2018/04/22 - 2018/07/15
134位(同エリア502件中)
おくさん
フランス人の道4 ここんとこ安上がり
5月13日 歩き20日目
レオンの巨大アルベルゲ。5:50、部屋が突然明るくなる。オスピタレロが一斉に部屋の明かりを点けて回っているのだ。昨晩は9時に鐘の音で移動させられたし、なんか収容所みたい。できればこういう巨大アルベルゲは避けて小さいアルベルゲを泊まり歩きたいが、距離の関係でそうも言ってらんない。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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外に出るとアルベルゲの片隅にはバックパックが山積みになっていた。みんなどこそこのアルベルゲまで運んでもらうための荷札が取り付けてある。3年前にこの道を歩いた時にはついぞ見かけなかった荷物運びサービスが大繁盛のようだ。サンチャゴまで100キロ地点のサリアから歩き始める人たちは軽装の人が多いが、今では遠く離れたこんな所でも荷物運びサービスのお陰で軽装の人をよく見かけるようになった。ちなみにフランス人の道以外では巡礼が少ないのでこの手のサービスは成り立たないんじゃないかと想像するが、意外とやってるようだ。
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そそくさと準備をして1時間後に出発。まだ町は暗く静まり返っている。ファルマシア(薬局)の電光掲示板には気温は3度と表示されている。寒いはずだよ。毎日朝は長袖ポロシャツの上に合羽を着用しての出発だ。今日は半ズボンの上にジャージズボンを履くと暖かいことに気づく。以後、このスタイルが朝の定番となる。歩いていて次第に暑くなってきたら簡単に半ズボンに変身可能。これに気づく前は道端でモタモタと履き替えたこともあったが、これからはそんなみっともない格好をしなくても済む。軍手もはめているので完璧。
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ガウディ設計だが現在は銀行になっているらしい建物を通り越して暫く歩くと五つ星の最高級パラドールの登場。きっと1泊200ユーロくらいかな。5ユーロの公営アルベルゲなら40泊分だよ。私が基準にしている一日の総経費20ユーロでも10日分の価格だ。日本人の巡礼ブログでたまに利用する人がいるが、私には夢のまた夢。まぁ泊まりたいと思わないんだから夢でもないか。貧乏育ちだから贅沢には興味が無いので都合がいい。みんな憧れのパラドールなのか、この前で記念写真を撮っている人達がいる。
この時は気づかなかったが、この三年後にはレオンまで到達したらフランス人の道を離れてオビエドを目指す道を歩く構想があるので、レオン市内でその分かれ道を確認しておけば良かったと後で気づくが後の祭り。多分、パラドールの近くにその分岐があるようだが確認してないので不明。 -
そろそろ町はずれが近くなった所に超ロング歩道橋の出現。一度みたら忘れない異様な光景。まるで天まで届く梯子のようだ。ここまで長くする必要があるのか謎だ。日本なら予算を少なくして効率よく渡れる歩道橋を考えるだろうから、こんな長い歩道橋は絶対に掛けないが、スペインではやたらと長い歩道橋は珍しくない。きっと効率より歩行者に優しい視点に立っているのかも知れない。一番熱い日中は3時間も店を閉めるし、日曜も商店まで休み、バカンスは1ヶ月オーバーの休暇は当たり前なので、効率を求める日本とは真逆だ。人間らしい幸せを考えるなら圧倒的にスペインだろうが、その考え方を良しとする人が日本の店でこのスタイルをやったら悲しいかな半年も持たないだろう。
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8:35、次の町にあったバルでコラカオを頼み、持ち歩いているパンを一緒に食べる。コラカオ2ユーロと目っ茶高い。やっぱり大都市の近くは鬼門だ。また歩いて行くと今度は通りにログハウス風の簡易販売所があった。使われている木材から推測すると、まだ出来たてのほやほやな感じがする。メロコトン(桃か)のジュース1ユーロを買う。ここんちは良心的な価格だった。トイレもあるので巡礼がみんな寄って行く。
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歩いていると町の通りが緩い上り坂で道幅が広く見覚えのあることに気づく。えーと、確かこの辺りに無料で菓子や水をくれる家があったよなと思い出すと、記憶は正しく確かにそれは現れた。3年前は窓の下にテーブルが置かれていたが、今回はちょっと離れた所に移動していて水は置いてなかった。すぐ側で畑を耕していたおっちゃんがオーナーで、スタンプを押してってと3年前と同じような調子で声をかけてきた。あぁやって巡礼者の反応を楽しむのが生甲斐になっているのかな。
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3年前に泊まったビジャダンゴスのアルベルゲ前を通り越して San Martin del Camino のアルベルゲに1時到着。レオンから6時間掛かった。出発がいつも早いボビーが先着していた。長期間一緒に歩いたボビーがいると安心するものがある。
シエスタの時間が迫っていたので、ティエンダの場所を聞いてまずは食料の買出しに行く。今日も寒かったのでスープを作ることにする。勿論キッチンに何があるかは調査済みだ。卵6個にジャガ芋と玉葱、トマトと1リットルビールを仕入れる。チョリソーにチーズ、パンは昨日の残りがあるので今日の買い物は抑えめ。帰ってきて早速スープを作り始めるが、ここには塩がなかったので薄味のスープとなる。塩は有るところには大きいのが何袋も有るのに無い所には欠片もない。
