天童温泉旅行記(ブログ) 一覧に戻る
将棋の駒の生産地である山形県を訪ねたのは、令和6年4月15日(月)です。今回のメーンの目的は、「人間将棋」で有名な「舞鶴山」山頂の桜、「倉津川」両岸に1400m続く枝垂れ桜そして芸術性に富んだ家具を製作している「天童木工」の「ショールーム&ストア」へ行くことです。<br />早朝の上野発6時18分のつばさ121号に乗り、20時42分に上野駅着のつばさ156号で帰宅する強行スケジュールです。何故、天童に宿泊しないのかと疑問を持たれる方も多いと思いますが、それには理由があります。昨年、秋田の角館に2泊3日で、武家屋敷に咲き誇る枝垂れ桜を見に行ったのですが、最近の異常気象の気候のせいか例年より一週間早く満開になってしまい、葉桜しか見ることができませんでした。やはり、桜の満開を見るなら、日帰りしかないという結論に達したからです。毎日のテレビやネットで開花情報をチェックした甲斐があったせいか、天童市内はどこもかしこも、ソメイヨシノも枝垂れ桜も花が満開でした。天童市内は、さくらまつりを開催している場所だけでなく、公園や川沿いに隠れスポットがありました。私が、発見したのは「天童木工」のすぐ近くにある「押切川」沿いにある桜並木です。桜の木の枝ぶりもよく、たわわに花をつけていました。私の個人的見解ですが、さくらまつりの会場よりこちらの方が目の保養になりました。見物に来ている人も4~5人程度で素晴らしい桜の景色を独り占めできます。場所が不便ですが、「天童木工」の「ショールーム&ストア」で匠の技を堪能した後に、自然の美しさをエンジョイできる本当にお薦めの花見の隠れスポットです。<br />これは仕方がありませんが、天童市内のお店は月曜日の定休日が多いということです。「天童市観光情報センター」も本来は、第三月曜日が休館日でしたが、「さくらまつり」の期間中なので運よくあいていて、情報、観光地図をゲットすることができ、帰りには天童土産も買うことができました。残念だったのは、漆喰壁、瓦ぶき、ステンドグラスの洋館の「天童市立旧東村山郡役所資料館」と私の日本酒で一番好きなブランドの「出羽桜酒造」が休みだったということです。それと途中、タクシーを利用しましたが、運転手さんによると木曜日が定休日のお店も多いそうです。もし、天童に旅行することがあれば、月曜日と木曜日は避けた方がいいでしょうね。<br /><br />今回の旅では、下記のような順路で天童市内を旅しました。<br /><br />《見学等の順路》<br />①《天童市観光情報センター》⇒②《天童市将棋資料館(天童駅前)》、《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》、《王将ポスト(天童駅前)》⇒③《芭蕉句碑》⇒④《「愛宕沼親水空間」》⇒⑤《「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」》⇒⑥《人間将棋盤》⇒⑦《「将棋塔」》⇒⑧《「二千局盤来2018」将棋モニュメント》⇒⑨《天童古城記念碑》⇒⑩《吉田大八像》⇒⑪《文学の森》⇒⑫《建勲神社》⇒⑬《妙法寺》⇒⑭《佛向寺》⇒⑮《天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)》⇒⑯《出羽桜酒造》⇒⑰《そば処 一庵》⇒⑱《天童木工》⇒⑲《押切川沿いの桜並木》⇒⑳《ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ》&#12881;《倉津川沿いの枝垂れ桜並木》&#12882;《中央公園》⇒&#12883;《「ホテル天童」前の足湯》⇒&#12884;《「王将の巨大モニュメント」》⇒&#12885;《手打 水車生そば》<br /><br />まず、新幹線を降りてから真っ先に観光情報をゲットするために、「天童市観光情報センター」に向かいました。<br /><br />①《天童市観光情報センター》<br />「天童市観光情報センター」は、「JR天童」駅に隣接する「天童ターミナルビル“パルテ”」の2階にあります。私たちが訪れた4月15日(月)は、第3月曜日で休館日と思っていたら、「天童さくらまつり」の期間中なので運よく営業していたので、ここで天童市の観光情報を手に入れることができました。また、帰りの新幹線の時間待ちの時間を利用して、お土産も買うことができました。「物産コーナー」では、天童の特産品だけではなく山形の特産品も取り扱っているため、わざわざ山形駅で降りなくても山形のおみやげを買い求めることができます。まさに一石二鳥ですよね。「天童市観光情報センター」の経営母体は、「一般社団法人天童市観光物産協会」で、観光案内やお土産品を販売しているお店です。「天童市観光情報センター」へは、JR「天童駅」の改札口を出て、左方向に進み東口へ向かいます。そのまま直進すると天童温泉街に向かう階段があります。そこを右折すると「パルテ」の入口があります。奥に進むと「天童市観光情報センター」があります。<br />ちなみに、JR「天童駅」の改札口を出ると左手に待合室があり、その中に「天童市観光案内所」もあります。「天童市観光情報センター」と同系列の案内所ですので、こちらでも天童市の観光情報を手に入れることができます。「天童市観光案内所」には、休憩スペースや「軽食コーナー駒」もありました。また、天童市内を無料で案内してくれる「天童駒ガイド」も「天童市観光案内所」に常駐しています。こちらは事前予約が必要です。<br />次が、東口の階段をおると駅のロータリーに《天童市将棋資料館(天童駅前)》、《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》、《王将ポスト(天童駅前)》があります。<br /><br />②《天童市将棋資料館(天童駅前)》、《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》、《王将ポスト(天童駅前)》<br />「天童市将棋資料館」は、将棋の駒の生産量日本一を誇る将棋のまち天童のシンボルとして、平成2年(1992年)に開館しました。「天童市将棋資料館」へのアクセスは、JR「天童駅」の改札口を出て、左方向に進み東口へ向かいます。そのまま直進すると天童温泉街に向かう階段がありますので、降りると駅のロータリーに出ます。すぐ左手に「天童市将棋資料館」があります。<br />「天童市将棋資料館」には、将棋の発生と日本への伝来、世界の将棋、駒の製作工程、駒工人の作品など、将棋と将棋駒に関することを分かりやすく展示してあり、将棋が好きな人にはたまらない場所です。<br />ちなみに、「将棋のルーツ」を遡ってみると、古代インドにおいて遊ばれた「チャトランガ」という「さいころ将棋」であるといわれます。日本に伝えられた時期は明確ではありませんが、平安時代の11世紀頃には既に遊ばれていたそうです。それ以来、日本将棋は独自の発展を遂げてきました。また、「天童将棋駒」は、平成8年(1996年)に国の伝統的工芸品の指定を受けています。<br />「将棋駒のモニュメント」は、天童市の市制施行65周年を記念してJR「天童駅」東口広場に設置されたものです。「将棋駒のモニュメント」に刻まれている文字は、日本将棋連盟の「羽生善治会長」が揮毫しました。このモニュメントは、最初は一つかと思いましたが、一周してよく見ると三つの駒を組み合わせたデザインになっていました。「王将」、「将棋のまち天童」、「克己復礼」の文字が刻まれていました。「克己復礼」は「羽生善治会長」が「相手に対する敬意を忘れないように」との気持ちを込めて選んだもじだそうです。モニュメントにある説明をみていみると、「将棋は、礼に始まり礼に終わる」と言われ、相手がいなければ対局は成立しないので、相手に対する敬意を忘れてはいけないということだそうです。<br />将棋の駒の形をした郵便ポストがJR「天童駅」東口広場に設置されていました。初めて見る形のポストです。今まであった将棋ポストは、ポストの上に駒のオブジェを載せたものでしたが、四角や円柱形のものでなく、ポスト自体を駒の形にしたものです。大きさは、高さが148㎝、幅が115㎝、奥行きが79㎝で、正面に「将棋のまち天童」、裏面に「王将」の文字が描かれています。<br />次に、「愛宕沼親水空間」のある「天童公園」に向かう予定でしたが、途中に「芭蕉の句碑」を道路の傍らに発見しました。<br /><br />③《芭蕉句碑》<br />JR「天童駅」東口から県道280号を天童温泉方向に180mほど進み、県道22号と交差する信号の先のお食事処「さかい軒」の前の歩道の左側に「芭蕉の句碑」がありました。<br />「芭蕉の句碑」には「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 」と刻まれていました。「松尾芭蕉」が江戸時代に山寺参詣の途中に、紅花畑を目にした芭蕉が紅花を題材に句を詠んだものです。この句意は、「尾花沢名産の紅の花を見ていると女性の化粧用の眉掃きを想像させるあでやかさを感じる。」という意味だそうです。「松尾芭蕉」は尾花沢に十泊して俳会を催し、羽州街道をとおり、天童の念仏堂を経て山寺に一泊したそうです。<br />それでは、桜の名所である「天童公園」の「愛宕沼親水空間」へ向かいます。<br /><br />④《「愛宕沼親水空間」》<br />「芭蕉の句碑」(「さかい軒」前)から450mほど道なりに進むとスーパーマーケットの「ヤマザワ」の先に県道22号と交差する信号があります。そこを右折し、400mほど進むと「天童公園」の入口があり、その先に「愛宕沼親水公園」があります。<br />「愛宕沼親水公園」は、「舞鶴山」の懐にいだかれたような親水公園です。「愛宕沼親水空間」は沼をぐるっと周回できるようになっており、ウォーキングなどにも最適です。「愛宕沼親水公園」の南側に日本で最初の流行歌手の「佐藤千夜子」の顕彰碑が建っており、その先には段々に削られた曲輪を見ることができます。また、「展望台」から「愛宕沼親水空間」を眺めると、噴水の水紋が花のように見えるインスタ映えする隠れスポットになっています。ちなみに、「佐藤千夜子」は、明治30年(1897年)に山形県天童の生まれ、本名は「佐藤千代」です。東京音楽学校(現東京芸術大学を)卒業後に、詩人「野口雨情」や作曲家「中山晋平」に才能を認められ、昭和初期、日本ビクターに吹き込んだ「波浮の港」と、それに続く「東京行進曲」が爆発的なヒットを生みました。<br />次は、目の前にそびえる階段をのぼり山頂の「展望台」へ向かいます。<br /><br />⑤《「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」》<br />「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」から「愛宕沼親水空間」を眺めると、噴水の水紋が花のように見えるインスタ映えする隠れスポットになっています。<br />「展望台」から山頂駐車場の奥に、「人間将棋盤」や「将棋塔」が見えます。「人間将棋」のイベントの翌日だったので、会場は撤去作業が行われていました。<br /><br />⑥《人間将棋盤》(山頂付近)<br />山形県天童市と言えば将棋の駒の産地として有名ですが、その天童の春の一大イベントが、約2000本もの桜が咲き乱れる「舞鶴山」の山頂行われる「天童桜まつり~人間将棋~」です。毎年4月中旬に2日間開催されます。まつりの名前のとおり、駒は人間で、甲冑姿の武者や着物姿の腰元たちが駒になり、プロ棋士、女流棋士の指し手に従って巨大な盤上を動きます。ちなみに、事前に応募すれば、駒武者や腰元になることも可能だそうです。ちなみに、「人間将棋盤」は、南北方向(1から9)で14.17m、東西方向(一から九)で16.87mあります。1マスの大きさは縦1.5m、横1.2mもあります。<br /><br />⑦《「将棋塔」》(山頂付近)<br />「将棋塔」は、「天童公園」の入り口からでも見える高台の真ん中に設置されています。この「将棋塔」は、将棋の駒の生産量全国一を誇る天童市のシンボルで、平成30年(2018年)10月14日に行われた「二千局盤来2018」で将棋の同時対局数世界記録の達成を記念したモニュメントです。<br /><br />⑧《「二千局盤来2018」将棋モニュメント》(山頂付近)<br />「将棋塔」とは別に、「人間将棋盤」の手前右手にモニュメントもあります。これには、2362局のギネス記録を打ち立てた参加者やスタッフなど5250人の名前が刻まれています。ちなみに、「二千局盤来2018」とは、将棋の同時対局数で世界記録を目指すイベントで、4,000人が一堂に対局を行う二千局対局を行いました。<br /><br />⑨《天童古城記念碑》(山頂付近)<br />舞鶴山に、最初に城が築かれたのは、南北朝時代の頃、南朝方の柱石、北畠親房の末えい北畠天童丸が、吉野朝興隆のため、村山盆地を一望するこの地に、居を構えたのが始まりといわれています。この城は、全山を自然の城塞としたもので、周壁は、自然の侵蝕に任せた典型的な山城でした。山頂に本丸を構え、これを中心にして、西方の峰々には、八森楯、小松楯などの補助楯を設け、重臣を配し守備させたそうです。<br /><br />⑩《吉田大八像》(山頂付近)<br />「吉田大八像」は、「舞鶴山」山頂にあります。天童織田藩家老「吉田大八」は、幕末から明治維新にかけて困難な天童藩の政局を担った人物として有名です。「吉田大八」は天童藩の財政難対策も取り組み、藩士の生活救済策の一つとして将棋駒を作ることを取り入れました。武士が手内職を営むことについての反対もありましたが「将棋は兵法戦術に通じ、武士の面目を傷つけるものではない。」として将棋駒作りを広く推奨し、天童が将棋駒の産地として発展していく礎を築いたといわれています。また、「妙法寺」には、「吉田大八」が切腹した場所の「観月庵」があります。室内には「吉田大八」切腹の時の血染めの天井がそのまま使用されており、「吉田大八」の遺品なども展示されています。<br /><br />⑪《文学の森》<br />「天童公園」の「文学の森」は、天童市市制施行45周年記念事業として、「舞鶴山」の西側に整備されました。「文学の森」には、「イザベラ・バード」、「田山花袋」、「志賀直哉」、「田宮虎彦」の文学碑が設置されていました。向かって左から「田山花袋」、「イザベラ・バード」、「志賀直哉」の文学碑が並んでいます。どのような関係があるのか、意外な文人が意外な理由で天童と繋がっているのがわかるスポットでもあります。<br />「イザベラ・バード」は、イギリスの旅行家で、山形県内には明治11年(1878年)、47歳のときに訪れています。そして、東北地方、北海道を巡った際の記録を「日本奥地紀行」として明治13年(1880年)10月に出版しています。「日本奥地紀行」の中で、天童に関して記述された「ほれぼれとして見たくなるような地方で、多くの楽しげな村落が山の低いすそ野に散在している。」を抜粋して碑文としています。<br />「田山花袋」は、群馬県館林市の出身の文豪で、明治期の日本における自然主義文学の確立者として知られています。実は、「田山花袋」の母親の「てつ」は、天童市高擶地区出身ということ、「田山花袋」自身も明治27年(1894年)、22歳のときに高擶に訪れているということで天童とゆかりがあるそうです。