2021/01/02 - 2021/01/02
24位(同エリア1175件中)
+mo2さん
この旅行記スケジュールを元に
国内各地には、様々な特長を持った素晴らしい美術館がたくさんあります。各地の県立美術館には、その県出身の作家やゆかりのある作品の他にそれぞの収集方針に基づいた海外の作品のコレクションを見ることもできます。その中でも山梨県立美術館は、ミレーにこだわり70点もの名画を収集してきています。ミレーといえば、19世紀のフランスを代表する画家でもあり、日本国内はもちろんアメリカやフランスなど海外でも知名度、人気のある画家です。『落穂拾い』『晩鐘』など代表作を所有するフランスのオルセー美術館と比べても量・質ともミレーに関しては遜色ないコレクションを有しています。そんな山梨県立美術館のミレーコレクションですが、昨年2020年より正月2日に限り、作品の写真撮影がOKとなっています(正式には、2019年11月20日の県民の日が初回)貴重な展示作品を写真に撮れる滅多にない機会であり行ってきました。
※作品の解説は、展覧会展示等参照しました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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朝6時前に沼津ICをでて7時過ぎに、身延山に到着。こちらは日蓮宗の大本山でもあり、まずは初詣です。
身延山 自然・景勝地
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正月2日目で参拝客少なめですが、コロナの影響ということではなく朝のこの時間帯だと毎年こんな感じです。
身延山久遠寺 寺・神社・教会
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身延から1時間あまり、9時前に山梨県立美術館に到着しました。
隣県でワイナリーや果物狩りで度々訪れている山梨ですが、こちらを訪れるのは3回目です。山梨県立美術館 美術館・博物館
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コレクション展は2Fにあり、第1室では山梨県立美術館のミレーコレクションを、第2室ではバルビゾン派の画家の作品を中心に展示しています。
あらためてジャン=フランソワ・ミレーですが、19世紀活躍した写実主義の農民画家。故郷であるシェルプールからパリへ出て新古典主義の画家ドラローシェに師事。肖像画や歴史画を学ぶが、サロンでは認められませんでした。1848年に出展した作品『箕をふるう人』でサロン初入選をし、それを転機に農民画家へ転向、翌年の1849年にはパリから南東へ60kmの場所にあるバルビゾン村へ移住しバルビゾン派となります。『種をまく人』『落穂拾い』『晩鐘』など農民を主人公にしたレアリスム絵画を描き、1867年のパリ万国博覧会で名声を得ました。 -
滅多にない貴重な機会とあり混雑も予想していたのですが、ほとんど人はいませんでした。展示は、《ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)生涯と作品・画家としての出発》からスタートです。
山梨県立美術館 美術館・博物館
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穏やかで愛らしい表情に、いきなり心を掴まれました!!
ジャン=フランソワ・ミレー「ポーリーヌ・V・オノの肖像」 1841-42年頃
本作品は、ミレ初期の肖像画でモデルは、最初の結婚相手であるポーリーヌ=ヴェルジニ・オノ。ミレーは、結婚する5年前のあたりからポーリーヌをモデルにして作品を制作し始めています。本作では落ち着いた柔らかい表情だが、他の作品では緊張して堅い顔なども残っており、当時の彼女との距離感やモデルの心境などをリアルに投影しています。本作の斜に構えた姿勢から顔だけを画面に傾ける姿は、ダヴィンチの『モナリザ』と似る部分があり、ミレー版のモナリザと評されることもあります。 -
「ポーリーヌ・V・オノの肖像」(拡大)
華奢な姿であらわされた彼女は、シュールプールの仕立て屋の娘で、ミレーと結婚しましたが、3年後、あまり体が丈夫でなく亡くなっています。 -
ジャン=フランソワ・ミレー「眠れるお針子」 1844-45年
