2015/05/05 - 2015/05/05
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shunfilmさん
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・4月25日:名古屋 ⇒ ソウル
・4月26日:ソウル ⇒ ミラノ
・4月26日~28日:ミラノ
・4月28日:ミラノ ⇒ ヴェニス
・4月29日:ヴェニス ⇒ フィレンツェ
・4月29日~5月2日:フィレンツェ
*******小旅行*******
・5月1日:ピサ & シエナ
・5月2日:フィレンツェ ⇒ ナポリ
・5月2日~4日:ナポリ
*******小旅行*******
・5月3日:アマルフィ海岸
・5月4日:ポンペイ
・5月4日:ナポリ ⇒ ローマ
・5月4日~7日:ローマ
・5月7日~8日:ローマ ⇒ ソウル ⇒ 名古屋
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7:00起床。朝食は予想していたより品数が多く、ハム3種類、パン6種類(ケーキっぽいのも3つ含む)、ヨーグルト、フルーツ、シリアルなどがあった。
コルティナ ホテル ホテル
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8:00にホテルを出発。輝美に駅まで歩く途中、教会の前に風船が浮かんでいる。
サンタ マリア デッリ アンジェリ教会 寺院・教会
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何かのイベントのようだが、1つ1つの風船が大きい。
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振り返れば、共和国広場の噴水。
共和国広場 広場・公園
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8:20にテルミニ駅到着。
テルミニ駅 駅
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電光掲示板でホームを確認する。
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8:58発の列車。2estというプラットフォームだったが、地下鉄2駅分位歩かされた。
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ホームは屋根のない一番奥の僻地とも言うべき場所。
最終的にはフィレンツェまで行く列車。 -
でもって列車に乗ろうとしたら「席まで案内したから金くれ!」詐欺に遭遇。"歩き方"に載っていたが本当にいるんだなぁ・・・と違う意味で感心した。
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世界の車窓から1
~イタリアの田園風景~ -
世界の車窓から2
~丘の上の城塞都市1~ -
世界の車窓から3
~丘の上の城塞都市2~ -
列車は定刻出発、定刻着。先ほどの日本人が「タクシーで一緒にチヴィタまで行きませんか?」と誘ってくれたが、オルヴィエートの町も見たかったのでパスした。
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オルヴィエートの駅のプラットフォーム。
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オルヴィエート駅の外観。
オルヴィエート駅 駅
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電車の駅の前にフニキュラーの駅がある。
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オルヴィエートの町は高台の上にある。鉄道駅に到着すると目の前にフニキュラー(ケーブルカー)の駅があり、それに乗って丘の上へと向かうのが、この町の観光の第一歩となる。
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こちらのフニキュラーに乗る。
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右のチケットがフニキュラーのチケット、左はオルヴィエートからチヴィタへ向かうバスのチケット。背後はオルヴィエートの町の地図。
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丘の上に到着。まずは崖の方へと向かう。
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城壁の上にはどこかで見たことのある羊の像がある。たぶんピカソの作品だ。なぜここにあるのだろう?という疑問が一瞬頭をよぎったが、景色を楽しむことにした・・・。
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崖の上からの景色。
写真中央のやや左上にズームすると・・・ -
イチオシ
・・・山の中腹に古城があった。
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崖の上からオルヴィエートの駅方面を眺める。
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石畳の道の両脇に石造りの家が立ち並び、いかにも中世の町って感じ。その道幅が狭いのがまた良い!
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犬の散歩も見栄えする町。
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フニキュラ―駅の隣の観光案内所は金~日曜のみオープンということでまずはドゥオーモの向かいの観光案内所へ向かう。
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この町、実は白ワインの産地としても有名だそうで、ワイン・バーも何軒か見かけた。
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ドゥオーモに到着。
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ファサード以外の部分はシエナ同様、白黒の石を積み上げた横縞模様。
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修道僧らしき人物が黒い修道服を着て、外を歩いているのを見つけた。横縞模様を背景にした黒い服を着た修道僧という構図もまた美しかった。
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1290年に着工され、1600年に完成した「シエナ大聖堂」。
オルヴィエート ドゥオーモ (カテドラーレ) 城・宮殿
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ん?どこかで見たような・・・。あぁ、シエナの大聖堂とすごく似ている!
