金沢旅行記(ブログ) 一覧に戻る
古都金沢を訪ねたのは、令和6年3月7日から3月9日の2泊3日です。金沢の観光名所は、中心地付近に凝縮されていて、非常に効率的に見て回ることができました。また、ホテルからほとんどの観光地が歩いて行くことができる距離にあり、見て回る場所を事前に調べておけば、バスはほとんど利用する必要はありませんでした。そんな関係で、短い旅行期間でしたが、数多くの名所旧跡や地元のグルメを楽しむことができました。ちなみに、名所・旧跡等は34か所、グルメ等は5か所まわり、旅行記は1回ではとてもレポートすることができないので、3回に分けて投稿したいと思います。<br />まず、第一日目は、「羽田空港」を8:25発の飛行機で「小松空港」へ向かいました。「小松空港」へは、定刻より若干早く到着し、空港リムジンバスに乗車して「金沢駅」(西口)に向かいました。「金沢駅」(西口)からは、ホテルの送迎バスでホテルまで行き、荷物を預けて、昼食はすぐそばにある「近江町市場」にある「近江町市場寿し新店」でお寿司を食べました。昼食後に、「武蔵ケ辻・近江町市場」バス停から北鉄バスに乗り、「石川県立図書館」へ向かいました。「石川県立図書館」は、市内から少し離れた場所にあるので、観光地を巡る戦略上、最初の目的地としました。「石川県立図書館」には、「カフェ ハムアンドゴー」が併設されていて小休止しました。次に、訪れたのは名勝「兼六園」です。「石川県立図書館」バス停から北鉄バスに乗り、「兼六園下・金沢城」バス停で下車しました。「兼六園下・金沢城」バス停の前にある「石川県観光物産館」で思いもよらぬお土産をゲットできました。日本酒の「Kiss of Fire」が偶然にも売っていたのです。「Kiss of Fire」は、「鹿野酒造」が輸出用に開発した日本酒で、ノーベル賞受賞ナイトキャップパーティや「ルイヴィトン」のニューイヤーパーティーにも使用されたことが名酒です。それから名勝「兼六園」へ向かいました。「兼六園」と「金沢城公園」は、「石川橋」を隔てた場所にありますが、まずは、名勝「兼六園」へ行きました。「令和6年能登半島地震」の関係で、「兼六園」では、「霞ケ池」を一望できる「栄螺山」に上ることができませんでした。次に、訪れたのが「金沢城公園」(金沢城)です。「金沢城公園」(金沢城)では、「令和6年能登半島地震」による影響で、石垣の一部に崩れや前倒れが発生し、制限がありましたが、遠回りをすると見学できるので安心してください。ただ、「金沢城公園」(金沢城)は、広いので「鼠多門」と「玉泉院丸庭園」は、翌日「尾山神社」へ行った際に立ち寄ることにしました。「兼六園下・金沢城」バス停の戻り、ホテルのある「武蔵ケ辻・近江町市場」バス停まで行き、「近江町市場」の「エムザ口」がら入って市場を横切り、「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」へ向かいました。ホテルでチェックインを済ませ、「近江町市場」の「近江町いちば館」にある「旬彩和食 口福」でカニ料理のコースを食べました。これが第一日目のおおまかな旅程です。<br /><br />《第一日目の見学等の順路》<br />①「近江町市場寿し新店」⇒②「石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)」⇒③「HUM&amp;Go#石川県立図書館カフェ」⇒④「兼六園」⇒⑤「成巽閣」⇒⑥「金沢城公園」(金沢城)⇒⑦「旬彩和食 口福」⇒⑧「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」⇒⑨「JR金沢駅」の夜のライトアップ<br /><br />では、観光地や地元の飲食店の詳しいレポートをしていきたいと思います。まずは、「近江町市場」でのランチです。<br />【①「近江町市場寿し新店」】<br />「近江町市場寿し新店」へのアクセスは、「近江町市場」の「むさし口」から入り、50mほど進むと左手にあります。「近江町市場」へ行った時間帯が11:00頃でしたので、飲食店は平日にもかかわらず、どの店も結構人が並んでいました。当初は、「まわる寿し もりもり寿し 近江町店」で食べる予定でしたが、10人以上の列があったので、別の店を探すことにしました。リーズナブルな値段で「のどぐろ」が食べられるお店を探しました。「まわる寿し もりもり寿し 近江町店」から20~30m離れたところに「」がありました。メニューの看板をみると「のど黒・ウニ入りぜいたく握り(12貫)あら汁付き」というお寿司の盛り合わせが、良心的な値段であったので、入ることにしました。10分ほど待ち、店内に入ることができました。店内は狭く、テーブル数も余りありませんでしたが、結構外国人のお客がいました。外国のガイドブックに載っているお店なのでしょうか。もちろん、私たち夫婦は、「のど黒・ウニ入りぜいたく握り(12貫)あら汁付き」を頼みました。お茶やお水はセルフサービスです。そうこうするうちに、お寿司が運ばれてきました。しかし、周囲を見渡すと8割がたのお客が「海鮮丼」系の丼物を食べていました。もしかして、このお店は、「海鮮丼」系の丼物が美味しいお店なのかもしれません。しかし、お寿司を食べてみると、当たり前のことかも知れませんが、ネタも新鮮で臭みもなく、美味しく食べることができました。特に、12貫のなかで一番おいしそうに見えなかったお寿司を最初に食べると、これが一番美味しかったのでした。家内も同じ意見でした。シャリも大きく、12貫で満腹になりました。会計の時に店の女将に何か尋ねてみると、色々な魚の中落ちを漬けたものだそうです。お腹も満たされたところで、次の目的地である「石川県立図書館」へ向かいます。<br /><br />②【石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)】<br />「武蔵ケ辻・近江町市場」バス停の3番のりばから11:41発の「北陸鉄道 [11]錦町B 石川県立図書館行」に乗り、「石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)」へ向かいました。「石川県立図書館」停留所へ着いたのが、12:05で「石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)」は目の前に到着します。<br />「石川県立図書館」は、令和4年(2022年)7月に移転・開館しました。以前は、「金沢21世紀美術館」の近くにありましたが、老朽化に伴い金沢大学工学部の跡地である現在の地へ移転しました。新しくなった「石川県立図書館」は、「百万石ビブリオバウム」という愛称でも知られています。「百万石」は「加賀百万石」に由来し、建物の規模や収蔵能力の多さを表しています。「ビブリオ」は図書、バウムは「木」の意味です。「石川県立図書館」は、建築家の「仙田満」率いる「環境デザイン研究所」が設計し、外壁のガラスとパネルが折り重なり、本のページをめくるような特徴的な外観と、弁柄色と群青色が用いられた天井が印象的です。そして、4階まで吹き抜けた円形閲覧空間が内部に広がります。360°本に囲まれ、空中に浮かぶような「ブリッジ」のほか、家具デザイナー監修による500以上の閲覧席など見どころ満載です。「石川県立図書館」は、12テーマを集めた本棚には、約110万冊の蔵書が収蔵され、その他多彩なイベント・ワークショップ、デジタルアートやモノづくり体験などを経験することができます。本棚は木の年輪が重なるようなイメージで最上階から1階へと、曲線を描いて連なっています。そして、本棚から本棚へ、階段を上ったり、スロープで移動したりすることができます。スターウオーズ出てくる宇宙船のようです。「石川県立図書館」を一望でき、何とってもお薦めは、「閲覧エリア」を中央で結ぶ3階の「ブリッジ」です。閲覧エリアを360度見渡すことができ、改めて規模の大きさを実感します。そして、「ブリッジ」の通路にはソファが設置されていて休憩をしたり、読書しながら旅の疲れも忘れてゆっくりと過ごすことができます。それと4階には、「リング」と呼ばれる1周約160メートルの回廊式の閲覧空間があります。このコーナーには貴重な歴史資料や、文芸界を彩った過去の文豪や作家たちの名作なども置かれています。うれしいことに所々に本の歴史や世界観を紹介する「ミニコーナー」も設置されています。そして、館内にはこのほか、500以上のおしゃれなソファや椅子がいたるところに設置されています。種類も豊富で、デスクタイプの席から、カフェで見かけるようなハンギングタイプの椅子、現代アートのような個性的なデザインの椅子、そして九谷焼の絵付けに用いられる加賀五彩を背もたれに用いた椅子まで多彩です。全部は無理かもしれませんが、それらの椅子に座り、ゆっくり時間を過ごすのもいいかもしれません。「石川県立図書館」の1Fには、県内の人気カフェ「ハムアンドゴー」が併設されています。石川県立図書館カフェ限定のドリンクが「図書館ブレンドコーヒー」もありました。<br /><br />③【「HUM&amp;Go#石川県立図書館カフェ」】<br />「石川県立図書館」には、「HUM&amp;Go#石川県立図書館カフェ」が併設されていて、ランチは食べたものの、喉が渇いたので、そこで小休止しました。「HUM&amp;Go#石川県立図書館カフェ」は、「石川県立図書館」のオープンと同時に併設されたオシャレなカフェです。石川県内に複数店舗を構える人気のお店です。座敷の席があったりしてくつろぐこともできます。お店にいるだけでもおしゃれな店内の雰囲気を楽しめます。「石川県立図書館」は結構広いので見学した後に、朝から移動づくめでちょっと疲れたし、お茶でもしようかということになりました。また、「石川県立図書館」に入る前に、「HUM&amp;Go#石川県立図書館カフェ」の店の入口付近にあった看板の「プリンアフォガード」が、とても美味しそうな昔ながらの硬めのプリンのように見えたので、入ることにしました。私は、「自家製プリン」、そして家内は「プリンアフォガード」と「レモンスカッシュ」を注文しました。「プリンアフォガード」には、エスプレッソ―がプリンの味を引き立てるためついていました。私は飲み物を注文しなかったので、一口「レモンスカッシュ」を飲ませてもらいました。「レモンスカッシュ」は、まるでレモンを飲んでいるようでした。また、「自家製プリン」は、昔を思い出すような固めで弾力のあるプリンでした。もちろん、メニューも豊富で、軽食もあり、テイクアウトもできるので、「石川県立図書館」の前にはのイートインスペースで、椅子に座り周囲の風景を見ながら食べることができます。<br /><br />④【「兼六園」】<br />「HUM&amp;Go#石川県立図書館カフェ」でお茶をした後に、名勝「兼六園」へ向かいました。「崎浦・県立図書館口」バス停13:50発の「北陸鉄道 [11]錦町B金沢駅前〔東口〕行」に乗り、「兼六園下・金沢城」バス停に14:04に到着し、「兼六園」の「桂坂口」へ向かいました。「兼六園」の「桂坂口」までは徒歩4分280mほどの距離です。。反対側は「金沢城」の「石川門」です。ちなみに、「兼六園」の入口は、「桂坂口」、「蓮池門口」、「真弓坂口」、「随身坂口」、「小立野口」、「上坂口」、「桜ヶ岡口」の七か所あります。この中で「金沢城公園」と直結する「桂坂口」、「金沢21世紀美術館」とは交差点の対角線上に位置する「真弓坂口」、これらの2つの料金所の間に位置し、「兼六園」の「正門」とされている「蓮池門口」を合わせた3つの料金所が平地に位置する料金所となっていますこの料金所は最も利用者の多い桂坂口の近くに位置しています。「桂坂口」はゴールデンウイークなどの行楽シーズンには長蛇の列になることが多く、「桂坂口」に長蛇の列ができている時は、「桜ヶ岡口」に回ると早く入園できるかもしれません。ちなみに、「桜ヶ岡口」へは、「兼六園観光案内所」と「九谷焼片岡光山堂」の坂道を110mほど上ると右手にあります。<br />最初に、「兼六園」の歴史と概要を紐解いてみると、「兼六園」は、水戸の「偕楽園」、岡山の「後楽園」とならぶ「日本三名園」の一つで、国の特別名勝に指定されています。「兼六園」は、敷地面積が約11.4万㎡と広大で、園内を廻遊して鑑賞する「林泉廻遊式庭園」となっています。「兼六園」は江戸時代の代表的な「大名庭園」として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。そして、12代藩主となった「前田斉広」は文政5年(1822年)に、藩校の跡地に自己の隠居所として「竹沢御殿」を造営し、同文政5年(1822年)、「兼六園」と命名しました。そして、13代 藩主「前田斉泰」は、「竹沢御殿」を取り壊し、庭を拡張・整備し、万延元年(1860年)には、「蓮池庭」との間にあった門と塀を取りこわして、一大庭園につくりあげました。さらに、文久3年(1863年)には、母「真龍院」の隠居所として「巽御殿」(現在の「成巽閣」)が造営され、ほぼ現在の庭の形になりました。明治時代に入ると、「兼六園」は」は全面的に市民へ開放され、それにあわせて多くの茶店が出店しました。大正11年(1922年)、国の「名勝」に指定された「兼六園」は、昭和60年(1985年)には「名勝」から「特別名勝」へと格上げされ、庭園の国宝とも言える最高の格付けを得ました。そして、冬の風物詩の「雪吊り」や梅苑の紅梅白梅など四季折々の自然を活かした景観は屈指の美しさと評されており、平成21年(2009年)には「ミシュラン観光ガイド」で最高評価の3つ星に選ばれました。ちなみに、「雪吊り」は雪の重みから枝を守るために、木を「りんご吊り」などの方法で縛り上げるというものです。<br /><br />《「兼六園」お薦め散策巡路》<br />「兼六園」の「桂坂口」から入園したので、次のような見学順路で「兼六園」を散策してみました。<br />①「眺望台」⇒②「霞ヶ池」⇒③「徽軫灯籠」⇒④「唐崎松」⇒⑤「雁行橋」⇒⑥「七福神山」⇒⑦「明治紀念之標」⇒⑧「根上松」⇒⑨「花見橋」(曲水)⇒⑩「鶺鴒島」⇒⑪「山崎山」⇒⑫「成巽閣」(別途料金)⇒⑬「内橋亭」⇒⑭「栄螺山」⇒⑮「時雨亭」⇒⑯「夕顔亭」と「伯牙断琴の手水鉢」⇒⑰「翠滝」⇒⑱「瓢池」⇒⑲「海石塔」⇒⑳「噴水」<br />★「金沢城公園」(石川門)へは、「桂坂口」へ、「金沢21世紀美術館」へは「真弓口」が便利です。<br /><br />では、「兼六園」の散策のスタートです。<br />《①「眺望台」》<br />まず、「桂坂口」で入園券を購入し、「眺望台」へ向かいました。