今日の費用は宿代含めても全部で12.5ユーロ(1,600円ほど)だけ。ここんとこ公営アルベルゲを泊まり歩けているのでとても安く上がっていて、およそ毎日15ユーロ程度で収まっている。この調子で節約が続けば最後に総費用を集計するのが楽しみだ。
大事にしていた右手親指の欠けてぐらぐらしていた部分が取れてしまった。でも自然に取れたので痛くないので良かった。これが肉まで食い込んで取れることを警戒していたのだ。爪が弱くなったのか時々端が欠けてしまう。指のささくれも良く出るので足にワセリンを塗ったついでに爪や指にも刷り込むようにしているが、効果があるのか無いのか分からない。 -
明日の準備をしているときに歩数計がないことに気づく。あれー、どこに行っちゃたんだろう。いつもはバックパックのベルトに取り付けているが何処にも見つからない。歩数は分からなくてもいいのだが、時計機能が付属しているので、それがないと困る。腕時計は重たいから毎回この歩数計が頼りなのだ。タブレットを出せば時間は分かるが、それは面倒。どこ行っちゃたかなーとバックパックの中を全部出して探しても見つからない。もしかしたらチェックインしたレセプションでポロリしちゃったかな?でももうレセプションは閉められてオスピタレラも帰ってしまったので入ることが出来ない。入れないとあの中にあるような気がしてならない。こういう時は可能性がない所まで探すのが肝要だ。こんな所に入る筈がないと思ったが、ハンドロシステム(背中に入れる水タンク)を入れておく背中のポケットも調べてみたら、タンクを入れておくレジ袋の中に落ちていた。何かの拍子にポロリと入ってしまったようだ。本当に思いもしなかった所から見つかることは良くあるが、その前に無くさないようにしなくちゃだといつも思う。良かった、これが無いと困るのだ。これにて一件落着。
夕方になったらバシャバシャと音を立てて雨が降ってきた。明日の朝までには止んでくれることを祈りながら眠りにつく。 -
フランス人の道5 訪ねて来たアミーゴ
5月14日 歩き21日目
6時起床。キッチンでインスタント玉ねぎスープを電子レンジで作ってパンを浮かべる。チーズとチョリソーも少しずつ食べ、最後にインスタントコーヒー。いつもコーヒーを飲むと何だか凄く満たされた感じになれる。安いのに値段以上の効果があるのでコーヒーも切らさないようにしている。
出発準備をしてたら日記帳がないのに気づく。日記帳には巡礼のパスポートとも言われる大事なクレデンシャルも挟んであるし、日記帳がないと帰ってきてこうして巡礼記を作ることが難しい。昨晩一時行方不明になった歩数計よりよっぽど重要だ。一瞬焦るが今回は早く見つけることができた。脱いで二つ折りにしていだ帽子に挟んどいたことをすっかり忘れてしまってたのだ。ここに仕舞うんだと意識的に記憶すれば忘れないが、何気に置いてしまうと記憶に残らない。これは日本にいても良くやってしまうこと。旅先では一層気をつけなくてはだ。 -
7:10、小雨の中を出発。でも青空も所々に顔を出しているので大したことはなさそうだ。2時間歩いてオスピタルデオルビコの有名な橋が現れた。4年前に幸運にも中世の祭りにでっ食わした思い出の町だが今回は素通り。それも何なんで泊まった公営アルベルゲ前で記念写真を撮ろうとしたら通りかかった巡礼がシャッターを押してくれると申し出てくれ撮った写真がこの一枚。今日も雨合羽スタイル。昨日も明日も毎日同じ。
オルビコ町の出口から道はふたつに分かれる。多くの人は右を選んで行くが、そっちの道は歩いたことがあるので今回は直進することにする。たった一人だけ私の前を歩き出した男性がいたのでそれに続く。でもだーれも後ろに続く人はいなくて、全員が別の道を選んだようだ。きっとガイドブックには右の道の方をお勧めしてるんだろう。
また雨が降ってきたので急いでバックパックにカバーを被せる。どこでもう一本の道と合流するんかなーと思いながら歩いて来たが、ずーっと歩き続けた先にある十字架の高台だった。ここかぁ、じゃぁ寄付で果物やら飲み物を振舞ってくれる奇特な男性のワゴンはこっちの道では通らなかったんだなと分かり、ちょっと残念な気持ちになる。 -
小雨の中、十字架の台座に座ってどっかのおっちゃんが得意顔で盛んにギターを弾いている。近くには車が停めてあるので、あれでやってきてはここでギターを披露してるようだ。て言うか小銭集めか?雨に濡れてギターが傷むような気がしてならない。大きな十字架をフレームに入れて坂の下の町を撮りたいのに邪魔くさいったらない。そんな最高の場所に頑張ってないでどっか他所に行ってくれよ。
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坂の下の町はアストルガかと思い込んでいたが、まだ手前の町だった。ここで本降りになってきて凄い雨量になる。さすがにこの勢いの中は歩きたくないので小さな庇がある所に避難する。みんな考えは同じようでこの雨の中を歩き続ける人はいなそうだ。小降りになって来た所で出発。前後にぱらぱらと巡礼が歩いている。この辺りの巡礼路は変更になったのか、さっぱり記憶になかった。でも単に忘れてるだけかも知れない。しばらく行くと一度見たら忘れない無駄にでっかいジグザグ歩道橋が現れて、その天辺からやってきた方角を見たら、確かに巡礼路は変更になったのが分かったような気のせいのようなモヤモヤが発生する。
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アストルガの町中に入って来て急坂を上り終えたらそこが公営アルベルゲだった。記憶ではアルベルゲから向かって右側の道から進入した気がしてたが実際は左からだった。まったく当てにならない記憶なので自覚が必要だろう。アルベルゲ前にはトランクを担いだ旅人の銅像があるが、カウボーイハットにトレンチコートと、どっから見ても巡礼には見えずにアメリカ版虎さんだ。巡礼を見たことも聞いたこともないアメリカ人彫刻家にでも頼んだんじゃないのかね?
