2019/11/17 - 2019/11/21
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旅人のくまさんさん
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西安の兵馬俑3号坑と秦始皇帝陵の紹介です。その見学の後、阿倍仲麻呂の記念碑が建つ興慶宮などを見学しました。阿倍仲麻呂は717年、第八回遣唐使として、阿倍仲麻呂、吉備真備、井真成等とともにが派遣されましたが、二度と故国の土を踏むことはありませんでした。
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兵馬俑坑3号坑の紹介の続きです。20年以上前に現地で購入した『秦始皇帝の兵馬俑(以下、解説書と略記)』を参照しながら、始皇帝時代の権力基盤について紹介します。『千古一帝』と称された始皇帝は、6カ国を併呑して中国を平定し、5百年以上に亘る列国争覇の時代に終止符を打ちました。
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始皇帝は、中央集権制を敷き、それまでの各国の文字、貨幣、度量衡の制度、車軌の幅を統一し、惜し気もなく労働力を駆使し、各種瀬策を推進しました。万里の長城、始皇帝陵、安房宮などの建設です。その権力の基盤となった、今から2000年以上前の軍隊機構について紹介します。兵馬俑坑の発見が、その解明の大きな礎となりました。
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最初に軍陣の東向きの配置についての説明です。いくつかの説がありますが、『始皇帝は6カ国を征服したものの、東部の広大な領域に対する支配基盤が固まったかどうか、最後まで不安だった』とするのが第一の説です。別の説では、『陵墓全体の配置が秦の葬俗と関連するというものです。秦の葬俗は東向きが通例で、自分達の祖先が東からやって来たから』とする説です。
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最初に見つかった、1号坑に展開する大軍は、始皇帝地下軍団の一部にしかすぎません。左・中・右三軍の一翼に過ぎないことが分かっていて、歩兵を中心とする右軍と特定されています。左軍としては、歩兵と騎兵を翼軍とした戦車陣があります。その陣形は曲尺型(L字型)をしていて、総面積は6000平方メートルとされます。その位置は2号坑になります。
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2号坑は、1号坑東端の北側20メートルに位置します。18カ所の試掘では、兵馬俑1441点、戦車89両が確認されましたが、写真撮影と資料を作成した後、一旦埋め戻されています。展示品として紹介した、威厳ある将軍俑、手綱をとる騎士、弩を構える弩塀などは、この時に発掘されたものです。そして今紹介を続けている3号坑は、総面積520平方メートルで、凹を逆さまにしたような形です。
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3号坑は、1976年5月に発見された2号坑に続き、6月に発見されました。1号坑の西端の北側に位置する場所です。形状や出土品から、『三郡統帥部』と推定されました。3号坑には、青傳(イシヘン)と呼ばれるレンガが敷かれています。3号坑内部は、中室、南・北廂の三つに分けられています。中室の門は東向き、室内に四頭立ての戉(えつ)車が置かれていました。主帥の乗物とされます。
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南・北両廂には、壁沿いにぐるりと68名の甲士が並んでいます。いずれの顔を内側に向けていることから、威儀を整えた親衛隊と想定されています。甲士は『かっし』と読むのでしょうが、ネット検索では、まだ明確な定義は分かりません。とりあえず『親衛隊院』と判断しておきます。これで、3号坑の紹介はおしまいです。
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3号坑の見学を終えて、建物の外に出ました。大切に沿だれられているたしい大樹の光景がありました。この後名札を紹介する『中槐』ですが、日本でも街路樹で見かける『エンジュ(槐)』と同種か、近縁種のようでした。中国原産で、古くから台湾、日本、韓国などで植栽されています。
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『中槐』の表示があった説明パネルの光景です。『中国の槐(エンジュ)』の意味のようです。別名が『国槐』、豆科槐属の植物で、原産地が中国であることも記されていました。エンジュは、マメ科マメ亜科エンジュ属の落葉高木です。 エンジュの和名は、古名の『えにす』が転化したものとされます。
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兵馬俑坑見学の後、お土産店に立寄る時間もありましたから、しばらく自由時間となりました。その時間を利用しての前庭当たりの紹介です。レストランかホテルかと思った建物ですが、使途は分かりませんが違っていたようです。