1845年にミレーは、シェルプールで家政婦をしていたカトリーヌ・ルメールと出会い一緒に暮らすようになります。以後30年、カトリーヌはミレーのよき伴侶となり9人の子供を育てました。「裁縫をする女性」と言う画題は、ミレーが晩年まで好んで繰り返し描き続けたものの一つです。裁縫の途中で眠りに落ちてしまった女性の右手中指にはめられた指ぬき背後におかれた静物など、細部まで表現されています。 -
ジャン=フランソワ・ミレー 「ダフニスとクロエ」 1845年頃
農民画を描いたことで有名なミレーですが、物語にもとづく作品も制作しています。国立西洋美術館にも彼が描いた同題材の「春(ダフニスとクロエ)」という大きな作品がありますが、『ダフニスとクロエ』は、古代ギリシャの詩人ロンゴスが書いたとされる恋愛物語です。少年ダフニスと少女クロエは、ともに幼いころにエーゲ海にうかぶレスボス島に棄てられ育ちました。その後、成長するにつれて二人は愛し合うようになり、やがて結ばれます。本作品では二人は幼い子供として表現されています。 -
ミレーの《農村の労働や暮らしを描く》
ジャン=フランソワ・ミレー 「種をまく人」 1850年
パリを離れてバルビゾン村に移り住んだミレーが、夏の終わりに麦の種を蒔く農民の姿にインスピレーションを受けて描いた作品。この作品は、新約聖書の福音書などに見られる「種をまく人のたとえ」と関連付けて解釈されます。「種をまく人のたとえ」は、心を開いて言葉を受け入れる者(良い土地)にのみ、イエスが蒔いた信仰の「種」は実を結ぶ、という教えです。イエスが希望を持って辛抱強く信仰の「種」を蒔き続けたように農民が後の芽吹きに望みをかけて麦の種を蒔く、ミレーはその両者の姿を重ね合わせてこの絵を描いたと言われています。 -
「種をまく人」(拡大)
岩波書店のシンボルマークとしても有名な、ミレーの「種をまく人」ですが、ほぼ同じ構図の2枚があり、ボストン美術館とここ山梨県立美術館に所蔵されています。また、ミレーの農民画は、同時代や後世の画家に影響を与え、たびたび模写されました。特にゴッホがこの作品に触発されて独自の色彩で再構成した「種蒔く人」は、ミレーとの主題の噛み砕き方や表現の仕方の違いにおいて興味深い作品です。 -
ジャン=フランソワ・ミレー 「落ち穂拾い、夏」 1853年
1851年末から翌年にミレーは交友のあったパリの建築家アルフレッド・フェイドから連作『四季』の注文を受けています。『葡萄畑にて、春』(ボストン美術館所蔵)、『落ち穂拾い、夏』(山梨県立美術館所蔵)、『林檎の収穫、秋』(アーノット美術館所蔵)、『薪集め、冬』(エルミタージュ美術館所蔵)の伝統的な季節ごとの農作業を描いた油絵作品4点がそうだと言われています。 -
「落ち穂拾い、夏」(拡大)
ミレーの作品の中で最も有名なものは、オルセー美術館所蔵の「落ち穂拾い」だと思いますが、本作はオルセーにあるものより4年前に制作されています。フォンテーヌブローの森のはずれにあるシャイイの農場が描かれていますが、落穂拾いとは、刈り取りの終わった畑に落ちている糧を一粒一粒拾っていく作業のことで、畑を持たない最も貧しい農民が行う辛い労働です。バルビゾン村に移り住んだミレーは、聖書に登場する落穂拾いの行為を見て驚くと同時に、深く感銘を受けたとされます。 -
ゴッホの創造的な源泉となった「種をまく人」はゴッホ美術館へ、「ミレー」の代名詞といっても過言ではない3人の女性が描かれた「落ち穂拾い、夏」はセントルイス美術館へ、それぞれ貸し出されたそうです。
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ジャン=フランソワ・ミレー 「角笛を吹く牛飼い」 制作年不詳
一日の終わりを迎え、牧人が牛の群れを笛の音で呼び寄せています。パリ近郊、フォンデューヌブローの森で見られる、大きな岩が散在する地形の中、牛たちがゆっくりと帰路を歩んでいます。制作年は不詳ですが、1850年代中頃以降の作品ではないかと推測されています。 -
「角笛を吹く牛飼い」(拡大)
2018年、開館40周年を記念し、山梨県が、70点目のミレー作品として約8900万円で購入した作品。米国の収集家一族が約125年にわたって所有し、1908年にボストンで開かれた展覧会以降は一般の目に触れることがなかったものです。ミレーは本作品とほぼ同じ構図の作品に度々取り組み、1866年頃にはパステル画、晩年となる1872年にはより大きなサイズの油彩画を制作しています。 -
ジャン=フランソワ・ミレー 「鶏に餌をやる女」 1853-56年頃
農家の夫婦の日常生活のひとこまが描かれた、ミレーらしい作品です。