徒歩約3分150mの距離です。「眺望台」付近には、ベンチが7脚ほどあり、金沢市内などが一望できる絶好の景色を座って、ゆっくり堪能することができます。「眺望台」は、「六勝」の一つである「眺望」を楽しむのに最適な場所です。金沢市内ばかりでなく、遠くに、白山山系の一部、戸室山、医王山を望むことができ、正面には卯辰山、その手前には市街地がつづきます。また、その向こうには加賀平野が広がり、さらに、河北潟や内灘砂丘、日本海、能登半島なども眺めることができる絶好のビューポイントです。<br /><br />《②「霞ヶ池」⇒③「徽軫灯籠」⇒④「唐崎松」⇒⑤「雁行橋」》<br />次が、「眺望台」の反対側にある「霞ヶ池」付近です。まず、「徽軫灯籠」ですが、「徽軫灯籠」の手前辺りから「霞ヶ池」の全体の景観を見渡すことできます。「霞ヶ池」は、「兼六園」のほぼ中心部に位置する園内で最大の池です。「霞ヶ池」の「面積」は約5800㎡、「深さ」は最も深いところで1.5mあるそうです。「栄螺山」、「内橋亭」、「徽軫灯籠」、「虹橋」、「唐崎松」、「蓬莱島」などの見どころがこの「霞ヶ池」の周辺にあり、「霞ヶ池」の周りを廻遊しながら庭景を楽しむことができます。「徽軫灯籠」の後ろには、「徽軫灯籠」の傍らにあるもみじの古木、曲水に架かる「虹橋」と一体になった風景は、「兼六園」を代表する景観になっているので、一旦足を止めて是非じっくり見てください。<br />「徽軫灯籠」は、「霞ヶ池」の北岸に配された「兼六園」を代表する景観です。「眺望台」から徒歩で、1分50mほどの距離です。「徽軫灯籠」は足が二股になっていて、琴の糸を支える「琴柱」(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための「雪見灯籠」が変化したもので、高さは2.67mあります。一脚は水中にあって高さが2m、陸にあるもう一方は、高さが80cmです。そして、この不均衡さが美しいといわれています。また、「徽軫灯籠」の右手奥には、「虎石」があります。「虎石」は、文字どおり、虎が前足を低くして吠える姿を連想させることから、この名が付けられました。「虎石」は、能登外浦の曽々木か福浦あたりから持ち込まれた自然石であると言われています。「虎石」は、「兼六園」を守護する魔除けの石の一つで、薄暗い夕方などに見ると、あたかも生きているかのように見えるそうです。<br />「虹橋」を渡り40mほど進むと右手に「唐崎松」があります。「唐崎松」は、「月見橋」のそばにあり「霞ヶ池」に面して立って生い茂っている松で、「兼六園」のなかで最も枝ぶりの見事な松で、地面をはうように広がっています。13代藩主「前田斉泰」が近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松です。特に、「兼六園」ならではの冬の風物詩である「雪吊り」は、雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬にほどこされ、他の庭園では見ることができないそうです。<br />「雁行橋」は、11枚の「赤戸室石」を使用し、雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどった橋で、「唐崎松」から80mほどの距離にあります。また、石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われています。万年を生きる亀にちなんで、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、残念ながら通行禁止です。ちなみに、「戸室石」は、石川県金沢市東部の「医王山」、「戸室山」や「キゴ山」で採掘されます。<br /><br />《⑥「七福神山」》<br />「七福神山」は、「雁行橋」から60mほど先にあり、近くに「兼六園」の「上坂口」の入口があります。「七福神山」は、12代藩主「前田斉広」が造営した「竹沢御殿」に附帯していた庭園の一部です。「七福神山」は、別名「福寿山」とも呼ばれ、「曲水」、「築山」、「雪見灯籠」など、当時の雰囲気をそのまま今に伝えています。また、「七福神」になぞらえた七つの石を配置しているのも大きな特徴となっています。<br /><br />《⑦「明治紀念之標」》<br />「明治紀念之標」は、「七福神山」から80mほど先にあります。「明治紀念之標」は、中央に日本で最初に建てられた銅像といわれる「日本武尊像」、そして左側に「石川県戦士尽忠碑」が配置されています。「明治紀念之標」は、「西南戦争」で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。「日本武尊」の銅像の身長は5.5mもあり、明治13年(1880年)に建立されました。両脇に植えられた赤松は「手向松」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものだそうです。<br /><br />《⑧「根上松」》<br />「根上松」は、「明治紀念之標」から70mほど先の「花見橋」の手前付近にあります。「根上松」は、大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がったもので、「兼六園」名物の一つとなっています。「根上松」は、13代藩主「前田斉泰」が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています。奇想天外であまり目にすることのない太古の世界のような珍しい景観です。<br /><br />《⑨「花見橋」(曲水)》<br />「花見橋」は、「擬宝珠」の欄干がある木橋で、「根上松」のすぐそばにあります。「花見橋」の間前の由来は、橋から見る花の眺めがすばらしいことからついたそうです。花の季節になると、緩やかに流れる「曲水」に沿って、桜、カキツバタ、サツキ、ツツジなどが咲き誇り、素晴らしい景観をおりなすそうです。特に、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の雪景は見どころ満載だそうです。<br /><br />《⑩「鶺鴒島」》<br />「鶺鴒島」は、「花見橋」を渡り左方向に30mほど進むと左手にあります。まだ日本という国がなかった頃、国生みの神である「イザナミ、イザナギ」の尊が、男女和合の方法を「鶺鴒」から教わったという故事より、その名が付けられたそうです。「鶺鴒島」には、正面に「三社」と書かれた「石額」がかかった鳥居があり、その奥には、「陰陽石」(誕生)、「相生の松」(結婚)、「五重の石塔」(死)を配置して、人生の三儀式を表現しています。他の大名庭園でも例を見ない珍しいものだそうです。<br /><br />《⑪「山崎山」》<br />「山崎山」は、「鶺鴒島」から130mほど進むと正面に現れてきます。「山崎山」は、「小立野口」付近にある築山で、秋になると赤や黄に美しく色づくので「紅葉山」とも呼ばれます。「山崎山」の中腹には、白川御影石でつくられた「五重の塔」(御室の塔)があります。そして、山麓の岩間から流れ出る水は、約570mの「曲水」となって「霞ヶ池」に注いでいます。<br /><br />《⑫「成巽閣」》 ※次の項目で詳細に記載していあります。<br />「成巽閣」は、「山崎山」から「石川県立伝統産業工芸館」の前を通りすぎ、徒歩で210mの距離にあります。「成巽閣」は、13代藩主「前田斉泰」が、文久3年(1863年)に母である「真龍院」のために、「兼六園」の中に建てた隠居所です。「成巽閣」は、2階建ての建造物で、階下は「大名書院造り」、階上は「数奇屋風書院造り」の様式を持っており、国の重要文化財に指定されています。特に、見どころは、北陸新幹線「かがやき」のグリーン車に使われている色のモチーフとなった「群青の間」の天井です。また。「謁見の間」の花鳥の欄間や「松の間」の小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマンなど、小鳥や花が多くあしらわれています。<br /><br />《⑬「内橋亭」》<br />「成巽閣」から「霞ヶ池」を目指します。「内橋亭」は、「霞ヶ池」のほとりに立つお食事処、お土産処です。「内橋亭」は、かつて「蓮池庭」内にあった「四亭」の一つで、「霞ヶ池」の西南岸に設けられた「水亭」です。また、別名「鯰之亭」(なまずのてい)ともいわれている大変歴史のある建物です。蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874年)、現在の場所に移築しましたものです。「栄螺山」のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるように見えました。「内橋亭」の店内から眺めた「兼六園」は、散策路から眺めるものとは一味違った景色を醸し出していました。<br /><br />《⑭「栄螺山」》 <br />「令和6年能登半島地震」のため上ることはできませんでしたが、坂の途中からかろうじて「栄螺山」の山頂の一部が垣間見えました。「内橋亭」の背後にある「栄螺山」は、「霞ケ池」の西岸に立っています。「栄螺山」は、13代藩主「前田斉泰」が「霞ヶ池」を掘り広げたときの土を利用してつくった今でいうとサステナブルな築山です。「栄螺山」は、高さ9m、周囲約90mで、山頂に「避雨亭」と呼ばれる御亭があります。頂上へ向かってグルグルとらせん状の道が延び、時計回りでぐるぐるとうずを巻き、まるで栄螺の殻を思わせることからこの名の由来です。しかし、実際の貝類の「サザエ」は逆巻きだそうです。そして、頂上へ到達すると「霞ヶ池」を臨める絶景が待っています。<br /><br />《⑮「時雨亭」》<br />「時雨亭」は、「内橋亭」から徒歩で130mほどの距離の「瓢池」付近にあります。「時雨亭」は、5代藩主「前田綱紀」が「兼六園」を作庭した頃からあった建物です。5代藩主「前田綱紀」は、延宝4年(1676年)に作事所を城内に移し、その跡に「蓮池御亭」を建て、その周辺を作庭しました。これが「兼六園」の歴史の始まりです。「時雨亭」は、明治期の廃藩のあとに、残念ながら撤去されてしまいました。それを、平成12年(2000年)3月に、新しい庭園の完成とともに現在地に復元したものです。庭側の10畳と8畳、さらにそれに続く御囲は、残されていた当時の平面図により復元したそうです。また、「時雨亭」内での抹茶、煎茶の呈茶(有料)、見学もできます。<br /><br />《⑯「夕顔亭」と「伯牙断琴の手水鉢」》<br />「夕顔亭」は、「時雨亭」から徒歩で150mほどの距離にあり、「瓢池」の東岸にある茶亭です。安永3年(1774年)に建てられた「兼六園」内最古の建物です。「蓮池庭」にあった四亭の一つで、当時のままの姿を今に伝えています。本席は質素で小間ながら、本格的な茶の湯が催せるようになっているそうです。また、その美しい名は、茶室内の壁に装飾されている「夕顔の透彫り」から名付けられました。<br />また、「夕顔亭」の縁先には、「伯牙断琴の手水鉢」があります。「伯牙断琴の手水鉢」は、自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、一生、琴を奏でないことを誓った名手「伯牙」の姿が浮き彫りにされている手水鉢です。「伯牙断琴の手水鉢」は、高さ45cm、直径85cmと大きいもので、5代藩主に招かれた京都の名金工「後藤程乗」の作だそうです。<br /><br />《⑰「翠滝」⇒⑱「瓢池」⇒⑲「海石塔」》<br />「翠滝」は、「霞ヶ池」から流れ出て、「瓢池」に注ぎ込む大滝で、「夕顔亭」の対岸に懸かっています。高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富、滝音も大きく、目と耳を楽しませ、心を和ませてくれます。その荘厳さは他の庭園にはないスケールと景観で、兼六園のなかでも最もすぐれた庭景の一つとされています。また、「翠滝」は別名「紅葉滝」とも呼ばれています。<br />「瓢池」周辺はかつて「蓮池庭」と呼ばれ、「兼六園」の作庭はこの辺りからはじまったと言われています。そのユニークな名前は、池のなかほどがくびれて、「瓢箪」のような形をしていることから名付けられたものです。「瓢池」の中には「不老長寿の島」と「神仙島」をかたどった大小二つの島があります。<br />そして、「瓢池」の中島に建つ、高さ4.1mの六重に重ねられた塔が「海石塔」です。「海石塔」は、3代藩主「前田利常」がつくらせ、虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられているのが特徴です。<br /><br />《⑳「噴水」》<br />日本で最古の「噴水」は、文久元年(1861年)に造られ、「蓮池門口」から入った左手にあります。この「噴水」は、電気などを使わずに、「霞ヶ池」を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧を利用してあがっています。水の高さは約3.5mあり、「霞ヶ池」の水位の変化によって変わります。藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。<br /><br />【⑤「成巽閣」】<br />「成巽閣」は、海鼠塀が続く「正面入口」と「兼六園」からは「赤門」から入ることができます。「成巽閣」は、13代藩主「前田斉泰」が、文久3年(1863年)に母である「真龍院」のために、「兼六園」の中に建てた隠居所です。当初は、「巽御殿」と呼ばれました。名前の由来は、「金沢城」から見て巽の方角(東南)にあること、京都の鷹司家が「辰巳殿」と呼ばれていたことにちなんで、こうした名前がつけられました。<br />「成巽閣」は、2階建ての建造物で大名正室の御殿としては、日本国内に唯一現存する建造物となっております。階下は「武家書院造」、階上は「数奇屋風書院造り」の様式を持っており、昭和13年(1938年)に「旧国宝」、昭和25年(1950年)に国の「重要文化財」に指定されています。特に、見どころは、北陸新幹線「かがやき」のグリーン車に使われている色のモチーフとなった「群青の間」の「ウルトラマリンブルー」に彩られた天井です。また。「謁見の間」の花鳥の欄間や「松の間」の小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマンなど、小鳥や花が多くあしらわれています。