2022/11/11 - 2022/11/12
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FUKUJIROさん
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池島(いけしま)での炭鉱開発は、昭和27年(1952年)から始まり、7年後の昭和34年(1959年)に営業出炭を開始しました。小さな島の地下から周辺の海底深くまで掘り進み、坑道総延長距離は約90kmにも達しました。
多くの鉱夫が働き、港湾や住宅が次々と整備され、最盛期には約8,000人が住んでいました。
しかし、池島の繁栄と時を同じくして、エネルギーの主役は石炭から石油へと移りつつありました。しかも石炭そのものも安価な輸入炭に押され、さらに国内の炭鉱では深く、遠くまで坑道を堀り進めた結果、大きな事故が相次ぎ、次々と閉山に追い込まれました。
池島炭鉱は九州最後の炭鉱として操業を続けましたが、21世紀を迎えた平成13年(2001年)11月29日に閉山しました。
その後は島の経済を守り、鉱夫の働き場を残すため、観光事業を進めています。トロッコ列車での旧炭鉱を探検する観光ツアーが人気です。
さて、私たちはトロッコ探検に続けて、島内を歩いて回るガイドツアーに出発しました。ツアーの終盤で私は皆さんと別れ、島内に宿泊し、翌朝長崎市に戻りました。
旅行記の中頃にも書いてありますが「かあちゃんの店」が3月で閉店予定との事、そのため3日目の記録から先出しで投稿します。
1日目
自宅→成田空港→長崎空港→長崎駅と移動して、市内で仕事をしました。
2日目
午前中に長崎市三社参りをして、午後は仕事をしました。ホテルに戻った後、歩いて行ける長崎歴史文化博物館を見学しました。
3日目
長崎バスとさいかい交通のバスを乗り継いで神の浦(こうのうら)港へ、フェリーに乗って池島へ渡り、池島炭鉱廃墟と猫の島で一夜を過ごしました。
4日目
池島から船とバスを乗り継いで長崎駅前に戻りました。寺町通りを歩いて興福寺へ、めがね橋から崇福寺へ坂を登り、長崎観光を終えました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩
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池島炭鉱の見学を終えて、港のバス停から島内のコミニュティバスに乗って、島の中央付近にある新店街通りバス停に移動しました。
このバスが乗客14人乗りのため、ガイドツアーの定員は13人に設定されています。
なお、バス代は一回100円の定額、現金で払いました。
樹木に遮られていますが、第一竪坑の櫓跡です。深さ600m。 -
新店街通りバス停から東方向。
細長い構造物は、昭和60年(1985年)に作られたベルトコンベア。石炭運搬の効率化を図りました。
ここからは歩いて池島の探検に出発します。 -
第3棟炭鉱社宅に来ました。
鍵を開けているのがガイドの池野さん。
池島に生まれ、若い時は東京に出たりしましたが、池島に戻って炭鉱で働き、閉山後はガイドをしている方です。
池島のことは、地上も地下も知り尽くしている方でした。 -
ガイドツアーでは、4階の部屋を見学します。
バリアフリーの設備はありません。 -
炭鉱の仕事は3交代のため、このマークが出ている部屋は絶対に訪ねてはいけないルールでした。
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ダストシュート。
当時は最先端の設備でした。 -
ドアの郵便受け。
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見学用のモデルルーム。
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見学者向けの展示。
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水洗トイレでした。
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室内。
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当時の台所。
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当時の食材も展示されています。
昭和な人には普通の暮らしですね。 -
非常階段を上って屋上に出ました。
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北方向。四方山に建つ給水塔も見えています。
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社宅の建物越しに松島が見えました。
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松島は、池島から約3km離れています。
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昭和56年(1981年)に電源開発松島火力発電所が操業しました。1号機と2号機がつくる100万kWの電力は、長崎県の全世帯の電力需要をほぼまかなえる規模です。
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奥の選炭工場から続く約200mのベルトコンベア全体が見えました。
