2022/06/01 - 2022/06/02
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kojikojiさん
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での宿泊は「ラ・ジェント・ステイ札幌大通」というホテルで、ここについてしまうと6日間お世話になった宗谷バスともお別れです。そしてチェックインが済んでしまうと札幌からの添乗員さんともお別れです。大抵のツアーの最終日のホテルは一番良いのですが、御多分に漏れずこのホテルもなかなか良かったです。部屋で荷をほどいた後は三越に行って妻の実家に夕張メロンを贈る算段をしました。ちょうど初セリが終わってすぐなので、送るのは6月中旬になりそうです。今年の初値は2玉で300万円だったらしいので、150万くらいと100倍くらいの値段を言っておこうと思います。その後は初日の旭川で食べた生ラムのジンギスカンが美味しかったので「だるま」に行きました。やはり松尾ジンギスカンの味付けの肉よりシンプルな方が良いみたいです。ここでもご飯を食べたいのを我慢して、30数年ぶりにラーメン横丁にも行ってみました。本当は入り口の「白樺山荘」が有名ですが、弟の結婚式の際に両親と食べた「ひぐま」の味噌ラーメンが食べたかったのです。「白樺山荘」には2週間後に旅で来ることにしました。お腹もいっぱいになったのでホテルに帰りながらセイコーマートに立ち寄りました。利尻島の店で買わなかったカップ麺を買うためです。ついでにホテルで飲むサワー類も買い求めて買い物は終わりです。ホテルに戻る妻に買い物を預けて、1人で夜景散歩をすることにしました。と言っても旧道庁と時計台とテレビ塔だけなのでいくらも時間はかかりませんでした。ホテルに戻ってからは大浴場へ行きましたが、入れ替え制の風呂の1つは巨大な提灯が吊られ、もう1つは壁が巨大な狸になっていました。インバウンド客には受けそうですが、日本人的にはもっとシンプルで良いと思います。リーチインの冷凍庫があって、アイスキャンディーが食べられるのが良かったです。翌朝は朝ご飯を食べてゆっくりしていると空港へ向かう時間になってしまいました。ホテルの最寄りのバス停から新千歳空港へ向かいましたが、これは便利でした。次回は空港からも使ってみようと思います。朝ご飯を食べたばかりなので空港では食事しないつもりでしたが時間があるので、国際線ターミナルにある「ポルトムインターナショナル」に行きました。昨年の暮れにも行きましたが、素晴らしいホテルなのに誰もお客がいないのも気に入っています。手慣れた感じで「ザ・バー」に入ってコーヒーとベリーのパフェとフレンチトーストを食べることにしました。前回はコーヒーを飲むくらいの時間しかなかったのですが、ここのパフェもフレンチトーストもお手頃な値段の割にクオリティが高いので好きです。前回は撮れなかったロビーに架かったアイヌの酋長の絵画の写真も撮れて大満足です。東京行きの便では荷物が重量オーバーになってしまい、カウンターに行かなければならなかったので、ついでに座席を窓側に変えてもらいました。重量オーバーを見越して危険なものはキャリーバックに入れたはずでしたが、ワインオープナーを取り出すのを忘れていました。100円くらいのものですが、サンクトペテルブルグの町で買い求めた思い出があるので、もう1度セキュリティを通って手続きしました。東京に戻りながら、2週間後の北海道の旅を考えて家路につきました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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「ラ・ジェント・ステイ札幌大通」には午後5時過ぎに着きました。ここでバスを降りて車内を点検すると宗谷バスのドライバーさんとガイドさんとはお別れです。初日にタイヤのパンクなどトラブルもありましたが安全運転でした。
ラ・ジェント・ステイ札幌大通 宿・ホテル
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そして東京に戻るまでの資料を貰ってカードキーを受け取ると添乗員さんともお別れです。この日の夜は自由食で、翌日は各自自力で新千歳空港へ向かい、東京へ戻ります。
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いつものように皆さんがエレベーターで上がるまでロビーで待機します。今回の旅は足も痛くならず、元気で頑張ってくれました。
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部屋はスタンダードのツインルームです。ベッドサイドの照明など気が利いたデザインです。
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狭いながらもデスクやソファなど工夫がされています。
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このホテルには大浴場があるので部屋風呂は使いませんでした。洗面道具などを置く台があるので便利です。
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何よりなのはトイレが別になっていることです。
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暗くなる前に大通公園に行ってみることにしました。稚内の南の豊富温泉でライラックの花がきれいだったので、大通公園のライラックを見るためです。到着した1週間前は札幌に寄らなかったので「ライラックまつり」を見ることが出来ませんでした。お祭りは数日前に終わっていますが大丈夫だろうと思っていました。