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ここは百人くらいは泊まれる巨大アルベルゲ。ご多分にもれず受付や案内してくれるオスピタレロはとても事務的で余りいい感じはしないのが残念。ボビーが出迎えてくれ、ここは5ユーロとアルベルゲとしては最安。通されたベッドルームにはボビーがいたが、2段ベッドの上段だったので「私は68才なので下段がいい」とお願いしたら「みんな68だ」と訳の分からないことを呟きながら、でも新しい部屋を空けてくれ無事に下段ベッドをあてがわれる。最初に通されたベッドルームには若いのが下段に数人いたので、年齢に関わらず来た順番にベッドをあてがっているだけなのが分かる。アルベルゲによっては若いのは上で年配は下と割り振ってくれる所もあるのだが、ここはそういう配慮はない。まぁ若い人からは若くても年配でも同じに疲れてるんだと言われそうだが。
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シャワー、洗濯が済んだら3年前は入れなかったガウディの巡礼博物館に行ってこよう。入場料は5ユーロだった。巡礼博物館だから巡礼割引がないかなと期待したが、そういうことはなかった。中はまぁこんなもんかと言う程度で大したことはなかったな。目玉にサグラダファミリアの紹介をデデーンと据えてるのは如何なものかと思った。でもここに入るのは楽しみにしていたので入れただけで満足。
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アストルガは割と大きな町なのでスーパーも大きめなのがある。確かこっちだったよなと3年前に利用したスーパーを見つける。期待してた冷凍の米もちゃんとあった。米の飯久しぶり~。トマト2、オイコスヨーグルト2、ビスケットに1リットルビール、バナナ2本で7ユーロと少し。栄養を補給したかったので、久しぶりに今日はバルの巡礼定食を食べようかと思っていたが、どこも12ユーロと高めなので止めた。やっぱりスーパーは安上がり。2食分買ってもこのくらいで済む。米は半分をチンして残りは朝飯にする作戦だ。オイコスのヨーグルトは私にしては高級品の部類だが定食を食べなかった分と思ってささやかな奮発をしてみた。ホントにささやか。
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アストルガはちょっとした観光地なので、アルベルゲの中でごろごろしているのが勿体無い気がする。そうだ、アストルガはチョコレートの町なのを思いだし広場に行ってみる。角にチョコレート専門店があったので一番安い1ユーロのミルクチョコとコーンアイス1.5ユーロを買って広場のベンチに座って頂く。チョコの味はガーナミルクチョコみたいだ。なんだ日本のと変わらないんじゃん。アイスは普通に美味い。普段はこんなことしないので、これだけで観光してる気分になって気分が華やぐ。そこへボビーが登場。スーパーを探しているそうなので、自分が買ったスーパーを教えるがもっと近くにもあったようだ。ボビーが明日はラバナルデルカミーノにイギリス人経営のアルベルゲがあるからそこに泊まろうと提案している。ボビーはドイツ在住のイギリス人なので同国人のアルベルゲに泊まりたいのだろう。自分もそこを目指すと言ってみる。ボビーの後姿を見たら足を少し引きずっているな、今まではそんな素振りはなかったので、昨日辺りに痛めたか。みんなそれぞれ何かしら抱えて歩いている。なーんて言ってて自分も2日後にもっと酷い目に遭うことを今は知らない。
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夕方、ネットをしていたら昨年のプリミティボの道で仲良くなったJulianからチャットが入った。フリアンはスペイン語しか喋らないがチャットなら翻訳が使えるから何とかなる。文字でやり取りしている内に、どうもこのアルベルゲの前に来ているようなことを言い出した。えっ!!と思ってタブレットを持ったまま玄関の外へ出てみたら、そこへフリアンが!!えーっ、本当に訪ねて来てくれたのかフリアン。昨年、一緒にいる内から何度も「来年、スペインに来るなら教えろ」と言っていて、数日前から会いに行くようなことを言っていたが、可能性としたら50%くらいかなと思っていた。でもフリアンは本気で会う気でいたようだ。フリアンの住まいはここから約40キロのサモスという古い町。昨年、プリミティボの道の前に歩いた銀の道上にある歴史ある美しい町だ。そこの公営アルベルゲにも泊まったことがある。そこから1時間車を飛ばして会いに来てくれたそうだ。フリアンの友情に感謝。二人して広場を通り越した所にあるバルに一杯やりに行く。ワインとハムやチーズが盛られた大皿を注文してくれたが、さっき米の飯を食べてしまったので残念ながら余り食欲がない。
マドリッドの宿の予約がずっと気掛かりだったので、もしJulianに会ったら電話をしてもらおうと思っていたので頼んでみる。フリアンもこちらが何を希望しているのか理解しないと電話ができないので、翻訳を使いながら細かく打ち合わせ。フリアンのスマホには音声で翻訳してくれる機能があるので翻訳も早い。こちらから伝えることは「1、クレジットカードが有効でないのなら行ってから現金で支払う。2、予約した日には必ず行く」の2点。さてマドリッドのオスタルに電話すると大きなスペイン語でキビキビと交渉してくれている。内容はさっぱり分からないが事前の打ち合わせどおりに話は進んでいるようだ。電話が終わってから「何も問題ない」と嬉しいことを言ってくれる。ありがたや。
