の死を悼み「願念寺」で催された追悼会に出席し、「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」の句を残しています。境内には「小杉一笑」の辞世句である「心から雪うつくしや西の雲」が刻まれた「一笑塚」や「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」の松尾芭蕉」の句碑があります。「願念寺」の「山門」は平唐門の一間一戸、屋根は銅本瓦棒葺きとなっています。「本堂」は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺きで、外壁は真壁造り白漆喰仕上げになっています。<br /><br />【⑩「妙立寺」】<br />「願念寺」の先20mほどのところに「妙立寺」の裏門があります。<br />「妙立寺」は、石川県金沢市にある日蓮宗の寺院で、「日蓮聖人」の法孫である「日像上人」作の祖師像を安置しています。寛永20年(1643年)、三代藩主「前田利常」の命により、城内にあった祈願所を移し、運上町に創建されました。当時、加賀藩は百万石の禄高を誇る外様大名の雄として徳川幕府から常に監視下に置かれ相当の緊張状態にあった。加賀藩は、幕府の襲撃という万一の場合に備えて、「妙立寺」に出城、砦としての役割も持たせました。「妙立寺」にある「井戸」の中には、「金沢城」に続く抜け道があるといわれており、落とし穴となる「賽銭箱」や、床板を外すと現れる「隠し階段」、「掛け軸」の裏にある「隠し扉」など至る所に敵を欺くための仕掛けがたくさんあります。このように複雑な構造と外敵を欺く仕掛けから「忍者寺」とも呼ばれています。「茶室」は刀や槍が振り回せないように天井が低くつくられています。また、「妙立寺」の境内から本堂の屋根に目をやると、「妙立寺」の特徴ともいえる本堂屋根の突端部分に位置する「望楼(物見台)」があります。そこからは、見張りのために遠くを見渡すことができるそうです。外観は2階建てですが実際には7層になっており、部屋数は23、階段の数も29もあります。迷路のような内部は一度入ったら出られないといわれており、ガイドによる案内が行われ、事前の予約制になっています。ただし、当日も空きがあれば予約することができるそうです。「にし茶屋街」も徒歩4分240mほどとすぐそばなのでセットで観光するのがお薦めです。<br /><br />【「Espresso Bar ケサランパサラン」】<br />「妙立寺」から「Espresso Bar ケサランパサラン」までは、徒歩14分1000mほどでした。「桜橋」を渡り、二つ目の信号を左折し、100mほど直進すると右手にあります。<br />「Espresso Bar ケサランパサラン」は、創立者である夫婦が、メルボルンのカフェ文化に衝撃を受け、金沢で始まったメルボルンスタイルのエスプレッソ専門のカフェです。しかし、なぜ観光地から少し離れた「Espresso Bar ケサランパサラン」へ行ったのかというと旅行の数日前に娘からメールが入り、「エスプレッソバーのこだわりティラミス」という珍しいデザートがあるという情報を得ました。ネットで見てみると今まで見たことのないような、まるで野球のボールのような丸い形をしたティラミスです。甘い物好きの私たち夫婦は、観光地から少しはずれるけれどこれは絶対に食べに行こうということが、「Espresso Bar ケサランパサラン」を訪ねた経緯です。私は、「エスプレッソ―」のダブルと「アーモンドクロワッサン」、家内は「ラテ」と「エスプレッソバーのこだわりティラミス」を頼み、シェアして食べました。「エスプレッソ―」の専門店なので美味しいのは間違いありませんでした。「アーモンドクロワッサン」は、サックとしたパン生地とアーモンドが香ばしく美味しく頂けました。そして、本命の「エスプレッソバーのこだわりティラミス」は、濃厚な味わいで、口の中ですぐ溶けてなくなりましたが、口の中にはティラミスの美味しさが一杯に広がりました。<br />私たちは1階のカウンターのみのスペースで飲食をしましたが、2階はテーブル席で1階の雰囲気とはガラッと変わるそうです。BGMも洒落た音楽を流していました。次回、金沢に来たときには、必ず立ち寄り、豊潤なエスプレッソ―を味わいたいと思います。<br /><br />【⑫「小松空港と空カフェ」】<br />飛行機の出発時間に1時間以上余裕があったので、「小松空港」で夕食を取ることにしました。「小松空港」は規模が小さいので、レストランは、「空カフェ」ほか、小松うどんの「味の中石」、イタリアンレストランの「海とハクサン」の3軒しかありませんでした。<br />「空カフェ」は、カレーやホットドック、コーヒーなどの軽食を中心としたレストランです。当初は小松うどんの「味の中石」で食べる予定でしたが、店の前にある「カツカレー」のサンプルが美味しそうに見えたので、「空カフェ」にしました。私は「カツカレー」、家内は「トマトカレー」を注文しました。地産地消にこだわっていて、御飯が美味しいと思ったら、店内で提供するお米は小松産コシヒカリ「エコ育ち」を使用しているそうです。また、「トマトカレー」は小松産トマトをたっぷり使い、平成23年(2011年)の農林水産大臣賞を受賞したそうです。家内からカレーのルーを一口もらい食べると濃厚なトマトの味がしました。とてもリーズナブルな値段で、お腹も一杯になりました。<br />そして、「小松空港」の到着ロビーの正面玄関付近には、恐竜ロボットの「フクイラプトル」がいて、観光客を出迎えてくれます。人が近づくと、首をひねらせながら口を大きく開けてほえます。これには驚きました。<br /><br />