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それもそのはず、シエナ大聖堂の建築家がこのオルヴィエート大聖堂のファサードを見て、シエナのそれを設計したというのだ。
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さらにシエナ大聖堂の建設に関わったマイターニという建築家がシエナの後にこちらの大聖堂の建築主任に就任したという交互に影響を受け合ったという珍しい、いわば"双子の大聖堂"とも言うべき建物なのだ。
オルヴィエート ドゥオーモ (カテドラーレ) 城・宮殿
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シエナも一部そうだったが、こちらは破風の部分すべてが金箔にモザイク画というスタイル。晴れていれば、金色に光り輝いている大聖堂が見れたと思うと少し残念。
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シエナ大聖堂のファサードが"イタリアで最も美しいゴシック様式のファサード"と言われているわけだから、こちらもそれと双璧を成す美しさだと言える。
バラ窓を囲むように4人の聖人が金箔のモザイク画で描かれ、それを取り囲むように無数の頭像が配置され、さらにそれを囲むように2人1組の全身像が周囲を囲むという4重の構造になっている。オルヴィエート ドゥオーモ (カテドラーレ) 城・宮殿
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シエナと比べても、バラ窓はこちらの方が断然美しい。
それどころか個人的に世界一美しいファサードだと思っているフィレンツェのドゥオーモと比べても、バラ窓に関して言えば、同等かそれ以上ではないかと思う。 -
4つ角には金色のモザイク画の聖人が4人描かれている。
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バラ窓そのものに対する装飾は中央にキリストを配置し、そこから放射線状に無数の柱を伸ばす。その柱も文字通りひねりが加わっている。
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バラ窓の下には天使のわっかを身に着けた羊の彫像。
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中央扉の上の部分。
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ここもファサードの破風と同じく金色のモザイク画。
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下の方にマリア像がある。
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中央の扉にもレリーフが施されている。
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ファサードの扉の取っ手の部分は翼の生えた2人の女性が飾られていて、その美しさに華を添えていた。
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反対側の扉。
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ヴェネチアの守護神、有翼の獅子の彫像もあった。
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1つ1つの大きな柱に小さならせん状に削られた柱があり、さらにその螺旋部分にも細かな装飾がされている造りもシエナ大聖堂には見られず、フィレンツェのドゥオーモに見られた特徴で、シエナとフィレンツェの良いところを上手く組み合わせた造りになっているとも言える。
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イチオシ
らせん状の柱、そのらせんの側面にも細かな装飾が施されている。
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また柱以外の部分にもカラフルなレリーフが施されている。
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壁の上の方までずっと続いているレリーフ。色付きのタイルを埋め込むだけでも大変だったことを考えるとその苦労はものすごいものだったはず。
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最下部には2つの扉を挟んで4つの付け柱があるが、そこにはマイターニによる大理石の浮き彫りが施されている。
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旧約聖書、新約聖書、そして最後の審判の物語が描かれていて、その中には有名なアダムとイヴが禁断のリンゴを手にする場面も描写されている。
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そしてエデンの園を追放されて、さらに天使に追いかけられる場面も描かれていた。
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ドゥオーモの前の広場の一角に人だかりが出来ている場所があったので、行ってみた。
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入口の上の部分にポルトガルのペーナ宮殿で見たポセイドンの息子・トリトンの悪魔のような形相を彷彿とさせる顔面のみの彫像が刻まれていた。
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中世ヨーロッパではこういうのが流行った時期があったのだろうか?
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小さな宮殿のような入口を抜けると天井が吹き抜けになっていて奥へと続く細道があり、そこで観光客が写真を撮影していて、人が人を呼ぶ仕掛けになっていた。
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広場には軍服を着た人がいて、市民を見守っていた。もしかして警察だったのだろうか?
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奥には時計台があった。
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その時計台の上には鐘を鳴らすための仕掛けが見えた。
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また陶器の町としても有名なのか、至る所に陶器の作品が展示、販売されていた。
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そのデザインは独特で、白いギリシア神話の彫像になぜか黄色いレモンをあしらったものもあった。ここがレモンで有名なアマルフィ海岸ならいざ知らず、どういう意味だろう?