農家の戸口で、女性が鶏たちに餌をやっています。餌を食べている鶏、食べ損ねないように走って来る鶏、餌に気づかないでボーっとしている鶏など、それぞれ個性的な鶏の様子が描かれています。 -
朝一番だったからか、ほとんど人もいなくゆっくりと鑑賞したり、写真撮影したりできました。作品は《人々を取り巻く自然を描く》の2点に移ります。
それにしてもミレーの作品のなかでも幅広い年代の作品を見ることができます。 -
ジャン=フランソワ・ミレー 「夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い」 1857-60年
ミレーは、1850年代から60年代にかけて「羊飼い」をテーマにした作品を『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』以外にも、好んで描いています。
羊飼いは、村に定住せずに牧草を求めて移動しながら生活をしていました。
村の人達は、そんな羊飼いたちを、奇異な目で見ており距離を置いていましたが、ミレーは村人たちとは異なり、聖書の中の「聖なる賢者」として、羊飼いに尊敬の眼差しを持っていたのでしょう。
『夕暮れに羊を連れ帰る羊飼い』では、夕焼けに照らされながら、羊飼いが羊の群れを先導しながら移動している様子が描かれています。
たくさんの羊が描かれていますが、その群れの横には、羊たちを見つめる牧羊犬が一匹描かれています。 -
ジャン=フランソワ・ミレー「古い塀」 1862年頃
ミレーが風景を描きだした1862年頃の作品。バルビゾン村とフォンテーヌブローの森を区切る古びた塀とそこから顔を覗かせる鹿が描かれています。塀の奥には欝蒼と茂る森が広がり、野生の鹿がこちらの様子をうかがい、手前の平原には明るい陽が射し、タンポポやカエルの生き生きとした様子と好対照をなしています。2011年に1億8732万円で購入されている作品です。 -
ジャン=フランソワ・ミレー 「無原罪の聖母」 1858年
1857年4月にローマの鉄道省は、255代ローマ教皇として30年以上在位したカトリック教会司祭ピウス9世のお召列車の礼拝堂を飾る聖母マリア像の制作をミレーに依頼しました。ローマ法王庁から与えられたテーマは「無原罪の聖母」 でしたが、農民の娘のような素朴な雰囲気のマリア像は、崇高で美しいマリア像を所望した法王の御意には沿わず、この絵の受け取りを拒否したとされています。 -
ジャン=フランソワ・ミレー 「冬(凍えたキューピッド)」 1864-65年
ミレーが手がけた2番目の四季連作の冬にあたり、パリに新築する銀行家トマ邸の食堂装飾のために制作されました。春は「ダフニスとクロエ」(国立西洋美術館所蔵)、夏は「豊穣の女神ケレス」(ボルドー美術館所蔵)、秋は焼失しています。 -
「冬(凍えたキューピッド)」 (部分拡大)
本作は、紀元前6世紀頃のアナクレオンというギリシャ詩人の詩から着想を得ています。
寒さに震える裸のキューピッドを、やさしい家人が家に入れようとしているところを描いています。
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第2会場の《自然を描いた画家たち バルビゾン派を中心に》入ります。
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バルビゾン派以前の風景画が3点
クロード・ロラン「木を伐り出す人々(川のある風景)」1637年頃
クロードが描く樹木は非常に魅力的です。画面右側に立つ木々は、逆光を浴び、薄明るい空にその豊かな形を色濃く描き出しています。背後から差す夕陽は、細かく描かれた葉叢を、光線との角度に応じ様々な色に染めますが、微細なタッチの集積は逆説的にもぼやけた効果を現じ、木々に神秘的な雰囲気を纏わせています。さらに木々は、点景として描かれた人々との対比により、その大きさが強調されています。大樹に隠れる細々とした木々は、いずれここに描かれた木こりたちにより切り倒されてしまうかもしれません。しかし、空に巨大な影を落とすあの巨木たちは、彼らの手には負えそうにありません。人間の力ではびくともしない自然の力強さが、一種の崇高美として表れています。 -
ヤーコプ・ファン・ライスダール 「ベントハイム城の見える風景」 1655年頃