金沢旅行【第三日目】(最終日) ~今日のメーンの目的地は、「三大茶屋街」と忍者寺と呼ばれている「妙立寺」です。~~

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2024/03/07 - 2024/03/09

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Lily-junjunさん

この旅行記のスケジュール

2024/03/09

  • 城下まち金沢周遊バス 橋場町(金城樓前)⇒広小路(大桜前)

  • 城下町まち金沢周遊バス 桜橋⇒武蔵ヶ辻・近江町市場 ⇒ホテル

  • 武蔵ヶ辻・近江町市場発16:53⇒小松空港着17:45(空港リムジンバス)

  • 小松空港発18:50(ANA758便)⇒羽田空港着19:50着 予定より10分早く着きました。

  • 羽田空港第二ターミナル発20:25⇒北千住着21:13(空港リムジンバス)

この旅行記スケジュールを元に

金沢旅行も残すところ今日一日だけとなりました。9:30頃にホテルでのチェックアウトを済ませ、荷物を預けてから観光に出かけました。「武蔵ケ辻・近江町市場(バス停)」から「小松空港」行のリムジンバスの発車時刻が16:53なので、残された時間は、7時間です。まず、ホテルから徒歩6分500mの距離にある加賀藩中級武士「寺島蔵人」の「武家屋敷 寺島蔵人邸」を訪れました。ここでは、素晴らしい苔むす庭園の中で飛び石を伝わりながら散策できます。そして、「武家屋敷 寺島蔵人邸」の反対側に位置し、390年前から菓子づくり一筋に歩み続けている「森八 本店」へ行きました。訪れた当日に「さくら餅」の実演販売をしていました。「森八 本店」から「ひがし茶屋街」とは「浅野川大橋」を挟んで対角線上に位置している3階建ての建物が続く「主計町茶屋街」へ向かいました。「主計町茶屋街」の裏通りに「暗がり坂」があり、それを上ると「市場発祥の地」とされる由緒ある「久保市乙剣宮」へと続いています。次に、ドクターXの撮影として使われた「中の橋」を渡り、昨日、雨でよく見ることのできなかった「ひがし茶屋街」方面に向かいました。途中に、「前田利常」の位牌を守り現在も安置している「円長寺」に立ち寄りました。その後、「ひがし茶屋街」の散策を済ませ、近くにある天保年間創業で190年の歴史ある名店「高木糀商店」へ行き、自家用として糀を買いました。そして、「橋場町(ひがし・主計町茶屋街)」バス停から「城下まち金沢周遊バス」に乗り、「にし茶屋街」のある「広小路」バス停で下車し、「金沢三茶屋街」のひとつ「にし茶屋街」へ向かいました。それから松尾芭蕉も奥の細道の旅の途中に立ち寄った「願念寺」へ、「願念寺」からすぐそばにある迷路のような内部は一度入ったら出られないといわれ、別名忍者寺の「妙立寺」へ行きました。そして、金沢旅行で最後のグルメスポット「Espresso Bar ケサランパサラン」で美味しいコーヒーとデザートを堪能しました。