「田山花袋文学碑」には、「続南船北馬」の一節が刻まれています。「志賀直哉」は、明治の作家で、「暗夜行路」、「城の崎にて」などの誰もが知っている有名な作品を残している明治の代表的な文豪です。「志賀直哉文学碑」には、「志賀直哉」の肖像とともに、「志賀直哉」が父の後妻・浩について書いた小説「母の死と新しい母」の一説や、「志賀直哉」と天童とのかかわりなどについての説明文が刻み込まれています。<br />そして、「展望広場」からの景観も素晴らしい眺めでしたが、何よりも「文学の森」からの山形県の名峰、朝日連峰、月山、葉山などの眺望が記憶に残るほどの素晴らしい散策スポットで、心が癒されました。<br />山頂から下山して「建勲神社」へ向かいます。<br /><br />⑫《建勲神社》<br />「建勲神社」は、明治3年(1870年)に建立された日本で最初に「織田信長」を御祭神とする神社です。明治3年(1870年)に、天童藩知事「織田信敏」が舞鶴山山頂近くに建立し、明治17年(1884年)に現在の場所に移転されました。「建勲神社」は、「本殿」、「拝殿」、「向拝殿」などが当時の姿をとどめています。境内の「社叢」は見事なアカマツの樹林で、樹齢200年以上のものもあり、この社叢は、天童市指定の天然記念物に昭和51年(1976年)4月14日に指定されました。また、「建勲神社」の下には、市の花にも指定されているツツジが植栽され、ツツジ公園となっています。<br />「建勲神社」の石鳥居の階段を降りると右手に「妙法寺」があります。<br /><br />⑬《妙法寺》<br />「妙法寺」は、「智亮院日紹上人」によって享保14年(1729年)に創建された寺院です。当初は、「観月庵」としていましたが、明治時代に「妙法寺」に寺号を改めました。「妙法寺」には、奥羽越列藩同盟の中でも庄内藩に敵視された天童織田藩家老「吉田大八」が切腹した場所の「観月庵」があります。室内には「吉田大八」切腹の時の血染めの天井がそのまま使用されており、「吉田大八」の遺品なども展示されています。ちなみに、「奥羽越列藩同盟」は、戊辰戦争中に陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮「北白川宮能久親王」を盟主とし、新政府の圧力に対抗するために結成された同盟のことです。<br />「妙法寺」の山門の前の道を進むと「佛向寺」があります。<br /><br />⑭《佛向寺》<br />「佛向寺」は弘安元年(1287年)、天童市大字大清水字二階堂に「一向上人」によって開かれました。「一向上人」は、浄土宗第三祖「良忠上人」の弟子で、後に時宗一向派の祖となった念仏者です。「一向上人」が「佛向寺」を創建するキッカケとなったのは、出羽国の伊予守「源頼直」が、鎌倉にいたころ、「一向上人」の高徳を伝え聞き、ぜひ出羽国で教化していただきたいとの願いを伝えたところ、武蔵の国から数万の信者とともに念仏を唱え奥州路を教化しつつ天童にきたそうです。そして、今でも「一向上人」の命日である11月17日には、全国でも珍しい踊り念仏の一種「踊躍念仏」がおこなわれています。戦国時代には現在の天童市小路に移り、「天童古城」である「舞鶴山」にあった「天童城」の西の守りだったと言われています。天正12年(1584年)に「天童城」が落城した際に堂宇を焼失しました。現在の「本堂」は、銅板葺きの屋根で、現在の本堂は1825年(文政8年)に再建されたものです。「本堂」の脇には、最上(もがみ)地蔵第10番の地蔵尊が祀られています。<br />見どころとしては、「一向上人」が教化し苦しみから救い取ったという龍女を祀る「龍神堂」が境内にあり、雨乞いの神として信仰され、旱魃になると雨乞いの供養が行われるそうです。その他に、天童で将棋駒が作られるきっかけをつくったと言われる天童織田藩の家老「吉田大八」の墓もあります。<br />「佛向寺」に隣接してあるのが「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」です。残念ながら月曜日は休館日に当たります。<br /><br />⑮《天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)》<br />「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」は、明治12年(1879年)10月に「東村山郡役所」として建てられました。「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」が、現在の姿になったのは、昭和60年(1985年)の復元工事です。そして、昭和61年(1986年)に、資料館としてリニューアルしました。<br />現在は資料館として、第一展示室から第五展示室まであり、天童織田藩関連資料や明治維新前後の資料を中心に、240点余りを展示しています。また、「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」は、明治時代の洋風建築の面影を残すものとして、昭和47年(1972年)に山形県の有形文化財に指定されました。特に、漆喰壁、瓦ぶき、ステンドグラスなどその美しい佇まいには感動しました。また、敷地の中央には「明治天皇行在所」の石碑もあります。これは、明治14年(1881年)9月、明治天皇は、東北地方二度目の巡幸のときに、「東村山郡役所」で昼食休憩を取られたのを記念して建立された石碑です。<br />次が、「出羽桜酒造」と日本酒を購入しようと思っていた隣接してある「丸十仲野酒店」も月曜日定休でした。<br /><br />⑯《出羽桜酒造》<br />残念なことに、楽しみにしていたうちの一つの「出羽桜酒造」の酒造見学が、3月16日に発生した労働災害事故のため、安全確保の観点から、当面の間、酒蔵見学の受付を停止していました。ただし、日にちが限られた「通常ツアー」と「プライベートツアー」はあります。「通常ツアー」に参加したかったのですが、4月は、「5日、19日、26日」の三日間だけでした。「プライベートツアー」は、平日の「9:00~、13:00~、13:30~、14:00~」に実施していますが、「通常ツアー」が一人1,500円なのに対して、「プライベートツアー」は、1~6名様で20,000円です。当然夫婦二人でも20,000円です。幸いなことに、お酒は隣にある「丸十仲野酒店」で購入できますが、私たちが行った月曜日は定休日でした。「出羽桜」は、若いころから好きな日本酒の一つでした。踏んだり蹴ったりでした。<br />次は、「出羽桜酒造」から300mほどのところにある天童市の人気店「そば処 一庵」です。<br /><br />⑰《そば処 一庵》<br />「一庵そば」は、天童市の人気店で、絶えず行列ができているお店です。行った日が月曜日にもかかわらず、長蛇の列で20分ほど並ぶのを覚悟していましたが、運よく10分後に座敷席なら空いているということで入店できました。あいにくこの日の天童市の気温は28℃もあり並んでいるだけで汗がでました。しかし、入店し、飲食すると一気にそのようなことを忘れてしまいました。<br />「そば処 一庵」のおすすめは何といっても「一庵そば」です。「一庵そば」には、そばのタレは二種類ついていました。一つが甘みと鶏の旨味が楽しめる冷たい肉そばのタレです。もう一つが醤油の風味に鰹の香のもりそばのタレです。それだけではありません。しかも、「げそ天」や「野菜の天ぷら」もついて、なんと値段は900円です。「舞鶴山」を散策してきたので、非常にお腹が空いていたので、「ミニソースカツ丼」を追加注文しました。カレー味のタレカツはしっかりとボリュームもあり、これまた驚くなかれ250円です。味も量もコストパフォーマンスも最高です。物価高の今日この頃、本当に感謝感激です。<br />次は、タクシーを利用して、「天童木工」へ向かいました。<br /><br />⑱《天童木工》<br />天童に来た目的のもう一つは、満開の桜を見ることだけでなく、芸術性に富んだ家具を製作している「天童木工」の「ショールーム&ストア」へ行くことです。「天童木工」の本社敷地内にある「ショールーム&ストア」は、予約の必要もなく、誰でも自由に見学することができ、もちろん気に入ったものがあれば購入することもできます。<br />「天童木工」の歴史を遡ってみると、「天童木工」は昭和15年(1940年)に現在の天童市近郊の建具・家具職人らが集まり、組合を組織したことから始まった家具メーカーです。「天童木工」は、日本でいち早く成形合板を実用化し、また、デザイナーや建築家たちとのコラボによる作品も有名です。特に、バタフライスツールの原型をデザインした「柳 宗理」は誰でも知っていますよね。知らなくても色々な場所で目にしているはずです。<br />「天童木工」の目の前に素晴らしい桜並木を発見しました。<br /><br />⑲《押切川沿いの桜並木》<br />「天童木工」を見学したあとすぐそばにある「押切川沿いの桜並木」を発見しました。県道22号と国道13号の間、約600m続く桜並木です。桜の木も大きく花もたわわにつけていて見ごたえ十分でした。国道13号の先の川沿いも続いていました。もし、天童に桜を見に行ったら是非訪れて欲しいスポットです。<br />次は、タクシーを利用し「倉津川」を目指します。<br /><br />⑳《ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ》<br />この日の天童は最高気温が38度ありました。結構歩いたので、喉がカラカラで水分補給が必要でした。実は、「愛宕沼親水公園」へ行く途中にこのお店の看板を発見し、家内とパンケーキが食べたいねと言っていたのです。「天童木工」から枝垂れ桜の名所の「倉津川」までタクシーで来たのですが、その前に一休みして喉を潤そうということになりました。「倉津川」の周辺には、喫茶店らしきものは発見できなかったので、朝見た看板のパンケーキの店へ行けばコーヒーでも飲めるだろうということで、行ってみることにしました。「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」という名前を見てびっくりしました。山形に来て何でハワイなんだろうと家内と不思議に思いました。店の前まで来るとなるほど思いました。ハワイの海沿いにあるお店の外観です。お店に入ると心地の良いハワイアンのBGMに今まで匂いをかいだことのないアロマのいい香りがしました。そして、店は結構混雑していましたが、全て女性客ばかりでした。これは期待できるお店と即時に直観しました。そして、テーブルにつくとここでさらに驚きました。隣のお客のところに運ばれてきたパンケーキがいままで見たことのないような巨大なサイズだったからです。帰りにレジの女性に聞いたところオーナーがハワイにこだわり、本場ハワイサイズのパンケーキやコットンドリンクを提供しているそうです。お薦めのパンケーキを一つとり家内とシャアすることにしました。コーヒーはハワイのコナコーヒーでこれまた今まで飲んだことのない味でした。デザートを飲んでいるような感覚のコーヒーです。お薦めのパンケーキが出てきて、実際の目の前で見るとさらに驚きました。現在時間は14:30で、16:00に鳥中華で有名な「水車」で新幹線に乗る前に夕食を食べることを予定していたからです。しかし、いざ食べてみるとメレンゲのような柔らかさと口の中に入ると溶けてなくなるような感じで、あっという間に食べてしまいました。別のテーブルでは、コットンドリンクを飲んでいました。グラスに覆いかぶされるように綿あめが載っていました。喉も潤ったところで枝垂れ桜の名所の「倉津川」へ再度向かいます。<br /><br />&#12881;《倉津川沿いの枝垂れ桜並木》<br />「倉津川」に架かる橋には、将棋の駒のモニュメントとのようなものが設置されているので、写真撮影にはもってこいです。天童を訪れたのが、4月15日(月)だったので、「しだれ桜の夕べ」のイベントは見ることはできませんでしたので、概要について簡単に説明したいと思います。<br />「天童桜まつり」の期間中には、毎年、しだれ桜の夕べ」と「倉津川しだれ桜ライトアップ」が開催されます。今年は、4月12日(金)、13日(土)の2日日間に天童市中心部を流れる「倉津川」の両岸1400m沿いの「王将橋」から「歩橋」までの間で「しだれ桜の夕べ」が開催されました。また、4月6日(土)から5月5日(日・祝)まで「倉津川しだれ桜ライトアップ」が「倉津川」沿いの「王将橋」から「飛車橋」が開催されています。<br />「しだれ桜の夕べ」では、4月12日(金)に「天童市市民文化会館正面入口と2階大集会室」でトランペットの演奏、ピアンの伴奏によるソプラノ歌手のコンサートが開催されました。翌13日(土)には、「高擶精霊菩提獅子踊」、「神輿渡御」、「むかさり行列」が行われました。4月12日(金)から14日(日)の午前10時から午後9時まで、「天童市市民文化会館駐車場」で「屋台村」が開設されました。そして、夜には「倉津川」沿いの「王将橋」から「飛車橋」までの約740mにわたってしだれ桜ライトアップも実施されています。ちなみに、「むかさり行列」とは、嫁入りの花嫁行列で地域の人たちにお披露目する行事だそうです。<br />やはり、したれ桜が花をたわわにつけ、「倉津川」の川面に、今にも届きそうな光景は印象に残りました。<br />次が、倉津川沿いの枝垂れ桜並木を鑑賞している差に見つけた「中央公園」の桜並木です。<br /><br />&#12882; 《「ホテル天童」前の足湯》<br />天童市が設置している足湯です。15分くらいつかると旅の疲れがすっかり取れました。目立たないので見逃さないようにしてください。<br /><br />&#12883;《「王将の巨大モニュメント」》<br />「ホテル天童」前の足湯の交差点の反対側に「王将の巨大モニュメント」を発見しました。<br />天童での最終目的の「手打 水車生そば」で夕食に「鳥中華」を食べに向かいます。「王将の巨大モニュメント」から「天童駅」歩行に進むとすぐの所にあります。<br /><br />&#12884;《手打 水車生そば》<br />付近には、「天童温泉街」だけでなく「広重美術館」や「巨大王将モニュメント」もあります。また、枝垂れ桜の並木で有名な「倉津川」もすぐ近くです。「手打 水車生そば」を訪れたのは、もちろん名物の「鳥中華」を食べるためです。平日の16:30過ぎに行ったので空いていました。すぐに入店でき、メニューを見ることなく、家内と二人で「鳥中華」を注文しました。「鳥中華」は、もともとはまかない食として、蕎麦に使う和風だしと鶏肉を使って食べていたラーメンのことです。「鳥中華」の麺はラーメンですが、スープは純和風のあっさりした中華そばで、鶏肉、天かす、海苔がトッピングしてあり、こしょうを効かせたちょっとピリ辛味です。このピリ辛味がさらに食欲をすすりました。朝からかなり歩いて散策したので、結構お腹が空いていました。ちなみに、「手打 水車生そば」の創業は、文久元年(1861年)の歴史ある蕎麦の老舗です。また、「鳥中華」は、平成26年(2014年)に「BRUTUSお取り寄せグルメ」で準グランプリを獲得しました。私も初耳でしたが、テレビでたまたま山形の特集をやっていて、山形県民はラーメンが大好きで、ラーメン消費量は日本一だそうです。<br />