<br />★「成巽閣」の見どころ<br />&#9332; 「謁見の間」<br />「謁見の間」は、公式の「御対面所」として使用され、加賀百万石前田家の威厳を象徴するものでした。花鳥の欄間を境とし上段、下段18畳からなり、広間33畳へとつづきます。「上段の間」は、正面に付書院と帳台構(武者窓)を対峙させた本格的な書院造となっており、天井は「上段」が折上格天井、「下段」は平の格天井、格縁は黒漆塗りとし、杉の鏡板を上段は柾目、下段は柾目と杢目を目違いに張られています。材には色漆、壁は金砂子の貼壁、障子の腰板には花鳥の絵が施されるという華麗で瀟洒な造りを特色としています。<br />①欄間<br />檜の一枚板を両面陶彫とし、梅の古木と椿に極楽鳥が五彩の岩絵具で描かれています。前田家御細工所の名工、「武田友月」の作であると伝えられています。<br />②七宝焼の釘隠<br />「成巽閣」の各部屋では、襖の引手をはじめ「釘隠」など建具の多くの部材において、特別な意匠を持つものが多用されています。加賀藩では金工技術に象嵌七宝を織り交ぜた「加賀七宝」と呼ばれた技法が盛んであり、金属と釉薬による色鮮やかな部材が多く配されております。<br />&#9333; 「つくしの縁庭園」<br />「つくしの縁庭園」は、柱の無い縁から眺めることのできる開放的な庭園です。この庭園は、国指定名勝である「飛鶴底」からつづき、中央に雄松、左右に五葉松と紅梅、周囲に楓、満点星紅葉、黐の木、榊、サツキなどなどが配置されています。その合間を縫うように「辰巳用水」から分流された遣水がゆるやかに流れています。「つくしの縁庭園」は、昭和59年(1984年)4月に県指定名勝となっています。<br />&#9334; 「万年青の縁庭園」<br />「万年青の縁庭園」は、御寝所の「亀の間」に面しています。「万年青の縁庭園」は、「つくしの縁庭園」からの遣水が廊下を挟んで流れ込む庭園ですが、様相は一変します。遣水は深くなり、ゆるやかだった流れは水音が響くように工夫されており、樹木が覆う深山渓谷を彷彿とさせます。また、中央に並ぶ三本のキャラボクは万年の時を経た吉祥の亀を表現しています。「つくしの縁庭園」と同じく、昭和59年(1984年)4月に県指定名勝となっています。<br />&#9335; 「吉祥の亀」<br />「万年青の縁庭園」の中央に並ぶ大小三本のキャラボクは、万年の時を経た「吉祥の亀」を暗示しています。亀の間に続くこの庭から、心安らかに眠りを守る水音とともに、長寿を願う意味も含めた奥方への心配りに溢れる意匠となっています。<br />&#9336; 「亀の間」<br />「万年青の縁庭園」に面する、「亀の間」は「御寝所」として使われていました。「亀の間」の部屋の四隅の柱には蚊帳の吊り金具が付けられています。そして、正面には「床の間」、「違棚」を設けられていますが、「御寝所」らしく清楚なものとなっています。「障子腰板」には長生を寿ぐ亀が描かれており、「床の間」の方より1枚毎に亀の数が多く描かれています。<br />&#9337; 「群青の間」<br />格式のある階下の書院に対して、階上は意匠を凝らした数奇屋風書院の造りです。「群青の間」とそれに続く「書見の間」は、階上における最も重要な空間でした。天井は折上天井とし、素材の杉柾を目違いに張り、蛇腹および目地にはウルトラマリンブルーという西欧より輸入された顔料を使用した群青が特異な意匠となっています。「群青の間」では、天井の群青から壁に朱を用いた色鮮やかな部屋となっています。また、床の間は洞床といわれる踏込床で、左側には1畳の板畳が付いています。<br /><br />【⑥「金沢城公園」(金沢城)】<br />「金沢城」(金沢城公園)の概要と歴史を紐解いてみると、「金沢城」は、もともと「尾山御坊(金沢御堂)」という浄土真宗の寺院がありました。「金沢城」は、加賀藩初代藩主「前田利家」の居城で、天正11年(1583年)に「前田利家」が「金沢城」に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。築城にあたっては、キリシタン大名として知られる「高山右近」を招き、その指導を仰いだと伝えられているそうです。そこから前田家の歴代藩主の居城となり、約290年間繁栄しました。「金沢城」は、度重なる火災、特に、宝暦9年(1759年)の火災では、「金沢城」のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。現存する「石川門」は、この後天明8年(1788年)に再建されたものです。平成13年(2001年)に復元された「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」は、文化5年(1808年)の二の丸火災の後再建され、明治14年(1881)年の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現しました。そして、「石川門」、「三十間長屋」、「鶴丸倉庫」は重要文化財に指定されています。また、明治期に失われ約140年ぶりに復元整備された黒い海鼠漆喰が代名詞の特徴的な「鼠多門」と、 城内最大規模の木橋であった「鼠多門橋」が完成しました。「鼠多門」には県内産の能登ヒバなどの木材が使用されています。「鼠多門」と「鼠多門橋」が完成したことにより、「長町武家屋敷跡」から「尾山神社」、「金沢城公園」、「兼六園」、本多の森公園を結ぶ「加賀百万石回遊ルート」もでき、城下町巡りが効率的そして気軽に楽しめるようになりました。さらに、近年再建された「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」は、古絵図や古文書などを基にして、当時の姿を再現し、外観もさることながら内部も必見です。毎週金曜・土曜、祝日の前日には夜間も開園し、「金沢城公園園内」はライトアップされ、昼とは全く違う趣を楽しめます。「玉泉院丸庭園」のライトアップは季節ごとに変わるそうです。「玉泉院丸庭園」のお茶室「玉泉庵」の和室で食べられる抹茶と季節ごとのオリジナル生菓子もおすすめです。<br /><br />「金沢城公園」の入場門は、「黒門口」、「大手門口」、「石川門口」、「玉泉院丸口」、「鼠多門口」の全部で5つ設けられています。「兼六園」とあわせて楽しみたい方は、「兼六園」(桂坂口)の向かい側にある「石川門口」からスタートするのがおすすめです。<br /><br />《「金沢城」(金沢城公園)のお薦め散策ルート》<br />①「石川門」⇒②「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観⇒③「鶴の丸休憩館」⇒④「土蔵」(鶴丸倉庫)⇒⑤「丑寅櫓跡」⇒⑥「帝国陸軍建造トンネル跡」⇒⑦「戌亥櫓」⇒⑧「三十間長屋」⇒⑨「橋詰門」⇒⑩「菱櫓」⇒⑪「橋爪門続櫓」⇒⑫「五十間長屋」(多門櫓)⇒⑬「河北門」⇒⑭「玉泉院丸庭園」⇒⑮「鼠多門・鼠多門橋」<br /><br />《①「石川門」》<br />「石川門口」から入ると。まず、「石川門」の「一の門」をくぐり直角に曲って、次に「二の門」をくぐります。これは敵が攻め込んできたときに、その進入の勢いを鈍らせる「枡形」と呼ばれる防御を主眼においた構造です。「一の門」をくぐると、ちょっと変な感じですが、正面の壁と左側の壁の石垣は異なる積み方をしています。正面が「切石積み」、左側が「粗加工石積み」という石垣の積み方です。石垣の積み方は違いますが、両方とも「海鼠壁」との美しいコントラストを醸し出しています。<br />「石川門」は「高麗門」の「一の門」、「櫓門」の「二の門」、「続櫓」と2層2階建ての「石川櫓」で構成されている「枡形門」です。国の重要文化財に指定されている現在の「石川門」は、天明8年(1788)に再建されました。金沢城内は、度々火災に見舞われほとんどが焼失し、「石川門」は、「三十間長屋」とともに現存する加賀藩時代の数少ない建築物のひとつです。<br />「石川門」は、現在は「金沢城公園」の「表門」となっていますが、かつては「金沢城」の「裏門」でした。その容姿から「白門」と呼ばれ、昭和10年(1935年)に国の重要文化財に指定されました。そして、平成18年(2006年)から平成26年(2014年)にかけて、保存修理工事が実施されました。<br /><br />《②「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観》<br />「石川門」の「二の門」をくぐると、目の前には「三の丸広場」が広がり、さらにその奥には、壮観な「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」が景観を見ることができます。なぜ「石川門」からの入城をお薦めしたのかはここにあります。3層3階の「菱櫓」と「橋爪門続櫓」とを2層2階の「五十間長屋」でつないでいる圧巻のスケールの景観を正面に見ることができるからです。これだけでも「金沢城公園」に来た価値があります。後ほど「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」へは、行きますので、「三の丸広場」の左手にある「鶴の丸休憩館」へ進みます。<br /><br />《③「鶴の丸休憩館」》<br />「鶴の丸休憩館」は、鉄骨造一部木造の平家建てで、平成29年(2017年)4月に「鶴の丸」に完成しました。その特徴は、城郭建造物に面して、1枚が最大6m幅の大判ガラスを使用し開放感を演出し、さらに、石川県産の木材を使用した現代的な和風デザインになっています。大判ガラスにより額縁の中の「五十間長屋・菱櫓・橋爪門続櫓」のような絶景を大判ガラス越しに見ることができます。「鶴の丸休憩館」は、入口から入ると、まず「案内スペース」、右手に金沢城の歴史回廊ゾーンと城と庭の魅力発信ゾーンの「展示スペース」、その奥に大判ガラスごしに絶景を見ることができる「休憩スペース」と「豆皿茶屋」があります。「豆皿茶屋」では、軽飲食をとることができ、和菓子、洋菓子、お寿司など石川が誇る銘菓や銘品が、かわいい豆皿にのって配膳されます。また、「鶴の丸休憩館」の前には鶴の丸土塀の構造模型とふだん表面しか見ることが出来ない石垣の技法が、横や後ろからもわかる展示があり、さらに「金沢城」の理解を深めることができます。<br />「豆皿茶屋」インフォメーション<br />①営業時間…AM 11:00~PM 4:00 電話:076-232-1877<br />②定休日…無休(年末年始を除く)<br />③メニュー例<br />「殿皿御膳」(2600円)、「姫皿御膳」(2000円)、「鶴の丸御膳」(1500円)、「ちょこっとぷれーと」は三種類あり900円~950円、その他飲み物デ・ザートなど<br />「鶴の丸休憩館」で景観を堪能した後は、さらに左手奥に進みむと、現存する数少ない当時の建物「土蔵」(鶴丸倉庫)があります。<br /><br />《④「土蔵」(鶴丸倉庫)》<br />「土蔵」(鶴丸倉庫)は、金沢城本丸の北側に幕末の嘉永元年(1848年)に建築された大型土蔵で、「鶴丸倉庫」とも呼ばれた武具土蔵で、「石川門」、「三十間長屋」と同様に重要文化財に指定されています。「土蔵」(鶴丸倉庫)が国の重要文化財に指定されたのは、平成20年(2008年)です。「土蔵」(鶴丸倉庫)の建築様式は、土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工「山本勝左衛門」が普請を手がけました。明治以降は、陸軍によって軍服などが保管する「被服庫」として使われていました。長らく「鶴丸倉庫」と呼ばれていますが、実際に建築されているのは「東の丸附段」です。石板を貼った外壁など、櫓や城門などとはデザインを変えています。城郭内に残っている土蔵としては国内最大級の遺構で、総二階建の延床面積は下屋を除いて約636㎡あります。<br />「土蔵」(鶴丸倉庫)の次は、少々上り坂になりますが、途中に見える「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観も素晴らしいものです。<br /><br />《⑤「丑寅櫓跡」》<br />「丑寅櫓跡」は、東ノ丸の隅櫓があった所で、本丸から北東(丑寅)の方角にあるので「丑寅櫓」と名付けられました。「丑寅櫓跡」は、文禄元年(1592年)に築かれ、物見や本丸の防御を狙っていましたが、宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」の際に焼失し、その後は再建されませんでした。。「兼六園」や「戸室山」、「医王山」などが眺望できる展望台となっています。「丑寅櫓跡」にある野面積みの石垣は「金沢城」内最古の石垣とされています。現在は石垣のみ確認することができます。また、「丑寅櫓跡」は、春の桜、秋の紅葉の時期には、絶好のポイントになるそうです。<br />次は、「丑寅櫓跡」からさらに進み、「戌亥櫓」(乾櫓)を目指します。<br /><br />《⑥「戌亥櫓」(乾櫓)と「帝国陸軍建造トンネル跡」》<br />「戌亥櫓」(乾櫓)は本丸の北西角、戌亥の方角に位置していた櫓なので「戌亥櫓」と呼ばれていました。「戌亥櫓」(乾櫓)は、寛永8年(1631年)頃に築かれ、西と北に「出し」という出窓がついている二層の櫓だったそうですが、宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」の際に焼失し、その後は再建されませんでした。現在、櫓はありませんが櫓台からは二の丸に復元された「菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓」を眺めることができます。また、「戌亥櫓」の石垣は「粗加工石積み」の積み方をしていますが、石の隙間には平らな石をはめ込み、「切石積み」のように見せる技法が用いられています。その他、「戌亥櫓」(乾櫓)には、「帝国陸軍建造トンネル跡」があります。「帝国陸軍建造トンネル跡」は、「戌亥櫓」の石垣に掘られた「レンガ造りのトンネル」です。明治から昭和にかけて金沢城は旧陸軍の所管となり軍用施設が設けられました。明治8年(1875年)に精鋭として知られた「陸軍歩兵第7連隊」、明治31年(1898年)からは、「陸軍第9師団司令部」が金沢城址に駐留しました。「戌亥櫓」の石垣にあるトンネルは旧陸軍によって弾薬庫が建設された明治から大正期につくられたものとされています。