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細い路地から見えるドゥオーモのファサードの威容ときたら、素晴らしいの一言に尽きる!
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町中を歩いているともう1つ別の顔をよく見かけた。
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それは猪。突然猪の顔だけが壁にぶら下げられているのだ。一体何の習慣だったのだろうか?
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別の猪。
こっちの猪の顔は怖い・・・。 -
市庁舎の近くにある塔が建っている。モーロの塔と呼ばれる町で最も高い建物だそう。13世紀の終わり頃、中世のオルヴィエートが経済的に最も栄えていた時期に建てられ、47mの塔は当時、教皇の塔と呼ばれていたそう。時間がなくて上ることはできなかったが、誰でも上れるようになっている。
モーロの塔 建造物
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塔の入口。
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オルヴィエートの町の中心ともいうべき場所がここレプッブリカ広場。
広場に面して市庁舎やサンタンドレア教会が建つ。レプッブリカ広場 (オルヴィエート) 広場・公園
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市庁舎は12世紀の建造でその後何度か改修されている。
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多角形の塔は12世紀の姿のままらしい。
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一方のサンタンドレア教会は11世紀に起工され、13世紀末に拡張されている。外観は近くの大聖堂には比べるべくもなく質素だが、中には1つだけ大聖堂にも負けない素晴らしいものがあった。
サン アンドレア教会 寺院・教会
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中も質素なのだが、バラ窓の綺麗さは目を見張るものがあった(とはいえ、大聖堂は中に入ってないので、大聖堂のバラ窓がどうなっているかは知らないが・・・)。
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モーロの塔と同じく中世当時の建物がポポロ宮と呼ばれる建物。
ポポロ宮 (ポポロ広場) 城・宮殿
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12世紀に建てられたロマネスクゴシック様式の建物。
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宮殿と名は付いているものの市庁舎よりも大きさとしては小さく、もともとは教皇の館として建てられたが後に町に寄贈され、人民隊長の館となったらしい。
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その隊長と思われる人物の像もあった。
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町中を歩いていて出くわした紫の台車。なんかオシャレ。
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そして町を散策していると一か所だけ白いリボンが吊り下げられた場所があった。
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結婚式か何かの儀式だろうか?あるいは訪れたのが5月なので、卒業式とか?
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そしてこの町でどうしても行きたかったが、最終的に行けなかったのが、サン・パトリツィオの井戸。
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町はずれの要塞の隣にあり、教皇の命で1527年に工事が始めれた直径13m、深さ62mに及ぶ巨大な井戸。階段が2層構造になっていて、上る人と下る人が一緒にならないようになっている。そんなものを500年近くも前に作っていたのだから、凄い!
サン パトリツィオの井戸 史跡・遺跡
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本当はドゥオーモを見て、町を散策して井戸を見てからチヴィタ行きのバスに乗るはずだったのだが、ドゥオーモの美しさに見とれたり、思った以上に町中に見どころがあり、チヴィタ行きのバスの時間もあり、結局井戸を見ることはできなかった。
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井戸と言えば(井戸というより地下と言えば・・・だが)、イスタンブールでも地下宮殿に行けなかったが、何かと地下とは縁がない。もしまたローマに来ることがあれば、ローマ観光よりも先にこの井戸を見に来ようと密かに自分に誓ったのであった・・・。
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イチオシ
最後に高台からオルヴィエート駅を含めた展望を楽しんで、チヴィタ行きのバス乗場のあるフニキュラ―駅前広場に戻る。
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駅横のカフェでブランチ代わりにピーチ・ティーと大きい源氏パイのチョコがけを購入。
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パイはチョコ以外の部分は味がない。
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チヴィタ行きのバスは既に停まっていた。
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オルヴィエートとバジョレージョの文字が見える。
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バスは定刻に出発。途中オルヴィエートの全景が見え感動。
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乗客は10人ほどだったがバッジョレージョまで行ったのは5人のみ。12:45発で13:40着。
オルヴィエートの町からバスでおよそ1時間。しかしそのバスも1時間に1本どころではなく、1日に10本しかない・・・。 -
バーニョレージョのバス停を降りて訪れたインフォメーションで驚いた!