どこもかしこも桜が満開でした。ソメイヨシノも枝垂れ桜も同時に咲き誇っていました。

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2024/04/15 - 2024/04/15

71位(同エリア254件中)

0

200

Lily-junjunさん

この旅行記のスケジュール

2024/04/15

  • 上野駅(06:18発)⇒天童駅(09:17着)つばさ121号新庄行き ※定刻通りに到着しました。

  • 天童駅(17:49発)⇒上野駅(20:42着)つばさ156号東京行き ※日帰りは大変でした。

この旅行記スケジュールを元に

将棋の駒の生産地である山形県を訪ねたのは、令和6年4月15日(月)です。今回のメーンの目的は、「人間将棋」で有名な「舞鶴山」山頂の桜、「倉津川」両岸に1400m続く枝垂れ桜そして芸術性に富んだ家具を製作している「天童木工」の「ショールーム&ストア」へ行くことです。
早朝の上野発6時18分のつばさ121号に乗り、20時42分に上野駅着のつばさ156号で帰宅する強行スケジュールです。何故、天童に宿泊しないのかと疑問を持たれる方も多いと思いますが、それには理由があります。昨年、秋田の角館に2泊3日で、武家屋敷に咲き誇る枝垂れ桜を見に行ったのですが、最近の異常気象の気候のせいか例年より一週間早く満開になってしまい、葉桜しか見ることができませんでした。やはり、桜の満開を見るなら、日帰りしかないという結論に達したからです。毎日のテレビやネットで開花情報をチェックした甲斐があったせいか、天童市内はどこもかしこも、ソメイヨシノも枝垂れ桜も花が満開でした。天童市内は、さくらまつりを開催している場所だけでなく、公園や川沿いに隠れスポットがありました。私が、発見したのは「天童木工」のすぐ近くにある「押切川」沿いにある桜並木です。桜の木の枝ぶりもよく、たわわに花をつけていました。私の個人的見解ですが、さくらまつりの会場よりこちらの方が目の保養になりました。見物に来ている人も4~5人程度で素晴らしい桜の景色を独り占めできます。場所が不便ですが、「天童木工」の「ショールーム&ストア」で匠の技を堪能した後に、自然の美しさをエンジョイできる本当にお薦めの花見の隠れスポットです。
これは仕方がありませんが、天童市内のお店は月曜日の定休日が多いということです。「天童市観光情報センター」も本来は、第三月曜日が休館日でしたが、「さくらまつり」の期間中なので運よくあいていて、情報、観光地図をゲットすることができ、帰りには天童土産も買うことができました。残念だったのは、漆喰壁、瓦ぶき、ステンドグラスの洋館の「天童市立旧東村山郡役所資料館」と私の日本酒で一番好きなブランドの「出羽桜酒造」が休みだったということです。それと途中、タクシーを利用しましたが、運転手さんによると木曜日が定休日のお店も多いそうです。もし、天童に旅行することがあれば、月曜日と木曜日は避けた方がいいでしょうね。

今回の旅では、下記のような順路で天童市内を旅しました。

《見学等の順路》
①《天童市観光情報センター》⇒②《天童市将棋資料館(天童駅前)》、《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》、《王将ポスト(天童駅前)》⇒③《芭蕉句碑》⇒④《「愛宕沼親水空間」》⇒⑤《「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」》⇒⑥《人間将棋盤》⇒⑦《「将棋塔」》⇒⑧《「二千局盤来2018」将棋モニュメント》⇒⑨《天童古城記念碑》⇒⑩《吉田大八像》⇒⑪《文学の森》⇒⑫《建勲神社》⇒⑬《妙法寺》⇒⑭《佛向寺》⇒⑮《天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)》⇒⑯《出羽桜酒造》⇒⑰《そば処 一庵》⇒⑱《天童木工》⇒⑲《押切川沿いの桜並木》⇒⑳《ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ》㉑《倉津川沿いの枝垂れ桜並木》㉒《中央公園》⇒㉓《「ホテル天童」前の足湯》⇒㉔《「王将の巨大モニュメント」》⇒㉕《手打 水車生そば》

まず、新幹線を降りてから真っ先に観光情報をゲットするために、「天童市観光情報センター」に向かいました。

①《天童市観光情報センター》
「天童市観光情報センター」は、「JR天童」駅に隣接する「天童ターミナルビル“パルテ”」の2階にあります。私たちが訪れた4月15日(月)は、第3月曜日で休館日と思っていたら、「天童さくらまつり」の期間中なので運よく営業していたので、ここで天童市の観光情報を手に入れることができました。また、帰りの新幹線の時間待ちの時間を利用して、お土産も買うことができました。「物産コーナー」では、天童の特産品だけではなく山形の特産品も取り扱っているため、わざわざ山形駅で降りなくても山形のおみやげを買い求めることができます。まさに一石二鳥ですよね。「天童市観光情報センター」の経営母体は、「一般社団法人天童市観光物産協会」で、観光案内やお土産品を販売しているお店です。「天童市観光情報センター」へは、JR「天童駅」の改札口を出て、左方向に進み東口へ向かいます。そのまま直進すると天童温泉街に向かう階段があります。そこを右折すると「パルテ」の入口があります。奥に進むと「天童市観光情報センター」があります。
ちなみに、JR「天童駅」の改札口を出ると左手に待合室があり、その中に「天童市観光案内所」もあります。「天童市観光情報センター」と同系列の案内所ですので、こちらでも天童市の観光情報を手に入れることができます。「天童市観光案内所」には、休憩スペースや「軽食コーナー駒」もありました。また、天童市内を無料で案内してくれる「天童駒ガイド」も「天童市観光案内所」に常駐しています。こちらは事前予約が必要です。
次が、東口の階段をおると駅のロータリーに《天童市将棋資料館(天童駅前)》、《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》、《王将ポスト(天童駅前)》があります。

②《天童市将棋資料館(天童駅前)》、《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》、《王将ポスト(天童駅前)》
「天童市将棋資料館」は、将棋の駒の生産量日本一を誇る将棋のまち天童のシンボルとして、平成2年(1992年)に開館しました。「天童市将棋資料館」へのアクセスは、JR「天童駅」の改札口を出て、左方向に進み東口へ向かいます。そのまま直進すると天童温泉街に向かう階段がありますので、降りると駅のロータリーに出ます。すぐ左手に「天童市将棋資料館」があります。
「天童市将棋資料館」には、将棋の発生と日本への伝来、世界の将棋、駒の製作工程、駒工人の作品など、将棋と将棋駒に関することを分かりやすく展示してあり、将棋が好きな人にはたまらない場所です。
ちなみに、「将棋のルーツ」を遡ってみると、古代インドにおいて遊ばれた「チャトランガ」という「さいころ将棋」であるといわれます。日本に伝えられた時期は明確ではありませんが、平安時代の11世紀頃には既に遊ばれていたそうです。それ以来、日本将棋は独自の発展を遂げてきました。また、「天童将棋駒」は、平成8年(1996年)に国の伝統的工芸品の指定を受けています。
「将棋駒のモニュメント」は、天童市の市制施行65周年を記念してJR「天童駅」東口広場に設置されたものです。「将棋駒のモニュメント」に刻まれている文字は、日本将棋連盟の「羽生善治会長」が揮毫しました。このモニュメントは、最初は一つかと思いましたが、一周してよく見ると三つの駒を組み合わせたデザインになっていました。「王将」、「将棋のまち天童」、「克己復礼」の文字が刻まれていました。「克己復礼」は「羽生善治会長」が「相手に対する敬意を忘れないように」との気持ちを込めて選んだもじだそうです。モニュメントにある説明をみていみると、「将棋は、礼に始まり礼に終わる」と言われ、相手がいなければ対局は成立しないので、相手に対する敬意を忘れてはいけないということだそうです。
将棋の駒の形をした郵便ポストがJR「天童駅」東口広場に設置されていました。初めて見る形のポストです。今まであった将棋ポストは、ポストの上に駒のオブジェを載せたものでしたが、四角や円柱形のものでなく、ポスト自体を駒の形にしたものです。大きさは、高さが148㎝、幅が115㎝、奥行きが79㎝で、正面に「将棋のまち天童」、裏面に「王将」の文字が描かれています。
次に、「愛宕沼親水空間」のある「天童公園」に向かう予定でしたが、途中に「芭蕉の句碑」を道路の傍らに発見しました。

③《芭蕉句碑》
JR「天童駅」東口から県道280号を天童温泉方向に180mほど進み、県道22号と交差する信号の先のお食事処「さかい軒」の前の歩道の左側に「芭蕉の句碑」がありました。
「芭蕉の句碑」には「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 」と刻まれていました。「松尾芭蕉」が江戸時代に山寺参詣の途中に、紅花畑を目にした芭蕉が紅花を題材に句を詠んだものです。この句意は、「尾花沢名産の紅の花を見ていると女性の化粧用の眉掃きを想像させるあでやかさを感じる。」という意味だそうです。「松尾芭蕉」は尾花沢に十泊して俳会を催し、羽州街道をとおり、天童の念仏堂を経て山寺に一泊したそうです。
それでは、桜の名所である「天童公園」の「愛宕沼親水空間」へ向かいます。

④《「愛宕沼親水空間」》
「芭蕉の句碑」(「さかい軒」前)から450mほど道なりに進むとスーパーマーケットの「ヤマザワ」の先に県道22号と交差する信号があります。そこを右折し、400mほど進むと「天童公園」の入口があり、その先に「愛宕沼親水公園」があります。
「愛宕沼親水公園」は、「舞鶴山」の懐にいだかれたような親水公園です。「愛宕沼親水空間」は沼をぐるっと周回できるようになっており、ウォーキングなどにも最適です。「愛宕沼親水公園」の南側に日本で最初の流行歌手の「佐藤千夜子」の顕彰碑が建っており、その先には段々に削られた曲輪を見ることができます。また、「展望台」から「愛宕沼親水空間」を眺めると、噴水の水紋が花のように見えるインスタ映えする隠れスポットになっています。ちなみに、「佐藤千夜子」は、明治30年(1897年)に山形県天童の生まれ、本名は「佐藤千代」です。東京音楽学校(現東京芸術大学を)卒業後に、詩人「野口雨情」や作曲家「中山晋平」に才能を認められ、昭和初期、日本ビクターに吹き込んだ「波浮の港」と、それに続く「東京行進曲」が爆発的なヒットを生みました。
次は、目の前にそびえる階段をのぼり山頂の「展望台」へ向かいます。

⑤《「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」》
「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」から「愛宕沼親水空間」を眺めると、噴水の水紋が花のように見えるインスタ映えする隠れスポットになっています。
「展望台」から山頂駐車場の奥に、「人間将棋盤」や「将棋塔」が見えます。「人間将棋」のイベントの翌日だったので、会場は撤去作業が行われていました。

⑥《人間将棋盤》(山頂付近)
山形県天童市と言えば将棋の駒の産地として有名ですが、その天童の春の一大イベントが、約2000本もの桜が咲き乱れる「舞鶴山」の山頂行われる「天童桜まつり~人間将棋~」です。毎年4月中旬に2日間開催されます。まつりの名前のとおり、駒は人間で、甲冑姿の武者や着物姿の腰元たちが駒になり、プロ棋士、女流棋士の指し手に従って巨大な盤上を動きます。ちなみに、事前に応募すれば、駒武者や腰元になることも可能だそうです。ちなみに、「人間将棋盤」は、南北方向(1から9)で14.17m、東西方向(一から九)で16.87mあります。1マスの大きさは縦1.5m、横1.2mもあります。

⑦《「将棋塔」》(山頂付近)
「将棋塔」は、「天童公園」の入り口からでも見える高台の真ん中に設置されています。この「将棋塔」は、将棋の駒の生産量全国一を誇る天童市のシンボルで、平成30年(2018年)10月14日に行われた「二千局盤来2018」で将棋の同時対局数世界記録の達成を記念したモニュメントです。

⑧《「二千局盤来2018」将棋モニュメント》(山頂付近)
「将棋塔」とは別に、「人間将棋盤」の手前右手にモニュメントもあります。これには、2362局のギネス記録を打ち立てた参加者やスタッフなど5250人の名前が刻まれています。ちなみに、「二千局盤来2018」とは、将棋の同時対局数で世界記録を目指すイベントで、4,000人が一堂に対局を行う二千局対局を行いました。