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選炭工場に黒い坑道口が見えます。午前(昼食後でした)のコースで炭鉱内から見えた出口に繋がっています。
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第3棟炭鉱社宅。中央に写っている太いパイプは、温水給湯用のパイプでした。
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第3棟炭鉱社宅。
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住宅街の公園跡。
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遠くに四方山、その手前の建物は長崎市立池島小中学校。
手前の草地には、かつてショッピングセンターがあり、その駐車場でした。 -
第3棟炭鉱社宅。
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長崎市設池島総合食料品小売センターの跡。
炭鉱が栄えていた頃、島にはここと港に商店がありましたが、現在は一軒もありません。 -
池島は、猫の島として人気があるそうです。
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第3棟炭鉱社宅。全体が蔦に覆われています。
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8階建て旧炭鉱住宅街。昭和45年頃の最盛期には人口が8000人にまで増え、高層住宅が次々と建設されました。
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8階建て旧炭鉱住宅街との間に谷部分がるため、それを跨いでいる橋。
現在は危険防止のため、柵で塞がれていました。 -
旧炭鉱住宅から第二竪坑へ出勤するための通路。
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旧炭鉱住宅から第二竪坑へ出勤するための通路。
かつて看板には「ご安全に」と書かれていました。 -
旧炭鉱住宅から第二竪坑へ出勤するための通路は、すごい急傾斜の階段に変わりました。
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先ほどの看板を見上げると、帰りの面には「御苦労さん」と書いてあったそうです。
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旧炭鉱住宅から第二竪坑へ出勤するための階段は続いていますが、現在は危険防止のために行き止まりになっていました。第二竪坑の建物が見えています。
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8階建て旧炭鉱住宅街との間に谷部分がるため、それを跨いでいる橋。こちらも危険防止のため、柵で塞がれていました。この橋を渡ると5階部分に直結しているため、エレベーターは付けられていませんでした。
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全面が蔦に覆われた8階建て旧炭鉱住宅街。
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池島の最西端です。ここから先にある第二竪坑跡へは個人では入れません。
このガイドツアーでのみ探検できる場所です。 -
第二竪坑櫓。櫓の高さ約35m、竪坑の深さは約730mです。エレベーターのカゴ(籠)は3段構成で一度に数百人を地下600mの坑道に運びました。そこからさらに鉱夫を運ぶ専用のマンベルト(ベルトコンベア)を乗り継いで大蟇島の地下に広がる採掘場までは、約1時間半もかかっていました。
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第二竪坑の施設の裏に回ります。
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旧炭鉱住宅から第二竪坑へ出勤するための階段はここまで続いていました。
仕事を終えて、社宅に帰る上りの階段が「死ぬほど辛かった」とガイドさんの弁。 -
昭和60年(1985年)には、年間153万トンの最高出炭量を記録しました。
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一度に200人が入れた大浴場。
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第二竪坑櫓の前に彫刻が建てられています。
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女神像「慈海」。
長崎平和祈念像の作者である北村西望氏の弟子・橋本活道(名鷲岳了)氏の作品です。
池島炭鉱では、採掘場への移動時間を短縮するため、世界最速の50km/hで走行する高速人車、女神号・慈海が運行されました。 -
女神像「慈海」の視線は下を向いていますが、視線の先にあるのは、蟇島の下に広がる海底炭鉱、女神像が見守っていました。
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池島の西側から見た大蟇島(おおひきしま)と手前左側には大蟇島に重なって見える小蟇島です。大蟇島は周囲が2.6kmほど、小蟇島は周囲500mほどの小さい島で、2つの島は満潮時以外は繋がっています。