フリアンに会えなかった場合は数日間を一緒に過ごして「マドリッドで何か困ったらメールして」と言ってたエレナおばちゃんに何とか連絡をしようと思っていたが、これで一件落着だ。それでもまだ自分が電話で交渉したんじゃないので現地に行って確認するまでは一抹の不安が残る。
Julianはこの後予定している「ポルトガル人の道ファティマ経由」を今年歩いたばかりなので、その情報も貰える。ファティマへの道は日数にして5日間サンチャゴ巡礼路から外れるのでアルベルゲがない区間がある。そんなときは本当に消防署に泊まれるそうだ。ファティマからサンチャゴ巡礼の道への復帰には黄色い矢印がないかと心配していたが、サンチャゴからファティマへ向かうための逆向きの青い矢印があるので、それを辿れば良いとのこと。大いなる助けを貰える。
そんなこんなな事を翻訳を駆使して長々と二人して喋っている。私は文字だけで翻訳したのをフリアンに見せているが、フリアンは大きなスペイン語で翻訳機に入力しているので周りの客たちがチラチラとこちらを良く見ている。でもこの場合は人目を気にしても仕方なかろう。アルベルゲの門限10時が迫っているので、名残惜しいがここでお別れする。フリアンありがとう、オスタルの件では助かったし会いに来てくれて嬉しかったよ。Muchas Muchas gracias Julian.
フランス人の道6 名物バルと名物アルベルゲ
5月15日 歩き22日目
アストルガの巨大アルベルゲ。朝飯にキッチンのレンジを使って昨日の残りの冷凍チャーハンをチンするが、ちっとも柔らかくなってくれない。3回チンしてやっと食べられる状態になる。大人数が泊まっている割に朝はキッチンを使う人は少ないので節約派の私としては好都合だった。 -
フランス人の道を歩く人の出発は早い。6:55スタートでは遅い方だ。昨日見た巡礼博物館とカテドラルの前を通ってアストルガを後にする。2時間20分歩き、道端にあったベンチに座ってバナナ2本を食べて小休止。暑くなってきたので長袖とジャージの長ズボンを脱ぐ。下に半ズボンを履いているのでとても簡単。こんな単純な仕組みに今まで気づかなかったので損した。
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アストルガを出ると暢気な山道になってくるが、こんなところでも巡礼の人影は絶えることがない。そこへ大きな観光バスが止まった。あれ?何かのツアーかなと思っているとバックパックを背負った一団がばらばらと降りてきた。近づくとちゃんとホタテの貝殻をバックパックに吊るしているので巡礼ツアーだと分かった。日本でも募集しているが、面倒なことは全てガイドがやってくれて一日の行程を歩き終えるとバスが迎えに来てくれて泊まるのは予約済みのホテル。翌朝は前日に歩き終えた地点までバスが送ってくれると言う至れり尽くせりのシステムだ。今まさにその地点まで送ってもらった所らしい。重い荷物はバスの中なので、みんな軽装で歩きやすそうだな。日本だけのシステムかと早合点していたが、欧米にもこういうツアーがあったのか。きっと料金は高いんだろなー。ずっと歩き通している意地でツアーの人達をごぼう抜きにする。おらおらおらーっとは言わないけどね。
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10時、エルガンソのバル「カウボーイ」に到着。ここはフランス映画「サンジャックへの道」で3人兄弟の飲んだくれ弟が酔いつぶれたバルだ。3年前歩いた時にはこの前が巡礼路になってなかった気がする。きっと映画の影響で巡礼路が向こうからやってきたのかも知れない。だってこのバルを通り越したらグルッと回って元の巡礼路に出てきたんだから。
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カウボーイと名乗るだけあって、中は西部劇の小物が所狭しと並べてあった。バルの親父に「凄いね」と身振りでやったら満足そうな顔をしているので記念写真を一枚撮らせてもらう。コラカオ1.4ユーロ。さっき追い越したツアーの巡礼がドヤドヤト沢山やって来たので、ここは映画の影響でツアーの目玉になってるのかも知れないな。日本で言う所の「映画の聖地めぐり」か。少し歩いた先にはツアーの人たちを降ろしたバスが止まっている。もしかして歩けなくなった人を拾うためにずっと伴走しているのだろうか?映画の中ではこの辺りの道は石がゴロゴロとした土の道だったが、いまは全て舗装されていた。サンジャックの映画から既に十年以上も経っているので当たり前と言えば当たり前か。
11時過ぎにやっと背負っていたコーラを飲む。ときどき寝る前に炭酸系が飲みたくなるので、スーパー行ったついでに買って置くことがあるが、飲まないで済んでしまうとこうやって次ぐ日に余分な荷物を背負う羽目になる。バックパックは少しでも軽いほうがいいので、こんなのを背負う日は持ち運ぶ水の量を少なめに調整している。バックパックの重さはとても大事。