ちなみに、兵器庫は城外の出羽町に建設されていましたが,弾薬については不慮の爆発のリスクを考慮し,市街地への影響の少ない城内に貯蔵しました。<br />「戌亥櫓」(乾櫓)を後にし、次に向かうのは、国の重要文化財の一つである「三十間長屋」です。「三十間長屋」は、「金沢城跡本丸附壇」にある「三十間長屋」は、あまり人目につかない所でひっそり建っています。<br /><br />《⑧「三十間長屋」》<br />「三十間長屋」は、本丸附段にある二層二階の「多聞櫓」で、「石川門」、「土蔵」(鶴丸倉庫)と同様に国の重要文化財に指定されています。「三十間長屋」が国の重要文化財に指定されたのは、昭和32年(1957年)のことです。「三十間長屋」は、安政5年(1858年)に再建されたもので、現在の長さは二十六間半の二階建ての土蔵です。屋根は南面入母屋造り、鉛瓦葺、白壁の腰に「海鼠瓦」を貼って石垣の上に建つのは、「石川門」と同様であり、二階の腰にも鉛瓦葺の庇が付いています。「金沢城」にはこの他に全部で14の長屋があったそうです。<br />「三十間長屋」の後は、「金沢城公園」の新しいシンボルである「五十間長屋」(多門櫓)、「橋爪門続櫓」、「菱櫓」のある「橋爪門」へ向かいます。<br /><br />《⑨「橋詰門」⇒⑩「五十間長屋」(多門櫓)⇒⑪「橋爪門続櫓」⇒⑫「菱櫓」》<br />「橋爪門」は、「金沢城」の「二の丸」の正門にあたり、城内で最も格式の高い門とされています。「橋爪門」は、寛永8年(1631年)の大火後に整備された「二の丸」の正門です。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる「枡形門」で、枡形は城内最大の規模を誇ります。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、「二の丸御殿」へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、「二の門」の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門でした。文化5年(1808年)の二の丸火災で焼失した後、文化6年(1809年)に再建された姿を復元し、平成27年(2015年)に完成しました。ちなみに、金沢城内の各曲輪をつなぐ城門の中で、特に重要であった「石川門」、「河北門」、「橋爪門」を「金沢城三御門」と呼んでいます。<br />「五十間長屋」(多門櫓)、「橋爪門続櫓」、「菱櫓」は、平成13年(2001年)7月に完成した延べ床面積1894.23㎡の復元された建物で、「石川門」や「三十間長屋」と同様、「鉛瓦」や「海鼠塀」が外観の特徴です。そして、明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、完成まで実に3年4ヶ月かかりました。3層3階の「菱櫓」と「橋爪門続櫓」を2層2階の「五十間長屋」でつないでいます。これらの建物は、戦の際に「二ノ丸」を守るための施設で、「石落し」や「鉄砲狭間」となる「格子窓」、「白塗漆喰壁」や「海鼠壁」で防火構造になっている外壁がその強固さを示しています。「菱櫓」は大手と搦手を見張る物見櫓として重要な役割を果たし、死角を少なくし視野を大きくするために建物の平面が菱形(内角が80度と100度)になっています。「橋爪門続櫓」は二ノ丸大手の「橋爪門枡形」を見張る物見櫓、「五十間長屋」は武器等の倉庫でした。伝統的な建築工法など築城の知恵がつまった内部は、金沢城公園で唯一有料です。そして、桜の季節には、「菱櫓」横の内堀の桜は人気の撮影スポットに変貌します。<br />次は、「三の丸広場」にある「河北門」へ移動します。<br /><br />《⑬「河北門」》<br />「河北門」は、金沢城の実質的な正門です。「河北門」は、「金沢城」の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸」の正面にあります。これが「正門」たる由縁で、「河北門」は、「石川門」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれています。「河北門」は、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦9年(1759年)の後、安永元年(1772年)に再建されました。再建された「河北門」は、明治15年(1882年)頃に撤去されるまで「金沢城」の実質的な「正門」としての役割を果たしていました。「河北門」は平成19年(2007年)11月に着工し、平成22年(2010年)4月まで約2年半の歳月をかけて完成し、見事に復元されました。「河北門」は、高い防御力を備え金沢城の重要な門のひとつで、「高麗門」である「一の門」、「櫓門」である「ニの門」、「枡形土堀」及び続櫓の機能を持つ「ニラミ櫓台」により防御機能を持った構成となっています。<br />「一の門」は、幅4.7m、高さ7.4mの総欅(けやき)造りで、脇土塀をなまこ壁仕上げとし、土塀の内側には隠し狭間が設けられています。一の門の右手にあるのが「ニラミ櫓台」です。つづいて櫓門である「二の門」で高さは12.3m、幅26.9m×奥行き8.2mあり、外観は「石川門」とほぼ同じですが、規模は一回り大きくなっています。また、「二の門」は内部を見学することができます。<br />次は、前田家の歴代藩主が愛でた庭園である「玉泉院丸庭園」へ向かいます。<br /><br />《⑭「玉泉院丸庭園」》<br />「玉泉院丸庭園」は、池と石垣によって独創的な景観を創り出した庭園です。庭園散策を楽しんだ後には、「玉泉庵」では抹茶と季節ごとの生菓子を味わうこともできます。「玉泉院丸庭園」は、2代目藩主「前田利長」の正室「玉泉院」(永姫)が屋敷を構えたことがその名の由来とされ、3代藩主「前田利常」による寛永11年(1634年)の作庭を始まりとし、その後5代藩主「前田綱紀」や13代藩主「前田斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで「金沢城内玉泉院丸」に存在していた庭園です。「兼六園」は饗応の場であるのに対し、「玉泉院丸庭園」は藩主の内庭としての性格が強い庭園でした。「玉泉院丸庭園」は、城内に引かれた「辰巳用水」を水源とする「池泉回遊式」の「大名庭園」で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった「色紙短冊積石垣」などの意匠性の高い石垣群を庭の構成要素にした独創的な庭園でした。「玉泉院丸庭園」は、明治期に廃絶されましたが、平成25年(2013年)5月から整備工事が始まり、平成27年(2015年)3月に、歴代藩主が愛でたであろう庭園の姿が再現されました。<br />また、江戸時代に「露地役所」があった場所に休憩所「玉泉庵」が設置されました。室内からは、「色紙短冊積石垣」をはじめとした意匠性に富んだ石垣群を借景に庭園を一望することができます。また、和室では抹茶と季節ごとのオリジナル上生菓子の抹茶を楽しむことができます。<br /><br />《⑮「鼠多門・鼠多門橋」》<br />「鼠多門」と「鼠多門橋」は、「金沢城」の西側にあります。それぞれの特徴は、「鼠多門」が黒い海鼠漆喰、「鼠多門橋」が城内最大規模の「木橋」であるということです。「鼠多門」は、「玉泉院丸」に位置し、「鼠多門橋」により接続される「金谷出丸」からの出入口として機能していました。ちなみに、「金谷出丸」には「金谷御殿」と呼ばれる加賀藩主の別邸があったからです。そのため、当時は、一般の人が通るということは出来なかったそうです。「金谷出丸」は、現在は、藩祖の「前田利家」を祀る「尾山神社」となっています。そして、「鼠多門」は、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。「鼠多門」は、2階建ての「櫓門」で、「金沢城」内の他の門と同じく、屋根は木型を鉛板で覆う「鉛瓦」、外壁は「白漆喰塗り」で腰壁は「海鼠壁」が用いられています。この「海鼠壁」の目地が黒漆喰で仕上げられる建築方法が、「金沢城」内の他の門には見られない特徴です。また、「金沢城御三門」と比べて、城壁の連続した石垣の上に直接建てられている点も大きな特徴でしょう。<br />「鼠多門橋」は、幅5.5m、長さ29mの木の橋で、「玉泉院丸」と「金谷出丸」を隔てる水堀に架かる城内最大規模の「木橋」で、幾度かの架け替えを経て明治期まで存在していました。しかし、明治10年(1877年)に「鼠多門橋」が老朽化のため撤去され、明治17年(1884年)には「鼠多門」も火災により焼失し、周囲の水堀も埋め立てられてしまいました。そして、現在の「鼠多門」と「鼠多門橋」は、平成30年(2018年)6月から令和2年(2020年)7月までに復元整備され、往時の勇壮な姿が再現されました。そして、「鼠多門」と「鼠多門橋」の復元が何よりも素晴らしいのは、「加賀百万石回遊ルート」を誕生させたことです。これにより効率的な観光ができるようになったからです。ちなみに、「加賀百万石回遊ルート」は、「長町武家屋敷跡」⇒「尾山神社」⇒「鼠多門」⇒「金沢城」⇒「兼六園」の名所旧跡を周遊することができます。<br /><br />【⑦「旬彩和食 口福」】<br />「旬彩和食 口福」は、「近江町市場」の「近江町いちば館」にあります。正面入り口から入るとエスカレーターがあるので、それを利用し2Fへ上がります。そうすると一番左奥の方に「旬彩和食 口福」があります。「旬彩和食 口福」は、比較的人気のあるお店なので、事前にネット予約か直接お店に電話して予約したほうが無難です。私たち夫婦が行ったのは、平日の木曜日でしたがお店は満席でした。席が空いても次から次に予約のお客がきているような状況でした。<br />当日は、蟹コースの「輝~かがやき~」と飲み物は料理に合う日本酒の「黒帯 悠々 特別純米」を注文しました。料理の内容は、「付出」、「かに刺身」、「かにしゃぶ」、「焼きがに」、「かにの揚物」、「かに湯葉春巻きと加賀野菜天ぷら」、「かに雑炊」そして 、最後にデザートでした。特に、タグのついた「かにの刺身」は、さすがに獲りたて、新鮮で、身は非常に甘く、美味しがったというのが感想です。また、最後に「かにしゃぶ」の残りの汁で作ってくれる「かに雑炊」はこれまた絶品でした。日本酒の「黒帯 悠々 特別純米」は、どこか忘れましたが、東京の料理店で飲んだ際に、豊潤で美味しかったのを思い出したので注文しました。これが大当たりで食も一層進みました。店の店員は、アルバイトかと思いますが、しっかりと教育されていた感じで、少々もたつくものの丁寧な応対をしてくれ、好印象を得ました。最後に、それなりのものを使用しているので、カニ料理を美味しく頂いたものの、やはり値段は高いなあと実感しました。<br /><br />【⑧「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」】<br />「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」に宿泊したのは、2024年3月7日から3月9日までの2泊3日です。「小松空港」からリムジンバスに乗り「金沢駅西口」で下車しました。時間帯によっては、「香林坊」まで行くリムジンバスもあるのですが、残念ながら「金沢駅西口」が終点でした。当初の予定では、「金沢駅東口」から北鉄バスに乗り、「武蔵ケ辻・近江町市場」(バス停)まで行き、そこからホテルまで歩いて行くという予定でした。しかし、運よく10分足らずで「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」の送迎バスが、「金沢駅西口」のロータリーからあり、ホテルのエントランスまで行くことができました。荷物の運ぶ手間が全くありませんでした。チェックインの時間前だったので、ホテルに荷物を預け、金沢市内の観光に出かけました。「石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)」、「兼六園」そして「金沢城公園」の観光を終えホテルに戻ったのが、17時過ぎでした。フロントでチェックインを申し出たところ、今回は、ちょっと贅沢してクラブルームの「クラブガーデンキング」を予約していたので、2Fにある「プレミアラウンジKANAZAWA」で宿泊の手続きになりました。一連の手続きをしているときに、担当の女性コンシェルジェがきてケーキと飲み物を勧めてくれました。「プレミアラウンジKANAZAWA」のカフェタイムは、14:00から17:00で終了していたのですが、気をきかしてくれました。しかもプレートに4~5種類のケーキがあり、好きなものを選べ、また何個でもチョイスできるということでした。そして、コーヒーなどのソフトドリンク以外にもシャンパン、ワインも飲むことができるということでした。夫婦二人で、シャンパンとケーキを二種類ずつ堪能しました。担当の女性コンシェルジェの接客対応も親切丁寧で、おもてなしの心が十分に伝ってきました。手続きが完了すると部屋まで案内してくれて、設備の操作方法等も詳しく丁寧に説明してくれました。ベットは、シモンズ製のダブルベットで、キングサイズなので、二人で寝てもお互いのことは、全く気になりませんし、旅の疲れを癒し、グッスリと眠ることができ、翌朝は爽快な気分で目が覚めました。また、金沢の伝統工芸と黒を基調とした屏風をモチーフとしたヘッドボードがあり、芸術性も優れたものでした。そして、シャンプー、コンディショナー、シャワージェルはBVLGARIのバスアメニティです。その他、歯磨きセット、ヘアブラシ、カミソリ、シャワーキャップ、綿棒、コットン、マウスウォッシュ などももちろん完備されていました。バスルームは、レインシャワーのついた洗い場付きバスルームでした。テレビも55インチ以上の大型なもので、ベットに寝ながら鑑賞できました。そして、無料のお茶セット、冷蔵庫には、やはり無料の黒部の水と金沢特産の棒茶のペットボトルがありました。サービス満点です。<br />翌朝は、「この朝食を味わうために足を運ぶ」というお客もたくさんいるという「金沢ダイニング きざはし」での朝食ブッフェです。「金沢ダイニング きざはし」では、7:00から11:00までの時間帯に朝食をとることができます。ただし、最終入店は10:30です。「金沢ダイニング きざはし」の最大の特徴は、「シェフズステーション」といって、フレンチのシェフや板前さんが目の前で、天ぷらを揚げたり、オムレツを作ってくれたり、寿司

