2020/11/09 - 2020/11/09
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令和2年11月9日 (晴) 名鉄知立駅から名鉄藤川駅まで
東海道の街道歩きを続けています。
今回は第9回を終えた名鉄知立駅からで、前回の続きを再開しました。
歩いたのは知立市、安城市。そして岡崎市でした。岡崎市は宿場町であり、城下町でもあります。御城下を横に貫く「岡崎城下二十七曲がり」が有りました。城下の防備で桝形が何箇所も有りました。
まだ、設置されて新しいと思われる岡崎城下二十七曲がりのポストを探して歩くのは、オリエンテーリング的な感覚がしました。
しかし、市の中心から外れた処では、どちらに向かって良いのだろうかと思うような処が何箇所か有りました。街道を歩くモノが分かるようにすべきではなかろうか。
名鉄知立駅 → 知立宿本陣跡 → 知立松並木 → 八橋への道標 → 来迎寺一里塚
→ 常夜燈 → 明治用水関係記念碑 → 雲竜の松 → 一里塚跡 → 予科練之碑
→ 猫田交差点 → 芭蕉の句碑 → 十王堂 → 矢作橋 → 八丁味噌蔵
→ 岡崎城下27曲りの碑 → 伝馬町常夜燈 → 大平一里塚 → 乙川
→ 東海道の松 → 藤川松並木 → 藤川一里塚 → 十王堂 → 名鉄藤川駅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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一般法人 中部地域づくり教会発行「東海道さんさくマップ」より引用しました。
-
(08:36)
名鉄知立駅から北へ歩いて来ました。
この道が東海道です。
ここは前回、終了した交差点です。
これから東に向かい歩きます。 -
前方から東海道街道歩きの参考書を手にした男性が歩いて来ました。
私から声を掛けましたら豊橋から来たそうでした。
昨日は浜松辺りを歩いたのだそうでした。歩くと言うより、足早に駆けると言う感じなのでしょう。(私と対面した時は走って来ると言う姿では有りませんでした)。東京から来ていると言っていて、今日は熱田まで行き、歩き終えたら新幹線で戻ると言っていました。これからも東海道を歩き続けて、京の三条大橋にゴールするのだと言っていました。
やがて、還暦を迎えると言っていました。その還暦の誕生日に三条大橋にゴールするのを考えていると話していました。
今日は豊橋から熱田までを1日で踏破するのだそうでしたが、私はその区間を3日かけて歩きます。
彼が今日のようなぺースで歩くのなら、次は熱田から四日市宿辺りまで行けるのではなかろうか。そして四日市から関宿。次は草津宿まで歩き、三条大橋へゴール出来るでしょう。
還暦の時に東海道を踏破する。凄い計画を実行していると思いました。
是非、金字塔を打ち立てて貰いたいものです。 -
(08:51)
踏切で待たされました。
赤い電車。
知立行きです。 -
(08:55)
国道1号線に来ました。
アノ先の木が見える方向に向かいます。
地下道の横には東海道の石柱が設置して有ります。
恐らく地下道に向かって行けば良いのだろうと思って歩いたが、それで正解でした。
地下道の中に「東海道」のステッカーが貼って有り、進む方向に間違いが無い事を確信しましたが、地下道に導く道標が必要だろう。 -
ここから松並木が始まります。
-
(09:00)
街道の雰囲気が漂う松並木です。 -
かつて池鯉鮒宿では馬市が立ちました。
馬市之跡石碑と馬市の浮世絵が有りました。 -
松並木が続いています。
-
松並木に有った「東海道宿場散歩みち」の案内ボード。
-
(09:18)
元禄の道標です。
「従是四丁 半北 八橋 業平作観音有 元禄九丙子年6月吉朔日施主敬白」と記されています。
これは、元禄 九年(1696)に、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられたものである ことが分かります。
表はハッキリしていましたが、裏面は分かり難かったです。 -
来迎寺小学校の南辺りです。
比較的若い松ですが、並木になっています。 -
(09:32)
来迎寺一里塚です。
街道の南側(右側の写真)と北側(左の写真)に塚が有りました。 -
来迎寺公園内に建っている有栖川宮熾仁親王揮毫の「錦旗千載駐餘光」(きんきせんざいよこうにちゅうす)碑です。