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ところが6月1日では無残な姿になっていました。これが一番きれいな花でした。後でバートンの店員さんに聞いてみるとここ2日ほどの雨と風で散ってしまったということです。
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大通公園の西5丁目の中央にオベリスクのごとくそびえる石碑は昭和14年に建立された「聖恩碑」です。碑の正面には「聖恩無彊」(せいおんむきょう)の四文字が刻まれています。「聖恩」とは「天皇の恩恵」を意味しており、「無彊」とは「限りのないこと」を意味しています。この四文字で「天皇の恩恵は限りないものである」ということを表しています。
聖恩碑 名所・史跡
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公園をテレビ塔に向かって歩くときれいな花壇が見えました。会社の名前に記憶があったので考えてみたら姪の旦那さんの会社でした。お父さんは農業試験場で、旦那さんも植物関係と似たような人を選んだみたいです。弟はハモグリバエという虫の研究をライフワークにしていて、英国の科学雑誌に論文も出すほどで新種のハエも発見しています。ハエに娘の名前を付けようとして「お父さんそれだけはやめて。」と言っていたので仲良くないのかと思っていました。
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妻の実家にお土産を贈ろうということになり三越に向かいました。札幌西武があれば安く買い物が出来ますが、現在は売却されて空き地になっています。今年の夕張メロンの初セリは2玉で300万円でしたが、1週間たったので予算は2玉で150万円くらいみておけば大丈夫でしょう。
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札幌は夕方でも14℃もあります。温かいところに戻ってきた気がしますが、東京は暑くて大変だと友人からLINEのメッセージが送られてきていました。
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稚内の「氷雪の門」の像の作者は本郷新(ほんごうしん)の作品でしたが、ここに建つ「泉の像」も彼の作品です。大通公園はここまでで、通りを渡って三越に向かいます。
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渡ったところでBURTONのショップに出逢ってしまいました。バートンのキャリーバックはスケートボードのウィールを取り付けられるのが気に入って十数年愛用しています。ヨーロッパの石畳の上などは音がしないのが良いです。このTシャツ欲しくなって買ってしまいました。
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懐かしい路面電車と再会です。三越の地下で夕張メロンを送る手配をしましたが、2週間ほどで送れるようでした。予算は150万円でしたが100分の1で済みました。
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三越から南に下ってススキノまで出てきました。
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この日の晩ご飯は「成吉思汗だるま4・4店」です。初日に入った旭川の「大黒屋」の生ジンギスカンが美味しかったので同じ生肉の店にしました。
成吉思汗 だるま 4・4店 グルメ・レストラン
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「上肉は残り4皿です。」と言われてしまうと注文しないわけにはいきません。喧嘩しないように2皿です。
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そしてヒレも2皿。ビールを飲みながらお腹を整えます。
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脂身を乗せて野菜を焼きます。今回実感しましたが、野菜はタマネギとネギに限ります。もやしはいらないと思います。
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片面を7割焼いて裏返してサッと焼いてタレをつけていただきます。
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2日目からずっと海鮮ばかりだったのでお肉が美味しいです。ご飯も一緒に食べたいところですが、ラーメンを食べたいので我慢します。若い頃だったら別腹なのですが。
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入った時は2席しか空いていませんでしたが、出るタイミングはひと段落したところでした。とても美味しかったです。
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さあ、次の店に生きましょう。
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いい具合に日が暮れてきました。旭川で同じような写真を撮ってから1週間が過ぎました。
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札幌には25年位前に駅前にLOFTをオープンさせるために冬に3か月ほど出張したことがありました。オープン時はたまごっちが大人気で中通りに人が並んだことを覚えています。その年の夏には札幌西武の仕事で3か月の出張でした。散々札幌では飲み歩きましたが、当時行った店のことは思い出せません。