金沢旅行【第一日目】~宇宙船のような近代建築の石川県立図書館と名勝兼六園、金沢城を訪ねて~

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2024/03/07 - 2024/03/09

1527位(同エリア4761件中)

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379

Lily-junjunさん

この旅行記のスケジュール

2024/03/07

  • 北千住発06:30(空港リムジンバス)⇒羽田空港着07:23着(第2旅客ターミナル)

  • 羽田空港08:25発(ANA751便 65番ゲート)⇒小松空港着(09:30)

  • 小松空港09:50発(小松空港リムジンバス)⇒金沢駅(西口)10:30着

  • 金沢駅(西口)10:40発(ホテル送迎バス)⇒ホテル着11:10

  • 「武蔵ケ辻・近江町市場」バス停3番のりば11:41発⇒石川県立図書館12:05着

  • 「崎浦・県立図書館口」バス停13:50発(北鉄バス)⇒「兼六園下・金沢城」バス停14:04到着

  • 近江町市場⇒金沢駅(東口と西口) 徒歩15分ほどで着きました。

  • JR金沢駅⇒ホテル 徒歩20分1400mほど 途中にアートが散在しています。

この旅行記スケジュールを元に

古都金沢を訪ねたのは、令和6年3月7日から3月9日の2泊3日です。金沢の観光名所は、中心地付近に凝縮されていて、非常に効率的に見て回ることができました。また、ホテルからほとんどの観光地が歩いて行くことができる距離にあり、見て回る場所を事前に調べておけば、バスはほとんど利用する必要はありませんでした。そんな関係で、短い旅行期間でしたが、数多くの名所旧跡や地元のグルメを楽しむことができました。ちなみに、名所・旧跡等は34か所、グルメ等は5か所まわり、旅行記は1回ではとてもレポートすることができないので、3回に分けて投稿したいと思います。
まず、第一日目は、「羽田空港」を8:25発の飛行機で「小松空港」へ向かいました。「小松空港」へは、定刻より若干早く到着し、空港リムジンバスに乗車して「金沢駅」(西口)に向かいました。「金沢駅」(西口)からは、ホテルの送迎バスでホテルまで行き、荷物を預けて、昼食はすぐそばにある「近江町市場」にある「近江町市場寿し新店」でお寿司を食べました。昼食後に、「武蔵ケ辻・近江町市場」バス停から北鉄バスに乗り、「石川県立図書館」へ向かいました。「石川県立図書館」は、市内から少し離れた場所にあるので、観光地を巡る戦略上、最初の目的地としました。「石川県立図書館」には、「カフェ ハムアンドゴー」が併設されていて小休止しました。次に、訪れたのは名勝「兼六園」です。「石川県立図書館」バス停から北鉄バスに乗り、「兼六園下・金沢城」バス停で下車しました。「兼六園下・金沢城」バス停の前にある「石川県観光物産館」で思いもよらぬお土産をゲットできました。日本酒の「Kiss of Fire」が偶然にも売っていたのです。「Kiss of Fire」は、「鹿野酒造」が輸出用に開発した日本酒で、ノーベル賞受賞ナイトキャップパーティや「ルイヴィトン」のニューイヤーパーティーにも使用されたことが名酒です。それから名勝「兼六園」へ向かいました。「兼六園」と「金沢城公園」は、「石川橋」を隔てた場所にありますが、まずは、名勝「兼六園」へ行きました。「令和6年能登半島地震」の関係で、「兼六園」では、「霞ケ池」を一望できる「栄螺山」に上ることができませんでした。次に、訪れたのが「金沢城公園」(金沢城)です。「金沢城公園」(金沢城)では、「令和6年能登半島地震」による影響で、石垣の一部に崩れや前倒れが発生し、制限がありましたが、遠回りをすると見学できるので安心してください。ただ、「金沢城公園」(金沢城)は、広いので「鼠多門」と「玉泉院丸庭園」は、翌日「尾山神社」へ行った際に立ち寄ることにしました。「兼六園下・金沢城」バス停の戻り、ホテルのある「武蔵ケ辻・近江町市場」バス停まで行き、「近江町市場」の「エムザ口」がら入って市場を横切り、「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」へ向かいました。ホテルでチェックインを済ませ、「近江町市場」の「近江町いちば館」にある「旬彩和食 口福」でカニ料理のコースを食べました。これが第一日目のおおまかな旅程です。

《第一日目の見学等の順路》
①「近江町市場寿し新店」⇒②「石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)」⇒③「HUM&Go#石川県立図書館カフェ」⇒④「兼六園」⇒⑤「成巽閣」⇒⑥「金沢城公園」(金沢城)⇒⑦「旬彩和食 口福」⇒⑧「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」⇒⑨「JR金沢駅」の夜のライトアップ

では、観光地や地元の飲食店の詳しいレポートをしていきたいと思います。まずは、「近江町市場」でのランチです。
【①「近江町市場寿し新店」】
「近江町市場寿し新店」へのアクセスは、「近江町市場」の「むさし口」から入り、50mほど進むと左手にあります。「近江町市場」へ行った時間帯が11:00頃でしたので、飲食店は平日にもかかわらず、どの店も結構人が並んでいました。当初は、「まわる寿し もりもり寿し 近江町店」で食べる予定でしたが、10人以上の列があったので、別の店を探すことにしました。リーズナブルな値段で「のどぐろ」が食べられるお店を探しました。「まわる寿し もりもり寿し 近江町店」から20~30m離れたところに「」がありました。メニューの看板をみると「のど黒・ウニ入りぜいたく握り(12貫)あら汁付き」というお寿司の盛り合わせが、良心的な値段であったので、入ることにしました。10分ほど待ち、店内に入ることができました。店内は狭く、テーブル数も余りありませんでしたが、結構外国人のお客がいました。外国のガイドブックに載っているお店なのでしょうか。もちろん、私たち夫婦は、「のど黒・ウニ入りぜいたく握り(12貫)あら汁付き」を頼みました。お茶やお水はセルフサービスです。そうこうするうちに、お寿司が運ばれてきました。しかし、周囲を見渡すと8割がたのお客が「海鮮丼」系の丼物を食べていました。もしかして、このお店は、「海鮮丼」系の丼物が美味しいお店なのかもしれません。しかし、お寿司を食べてみると、当たり前のことかも知れませんが、ネタも新鮮で臭みもなく、美味しく食べることができました。特に、12貫のなかで一番おいしそうに見えなかったお寿司を最初に食べると、これが一番美味しかったのでした。家内も同じ意見でした。シャリも大きく、12貫で満腹になりました。会計の時に店の女将に何か尋ねてみると、色々な魚の中落ちを漬けたものだそうです。お腹も満たされたところで、次の目的地である「石川県立図書館」へ向かいます。

②【石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)】
「武蔵ケ辻・近江町市場」バス停の3番のりばから11:41発の「北陸鉄道 [11]錦町B 石川県立図書館行」に乗り、「石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)」へ向かいました。「石川県立図書館」停留所へ着いたのが、12:05で「石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)」は目の前に到着します。
「石川県立図書館」は、令和4年(2022年)7月に移転・開館しました。以前は、「金沢21世紀美術館」の近くにありましたが、老朽化に伴い金沢大学工学部の跡地である現在の地へ移転しました。新しくなった「石川県立図書館」は、「百万石ビブリオバウム」という愛称でも知られています。「百万石」は「加賀百万石」に由来し、建物の規模や収蔵能力の多さを表しています。「ビブリオ」は図書、バウムは「木」の意味です。「石川県立図書館」は、建築家の「仙田満」率いる「環境デザイン研究所」が設計し、外壁のガラスとパネルが折り重なり、本のページをめくるような特徴的な外観と、弁柄色と群青色が用いられた天井が印象的です。そして、4階まで吹き抜けた円形閲覧空間が内部に広がります。360°本に囲まれ、空中に浮かぶような「ブリッジ」のほか、家具デザイナー監修による500以上の閲覧席など見どころ満載です。「石川県立図書館」は、12テーマを集めた本棚には、約110万冊の蔵書が収蔵され、その他多彩なイベント・ワークショップ、デジタルアートやモノづくり体験などを経験することができます。本棚は木の年輪が重なるようなイメージで最上階から1階へと、曲線を描いて連なっています。そして、本棚から本棚へ、階段を上ったり、スロープで移動したりすることができます。スターウオーズ出てくる宇宙船のようです。「石川県立図書館」を一望でき、何とってもお薦めは、「閲覧エリア」を中央で結ぶ3階の「ブリッジ」です。閲覧エリアを360度見渡すことができ、改めて規模の大きさを実感します。そして、「ブリッジ」の通路にはソファが設置されていて休憩をしたり、読書しながら旅の疲れも忘れてゆっくりと過ごすことができます。それと4階には、「リング」と呼ばれる1周約160メートルの回廊式の閲覧空間があります。このコーナーには貴重な歴史資料や、文芸界を彩った過去の文豪や作家たちの名作なども置かれています。うれしいことに所々に本の歴史や世界観を紹介する「ミニコーナー」も設置されています。そして、館内にはこのほか、500以上のおしゃれなソファや椅子がいたるところに設置されています。種類も豊富で、デスクタイプの席から、カフェで見かけるようなハンギングタイプの椅子、現代アートのような個性的なデザインの椅子、そして九谷焼の絵付けに用いられる加賀五彩を背もたれに用いた椅子まで多彩です。全部は無理かもしれませんが、それらの椅子に座り、ゆっくり時間を過ごすのもいいかもしれません。「石川県立図書館」の1Fには、県内の人気カフェ「ハムアンドゴー」が併設されています。石川県立図書館カフェ限定のドリンクが「図書館ブレンドコーヒー」もありました。

③【「HUM&Go#石川県立図書館カフェ」】
「石川県立図書館」には、「HUM&Go#石川県立図書館カフェ」が併設されていて、ランチは食べたものの、喉が渇いたので、そこで小休止しました。「HUM&Go#石川県立図書館カフェ」は、「石川県立図書館」のオープンと同時に併設されたオシャレなカフェです。石川県内に複数店舗を構える人気のお店です。座敷の席があったりしてくつろぐこともできます。お店にいるだけでもおしゃれな店内の雰囲気を楽しめます。「石川県立図書館」は結構広いので見学した後に、朝から移動づくめでちょっと疲れたし、お茶でもしようかということになりました。また、「石川県立図書館」に入る前に、「HUM&Go#石川県立図書館カフェ」の店の入口付近にあった看板の「プリンアフォガード」が、とても美味しそうな昔ながらの硬めのプリンのように見えたので、入ることにしました。私は、「自家製プリン」、そして家内は「プリンアフォガード」と「レモンスカッシュ」を注文しました。「プリンアフォガード」には、エスプレッソ―がプリンの味を引き立てるためついていました。私は飲み物を注文しなかったので、一口「レモンスカッシュ」を飲ませてもらいました。「レモンスカッシュ」は、まるでレモンを飲んでいるようでした。また、「自家製プリン」は、昔を思い出すような固めで弾力のあるプリンでした。もちろん、メニューも豊富で、軽食もあり、テイクアウトもできるので、「石川県立図書館」の前にはのイートインスペースで、椅子に座り周囲の風景を見ながら食べることができます。

④【「兼六園」】
「HUM&Go#石川県立図書館カフェ」でお茶をした後に、名勝「兼六園」へ向かいました。「崎浦・県立図書館口」バス停13:50発の「北陸鉄道 [11]錦町B金沢駅前〔東口〕行」に乗り、「兼六園下・金沢城」バス停に14:04に到着し、「兼六園」の「桂坂口」へ向かいました。「兼六園」の「桂坂口」までは徒歩4分280mほどの距離です。。反対側は「金沢城」の「石川門」です。ちなみに、「兼六園」の入口は、「桂坂口」、「蓮池門口」、「真弓坂口」、「随身坂口」、「小立野口」、「上坂口」、「桜ヶ岡口」の七か所あります。この中で「金沢城公園」と直結する「桂坂口」、「金沢21世紀美術館」とは交差点の対角線上に位置する「真弓坂口」、これらの2つの料金所の間に位置し、「兼六園」の「正門」とされている「蓮池門口」を合わせた3つの料金所が平地に位置する料金所となっていますこの料金所は最も利用者の多い桂坂口の近くに位置しています。「桂坂口」はゴールデンウイークなどの行楽シーズンには長蛇の列になることが多く、「桂坂口」に長蛇の列ができている時は、「桜ヶ岡口」に回ると早く入園できるかもしれません。ちなみに、「桜ヶ岡口」へは、「兼六園観光案内所」と「九谷焼片岡光山堂」の坂道を110mほど上ると右手にあります。
最初に、「兼六園」の歴史と概要を紐解いてみると、「兼六園」は、水戸の「偕楽園」、岡山の「後楽園」とならぶ「日本三名園」の一つで、国の特別名勝に指定されています。「兼六園」は、敷地面積が約11.4万㎡と広大で、園内を廻遊して鑑賞する「林泉廻遊式庭園」となっています。「兼六園」は江戸時代の代表的な「大名庭園」として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。そして、12代藩主となった「前田斉広」は文政5年(1822年)に、藩校の跡地に自己の隠居所として「竹沢御殿」を造営し、同文政5年(1822年)、「兼六園」と命名しました。そして、13代 藩主「前田斉泰」は、「竹沢御殿」を取り壊し、庭を拡張・整備し、万延元年(1860年)には、「蓮池庭」との間にあった門と塀を取りこわして、一大庭園につくりあげました。さらに、文久3年(1863年)には、母「真龍院」の隠居所として「巽御殿」(現在の「成巽閣」)が造営され、ほぼ現在の庭の形になりました。明治時代に入ると、「兼六園」は」は全面的に市民へ開放され、それにあわせて多くの茶店が出店しました。大正11年(1922年)、国の「名勝」に指定された「兼六園」は、昭和60年(1985年)には「名勝」から「特別名勝」へと格上げされ、庭園の国宝とも言える最高の格付けを得ました。そして、冬の風物詩の「雪吊り」や梅苑の紅梅白梅など四季折々の自然を活かした景観は屈指の美しさと評されており、平成21年(2009年)には「ミシュラン観光ガイド」で最高評価の3つ星に選ばれました。ちなみに、「雪吊り」は雪の重みから枝を守るために、木を「りんご吊り」などの方法で縛り上げるというものです。