《第三日目(最終日)の見学等の順路》
①「武家屋敷 寺島蔵人邸」⇒②「森八 本店」⇒③「主計町茶屋街」⇒④「久保市乙剣宮」⇒⑤「円長寺」⇒⑥「ひがし茶屋街」⇒⑦「高木糀商店」⇒⑧「にし茶屋街」⇒⑨「願念寺」⇒⑩「妙立寺」⇒⑪「Espresso Bar ケサランパサラン」⇒⑫「小松空港と空カフェ」

【①「武家屋敷 寺島蔵人邸」】
ホテルから裏道をとおり「武家屋敷 寺島蔵人邸」までは徒歩6分500mほどです。「武家屋敷 寺島蔵人邸」は裏通りにあるので、見逃さないように注意してください。
「武家屋敷 寺島蔵人邸」は、加賀藩中級武士「寺島蔵人」の屋敷で、「金沢城大手門跡」から徒歩3分くらいのところに位置しています。この周辺は、江戸時代には寺島蔵人邸と同規模の武家屋敷が並ぶ中級武士の居住地だったそうです。画に親しみ、「艮嶴」、「静斎」、「王梁元」、「応養」などの号があります。「寺島蔵人邸」は敷地内に残る家屋、土蔵、土塀および庭園が江戸時代の中級武家屋敷の様子を伝えるものとして、昭和49年(1974年)3月に金沢市指定文化財史跡となりました。「寺島蔵人邸」の魅力は、何と言っても庭園でしょう。庭園は散策でき、樹齢300年以上のドウダンツツジが春に開花する姿と秋の紅葉の様子は見る人の心をくぎ付けにするそうです。「武家屋敷 寺島蔵人邸」は、意外と分かりにくい場所にあります。私たちも「森八」に行く途中に、案内板を発見したので分かりましたが、裏路地にあり見逃しがちでしょう。正門を入ると右手にチケット売場があり、呼び鈴を鳴らして係の人を呼びます。お金を支払い屋敷の中に入ると、まず、靴を脱いで上がると13畳半の広い座敷があります。ここで係の人が「武家屋敷 寺島蔵人邸」と「寺島蔵人」のことについて、丁寧に説明してくれます。もちろん無料です。やはり、こういう説明があるとより一層理解が深まり、興味を持って楽しく見学することができますよね。その他1Fには、5畳の茶室、文化5年(1808年)に寺島邸を訪れた「浦上玉堂」が琴を弾いた部屋という4畳の間、美術関係の「展示室」そのほか数部屋ありました。展示室には、「寺島蔵人」の書画ほか、寺島家伝来の所蔵品の数々を展示しています。また、所蔵品の中には「狩野探幽」、「池大雅」、「浦上玉堂」、「岸駒」などの著名な書画家の作品や、「寺島蔵人」と交流のあった金沢の文化人の作品が含まれています。2Fにある8畳の間は「寺島蔵人」の画室「白雲深処」と伝えられていますが、現在は安全上の理由から非公開となっていました。そして、素晴らしい庭園を散策しました。寺島邸の庭園は、家屋の北側と東側に広がり、池泉回遊式で、春はドウダンツツジの開花、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季折々の姿を変えて目を楽しませてくれるそうです。それぞれの季節の自然の景色をパネルにしたものが掲示され、13畳半の座敷から見るとまさに額に入っている絵のようでした。それと飛び石がキチンと配置され、その上を歩きながら庭園を見るとまた違った趣を感じました。池もありますが、水のない枯池で、庭園の名称「乾泉」の由来となっています。庭内に配置された飛石や石橋などは地元の戸室石や滝坂石を用いているそうです。金沢城と同じですね。そして、「森八」の2Fにある「森八茶寮」から見ることのできる武家屋敷「寺島蔵人邸」の庭園は、まさに名園にふさわしい景観だそうです。

