2018/04/22 - 2018/07/15
295位(同エリア445件中)
おくさん
ポルトガルの道1 坂の町リスボン鬼門
5月29日 出発から38日目
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- カタール航空
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サンチャゴのアルベルゲ・メノール。8時半、地階のキッチンへ降りてのんびりと朝飯。リスボン行きのバスが12時出発なのでのんびりゆっくりしていられる。お湯を沸かしてインスタントスープを作り、残りのカット野菜にボビーが置いてったマヨネーズをかける。バゲットパンを切ってキッチンに残されてったマーガリンをたっぷり塗って食べる。これだけだけど十分に美味い。マーガリンは一度で使い切れないし持ち歩くと溶けてしまうので買ったことがないので貴重なチャンスだ(ムースチーズと間違えて危なく買いそうになったことはあるが)。ヨーグルトも2個食べて今日も充実した朝飯。
まだ早すぎるがやることがないので10:08にバスターミナルへ向けて移動を始める。ターミナルへはサンチャゴの外れにあるので、歩いて20分。行くまでの道の途中はフランス人の道と重なるのでカテドラルへ向かう巡礼とすれ違う。同じターミナルへ向かう巡礼の姿もチラホラと見える。バスでフィステラへ行くのかな?
11時半になると乗る予定のALSAのバスが2台並ぶが、そのどちらもリスボン行きじゃないな。大きなターミナルだがALSAのバスが止まるのはこの2ヶ所しかないので、どちらかがリスボン行きの気がするのだが。心配なので運転手に尋ねてもやっぱりリスボンへは行かないそうだ。ほかの人も尋ねているので、リスボンへ行く人が少しいるようだ。出発時間が迫って来たのでいよいよ心配になり再度運転手に「リスボア?」と尋ねるが答えは同じ。12時になったらALSAの係りみたいな男性がやって来て何やら言っているのでバスチケットを見せて確認したら、「もめんともめんと」と言って、これからバスがやって来るそうだ。なんだよ、出発時間になってもバスが来ないなんて心配するじゃないか。相変わらずスペインだなー。
ちなみに、スペインではリスボンのことをLisboaと書いてリスボアと言うらしいですよ。多分どっちでも通じる気もするけど。 -
12時を少し回ったらやっと私の乗る「600」と書かれた札をフロントに掲げたバスがやってきたので一安心。おいおい出発時間を過ぎてるよ。みんな一斉にトランクルームに自分の荷物を放り込み出した。それから10分ほどでアッと言う間に出発。待たせるだけ待たせた割に出発は素早かった。車内は割りと空いているので2座席を独占できる。この調子でリスボンまで行ければ快適なバス旅になりそうだ。
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4時、小雨の降る中ポルトに到着。ここのバスターミナルは3年前にも来た事がある。ポルトの外れなので観光できるようなところは何もないが、ここで50分の休憩だそうだ。ご、ごじゅっぷん~っ!?小雨も降ってるので散歩もできないからターミナルの大屋根の下にいるだけだ。そんなに休まなくてもいいっちゅうの。
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地下に何かありそうなので行ってみると、広い構内にカフェがぽつんとあったのでコーヒーとナタで1.35ユーロ。コーヒーはちっさいカップで出てきたな。そう言えばポルトガルのコーヒーってこういうんだと思い出した。エスプレッソと言うやつか、小さいけど凄く苦い。地下鉄の駅にもなってるらしいが、トイレなんか一切ないし地上のバスターミナルにもトイレがない。駅なのにトイレがないってどういう事だよ。近くにバルも見当たらないし必要な人は焦るだろ。ターミナルにはひとつだけ移動販売レベルの店があるが、ここんちにトイレが無いのは一目瞭然。日本はつくずく便利に出来てると思った。
ほかの乗客も行くところもないし座るイスさえないターミナルで時間つぶしが大変そう。バスの中の方が暖かいし座れるので入りたいが運転手は扉に鍵を掛けてどっかに行っちゃってるし、じっと待つしかない。やっと扉を開けてくれたので「トイレトイレ」と思って開けようとしたが開かない?ガチャガチャやってたら他の乗客が有料だよと教えてくれる。えっ、そんなぁ。確かに良く見ると扉にはコインを入れる口がついている。長距離バスで有料トイレって初めて見た。しかも1ユーロと通常の有料トイレの倍している。サービス悪すぎだよ。癪なのでトイレはリスボンまで我慢することにする。いよいよになったら1ユーロだとコインがあることを確認する。
8時半、ほぼ時間通りにリスボンに到着。ポルトガルはスペインより1時間遅れなので7時半なのかな?まだ日は高いので上手くすると暗くなる前にホステルに着くことができそうだ。
オリエンテ駅でみんな降りると思っていたが、ここは終着駅ではなかった。予想に反して降りたのは2・3人だけだったので、もっと市内に近いターミナルがあるんだと思って降りないことにする。でも地図で見ると次は空港のバス停になるんかな?空港なら利用する予定の地下鉄赤線(リスボンの地下鉄は色で分けられてる)の始発駅なのでそれでもいいやと思っていたら、どうやら終着点は予定外の知らないターミナルだった。えー、ここどこ?!さっぱりわからないけど全員が降りるので仕方なく降りてみる。取りあえずトイレ探しだと見て回るとちゃんとトイレがあったので、それだけは一安心。
ターミナルの入り口に警官が立っていたのでホステルのある所までどうやって行けばいいのか地図を見せて尋ねる。ポルトガル語なんか分からないから知ってるスペイン語と場所の名前だけだけど何となく通じる。通じてはいるけど地下鉄を使えの一点張り。やっぱりそう来るか。現在地が知りたいんだが互いに言葉が通じないのでこれ以上は無理だ。取りあえず地下鉄駅を探すことから始める。地下へもぐる入り口があったので降りて行くが、調べといた地下鉄駅とは勿論違うのでここもさっぱりだ。 -
見た目で信用できそうな人を物色。おっ、この人なら親切そうだと目星をつけて通りがかったおじさんに声を掛けて尋ねたところ、この人が面倒見のいい人で路線図の所まで連れてって説明してくれる。「ここがうんたらかんたらだから(駅名忘れた)何線に乗って、ここで乗り換えてもうひとつ乗り換えて」と分かりやすく教えてくれたので大丈夫の気になる。
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チケットの自販機があったので、タブレットを引っ張り出して千春さんが自ら作ってメッセンジャーで送ってくれた「チケットの買い方ムービー」を見ながら操作したら何てことなく買えてしまった。ありがたや千春さん。おかげで3つの地下鉄を乗り継いでホステルのある Martin Moriz 駅まで辿り着くことができる。もう薄暗くなってきたが、この分なら真っ暗になる前にホステルに着けるか知れない。
ここからはタブレットの地図を頼りにするしかない。相変わらずビルの多い都会ではGPS電波は拾えないが、駅の位置は分かるのでホステルの方向もわかる。いきなりの長~い急階段を上って、もうひとつ急階段を上った先を左に折れればいいんだ。楽勝だなと思っていたらそこは完全な行き止まりだった!え、これ地図と違うんだけど。じゃぁこの曲がった先へ出るにはどう行けばいいんだと石段を下がったり上ったり、それからはもう路地と石段だらけのグルグル魔法陣に入ってしまったごとく迷い狂う狂う狂う。