《「兼六園」お薦め散策巡路》
「兼六園」の「桂坂口」から入園したので、次のような見学順路で「兼六園」を散策してみました。
①「眺望台」⇒②「霞ヶ池」⇒③「徽軫灯籠」⇒④「唐崎松」⇒⑤「雁行橋」⇒⑥「七福神山」⇒⑦「明治紀念之標」⇒⑧「根上松」⇒⑨「花見橋」(曲水)⇒⑩「鶺鴒島」⇒⑪「山崎山」⇒⑫「成巽閣」(別途料金)⇒⑬「内橋亭」⇒⑭「栄螺山」⇒⑮「時雨亭」⇒⑯「夕顔亭」と「伯牙断琴の手水鉢」⇒⑰「翠滝」⇒⑱「瓢池」⇒⑲「海石塔」⇒⑳「噴水」
★「金沢城公園」(石川門)へは、「桂坂口」へ、「金沢21世紀美術館」へは「真弓口」が便利です。

では、「兼六園」の散策のスタートです。
《①「眺望台」》
まず、「桂坂口」で入園券を購入し、「眺望台」へ向かいました。徒歩約3分150mの距離です。「眺望台」付近には、ベンチが7脚ほどあり、金沢市内などが一望できる絶好の景色を座って、ゆっくり堪能することができます。「眺望台」は、「六勝」の一つである「眺望」を楽しむのに最適な場所です。金沢市内ばかりでなく、遠くに、白山山系の一部、戸室山、医王山を望むことができ、正面には卯辰山、その手前には市街地がつづきます。また、その向こうには加賀平野が広がり、さらに、河北潟や内灘砂丘、日本海、能登半島なども眺めることができる絶好のビューポイントです。

《②「霞ヶ池」⇒③「徽軫灯籠」⇒④「唐崎松」⇒⑤「雁行橋」》
次が、「眺望台」の反対側にある「霞ヶ池」付近です。まず、「徽軫灯籠」ですが、「徽軫灯籠」の手前辺りから「霞ヶ池」の全体の景観を見渡すことできます。「霞ヶ池」は、「兼六園」のほぼ中心部に位置する園内で最大の池です。「霞ヶ池」の「面積」は約5800㎡、「深さ」は最も深いところで1.5mあるそうです。「栄螺山」、「内橋亭」、「徽軫灯籠」、「虹橋」、「唐崎松」、「蓬莱島」などの見どころがこの「霞ヶ池」の周辺にあり、「霞ヶ池」の周りを廻遊しながら庭景を楽しむことができます。「徽軫灯籠」の後ろには、「徽軫灯籠」の傍らにあるもみじの古木、曲水に架かる「虹橋」と一体になった風景は、「兼六園」を代表する景観になっているので、一旦足を止めて是非じっくり見てください。
「徽軫灯籠」は、「霞ヶ池」の北岸に配された「兼六園」を代表する景観です。「眺望台」から徒歩で、1分50mほどの距離です。「徽軫灯籠」は足が二股になっていて、琴の糸を支える「琴柱」(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための「雪見灯籠」が変化したもので、高さは2.67mあります。一脚は水中にあって高さが2m、陸にあるもう一方は、高さが80cmです。そして、この不均衡さが美しいといわれています。また、「徽軫灯籠」の右手奥には、「虎石」があります。「虎石」は、文字どおり、虎が前足を低くして吠える姿を連想させることから、この名が付けられました。「虎石」は、能登外浦の曽々木か福浦あたりから持ち込まれた自然石であると言われています。「虎石」は、「兼六園」を守護する魔除けの石の一つで、薄暗い夕方などに見ると、あたかも生きているかのように見えるそうです。
「虹橋」を渡り40mほど進むと右手に「唐崎松」があります。「唐崎松」は、「月見橋」のそばにあり「霞ヶ池」に面して立って生い茂っている松で、「兼六園」のなかで最も枝ぶりの見事な松で、地面をはうように広がっています。13代藩主「前田斉泰」が近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松です。特に、「兼六園」ならではの冬の風物詩である「雪吊り」は、雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬にほどこされ、他の庭園では見ることができないそうです。
「雁行橋」は、11枚の「赤戸室石」を使用し、雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどった橋で、「唐崎松」から80mほどの距離にあります。また、石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われています。万年を生きる亀にちなんで、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、残念ながら通行禁止です。ちなみに、「戸室石」は、石川県金沢市東部の「医王山」、「戸室山」や「キゴ山」で採掘されます。

《⑥「七福神山」》
「七福神山」は、「雁行橋」から60mほど先にあり、近くに「兼六園」の「上坂口」の入口があります。「七福神山」は、12代藩主「前田斉広」が造営した「竹沢御殿」に附帯していた庭園の一部です。「七福神山」は、別名「福寿山」とも呼ばれ、「曲水」、「築山」、「雪見灯籠」など、当時の雰囲気をそのまま今に伝えています。また、「七福神」になぞらえた七つの石を配置しているのも大きな特徴となっています。

《⑦「明治紀念之標」》
「明治紀念之標」は、「七福神山」から80mほど先にあります。「明治紀念之標」は、中央に日本で最初に建てられた銅像といわれる「日本武尊像」、そして左側に「石川県戦士尽忠碑」が配置されています。「明治紀念之標」は、「西南戦争」で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。「日本武尊」の銅像の身長は5.5mもあり、明治13年(1880年)に建立されました。両脇に植えられた赤松は「手向松」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものだそうです。

《⑧「根上松」》
「根上松」は、「明治紀念之標」から70mほど先の「花見橋」の手前付近にあります。「根上松」は、大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がったもので、「兼六園」名物の一つとなっています。「根上松」は、13代藩主「前田斉泰」が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています。奇想天外であまり目にすることのない太古の世界のような珍しい景観です。

《⑨「花見橋」(曲水)》
「花見橋」は、「擬宝珠」の欄干がある木橋で、「根上松」のすぐそばにあります。「花見橋」の間前の由来は、橋から見る花の眺めがすばらしいことからついたそうです。花の季節になると、緩やかに流れる「曲水」に沿って、桜、カキツバタ、サツキ、ツツジなどが咲き誇り、素晴らしい景観をおりなすそうです。特に、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の雪景は見どころ満載だそうです。

《⑩「鶺鴒島」》
「鶺鴒島」は、「花見橋」を渡り左方向に30mほど進むと左手にあります。まだ日本という国がなかった頃、国生みの神である「イザナミ、イザナギ」の尊が、男女和合の方法を「鶺鴒」から教わったという故事より、その名が付けられたそうです。「鶺鴒島」には、正面に「三社」と書かれた「石額」がかかった鳥居があり、その奥には、「陰陽石」(誕生)、「相生の松」(結婚)、「五重の石塔」(死)を配置して、人生の三儀式を表現しています。他の大名庭園でも例を見ない珍しいものだそうです。

《⑪「山崎山」》
「山崎山」は、「鶺鴒島」から130mほど進むと正面に現れてきます。「山崎山」は、「小立野口」付近にある築山で、秋になると赤や黄に美しく色づくので「紅葉山」とも呼ばれます。「山崎山」の中腹には、白川御影石でつくられた「五重の塔」(御室の塔)があります。そして、山麓の岩間から流れ出る水は、約570mの「曲水」となって「霞ヶ池」に注いでいます。

《⑫「成巽閣」》 ※次の項目で詳細に記載していあります。
「成巽閣」は、「山崎山」から「石川県立伝統産業工芸館」の前を通りすぎ、徒歩で210mの距離にあります。「成巽閣」は、13代藩主「前田斉泰」が、文久3年(1863年)に母である「真龍院」のために、「兼六園」の中に建てた隠居所です。「成巽閣」は、2階建ての建造物で、階下は「大名書院造り」、階上は「数奇屋風書院造り」の様式を持っており、国の重要文化財に指定されています。特に、見どころは、北陸新幹線「かがやき」のグリーン車に使われている色のモチーフとなった「群青の間」の天井です。また。「謁見の間」の花鳥の欄間や「松の間」の小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマンなど、小鳥や花が多くあしらわれています。

《⑬「内橋亭」》
「成巽閣」から「霞ヶ池」を目指します。「内橋亭」は、「霞ヶ池」のほとりに立つお食事処、お土産処です。「内橋亭」は、かつて「蓮池庭」内にあった「四亭」の一つで、「霞ヶ池」の西南岸に設けられた「水亭」です。また、別名「鯰之亭」(なまずのてい)ともいわれている大変歴史のある建物です。蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874年)、現在の場所に移築しましたものです。「栄螺山」のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるように見えました。「内橋亭」の店内から眺めた「兼六園」は、散策路から眺めるものとは一味違った景色を醸し出していました。

《⑭「栄螺山」》 
「令和6年能登半島地震」のため上ることはできませんでしたが、坂の途中からかろうじて「栄螺山」の山頂の一部が垣間見えました。「内橋亭」の背後にある「栄螺山」は、「霞ケ池」の西岸に立っています。「栄螺山」は、13代藩主「前田斉泰」が「霞ヶ池」を掘り広げたときの土を利用してつくった今でいうとサステナブルな築山です。「栄螺山」は、高さ9m、周囲約90mで、山頂に「避雨亭」と呼ばれる御亭があります。頂上へ向かってグルグルとらせん状の道が延び、時計回りでぐるぐるとうずを巻き、まるで栄螺の殻を思わせることからこの名の由来です。しかし、実際の貝類の「サザエ」は逆巻きだそうです。そして、頂上へ到達すると「霞ヶ池」を臨める絶景が待っています。

《⑮「時雨亭」》
「時雨亭」は、「内橋亭」から徒歩で130mほどの距離の「瓢池」付近にあります。「時雨亭」は、5代藩主「前田綱紀」が「兼六園」を作庭した頃からあった建物です。5代藩主「前田綱紀」は、延宝4年(1676年)に作事所を城内に移し、その跡に「蓮池御亭」を建て、その周辺を作庭しました。これが「兼六園」の歴史の始まりです。「時雨亭」は、明治期の廃藩のあとに、残念ながら撤去されてしまいました。それを、平成12年(2000年)3月に、新しい庭園の完成とともに現在地に復元したものです。庭側の10畳と8畳、さらにそれに続く御囲は、残されていた当時の平面図により復元したそうです。また、「時雨亭」内での抹茶、煎茶の呈茶(有料)、見学もできます。

《⑯「夕顔亭」と「伯牙断琴の手水鉢」》
「夕顔亭」は、「時雨亭」から徒歩で150mほどの距離にあり、「瓢池」の東岸にある茶亭です。安永3年(1774年)に建てられた「兼六園」内最古の建物です。「蓮池庭」にあった四亭の一つで、当時のままの姿を今に伝えています。本席は質素で小間ながら、本格的な茶の湯が催せるようになっているそうです。また、その美しい名は、茶室内の壁に装飾されている「夕顔の透彫り」から名付けられました。
また、「夕顔亭」の縁先には、「伯牙断琴の手水鉢」があります。「伯牙断琴の手水鉢」は、自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、一生、琴を奏でないことを誓った名手「伯牙」の姿が浮き彫りにされている手水鉢です。「伯牙断琴の手水鉢」は、高さ45cm、直径85cmと大きいもので、5代藩主に招かれた京都の名金工「後藤程乗」の作だそうです。

《⑰「翠滝」⇒⑱「瓢池」⇒⑲「海石塔」》
「翠滝」は、「霞ヶ池」から流れ出て、「瓢池」に注ぎ込む大滝で、「夕顔亭」の対岸に懸かっています。高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富、滝音も大きく、目と耳を楽しませ、心を和ませてくれます。その荘厳さは他の庭園にはないスケールと景観で、兼六園のなかでも最もすぐれた庭景の一つとされています。また、「翠滝」は別名「紅葉滝」とも呼ばれています。
「瓢池」周辺はかつて「蓮池庭」と呼ばれ、「兼六園」の作庭はこの辺りからはじまったと言われています。そのユニークな名前は、池のなかほどがくびれて、「瓢箪」のような形をしていることから名付けられたものです。「瓢池」の中には「不老長寿の島」と「神仙島」をかたどった大小二つの島があります。
そして、「瓢池」の中島に建つ、高さ4.1mの六重に重ねられた塔が「海石塔」です。「海石塔」は、3代藩主「前田利常」がつくらせ、虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられているのが特徴です。

《⑳「噴水」》
日本で最古の「噴水」は、文久元年(1861年)に造られ、「蓮池門口」から入った左手にあります。この「噴水」は、電気などを使わずに、「霞ヶ池」を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧を利用してあがっています。水の高さは約3.5mあり、「霞ヶ池」の水位の変化によって変わります。藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。