レンブラントやフェルメールが活躍した17世紀は、オランダ絵画の黄金時代と言われ、他にも多くの優れた画家が輩出した。こうしたオランダ絵画の黄金時代において、もっとも重要な風景画家と見なされるのがヤーコプ・ファン・ロイスダールです。 本作は、ライスダールがドイツを訪れたおよそ5年後に制作された作品で、オランダ国境に近いウェストファリア地方の小さな村ペンとハイムの城の風景を描いたものです。 -
ジョルジュ・ミシェル「風車のある風景」 1820-40年頃
本作に描かれているのは、パリのセーヌ河右岸に位置するモンマルトルの丘。現在は観光地として有名ですが、ここは長い間農地であり、ブドウ畑と風車がシンボルとなっていました。 -
ここから、ミレー以外のバルビゾン派の画家たちを中心とした作品が続きます。
バルビゾン派は、19世紀中葉のフランスの風景画家のグループで、1830年頃から彼らが移り住んだパリ近郊フォンテンブローの森の入口にある小村バルビゾンに由来します。ミレー,ルソー,ディアズ・ド・ラ・ペーニャ,デュプレ,トロワイヨンらを中心に コローや クールベもときおり加わり,自然に対するロマンチックな感情と抒情的な画趣のある風景画を描きました。 -
ジュール・デュプレ「森の中-夏の朝」1840年頃
1840年代のでデュプレは、バルビゾン村や旅行先で友人ルソーとともに制作を行っていました。ルソーの影響を受けた風景画を多く手掛けています。
本作品には画面いっぱいに背の高い木々が描かれます。 -
ナルシス=ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ「フォンテーヌブローの樫の木 (怒れる者)」 1862年
フォンテーヌブローの森には、岩場や年輪を重ねた樹木のみならず、渓谷や川、沼、牧草地もあり、森は変化にとんだ地形になっています。太古の昔にこの地が湖の底であったことを示すように、奇妙な形の巨岩が積み重なり、独特なな雰囲気を生み出しています。 -
「フォンテーヌブローの樫の木 (怒れる者)」 (部分拡大)
森の大きな樹木や奇妙な形の岩にはあだ名がつけられており、「怒れる者」は大きな樫の木につけられたあだ名です。 -
ナルシス=ヴィルジル・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ「森の中の薪拾い」 1873年
本作で描かれているフォンテーヌブローの森は、パリの南東60Kmほどのところ、セーヌ川の左岸に広がる広大な森です。画面両側に森の木々が配され、中央には林間の空き地が見えています。一部から明るい光が差し込むことで、画面に奥行きを出しています。 -
「森の中の薪拾い」 (部分拡大)
舞台となっているフォンテーヌブローの森は狩猟の場として歴代のフランス国王に愛されていました。王家の所有地ですが、近くの村に暮らす人たちには、そこで家畜を放したり薪を拾うことが許されていました。本作に描かれた二人の農婦も木の枝を拾っています。 -
ピエール=エティエンヌ・テオドール・ルソー 「フォンテーヌブローの森のはずれ」 1866年
ここに描かれた場所は、フォンテーヌブローの森のアプルモン渓谷と考えられます。そこは岩だらけの渓谷の頂に広がる人気の牧草地でした。多くのバルビゾン派の画家たちがパリを拠点として活躍したのに対し、ルソーはバルビゾン村に定住して風景画を描き続けました。自然を愛したルソーの風景画は、自然の景色を後世に伝えるものであり、森の豊かな自然があらわされています。 -
ピエール=エティエンヌ・テオドール・ルソー「樫のある風景」 制作年不詳
パリの都市開発が進んだ19世紀後半、フランス政府が、フォンテーヌブローの森の木々を針葉樹に植え替えようとしたとき、ルソーは自然保護運動を積極的に行いました。その結果、フォンテーヌブローの森のは保護されることになり、今もその姿を残しています。樫の木や沼地は、森の哲人とも呼ばれるルソーが特に好んだ画題です。 -
コンスタン・トロワイヨン 「市日」 1859年
定期的に開かれる市では、動物を売買したり、遠く離れた市からの情報を得ることができました。
またこちらは、旧松方コレクションの1枚でもあります。 -
「市日」(部分拡大)
ここに描かれたのはノルマンディの市と考えられますが、動物画家として有名だったトロワイヨンにふさわしく市に集まった家畜の様子が丁寧に描かれています。 -
明るくみやすい会場です。
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ジャン=バティスト=カミーユ・コロー 「大農園」 1860-65年頃