※写真は次ぐ朝に撮ったもので明るいです。一番てっぺんに見える建物はサン・ジョルジェ城。ホステルはその手前。 -
リスボンのこの辺って坂だらけのリスボンそのものって地域で、地図さえ当てにならない。地図ってのは普通2D、つまり平面だけど、ここは3D。つまり平面に高さが加わっている。狭い石段が道の随所に登場して頭がこんぐらかってくる。私は平面の地図なら普通に読めると思うが、この地域は今までの常識が当てはまらない魔法の国だったのだ。後で調べたら、この辺りはアルファマ地区と言って。昔の大地震を逃れた地域で細い路地と石段で構成されたもっともリスボンらしい地区と言うことだった。今はそんなのちっとも嬉しくないけど。
駅に着いた時は夕暮れだったけど辺りはもう真っ暗で、地元の人に何人も尋ねながら探すのだが、教えられた通りにやってくるとまたさっき通った所に出たり、しかも2度も3度も同じ所に戻るので気が滅入ってくる。知らないのに教えてくれる人がいたり(ポルトガルお前もか)、でも5人目に聞いた女性はタブレット地図をよーく見て現在地を教えてくれたので光明を見た気がした。それからは慎重にタブレットの地図と道を突き合わせながらホステルを探すようになる。やっと捉えた現在地を決して見失ってはならない。見失ったら最後、また迷子に舞い戻るのだから。 -
いよいよ次の角を曲がればホステルだと言うところに差し掛かったら、なんとここも通行止め。ここさえ曲がれればーっと思うが、歩きでさえ突破できない頑丈で隙間のないバリケードなので迂回するっきゃない。最初もこれにやられたので、今度は更に慎重に石段を降りてから上るための石段を探す。バリケードのあった先は90度にカクンと曲っていたので注意してここだろうと思える上りの石段をたどって通行止めの反対側に出た(気になった)。だがここにも目的のホステルがなかった。うーん、もしかして看板を掲げてないホステルかもなと想像して、当たりを付けた民家のベルを押すも返答がない。人の気配もしないのでホステルではないようだ。そこへ運良く暗い夜道をカップルが歩いてきたので、これ幸いとタブレットを見せて尋ねたところ、じーっとタブレットの画面を見て現在地を確認。そこを右に行けばいいんだと教えてくれる。「グ、グラ、あ、(ポルトガルなので)オブリガード」とお礼を言ってみる。でもそこは暗い中で目を凝らして見ると突き当たりだった。振り返るとまだカップルは心配そうにこっちを見てくれている。行け行けと身振りで言うので突き当りまで行ってみると、離れた位置からは見えなかった右に上がる石段があるではないか(下の写真の階段)。またオブリガードと言って石段を登っていく。迂回して通行止めと同じ高さになったと思った所はずっと下だった。これだから3Dは迷うのだ。まぁ実際に現場にいるのに分からないんだから、この稚拙な文章で読んでる人に伝わるとは思えないんだが、何しろ分かりにくい所だった。登りきったところにやっと目的のホステルThis is Lisbon Hostel を見つける。
※上の写真は次ぐ朝に撮ったものなので明るいです。トラックが止まっている所がバリケードで、私はバリケードの向こう側からこちらに来られなかった。手前のピンクの建物が目的のホステル。通行止めがなかったら目と鼻の先だった。くっそ。
次の写真も次ぐ日に撮ったもの。ここがカップルが行け行けと教えてくれた地点です。石段を登りきった右のピンクの建物が予約したホステル。ホントに坂だらけ。 -
もうヘトヘト。夜の11時と、遅すぎるチェックインだけど一方的にキャンセルされることもなく歓迎してもらえたのでホッとする。今日は朝飯を食べただけで腹ぺこだったけど、この付近は真っ暗闇の坂ばかり。飲食店は駅まで戻らないとならないし、もう食べることは絶望的なのでホステルで売られていたビールを2本飲んでごまかすことにする。
あてがわれたベッドルームは2段ベッドが2台の4人部屋。遅く着いた私は当然ながら上段しかなかった。下段にはフレンドリーなメキシコのおばちゃんが入っていたので簡単なスペイン語でお喋りができるのがせめてもの救いか。シャワーしてさっさと寝てしまう。ほんと疲れた。
ポルトガルの道2 リスボンの休日
5月30日 日本出発から39日目
一眠りして目が覚める。ていうか腹ぺこで目が覚める。ここは朝食が無料で付くが8時なんだよなー。現在6時なので2時間もある。昨日は朝飯を手持ちの食料で食べただけで後はずっとバスだったから昼も夕飯も食べられなかった。あー早く朝飯食べたいなー。昨晩は真っ暗な中で路地と石段を2時間さ迷い続けたけど、まぁ後になればそんなリスボン特有の坂の町を実体験出来て良かったと思えることだろう(かな?) -
上の地図が昨晩私が迷い狂った辺りなのですが、地図で見れば簡単に行けそうに見えるでしょうが、そうは問屋が卸さなかったのです。タブレットに入れてあるMaps.meの地図で分かることは左上のMartimMoriz駅から黄色の細い線で坂の上にある筈のホステル(赤い■)を目指したが(この時は楽勝と思っていた)突き当りが工事中でさあ困った。その後は地図を見てもどこをどう歩いたのか想像もできないが、最終的に地図の下から太い黄色い道を辿ってあと一歩の所でまた工事中のバリケードに阻まれた。バリケードを避けるために左に回ったがそのルートもはっきりしないが何とか緑の細い道を見つけてホステルに徐々に近づいた筈がまた迷う。そのときに暗闇からカップルが表れてホステルへの階段を教えてくれました(赤の●)。赤い●の左にチョコンと緑の線がはみ出していますが、そこはホステルかと思って民家のベルを押したところです。街頭もない真っ暗闇の裏道だけど、カップルが表れて大いに助かりました。工事中の通行止めさえなければ単純な道なので本当に楽勝だったのです。まぁ長々と説明しても私以外は興味ないと思いますが。とほほなリスボン体験でした。
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下段ベッドのおばちゃんが何故か1ペソのメキシコ硬貨をくれた。内側が金色で外側が銀色のユーロ硬貨を一回り小さくしたような綺麗なコインだった。こちらもお返しに和風マリアカードを進呈させてもらうと、裏に日本語で私とおばちゃんの名前を書いてと頼まれる。愛想のいいおばちゃんで名前をビアネイ・ロドリゲスと言った。おー、ロドリゲスなんていかにもメキシコの名前だね。おばちゃんは私が簡単なスペイン語を喋るのが嬉しいようでとてもフレンドリー。
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同じ部屋の下段ベッドを使っていたシンガポールの兄ちゃんがチェックアウトしてったので、もう1晩あるからここは下段と交換だ。勝手にベッドを交換してもいいんかなと思ったが、念のためオーナーのおばちゃんに申し出たら、なんとベッド交換には3ユーロ掛かると言われる。えーっ、フランス、ポルトガル、スペインのホステルでベッド交換してもらったけど、有料なのは初めてだ。でも上段は暮らしづらいのでここは3ユーロ払っても下段に移る価値があるのでお願いする。なんか評判のいいホステルと聞いてきたのにがっかりだな。オーナーと二人でベッドルームを確認しにガチャッと開けたらメキシコおばちゃんが着替え中で「キャっ」と年に似合わない声を上げたな。オーナーはそんなことにはまったくお構いなしにベッドの説明をしている。今日の3時から下段ベッドを使っていいそうだ。