アストルガから20km歩いてラバナルデルカミーノのイギリス人経営のアルベルゲ前に到着。まだ時間は11:55。ボビーはここに泊まると言ってたけど先に出発したボビーの姿は見当たらない。既にバックパックを並べて順番待ちをしている人が二人いるがボビーのバックパックはないのでどうしたのか。ドアの張り紙を見たらオープンにはまだ2時間もあるので、ボビーは次にアルベルゲがあるフォンセバドンまで足を延ばしたかな?ここで待つ時間にフォンセバドンまで行けてしまうので自分もそっちへ行ってしまおう。フォンセバドンには泊まった巡礼全員でご飯を作って食べるという名物アルベルゲがあるので、だったらそっちの方が魅力的だ。 -
ラバナルは峠にある鉄の十字架へ上るための入り口の村なので、ここからは坂も幾らかきつくなる。ここに10年前に亡くなった巡礼の墓碑があった。1945年生まれなので私より5歳上のようだが亡くなった年が2008年なので63才の時に亡くなったのか。この人も私と同じように定年退職したらサンチャゴ巡礼に行こうと夢見た人だったのだろう。私も同じことをやっているので他人事ではない。
取りあえず今日の私は元気いっぱいなので両手のスティックを使いぐいぐい体を押し上げる。1時間でフォンセバドン到着。件のアルベルゲが分からず村を通り越してしまったので後戻りする。ホントに小さい村。良く見るとアルベルゲは通りに面した分かりやすい建物だった。相変わらず知らないとこんなもんだ。オープンまでにはまだ30分あるので、二人の男が開くのを待っていた。時間になったらちゃんと鍵を持ったおっちゃんがやって来てチェックインさせてくれる。おっちゃんはプレスでやったのか、片手が親指と人差し指しかないが器用にペンを使っていた。ここは2食付いてドナティーボ。前の人が10ユーロ札を入れたので自分も同じだけ入れてみる。ドナティーボで食べさせてくれるアルベルゲは大体スープとか大した物は出ないけど食べさせてくれるだけでありがたい。それに、みんなで一緒に食べると一気に仲良くなれるおまけが付いている。 -
フォンセバドンは以前は打ち捨てられて廃墟だった村だ。3年前にやって来たときは、本降りだったこともあり、メインストリートには泥流が勢いよく流れ確かに廃村臭かったが、今回やってきたらメインストリートが舗装されてたので驚いた。でもここのアルベルゲの辺りはまだこれからだな。雨の日は泥流ゴーゴーだろう。それでもバルやアルベルゲはずっと増えていたし、もう廃村ではなくなった。
おっちゃんに店があるかと聞いたら、近くにバル・アルベルゲ・ティエンダを兼ねた多角経営の店があるそうなので行ってくる。夕朝は食べさせて貰えることだし、ここでは1リットルビール1.5ユーロだけ買って帰る。日本から持ってきた最後の柿の種ワサビ味を肴に飲み出し、受付テーブルにいるおっちゃんにも一杯飲ませたる。半端な時間なので昼飯は持ち歩いているビスケットを食べてしのぐ。ビスケット買っておいて良かった。美味いし腹の足しにもなるし。 -
食堂には電気ストーブが点けっぱなしになっているので具合がいい。5月半ばで太陽は降り注いでいるが山の上なので家の中は寒い。今日は到着が3番目で泊り客は少ないのかなと思っていたが、あとから続々と集まり出してベッドが満床(18)になると奥のカーペットの部屋にマットレスを敷きだした。それも入れると結構な人数が泊まれるようだ。でも夕食を食べるための椅子が26脚しかないので、それだけ埋まったらコンプリートの札が張り出された。やっぱり名物アルベルゲとして名が知れ渡っているようだ。
イタリアのめがねちゃんとイレーネもやって来て隣のベッドに納まったので一緒に記念写真を撮らせてもらう。私の上段ベッドにはアルゼンチン女性が入ったので「私のスペイン語の先生はアルヘンティーナだよ」と片言スペイン語でちょっとお喋りができるが手持ちのスペイン語は簡単に使い終わってしまうのが情けない。 -
夕飯は全員で作って食べると聞いていたが、キッチンが極狭なので入れる人数は2人程度だ。あぶれた人たちは食堂のテーブルでジャガイモなどを切らされている。包丁もそんなにないので、ここでも手伝える人は限られている。自分も何かしたいなと思って周りをウロチョロする。デザートのメロンを切る役目が回ってきたが、皮が堅くてポロリと一切れ床に落としてしまった。でもそれは何事もなかったように洗って利用したので安心した(なにが?)。
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今晩のメニューはスパゲッティの細切れが入ったスープ。スペインでは定番のようだ。スパゲッティは柔らかくグダグダに煮込まれているので、同じのを素麺で作れば簡単に時間短縮になりそうだと思った。2皿目はチキンがほんの少しだけ入ったジャガイモの煮込み。デザートはメロンの薄切り。それにパンはいつでもどこでもテーブルに並ぶ。メイン料理が少ないので足りない人はパンで腹を満たさなくてはならない。ワインは日本で言えば冷蔵庫で麦茶を冷やしておくようなでっかいプラ容器で出てきたのが嬉しい。見てくれより量だ(味でなく)。
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食べ終わったらお楽しみ会が始まった。オスピタレロはどっかからギターを出してきたが、数人が弾く真似はしてもちゃんと弾ける人は一人もいないのはご愛嬌。歌いながらただベロンベロンとやってるだけ。なかなか良い度胸だ。数人の酔っ払いが歌を披露して、自分が指名されたら兄弟船だと思っていたが残念ながら出番はなかった。もっとずうずうしくやれば良かったかなと悔やまれた。