明治23年(1890)に猿渡川一帯で、日清戦争を睨んで、明治天皇観閲のもとに陸海軍合同大演習が行われた場所です。これを記念して明治27年(1894)に建立されました。
左側は由来碑です。 -
猿渡川の橋を渡ります。
橋の上からは左側の視界が開けています。
ここから先が安城市となります。 -
(09:44)
安城市に入ります。 -
安城市今本町を歩いています。
松並木が有り、街道の雰囲気が有ります。
道の両側には工場が並んでいました。 -
(09:54)
安城市今本町を歩いています。
黒塀が旧家らしさを感じさせています。 -
安城市東栄町の松並木を歩いています。
-
(10:06)
でんまあと安城北部の前に来ました。
寄ってみます。 -
店内で並んでいた次郎柿。
私の所は富有柿が多いです。
次郎柿がどんなものか、買ってみました。 -
安城市東栄町辺りを歩いています。
この辺りも松並木が続きます。 -
(10:43)
明治川神社です。
先へ急いだので、鳥居をくぐりませんでした。
この神社をWikipediaで検索したら都築弥厚、伊豫田与八郎・岡本兵松について触れていました。
西三河の台地に用水を引く。
凄い計画でした。 -
永安寺の雲竜の松です。
-
雲竜の松の説明です。
助郷役の免除を願い出た柴田助太夫は死罪となったと書かれています。
夫婦の戒名から本然山と名付けられたと有ります。 -
安城市の大浜屋敷辺りを歩いています。
-
(11:06)
安城市尾崎町亥ノ子 に有る予科練之碑の所へ来ました。 -
元第一岡崎海軍航空隊配置図です。
この碑は熊野神社の一角に有ります。
航空隊は安城市、岡崎市と豊田市の広範囲にわたっています。
かつて滑走路が有ったようですが、戦後は農地になったと説明しています。
三菱自動車の工場が有りますが、跡地にスッポリ入ったのではなかろうか。
この広大な土地。
戦時中という事で接収された土地ではなかろうか。 -
海軍航空隊の部分をズームしました。
第一岡崎海軍航空隊の由来となっています。
岡崎となっていますが、ここ熊野神社が有るのは安城市です。
安城と岡崎に跨っていたのでしょう。 -
先に国道1号線が見えます。
あそこで、合流します。 -
(11:26)
国道1号線を歩いています。
ここから岡崎市に入ります。 -
岡崎市矢作町地内です。
330キロポストが設置して有りました。 -
国道1号線は真っ直ぐで、東海道は左に進みます。
この場所の手前に左へ行く道が有りました。
地図を見ながら歩いていても、(ここまで来れば、左に向かえば良いことが分かりましたが)分かり難い所でした。 -
誓願寺の南側に有る十王堂です。
十王とは、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な王です。
十王は死者の罪の多寡に鑑み、地獄へ送ったり、六道への輪廻を司るなどの職掌を持つため、畏怖の対象となりました。閻魔王は閻魔大王として知られていますが、閻魔王以外の諸王の知名度が低く余り知られていません。
左右に五王づつ並んでいて左前列の一番左は役行者ではなかろうか。
また、右側の鏡の後ろの人物は異なる人物ではなかろうか。 -
(12:03)
この先には矢作川に架かる矢作橋が有ります。
橋を渡る前に見えたのが、出合乃像 (蜂須賀小六と日吉丸の像)です。
岡崎市の事を石工団地が有り、「石都」と呼びます。
この像はその団地で製作されたものではなかろうか。 -
矢作橋を渡っています。
前の方に岡崎城が見えます。 -
(12:13)
八丁藏通りです。
左に黒塀の建物が続きますが、八丁味噌の角久です。
ここに来るのに、矢作橋を渡ってから来るのに道が分かり難かったです。 -
八丁藏通りに八丁味噌の説明板が設置して有りました。
-
岡崎城の松葉総門跡の石碑が立っています。
それに岡崎城下二十七曲がりの指示標柱も有ります。
いろはを逆に歩きます。
ここは「た」ですが、歩いてきたところよりも先に「れ」が有ったのでしょう。
八丁藏通りを通ってきましたので、見落としました。 -
(12:35)
前方から女性二人が参考資料を片手に歩いて来ました。
一目見て、街道歩きの人だと分かりました。
私の方から声を掛け、歩みを止めてしまいました。
千葉から東海道を歩きに来ていたお二人。
今日は藤川駅から歩いて来たそうな。