【⑤「成巽閣」】
「成巽閣」は、海鼠塀が続く「正面入口」と「兼六園」からは「赤門」から入ることができます。「成巽閣」は、13代藩主「前田斉泰」が、文久3年(1863年)に母である「真龍院」のために、「兼六園」の中に建てた隠居所です。当初は、「巽御殿」と呼ばれました。名前の由来は、「金沢城」から見て巽の方角(東南)にあること、京都の鷹司家が「辰巳殿」と呼ばれていたことにちなんで、こうした名前がつけられました。
「成巽閣」は、2階建ての建造物で大名正室の御殿としては、日本国内に唯一現存する建造物となっております。階下は「武家書院造」、階上は「数奇屋風書院造り」の様式を持っており、昭和13年(1938年)に「旧国宝」、昭和25年(1950年)に国の「重要文化財」に指定されています。特に、見どころは、北陸新幹線「かがやき」のグリーン車に使われている色のモチーフとなった「群青の間」の「ウルトラマリンブルー」に彩られた天井です。また。「謁見の間」の花鳥の欄間や「松の間」の小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマンなど、小鳥や花が多くあしらわれています。
★「成巽閣」の見どころ
⑴ 「謁見の間」
「謁見の間」は、公式の「御対面所」として使用され、加賀百万石前田家の威厳を象徴するものでした。花鳥の欄間を境とし上段、下段18畳からなり、広間33畳へとつづきます。「上段の間」は、正面に付書院と帳台構(武者窓)を対峙させた本格的な書院造となっており、天井は「上段」が折上格天井、「下段」は平の格天井、格縁は黒漆塗りとし、杉の鏡板を上段は柾目、下段は柾目と杢目を目違いに張られています。材には色漆、壁は金砂子の貼壁、障子の腰板には花鳥の絵が施されるという華麗で瀟洒な造りを特色としています。
①欄間
檜の一枚板を両面陶彫とし、梅の古木と椿に極楽鳥が五彩の岩絵具で描かれています。前田家御細工所の名工、「武田友月」の作であると伝えられています。
②七宝焼の釘隠
「成巽閣」の各部屋では、襖の引手をはじめ「釘隠」など建具の多くの部材において、特別な意匠を持つものが多用されています。加賀藩では金工技術に象嵌七宝を織り交ぜた「加賀七宝」と呼ばれた技法が盛んであり、金属と釉薬による色鮮やかな部材が多く配されております。
⑵ 「つくしの縁庭園」
「つくしの縁庭園」は、柱の無い縁から眺めることのできる開放的な庭園です。この庭園は、国指定名勝である「飛鶴底」からつづき、中央に雄松、左右に五葉松と紅梅、周囲に楓、満点星紅葉、黐の木、榊、サツキなどなどが配置されています。その合間を縫うように「辰巳用水」から分流された遣水がゆるやかに流れています。「つくしの縁庭園」は、昭和59年(1984年)4月に県指定名勝となっています。
⑶ 「万年青の縁庭園」
「万年青の縁庭園」は、御寝所の「亀の間」に面しています。「万年青の縁庭園」は、「つくしの縁庭園」からの遣水が廊下を挟んで流れ込む庭園ですが、様相は一変します。遣水は深くなり、ゆるやかだった流れは水音が響くように工夫されており、樹木が覆う深山渓谷を彷彿とさせます。また、中央に並ぶ三本のキャラボクは万年の時を経た吉祥の亀を表現しています。「つくしの縁庭園」と同じく、昭和59年(1984年)4月に県指定名勝となっています。
⑷ 「吉祥の亀」
「万年青の縁庭園」の中央に並ぶ大小三本のキャラボクは、万年の時を経た「吉祥の亀」を暗示しています。亀の間に続くこの庭から、心安らかに眠りを守る水音とともに、長寿を願う意味も含めた奥方への心配りに溢れる意匠となっています。
⑸ 「亀の間」
「万年青の縁庭園」に面する、「亀の間」は「御寝所」として使われていました。「亀の間」の部屋の四隅の柱には蚊帳の吊り金具が付けられています。そして、正面には「床の間」、「違棚」を設けられていますが、「御寝所」らしく清楚なものとなっています。「障子腰板」には長生を寿ぐ亀が描かれており、「床の間」の方より1枚毎に亀の数が多く描かれています。
⑹ 「群青の間」
格式のある階下の書院に対して、階上は意匠を凝らした数奇屋風書院の造りです。「群青の間」とそれに続く「書見の間」は、階上における最も重要な空間でした。天井は折上天井とし、素材の杉柾を目違いに張り、蛇腹および目地にはウルトラマリンブルーという西欧より輸入された顔料を使用した群青が特異な意匠となっています。「群青の間」では、天井の群青から壁に朱を用いた色鮮やかな部屋となっています。また、床の間は洞床といわれる踏込床で、左側には1畳の板畳が付いています。

【⑥「金沢城公園」(金沢城)】
「金沢城」(金沢城公園)の概要と歴史を紐解いてみると、「金沢城」は、もともと「尾山御坊(金沢御堂)」という浄土真宗の寺院がありました。「金沢城」は、加賀藩初代藩主「前田利家」の居城で、天正11年(1583年)に「前田利家」が「金沢城」に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。築城にあたっては、キリシタン大名として知られる「高山右近」を招き、その指導を仰いだと伝えられているそうです。そこから前田家の歴代藩主の居城となり、約290年間繁栄しました。「金沢城」は、度重なる火災、特に、宝暦9年(1759年)の火災では、「金沢城」のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。現存する「石川門」は、この後天明8年(1788年)に再建されたものです。平成13年(2001年)に復元された「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」は、文化5年(1808年)の二の丸火災の後再建され、明治14年(1881)年の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現しました。そして、「石川門」、「三十間長屋」、「鶴丸倉庫」は重要文化財に指定されています。また、明治期に失われ約140年ぶりに復元整備された黒い海鼠漆喰が代名詞の特徴的な「鼠多門」と、 城内最大規模の木橋であった「鼠多門橋」が完成しました。「鼠多門」には県内産の能登ヒバなどの木材が使用されています。「鼠多門」と「鼠多門橋」が完成したことにより、「長町武家屋敷跡」から「尾山神社」、「金沢城公園」、「兼六園」、本多の森公園を結ぶ「加賀百万石回遊ルート」もでき、城下町巡りが効率的そして気軽に楽しめるようになりました。さらに、近年再建された「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」は、古絵図や古文書などを基にして、当時の姿を再現し、外観もさることながら内部も必見です。毎週金曜・土曜、祝日の前日には夜間も開園し、「金沢城公園園内」はライトアップされ、昼とは全く違う趣を楽しめます。「玉泉院丸庭園」のライトアップは季節ごとに変わるそうです。「玉泉院丸庭園」のお茶室「玉泉庵」の和室で食べられる抹茶と季節ごとのオリジナル生菓子もおすすめです。

「金沢城公園」の入場門は、「黒門口」、「大手門口」、「石川門口」、「玉泉院丸口」、「鼠多門口」の全部で5つ設けられています。「兼六園」とあわせて楽しみたい方は、「兼六園」(桂坂口)の向かい側にある「石川門口」からスタートするのがおすすめです。

《「金沢城」(金沢城公園)のお薦め散策ルート》
①「石川門」⇒②「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観⇒③「鶴の丸休憩館」⇒④「土蔵」(鶴丸倉庫)⇒⑤「丑寅櫓跡」⇒⑥「帝国陸軍建造トンネル跡」⇒⑦「戌亥櫓」⇒⑧「三十間長屋」⇒⑨「橋詰門」⇒⑩「菱櫓」⇒⑪「橋爪門続櫓」⇒⑫「五十間長屋」(多門櫓)⇒⑬「河北門」⇒⑭「玉泉院丸庭園」⇒⑮「鼠多門・鼠多門橋」

《①「石川門」》
「石川門口」から入ると。まず、「石川門」の「一の門」をくぐり直角に曲って、次に「二の門」をくぐります。これは敵が攻め込んできたときに、その進入の勢いを鈍らせる「枡形」と呼ばれる防御を主眼においた構造です。「一の門」をくぐると、ちょっと変な感じですが、正面の壁と左側の壁の石垣は異なる積み方をしています。正面が「切石積み」、左側が「粗加工石積み」という石垣の積み方です。石垣の積み方は違いますが、両方とも「海鼠壁」との美しいコントラストを醸し出しています。
「石川門」は「高麗門」の「一の門」、「櫓門」の「二の門」、「続櫓」と2層2階建ての「石川櫓」で構成されている「枡形門」です。国の重要文化財に指定されている現在の「石川門」は、天明8年(1788)に再建されました。金沢城内は、度々火災に見舞われほとんどが焼失し、「石川門」は、「三十間長屋」とともに現存する加賀藩時代の数少ない建築物のひとつです。
「石川門」は、現在は「金沢城公園」の「表門」となっていますが、かつては「金沢城」の「裏門」でした。その容姿から「白門」と呼ばれ、昭和10年(1935年)に国の重要文化財に指定されました。そして、平成18年(2006年)から平成26年(2014年)にかけて、保存修理工事が実施されました。

《②「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観》
「石川門」の「二の門」をくぐると、目の前には「三の丸広場」が広がり、さらにその奥には、壮観な「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」が景観を見ることができます。なぜ「石川門」からの入城をお薦めしたのかはここにあります。3層3階の「菱櫓」と「橋爪門続櫓」とを2層2階の「五十間長屋」でつないでいる圧巻のスケールの景観を正面に見ることができるからです。これだけでも「金沢城公園」に来た価値があります。後ほど「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」へは、行きますので、「三の丸広場」の左手にある「鶴の丸休憩館」へ進みます。

《③「鶴の丸休憩館」》
「鶴の丸休憩館」は、鉄骨造一部木造の平家建てで、平成29年(2017年)4月に「鶴の丸」に完成しました。その特徴は、城郭建造物に面して、1枚が最大6m幅の大判ガラスを使用し開放感を演出し、さらに、石川県産の木材を使用した現代的な和風デザインになっています。大判ガラスにより額縁の中の「五十間長屋・菱櫓・橋爪門続櫓」のような絶景を大判ガラス越しに見ることができます。「鶴の丸休憩館」は、入口から入ると、まず「案内スペース」、右手に金沢城の歴史回廊ゾーンと城と庭の魅力発信ゾーンの「展示スペース」、その奥に大判ガラスごしに絶景を見ることができる「休憩スペース」と「豆皿茶屋」があります。「豆皿茶屋」では、軽飲食をとることができ、和菓子、洋菓子、お寿司など石川が誇る銘菓や銘品が、かわいい豆皿にのって配膳されます。また、「鶴の丸休憩館」の前には鶴の丸土塀の構造模型とふだん表面しか見ることが出来ない石垣の技法が、横や後ろからもわかる展示があり、さらに「金沢城」の理解を深めることができます。
「豆皿茶屋」インフォメーション
①営業時間…AM 11:00~PM 4:00 電話:076-232-1877
②定休日…無休(年末年始を除く)
③メニュー例
「殿皿御膳」(2600円)、「姫皿御膳」(2000円)、「鶴の丸御膳」(1500円)、「ちょこっとぷれーと」は三種類あり900円~950円、その他飲み物デ・ザートなど
「鶴の丸休憩館」で景観を堪能した後は、さらに左手奥に進みむと、現存する数少ない当時の建物「土蔵」(鶴丸倉庫)があります。

《④「土蔵」(鶴丸倉庫)》
「土蔵」(鶴丸倉庫)は、金沢城本丸の北側に幕末の嘉永元年(1848年)に建築された大型土蔵で、「鶴丸倉庫」とも呼ばれた武具土蔵で、「石川門」、「三十間長屋」と同様に重要文化財に指定されています。「土蔵」(鶴丸倉庫)が国の重要文化財に指定されたのは、平成20年(2008年)です。「土蔵」(鶴丸倉庫)の建築様式は、土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工「山本勝左衛門」が普請を手がけました。明治以降は、陸軍によって軍服などが保管する「被服庫」として使われていました。長らく「鶴丸倉庫」と呼ばれていますが、実際に建築されているのは「東の丸附段」です。石板を貼った外壁など、櫓や城門などとはデザインを変えています。城郭内に残っている土蔵としては国内最大級の遺構で、総二階建の延床面積は下屋を除いて約636㎡あります。
「土蔵」(鶴丸倉庫)の次は、少々上り坂になりますが、途中に見える「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観も素晴らしいものです。

《⑤「丑寅櫓跡」》
「丑寅櫓跡」は、東ノ丸の隅櫓があった所で、本丸から北東(丑寅)の方角にあるので「丑寅櫓」と名付けられました。「丑寅櫓跡」は、文禄元年(1592年)に築かれ、物見や本丸の防御を狙っていましたが、宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」の際に焼失し、その後は再建されませんでした。。「兼六園」や「戸室山」、「医王山」などが眺望できる展望台となっています。「丑寅櫓跡」にある野面積みの石垣は「金沢城」内最古の石垣とされています。現在は石垣のみ確認することができます。また、「丑寅櫓跡」は、春の桜、秋の紅葉の時期には、絶好のポイントになるそうです。
次は、「丑寅櫓跡」からさらに進み、「戌亥櫓」(乾櫓)を目指します。

《⑥「戌亥櫓」(乾櫓)と「帝国陸軍建造トンネル跡」》
「戌亥櫓」(乾櫓)は本丸の北西角、戌亥の方角に位置していた櫓なので「戌亥櫓」と呼ばれていました。「戌亥櫓」(乾櫓)は、寛永8年(1631年)頃に築かれ、西と北に「出し」という出窓がついている二層の櫓だったそうですが、宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」の際に焼失し、その後は再建されませんでした。現在、櫓はありませんが櫓台からは二の丸に復元された「菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓」を眺めることができます。また、「戌亥櫓」の石垣は「粗加工石積み」の積み方をしていますが、石の隙間には平らな石をはめ込み、「切石積み」のように見せる技法が用いられています。その他、「戌亥櫓」(乾櫓)には、「帝国陸軍建造トンネル跡」があります。「帝国陸軍建造トンネル跡」は、「戌亥櫓」の石垣に掘られた「レンガ造りのトンネル」です。明治から昭和にかけて金沢城は旧陸軍の所管となり軍用施設が設けられました。明治8年(1875年)に精鋭として知られた「陸軍歩兵第7連隊」、明治31年(1898年)からは、「陸軍第9師団司令部」が金沢城址に駐留しました。「戌亥櫓」の石垣にあるトンネルは旧陸軍によって弾薬庫が建設された明治から大正期につくられたものとされています。ちなみに、兵器庫は城外の出羽町に建設されていましたが,弾薬については不慮の爆発のリスクを考慮し,市街地への影響の少ない城内に貯蔵しました。
「戌亥櫓」(乾櫓)を後にし、次に向かうのは、国の重要文化財の一つである「三十間長屋」です。「三十間長屋」は、「金沢城跡本丸附壇」にある「三十間長屋」は、あまり人目につかない所でひっそり建っています。