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ベッドチェンジではがちょんだったが、このホステルからの眺めは抜群だ。広ーいベランダから眼下に見えるリスボンの町は「これぞリスボン」の景色だった。評判の良さはこれかな?近くの誰かが右の丘の上からの景色もいいんだと教えてくれたが、あそこまで歩いてくのは勘弁だな。良くもまぁこんな坂だらけの所に首都を作ったもんだ。東京も坂があるけどリスボンはその殆どが坂と言っても過言ではない。
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待ちに待った朝食は色々あってグッドだった。パン、コーヒー、ミルクにココア。各種ティーバッグにオレンジジュースに3種のシリアル。マーガリンに数種類のビン詰めジャム、チョコレートムースと盛りだくさんなので腹いっぱい食べておく。キッチンに生卵がたくさんあって自由に使っていいそうだが、フライパンで料理するのは面倒だなー「でぃふかると」と言ってしないでいたら、知らない女性がスクランブルエッグを作ったのを皿に載せて私にくれた。「オ、オブリガード」。この妙齢の女性はTシャツの下は下着で足丸出しでキッチンを闊歩している。自分ちにいるのと同じ感覚のようだ。
このホステルにはこれからポルトガルの道を歩くという人が二人も泊まっていた。まじですか!ポルトガルの道をリスボンから歩く人はとても少ないと知っていたので数日間は一人歩きと覚悟していたが、これは嬉しい誤算だ。一人はフランスからやって来たフィリップス。60代半ばという所だ。もう一晩ここに泊まって、明日は私と同じアルベルゲを目指すそうなので嬉しくなる。もう一人は隣のベッドルームだが開け放しのドア続きなのでメキシコのおばちゃんが「でどんでえれす」と2回も言っているのに言葉が分からずポカンとしている。おばちゃん、スペイン語は世界の共通語と思っているらしい。私が英語で「どこから来たの?」と聞いたらやっとオーストラリアと答えが帰ってきた。この60前後と思われるご婦人もポルトガルの道を歩く人だった。 -
千春さんからメッセンジャーで連絡が入る。待ち合わせ場所は昨日降り立った地下鉄駅前の噴水に11:45とする。それまでは時間があるので、ポルトガルの道のスタート地点であるカテドラルに行ってスタンプをゲットだ。タブレット片手に歩き出すと、さすが坂の町でどこに行くにも坂だらけ。近くにはポルトガル名物のファドを聴かせるカフェ・レストランが幾つもあった。ファドは特に興味がないので宿から歩いて数分でも来ることはなさそうだ。
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少し歩くと路面電車の線路に出る。この線路に沿って行けばカテドラルに到着なので迷うことはない。でも道が狭いなー。この狭い道を車や路面電車がひしめき合っている。歩道も一応あるが、向こうから人が来るとどちらかは車道に下りないとすれ違えないレベルだ。うっかり歩道じゃない方にいようもんなら電車と壁の間でゴリゴリすり潰されそうだ。(上の写真)
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カテドラルにしては珍しい形のキューブ型。普通は大げさにとんがった鐘楼があるのだが、何でこういう形になったのか謂れを知りたいところだ。見たことあるような形だなーと思ったら、パリのノートルダムに少し似ている。勿論あんなお洒落なのじゃなくて質実剛健なカテドラルでいかにもポルトガルぽい(これ偏見?)。中にも入れて無事にスタンプを押してもらいポルトガルの道、出発準備完了だ。
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近くにはサンチャゴ教会がある。ここに来る前に歩いたマドリッドの道をスタートしたときもマドリッドのサンチャゴ教会でスタンプを貰っての出発だったので、ここのスタンプも欲しいから行ってみたけど扉が閉ざされていた。入口には「Aqui comeca o Caminho (これよりカミーノ始まる)」と書いてあるのにな。マドリッドのサンチャゴ教会みたいに、受付時間も書いてないのでどういうことなんだろう?ここのスタンプを貰って歩き出したい巡礼が沢山いるんじゃないのかな。
昨晩迷い狂った道なので、待ち合わせ時間より早めにホステルを出発する。でも明るいし一度歩いた道なので今度はすんなり待ち合わせ場所の駅前広場に到達できる。やっぱり知らない土地では明るい内に到着するのが吉と思うが、そうは問屋が卸さないときもあるから仕方ない。広場には大きな噴水がふたつあり、その下側が待ち合わせ場所だ。外国で待ち合わせなんて滅多にない経験なので少しわくわくする。
広い公園内をあちこちウロチョロしていると誰かのモニュメントがあって碑に何やら有難そうな文が書いてあるが、文字が読めないので何も分からない。路上にはダンボールにくるまって寝ている人もいるな。こういう所で長居すると物乞いや詐欺みたいのがやってくる可能性があるので少し緊張する。
手を振りながら千春さんがやってきた。やぁやぁ久し振り。ハグして再会を喜び合う。日本人はハグに抵抗がある人もいるので欧米人の女性はもとより、日本人とハグする場合は更に相手の様子を見てからするようにしている。でも、海外暮らしをしている千春さんはドンと来いで、そんな心配は無用だった。日本で計画を立てている時からリスボンで会いましょうと約束していた。途中まで半信半疑だったが、本当にこうして日本から遠く離れたリスボンで再会できるなんて嘘みたいだ。これもカミーノマジックのひとつかも知れない。カミーノマジック万歳。
千春さんは友達の日本人レストランにランチを食べに行く計画があったようだが、私は朝飯をたらふく喰ったので腹はいっぱいだし何しろリスボンではジェロニモス修道院に入ってみたかったのでお願いする。そこは今年の1月にトラピクスのツアーでリスボンにやって来た時に閉館日の日曜で入れなかった所だ。天正使節団の少年も訪れたと言う有名どころなので入れなかったのは非常に心残りだった。一人でリスボンにやって来たとしても何とかして来ようと思っていたので、千春さんに連れてってもらえれば何の苦労もなしに行くことができるからとても有難い。
アロマスタイリストと言う称号(?)を持っている千春さんは通りにあったガラス瓶専門店に興味があり覗いていくことになった。お店の人に商品を写真に撮っていいかと許可を求めるあたりはさすがと思った。私なら何も言わずに勝手に撮りだすだろう。こういう所は見習わないといけないなと思ったが面倒なのでこれからもやらないだろう。
ジェロニモス修道院へ入るための行列が続いている。やっぱりこんなに人気があるんだな。1月にやって来たときは観光客がまばらだったので行列は想像してなかった。そりゃそうだよね、その時は日曜閉館日だったんだから。列に並ぶのは好きではないが、ここは別だ。おとなしく長い列の最後尾に並びだす。入場料は10ユーロと予想を超える高さだったが何があっても入るの1択だ。専属ガイドをしてくれている千春さんの分も当然持たせてもらう。 -