隣の韓国人夫婦の奥さんが、主人は73歳なんですよと発表している。それも何度も。旦那はそのつど慌てて訂正しようとしているのが分かる。何を訂正しようとしてるのか、旦那が言うことには「韓国は日本と違って生まれるとすぐ1歳とカウントするので日本的には72歳だ」だそうだ。とても73歳とは見えない旦那で、周りのみんなも「エーっ」と反応しているのが面白かった。周りからしてみれば72も73も大して変わらないだろうが、旦那にしてみれば大きな問題なのかも知れない。
フランス人の道7 痛いのはじまり -
5月16日 歩き23日目
フォンセバドンの公営アルベルゲ、6時に部屋の明かりが点けられたので準備開始。みんな一斉だ。朝飯もこのアルベルゲで食べさせてもらえるのでありがたい。食事が済んだものから三々五々歩き出す。今日は何故か朝から脛(すね)が痛む。昨日、予定していた村を通り越してここまで来てしまったので少し無理をしたかな? -
しばらく歩いていくとそれは現れた。ローマ時代からの歴史があるという鉄の十字架。巡礼者はそれぞれの思いを込めた石を持ってきて、十字架の足元に願いを込めて置いていくようだ。アメリカ映画「The Way 」ではニコチン中毒の拗ねた女性までが「この石を私の努力の象徴とさせたまえ」とか何とか言いながら石を投げていたが、そんな気の利いた文言がネットのどっかにあるのだろうか?
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前に訪れたときは本降りの雨の中で十分楽しめなかったが、今日は快晴なので誰もがここで撮影大会だ。昨晩一緒に夕飯を作って食べた人たちもみんな笑顔で写真を撮り合っている。レオンでアルベルゲの案内をしてあげたメタボのブラジル人もやってきたので一緒に写真を撮る。昨日のアルベルゲで一緒だったちょび髭の爺さまが美人さんの肩を抱いたまま離さずに盛んに写真を撮らせている。その様子がどう見てもエロじじい。きっとこの男はイタリア人(偏見の塊)。
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鉄の十字架を過ぎるとぐんぐん下りになって、脛の痛みもぐんぐん増してくる。うーん、あまりいい状態じゃないな。山の中の1軒家、名物アルベルゲのマンハリンに寄ってスタンプを貰ってから寄付のコーヒーを一杯もらう。昨日のみんなも名物アルベルゲに寄って中を見物している。ここには泊まれることもできるが、トイレも電気も水道もないそうだ。
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急坂を下って小さな村のエルアセボを過ぎると舗装路が現れたので、脛が痛いのでここからは山道を下らずに舗装路を歩くことにする。それでも痛みは益々増してくるのでただの使いすぎではないようだ。あんまり痛いので途中で休みながら下って行かざるを得ない。
今日はポンフェラーダに泊まる積もりだったが、こう足が痛いんじゃこれ以上は歩かない方が身のためだろう。昨日一緒のアルベルゲに泊まった多くがポンフェラーダを目指すと言ってたので自分もそこまで行きたかったけど、背に腹は変えられない(脛だけど)。残念だが7キロ手前のモリナセカ村に泊まることにする。これがフランス人の道の便利なところ。ほかの道ではこうは行かない。 -
12時50分、イテテイテテと言いながらモリナセカの公営アルベルゲに到着。すでに一人の男性巡礼が中で寛いでいた。オープンは13時だが、ここは扉が開いていたので自由に中に入れるようだ。オスピタレラは10分遅れでやって来た。日本人と分かるとモリナセカと四国遍路の友好関係をまっさきに言われる。そうなんですよ、ここは四国巡礼とサンチャゴ巡礼との関係で友好都市の宣言をしている日本と関係の深い町。このアルベルゲにも四国遍路関係の品が飾ってある。庭の立木には日本の仏師が彫ったという生木観音がある。生きた木に大きな観音像が彫ってあって、木がとてもかわいそう。どういう神経してるんだよ。観音様もこんな所に掘られたんじゃ嬉しくないだろう。
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ベッドルームは2階で、平ベッドが数台あるので当然、平ベッドをゲットする。右スネが痛かったのでシャワー後にボルタレンを塗ろうとしたら赤く腫れてて熱まである。こんなになってたのか、ぶつけた覚えはないんだがな。「痛みにボルタレン」と昨年スペインで買った残りを持参してきたが、この痛みには余り効き目がないようだ。
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シエスタ前に買い物がしたいので、足を引きずりながら1キロほど戻って村の中まで行かなくてはならない。食べない訳には行かないので痛いけど仕方がない。村の入り口ではイタリアのマリアナとイレネが外のテラスで昼飯を食べてる真っ最中。同じモリナセカに泊まってくれないかなと思ったがポンフェラーダまで行くそうだ。やっぱりな。狭い通りには小さな店があり、品揃えもそこそこあった。1リットルビールにカステラパン1袋、ハム、ヨーグルト4にファンタレモン、ジャガイモ2、玉ねぎ迄買っても7ユーロと少し。さすがに重い、足が痛いのに買いすぎた。シャワー、洗濯してからスープを作る。キッチンには塩があったし、スープの素も入れたので今回の味はまずまず。