【②「森八 本店」】
「森八 本店」は表通りにあり、裏通りにある「武家屋敷 寺島蔵人邸」の反対側にあり、わずか徒歩2分140mの距離にあります。
「森八」は、時を遡ること390年前から菓子づくり一筋に歩み続けています。商標も歴史があり、森八家の始祖「亀田大隅」の胴丸に描かれていた紋章「龍玉」です。「森八本店」は、平成23年(2011年)に金沢市大手町に新築移転してきたので、伝統的な金沢の商家をイメージした外観も内観もとてもきれいで、清潔感があります。お菓子のみならず、「金沢菓子木型美術館」や「森八茶寮」も併設し、また「落雁手作り体験」などもあり、金沢の菓子文化に親しめるよう工夫をこらしています。残念ながら時間の都合上体験はできませんでしたが。
何故、「森八」へ行ったかというと、「全国和菓子教会」のイベントが、東京の京王プラザホテルで開催された際に、運よく多数の応募の中で当選しました。全国から職人さんが来て、和菓子の製造の実演をしたのですが、その中の一つに「森八」がありました。そこで実演したのが唯一の女性の若女将でした。それが印象的で、金沢に行ったらどんなところか見たいという思いがあったからです。「森八」を訪れた当日には、店内で「さくら餅」の実演販売をしていました。二つ買って帰りの飛行機の中で美味しくいただきました。

【③「主計町茶屋街」】
「森八」から「主計町茶屋街」へは、「百万石通り」を進むと二又に分かれ、右折すると「浅野川大橋」があり、「浅野川大橋」の左側に「主計町茶屋街」があります。
「主計町茶屋街」は、「ひがし茶屋街」とは「浅野川大橋」を挟んで対角線上に位置しています。明治時代に入って、「ひがし茶屋街」の前身の「東の廓」が満杯になったことで、新たな旦那衆の遊びの場として形成されました。「ひがし茶屋街」、「にし茶屋街」とともに「金沢の三茶屋街」のひとつに数えられています。主計町の茶屋建築の特徴である3階建ての建物の間には幅の狭い道が続き、レトロな街灯や桜並木、ゆかりの作家の文学碑も川沿いにあります。「主計町茶屋街」の名前の由来は、加賀藩士「戸田主計」の屋敷があったことに由来しています。「主計町茶屋街」は、ももちろん国の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されていいます。そして、日中も薄暗い石段が続く「暗がり坂」や作家の「五木寛之」が名付けた「あかり坂」などが人気のスポットになっています。また、「主計町茶屋街」では、今も「一葉」、「仲乃家」、「まゆ月」、「えんや」、「み笑」の5軒のお茶屋が営業しています。時折、芸妓さんのお稽古場となっている「主計町事務所」から、三味線や鼓の音色が漏れ聞こえてくるのも風流です。「主計町」は作家の「五木寛之」ゆかりの街で、表通りにある鍋料理店の前には、昭和46年(1971年)の作品「浅の川暮色」の文学碑が置かれているほか、「五木寛之」が命名した「あかり坂」に記念碑が設置されています。「五木寛之」ばかりでなく、幻想文学で知られる「泉鏡花」は、主計町の隣町の下新町で生まれました。鏡花の生家跡は「泉鏡花記念館」となり、生家前の道は「新町・鏡花通り」と名付けられています。