入るとすぐ中庭があって、その刺繍のような繊細な彫刻に圧倒される。いっぱい見るものがあって思いだすのに苦労するが、修道院と縁が深そうな人の特別ブースにはポルトガル語で色々なことが書かれているが勿論意味不明。こういうのがスマホでそのまま翻訳できるといいねーなんて言ってたら、驚いたことに千春さんが言ったことを実行中だった。カメラをかざして画面に写ったポルトガル語をリアルタイムで日本語に翻訳している。えーっ、もうそんな時代になったの!?そう言えば暫く前にテレビのニュースで紹介してるのを思いだした。あれって既に実用化されてたんだとビックリ。私のタブレットにも入れられると便利だな。
※千春さんからは名前と顔出しも了解もらってますが、中々の美人さんなので伏せさせてもらいました。 -
2階から下を覗くと修道院付属の素晴らしい聖堂が見えていて、そっちにも沢山の観光客が入っている。あそこへはどこから行けるのかな?方向から想像するとこっちだけど、これ行くと外へ出てしまうんだがな。出て気がついたが、聖堂へはチケットなしで行けるんだった。へー、さすがポルトガルだね、聖堂に入るのは無料だったよ。聖堂だって有料ゾーンに負けない位の立派さなのにタダで入れるとは大したもんだと感心する。
この近くにはポルトガル名物エッグタルトの店がある。ツアーで来た時にも食べさせて貰った老舗タルト屋。ポルトガルには数々のエッグタルトの店があるが、伝統的の製法で作られているのはここんちだけと言う話だ。店内で食べるのも思い出になっていいかと思ったが、大混雑なのでテイクアウトして隣の公園に行って食べることにする。ここは千春さんがご馳走してくれる。陽射しが強いので日陰になったベンチで本場のエッグタルト。本当に観光している気分満開だ。久しぶりの日本語でのお喋りなので突っ込んだ話でも何でもオッケーなのが嬉しい。こんなに自由に喋れるのは1ヶ月以上振りだよ。ここに来る前にフランス人の道で一緒だった日本人とも話したことはあったが、千春さんとは以前からの知り合いなので話の内容がまったく違うしフェイスブック友達でもあるので。 -
知らない女性が近づいてきて、恵まれない子供のために学用品を売って資金にしてるようなことを言っているらしい(後で千春さんに聞いた)。千春さんはポルトガル語の短期留学で来ているので淀みなく会話をしているのでさすがと思った。私はこの手の人を100%信用しない天の邪鬼だが、千春さんは寄付をしたので私みたいに世間ずれしてないようだ。
連結バスで市内に戻る。一人でこんなバスに乗ろうものなら乗り方から降りる所まで緊張のしっぱなしだろう。リスボン住まいの千春さんと一緒なら言われた通りに動けばいいだけなので不安も何もない、ボーっとしていれば目的地に到着だ。観光客で賑わった通りを歩いていたらホステルで一緒になってる巡礼のフィリップスと会った。フィリップスも精力的に観光してるようだ。
千春さんお勧めのリスボンの良い所に色々案内してもらえる。その中のひとつ、聖アントニオゆかりの教会に連れてって貰えて、聖アントニオが生まれた場所が教会の中にあった。こんなとこ一人で来たんじゃ絶対に気がつかないよ。 -
ここの売店に千春さんが夢中になっているレジストと言う物の作り方を知っている女性がいて、熱心にアドバイスして貰っていた。まだ日本では知られていないので、ネットで見つけることも出来ないほどのレア物だそうだ。手芸のひとつらしいが良く分からない。検索しても千春さんの目指しているレジストは出てこないようだ。
暑い日なので千春さんの提案で途中のカフェでビールを1杯いただく。そう言えば2年前に会ったときも「私ビールが大好きなんですよ」と言ってたのを思い出した。あのときも二人でビールをがぶがぶ飲んで楽しかったなー。ひょうきん者のアナも加わって楽しかった港町 Cee を思い出した。ここのビール代も千春さんがご馳走してくれた。すいませんね、案内してもらってご馳走までしてもらうなんて。
その後も、観光客も行かないと言う素晴らしい眺めのスポットとか、カテドラルからのカミーノを矢印を追って途中まで辿ってみたり、あちこち連れてってもらえる。最後に夕飯を食べましょうと言う事になって、どうせなら友達がやっていると言う日本料理のレストランがいいな。ずっと日本のご飯食べてないし。そこんちはランチは安いけど夕飯は高いそうだ。でもせっかくなのでそこへ連れてってもらうことに。 -
店内は日本風に飾られており、スタッフもおかみさんも日本人だった。「いらっしゃいませーっ」と日本語で迎えられて、日本にいるような錯覚を覚えるほどだ。お酒も日本のがずらりと並んでおり、その中に「森伊蔵」まであった。料理も日本の惣菜と同じ味だし米も勿論日本の米なので美味しい。そうそう、ここんちの店名は「米」だった。美味い米を食べさせようとの意気込みが感じられる。当然のことながらここは私がご馳走させてもらったが、どうしても千春さんも出させてほしいと言うので10ユーロを頂かせてもらうことに。丸半日案内してもらったのでいいんだけどな、律儀な人だよホント。
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ホステルの近くまで送ってもらい、握手してハグしてお別れすることに。千春さんはアントニオ教会でペンダントトップを買っていたが、それは私へのプレゼントだった。千春さん色んなことを考えてくれてたんだなー。実はリスボンで会いましょうと言ってもこんなムサイおっさんなので、ランチしてバイバイでも上等かと想像していた。でも千春さんはあちこち案内してあげようと計画していたようで、ずーっと付き合ってくれたので想像より遥かに素晴らしい「リスボンの休日」を過ごすことが出来た。親子ほど年の違うおっさんなのに良くしてくれて、もう感謝感謝だ。Muito obrigado ありがとう千春さん、私の一生忘れないアルバムにリスボンの一日が追加されました。
石段を上がって行くと誰かが石の上に腰掛けてスマホをいじっていて、私に気がつくと手を振っている。あれ、と思って顔を良く見たら同じ部屋のメキシコおばちゃんビアネイだった。そこらの道端で会ったら分からなかったよ。相変わらず愛想がいい。ビアネイが自分のスマホで撮った写真をメッセンジャーで送ってくれる。隣のベッドにいるビアネイだけど、この写真はもしかしたら一旦アメリカやメキシコを経由して私のタブレットに届いたかも知れないのだ。インターネットは凄いね。
今頃になって私とメキシコおばちゃんの部屋にフィリップスが引っ越ししてきて私が昨晩寝ていた上段ベッドに落ち着いた。どうやら後からやって来た女性客のせいで割を喰ったらしい。ホステル側の都合でのベッド移動なら3ユーロ貰えるんじゃ!?な訳ないか。 -
ポルトガルの道3 ポルトガルの道スタート
5月31日 日本出発から40日目
リスボンのホステル。7時半に朝飯が食べたくてキッチンに行ってみるが、やっぱり8時にならないと食べ始められないらしい。普通の観光客と違って、せめて8時には出発したいんだが。眺めのいいベランダに行って時間つぶし。8時ぴったりにキッチンへ。今日から歩き出すからたんまり食べてエネルギー満タンにする。昨日の朝食でスクランブルエッグを作ってくれたお姉さんは今朝はやってくれなかったな。ちょっとだけ期待してたんだが。今日も長めのTシャツの下は下着のようだ。人の目を気にしない欧米の人は潔い。ここは何泊もしてリスボン観光する人が大多数のようで、メキシコのおばちゃんビアネイもまだ連泊を続けるらしい。 -
9時にホステルを出発して、まずは出発点のカテドラル前に行く。巡礼路に出るにはカテドラルに行かなくても出られるが、やっぱり最初なのでスタート地点には少しばかり拘る。カテドラルの根元には目立たなく黄色い矢印が描かれていて、多くの人は気づかないだろうが、我々にとっては重要な印だ。近いうちにお祭りがあるらしく、カテドラルの玄関口は飾り立ての真っ最中だった。相変わらず細くぐねぐねと続く坂道を降りて行くと、フィエスタ用のカラフルなリボンが通りの上を走っている。何のお祭りがあるんだろう。