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ラーメン横丁には30数年ぶりに来ました。札幌に住んでいた弟が結婚することになり、前乗りした晩に両親とラーメンを食べに来た思い出があります。
元祖さっぽろラーメン横丁 名所・史跡
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本当であれば「白樺山荘」に入りたいところですが、この2年は両親との旅の足跡をたどっているので「ヒグマ」に向かいます。「白樺山荘」は2週間後にします。
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以前は混雑していた通りも閑散としています。インバウンドの頃もすごかったのだと思いますが…。
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この場所だったか記憶もありませんが店の名前だけは憶えています。結婚式の前に弟たちを招待して小樽の「海陽亭」の札幌店でごちそうしたら、女将さんが祖父の描いた短冊を飾ってくれていた思い出もありますが、その店ももうありません。
ひぐま 横丁本店 グルメ・レストラン
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こちらは「ひぐまコク味噌」です。チャーシューを追加でお願いしました。肉味噌とスープの辛みが美味しかったです。ジンギスカンの後ではちょっと味がこってりしすぎたかもしれません。
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妻は「ひぐま正油」です。こちらの方があっさりしていてジンギスカンの後には良いかもしれません。
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これでこの日のミッションはほぼ終わりです。
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ブラブラ夜風に吹かれながらホテルに向かいます。
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この路面電車の停留場は、駅前通の路線延伸に合わせ、商店街近傍に新設されたそうです。車両が歩道側を走行するサイドリザベーション方式を採用したことから、停留所は歩道の上になっています。
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途中で何か忘れていると思い出したのがセイコーマートです。札幌の店はおしゃれです。最後の晩に飲む飲み物とセイコーマートオリジナルのカップ麺を4種類ほど買い求めました。妻がこっそりカゴにおにぎりを入れたのでびっくり。
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ホテルに戻る妻と別れて少し夜景散歩することにしました。まず通りがかったのが中央警察署です。昭和初期の貴重な建物でしたが、老朽化のために平成8年の1996年に解体され、その跡地に原型を再現する形で建てられた新庁舎だそうです。1階部分はルスチカ風の石貼りで、上層部は茶褐色のスクラッチタイル貼りの落ち着いた外観です。コーナー部が湾曲し、そこに玄関を配置するモダンな設計です。大きな円形の玄関庇がアクセントになって存在感を強調しています。中層部に並ぶ丸窓やコーニス(壁に水平に付いた横方向の装飾部材)に凝った意匠が見られます。さっぽろ・ふるさと文化百選に指定されています。
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その先には北海道庁旧本庁舎があります。「赤れんが庁舎」の愛称で知られる煉瓦造りの建物は、現在使われている新庁舎ができるまで約80年に渡って道政を担ってきた歴史ある建物です。
北海道庁旧本庁舎 名所・史跡
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明治21年の1888年に建てられたアメリカ風ネオ・バロック様式の建築で、明治時代に造られたひずみのあるガラスなど、まるで時間が止まったままのようです。
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残念ながら現在は耐震工事中のようで内部を見学することが出来ないのと、1階はガリバリューム鋼板の仮囲いが設置されています。
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建物にはいくつもの赤い「五稜星」を見ることが出来ます。五稜星をデザインしたのは明治5年の1872年に開拓使御用掛となり、樺戸丸船長を命じられた蛯子末次郎です。彼は樺戸丸の船長時代に開拓次官であった黒田清隆の命令で、開拓使の記章として赤い星のデザインを作成しました。五稜星はやがて開拓使全体を表わす記章となり、開拓使が建てた建築物や開拓使直営工場の製品に赤い星のマークが付けられていきました。
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この建物の近くには昔に弟が結婚式を挙げた「「札幌グランドホテル」があります。次の旅行はここに泊まろうと思っています。以前と変わってこの辺りの街並みもきれいになっていました。
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次に向かったのは時計台で、正式名称は「旧札幌農学校演武場」です。札幌農学校は、北海道大学の前身で北海道開拓の指導者を育成する目的で明治9年の1876年に開校しました。演武場(時計台)はクラーク博士の提言により、農学校生徒の兵式訓練や入学式と卒業式などを行う中央講堂として明治11年の1878年に建設されました。