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バス停からチヴィタまでは徒歩30分(展望台までなら20分)。
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バス停からチヴィタまでの案内が記されていた。ほぼほぼ一本道なので迷うことはない。
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また道端にもCIVITAと書かれた標識がある。
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こんな場所にもある。
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途中建物の壁に見つけたもの・・・
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・・・小さいながらも屋根があり、その下にマリアが描かれた絵がある。
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こういう、ふとした町角の、ふとした宗教画を見ると、ヨーロッパの田舎町に来たんだなぁと感じる!
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イチオシ
車庫の扉にカラフルな装飾が施されている。ただ開かずの扉なのは間違いない・・・。
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タイヤを花壇代わりに使っている。
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一本道をひたすら歩く。
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歩き続けること約20分・・・
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・・・壁一面のチヴィタの幕がかかった駐車場の入口に到着。
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イチオシ
・・・来たぁ~、チヴィタ!!!!
チヴィタ ディ バニョレージョ 散歩・街歩き
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イチオシ
映画「ホタルノヒカリ」で綾瀬はるかと藤木直人が訪れているのを見て、次にイタリアに訪れることがあれば、必ず行きたいと思っていた、"天空の町"という異名を持つここ「チヴィタ・ディ・バーニョレージョ」。
チヴィタ ディ バーニョレージョ 散歩・街歩き
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2500年以上前にエトルリア人によってつくられた都市だが、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされており、"滅びゆく町"という名で呼ばれることもある。
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周辺が崩落して、中心部分だけが残った。そしてそこに町があるという、世界的にも珍しい場所。
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世界の辺境がたくさん載っているはずの「地球の歩き方」イタリア版15~16年にも掲載されていない辺境の地。
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お土産屋にあったポストカード、昔はこんな感じだった。
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イチオシ
唯一残った中心部へと続く一本の道であり、橋。何ともロマンチックな場所、"天空の町"とも呼ばれるチヴィタ。
橋を渡るのに多少時間がかかるが町自体はとても小さく、端から端まで歩いても5分程度。しかしまぁよくこんなところに町を作ったものだと思っていたら、実はここチヴィタとバーニョレージョはもともと陸続きの大地だったらしい。チヴィタ ディ バーニョレージョ 散歩・街歩き
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それが度重なる地震によって、徐々にチヴィタの周囲が崩壊していったとのこと。最初の大地震は1349年。次いで、1695年。そして1764年に起きた大地震により、周囲が地盤沈下を起こし、チヴィタとバーニョレージョをつないでいた唯一の道までもが崩壊してしまった。その後も風雨によって岩肌が徐々に削られていき、現在の姿になった。
チヴィタ ディ バニョレージョ 散歩・街歩き
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そんな風に町が滅びていくのと同じように、人口流出も続き、1925年には650人いた人口も2015年には"滅びゆく町"の名のように冬の人口は10名程にまでなってしまった(ただし、観光客が多い夏の人口は100名くらいになるらしい)。
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橋を渡った後はつづら折りの坂道が続く。
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そしてようやくたどり着いた入口の門。
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シンプルな装飾。
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門を潜り抜ける。
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門の名前が刻まれたプレート。
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そばにはマリアのレリーフは埋め込まれていた。
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また町中を歩いていると至る所に花が飾られていることに気付く。
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赤い花が階段沿いに斜めに配されて飾られている。
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そして同じようにマリアと天使を象ったタイル壁画が各建物に埋め込まれていることにも気づく。
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キリスト教信仰はこんな場所にまで広く浸透していることを強く感じた。
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この坂道を下ると・・・・
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・・・橋のある入口の端とは反対側の崖までたどり着いた。
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その崖の中腹部分に隠れ教会のようなものもあった。
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上の方には十字架がかけられていた。
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中に入ることはできなかったが、小さな祭壇があり、その上にはマリアと天使が描かれた絵も置かれていた。
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町の中には小さいながらも教会がある。
チヴィタ ディ バーニョレージョ 散歩・街歩き
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聖ドナート教会という名前の教会で、チヴィタの町の丁度中央に位置している。
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中には肖像画があったり、説教壇があったり、床に彫像があったり、小さいながらも様々な宗教芸術が見られる。