本作品に描かれているのは、コローが度々訪れていたパリの西郊外の小さな町ヴィル=ダヴレーの風景とされます。産業化されつつあるパリからは失われた、穏やかな田園風景がここには広がっています。 -
シャルル=フランソワ・ドービニー 「オワーズ河の夏の朝」 1869年
ドービニーはとりわけ水辺の風景を好んだことで知られます。セーヌ川の支流オワーズ河に、小さな蒸気船が浮かび、白い蒸気を後ろにたなびかせています。川の対岸には家が並び、画面右下には洗濯をする女性が二人います。 -
ヨハン・バルトールト・ヨンキント 「ドルトレヒトの月明り」 1872年頃
オランダ出身の画家ヨンキントは、フランスで風景画家として活躍しました。オランダの南ホラント州の町ドルトレヒトには川や運河が数多く見られ、本作でも画面の中央を川が占めています。厚い雲のあいだに隠れてしまい、月そのものは描かれていませんが、月明かりを浴びた水がキラキラと輝いています。 -
ミレー以外の作品(バルビゾン派)も充実しています。
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ジュリアン・デュプレ「牧草の取り入れ」 1890-95年頃
家畜の飼料にもなる干し草づくりは、重要な夏の仕事のひとつでした。背景に広がる曇りがちの空と平坦な風景は、ジュリアン・デュプレが住んでいたフランス北部のピカルディ地方の草原を思わせます。 -
ジュール・ブルトン 「朝」 1888年
ブルトンは、ジャガイモの収穫作業を終えて畑を後にする人々を描いた「労働の終わり」(ブルックリン美術館所蔵)を1887年のサロンに出品し、批評家たちから賞賛を得ました。ニューヨークの画廊から依頼を受けて制作された本作は、「労働の終わり」の中央の人物のみを描いたもの。
こちらの作品にも惹かれました。心惹かれるのは(モデルが)女性の絵ばかりですが・・・(笑) -
「朝」(拡大)
朝の光がアザミの花咲く草原を明るく照らす情景があらわされています。舞台となったのは、ブルトンの出身地フランス北部の町クリエール。この作品のためにポーズをとったのは、画家お気に入りのモデル、カトリーヌ・ビビです。 -
シャルル=エミール・ジャックの作品が続きます。
シャルル=エミール・ジャックは、ミレー、ルソーと共にバルビゾン派の基礎を築いた画家で、バルビゾンの村でジャックはミレーやルソーのすすめもあって油彩画を描きはじめ、版画時代に築きあげたすぐれた技巧を油彩画に反映し、羊の群れと羊飼いという牧歌的な主題を写実的に描いてたちまち人気画家となりました。
羊と羊の群れを多く描き【羊飼いの画家】として知られ、羊の性質などを微妙に捉え、温かく描き出し【羊のラファエロ】と呼ばれ人々の人気を集めました。 -
シャルル=エミール・ジャック「森はずれの羊飼いの女」 1870-80年頃
本作は、最初イギリスのコレクターが所蔵していました。ジャックとイギリスとの関係は、1836年から二年間、シェークスピアの挿絵本制作のために滞在していたことに始まりますが、フランスよりも早くから風景画が成立しているイギリスにおいて、風景だけで観賞に値するジャックの作品が好まれたことは不思議ではありません。 -
シャルル=エミール・ジャック 「森の中の羊の群れ」 1860年頃
羊を得意としたジャックが、サロンに出品した大作。横長の画面に大きく描かれた羊たちは、森の牧草地で草を食べたり、散歩したり、休息したりしています。 -
「森の中の羊の群れ」(部分拡大)
羊の毛並みやそれぞれの表情も丁寧に表現されていて、羊たちの個性が感じられます。 -
シャルル=エミール・ジャック 「羊群」 不詳
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シャルル=エミール・ジャック 「羊飼いと羊の群れ」 不詳
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シャルル=エミール・ジャック 「鶏」 不詳
常設展ですが見ごたえありました。 -
ミュージアムショップです。こちらの美術館オリジナルの商品など(ほかの美術館と比べて)お手頃な価格のものが多かったです。
アート・アーカイブス グルメ・レストラン
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美術館をでると富士山も見えました。
芸術の森公園 公園・植物園
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