札幌市時計台 名所・史跡
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完成した当初の演武場には時計塔はなく、授業の開始や終了を告げる小さな鐘楼が屋根の上にあったそうです。演武場の完成式に出席した黒田清隆開拓長官の指示で、塔時計の設置が決まったと言われています。1878年にホイーラー教頭はニューヨークにあるハワード時計商会に塔時計を注文しました。翌年に札幌に到着した機械時計が予想以上に大きく、鐘楼に設置できないことがわかりました。時計塔の設置には大がかりな改修と費用が必要なため、当時建築中の豊平館や他の建物に設置することも検討されました。しかし、ホイーラー教頭は演武場に塔時計を付けて札幌の標準時刻とすることの大切さを力説し、完成間もない演武場に時計塔を造り直して機械時計が据えつけられました。
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夜景散歩もこれまでで、大通公園を横切ってホテルに戻ります。30分くらいのつもりが1時間ほど歩いてしまいました。
さっぽろテレビ塔 名所・史跡
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昨年の12月のツアーで函館から札幌まで移動してきて、初めて「さっぽろテレビ塔」にも登りました。塔の上から見た大通公園の「さっぽろホワイトイルミネーション」はきれいでした。北海道はどの季節に来ても楽しめるなと思います。
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ホテルに戻ってきました。とても便利な場所にあるホテルです。部屋で一休みして先ほど買った缶チューハイで乾杯しました。
ラ・ジェント・ステイ札幌大通 宿・ホテル
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このホテルには2つの大浴場があり男女が時間交代制になっています。「天然温泉大浴場 ぽんの湯」で夜は男性が3階で女性は5階でした。巨大な提灯の吊られた鄙びた温泉の雰囲気や壁面一杯に巨大な狸がレリーフになった面白い趣向です。これは両方入った方がいいです。冷凍庫があってアイスキャンディーが無料で食べられるのも良いです。
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翌日は特に何もすることが無いのでゆっくりと2階の朝食レストランに向かいます。「Northern Kitchen]という洒落たレストランです。
Northern Kitchen~All Day Dining~ グルメ・レストラン
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こんな雰囲気の店内で、若い宿泊客が多いのにびっくりしました。出張中のサラリーマンの若者も多かったです。昔はこんなしゃれたホテルは無かったので羨ましい限りです。ビュッフェのメニューも北海道の食材をふんだんに使い、料理も後から追加されて見ていて気持ちよいです。
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食べたいものに目移りして、こんな大量の朝ご飯になってしまいました。北海道のソウルドリンクの「ソフトカツゲン」も飲み放題です。元は昭和初期に中国に駐屯していた帝国陸軍兵士の栄養飲料として開発されたもので、「勝つ」にかけた「活」と、「牛乳の素」の「素」を合わせて、「活素(かつもと)」の名で呼ばれていたそうです。
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ゆっくりとコーヒーも楽しんで、今回の旅を振り返ります。天気にも恵まれてよい旅が出来ました。
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ホテルからタクシーで札幌駅まで行ってJRで新千歳空港へ向かいか、近くの停留所から空港バスに乗るか迷いました。同じツアーの方が同じ考えで空港バスに乗るととても混むのではないかと心配もしました。
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少し早めのバスで新千歳空港に向かうことにしました。ホテル近くの停留所には同じツアーの方は2組だけでした。
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バスは空いていたので結果的には正解でした。今回初めて空港バスを利用しましたが、次回は空港から利用してみようと思います。値段も1,100円とお手頃です
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バスは12時に新千歳空港に到着しました。到着ロビーのカウンターで手続きをするのですが、一度出発ロビーまで上がって、横移動してから1階に降りるのが面倒でした。
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チャックインした後はすることも無いのですが、お昼を食べるには朝ご飯から間もないので国際線ターミナルの「ポルトムインターナショナル」に行くことにしました。昨年遅れの旅でも行ったのですが、空港でお昼を食べた後に忘れていて、デザートを食べる時間が無かったのでリベンジです。
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国際線ターミナルにも人の姿はほとんどありませんが、ホテルのロビーにも誰もいません。左側の絵の写真も前回は撮れなかったので今回は忘れずにと思っています。