⑨《天童古城記念碑》(山頂付近)
舞鶴山に、最初に城が築かれたのは、南北朝時代の頃、南朝方の柱石、北畠親房の末えい北畠天童丸が、吉野朝興隆のため、村山盆地を一望するこの地に、居を構えたのが始まりといわれています。この城は、全山を自然の城塞としたもので、周壁は、自然の侵蝕に任せた典型的な山城でした。山頂に本丸を構え、これを中心にして、西方の峰々には、八森楯、小松楯などの補助楯を設け、重臣を配し守備させたそうです。

⑩《吉田大八像》(山頂付近)
「吉田大八像」は、「舞鶴山」山頂にあります。天童織田藩家老「吉田大八」は、幕末から明治維新にかけて困難な天童藩の政局を担った人物として有名です。「吉田大八」は天童藩の財政難対策も取り組み、藩士の生活救済策の一つとして将棋駒を作ることを取り入れました。武士が手内職を営むことについての反対もありましたが「将棋は兵法戦術に通じ、武士の面目を傷つけるものではない。」として将棋駒作りを広く推奨し、天童が将棋駒の産地として発展していく礎を築いたといわれています。また、「妙法寺」には、「吉田大八」が切腹した場所の「観月庵」があります。室内には「吉田大八」切腹の時の血染めの天井がそのまま使用されており、「吉田大八」の遺品なども展示されています。

⑪《文学の森》
「天童公園」の「文学の森」は、天童市市制施行45周年記念事業として、「舞鶴山」の西側に整備されました。「文学の森」には、「イザベラ・バード」、「田山花袋」、「志賀直哉」、「田宮虎彦」の文学碑が設置されていました。向かって左から「田山花袋」、「イザベラ・バード」、「志賀直哉」の文学碑が並んでいます。どのような関係があるのか、意外な文人が意外な理由で天童と繋がっているのがわかるスポットでもあります。
「イザベラ・バード」は、イギリスの旅行家で、山形県内には明治11年(1878年)、47歳のときに訪れています。そして、東北地方、北海道を巡った際の記録を「日本奥地紀行」として明治13年(1880年)10月に出版しています。「日本奥地紀行」の中で、天童に関して記述された「ほれぼれとして見たくなるような地方で、多くの楽しげな村落が山の低いすそ野に散在している。」を抜粋して碑文としています。
「田山花袋」は、群馬県館林市の出身の文豪で、明治期の日本における自然主義文学の確立者として知られています。実は、「田山花袋」の母親の「てつ」は、天童市高擶地区出身ということ、「田山花袋」自身も明治27年(1894年)、22歳のときに高擶に訪れているということで天童とゆかりがあるそうです。「田山花袋文学碑」には、「続南船北馬」の一節が刻まれています。「志賀直哉」は、明治の作家で、「暗夜行路」、「城の崎にて」などの誰もが知っている有名な作品を残している明治の代表的な文豪です。「志賀直哉文学碑」には、「志賀直哉」の肖像とともに、「志賀直哉」が父の後妻・浩について書いた小説「母の死と新しい母」の一説や、「志賀直哉」と天童とのかかわりなどについての説明文が刻み込まれています。
そして、「展望広場」からの景観も素晴らしい眺めでしたが、何よりも「文学の森」からの山形県の名峰、朝日連峰、月山、葉山などの眺望が記憶に残るほどの素晴らしい散策スポットで、心が癒されました。
山頂から下山して「建勲神社」へ向かいます。

⑫《建勲神社》
「建勲神社」は、明治3年(1870年)に建立された日本で最初に「織田信長」を御祭神とする神社です。明治3年(1870年)に、天童藩知事「織田信敏」が舞鶴山山頂近くに建立し、明治17年(1884年)に現在の場所に移転されました。「建勲神社」は、「本殿」、「拝殿」、「向拝殿」などが当時の姿をとどめています。境内の「社叢」は見事なアカマツの樹林で、樹齢200年以上のものもあり、この社叢は、天童市指定の天然記念物に昭和51年(1976年)4月14日に指定されました。また、「建勲神社」の下には、市の花にも指定されているツツジが植栽され、ツツジ公園となっています。
「建勲神社」の石鳥居の階段を降りると右手に「妙法寺」があります。

⑬《妙法寺》
「妙法寺」は、「智亮院日紹上人」によって享保14年(1729年)に創建された寺院です。当初は、「観月庵」としていましたが、明治時代に「妙法寺」に寺号を改めました。「妙法寺」には、奥羽越列藩同盟の中でも庄内藩に敵視された天童織田藩家老「吉田大八」が切腹した場所の「観月庵」があります。室内には「吉田大八」切腹の時の血染めの天井がそのまま使用されており、「吉田大八」の遺品なども展示されています。ちなみに、「奥羽越列藩同盟」は、戊辰戦争中に陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮「北白川宮能久親王」を盟主とし、新政府の圧力に対抗するために結成された同盟のことです。
「妙法寺」の山門の前の道を進むと「佛向寺」があります。

⑭《佛向寺》
「佛向寺」は弘安元年(1287年)、天童市大字大清水字二階堂に「一向上人」によって開かれました。「一向上人」は、浄土宗第三祖「良忠上人」の弟子で、後に時宗一向派の祖となった念仏者です。「一向上人」が「佛向寺」を創建するキッカケとなったのは、出羽国の伊予守「源頼直」が、鎌倉にいたころ、「一向上人」の高徳を伝え聞き、ぜひ出羽国で教化していただきたいとの願いを伝えたところ、武蔵の国から数万の信者とともに念仏を唱え奥州路を教化しつつ天童にきたそうです。そして、今でも「一向上人」の命日である11月17日には、全国でも珍しい踊り念仏の一種「踊躍念仏」がおこなわれています。戦国時代には現在の天童市小路に移り、「天童古城」である「舞鶴山」にあった「天童城」の西の守りだったと言われています。天正12年(1584年)に「天童城」が落城した際に堂宇を焼失しました。現在の「本堂」は、銅板葺きの屋根で、現在の本堂は1825年(文政8年)に再建されたものです。「本堂」の脇には、最上(もがみ)地蔵第10番の地蔵尊が祀られています。
見どころとしては、「一向上人」が教化し苦しみから救い取ったという龍女を祀る「龍神堂」が境内にあり、雨乞いの神として信仰され、旱魃になると雨乞いの供養が行われるそうです。その他に、天童で将棋駒が作られるきっかけをつくったと言われる天童織田藩の家老「吉田大八」の墓もあります。
「佛向寺」に隣接してあるのが「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」です。残念ながら月曜日は休館日に当たります。

⑮《天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)》
「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」は、明治12年(1879年)10月に「東村山郡役所」として建てられました。「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」が、現在の姿になったのは、昭和60年(1985年)の復元工事です。そして、昭和61年(1986年)に、資料館としてリニューアルしました。
現在は資料館として、第一展示室から第五展示室まであり、天童織田藩関連資料や明治維新前後の資料を中心に、240点余りを展示しています。また、「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」は、明治時代の洋風建築の面影を残すものとして、昭和47年(1972年)に山形県の有形文化財に指定されました。特に、漆喰壁、瓦ぶき、ステンドグラスなどその美しい佇まいには感動しました。また、敷地の中央には「明治天皇行在所」の石碑もあります。これは、明治14年(1881年)9月、明治天皇は、東北地方二度目の巡幸のときに、「東村山郡役所」で昼食休憩を取られたのを記念して建立された石碑です。
次が、「出羽桜酒造」と日本酒を購入しようと思っていた隣接してある「丸十仲野酒店」も月曜日定休でした。

⑯《出羽桜酒造》
残念なことに、楽しみにしていたうちの一つの「出羽桜酒造」の酒造見学が、3月16日に発生した労働災害事故のため、安全確保の観点から、当面の間、酒蔵見学の受付を停止していました。ただし、日にちが限られた「通常ツアー」と「プライベートツアー」はあります。「通常ツアー」に参加したかったのですが、4月は、「5日、19日、26日」の三日間だけでした。「プライベートツアー」は、平日の「9:00~、13:00~、13:30~、14:00~」に実施していますが、「通常ツアー」が一人1,500円なのに対して、「プライベートツアー」は、1~6名様で20,000円です。当然夫婦二人でも20,000円です。幸いなことに、お酒は隣にある「丸十仲野酒店」で購入できますが、私たちが行った月曜日は定休日でした。「出羽桜」は、若いころから好きな日本酒の一つでした。踏んだり蹴ったりでした。
次は、「出羽桜酒造」から300mほどのところにある天童市の人気店「そば処 一庵」です。

⑰《そば処 一庵》
「一庵そば」は、天童市の人気店で、絶えず行列ができているお店です。行った日が月曜日にもかかわらず、長蛇の列で20分ほど並ぶのを覚悟していましたが、運よく10分後に座敷席なら空いているということで入店できました。あいにくこの日の天童市の気温は28℃もあり並んでいるだけで汗がでました。しかし、入店し、飲食すると一気にそのようなことを忘れてしまいました。
「そば処 一庵」のおすすめは何といっても「一庵そば」です。「一庵そば」には、そばのタレは二種類ついていました。一つが甘みと鶏の旨味が楽しめる冷たい肉そばのタレです。もう一つが醤油の風味に鰹の香のもりそばのタレです。それだけではありません。しかも、「げそ天」や「野菜の天ぷら」もついて、なんと値段は900円です。「舞鶴山」を散策してきたので、非常にお腹が空いていたので、「ミニソースカツ丼」を追加注文しました。カレー味のタレカツはしっかりとボリュームもあり、これまた驚くなかれ250円です。味も量もコストパフォーマンスも最高です。物価高の今日この頃、本当に感謝感激です。
次は、タクシーを利用して、「天童木工」へ向かいました。

⑱《天童木工》
天童に来た目的のもう一つは、満開の桜を見ることだけでなく、芸術性に富んだ家具を製作している「天童木工」の「ショールーム&ストア」へ行くことです。「天童木工」の本社敷地内にある「ショールーム&ストア」は、予約の必要もなく、誰でも自由に見学することができ、もちろん気に入ったものがあれば購入することもできます。
「天童木工」の歴史を遡ってみると、「天童木工」は昭和15年(1940年)に現在の天童市近郊の建具・家具職人らが集まり、組合を組織したことから始まった家具メーカーです。「天童木工」は、日本でいち早く成形合板を実用化し、また、デザイナーや建築家たちとのコラボによる作品も有名です。特に、バタフライスツールの原型をデザインした「柳 宗理」は誰でも知っていますよね。知らなくても色々な場所で目にしているはずです。
「天童木工」の目の前に素晴らしい桜並木を発見しました。

⑲《押切川沿いの桜並木》
「天童木工」を見学したあとすぐそばにある「押切川沿いの桜並木」を発見しました。県道22号と国道13号の間、約600m続く桜並木です。桜の木も大きく花もたわわにつけていて見ごたえ十分でした。国道13号の先の川沿いも続いていました。もし、天童に桜を見に行ったら是非訪れて欲しいスポットです。
次は、タクシーを利用し「倉津川」を目指します。

⑳《ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ》
この日の天童は最高気温が38度ありました。結構歩いたので、喉がカラカラで水分補給が必要でした。実は、「愛宕沼親水公園」へ行く途中にこのお店の看板を発見し、家内とパンケーキが食べたいねと言っていたのです。「天童木工」から枝垂れ桜の名所の「倉津川」までタクシーで来たのですが、その前に一休みして喉を潤そうということになりました。「倉津川」の周辺には、喫茶店らしきものは発見できなかったので、朝見た看板のパンケーキの店へ行けばコーヒーでも飲めるだろうということで、行ってみることにしました。「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」という名前を見てびっくりしました。山形に来て何でハワイなんだろうと家内と不思議に思いました。店の前まで来るとなるほど思いました。ハワイの海沿いにあるお店の外観です。お店に入ると心地の良いハワイアンのBGMに今まで匂いをかいだことのないアロマのいい香りがしました。そして、店は結構混雑していましたが、全て女性客ばかりでした。これは期待できるお店と即時に直観しました。そして、テーブルにつくとここでさらに驚きました。隣のお客のところに運ばれてきたパンケーキがいままで見たことのないような巨大なサイズだったからです。帰りにレジの女性に聞いたところオーナーがハワイにこだわり、本場ハワイサイズのパンケーキやコットンドリンクを提供しているそうです。お薦めのパンケーキを一つとり家内とシャアすることにしました。コーヒーはハワイのコナコーヒーでこれまた今まで飲んだことのない味でした。デザートを飲んでいるような感覚のコーヒーです。お薦めのパンケーキが出てきて、実際の目の前で見るとさらに驚きました。現在時間は14:30で、16:00に鳥中華で有名な「水車」で新幹線に乗る前に夕食を食べることを予定していたからです。しかし、いざ食べてみるとメレンゲのような柔らかさと口の中に入ると溶けてなくなるような感じで、あっという間に食べてしまいました。別のテーブルでは、コットンドリンクを飲んでいました。グラスに覆いかぶされるように綿あめが載っていました。喉も潤ったところで枝垂れ桜の名所の「倉津川」へ再度向かいます。

㉑《倉津川沿いの枝垂れ桜並木》
「倉津川」に架かる橋には、将棋の駒のモニュメントとのようなものが設置されているので、写真撮影にはもってこいです。天童を訪れたのが、4月15日(月)だったので、「しだれ桜の夕べ」のイベントは見ることはできませんでしたので、概要について簡単に説明したいと思います。
「天童桜まつり」の期間中には、毎年、しだれ桜の夕べ」と「倉津川しだれ桜ライトアップ」が開催されます。今年は、4月12日(金)、13日(土)の2日日間に天童市中心部を流れる「倉津川」の両岸1400m沿いの「王将橋」から「歩橋」までの間で「しだれ桜の夕べ」が開催されました。また、4月6日(土)から5月5日(日・祝)まで「倉津川しだれ桜ライトアップ」が「倉津川」沿いの「王将橋」から「飛車橋」が開催されています。
「しだれ桜の夕べ」では、4月12日(金)に「天童市市民文化会館正面入口と2階大集会室」でトランペットの演奏、ピアンの伴奏によるソプラノ歌手のコンサートが開催されました。翌13日(土)には、「高擶精霊菩提獅子踊」、「神輿渡御」、「むかさり行列」が行われました。4月12日(金)から14日(日)の午前10時から午後9時まで、「天童市市民文化会館駐車場」で「屋台村」が開設されました。そして、夜には「倉津川」沿いの「王将橋」から「飛車橋」までの約740mにわたってしだれ桜ライトアップも実施されています。ちなみに、「むかさり行列」とは、嫁入りの花嫁行列で地域の人たちにお披露目する行事だそうです。
やはり、したれ桜が花をたわわにつけ、「倉津川」の川面に、今にも届きそうな光景は印象に残りました。
次が、倉津川沿いの枝垂れ桜並木を鑑賞している差に見つけた「中央公園」の桜並木です。