彼女たちも昼食前で、この辺りに食事が出来る処が無いかと聞かれたが、ここまで歩いて来て食堂やコンビニが無かったと応えました。
彼女たち。この後、矢作駅から戻ると言いました。ホテルにでも、止まったらと言うと泊まるのが面倒やで新幹線で戻ると話していました。新幹線で来ては歩き、そして戻るの繰り返しをしているのでしよう。
城下二十七曲がりを歩いて来た彼女たち。
一人が、この町は東海道を歩く人に不親切な町や!と言いました。
私も同感です。
歩いていて、進行方向が分かり難かったです。 -
本町通りです。
路面の岡崎城下二十七曲がり。 -
(13:01)
籠田公園へ来ました。
屋根が有って、イスとテーブルが備わっています。
ここで昼食にしました。 -
城下二十七曲がりを再開して、歩き始めました。
伝馬通り1丁目の交差点に明治の道標が有りました。
籠田公園から南へ行き、東に進むルートとなっていましたが、籠田公園からどちらに向かって良いのか分かりませんでした。 -
西本陣跡の前に有った碑です。
城下二十七曲がりを解説しています。 -
岡崎城下二十七曲がりのポストです。
東の方から、いろはの順になっていますが、私は八丁町の方からで逆に歩きました。
ちが抜けていますが、籠田公園の南で、その場所が分からなかったのです。 -
(13:53)
ここが、岡崎城下二十七曲がりの一番東の場所です。 -
岡崎城下二十七曲がりの石碑です。
石面が反射して上手く撮影できませんでした。 -
岡崎インターの近くです。
松が並木になっています。 -
(14:10)
前方のコンクリート塀はインターに向かう道路の塀です。
この先。道路の下を通ります。
ここまで来て、アノ方向に向かえば良いと思いましたが、指示標識が無く不安に思いました。 -
道路の下をくぐ抜けてきて、このような手作りの案内板が設置して有りました。
このような物は有り難いです。
本来なら、行政が設置すべきだと思います。 -
(14:19)
大平一里塚に来ました。 -
このプレートを見てから進んだら乙川に向かってしまい、先に進めませんでした。
その後、国道1号線の下を通りぬけて東側の歩道に上がりました。
右側の詳細図でどのように迎えは良いのかルートで示すべきだと思いました。 -
国道1号線の大平橋の歩道を歩いています。
-
(14:41)
現在は乙川に橋が有りますが、かつては乙川を渡しで渡っていました。
渡し船から上がって、ここから歩き始めた処がこの景色でした。 -
岡崎市美合町の松並木が有るところを歩いています。
-
(15:10)
国道1号線を歩いて来ました。
この信号から東海道は離れます。 -
藤川町に入ってきました。
街道の両側に松並木が続いています。 -
(15:18)
藤川宿に入ってきました。 -
名鉄藤川駅の跨線橋を渡って、道の駅に来ました。
計画では名鉄藤川駅でフィニッシュにしようと思っていました。名鉄藤川駅にはトイレの設備が無いので道の駅藤川宿で用をたして乗車しようと思っていました。 -
道の駅の中の岡崎コーナーです。
土産物が揃っています。 -
今日、歩いた歩数と距離です。
7時間余りで、23キロ近い距離を歩きました。
最後に
知立から岡崎の間には何箇所も松並木が有り、東海道でも一番東海道らしさが有るところではなかろうか。
街道歩きをして来て、ブログにアップする。
来迎寺公園に有った「錦旗千載駐餘光」の旗。日清戦争を睨んでの陸海軍合同大演習が明治天皇観閲のもとに行われた場所で、これを記念して建立されました。
安城市、岡崎市と豊田市の広範囲な場所に第一岡崎海軍航空隊が有りました。戦時色の強い時期。この場所にこのような施設が有ったと言う発見。
先を急ぎ、お参りしませんでしたが、明治川神社。明治用水建設の功労者を祀っているのを知りました。街道歩きで色々の事を知る面白さが有ります。
東海道を駆け抜ける人。ジックリ歩く二人のオバちゃん。一期一会の出会いですが、人とお話できるのを嬉しく思いました。
今日の経費
新那加駅~知立駅 1,140円
藤川駅~新那加駅 1,400円
カップ麺 82円
次郎柿 250円
お握り 110円
パン 140円
りんご 213円
洋なし 213円
カップコーヒー 100円
パン 150円
合計 3,798円
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