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説教壇もあったが、どうやって上に行くのは謎・・・。
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床に施されたレリーフ。
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主祭壇は他の部分とは違い、さすがにいろいろな装飾が施されている。
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十字架とその後ろには大きなキリストの彫像もあった。
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大都市の大聖堂と比べてしまうと、寂しい感じはぬぐえないが、静寂とした雰囲気といい、人がいない凛とした空間といい、この"滅びゆく町"にはピッタリの教会とも言える。
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入口のそばにあったマリアの像。後ろの絵と同じポーズだが、色の違いもあってか、温かみが全然違う。
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教会を出て町を歩く。ふとした看板がオシャレ。
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人口10人の村でもB&Bやレストランがある。
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こんな場所でも花が飾られている。
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先ほどの赤い花一色とは違い、ここは鉢植えごとに異なる花が飾られている。
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黄色と紫の花。
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こちらは最初に見つけたのと同じように階段に沿って赤い花が斜めに配置されている。
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そして奥にはマリアが描かれたプレートが埋め込まれている。
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ちょっとした道もものすごく良い雰囲気。断崖絶壁の町とはとても思えない。
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ここにもマリアのプレートが埋め込まれている。本当に信仰が行き届いた町。
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1時間ほど散策し、入口まで戻ってきた。
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橋を渡り、バジョレージョへと戻る。
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本当に凄い場所!
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イチオシ
振り返ると天空へ続く一本道がまっすぐに伸びている。
チヴィタ ディ バーニョレージョ 散歩・街歩き
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記念に1枚撮影。
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渡り切ったところに橋の説明書きがあった。
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この角度から見ると、本当に崖の上に築かれた町だということがよくわかる。
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橋を渡ったところでティラミスとラムのジェラートを購入。
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見た目の色的にはちょっとグロテスクにさえ見えるが、味は美味しい!
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野生かどうかはわからないが、羊を2頭見かけた。
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イチオシ
本当に、本当に凄い場所まで来たもんだ!
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イチオシ
ローマから日帰りで個人で訪れるにはややハードルが高いが、来てよかった。心の底からそう思える絶景の場所だった。
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もしまたいつかローマに来ることがあれば、ぜひ訪れたい!
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そこからバス停まで戻るがバスの時間までしばらくあったので、近くを散策。
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小さな映画館があり、イタリアの田舎町の映画館ということで「ニュー・シネマ・パラダイス」的な雰囲気を期待したが、アベンジャーズを上映していた・・・。
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また近くのカフェでNaturaleと書いた水を買ったのに炭酸水だった・・・。
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30分ほど待ち、17:25のバスでオルヴィエートへ戻る。
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途中、チヴィタへと続く橋を横から眺められる場所を通った。できることならここで下りて、写真を撮りたかった・・・。
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ワイン畑を走っていく。
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18:05オルヴィエートの国鉄駅で降りた。
体調がイマイチなので早めに帰ろうとしたが19:36まで電車がない・・・。こんなことなら上まで行って井戸に行けば良かった。 -
帰りのチケット。
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水を買っておとなしく出発時間まで待った。8分遅れで出発。クーラーがメッチャ効いている。
オルヴィエート駅 駅
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定刻21:02よりも10分以上早い20:50にローマ到着。
夕食をカルボナーラ発祥の店にしようとお店に向かうが今日は予約で一杯ということで明日の19:00に予約。
だが記帳するでもなく、引換券を渡すでもなく、何の確認もない・・・。本当に大丈夫か?と聞いたが俺を信用しろ!の一言のみ。ホスタリア ラ カルボナーラ イタリアン
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ホテルに戻る途中、丘の上に建つ双子のドームを持つ広場の前を通った。
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広場にはテントがいくつも並んでいて、昼間はマーケットが開かれていると思われる。
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ホテル近くのマックでチキンバーガー2つとバニラシェイクで夕食とし、22:00ホテルに戻りこの旅初めて日付が変わる前の23:30就寝。
ヴィミナーレ広場 広場・公園
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