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黄色い矢印はちゃんと確認できるので首都のリスボンだけど普通に歩いていれば迷うことはなさそうだ。2年前にポルトからサンチャゴまでポルトガルの道を歩いたときも感じたが、他の巡礼路と比べ、ポルトガルの矢印はやたら多いと感じる。それとこの道だけの特徴、ファティマへと続く青い矢印も一緒に描かれているので更に見つけやすいのも有難い。
都会を脱出してもまだまだ賑やかな通りが続く。さすがポルトガル第一の都市だ。前を二人の女性巡礼が歩いているのを発見する。お、いたいた。歩く人が少ないと噂のポルトガルの道だが、昨日のホステルには二人も巡礼がいたし、こうやって今朝も別の巡礼を見たので想像よりずっと巡礼に出会う気がしてきた。せっかく見つけた巡礼なので、すぐ追い越すのは勿体無いから50mほど距離を置いたまま付いていくと、道の反対側にカップルの巡礼を見つける。お、またいたよ。でもこの二人は歩くのが遅くてすぐに見えなくなってしまった。
リスボンの郊外までやってきたら矢印を見失ってしまう。付近を見渡してもないけど、最後に見た地点から考えると方角はあっている。工場があったので中に入っていき「どんですた かみの で さんてぃあご」と尋ねる。ポルトガルでも「どこですか」はスペイン語の「どんですた」で通じる筈だ。このオジサンはカミーノを知っていて、あの道をまっすぐ行って左だよと教えてくれる。近くにはやっぱり矢印を見失った先ほどの女性二人組がいたので、こっちだよと手真似で教えて先に歩き出すと後ろから「サンキュー」と声が掛った。
スペイン語で道を尋ねるためのフレーズは「○○に行きたい、○○はどこですか、右、左、まっすぐ」だけは知っている。これはポルトガルでも似たようなものなのでスペイン語で言っても何となく通じるようなのが嬉しい。今更ポルトガル語まで覚えらんない。
ここいらは工業団地のようで広い道路に大きな建物が両側にあるばかりで店も住宅も皆無だった。教えて貰ったとおりの筈だが矢印は相変わらず出てこないな。立体交差に出たところが四つ角だったので、さぁ分からない。離れた所で刈り払い機で草を刈っている人たちがいたので教えてもらう。この人もカミーノを知っているようで行くべき方向を指さして教えてくれる。 -
ずんずん進むと近未来都市のような空間に入ってきた。しゃれたデザインの高層ビルや巨大な商業・レジャー施設が並んでいる。ブログを通して知り合いになったハックさんが泊まったと言うイビスのホテルもあった。ハックさん情報ではここは1泊90ユーロとのこと。私は節約巡礼者なので90ユーロも出すんなら野宿でいいよ。
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相変わらず黄色い矢印はカケラも出てこないので、方向は合ってるが巡礼路とは違うようだと分かった。でも、地図では右は海で巡礼路はきっと海の側を通っているに違いない。この大通りも海に沿って平行に続く道なので心配はない。そのうち河口に突き当たるから、そこで巡礼路と合流するだろうと歩き続けると、その通りだった。これで黄色い矢印を追いながら歩くことが出来るので安心だ。
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リスボン隣の町までやってきたようだ。これまではずっと舗装路を歩いて来たが、フェンスの切れ目からいきなり野生の道へと矢印は誘(いざな)っている。何の整備もされていない高い草だらけの道だった。でも時折矢印が登場するので間違ってはいない。これ以降はこんな道を何時間も歩くことになる。地図では細い川に沿ってしばらく歩くようなので歩きやすい道が続くだろう。この上は空港を飛び立った飛行機の通り道になっているらしく、規則的に旅客機が低空で通り過ぎていく。グオーン。
川から離れて2時間歩き、リスボン出発から一度も腰を下ろすことなく1時半に Alpiate 村に到着。村の入り口にはアルベルゲはこっちと書かれた札があったので安心する。こういう札がどこでもあるといいのになー。到着前に200m前を歩いていた巡礼がいたので、リスボンのホステルで一緒だったフィリップスかと思ったが、別のイタリアおじさんだった。今日は5時間の歩き。休み明けには調度いい行程だった。 -
アルベルゲはオープン時間を過ぎてるけど、中をまだ工事中とかで、おっちゃんは外のベンチで待たされていた。オスピタレラが出たり入ったりしていて、30分待ってと言うので一緒にベンチで待たせてもらう。木の陰にあるベンチで風が気持ちいい。この辺りの木にはご覧のようにレースやら布などが巻き付けてあった。どういうおまじないなんだろうと気になった。でもどの木もと言うわけではなく、この広場の木々だけのようだ。
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おっちゃんはスキンヘッドで目玉がギョロギョロしているいかにもイタリア人。ローマ時代の衣装がめちゃくちゃ似合いそうだ。名前はジャンピエールと言った。先月一緒に歩いたフランス人がジャンマリーだったので、この人の名前は割りと簡単に覚えられて、ジャンだけ覚えていれば後ろのピエールは自ずと思い出される。ジャンピエールとは不思議な縁で、離れたり一緒になったり長い時間をすごすことになる。しかも途中2度も何日間も離れる別ルートを行ったのに、その都度また再会を繰り返して、最後に会うのはこれより32日後のサンチャゴなんだから本当に不思議なもんだ。あとから数人の巡礼が到着してきた中にリスボンのホステルで一緒だったフィリップスやオーストラリアのおばちゃんもやって来た。
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さてチェックインが始まった。到着した順に、ジャンピエールが一番で私は2番にチェックインさせてもらう。ここは8ユーロで二階のベッドルームへ行くと全て平ベッドだったのが嬉しい。シャワー・洗濯して裏庭のロープに干しておく。隅には工事用の道具があったり、本当にまだ未完成のアルベルゲのようだ。
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この村には店がないそうなので、近くのカフェ(スペインはバルでポルトガルでは名前がカフェになるが中身は同じ)に行ってツナサラダとビール2本で7.5ユーロ。パンが付くのはポルトガルでも同じだった。店の中で飲むのに瓶ビールが1本たったの0.80ユーロ、日本円なら百円足らず。日本の居酒屋で飲んだら生中500円くらい!?この小さな村にはここしか行くところがないので、他の巡礼者達もパラパラとやってくる。歩いている人が少ない道の良いところはすぐ仲良くなれるところ。明日用に小さいパンの袋詰めを買って帰る。
明日はアルベルゲがない日だ。オスピタレラに相談したら、アルベルゲはないが安いホステルがあるそうなのでメモメモだ。隣のベッドの女性二人組に聞いたら、この人たちはホステルを予約してあるって。自分もそこに予約して貰いたいようだが、歩きの具合でどうなるか分からないからお願いしないでおく。この二人はきっと、リスボンを出発して最初に見かけた二人だろうと思った。 -