ポルトム インターナショナル 北海道 宿・ホテル
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お客さんが少ないので「カフェ・スカイライブラリー」は営業しておらず、この日も「The Bar」に案内されました。フロントの奥のエレベーターで8階に上がります。
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宿泊フロアの共用部も見てみたいのですが、こちらは8階のエレベータホールです。
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床からクリスタルの花が咲いています。今回はたくさんの花を見る旅でしたが、その締めくくりはこのホテルの花とは洒落たものです。
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その花のすべてが違うデザインになっています。
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前回と同じ一番眺めの良いソファに座らせていただきました。お客さんは誰もいませんでした。コーヒーもカフェオレでもおかわりは無料でできます。それで税サ込みで1,089円です。スイーツを注文すると847円!(おかわりは出来ません。)
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窓の外には千歳の森が広がり、飛行機が着陸するのが見えます。ジェットスターのオレンジの星でさえ、北海道だと「五稜星」に見えてきます。
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前回は時間が無くて食べ損ねた「パルフェルージュ」です。3種のアイスクリームとミックスベリーのソース、下にはバラ風味のジュレ、苫小牧産いちごを贅沢に使用した鮮やかなパルフェです。これで1,210円は安いと思います。
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妻の注文したのは「自家製パンのフレンチトースト」で、甘い香りが漂います。
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壁面に飾られた屏風はにはたくさんの扇面が描かれています。「法橋光琳」とあるのでびっくりしました。白盛の菊の花などは本物のようです。念のために尋ねてみるとレプリカということで安心しました。国華社で長年模写をしていた日本画家の菊川京三は遠い親戚で、このような光琳の扇面の絵が家にもあります。
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「自家製パンのフレンチトースト」はポルトムインターナショナル北海道の自家製パンをフレンチトーストにしています。パティシエ特製のバニラアイスとキャラメル風味のホイップ、ベリーソースとはちみつがセットになっています。これで895円は驚きです。
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今回は大満足の時間が過ごせました。一度は泊まってみたいとは思うのですが、新千歳に泊まるなら東京に帰ってしまうと思うし、札幌に着いたら市内に行きたいと思うだろうし、微妙です。
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ロビーにはずらりと並んだアイヌの指導者たちを描いた絵が掛けられています。原画の「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」は、絵にも優れた才をもつ松前藩の家老だった蠣崎波響(かきざきはきょう)によって18世紀に描かれ、現在はフランスのブザンソン美術考古博物館に所蔵されています。このホテルでは高精細複製作品が展示されています。昨年は時間が無くて写真が撮れなくて残念に思っていました。
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「マウタラケ(麻烏太蠟潔)」はウラヤスベツの酋長です。中国との交易で手に入れた漢服を身に着けています。寛政元年の1789年5月に国後島とメナシのアイヌが和人商人の酷使に耐えかねて蜂起し、現地にいた70人余りの和人を殺害しました。これがクナシリ・メナシの戦いです。事件を受けた松前藩は260名の討伐隊を派遣しましたが、その指揮官の1人が家老の蠣崎波響というわけです。
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「チョウサマ(超殺麻)」も同じような漢服を纏い、足には真っ赤なブーツを履いています。昨年の北海道の旅では白老のウポポイや国立アイヌ民族博物館、釧路市立博物館などでアイヌの文化について学びました。その活動範囲や交易の広さには驚きました。
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「ツキノエ(貲吉諾)」は国後アイヌの族長です。妻はチキリアシカイ(窒吉律亞湿葛乙)で、イコトイ(乙箇吐壹)の父親です。
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「ションコ(贖穀)」ノッカマフの酋長で、腰には見事な刀を差しています。漢服も本来の使い方と違っているのも面白いです。
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「イコトイ(乙箇吐壹)」は厚岸の酋長です。こちらは漢服の上に西洋の赤いコートを羽織っています。