大蟇島の地下には池島炭鉱の坑道が伸びており、換気のための立坑が造られていました。 -
8階建て旧炭鉱住宅街。
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8階建て旧炭鉱住宅街。
5階部分に通路が造られています。 -
四方山への登山道。山の麓に昭和38年(1963年)に創建された池島神社が鎮座しています。 御祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)と大山祇命(おおやまずみのみこと)の二柱です。
右の建物は長崎市立池島小中学校の体育館。 -
トイレマップがありました。
近くのバス停から皆さんはバスで港へ移動します。
ここでガイドツアーの皆さんとはお別れしました。 -
長崎市立池島小中学校の校庭。
児童数は3名。内2名は「かあちゃん」のお孫さんらしい。 -
池島にホテルや民宿はありませんが、宿泊施設としては長崎市池島中央会館(市営)があります。7室。素泊まりの施設なので、食糧を持参するか、後で訪れる「かあちゃんの店」を利用するなどの方法があります。
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館内に炭鉱関係の展示がありました。
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客室。この部屋は和室にベッドが置いてありました。
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小さなテーブルとイス。
実にシンプルです。¥3,446でした。 -
部屋の窓から見えた北西方向の景色。池島の最高峰、標高115mの四方山(よもやま)が見えました。白い建物は給水塔で、そこまでは細いアスファルト道が続いているそうです。
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トイレと洗面所。
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大浴場。
宿泊者が少ないからか、フロントの方に入浴希望の時刻を伝えると沸かしてくれるシステムでした。 -
広間もありました。
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手書きの池島マップを見せてもらいました。
最初にこれが貰えたら、池島探検が理解しやすいですね。
調査者・平岡さんという方の著作物です。 -
夕食を食べに「かあちゃんの店」へ向かいます。
池島唯一の信号機を通過します。
この信号は、学校での教育用にわざわざ建てたそうです。 -
第3棟炭鉱社宅。
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昼間に見た長崎市設池島総合食料品小売センターに来ました。
商店は全て撤退しましたが、唯一の食堂がセンター内に残っています。 -
食堂は「かあちゃんの店」といい、炭鉱が栄えていた頃から島に移り住んだ脇山さん(年配の女性)が一人で切り盛りしています。
現在は16~18時頃までの営業で、不定休です。利用する方は、事前に連絡した方が安全です(私も2日前に電話しました)。電話番号 0959-26-1123。 -
店内から入り口の様子。
この日も客は私一人でした。 -
入り口の外には猫がいっぱいいます。
野良猫が「かあちゃんの店」前に集まって来るんだとか。 -
池島はいつしか猫の島として知られるようになって、猫を撮りに来る人も多いようです。
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メニューは色々とありますが、野菜炒め定食+缶ビール(スーパードライ350ml)=¥1,300をいただきました。因みにアルコール類は他にありません。
食事が始まると、脇山さんが島の話をしてくれました。今日のガイドが池野さんだったと伝えると、この島の生まれだから何でも知ってると。
高齢者同士、昔話をたくさんしました。島に来る前のことはあまり話しませんでしたが、佐世保市三河内の出身ではないかと感じました。
そして、とても残念な話を聞きました。歳も歳だし、お客さんも来なくなったし、来年(令和5年)3月で閉店するつもりで準備をしているとのことでした。
投稿が遅くなりましたが、「かあちゃんの店」に行ってみたい方は急いでください。 -
名残惜しいですが、暗くなる前に宿に戻ります。
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ガイドの池野さんの話では、松島から泳いで来た猪が池島で繁殖してしまい、暗くなると出没するそうです。
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日没を過ぎてもまだ明るさが残っています。
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池島唯一の信号機まで来ました。
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中央会館前にもかわいい子猫がいました。
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いきなり野生の顔になりました。