夕方、行くところもないからまた昼飯を食べたカフェに行ってみると、アルベルゲに泊まったほぼ全員がひとつのテーブルを囲んで談笑していた。自分が店に入ると、すぐ席を広げてくれ仲間に入れてくれる。フィリップスは私よりちょっとだけマシな片言英語だが、がんばって話しに加わっているようだ。時折フランス語を混ぜて喋っているな。ジャンピエールはイタリア語しか喋れないからなのか、ここには居なかった。
ポルトガルの道4 親切なホステル
6月1日 日本出発から41日目
今日から6月だ。6時に起きて下のキッチンへ降りていき、昨日カフェで仕入れた小さなパンに手持ちのムースチーズを塗って食べる。キッチンにはティーバッグが備わっているので、カップに入れた水をレンジで暖めてそれも飲ませてもらう。フィリップスも似たようなことを隣でやってるな。薄暗い中を近くのカフェ前に行って Wi-Fi 電波を拾ってみる。6時過ぎにリスボンの宿で一緒だったワイン好きのオーストラリアおばちゃんが一足早く出発して行った。6時はスペインの7時に相当するのでもう日は昇り出している。この人とはこれっ切りになった。 -
アルベルゲには泊まった人が自由に書き連ねていいノートがある。日本語のみ探して読んでいたら、2年越しで仲良くなった中川夫妻の書き込みを見つける。中川夫妻が2年前にこの道を歩き切ってサンチャゴに泊まった宿で再会していた。2015,2016年と続けて会っていたので2017年の昨年も会えるかもと期待したが、そうは続かなかった。でも不思議な縁でこうやって中川夫妻の足跡に今年、出会えることができたのも不思議なもんだ。(中川夫妻には2016年に名前顔出しOK貰ってます)
リスボンからポルト迄の間、約400kmはアルベルゲは余り当てにならない。距離が長くても短くても1日に歩くのは宿次第なので、今日は14km先の消防署に泊まろうと思っていたが、オスピタレロによるとボンベイロ(消防署)はノーと言ってるらしい。ポルトまでアルベルゲが少ないのでポルトガルの巡礼路では消防署がそれを補っている。この道では話の種に消防署に泊まるのがひとつの楽しみになってるのでノーは困るな。どうノーなのか理由が分からないが、ファティマがどうとか言ってるようなので、消防署はファティマ巡礼のためにあるのかな?後になってこれも段々と分かってくるのだが今はチンプンカンプン。 -
出発してしばらくは背の高い草原の中を歩く。草の大きさから言ったら沖縄の砂糖キビ畠のようだが、こんなところに砂糖キビでもあるまい。前を昨日の女性二人組が歩いているので距離を保って続いていく。最初の町に入ったところにカフェがあったので何か飲み食いしたいので入っていくと、先ほど追い越した女性二人も入ってきて同じように飲み食いの注文をしていた。みんな考えることは同じ。ブエンカミーノと言って一足先に出発する。
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ファティマまでのキロ数を表す最初の道標が現れた。こっから120kmか、日本で言えば前橋から東京くらいだな。ファティマは山の中なので、日数にして5日か6日くらいか。ファティマはポルトガル最大の巡礼地なので、ファティマだけを目指す巡礼がいるのかなと想像してきたが、今のところそういう人には会っていない。もっとファティマに近づけば現れるのかな?
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線路沿い右側の道を歩き続けて来たが、何故か巡礼路は駅のあるところで陸橋を渡り、駅構内を突き抜けて反対側にでる。改札がないポルトガルならではだ。かと思うと暫く歩くと今度はまた線路が右側になっている。大きめの町には道端に消防署があったので、こういう所でも泊めてくれるんかなと中を興味津津で覗きこみながら前を通る。町を過ぎると大きな川沿いの道になり、ここは散歩やランニングの人達がいっぱいいた。
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Vila Franca de Xira という町にやってきたが、巡礼路は線路を隔てて町の反対側を続いている。駅へと渡る歩行者用陸橋があったが、入り口には黄色と青で×印があったので町へは入らずにこのまま直進する。黄色い矢印と青い矢印はポルトガルの道の特徴だが黄色と青が重なってると言うことはサンチャゴへの道とファティマへの道両方に対応してるってことだろう。意味は見たまんま、×印の方へ行ってはいけないと解釈する。じゃぁこの先から迂回して町に入るのかと思ったが、ずんずんと町からは離れて行ってしまうので、こりゃいかんと引き返すことにする。500mほど戻ってさっきの陸橋を渡り町の駅前に出る。
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駅前には闘牛のマタドールの銅像が鎮座していた。この町出身の有名なマタドールが居たってことなんかな。だが今はそれどころではない、この町にはアルベルゲがナイベルゲ。次のアルベルゲまでは25キロなので、みんなこの町のホステルに泊まるようだ。昨日のアルベルゲで教えて貰ったホステルと同じ名前のカフェが駅前にあったので中に入って尋ねると、通りを左に行けと言っているらしい。でも行ってもさっぱりそれらしい建物は見つからないし町の人に尋ねても誰も知らない。後で分かったことだが、その原因はホステルの名前が変わってしまってたことらしい。地元の人数人に聞いても知らないはずだよ。
通りを何度も行ったり来たりしながら目的のホステルを探している。数人に尋ねることを繰り返すがちょっと危なそうな男に聞いたら、この人は知っていて教わった駅方向に戻ることにする。その途中で大柄な女性が声を掛けてくれる。「あなたが3度この前を通ったので迷っているのが分かったから助けたい」と言っているようだ。そりゃありがたいと思ったら、先ほどの危なそうな男が割って入り、さっさとその女性から私を引き離した。どうやら連れてってくれるようだ。なんてことはない、目的のホステルは最初に尋ねたカフェの2階だったのだ。カフェのおばさん不親切過ぎ。男は入り口まで来てベルを押すと、カフェ代に1ユーロくれと言いだした。男の意図はこれだったのか。まぁ、連れて来てくれたことだし1ユーロくらいいいかなと思ってると、扉は中からガチャリと開錠されて入れる状態になったが中に人がいる訳ではなかった。離れた所からリモートで開錠されたらしい。ドアの向こうには二階に上がるための階段があるだけ。そしたら男は入れ入れと言い出して1ユーロは諦めて行ってしまった。 -
二階へは勝手に上がって行けばいいらしい。小さなレセプションにオーナーが居て、予約してないなら後から巡礼が来たら部屋はシェアしてもいいかの条件付だった。巡礼同士なら全然構わないす。部屋はシングルベッドが1台と2段ベッドが1台。当然、先に入った私はシングルベッドにしてもらえる。洗濯物があったらこの中に入れとけば洗ってくれると籠を置いてった。バスタオルとフェイスタオルも貰えたし、シャワー室にはボディーシャンプーもあった。こういう所はアルベルゲと違ってサービスがいい。小さなシャワー室が部屋の中にあるがトイレは共同。玄関の鍵と部屋の鍵の二つを渡されたが、突き当りの部屋だしアルベルゲの気になってドアは開けっぱなしにしておく。
すぐ昨日のアルベルゲで一緒だった二人の女性巡礼が到着してきた。この人たちは予約しての到着だった。ここは個室同士なので、同じ宿に泊まっているのに顔を合わせたのはこれ一回きりだった。せっかく他の巡礼がいるのに、こういう面では個室は詰まらないな。 -