㉒ 《「ホテル天童」前の足湯》
天童市が設置している足湯です。15分くらいつかると旅の疲れがすっかり取れました。目立たないので見逃さないようにしてください。

㉓《「王将の巨大モニュメント」》
「ホテル天童」前の足湯の交差点の反対側に「王将の巨大モニュメント」を発見しました。
天童での最終目的の「手打 水車生そば」で夕食に「鳥中華」を食べに向かいます。「王将の巨大モニュメント」から「天童駅」歩行に進むとすぐの所にあります。

㉔《手打 水車生そば》
付近には、「天童温泉街」だけでなく「広重美術館」や「巨大王将モニュメント」もあります。また、枝垂れ桜の並木で有名な「倉津川」もすぐ近くです。「手打 水車生そば」を訪れたのは、もちろん名物の「鳥中華」を食べるためです。平日の16:30過ぎに行ったので空いていました。すぐに入店でき、メニューを見ることなく、家内と二人で「鳥中華」を注文しました。「鳥中華」は、もともとはまかない食として、蕎麦に使う和風だしと鶏肉を使って食べていたラーメンのことです。「鳥中華」の麺はラーメンですが、スープは純和風のあっさりした中華そばで、鶏肉、天かす、海苔がトッピングしてあり、こしょうを効かせたちょっとピリ辛味です。このピリ辛味がさらに食欲をすすりました。朝からかなり歩いて散策したので、結構お腹が空いていました。ちなみに、「手打 水車生そば」の創業は、文久元年(1861年)の歴史ある蕎麦の老舗です。また、「鳥中華」は、平成26年(2014年)に「BRUTUSお取り寄せグルメ」で準グランプリを獲得しました。私も初耳でしたが、テレビでたまたま山形の特集をやっていて、山形県民はラーメンが大好きで、ラーメン消費量は日本一だそうです。

旅行の満足度
4.5
観光
5.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.5
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
タクシー 新幹線 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 《新幹線》上野発6:18分発つばさ121号新庄行き…時刻表電光ボードで乗車する新幹線を確認

    《新幹線》上野発6:18分発つばさ121号新庄行き…時刻表電光ボードで乗車する新幹線を確認

  • 《新幹線》上野発6:18分発つばさ121号新庄行き…つばさ121号ば入線してきました。

    《新幹線》上野発6:18分発つばさ121号新庄行き…つばさ121号ば入線してきました。

  • 《新幹線》上野発6:18分発つばさ121号新庄行き…まもなくドアが開きます。

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  • 《天童駅》つばさ121号が定刻通りに天童駅に到着しました。

    《天童駅》つばさ121号が定刻通りに天童駅に到着しました。

  • 《天童駅》発車すると次の新幹線のつばさ123号がすぐに表示されました。

    《天童駅》発車すると次の新幹線のつばさ123号がすぐに表示されました。

  • 《天童駅》改札口です。普通列車と同じホームに到着するので、改札は一箇所のみです。

    《天童駅》改札口です。普通列車と同じホームに到着するので、改札は一箇所のみです。

  • 《天童駅》改札を出ると出口の案内板があります。天童温泉・天童公園は東口なので、右手に進みます。

    《天童駅》改札を出ると出口の案内板があります。天童温泉・天童公園は東口なので、右手に進みます。

  • 《天童市観光情報センター》…「JR天童」駅に隣接する「天童ターミナルビル“パルテ”」の2階にあります。JR「天童駅」の改札口を出て、左方向に進み東口へ向かいます。そのまま直進すると天童温泉街に向かう階段があります。そこを右折すると「パルテ」の入口があります。奥に進むと「天童市観光情報センター」があります。

    《天童市観光情報センター》…「JR天童」駅に隣接する「天童ターミナルビル“パルテ”」の2階にあります。JR「天童駅」の改札口を出て、左方向に進み東口へ向かいます。そのまま直進すると天童温泉街に向かう階段があります。そこを右折すると「パルテ」の入口があります。奥に進むと「天童市観光情報センター」があります。

    天童市観光情報センター 名所・史跡

    天童市の観光へ行ったらまず最初に立ち寄って情報をゲットしてください。種類豊富なお土産も買えます。 by Lily-junjunさん
  • 《天童市観光情報センター》…「天童市観光情報センター」の入口付近には、ご当地キャラクターの「こま八」(天童市観光物産協会)との記念撮影スポットがありました。

    《天童市観光情報センター》…「天童市観光情報センター」の入口付近には、ご当地キャラクターの「こま八」(天童市観光物産協会)との記念撮影スポットがありました。

    天童市観光情報センター 名所・史跡

    天童市の観光へ行ったらまず最初に立ち寄って情報をゲットしてください。種類豊富なお土産も買えます。 by Lily-junjunさん
  • 「こま八」は、特産品である将棋の駒と生産を奨励した天童織田藩家老の「吉田大八」から生まれたそうです。このキャラクターの性格は武士らしく質実剛健、勇猛果敢だそうです。

    「こま八」は、特産品である将棋の駒と生産を奨励した天童織田藩家老の「吉田大八」から生まれたそうです。このキャラクターの性格は武士らしく質実剛健、勇猛果敢だそうです。

    天童市観光情報センター 名所・史跡

    天童市の観光へ行ったらまず最初に立ち寄って情報をゲットしてください。種類豊富なお土産も買えます。 by Lily-junjunさん
  • 帰りの新幹線の時間待ちの時間を利用して、お土産も買うことができました。「物産コーナー」では、天童の特産品だけではなく山形の特産品も取り扱っているため、わざわざ山形駅で降りなくても山形のおみやげを買い求めることができます。

    帰りの新幹線の時間待ちの時間を利用して、お土産も買うことができました。「物産コーナー」では、天童の特産品だけではなく山形の特産品も取り扱っているため、わざわざ山形駅で降りなくても山形のおみやげを買い求めることができます。

  • 《天童市観光情報センター》…「天童市観光情報センター」の経営母体は、「一般社団法人天童市観光物産協会」で、観光案内やお土産品を販売しているお店です。

    《天童市観光情報センター》…「天童市観光情報センター」の経営母体は、「一般社団法人天童市観光物産協会」で、観光案内やお土産品を販売しているお店です。

    天童市観光情報センター 名所・史跡

    天童市の観光へ行ったらまず最初に立ち寄って情報をゲットしてください。種類豊富なお土産も買えます。 by Lily-junjunさん
  • 《天童市観光情報センター》…さすが将棋の駒の生産量日本一だけあって、将棋の関連するお土産や展示品も沢山ありました。

    《天童市観光情報センター》…さすが将棋の駒の生産量日本一だけあって、将棋の関連するお土産や展示品も沢山ありました。

    天童市観光情報センター 名所・史跡

    天童市の観光へ行ったらまず最初に立ち寄って情報をゲットしてください。種類豊富なお土産も買えます。 by Lily-junjunさん
  • 《天童市観光情報センター》…大きなサイズの将棋の駒も売っていました。

    《天童市観光情報センター》…大きなサイズの将棋の駒も売っていました。

    天童市観光情報センター 名所・史跡

    天童市の観光へ行ったらまず最初に立ち寄って情報をゲットしてください。種類豊富なお土産も買えます。 by Lily-junjunさん
  • 《天童市観光情報センター》…「藤井八冠」の駒もありました

    《天童市観光情報センター》…「藤井八冠」の駒もありました

    天童市観光情報センター 名所・史跡

    天童市の観光へ行ったらまず最初に立ち寄って情報をゲットしてください。種類豊富なお土産も買えます。 by Lily-junjunさん
  • 《天童市将棋資料館》入口付近…「天童市将棋資料館」は、JR「天童駅」の改札口を出て、左方向に進み東口へ向かいます。そのまま直進すると天童温泉街に向かう階段がありますので、降りると駅のロータリーに出ます。すぐ左手に「天童市将棋資料館」があります。

    《天童市将棋資料館》入口付近…「天童市将棋資料館」は、JR「天童駅」の改札口を出て、左方向に進み東口へ向かいます。そのまま直進すると天童温泉街に向かう階段がありますので、降りると駅のロータリーに出ます。すぐ左手に「天童市将棋資料館」があります。

    天童市将棋資料館 美術館・博物館

    将棋と将棋駒に関する歴史を知るにはベストの場所です! by Lily-junjunさん
  • 《天童市将棋資料館》「天童市将棋資料館」には、将棋の発生と日本への伝来、世界の将棋、駒の製作工程、駒工人の作品など、将棋と将棋駒に関することを分かりやすく展示してあり、将棋が好きな人にはたまらない場所です。

    《天童市将棋資料館》「天童市将棋資料館」には、将棋の発生と日本への伝来、世界の将棋、駒の製作工程、駒工人の作品など、将棋と将棋駒に関することを分かりやすく展示してあり、将棋が好きな人にはたまらない場所です。

    天童市将棋資料館 美術館・博物館

    将棋と将棋駒に関する歴史を知るにはベストの場所です! by Lily-junjunさん
  • 《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》…「将棋駒のモニュメント」は、天童市の市制施行65周年を記念してJR「天童駅」東口広場に設置されたものです。「将棋駒のモニュメント」に刻まれている文字は、日本将棋連盟の「羽生善治会長」が揮毫しました。このモニュメントは、最初は一つかと思いましたが、一周してよく見ると三つの駒を組み合わせたデザインになっていました。

    《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》…「将棋駒のモニュメント」は、天童市の市制施行65周年を記念してJR「天童駅」東口広場に設置されたものです。「将棋駒のモニュメント」に刻まれている文字は、日本将棋連盟の「羽生善治会長」が揮毫しました。このモニュメントは、最初は一つかと思いましたが、一周してよく見ると三つの駒を組み合わせたデザインになっていました。

    天童駅

  • 《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》…「王将」、「将棋のまち天童」、「克己復礼」の文字が刻まれていました。

    《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》…「王将」、「将棋のまち天童」、「克己復礼」の文字が刻まれていました。

    天童駅

  • 《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》

    《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》

    天童駅

  • 《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》…「克己復礼」は「羽生善治会長」が「相手に対する敬意を忘れないように」との気持ちを込めて選んだもじだそうです。モニュメントにある説明をみていみると、「将棋は、礼に始まり礼に終わる」と言われ、相手がいなければ対局は成立しないので、相手に対する敬意を忘れてはいけないということだそうです。

    《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》…「克己復礼」は「羽生善治会長」が「相手に対する敬意を忘れないように」との気持ちを込めて選んだもじだそうです。モニュメントにある説明をみていみると、「将棋は、礼に始まり礼に終わる」と言われ、相手がいなければ対局は成立しないので、相手に対する敬意を忘れてはいけないということだそうです。

    天童駅

  • 《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》難しい「克己復礼」の説明文です。

    《将棋駒のモニュメント(天童駅前)》難しい「克己復礼」の説明文です。

    天童駅

  • 《将棋駒のポスト》将棋の駒の形をした郵便ポストがJR「天童駅」東口広場に設置されていました。

    《将棋駒のポスト》将棋の駒の形をした郵便ポストがJR「天童駅」東口広場に設置されていました。

  • 《将棋駒のポスト》初めて見る形のポストです。今まであった将棋ポストは、ポストの上に駒のオブジェを載せたものでしたが、四角や円柱形のものでなく、ポスト自体を駒の形にしたものです。

    《将棋駒のポスト》初めて見る形のポストです。今まであった将棋ポストは、ポストの上に駒のオブジェを載せたものでしたが、四角や円柱形のものでなく、ポスト自体を駒の形にしたものです。

  • 《将棋駒のポスト》

    《将棋駒のポスト》

  • 《芭蕉句碑》…JR「天童駅」東口から県道280号を天童温泉方向に180mほど進み、県道22号と交差する信号の先のお食事処「さかい軒」の前の歩道の左側に「芭蕉の句碑」がありました。

    《芭蕉句碑》…JR「天童駅」東口から県道280号を天童温泉方向に180mほど進み、県道22号と交差する信号の先のお食事処「さかい軒」の前の歩道の左側に「芭蕉の句碑」がありました。

  • 《芭蕉句碑》…「芭蕉の句碑」には「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 」と刻まれていました。

    《芭蕉句碑》…「芭蕉の句碑」には「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 」と刻まれていました。

  • 《芭蕉句碑》…松尾芭蕉」が江戸時代に山寺参詣の途中に、紅花畑を目にした芭蕉が紅花を題材に句を詠んだものです。この句意は、「尾花沢名産の紅の花を見ていると女性の化粧用の眉掃きを想像させるあでやかさを感じる。」という意味だそうです。

    《芭蕉句碑》…松尾芭蕉」が江戸時代に山寺参詣の途中に、紅花畑を目にした芭蕉が紅花を題材に句を詠んだものです。この句意は、「尾花沢名産の紅の花を見ていると女性の化粧用の眉掃きを想像させるあでやかさを感じる。」という意味だそうです。