都会でも田舎でもかわいい子猫ちゃんには気をつけましょう。 -
明け方の池島。うっすら明るくなってきました。
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調理室でお湯を沸かし、朝食に持参した赤いきつねを食べました。
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お世話になった中央会館を後にして、港へ向かいます。
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四方山と長崎市立池島小中学校の校舎。
天高くにお月様が見えています。 -
長崎市北消防署池島派出所。現在の施設です。
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新店街通り。多くは1階が店舗、2階が住居でした。
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新店街通り。かつては寿司屋さんや焼肉屋さんもあり、大繁盛していました。
焼肉屋さんが撤退する時、親しかった島の人が「なんぼ稼いだんや」と聞いたら、「億」と答えて船に乗ったいう話が伝わっています。 -
池島簡易郵便局。こちらも現在の施設ですが、ATMはありません。
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ボーリング場の跡。
4レーンだけでしたが、壁を鏡貼りにして広く見せていました。 -
池島ファミリーボールの入り口跡。
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スナックエーワンと雀王(麻雀屋さん)の跡。
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昔の裏通り。
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長崎市池島地区公民館。平成31年(2019年)3月31日に閉館。
1階に卓球場や調理室、2階に図書館や講堂がありました。 -
長崎市役所外海地域センター池島事務所。平日の午前8時45分~午後5時30分に業務を行っています。
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島の中央部が高台になっていて、港へ向かって下ります。
炭鉱が開発される前からの集落でしょうかか。 -
池島鉱業所の入り口跡。
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池島鉱業所かな。
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谷間の小さな集落。
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発電・造水施設跡です。
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発電・造水施設跡。海底ケーブルによって池島の電力は賄われていましたが、昭和41年(1966年)、非常時に備えて8,600kWの石炭火力発電所を設置しました。燃料には、選炭の際に残った微粉炭を使用していました。
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発電・造水施設跡。
この発電所には発電時のボイラーの蒸気を利用し、海水から真水をつくる装置が日本で初めて設置されました。1日に2,650トンの真水をつくり、坑内へ300トン供給し、大半は水資源に乏しい池島の人々の生活用水でした。島中に給水・給湯のパイプが張り巡らされていました。 -
貯炭場跡。
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港です。太陽が眩しい。
右手にジブローダーが見えています。 -
数年前までガソリンスタンドだった敷地の跡。補助金で解体したそうです。
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港に着きました。桟橋には進栄丸が停泊しています。
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池島港ターミナル。
誰もいませんでしたが、入り口は開いていました。 -
展示されている池島の絵。
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時刻表があります。出港時刻が迫っても営業が始まりませんでした。
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進栄丸の船員さんに声をかけて乗船しました。乗客は私一人です。池島に別れを告げる間もなく、すぐに出港しました。
船室は畳敷で、定員の12名が乗ったら三密どころか超過密でしょう。
フェリーより速いのですが、かなり揺れます。船に弱い方は、フェリーにしましょう。また、2.5m以上の波があるときは欠航するようです。 -
神浦港に戻りました。
長崎市外海町の国道202号線に架かる新神浦橋です。昭和55年(1980年)に建設、橋長126.2m、博愛を表す赤い色の橋です。
長崎市内へと進んで行くと、白と青のトラス橋もあり、三つ合わせてフランス橋と呼ばれるそうです。
ここへ来る時にはぜんぜん気づきませんでした。 -