【④「久保市乙剣宮」】
「主計町茶屋街」の裏通りにある「暗がり坂」を上るとすぐ「久保市乙剣宮」があります。
「久保市乙剣宮」は、金沢における「市場発祥の地」とされる由緒ある神社です。創建年代は不詳ですが、平安時代の初め「乙剣大明神」と称して、このあたりが加賀国小坂庄久保市村と呼ばれていた頃、「産土神」として創建された古社です。中世に「久保市乙剣宮」前に市場が形成され、商売繁盛の神様として崇敬を集めています。境内を抜けて「主計町茶屋街」へと通じる石段の坂道は「暗がり坂」と呼ばれていて、観光スポットとして有名です。その名の通り昼間でも仄暗く、情緒にあふれ、昔ながらの景色と出会えます。かつては商売で儲けた旦那衆が昼でも暗いこの坂道を通って茶屋街へ遊びに行ったそうです。そして、「久保市乙剣宮」は、主計町のお店の氏神様です。また、文豪「泉鏡花」の生家が近くにあって、幼い頃によく遊んだそうです。境内には「泉鏡花」ゆかりの神社として、「泉鏡花」が詠んだ句碑が建立されています。
「石鳥居」をくぐると、まず、左手に「手水舎」があり、その奥に「拝殿」があります。「久保市乙剣宮」自体は、小さくて、見るところはありませんでしたが、「拝殿」の立派さは異彩を放っていました。特に、「拝殿」の屋根は、表面に葺かれた銅板瓦が深い緑で歴史を感じさせるものでした。

【⑤「円長寺」】
「久保市乙剣宮」から「円長寺」は徒歩6分400mの距離にあります。「浅野川大橋」を渡り、二つ目の角を右折し、50mほど進むと左手に「円長寺」があります。
「円長寺」は、「真宗大谷派」の寺院です。創建年代については不詳ですですが、由来によれば。前田家三代藩主「前田利常」が卯辰山周辺で鷹狩をした際に、円長寺を小休憩所に使用したとされ、「前田利常」の位牌を守り現在も安置しています。そのご縁から400年が経つ今でも利常公の位牌が安置され、そのため前田家の家紋である「剣梅鉢」の袈裟の使用が許されています。また、「本堂」の屋根瓦にも「剣梅鉢」がありました。
「山門」に向かって、右側の塀には、詳しく書かれた説明板がありますので、これを読むと「円長寺」の理解がより一層深まりました。さて、「山門」をくぐり境内に入ります。正面には、「本堂」そしてすぐ左手には「御輪堂」があります。説明板があったので読んでみると、「御輪堂」には、木造の巨大な書架(本棚)があり、棚の中には「大般若経」など約5000巻以上の般若心経などのお経が納められ、これを廻し一周させると、それらのお経の全てを読んだのと同じご利益が得られるとの内容が書かれています。当日、鍵がかかっていたので中に入ることができませんでした。ところが、お寺の方に声を掛ければ、開けてもらえ、なんと「御輪堂」内の写真を自由に撮ることもできだそうです。ちなみに、「御輪堂」の中には、三体の父子像である「傅大士」と、息子の「普建」、「普成」があります。「傅大士」は実在の仏教者で庶民に一切経蔵を広めたそうです。これから訪れる方は是非チャレンジしてください。

【⑦「高木糀商店」】
「ひがし茶屋街」の散策を終え、「高木糀商店」へ行き、お土産を買いました。
「高木糀商店」は、天保年間創業で190年の歴史ある名店で、「ひがし茶屋街」の近くにあります。目立つような看板もなく、お店は非常に分かりにくかったです。建物は、歴史と風格があり、まさかここでお店をやっているのという感じです。長い縄のれんがあり、お店の中は見えません。ただ、その長い縄のれんの下から二人組の女性の足が見えたので、これが「高木糀商店」と確信しました。「ひがし茶屋街」方面から来ると屋根に煙筒があるので、それを目印にするといいかもしれません。先客が買い物を済ませ出てきたので、中に入ると、カウンターに発酵商品の味噌、糀、甘酒等が数点ならんでいるだけでした。我が家は、定番商品の「糀」を買って帰りました。店の方の説明によるとこの「糀」は、石川県産コシヒカリを杉桶で蒸し、石室で製造した白糀だそうです。
ちなみに、「高木糀商店」は、建物、道具、製法にいたるまで創業以来受け継がれたものを大切に使っているそうです。