  • 《芭蕉句碑》…「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 」と刻まれていま

    《芭蕉句碑》…「まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花 」と刻まれていま

  • 《芭蕉句碑》…「松尾芭蕉」は尾花沢に十泊して俳会を催し、羽州街道をとおり、天童の念仏堂を経て山寺に一泊したそうです。

    《芭蕉句碑》…「松尾芭蕉」は尾花沢に十泊して俳会を催し、羽州街道をとおり、天童の念仏堂を経て山寺に一泊したそうです。

  • 《天童公園》の入口付近気お具「芭蕉の句碑」(「さかい軒」前)から450mほど道なりに進むとスーパーマーケットの「ヤマザワ」の先に県道22号と交差する信号があります。そこを右折し、400mほど進むと「天童公園」の入口があり、その先に「愛宕沼親水公園」があります。

    《天童公園》の入口付近気お具「芭蕉の句碑」(「さかい軒」前)から450mほど道なりに進むとスーパーマーケットの「ヤマザワ」の先に県道22号と交差する信号があります。そこを右折し、400mほど進むと「天童公園」の入口があり、その先に「愛宕沼親水公園」があります。

  • 《天童公園》の入口付近

    《天童公園》の入口付近

  • 《天童公園》の入口付近…駐車場の向こう側に「愛宕沼親水公園」があります。

    《天童公園》の入口付近…駐車場の向こう側に「愛宕沼親水公園」があります。

  • 《天童公園》「愛宕沼親水公園」の右側にある山頂に通じる車道、桜のトンネルができていました。

    《天童公園》「愛宕沼親水公園」の右側にある山頂に通じる車道、桜のトンネルができていました。

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」は、「舞鶴山」の懐にいだかれたような親水公園です。「愛宕沼親水空間」は沼をぐるっと周回できるようになっており、ウォーキングなどにも最適です。

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」は、「舞鶴山」の懐にいだかれたような親水公園です。「愛宕沼親水空間」は沼をぐるっと周回できるようになっており、ウォーキングなどにも最適です。

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内の風景

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内の風景

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内の風景

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内の風景

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内の風景

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内の風景

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内の風景

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内の風景

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内にある「佐藤千夜子」の顕彰碑

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内にある「佐藤千夜子」の顕彰碑

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内にある「佐藤千夜子」の顕彰碑の説明板です。「佐藤千夜子」は、明治30年(1897年)に山形県天童の生まれ、本名は「佐藤千代」です。東京音楽学校(現東京芸術大学を)卒業後に、詩人「野口雨情」や作曲家「中山晋平」に才能を認められ、昭和初期、日本ビクターに吹き込んだ「波浮の港」と、それに続く「東京行進曲」が爆発的なヒットを生みました。

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内にある「佐藤千夜子」の顕彰碑の説明板です。「佐藤千夜子」は、明治30年(1897年)に山形県天童の生まれ、本名は「佐藤千代」です。東京音楽学校(現東京芸術大学を)卒業後に、詩人「野口雨情」や作曲家「中山晋平」に才能を認められ、昭和初期、日本ビクターに吹き込んだ「波浮の港」と、それに続く「東京行進曲」が爆発的なヒットを生みました。

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内にある「佐藤千夜子」の顕彰碑

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内にある「佐藤千夜子」の顕彰碑

  • 《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内にある「佐藤千夜子」の顕彰碑

    《天童公園》…「愛宕沼親水公園」内にある「佐藤千夜子」の顕彰碑

  • 《天童公園山頂》…「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」から「愛宕沼親水空間」を眺めると、噴水の水紋が花のように見えるインスタ映えする隠れスポットになっています。

    《天童公園山頂》…「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」から「愛宕沼親水空間」を眺めると、噴水の水紋が花のように見えるインスタ映えする隠れスポットになっています。

  • 《天童公園山頂》…「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」付近に設置されている「愛宕神社」と「天童神社」の説明板

    《天童公園山頂》…「愛宕沼親水公園」の方向に設置されてある山頂の「展望台」付近に設置されている「愛宕神社」と「天童神社」の説明板

  • 《天童公園山頂》…「舞鶴山」の山頂に建つ「愛宕神社」は、「天童頼久」と「最上義光」の戦いの中で焼失した城の跡に「最上義光」によって、天正12年(1584年)に建立された神社です。「天童神社」の御祭神は、国づくりと豊穣をもたらす穀霊神である「少彦名命」と南北朝時代(14世紀)南朝方の重臣北畠氏の一族であった「北畠天童丸」を祀っています。

    《天童公園山頂》…「舞鶴山」の山頂に建つ「愛宕神社」は、「天童頼久」と「最上義光」の戦いの中で焼失した城の跡に「最上義光」によって、天正12年(1584年)に建立された神社です。「天童神社」の御祭神は、国づくりと豊穣をもたらす穀霊神である「少彦名命」と南北朝時代(14世紀)南朝方の重臣北畠氏の一族であった「北畠天童丸」を祀っています。

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、「人間将棋」の翌日にいったので、会場の撤去作業をしていました。桜の花は満開でした。

    《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、「人間将棋」の翌日にいったので、会場の撤去作業をしていました。桜の花は満開でした。

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、山形県天童市と言えば将棋の駒の産地として有名ですが、その天童の春の一大イベントが、約2000本もの桜が咲き乱れる「舞鶴山」の山頂行われる「天童桜まつり~人間将棋~」です。毎年4月中旬に2日間開催されます。

    《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、山形県天童市と言えば将棋の駒の産地として有名ですが、その天童の春の一大イベントが、約2000本もの桜が咲き乱れる「舞鶴山」の山頂行われる「天童桜まつり~人間将棋~」です。毎年4月中旬に2日間開催されます。

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、当日の勝負の状況をしらせるボード

    《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、当日の勝負の状況をしらせるボード

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、まつりの名前のとおり、駒は人間で、甲冑姿の武者や着物姿の腰元たちが駒になり、プロ棋士、女流棋士の指し手に従って巨大な盤上を動きます。

    《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、まつりの名前のとおり、駒は人間で、甲冑姿の武者や着物姿の腰元たちが駒になり、プロ棋士、女流棋士の指し手に従って巨大な盤上を動きます。

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、「人間将棋盤」は、南北方向(1から9)で14.17m、東西方向(一から九)で16.87mあります。1マスの大きさは縦1.5m、横1.2mもあります。

    《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、「人間将棋盤」は、南北方向(1から9)で14.17m、東西方向(一から九)で16.87mあります。1マスの大きさは縦1.5m、横1.2mもあります。

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景

    《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、桜の並木に会場は囲まれています。

    《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、桜の並木に会場は囲まれています。

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、碁盤の大きさが分かりますね。

    《天童公園山頂》…「人間将棋」会場風景、碁盤の大きさが分かりますね。

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」の説明板

    《天童公園山頂》…「人間将棋」の説明板

  • 《天童公園山頂》…「人間将棋」の説明板

    《天童公園山頂》…「人間将棋」の説明板

  • 《天童公園山頂》…「将棋塔」は、「天童公園」の入り口からでも見える高台の真ん中に設置されています。

    《天童公園山頂》…「将棋塔」は、「天童公園」の入り口からでも見える高台の真ん中に設置されています。

  • 《天童公園山頂》…「将棋塔」は、将棋の駒の生産量全国一を誇る天童市のシンボルで、平成30年(2018年)10月14日に行われた「二千局盤来2018」で将棋の同時対局数世界記録の達成を記念したモニュメントです。

    《天童公園山頂》…「将棋塔」は、将棋の駒の生産量全国一を誇る天童市のシンボルで、平成30年(2018年)10月14日に行われた「二千局盤来2018」で将棋の同時対局数世界記録の達成を記念したモニュメントです。

  • 《天童公園山頂》…「将棋塔」のバックには、桜の木があり、「将棋塔」がピンクの雲の絨毯の中にあるように見えます。(右斜めから撮影)

    《天童公園山頂》…「将棋塔」のバックには、桜の木があり、「将棋塔」がピンクの雲の絨毯の中にあるように見えます。(右斜めから撮影)

  • 《天童公園山頂》…「将棋塔」のバックには、桜の木があり、「将棋塔」を一層華やかなものとしています。(左斜めから撮影)

    《天童公園山頂》…「将棋塔」のバックには、桜の木があり、「将棋塔」を一層華やかなものとしています。(左斜めから撮影)

  • 《天童公園山頂》…「将棋塔」とは別に、「人間将棋盤」の手前右手にモニュメントもあります。

    《天童公園山頂》…「将棋塔」とは別に、「人間将棋盤」の手前右手にモニュメントもあります。

  • 《天童公園山頂》…これには、2362局のギネス記録を打ち立てた参加者やスタッフなど5250人の名前が刻まれています。

    《天童公園山頂》…これには、2362局のギネス記録を打ち立てた参加者やスタッフなど5250人の名前が刻まれています。

  • 《天童公園山頂》ちなみに、「二千局盤来2018」とは、将棋の同時対局数で世界記録を目指すイベントで、4,000人が一堂に対局を行う二千局対局を行いました。

    《天童公園山頂》ちなみに、「二千局盤来2018」とは、将棋の同時対局数で世界記録を目指すイベントで、4,000人が一堂に対局を行う二千局対局を行いました。

  • 《天童公園山頂》「二千局盤来2018」の説明板

    《天童公園山頂》「二千局盤来2018」の説明板

  • 《天童公園山頂》「天童古城記念碑」舞鶴山に、最初に城が築かれたのは、南北朝時代の頃、南朝方の柱石、北畠親房の末えい北畠天童丸が、吉野朝興隆のため、村山盆地を一望するこの地に、居を構えたのが始まりといわれています。

    《天童公園山頂》「天童古城記念碑」舞鶴山に、最初に城が築かれたのは、南北朝時代の頃、南朝方の柱石、北畠親房の末えい北畠天童丸が、吉野朝興隆のため、村山盆地を一望するこの地に、居を構えたのが始まりといわれています。

  • 《天童公園山頂》「天童古城記念碑」この城は、全山を自然の城塞としたもので、周壁は、自然の侵蝕に任せた典型的な山城でした。山頂に本丸を構え、これを中心にして、西方の峰々には、八森楯、小松楯などの補助楯を設け、重臣を配し守備させたそうです。

    《天童公園山頂》「天童古城記念碑」この城は、全山を自然の城塞としたもので、周壁は、自然の侵蝕に任せた典型的な山城でした。山頂に本丸を構え、これを中心にして、西方の峰々には、八森楯、小松楯などの補助楯を設け、重臣を配し守備させたそうです。

  • 《天童公園山頂》「天童古城記念碑」大手門は山の東方、搦手口は西方に在って、北目や小路には、それぞれ武家屋敷が建ち並び、門前には市が建つなど、活気ある城下町を形成していた。領主は代々、天童氏を名乗り、山形最上氏と肩を並べる奥州の名門として、その威容を誇ったそうです。

    《天童公園山頂》「天童古城記念碑」大手門は山の東方、搦手口は西方に在って、北目や小路には、それぞれ武家屋敷が建ち並び、門前には市が建つなど、活気ある城下町を形成していた。領主は代々、天童氏を名乗り、山形最上氏と肩を並べる奥州の名門として、その威容を誇ったそうです。

  • 《天童公園山頂》「天童古城記念碑」

    《天童公園山頂》「天童古城記念碑」

  • 《天童公園山頂》「吉田大八像」…「吉田大八像」は、「舞鶴山」山頂の駐車場付近にあります。車道に囲まれた小島のような感じです。近くに行く際は、車に十分注意してください。

    《天童公園山頂》「吉田大八像」…「吉田大八像」は、「舞鶴山」山頂の駐車場付近にあります。車道に囲まれた小島のような感じです。近くに行く際は、車に十分注意してください。

  • 《天童公園山頂》「吉田大八像」…天童織田藩家老「吉田大八」は、幕末から明治維新にかけて困難な天童藩の政局を担った人物として有名です。「吉田大八」は天童藩の財政難対策も取り組み、藩士の生活救済策の一つとして将棋駒を作ることを取り入れました。武士が手内職を営むことについての反対もありましたが「将棋は兵法戦術に通じ、武士の面目を傷つけるものではない。」として将棋駒作りを広く推奨し、天童が将棋駒の産地として発展していく礎を築いたといわれています。

    《天童公園山頂》「吉田大八像」…天童織田藩家老「吉田大八」は、幕末から明治維新にかけて困難な天童藩の政局を担った人物として有名です。「吉田大八」は天童藩の財政難対策も取り組み、藩士の生活救済策の一つとして将棋駒を作ることを取り入れました。武士が手内職を営むことについての反対もありましたが「将棋は兵法戦術に通じ、武士の面目を傷つけるものではない。」として将棋駒作りを広く推奨し、天童が将棋駒の産地として発展していく礎を築いたといわれています。

  • 《天童公園山頂》「吉田大八像」…「舞鶴山」の麓の「妙法寺」には、「吉田大八」が切腹した場所の「観月庵」があります。室内には「吉田大八」切腹の時の血染めの天井がそのまま使用されており、「吉田大八」の遺品なども展示されています。

    《天童公園山頂》「吉田大八像」…「舞鶴山」の麓の「妙法寺」には、「吉田大八」が切腹した場所の「観月庵」があります。室内には「吉田大八」切腹の時の血染めの天井がそのまま使用されており、「吉田大八」の遺品なども展示されています。

  • 《天童公園山頂》「建勲神社」の案内板、ここからは車道を通って下山します。車はあまり来ず、木々に囲まれ、十分森林浴ができました。

    《天童公園山頂》「建勲神社」の案内板、ここからは車道を通って下山します。車はあまり来ず、木々に囲まれ、十分森林浴ができました。

  • 《天童公園》「文学の森」…天童公園」の「文学の森」は、天童市市制施行45周年記念事業として、「舞鶴山」の西側に整備されました。「文学の森」には、「イザベラ・バード」、「田山花袋」、「志賀直哉」、「田宮虎彦」の文学碑が設置されていました。向かって左から「田山花袋」、「イザベラ・バード」、「志賀直哉」の文学碑が並んでいます。どのような関係があるのか、意外な文人が意外な理由で天童と繋がっているのがわかるスポットでもあります。