《⑧「三十間長屋」》
「三十間長屋」は、本丸附段にある二層二階の「多聞櫓」で、「石川門」、「土蔵」(鶴丸倉庫)と同様に国の重要文化財に指定されています。「三十間長屋」が国の重要文化財に指定されたのは、昭和32年(1957年)のことです。「三十間長屋」は、安政5年(1858年)に再建されたもので、現在の長さは二十六間半の二階建ての土蔵です。屋根は南面入母屋造り、鉛瓦葺、白壁の腰に「海鼠瓦」を貼って石垣の上に建つのは、「石川門」と同様であり、二階の腰にも鉛瓦葺の庇が付いています。「金沢城」にはこの他に全部で14の長屋があったそうです。
「三十間長屋」の後は、「金沢城公園」の新しいシンボルである「五十間長屋」(多門櫓)、「橋爪門続櫓」、「菱櫓」のある「橋爪門」へ向かいます。

《⑨「橋詰門」⇒⑩「五十間長屋」(多門櫓)⇒⑪「橋爪門続櫓」⇒⑫「菱櫓」》
「橋爪門」は、「金沢城」の「二の丸」の正門にあたり、城内で最も格式の高い門とされています。「橋爪門」は、寛永8年(1631年)の大火後に整備された「二の丸」の正門です。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる「枡形門」で、枡形は城内最大の規模を誇ります。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、「二の丸御殿」へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、「二の門」の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門でした。文化5年(1808年)の二の丸火災で焼失した後、文化6年(1809年)に再建された姿を復元し、平成27年(2015年)に完成しました。ちなみに、金沢城内の各曲輪をつなぐ城門の中で、特に重要であった「石川門」、「河北門」、「橋爪門」を「金沢城三御門」と呼んでいます。
「五十間長屋」(多門櫓)、「橋爪門続櫓」、「菱櫓」は、平成13年(2001年)7月に完成した延べ床面積1894.23㎡の復元された建物で、「石川門」や「三十間長屋」と同様、「鉛瓦」や「海鼠塀」が外観の特徴です。そして、明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、完成まで実に3年4ヶ月かかりました。3層3階の「菱櫓」と「橋爪門続櫓」を2層2階の「五十間長屋」でつないでいます。これらの建物は、戦の際に「二ノ丸」を守るための施設で、「石落し」や「鉄砲狭間」となる「格子窓」、「白塗漆喰壁」や「海鼠壁」で防火構造になっている外壁がその強固さを示しています。「菱櫓」は大手と搦手を見張る物見櫓として重要な役割を果たし、死角を少なくし視野を大きくするために建物の平面が菱形(内角が80度と100度)になっています。「橋爪門続櫓」は二ノ丸大手の「橋爪門枡形」を見張る物見櫓、「五十間長屋」は武器等の倉庫でした。伝統的な建築工法など築城の知恵がつまった内部は、金沢城公園で唯一有料です。そして、桜の季節には、「菱櫓」横の内堀の桜は人気の撮影スポットに変貌します。
次は、「三の丸広場」にある「河北門」へ移動します。

《⑬「河北門」》
「河北門」は、金沢城の実質的な正門です。「河北門」は、「金沢城」の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸」の正面にあります。これが「正門」たる由縁で、「河北門」は、「石川門」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれています。「河北門」は、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦9年(1759年)の後、安永元年(1772年)に再建されました。再建された「河北門」は、明治15年(1882年)頃に撤去されるまで「金沢城」の実質的な「正門」としての役割を果たしていました。「河北門」は平成19年(2007年)11月に着工し、平成22年(2010年)4月まで約2年半の歳月をかけて完成し、見事に復元されました。「河北門」は、高い防御力を備え金沢城の重要な門のひとつで、「高麗門」である「一の門」、「櫓門」である「ニの門」、「枡形土堀」及び続櫓の機能を持つ「ニラミ櫓台」により防御機能を持った構成となっています。
「一の門」は、幅4.7m、高さ7.4mの総欅(けやき)造りで、脇土塀をなまこ壁仕上げとし、土塀の内側には隠し狭間が設けられています。一の門の右手にあるのが「ニラミ櫓台」です。つづいて櫓門である「二の門」で高さは12.3m、幅26.9m×奥行き8.2mあり、外観は「石川門」とほぼ同じですが、規模は一回り大きくなっています。また、「二の門」は内部を見学することができます。
次は、前田家の歴代藩主が愛でた庭園である「玉泉院丸庭園」へ向かいます。

《⑭「玉泉院丸庭園」》
「玉泉院丸庭園」は、池と石垣によって独創的な景観を創り出した庭園です。庭園散策を楽しんだ後には、「玉泉庵」では抹茶と季節ごとの生菓子を味わうこともできます。「玉泉院丸庭園」は、2代目藩主「前田利長」の正室「玉泉院」(永姫)が屋敷を構えたことがその名の由来とされ、3代藩主「前田利常」による寛永11年(1634年)の作庭を始まりとし、その後5代藩主「前田綱紀」や13代藩主「前田斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで「金沢城内玉泉院丸」に存在していた庭園です。「兼六園」は饗応の場であるのに対し、「玉泉院丸庭園」は藩主の内庭としての性格が強い庭園でした。「玉泉院丸庭園」は、城内に引かれた「辰巳用水」を水源とする「池泉回遊式」の「大名庭園」で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった「色紙短冊積石垣」などの意匠性の高い石垣群を庭の構成要素にした独創的な庭園でした。「玉泉院丸庭園」は、明治期に廃絶されましたが、平成25年(2013年)5月から整備工事が始まり、平成27年(2015年)3月に、歴代藩主が愛でたであろう庭園の姿が再現されました。
また、江戸時代に「露地役所」があった場所に休憩所「玉泉庵」が設置されました。室内からは、「色紙短冊積石垣」をはじめとした意匠性に富んだ石垣群を借景に庭園を一望することができます。また、和室では抹茶と季節ごとのオリジナル上生菓子の抹茶を楽しむことができます。

《⑮「鼠多門・鼠多門橋」》
「鼠多門」と「鼠多門橋」は、「金沢城」の西側にあります。それぞれの特徴は、「鼠多門」が黒い海鼠漆喰、「鼠多門橋」が城内最大規模の「木橋」であるということです。「鼠多門」は、「玉泉院丸」に位置し、「鼠多門橋」により接続される「金谷出丸」からの出入口として機能していました。ちなみに、「金谷出丸」には「金谷御殿」と呼ばれる加賀藩主の別邸があったからです。そのため、当時は、一般の人が通るということは出来なかったそうです。「金谷出丸」は、現在は、藩祖の「前田利家」を祀る「尾山神社」となっています。そして、「鼠多門」は、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。「鼠多門」は、2階建ての「櫓門」で、「金沢城」内の他の門と同じく、屋根は木型を鉛板で覆う「鉛瓦」、外壁は「白漆喰塗り」で腰壁は「海鼠壁」が用いられています。この「海鼠壁」の目地が黒漆喰で仕上げられる建築方法が、「金沢城」内の他の門には見られない特徴です。また、「金沢城御三門」と比べて、城壁の連続した石垣の上に直接建てられている点も大きな特徴でしょう。
「鼠多門橋」は、幅5.5m、長さ29mの木の橋で、「玉泉院丸」と「金谷出丸」を隔てる水堀に架かる城内最大規模の「木橋」で、幾度かの架け替えを経て明治期まで存在していました。しかし、明治10年(1877年)に「鼠多門橋」が老朽化のため撤去され、明治17年(1884年)には「鼠多門」も火災により焼失し、周囲の水堀も埋め立てられてしまいました。そして、現在の「鼠多門」と「鼠多門橋」は、平成30年(2018年)6月から令和2年(2020年)7月までに復元整備され、往時の勇壮な姿が再現されました。そして、「鼠多門」と「鼠多門橋」の復元が何よりも素晴らしいのは、「加賀百万石回遊ルート」を誕生させたことです。これにより効率的な観光ができるようになったからです。ちなみに、「加賀百万石回遊ルート」は、「長町武家屋敷跡」⇒「尾山神社」⇒「鼠多門」⇒「金沢城」⇒「兼六園」の名所旧跡を周遊することができます。

【⑦「旬彩和食 口福」】
「旬彩和食 口福」は、「近江町市場」の「近江町いちば館」にあります。正面入り口から入るとエスカレーターがあるので、それを利用し2Fへ上がります。そうすると一番左奥の方に「旬彩和食 口福」があります。「旬彩和食 口福」は、比較的人気のあるお店なので、事前にネット予約か直接お店に電話して予約したほうが無難です。私たち夫婦が行ったのは、平日の木曜日でしたがお店は満席でした。席が空いても次から次に予約のお客がきているような状況でした。
当日は、蟹コースの「輝~かがやき~」と飲み物は料理に合う日本酒の「黒帯 悠々 特別純米」を注文しました。料理の内容は、「付出」、「かに刺身」、「かにしゃぶ」、「焼きがに」、「かにの揚物」、「かに湯葉春巻きと加賀野菜天ぷら」、「かに雑炊」そして 、最後にデザートでした。特に、タグのついた「かにの刺身」は、さすがに獲りたて、新鮮で、身は非常に甘く、美味しがったというのが感想です。また、最後に「かにしゃぶ」の残りの汁で作ってくれる「かに雑炊」はこれまた絶品でした。日本酒の「黒帯 悠々 特別純米」は、どこか忘れましたが、東京の料理店で飲んだ際に、豊潤で美味しかったのを思い出したので注文しました。これが大当たりで食も一層進みました。店の店員は、アルバイトかと思いますが、しっかりと教育されていた感じで、少々もたつくものの丁寧な応対をしてくれ、好印象を得ました。最後に、それなりのものを使用しているので、カニ料理を美味しく頂いたものの、やはり値段は高いなあと実感しました。

【⑧「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」】
「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」に宿泊したのは、2024年3月7日から3月9日までの2泊3日です。「小松空港」からリムジンバスに乗り「金沢駅西口」で下車しました。時間帯によっては、「香林坊」まで行くリムジンバスもあるのですが、残念ながら「金沢駅西口」が終点でした。当初の予定では、「金沢駅東口」から北鉄バスに乗り、「武蔵ケ辻・近江町市場」(バス停)まで行き、そこからホテルまで歩いて行くという予定でした。しかし、運よく10分足らずで「THE HOTEL SANRAKU KANAZAWA」の送迎バスが、「金沢駅西口」のロータリーからあり、ホテルのエントランスまで行くことができました。荷物の運ぶ手間が全くありませんでした。チェックインの時間前だったので、ホテルに荷物を預け、金沢市内の観光に出かけました。「石川県立図書館(百万石ビブリオバウム)」、「兼六園」そして「金沢城公園」の観光を終えホテルに戻ったのが、17時過ぎでした。フロントでチェックインを申し出たところ、今回は、ちょっと贅沢してクラブルームの「クラブガーデンキング」を予約していたので、2Fにある「プレミアラウンジKANAZAWA」で宿泊の手続きになりました。一連の手続きをしているときに、担当の女性コンシェルジェがきてケーキと飲み物を勧めてくれました。「プレミアラウンジKANAZAWA」のカフェタイムは、14:00から17:00で終了していたのですが、気をきかしてくれました。しかもプレートに4~5種類のケーキがあり、好きなものを選べ、また何個でもチョイスできるということでした。そして、コーヒーなどのソフトドリンク以外にもシャンパン、ワインも飲むことができるということでした。夫婦二人で、シャンパンとケーキを二種類ずつ堪能しました。担当の女性コンシェルジェの接客対応も親切丁寧で、おもてなしの心が十分に伝ってきました。手続きが完了すると部屋まで案内してくれて、設備の操作方法等も詳しく丁寧に説明してくれました。ベットは、シモンズ製のダブルベットで、キングサイズなので、二人で寝てもお互いのことは、全く気になりませんし、旅の疲れを癒し、グッスリと眠ることができ、翌朝は爽快な気分で目が覚めました。また、金沢の伝統工芸と黒を基調とした屏風をモチーフとしたヘッドボードがあり、芸術性も優れたものでした。そして、シャンプー、コンディショナー、シャワージェルはBVLGARIのバスアメニティです。その他、歯磨きセット、ヘアブラシ、カミソリ、シャワーキャップ、綿棒、コットン、マウスウォッシュ などももちろん完備されていました。バスルームは、レインシャワーのついた洗い場付きバスルームでした。テレビも55インチ以上の大型なもので、ベットに寝ながら鑑賞できました。そして、無料のお茶セット、冷蔵庫には、やはり無料の黒部の水と金沢特産の棒茶のペットボトルがありました。サービス満点です。
翌朝は、「この朝食を味わうために足を運ぶ」というお客もたくさんいるという「金沢ダイニング きざはし」での朝食ブッフェです。「金沢ダイニング きざはし」では、7:00から11:00までの時間帯に朝食をとることができます。ただし、最終入店は10:30です。「金沢ダイニング きざはし」の最大の特徴は、「シェフズステーション」といって、フレンチのシェフや板前さんが目の前で、天ぷらを揚げたり、オムレツを作ってくれたり、寿司

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
4.5
ショッピング
3.5
交通
3.5
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
高速・路線バス ANAグループ 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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