【⑧「にし茶屋街」】
「橋場町(ひがし・主計町茶屋街)」バス停から「城下まち金沢周遊バス」に乗り、「にし茶屋街」のあるにし茶屋街バス停で下車し、「金沢三茶屋街」のひとつ「にし茶屋街」へ向かいました。バスの乗車時間は、12分ほど、バス停から徒歩4分300mほどの距離にあります。
「にし茶屋街」は、「ひがし茶屋街」、「主計町茶屋街」と並ぶ「金沢三茶屋街」のひとつです。「にし茶屋街」は、約100mの目抜き取りに出格子が美しい2階建ての「茶屋建築」に老舗割烹が軒を並べ、趣のある一角を作り上げています。「にし茶屋街」は、「ひがし茶屋街」に比べて茶屋街のエリアは小さいものになっています。「ひがし茶屋街」には、「美音」、「明月」、「はん家」、「浅の家」の4軒のお茶屋が営業していて、3つある茶屋街の中で最も多い15名の芸妓が所属しているそうです。そして、北陸随一の繁華街、片町からほど近く、金沢三寺院群の中で最も大きい寺町寺院群もあります。作家「島田清次郎」が過ごしたお茶屋の跡地に建つ「金沢市西茶屋資料館」は見どころのひとつです。「金沢市西茶屋資料館」では、お茶屋の座敷を再現した空間を観光ボランティアガイドが無料で案内してくれます。
《「にし茶屋街」の付近の見どころ》
①「寺町寺院群」
「金沢三寺院群」のなかで最も規模が大きく、約70もの寺社が集まっている寺院群です。忍者寺で知られる「妙立寺」、「室生犀星」ゆかりの「雨宝院」、天然記念物の大桜で有名な「松月寺」などが点在しています。夕暮れになると梵鐘が鳴り響く光景は「残したい日本の音風景100選」に選ばれました。「静音の小径」とも呼ばれています。「金沢三寺院群」のひとつであり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。残り2つの寺院群は「卯辰山山麓寺院群」と「小立野寺院群」です。
②「妙立寺」
「妙立寺」は、「忍者寺」と呼ばれています。落とし穴になる「賽銭箱」、床板をまくると出現する「隠し階段」、「金沢城」への抜け道が整備されていたとされる「井戸」などの仕掛けが寺のあちこちで見られます。創建当時、徳川幕府と緊張状態にあったため、襲撃に備えて出城、砦の役目を果たしていました。外観は2階建てですが、実際は7層になっていて、23部屋と29階段もあると言われています。迷路のような内部をガイドが案内してくれます。事前の予約が必要です。
③「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」
「谷口吉郎・吉生記念金沢建築館」は、建築とまちづくりをテーマとし、令和元年(2019年)7月に開館しました。「東宮御所」(現仙洞御所)や「東京国立博物館東洋館」などの設計を手がけた日本を代表する建築家であり金沢市出身の「谷口吉郎」の住居跡に建てられ、「谷口吉郎」の長男であり、「ニューヨーク近代美術館」や「GINZA SIX」などを設計した世界的に活躍する建築家の「谷口吉生」が設計しました。建物内に、現存する施設である迎賓館赤坂離宮和風別館「游心亭」の主和室と茶室を忠実に再現展示する新しいスタイルの施設です。「にし茶屋街」から徒歩約5分ほどの距離であり、施設にはオリジナルグッズやMoMAグッズ等を取り扱ったショップも併設されています。
④「鈴木大拙館」
「鈴木大拙」は、D.T. Suzukiとして世界で知られる金沢が生んだ仏教哲学者です。「鈴木大拙」の考えや足跡をひろく国内外の人々に伝えるとともに、来館者自らが思索する場となることを目的に開設された館内は「展示空間」、「学習空間」、「思索空間」の3つの空間を回廊で結ぶとともに、「玄関の庭」、「露地の庭」、「水鏡の庭」の3つの庭によって構成。設計は国際的な建築家「谷口吉生」。静寂な雰囲気をうみだす大きなクスノキの古木や、朝夕、四季によって彩られる散策路もみどころです。
⑤「美術の小径・緑の小径」
「石川県立美術館」と「中村記念美術館」を結ぶ石段の「美術の小径」には、平行して「兼六園」から流れる「辰巳用水」が流れています。「中村記念美術館」から「鈴木大拙館」へと続く「緑の小径」を歩くと、「本多公園」が広がっており、国の登録有形文化財「旧本多家長屋門」を見ることができます。また、隣接して「松風閣庭園」もあり、武家庭園であった当時の雰囲気を感じることができます。
⑥「中村記念美術館」
「中村記念美術館」は、茶道美術の名品をはじめ江戸時代の絵画、古九谷、加賀蒔絵、加賀象嵌など、約1000点を所蔵する金沢の茶道文化と伝統工芸を紹介する美術館です。