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「シモチ(失莫窒)」は厚岸アイヌの首長で弓を構えた姿がかっこいいです。矢じりには毒が塗られているのでしょう。エゾシカのベストを着て、腰には捕えた鳥を下げています。脚絆の模様がアイヌらしいです。
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「イニンカリ(乙唫葛律)」も厚岸の首長です。小熊を連れています。狩猟採集を生業として暮らしているアイヌは、熊猟を毎年初冬から早春にかけて穴ごもりしている熊を対象に行います。穴の中に小熊がいた場合は絶対に射ずに親熊だけを射ます。小熊はコタン(集落)に連れて帰り、カムイから養育をまかされた名誉あることと考え、授かった小熊を人間の子供と同じようにチセ(家)の中で大切に育てました。小熊のしぐさはとても可愛らしく、遊んだり甘えたり人間の子供のようで、母乳をあたえたこともあったそうです。こうして1歳か2歳頃までヘペレセツという小熊のオリで大切に育て、その魂をカムイモシリ(神の国)へ送り返します。
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「ノチクサ(訥窒狐殺)」はシャモコタンの首長です。仕留めたエゾシカを担いでいる姿が印象的です。
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「ポロヤ(卜羅鵶)」は別海の首長です。こちらは漢服の上にアイヌの伝統の「ルウンペ」を着ています。アイヌ語で「ル(道)ウン(有る、持つ)ペ(もの)」という意味で、テープ状に切り分けた布を伸ばしたり、折り曲げたりしつつ、着物に縫い付けた上から、さらに刺繍を刺して作り上げていく手法です。
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「ニシコマケ(泥湿穀末決)」は厚岸の首長です。弓に弦を張る緊張した瞬間です。
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「チキリアシカイ(窒吉律亞湿葛乙)」はツキノエの妻でイコトイの母です。これらの絵画は昭和59年の1984年10月にフランスで11点が発見されます。ブザンソン市立博物館(現ブザンソン美術考古博物館)が1930年以前に入手したもので、価値がわからないまま倉庫に埋もれていたそうです。たまたま東洋美術専門の学芸員が発見して、日本の専門家に鑑定を依頼して真筆という鑑定結果になりました。渡仏の経緯は謎のままのようです。
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左官職人の久住有生(くすみ なおき)の左官も見事ですが、この絵画の迫力はレプリカでありながら圧倒されます。これで昨年からのモヤモヤも無くなりました。
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国際線ターミナルは相変わらず閑散としています。インフォメーションで次の旅先のパンフレットをいただき国内線ターミナルに戻ります。12月にあったカートは無くなっていました。
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セキュリティーの通過の際にちょっとしたトラブルがありました。預け入れの荷物が重量オーバーになることを見越して、荷物を1つ機内持ち込みに出来るようにしていました。ところがワインオープナーを出し忘れて引っかかってしまいました。100円ほどのものですが、サンクトペテルブルグの町で探して買った思い出があるので、もう一度セキュリティを出てカウンターで預けました。
新千歳空港 空港
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団体で取ったマイレージの加算も無いチケットでしたが、座席は窓側に変えていただけました。
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先ほどまでいた「ポルトムインターナショナル」のバーの辺りが見えました。
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飛行機は滑走路に出たかと思うとすぐに離陸しました。右手には支笏湖の周辺の山々が見えますが、たぶん樽前山だと思います。太平洋フェリーで苫小牧に着く前に見えた山と同じ姿をしています。
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苫小牧港が見えた後はずっと雲に中に入ってしまい景色は楽しめませんでした。
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足立区上空から羽田に向かって高度を下げていきます。どこの学校の屋上にも校名が書かれてあるのでどの辺りかが分かりました。知らない間に世の中のルールって変わっているのですね。
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1週間の旅が終わりました。家に帰ったら次の旅の準備を始めます。
羽田空港 第1旅客ターミナル 空港
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ワインオープナーのためにこんな箱に入れてもらいました。お手数をお掛けしました。空港で晩御飯用のお弁当を買ってリムジンバスで池袋に戻り、迎えに来てくれた友人の車で予定より早く家に帰れました。
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