    《天童公園》「文学の森」…天童公園」の「文学の森」は、天童市市制施行45周年記念事業として、「舞鶴山」の西側に整備されました。「文学の森」には、「イザベラ・バード」、「田山花袋」、「志賀直哉」、「田宮虎彦」の文学碑が設置されていました。向かって左から「田山花袋」、「イザベラ・バード」、「志賀直哉」の文学碑が並んでいます。どのような関係があるのか、意外な文人が意外な理由で天童と繋がっているのがわかるスポットでもあります。

  • 《天童公園》「文学の森」…「田山花袋」の碑、「田山花袋」は、群馬県館林市の出身の文豪で、明治期の日本における自然主義文学の確立者として知られています。実は、「田山花袋」の母親の「てつ」は、天童市高擶地区出身ということ、「田山花袋」自身も明治27年(1894年)、22歳のときに高擶に訪れているということで天童とゆかりがあるそうです。「田山花袋文学碑」には、「続南船北馬」の一節が刻まれています。

    《天童公園》「文学の森」…「田山花袋」の碑、「田山花袋」は、群馬県館林市の出身の文豪で、明治期の日本における自然主義文学の確立者として知られています。実は、「田山花袋」の母親の「てつ」は、天童市高擶地区出身ということ、「田山花袋」自身も明治27年(1894年)、22歳のときに高擶に訪れているということで天童とゆかりがあるそうです。「田山花袋文学碑」には、「続南船北馬」の一節が刻まれています。

  • 《天童公園》「文学の森」…「田山花袋」の碑の説明板

    《天童公園》「文学の森」…「田山花袋」の碑の説明板

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  • 《天童公園》「文学の森」…「イザベラ・バード」の碑の説明板、「日本奥地紀行」の中で、天童に関して記述された「ほれぼれとして見たくなるような地方で、多くの楽しげな村落が山の低いすそ野に散在している。」を抜粋して碑文としています。

    《天童公園》「文学の森」…「イザベラ・バード」の碑の説明板、「日本奥地紀行」の中で、天童に関して記述された「ほれぼれとして見たくなるような地方で、多くの楽しげな村落が山の低いすそ野に散在している。」を抜粋して碑文としています。

  • 《天童公園》「文学の森」…「志賀直哉」の碑、「志賀直哉」は、明治の作家で、「暗夜行路」、「城の崎にて」などの誰もが知っている有名な作品を残している明治の代表的な文豪です。「志賀直哉文学碑」には、「志賀直哉」の肖像とともに、「志賀直哉」が父の後妻・浩について書いた小説「母の死と新しい母」の一説や、「志賀直哉」と天童とのかかわりなどについての説明文が刻み込まれています。

    《天童公園》「文学の森」…「志賀直哉」の碑、「志賀直哉」は、明治の作家で、「暗夜行路」、「城の崎にて」などの誰もが知っている有名な作品を残している明治の代表的な文豪です。「志賀直哉文学碑」には、「志賀直哉」の肖像とともに、「志賀直哉」が父の後妻・浩について書いた小説「母の死と新しい母」の一説や、「志賀直哉」と天童とのかかわりなどについての説明文が刻み込まれています。

  • 《天童公園》「文学の森」…「志賀直哉」の碑の説明板

    《天童公園》「文学の森」…「志賀直哉」の碑の説明板

  • 《建勲神社》石鳥居付近から桜と市街地と山々がきれいに眺めることができます。

    《建勲神社》石鳥居付近から桜と市街地と山々がきれいに眺めることができます。

  • 《建勲神社》本殿へ続く急な石段…「織田信長命」の幟があるのですぐ分かりますが、坂道と階段が続き少々疲れます。

    《建勲神社》本殿へ続く急な石段…「織田信長命」の幟があるのですぐ分かりますが、坂道と階段が続き少々疲れます。

  • 《建勲神社》本殿へ続く急な石段…この辺りで息が切れました。建勲神社の拝殿が見えてきました。

    《建勲神社》本殿へ続く急な石段…この辺りで息が切れました。建勲神社の拝殿が見えてきました。

  • 《建勲神社》「手水舎」

    《建勲神社》「手水舎」

  • 《建勲神社》「建勲神社社叢」の説明板、市の指定天然記念物です。

    《建勲神社》「建勲神社社叢」の説明板、市の指定天然記念物です。

  • 《建勲神社》「拝殿付近」…「建勲神社」は、明治3年(1870年)に建立された日本で最初に「織田信長」を御祭神とする神社です。明治3年(1870年)に、天童藩知事「織田信敏」が舞鶴山山頂近くに建立し、明治17年(1884年)に現在の場所に移転されました。

    《建勲神社》「拝殿付近」…「建勲神社」は、明治3年(1870年)に建立された日本で最初に「織田信長」を御祭神とする神社です。明治3年(1870年)に、天童藩知事「織田信敏」が舞鶴山山頂近くに建立し、明治17年(1884年)に現在の場所に移転されました。

  • 《建勲神社》「拝殿付近」…御神水

    《建勲神社》「拝殿付近」…御神水

  • 《建勲神社》「拝殿付近」

    《建勲神社》「拝殿付近」

  • 《建勲神社》「拝殿付近」由緒板…「建勲神社」は、「本殿」、「拝殿」、「向拝殿」などが当時の姿をとどめています。境内の「社叢」は見事なアカマツの樹林で、樹齢200年以上のものもあり、この社叢は、天童市指定の天然記念物に昭和51年(1976年)4月14日に指定されました。また、「建勲神社」の下には、市の花にも指定されているツツジが植栽され、ツツジ公園となっています。

    《建勲神社》「拝殿付近」由緒板…「建勲神社」は、「本殿」、「拝殿」、「向拝殿」などが当時の姿をとどめています。境内の「社叢」は見事なアカマツの樹林で、樹齢200年以上のものもあり、この社叢は、天童市指定の天然記念物に昭和51年(1976年)4月14日に指定されました。また、「建勲神社」の下には、市の花にも指定されているツツジが植栽され、ツツジ公園となっています。

  • 《建勲神社》「拝殿付近」…社務所

    《建勲神社》「拝殿付近」…社務所

  • 《建勲神社》「拝殿付近」扁額

    《建勲神社》「拝殿付近」扁額

  • 《建勲神社》「拝殿付近」…自動車お祓い所

    《建勲神社》「拝殿付近」…自動車お祓い所

  • 《建勲神社》「芭蕉句碑」…はら中や 物にもつかず 鳴く雲雀

    《建勲神社》「芭蕉句碑」…はら中や 物にもつかず 鳴く雲雀

  • 《妙法寺》「建勲神社」の石鳥居の階段を降りると右手に「妙法寺」があります。「妙法寺」は、「智亮院日紹上人」によって享保14年(1729年)に創建された寺院です。当初は、「観月庵」としていましたが、明治時代に「妙法寺」に寺号を改めました。

    《妙法寺》「建勲神社」の石鳥居の階段を降りると右手に「妙法寺」があります。「妙法寺」は、「智亮院日紹上人」によって享保14年(1729年)に創建された寺院です。当初は、「観月庵」としていましたが、明治時代に「妙法寺」に寺号を改めました。

  • 《妙法寺》「妙法寺」には、奥羽越列藩同盟の中でも庄内藩に敵視された天童織田藩家老「吉田大八」が切腹した場所の「観月庵」があります。室内には「吉田大八」切腹の時の血染めの天井がそのまま使用されており、「吉田大八」の遺品なども展示されています。ちなみに、「奥羽越列藩同盟」は、戊辰戦争中に陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮「北白川宮能久親王」を盟主とし、新政府の圧力に対抗するために結成された同盟のことです。

    《妙法寺》「妙法寺」には、奥羽越列藩同盟の中でも庄内藩に敵視された天童織田藩家老「吉田大八」が切腹した場所の「観月庵」があります。室内には「吉田大八」切腹の時の血染めの天井がそのまま使用されており、「吉田大八」の遺品なども展示されています。ちなみに、「奥羽越列藩同盟」は、戊辰戦争中に陸奥国(奥州)、出羽国(羽州)、越後国(越州)の諸藩が、輪王寺宮「北白川宮能久親王」を盟主とし、新政府の圧力に対抗するために結成された同盟のことです。

  • 《佛向寺》「佛向寺」は弘安元年(1287年)、天童市大字大清水字二階堂に「一向上人」によって開かれました。「一向上人」は、浄土宗第三祖「良忠上人」の弟子で、後に時宗一向派の祖となった念仏者です。

    《佛向寺》「佛向寺」は弘安元年(1287年)、天童市大字大清水字二階堂に「一向上人」によって開かれました。「一向上人」は、浄土宗第三祖「良忠上人」の弟子で、後に時宗一向派の祖となった念仏者です。

  • 《佛向寺》由緒板…「一向上人」が「佛向寺」を創建するキッカケとなったのは、出羽国の伊予守「源頼直」が、鎌倉にいたころ、「一向上人」の高徳を伝え聞き、ぜひ出羽国で教化していただきたいとの願いを伝えたところ、武蔵の国から数万の信者とともに念仏を唱え奥州路を教化しつつ天童にきたそうです。

    《佛向寺》由緒板…「一向上人」が「佛向寺」を創建するキッカケとなったのは、出羽国の伊予守「源頼直」が、鎌倉にいたころ、「一向上人」の高徳を伝え聞き、ぜひ出羽国で教化していただきたいとの願いを伝えたところ、武蔵の国から数万の信者とともに念仏を唱え奥州路を教化しつつ天童にきたそうです。

  • 《佛向寺》見どころとしては、「一向上人」が教化し苦しみから救い取ったという龍女を祀る「龍神堂」が境内にあり、雨乞いの神として信仰され、旱魃になると雨乞いの供養が行われるそうです。その他に、天童で将棋駒が作られるきっかけをつくったと言われる天童織田藩の家老「吉田大八」の墓もあります。

    《佛向寺》見どころとしては、「一向上人」が教化し苦しみから救い取ったという龍女を祀る「龍神堂」が境内にあり、雨乞いの神として信仰され、旱魃になると雨乞いの供養が行われるそうです。その他に、天童で将棋駒が作られるきっかけをつくったと言われる天童織田藩の家老「吉田大八」の墓もあります。

  • 《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》明治12年(1879年)10月に「東村山郡役所」として建てられました。「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」が、現在の姿になったのは、昭和60年(1985年)の復元工事です。そして、昭和61年(1986年)に、資料館としてリニューアルしました。

    《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》明治12年(1879年)10月に「東村山郡役所」として建てられました。「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」が、現在の姿になったのは、昭和60年(1985年)の復元工事です。そして、昭和61年(1986年)に、資料館としてリニューアルしました。

  • 《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》現在は資料館として、第一展示室から第五展示室まであり、天童織田藩関連資料や明治維新前後の資料を中心に、240点余りを展示しています。また、「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」は、明治時代の洋風建築の面影を残すものとして、昭和47年(1972年)に山形県の有形文化財に指定されました。

    《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》現在は資料館として、第一展示室から第五展示室まであり、天童織田藩関連資料や明治維新前後の資料を中心に、240点余りを展示しています。また、「天童市立旧東村山郡役所資料館(天童織田の里歴史館)」は、明治時代の洋風建築の面影を残すものとして、昭和47年(1972年)に山形県の有形文化財に指定されました。

  • 《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》敷地の中央には「明治天皇行在所」の石碑もあります。これは、明治14年(1881年)9月、明治天皇は、東北地方二度目の巡幸のときに、「東村山郡役所」で昼食休憩を取られたのを記念して建立された石碑です。

    《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》敷地の中央には「明治天皇行在所」の石碑もあります。これは、明治14年(1881年)9月、明治天皇は、東北地方二度目の巡幸のときに、「東村山郡役所」で昼食休憩を取られたのを記念して建立された石碑です。

  • 《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》「明治天皇行在所」の石碑

    《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》「明治天皇行在所」の石碑

  • 《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》

    《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》

  • 《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》特に、漆喰壁、瓦ぶき、ステンドグラスなどその美しい佇まいには感動しました。

    《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》特に、漆喰壁、瓦ぶき、ステンドグラスなどその美しい佇まいには感動しました。

  • 《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》からの眺め

    《天童市立旧東村山郡役所資料館」(天童織田の里歴史館)》からの眺め

  • 《出羽桜酒造》残念なことに、楽しみにしていたうちの一つの「出羽桜酒造」の酒造見学が、3月16日に発生した労働災害事故のため、安全確保の観点から、当面の間、酒蔵見学の受付を停止していました。ただし、日にちが限られた「通常ツアー」と「プライベートツアー」はあります。

    《出羽桜酒造》残念なことに、楽しみにしていたうちの一つの「出羽桜酒造」の酒造見学が、3月16日に発生した労働災害事故のため、安全確保の観点から、当面の間、酒蔵見学の受付を停止していました。ただし、日にちが限られた「通常ツアー」と「プライベートツアー」はあります。

  • 《出羽桜酒造》お酒を購入しようと思っていた隣接してある「丸十仲野酒店」も月曜日定休でした。

    《出羽桜酒造》お酒を購入しようと思っていた隣接してある「丸十仲野酒店」も月曜日定休でした。

  • 《出羽桜酒造》ちなみに、日にちが限られた「プライベートツアー」は、平日の「900~、1300~、1330~、1400~」に実施していますが、「通常ツアー」が一人1,500円なのに対して、「プライベートツアー」は、1~6名様で20,000円です。当然夫婦二人でも20,000円です。

    《出羽桜酒造》ちなみに、日にちが限られた「プライベートツアー」は、平日の「900~、1300~、1330~、1400~」に実施していますが、「通常ツアー」が一人1,500円なのに対して、「プライベートツアー」は、1~6名様で20,000円です。当然夫婦二人でも20,000円です。