【⑨「願念寺」】
「にし茶屋街」の「西検番事務所」を過ぎ細い路地になります。「南大通り」に出て道路の反対側に「ローソン金沢野町一丁目店」があります。信号を渡り、ローソン金沢野町一丁目店」の脇を通り進むと右手に「願念寺」があります。
「願念寺」は、忍者寺として有名な「妙立寺」の裏手にある真宗大谷派の寺院です。「願念寺」の創建は慶長年間(1596年~1615年)と伝えられています。創建された当初は現在の片町付近にありましたが、万治2年(1659年)に現在地に移ってきました。願念寺は「松尾芭蕉」の弟子である「小杉一笑」の菩提寺としても有名で、元禄2年(1689年)に「奥の細道」の旅の途中に「松尾芭蕉」が金沢に訪れた時には、「小杉一笑」は36歳の若さですでに亡くなっていました。師である「松尾芭蕉」は「小杉一笑」の死を悼み「願念寺」で催された追悼会に出席し、「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」の句を残しています。境内には「小杉一笑」の辞世句である「心から雪うつくしや西の雲」が刻まれた「一笑塚」や「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」の松尾芭蕉」の句碑があります。「願念寺」の「山門」は平唐門の一間一戸、屋根は銅本瓦棒葺きとなっています。「本堂」は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺きで、外壁は真壁造り白漆喰仕上げになっています。

【⑩「妙立寺」】
「願念寺」の先20mほどのところに「妙立寺」の裏門があります。
「妙立寺」は、石川県金沢市にある日蓮宗の寺院で、「日蓮聖人」の法孫である「日像上人」作の祖師像を安置しています。寛永20年(1643年)、三代藩主「前田利常」の命により、城内にあった祈願所を移し、運上町に創建されました。当時、加賀藩は百万石の禄高を誇る外様大名の雄として徳川幕府から常に監視下に置かれ相当の緊張状態にあった。加賀藩は、幕府の襲撃という万一の場合に備えて、「妙立寺」に出城、砦としての役割も持たせました。「妙立寺」にある「井戸」の中には、「金沢城」に続く抜け道があるといわれており、落とし穴となる「賽銭箱」や、床板を外すと現れる「隠し階段」、「掛け軸」の裏にある「隠し扉」など至る所に敵を欺くための仕掛けがたくさんあります。このように複雑な構造と外敵を欺く仕掛けから「忍者寺」とも呼ばれています。「茶室」は刀や槍が振り回せないように天井が低くつくられています。また、「妙立寺」の境内から本堂の屋根に目をやると、「妙立寺」の特徴ともいえる本堂屋根の突端部分に位置する「望楼(物見台)」があります。そこからは、見張りのために遠くを見渡すことができるそうです。外観は2階建てですが実際には7層になっており、部屋数は23、階段の数も29もあります。迷路のような内部は一度入ったら出られないといわれており、ガイドによる案内が行われ、事前の予約制になっています。ただし、当日も空きがあれば予約することができるそうです。「にし茶屋街」も徒歩4分240mほどとすぐそばなのでセットで観光するのがお薦めです。