定刻よりも3分早くバスが来ました。
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角力灘。左に小角力、右に大角力と池島、この角度だと池島の右に大蟇島が見えています。
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うっかりしていたら、白い橋、荒川橋です。こちらも昭和55年(1980年)に建設、橋長は115.0m、白い橋は平等を意味しています。
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最後列の席から見た青色の四谷河内橋(しやごうちばし)です。昭和63年(1988年)に建設、橋長は160.0m、青い色の意味は自由です。
三色に塗装された3つの橋、それは外海地区の人々に生きる力を与えたド・ロ神父の故郷であるフランスの国旗に敬意を表しているそうです。 -
道の駅 夕陽が丘 そとめ。長崎市唯一の道の駅で、遠藤周作文学館が隣接しています。
この鐘は、走っているバスから見たらロケットの模型かと思いました。
周辺には、出津教会や黒崎教会などもあり、時間をかけて観光したい所でした。
今回の出張(+観光)も最終日です。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (7)
-
- miroさん 2023/02/12 10:35:34
- 池島
- FUKUJIRO様
こんにちは。
池島の旅行記、大変興味深く読ませていただきました。炭鉱で繁栄していた頃を想像させる建物跡、実際に坑夫をなさっていたガイドさんのお話。炭鉱跡ツアー参加してみたくなりました。
来月長崎に行く予定で、こちらは、全くノーマークだったので、行けるかどうか考えてみようと思っています。
どうもありがとうございました。
miro
- FUKUJIROさん からの返信 2023/02/12 21:49:31
- Re: 池島
- miroさん、こんばんは。
いつもお読みいただきありがとうございます。
私もmiroさんの旅行記を楽しく拝見しています。
さて、丸一日時間が取れれば池島の観光は可能です。島内は徒歩で回る時間がありますので、暑い季節よりも春や秋がお勧めです。
旅慣れたmiroさんなら関連サイトを見ていただければ問題ないと思います。
ぜひ訪問してください。
これからもよろしくお願いします。
-
- ateruiさん 2023/02/11 22:35:14
- subarasii
- 池島観光ツアー 素晴らしいですね
私も行きたいです
宿泊施設も広々していていいですね
aterui
- FUKUJIROさん からの返信 2023/02/12 21:41:55
- Re: subarasiiさん、こんばんは
- 池島の旅行記をお読みいただきありがとうございます。
突然の繁栄と、突然の終末、小さな島に暮らす人々、何か日本国の縮図のように感じてしまいます。
猫の島、猪の繁殖、緑に覆われた建物群、意図しない自然回帰が幸せをもたらすのか。
いろいろと考えることが多い旅でした。
どうぞ行かれてください。とても良い島でした。
これからもよろしくお願いします。
-
- ひでじいさんさん 2023/02/11 17:38:58
- 初めまして
- 池島はいいですね、近世の状態が残っていて、まだ人が住んでいて店などあり行ってみたくなりました。5月に軍艦島に行きますがこちらは廃墟で上陸も難しいようです。
FUKUJIRO さんの旅行記を見て行きたくなりました。考えてみます。
参考に教えてください。
1、池島観光ツアーは所要時間はどのくらいでしょうか。日帰りor1泊
2、予め予約したほうが良いのでしょうか。
3、1泊したほうが良いんでしょうか。
今後、計画して問い合わせするかも知れません、よろしくお願いします。
- FUKUJIROさん からの返信 2023/02/12 21:33:13
- Re: 初めまして
- ひでじいさんさん、こんばんは。
池島の旅行記をお読みいただきありがとうございます。
池島へ上陸することに制限はありませんので、どなたでも上陸し、好きなところを見ることができます。
島内にはコミニュティバスが一日数本ありますから、これも予約不要で乗車できます。
ながさき旅ネットというサイトが参考になります。https://www.nagasaki-tabinet.com/course/60993
ぜひお読みください。
ただし、炭鉱の中に入るには、事前予約が必要です。
長崎さるくというサイトから申し込みができます。
https://saruku.nagasaki-visit.or.jp/ikeshima/
こちらの記事も参考になります。
多くの旅行者は、朝、長崎駅前を出発して、池島観光の後、その日の内に長崎市内に戻るようです。佐世保は抜けるルートも可能だと思います。
丸一日で十分観光できると思いますので、池島に宿泊する人は少ないです。
私はどうしても泊まってみたかったので、電話で予約しました。
8:00~21:00まで、電話0959-26-2030です。
参考になれば幸いです。
楽しい旅をご祈念いたします。
- ひでじいさんさん からの返信 2023/02/13 09:26:01
- お邪魔します
- FUKUJIRO さんの旅行記見て段々行きたくなってきました。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
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