  • 《出羽桜酒造》外観風景

    《出羽桜酒造》外観風景

  • 《出羽桜酒造》外観風景

    《出羽桜酒造》外観風景

  • 《出羽桜酒造》外観風景

    《出羽桜酒造》外観風景

  • 《そば処 一庵》「出羽桜酒造」を過ぎれば300mくらいのところにあります。天童市内には人はほとんどいませんでしたが、ここだけは別世界の行列ができていました。

    《そば処 一庵》「出羽桜酒造」を過ぎれば300mくらいのところにあります。天童市内には人はほとんどいませんでしたが、ここだけは別世界の行列ができていました。

  • 《そば処 一庵》メニュー「一庵そば」は、天童市の人気店で、絶えず行列ができているお店です。行った日が月曜日にもかかわらず、長蛇の列で20分ほど並ぶのを覚悟していましたが、運よく10分後に座敷席なら空いているということで入店できました。あいにくこの日の天童市の気温は28℃もあり並んでいるだけで汗がでました。しかし、入店し、飲食すると一気にそのようなことを忘れてしまいました。

    《そば処 一庵》メニュー「一庵そば」は、天童市の人気店で、絶えず行列ができているお店です。行った日が月曜日にもかかわらず、長蛇の列で20分ほど並ぶのを覚悟していましたが、運よく10分後に座敷席なら空いているということで入店できました。あいにくこの日の天童市の気温は28℃もあり並んでいるだけで汗がでました。しかし、入店し、飲食すると一気にそのようなことを忘れてしまいました。

  • 《そば処 一庵》メニュー…「そば処 一庵」のおすすめは何といっても「一庵そば」です。

    《そば処 一庵》メニュー…「そば処 一庵」のおすすめは何といっても「一庵そば」です。

  • 《そば処 一庵》「一庵そば」には、そばのタレは二種類ついていました。一つが甘みと鶏の旨味が楽しめる冷たい肉そばのタレです。もう一つが醤油の風味に鰹の香のもりそばのタレです。それだけではありません。しかも、「げそ天」や「野菜の天ぷら」もついて、なんと値段は950円です。

    《そば処 一庵》「一庵そば」には、そばのタレは二種類ついていました。一つが甘みと鶏の旨味が楽しめる冷たい肉そばのタレです。もう一つが醤油の風味に鰹の香のもりそばのタレです。それだけではありません。しかも、「げそ天」や「野菜の天ぷら」もついて、なんと値段は950円です。

  • 《そば処 一庵》天ぷら盛り合わせで、イカのげその天ぷらが美味しかったです。カボチャも甘みがありました。

    《そば処 一庵》天ぷら盛り合わせで、イカのげその天ぷらが美味しかったです。カボチャも甘みがありました。

  • 《そば処 一庵》「一庵そば」

    《そば処 一庵》「一庵そば」

  • 《そば処 一庵》「一庵そば」…冷たい肉そばのタレです。

    《そば処 一庵》「一庵そば」…冷たい肉そばのタレです。

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の入口付近…天童に来た目的は、満開の桜を見ることだけでなく、芸術性に富んだ家具を製作している「天童木工」の「ショールーム&ストア」へ行くことです。

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の入口付近…天童に来た目的は、満開の桜を見ることだけでなく、芸術性に富んだ家具を製作している「天童木工」の「ショールーム&ストア」へ行くことです。

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の外観(押切川から撮影)…「天童木工」の本社敷地内にある「ショールーム&ストア」は、予約の必要もなく、誰でも自由に見学することができ、もちろん気に入ったものがあれば購入することもできます

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の外観(押切川から撮影)…「天童木工」の本社敷地内にある「ショールーム&ストア」は、予約の必要もなく、誰でも自由に見学することができ、もちろん気に入ったものがあれば購入することもできます

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の1Fに展示してあった木製の車、後ろの階段から「ショールーム&ストア」へ行きます。

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の1Fに展示してあった木製の車、後ろの階段から「ショールーム&ストア」へ行きます。

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の1Fに展示してあった木製の車、スポーツカーでしょうか?

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の1Fに展示してあった木製の車、スポーツカーでしょうか?

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…レクサスのハンドルも製作しています。

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…レクサスのハンドルも製作しています。

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…ホンダの自動車の部品も制作していいす。

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…ホンダの自動車の部品も制作していいす。

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…「天童木工」の歴史を遡ってみると、「天童木工」は昭和15年(1940年)に現在の天童市近郊の建具・家具職人らが集まり、組合を組織したことから始まった家具メーカーです。

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…「天童木工」の歴史を遡ってみると、「天童木工」は昭和15年(1940年)に現在の天童市近郊の建具・家具職人らが集まり、組合を組織したことから始まった家具メーカーです。

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(オフィス関係)

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(オフィス関係)

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(オフィス関係)

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(オフィス関係)

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(オフィス関係)

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(オフィス関係)

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(将棋の駒)

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(将棋の駒)

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(木製の自転車)

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景(木製の自転車)

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…「天童木工」は、日本でいち早く成形合板を実用化し、また、デザイナーや建築家たちとのコラボによる作品も有名です。特に、バタフライスツールの原型をデザインした「柳 宗理」は誰でも知っていますよね。知らなくても色々な場所で目にしているはずです。

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…「天童木工」は、日本でいち早く成形合板を実用化し、また、デザイナーや建築家たちとのコラボによる作品も有名です。特に、バタフライスツールの原型をデザインした「柳 宗理」は誰でも知っていますよね。知らなくても色々な場所で目にしているはずです。

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…柏戸イス

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…柏戸イス

  • 《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…ムライスツール

    《天童木工》「ショールーム&ストア」の展示風景…ムライスツール

  • 《押切川沿いの桜並木》「天童木工」を見学したあとすぐそばにある「押切川沿いの桜並木」を発見しました。県道22号と国道13号の間、約600mほど続く桜並木です。桜の木も大きく花もたわわにつけていて見ごたえ十分でした。

    《押切川沿いの桜並木》「天童木工」を見学したあとすぐそばにある「押切川沿いの桜並木」を発見しました。県道22号と国道13号の間、約600mほど続く桜並木です。桜の木も大きく花もたわわにつけていて見ごたえ十分でした。

  • 《押切川沿いの桜並木》実は、国道13号の先の川沿いも続いていました。もし、天童に桜を見に行ったら是非訪れて欲しいスポットです。

    《押切川沿いの桜並木》実は、国道13号の先の川沿いも続いていました。もし、天童に桜を見に行ったら是非訪れて欲しいスポットです。

  • 《押切川沿いの桜並木》アクセスは、JR「乱川駅」(奥羽本線)を出て、天童方面へ戻ります。JR奥羽本線の線路沿いに300mほど進むと四つ目の角があるのでそこを左折し、直進すると県道22号の信号が100m先にあります。信号を渡り、さらに天童方面に250mほど進むと左手に「天童木工」の「ショールーム&ストア」があります。そのすぐ先に「押切川」があります。

    《押切川沿いの桜並木》アクセスは、JR「乱川駅」(奥羽本線)を出て、天童方面へ戻ります。JR奥羽本線の線路沿いに300mほど進むと四つ目の角があるのでそこを左折し、直進すると県道22号の信号が100m先にあります。信号を渡り、さらに天童方面に250mほど進むと左手に「天童木工」の「ショールーム&ストア」があります。そのすぐ先に「押切川」があります。

  • 《押切川沿いの桜並木》

    《押切川沿いの桜並木》

  • 《押切川沿いの桜並木》

    《押切川沿いの桜並木》

  • 《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》ハワイの海沿いにあるお店の外観です。

    《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》ハワイの海沿いにあるお店の外観です。

  • 《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》看板

    《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》看板

  • 《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》お薦めのパンケーキ、コーンフレークが山のようにかかってたいます。

    《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》お薦めのパンケーキ、コーンフレークが山のようにかかってたいます。

  • 《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》メイプルシロップがかかっています。

    《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》メイプルシロップがかかっています。

  • 《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》ミルクが添えられていてかけると味変するそうです。

    《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》ミルクが添えられていてかけると味変するそうです。

  • 《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》ハワイのコナコーヒー

    《「ハワイアンカフェ・ルアナ&ラナイ」》ハワイのコナコーヒー

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》桜の満開に合わせた日帰り旅行だったので、「倉津川」沿いのしだれ桜は、夜のライトアップにもなっている「飛車橋」から「倉津川」沿いをJR「天童駅」方面に戻るような感じで散策しました。

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》桜の満開に合わせた日帰り旅行だったので、「倉津川」沿いのしだれ桜は、夜のライトアップにもなっている「飛車橋」から「倉津川」沿いをJR「天童駅」方面に戻るような感じで散策しました。

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》「銀将」の駒の架かっている付近の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》「銀将」の駒の架かっている付近の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》「銀将」の駒の架かっている

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》「銀将」の駒の架かっている

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》天童市役所から天童温泉の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》天童市役所から天童温泉の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「王将」

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「王将」

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川両岸の枝垂れ桜

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「王将」

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「王将」

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「王将」

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「王将」

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「王将」

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「王将」

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「一ツ橋」

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「一ツ橋」

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「旭橋」

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「旭橋」

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「多嘉橋」…ここが天童駅方面に向かって枝垂れ桜並木の最終地点です。

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「多嘉橋」…ここが天童駅方面に向かって枝垂れ桜並木の最終地点です。

  • 《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「多嘉橋」の説明板

    《「倉津川沿いの枝垂れ桜並木」》倉津川に架かる将棋の駒「多嘉橋」の説明板

  • 《「ホテル天童」前の足湯》天童市が設置している足湯です。15分くらいつかると旅の疲れがすっかり取れました。

    《「ホテル天童」前の足湯》天童市が設置している足湯です。15分くらいつかると旅の疲れがすっかり取れました。

  • 《「ホテル天童」前の足湯》道路の反対側から撮影しました。こんな感じですので見逃さないようにしてください。

    《「ホテル天童」前の足湯》道路の反対側から撮影しました。こんな感じですので見逃さないようにしてください。

  • 《「ホテル天童」前の足湯》無料で入れますからご安心を!

    《「ホテル天童」前の足湯》無料で入れますからご安心を!

  • 《「王将の巨大モニュメント」》

    《「王将の巨大モニュメント」》

  • 《「王将の巨大モニュメント」》

    《「王将の巨大モニュメント」》

  • 《「手打 水車生そば」》の外観

    《「手打 水車生そば」》の外観

  • 《「手打 水車生そば」》の外観…「手打 水車生そば」の創業は、文久元年(1861年)の歴史ある蕎麦の老舗です。また、「鳥中華」は、平成26年(2014年)に「BRUTUSお取り寄せグルメ」で準グランプリを獲得しました。私も初耳でしたが、テレビでたまたま山形の特集をやっていて、山形県民はラーメンが大好きで、ラーメン消費量は日本一だそうです。

    《「手打 水車生そば」》の外観…「手打 水車生そば」の創業は、文久元年(1861年)の歴史ある蕎麦の老舗です。また、「鳥中華」は、平成26年(2014年)に「BRUTUSお取り寄せグルメ」で準グランプリを獲得しました。私も初耳でしたが、テレビでたまたま山形の特集をやっていて、山形県民はラーメンが大好きで、ラーメン消費量は日本一だそうです。

  • 《「手打 水車生そば」》の外観

    《「手打 水車生そば」》の外観

  • 《「手打 水車生そば」》の外観

    《「手打 水車生そば」》の外観

  • 《「手打 水車生そば」》の外観

    《「手打 水車生そば」》の外観

  • 《「手打 水車生そば」》の外観

    《「手打 水車生そば」》の外観

  • 《「手打 水車生そば」》のメニュー

    《「手打 水車生そば」》のメニュー

  • 《「手打 水車生そば」》の外観…「鳥中華」は、もともとはまかない食として、蕎麦に使う和風だしと鶏肉を使って食べていたラーメンのことです。「鳥中華」の麺はラーメンですが、スープは純和風のあっさりした中華そばで、鶏肉、天かす、海苔がトッピングしてあり、こしょうを効かせたちょっとピリ辛味です。

    《「手打 水車生そば」》の外観…「鳥中華」は、もともとはまかない食として、蕎麦に使う和風だしと鶏肉を使って食べていたラーメンのことです。「鳥中華」の麺はラーメンですが、スープは純和風のあっさりした中華そばで、鶏肉、天かす、海苔がトッピングしてあり、こしょうを効かせたちょっとピリ辛味です。

  • 《「手打 水車生そば」》の外観

    《「手打 水車生そば」》の外観

  • 《「中央公園」》案内の石碑

    《「中央公園」》案内の石碑

  • 《「中央公園」》入口付近

    《「中央公園」》入口付近

  • 《「中央公園」》入口付近科の桜と山の風景

    《「中央公園」》入口付近科の桜と山の風景

  • 《「中央公園」》公園内の桜、ソメイヨシノと枝垂れ桜の競演

    《「中央公園」》公園内の桜、ソメイヨシノと枝垂れ桜の競演

  • 《「中央公園」》公園内の桜、ソメイヨシノと枝垂れ桜の競演

    《「中央公園」》公園内の桜、ソメイヨシノと枝垂れ桜の競演

  • 《「中央公園」》公園内の桜、ソメイヨシノ

    《「中央公園」》公園内の桜、ソメイヨシノ

  • 《「中央公園」》公園内の桜、ソメイヨシノ

    《「中央公園」》公園内の桜、ソメイヨシノ

  • 《「中央公園」》公園内にあるオブジェ

    《「中央公園」》公園内にあるオブジェ

  • 《「中央公園」》公園内にあるオブジェ

    《「中央公園」》公園内にあるオブジェ

  • 《「中央公園」》公園内にあるオブジェ

    《「中央公園」》公園内にあるオブジェ

  • 《「中央公園」》公園内にあるオブジェ

    《「中央公園」》公園内にあるオブジェ

  • 《天童駅》帰りは、17:49発のつばさ156号東京行きに乗ります。分りやすい表示がされていました。

    《天童駅》帰りは、17:49発のつばさ156号東京行きに乗ります。分りやすい表示がされていました。

  • 《天童駅》乗車ホームから反対側のホームを撮影しました。

    《天童駅》乗車ホームから反対側のホームを撮影しました。

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