オーナーにスーパーの場所を聞いて買出しに出る。スーパーは PingoDoce とか言う店で、ポルトガルではメジャーらしい。ホステルにはキッチンがないので買ってそのまま食べられるものばかり買い集める。バケツ野菜、つまみの豆、チーズにチョリソー、それにパンを1袋。、ビールもグラスがないので缶を2つ。一番安い缶ビールで1本0.35ユーロ。日本円なら45円弱なので涙もんだ。8.74ユーロと結構行ったのでカードでお支払い。今年はカードが使えるならスーパーでもカードで支払うようにしている。
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夕方、同じスーパーにジュースを買いに行こうとしたら、オーナーから近くの教会広場でフィエスタがあるからと勧められた。歩きでいけるなら見に行ってみよう。そこそこの規模で昔の衣装を着た人もチラホラいる。一通りぐるっと見て回ると、手作り菓子の店がいくつかあるのでこの辺りでは手作り菓子が有名なのかな?幕で閉ざされた小さな小屋では占いをやっているようだ。中を暗くして紫色でムードを盛り上げようとの魂胆らしい。日本と同じで女性が好きそうだな。1回占って貰うと10ユーロのようだ。
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大きな鉄板の下では薪が勢い良く燃えていて、その上では日本の焼餅みたいのを作っているのが面白いので、断って一枚撮らせてもらう。焼きあがるとスパッと上下に切って、間に何か白いものを塗っている。ずっと見ていたらその白いのをヘラですくって舐めさせてくれる。柔らかいチーズだった。ためしに1つ買ってみる、これは2ユーロ。もちもちとしていて腹持ちが良さそうだ。1個食べたら腹がきつくなってしまった。帰り道、スーパーでセブンアップとコーラを買って帰る。少し観光した気分になれたので楽しい。
部屋にいたらオーナーが乾燥まで済んだ洗濯物を畳んだ状態で届けてくれる。とても親切なオーナーなので和風マリアカードを進呈して名前を自分のノートに書いてもらう。Marianoと言うそうだ。ポルトガルの道でファティマ方面の情報が不足してることを言ったら、サンチャゴ巡礼路を離れてファティマを経由、再びサンチャゴ巡礼路に戻る道筋5日分のデータをプリントアウトしてくれ、更にガイドブックを一晩貸してくれる。印刷したデータを見たら前に余所で貰った印刷物とそっくり同じだったが、それは言わないでありがたく貰っておく。
明日の朝は早く出発するのでいま宿代を支払うことにする。結局あとから巡礼は来なかったので部屋は一人使用だったが15ユーロと格安だった。ベリーチープと言ったら「You are Peregrino」と言ったので、巡礼のための格安値段なのかな?親切なオーナーに感謝だ。
※スペインの安宿はオスタル(Hostal)で、ポルトガルではホステルと言うようです。ホテルが一番高くて、アルベルゲを除けばホステルが一番安い。ホステルとホテルの中間にはペンシオン、カーサ、レジデンシャルと言うのがあるようです(うろ覚え)。欧米は日本と違って部屋貸し値段が多いので、アルベルゲが少ないこのルートで一人旅の私はちょっと不利。
ポルトガルの道5 地元の人のお接待
6月2日 日本出発から42日目 -
ホステルは個室で有り難いのだが、アルベルゲのようにキッチンもなければ食堂や談話スペースのようなものはないので使い勝手はイマイチ。でも洗濯乾燥までしてくれて15ユーロは格安なので凄く有り難い。朝日が当たる部屋の窓辺にイスを2つ持って来て外を見ながら朝飯にする。一つはテーブル代りだ。チョリソー、チーズ、パンにヨーグルト。お湯が沸かせないので温かい飲み物はいただけないのが淋しいかな。
借りといたポルトガルの道のガイドブックを無人レセプションの小さなカウンターに返して7:10に出発。駅の横から、昨日、越えてきた陸橋を渡って巡礼路に復帰する。この後はずっと線路近くの草原の道を歩き続ける。
ビニール袋片手に草の中に入って何かしている男がいた。近づいたら袋の中にはカタツムリがどっさり。うぇー、あれ食べるんかい。日本人はそこらにいるカタツムリを食べる人は滅多にいないと思うが、ヨーロッパでは時々みかける。ちょっと歩けば無料の食糧が転がっているのは理想的と言うか何と言うか、幾らタダでもちっとも羨ましくもない。少し行った先にも同じようにカタツムリを集めている男がいて、こっちは更にビニール袋がパンパンだった。写真に撮りたいようだが止めておく。 -
1時間半歩いた所で線路と直角にぶつかる。たしか昨日のホステルの人の話では、ここからは右に線路沿いを歩いた方が車が少なくて安全だと言ってたよな。でもそこへ通りかかった親父が巡礼路は陸橋を渡った先だとしつこく言うので教わったことを説明するのも面倒だし、黄色い矢印は陸橋に向かっているので親父の意見に従うことにする。ホステルの人が教えた道は雑草が生い茂る歩きにくそうな道だったし。陸橋の上からは遠くにて火力発電所が見える珍しい風景だった。少し歩いたらカフェがあったのでコーヒータイム0.70ユーロ。飲み終わって歩きだしたら先ほどのオヤジが車で通り掛かりプップーと鳴らして走り去って行った。
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ここで初めてファティマからリスボンへ向かうドイツ人のおっちゃん巡礼と出会った。サンチャゴからファティマを経由してリスボンに向かう巡礼は稀少だ。出会ったら必ず声を掛けることにしている。滅多に会わない巡礼同士なので互いにテンションが上がる。「あんた達はサンチャゴ、ファティマ、リスボンか?」と言うと、私を指して「リスボン、ファティマ、サンチャゴ?」と、これしか言わないけどこれだけで意気投合できて互いに満面の笑みになれる。逆ルートを歩く人は最初はサンチャゴまで、たとえばフランス人の道とか普通のサンチャゴ巡礼の道を歩きとおしてのち、更にこの逆ルートを辿ってファティマ経由リスボンを歩いている筈だ。それもあと3日で到着だね、長い間お疲れさん。
実は私も今回、マドリッドの道を歩き終えてから逆ルートでファティマを経由してリスボンに行こうか考えたことがあった。でも逆ルートにはちゃんとした矢印がないと想像し、あるのはサンチャゴを目指す逆向きの矢印を辿るのが恐怖だった。どのカミーノでも逆に歩くのはとても難易度が高く道に迷う確率は200%増しだろう。しかも巡礼者同士はすれ違うことはあっても道連れになる確率は殆どないのが辛い。と言うことを考慮して却下。普通にリスボンスタートに決めた。 -
この二人はお揃いの青いスティックを持っていた。巡礼中に良く見かけるスティックで、握るところにはベルトでなく細い紐が下がっているだけだ。このスティックを見るたんびに、これ作った人は自分ではスティックを使って歩いたことがないんだろなと思う。スティックのベルトは重要なのは使ってみればすぐ分かる。
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どういう訳か、駅があったらまた陸橋を渡って線路の反対側に巡礼路が続いていた。まぁ矢印さえ続いていれば何でもいいけど何回もあちこちに振られる意味が分からん。