後からやって来た男はカタランと自分を紹介した。年は私より3歳下だが、まだ仕事をしているらしい。カタランはカタルーニャ人のことで、バルセロナが州都だ。そう、大騒ぎになったカタルーニャの独立問題で揺れている地域。カタルーニャの言葉はスペイン語と違うし、自分達カタランはスペイン人と思ってなくて、スペイン人もカタランはスペイン人とは思っていないそうだ。とてもフレンドリーで庭のパラソルの下でお喋りする。でもこのカタランはスペイン語しか喋らないから何となくワイワイやってるだけだが楽しい。男の名前はロドリコで、ロドリと呼べと言っている。明日はビジャフランカまで歩くと言っているので、私のこの痛む足では無理だ。これを最後に会うことはないだろう。 -
あれっ!?二人のビーサンが同じことに気づく。比べたら色も形もまったく同じだ。これってスペイン製のビーサンだったのかと今頃気づく。実はこのビーサン、昨年のサンチャゴ巡礼で拾ったものだ。サンチャゴ・デ・コンポステラの入り口には記念碑みたいのがあって、そこに不要になった巡礼グッズを括り付ける変な習慣がある。合羽だったりビーサンだったり靴だったりと多種多様。言うなればゴミの処分なのでちっとも良いことじゃないのだが、一人が括り付けると我も我もとなるようだ。その中からビーサンを頂いて再利用してるってこと。ありがたや。
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そこへオスピタレラもやってきて3人でワイワイやって楽しい。知ってる単語を並べる程度のスペイン語でも役立っている。Wi-Fiが使えないと言ったら、オスピタレラは自分のスマホを土台にしていいそうだ。へー、そりゃまた親切なことだな。ここまでしてくれるオスピタレラ初めてだよ。お言葉に甘えて接続させてもらう。
入口のイスに場所を移してネットをしてるところを顔見知りの韓国おっちゃんが、Wi-Fiはどうしたんだと聞いてきたので教えたところ、この人もオスピタレラにお願いして接続していたな。いかにもズーズーしそうな押しの強いおっちゃんなので敬遠したいようだが、悪い人ではないらしい。
ネットが使えるようになったので、気になっていたスネの腫れについて調べたところ、どうも疲労骨折というものらしい。ドキッとした。骨折だけどポキンとなる訳じゃなくてその一歩手前なのかな?部位によって症状も治り方も違うらしく、脛の上の方が骨折するのはアスリートなどで治癒には時間が掛かるそうだ。私のように下がなるのは一般人で、下の方が治りやすいと希望の持てる情報もいただける。やっぱりただの使いすぎじゃなかったのか。取りあえず今できる治療は当てにならないボルタレンを塗るのと1枚だけ残った湿布薬を貼るだけだ。大きな湿布薬なのでナイフで半分に切って貼っておく。明日までに良くなってくれるといいな。
フランス人の道8 スペインで初診療
5月17日 歩き24日目 -
朝、階下に下りてチョコパンにヨーグルト2にコーヒーで朝飯。昨晩、ロドリがくれた薬とボルタレンを塗って寝たら今朝は腫れが引いていたので、これなら歩けるかなと期待が出てくる。でも歩き出したらやっぱり痛いので20kmはとても無理とすぐ予定変更。隣町のポンフェラーダにする。モリナセカからポンフェラーダはデータでは7キロだが、このアルベルゲは村から1キロの地点なので6キロほどだろう。巡礼路は途中から大回りしながらポンフェラーダへ向かうのだが、こんな足を引きずっている様では少しでもショートカットしたい。地図を見ると迂回せずに町へ向かうことができるので、そっちの道を選択する。右手のスティックをぐいっと押しながら、なるべく右足に体重を掛けないようにおかしな格好で歩き続ける。そこそこしんどいが、これの唯一良いところは巡礼してる気分にすっごくなれるとこ。ならなくて良いから痛みが引いてほしい。
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ポンフェラーダの公営アルベルゲには9:20に到着する。さすがに早すぎるので、アルベルゲはまだ掃除の真っ最中だ。何人ものボランティアが仕事をしてる前で、この時間から待つのはチト恥ずかしい気もするが、そんなことを言ってる場合ではない。暇にまかせて地図アプリでポンフェラーダの薬局を探したり、玄関正面にある噴水の水に足を突っ込んで冷やしたりしてる。
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このアルベルゲのオープンは13時なので12時を過ぎると巡礼がパラパラと集まりだす。昨日のアルベルゲで一緒だったコリアの二人連れが私より3時間も送れて到着してきた。二人とも健康なのにどーいう歩き方をしてるんだよと思った。時間になったのでチェックイン開始、もちろん私が一番乗り、3時間半まったからね。寄付制のアルベルゲなので受付テーブルに載せてある貯金箱には5ユーロ札を入れさせてもらう。ここは小部屋がいっぱいあるアルベルゲで、部屋を指定されるだけで早いもの順に好きなベッドを取れるスタイル。当然下段ベッドを取らせてもらい一安心。