【「Espresso Bar ケサランパサラン」】
「妙立寺」から「Espresso Bar ケサランパサラン」までは、徒歩14分1000mほどでした。「桜橋」を渡り、二つ目の信号を左折し、100mほど直進すると右手にあります。
「Espresso Bar ケサランパサラン」は、創立者である夫婦が、メルボルンのカフェ文化に衝撃を受け、金沢で始まったメルボルンスタイルのエスプレッソ専門のカフェです。しかし、なぜ観光地から少し離れた「Espresso Bar ケサランパサラン」へ行ったのかというと旅行の数日前に娘からメールが入り、「エスプレッソバーのこだわりティラミス」という珍しいデザートがあるという情報を得ました。ネットで見てみると今まで見たことのないような、まるで野球のボールのような丸い形をしたティラミスです。甘い物好きの私たち夫婦は、観光地から少しはずれるけれどこれは絶対に食べに行こうということが、「Espresso Bar ケサランパサラン」を訪ねた経緯です。私は、「エスプレッソ―」のダブルと「アーモンドクロワッサン」、家内は「ラテ」と「エスプレッソバーのこだわりティラミス」を頼み、シェアして食べました。「エスプレッソ―」の専門店なので美味しいのは間違いありませんでした。「アーモンドクロワッサン」は、サックとしたパン生地とアーモンドが香ばしく美味しく頂けました。そして、本命の「エスプレッソバーのこだわりティラミス」は、濃厚な味わいで、口の中ですぐ溶けてなくなりましたが、口の中にはティラミスの美味しさが一杯に広がりました。
私たちは1階のカウンターのみのスペースで飲食をしましたが、2階はテーブル席で1階の雰囲気とはガラッと変わるそうです。BGMも洒落た音楽を流していました。次回、金沢に来たときには、必ず立ち寄り、豊潤なエスプレッソ―を味わいたいと思います。

【⑫「小松空港と空カフェ」】
飛行機の出発時間に1時間以上余裕があったので、「小松空港」で夕食を取ることにしました。「小松空港」は規模が小さいので、レストランは、「空カフェ」ほか、小松うどんの「味の中石」、イタリアンレストランの「海とハクサン」の3軒しかありませんでした。
「空カフェ」は、カレーやホットドック、コーヒーなどの軽食を中心としたレストランです。当初は小松うどんの「味の中石」で食べる予定でしたが、店の前にある「カツカレー」のサンプルが美味しそうに見えたので、「空カフェ」にしました。私は「カツカレー」、家内は「トマトカレー」を注文しました。地産地消にこだわっていて、御飯が美味しいと思ったら、店内で提供するお米は小松産コシヒカリ「エコ育ち」を使用しているそうです。また、「トマトカレー」は小松産トマトをたっぷり使い、平成23年(2011年)の農林水産大臣賞を受賞したそうです。家内からカレーのルーを一口もらい食べると濃厚なトマトの味がしました。とてもリーズナブルな値段で、お腹も一杯になりました。
そして、「小松空港」の到着ロビーの正面玄関付近には、恐竜ロボットの「フクイラプトル」がいて、観光客を出迎えてくれます。人が近づくと、首をひねらせながら口を大きく開けてほえます。これには驚きました。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
4.0
ショッピング
3.5
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
高速・路線バス ANAグループ 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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