次の町にあった道端のベンチで休んでいたらフィリップスがやって来た。彼のバックパックはとても小さい。荷物運びのサービスもないポルトガルの道なので(想像です)、あれで全部か。すごい軽量化をしたもんだな。どんな装備なのか見せて貰いたいようだ。でも日焼け止めは大きなチューブを持っていて、休んだついでにせっせと塗っている。私は日焼け止めなるものを使ったことがないのだが、白人は肌が弱いので日焼け止め塗らないと火傷にやってしまうのかな。フィリップスは近くの水道でボトルに水を汲み出したので一足先に出発する。ブエンカミーノ。
12時前にアザンブジャに到着。この町にはアルベルゲがある。印刷してきた地図にちゃんと手書きで描き足してきたので迷うことなくアルベルゲを目指せるが、最後の詰めでどっちに行ったらいいのか分からなくなる。そこへ地元のお婆ちゃんが「あっちだよ」と教えてくれる。巡礼が通る道筋の小さな村や町はカミーノを知っているし巡礼に親切。 -
遠くから見るとアルベルゲ前に腰掛けている人がいるようだ。近づいていくと、昨日も一足先に到着していたイタリア人のジャンピエールだった。やっぱりこの道は宿が少ないから再会率がとても高い。オープンは3時なので、あと3時間も待たなくてはならない。バックパックは宿の前に置いといて店の下調べに出たら、向こうからフィリップスがやって来たのでアルベルゲまで連れてってやる。
少ししたら時間前なのに管理人らしき婦人がやって来た。早めにチェックインさせてくれるのかなと喜んでみたけど、バックパックだけ中に入れて後はやっぱり3時まで待たなくてはならないそうだ。ま、それでも身軽になれるので有難いよ。 -
3人でビールを飲もうと歩いていくことに。通りに地元民がいたので「ビールが飲みたいんだ」と尋ねたところ、どういう訳か家の中からグラスに入った冷えたビールを持ってきてくれる。見たところ店でもなさそうだし、どうなってるのだろう?開け放たれた家の中には闘牛で使うピンクのでっかいマントがあった。へー、こりゃ滅多に見られない代物だな。持たせてもらったらズシリと重い。テレビで見る闘牛ではこのマントをヒラリヒラリと風呂敷のごとく軽く扱っていたが、実際はこんなに重たい物だったんだ。百聞は一見にしかずとはこのことだ。闘牛の最後にマタドールが牛相手にヒラヒラさせるマントとは異なり、これはアクシデントがあったときにマタドールなりを守るために使われる、闘牛の突進を受けるマントなのだと想像した。テレビでもそうやってたのを思い出したから。だから分厚くて重たいのだろう。
この通りにはごっつい木の柵が両側に張り巡らせてあり、パンプローナで行われるような牛追い祭りがあるようでポスターも貼られている。これからあるのか終ったのかは不明だが、見られるもんなら是非見てみたい。グラスが空になるとまた持ってきてくれて、結局ここでビールを3杯も飲ませてもらった。アルベルゲが開く時間になったので、ビールの支払いがしたいから幾らと尋ねると、いらないそうだ。どういうことなんだろう?一緒に飲んだフィリップスは「いーからいーから」と気楽だ。まぁ好意は素直に受けとこう。 -
3人でチェックインしてここは6ユーロだった。大きな部屋が1つだけあって、ベッドルームとキッチン兼談話スペースは衝立で仕切られている。2段ベッドが5台のこじんまりとしたアルベルゲだった。洗濯物を干すところはベランダになっていて、一段下がった隣の古い建物では数人のボーイスカウトが掃除をしている。学校なのか、それとも公の建物を掃除ボランティアしてるのか?
買い物がしたいのでまた通りに出たところ、向こうから年配のソロ巡礼がキョロキョロしながらやって来た。「アルベルゲ?」と聞いてこの人も連れてってあげる。この70過ぎの男はこれより仲良くなって何日も再会を繰り返すパベルだった。 -
さっきの通りに行ったら、まだ地元の人たちが酒盛りをしていた。こんどは更に人数が増えていて、バーベキューコンロに火まで燃えている。「やぁやぁ良くきた」と(言っているらしい)今回もビールを飲ませて歓待してくれる。一緒に写真を撮りたいと言ったら「女ども集まれ」と号令したのか、周り中に女性陣を集めてくれる。写真で見ると私もすっかり地元民のごとく馴染んで写っているな。家の中まで入れて何やら説明してくれている。大きなテーブルがあって、ここで何十人もの人たちが一緒に飲み食いしている写真を誇らしげに見せてくれる。どういう集まりなのかさっぱり分からないが、普通の近所付き合いと言うより何かのコミュニティーのような感じがする。何だか分からないけど楽しそうな人たちだな。他の人たちもみんなフレンドリーで、珍しい日本人を歓迎してくれているのが伝わる。
スーパーに行きたいんだと伝え、教えてもらった方に行ってもそれらしいのが見つからなかった。仕方ないので来るときに見かけたフルテリア(果物屋)で果物4種類と1リットルビールにヨーグルト4個、それから前から気になっていたウエーハウスの大袋で5.89ユーロ。ここでは50ユーロ札を崩したかったから現金支払い。もっとも小さな店ではカードは使えない。果物をたくさん買ったのは、ここんとこビタミン不足の感じがしていたから。日本でぐーたらやってると感じないが、何十日も歩き続けていると油不足やビタミン不足を感じるときが時たまある。ビタミン不足には果物で油不足にはポテチだ。
買ってきた物をアルベルゲで食べ始める。同じテーブルに(て言うかテーブルひとつしかないし)いるフィリップスにビールを2杯飲ませたる。ジャンピエールと管理人にも礼儀上ビールを勧めたがノーサンキューだった。あー良かった。果物をいっぱい食べて昨日のパン2個にチーズを挟んで食べ、腹いっぱい。 -
夕方に近くの教会でミサがあるからと4人でぞろぞろ歩いていく。知らない土地でこういうのをみんな良く見つけるよな。やっぱり言葉は違ってもアルファベット圏の人たちはポルトガル語で書かれた文字が理解しやすいんだろう。私はハナから読もうともしないのが理解できない最大の原因かも知れないが。ミサには地元の人たちが沢山来ており、スペインもポルトガルもみんな信仰が篤い。
みんなは夕飯を食べる積もりなのか、カフェへ行くことになった。でもちゃんと夕飯を注文してたのはジャンピエールだけで、残りの3人はみんなビールやワインだけ飲んでたな。ジャンピエールは食べながらずっとスマホで喋り続けている。アルベルゲに戻ると知らない若者が一人増えていたけど日記に残ってないので若者としか記憶がない。今日の年配4人は長い日数を離れたりくっついたりしていたが、若者の歩くスピードは速いので、この兄ちゃんとはこれ切り会うことはなかった。
オスピタレロが日本のコインを持ってないかと聞いてきた。各国のコインを収集してるそうだ。そうだ、50円玉がポケットにあったな。穴あき硬貨は外国では珍しいと聞いていたので喜んでくれるだろう。上げるよと言いながら差し出したら、ちゃんとユーロと交換して集めているそうなので「これはユーロでは幾ら?」と聞かれる。現在の交換率は1ユーロが130円だが、面倒なので0.5ユーロと答える。ちょっとこちらが儲けになるが交換成功。もっと持ってないと聞かれるが、もうないよ。でもこれは後になって気づいたが、まだ百円玉を幾つか持っていた。惜しいことをしたな。コイン数個でも数グラムはある。たった数グラムでも減らしたいのにずっと日本まで担いで行かなくてはならない。
パベルが明日の巡礼路を心配しているので、一緒に付いてって教えてやる。町の中心に駅があって、巡礼路は駅の大きな陸橋を渡った反対側だ。陸橋の昇り口には黄色い矢印もちゃんと付いているのを見て安心したようだ。
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