チェックインしてから取りあえず薬局に行く。翻訳を使って事前にスペイン語にしておいた単語の「包帯と湿布が欲しい」と伝えたら、男の店員が大きな包帯を持ってきて「これでいいか?」と聞くのでオーケーだ。湿布薬がどうも伝わらないようで、女性の薬剤師さんが一緒にやって来て患部を見ると、こりゃ薬じゃだめだからメディコへ行けと言い出した。メディコは病院だろう。「テンゴうんぽこディネロ(少ししか金を持ってない)」と言ったら無料だとのこと。へー、話には聞いていたが本当にスペインでは巡礼は無料で診て貰えるようだ。滅多にない機会だから試しに行ってみよう。教わった大きめの診療所は幸いすぐ近くだった。入っていくとカウンターの中には沢山の人たちが働いていて声を掛けてくれる。「足がこうなんだよね」とカウンター越しに足を持ち上げながら何となく伝えてみると、パスポートを出せと言う。あ、パスポートが必要だったのか。まいったなぁアルベルゲまでまた痛い足を引きずって往復かぁとげんなりしたが行かない訳にはいかなかろう。じゃぁ取ってくるとメディコを後に歩き出すと、パスポートなどの貴重品は身につけているベストに入れてあることを思い出したのですぐUターン。パスポートを出すとコピーを取り、なにやら記入した紙を持ってエレベーターで上の階の個室に連れてってくれる。たぶん一緒に行ってくれるのは言葉が通じないので、これ以上の説明が面倒だからだろう。ありがたや。
女医さんが見てくれたけど、さわりもせずに本当に見ただけ。処方箋らしいのをサラサラっと書いて、これを持ってファルマシアに行けと。あとは冷やせと言うだけ。湿布のことを身振りで聞いたら、それはやるなと言っている。でもボルタレン塗るのはOKだそうだ。同じような症状の巡礼が時々やってくるので慣れてるのかも知れない。受付に戻ると本当に無料だった。薬局では凄い量の痛み止めを貰ったけどたったの1ユーロ。私が「ムイバラート(とても安い)」と言ったら「シー」との返事。日本でも同じだろうけど、処方箋で薬を貰うとすっごい安いんだなー。痛み止めは3ダースもあったよ。これで明日は抑えめに歩けるかな。
※スペインでは巡礼は無料で診察してくれると言う噂がありますが、実際はそうでもないようです。税金を払っているスペイン人は無料で、外国人は自国の保健に入っているならそこから後から支払うらしいです。しかし多くの公共病院ではそれが面倒なのか、無料で診てくれているようです。私はその恩恵に与れたらしいです。 -
薬局を出ると向かいの通りに大きなスーパーDiaがあったので渡りにスーパーと買い物していく。今日はビールじゃなくて1リットルの白ワイン、バケツサラダ、パンにチーズ、ヨーグルト。ネットによると疲労骨折の原因のひとつにカルシウム不足があるそうなので、チーズとヨーグルトはこれまで以上に注意しよう。カルシウム生成には栄養の他に日光浴も必要だそうだけど、こっちは腐るほど毎日浴びている。今日の買い物は5.81ユーロ。スーパーを出たら向かいの薬局がブラインドを下ろして扉に鍵を掛けた店員さんがて出かけるところだった。シエスタの直前に薬をゲットできたのでグッドタイミング。逃したら3時間後に足を引きずって来なくてはならなかった。写真はシエスタしに行くさっきの薬局の人達。
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アルベルゲに戻ると昨日のアルベルゲで一緒だったおばちゃんがチェックインしていた。顔は怖いけどフレンドリーな人だったので名前を交換する。ベスおばちゃんはニュージーランドから一人でやって来ていた。ニュージーランドって山々が海からにょきっと突き出ていて素晴らしい景色なんだよなと身振りを加えて何となく言ってみる。それでも言おうとしていることは伝わっているようでニコニコしている。フェイスブックもやってるそうなので友達つながりになれる。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Mame Fさん 2022/02/06 11:36:44
- 怪我が心配です
- フランス人の道に入って、登場人物が増えてますます面白くなってきました!
初めて巡礼の道について読んだのがマドリードの道の部分だったので、人が少ないのもそんなものなのかしら・・・と思ってたのですが、ずいぶん道によって違うのですね!
それに、最初の頃から比べると、私の頭の中の金銭感覚も「一晩5ユーロ」に慣れてきました。実は最初の頃の一泊25ユーロでも「安すぎっ!」って思ってたので・・・。
それにしても、足が心配です。雪の道に続く最大の難関・・・まあご無事で帰国されてるから大丈夫なんだろうと思いながら、引き続き楽しく読ませていただきます!
- おくさん からの返信 2022/02/06 13:09:46
- Re: 怪我が心配です
- こんにちはMameFさん、コメントありがとうございます。
自分では若いときと同じ積もりでいますが、やっぱりがたが来ているようです。
2016年は酷い腰痛を発症して、2017年は座骨神経痛でした。これで連続3回続けて故障が出てしまいました。
この時はサンチャゴまで到達後にリスボンにバス移動してポルトガル人の道を歩く予定なので、治らなかったら偉いこっちゃでした。
航空券はいつも変更不可の安い物なので、ずっと安宿に篭って回復を待ったと思います。
さてどうなりましたか、続きをお楽しみください。笑
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