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兵馬俑坑から飛び出してきたような、ブロンズ馬の光景です。4頭立ての2車分ほどの数でした。もともと秦人は、馬の飼育に秀でていたことで知られていたようです。その祖先の非子(ひし)が西周の孝王の馬を飼育したことが認められ、秦邑に封じられたことが始まりとされます(解説書)
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兵馬俑坑から飛び出してきたようなブロンズ馬のズームアップ光景です。『秦始皇帝が6カ国を平定し、匈奴を追い払って、天下に威名を馳せたのも、ひとえに強兵勁馬があったためです。今日の中国西北の名馬・河西馬の祖先だとみられています。』(解説書)4頭立ての2車分の8頭ではなく、6頭のようでした。
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プラタナスの黄葉と褐葉の光景です。その下に赤いテント屋根の屋台が並んでいました。日本でも街路樹や庭園樹として広く用要られているプラタナスは、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称とされます。30~50メートルの高さに成長します。
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赤い屋根をアクセントに、青空に映える黄葉のプラタナスの樹のズームアップ光景です。プラタナスの語源は、ギリシャ語の『platys(広い)』とされ、大きな葉に由来します。プラタナスの最大の特徴は、樹皮が剥がれるとまるで迷彩柄のような見た目になることです。そのため、『自衛隊の木』の異称を持つようです。
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『兵馬俑坑』の見学を終えて、次にやって来たのは『秦始皇帝陵』です。兵馬俑坑と合わせ、1987年に『秦始皇帝陵及び兵馬俑坑』として世界文化遺産に指定されています。兵馬俑坑の発見は、20世紀屈指の発見の一つとなりました。
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右端に見える白い看板には、『電瓶車・乗車点』の表示がありました。電気自動車での移動になるようでしたが、歩いても行けそうな距離のようでした。左側の標識には、直進で『始皇帝陵』が記してありましたが、距離表示はありませんでした。
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『秦始皇帝陵』の文字書き編まれた大きな石標の光景です。ユネスコの世界遺産ですから、そのマークも刻まれていました。1987年に、中国では最初に世界遺産に登録された5件のうちの一つです。中国の通し番号の4番目で、『秦始皇帝陵及び兵馬俑坑』として登録されました。2019年7月時点で、55件の世界遺産が登録されています。
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麓付近から眺めた小山のような『秦始皇帝陵』の光景です。中国皇帝の陵墓としては最大規模のものです。造営当時は、今よりも一回り大きく、高さは87メートル、二重の城壁に守られ、建設には70万人が動員されました。万里の長城の建設などと同じように、国の財政や、市民生活に大きな影響を与えた大事業でした。
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『秦始皇帝陵』方面に通じる舗装道路の光景です。『電気車道』の表示看板がありましたから、ガソリン車の乗り入れが規制されているようでした。『秦始皇帝陵』は背後になります。残念ながら、今回は陵の上に登っての見学は出来ませんでした。『史書』では、陵の高さは50丈(約115メートル)と記していますが、現在は、その4割ほどの45メートルの高さです。
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中々見応えがある置石でしたから、別の角度からも撮影しておきました。『秦始皇帝陵』の石碑の大きさにはかないませんが、置石にはもったいないほどの石でした。白っぽい岩肌と、横に通った無数の筋が魅力的です。
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場所は代わって、日本人の阿倍仲麻呂所縁の『興慶宮』の見学です。『輝煌七十年』の飾りがありました。『興慶宮』は、唐時代に玄宗皇帝が楊貴妃と住んでいた場所で、現在は『興慶宮公園』として整備されています。『輝煌七十年』を遡りますと、1949年頃の出来事になるようです。1948年に、西安市が国民政府行政院直轄市に改編されました。
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『興慶宮』の入口門の上の屋根飾りのズームアップ光景です。技術が伝わって来た日本では、『鴟尾(しび)』と呼ばれています。奈良東大寺の鴟尾の屋根飾りが有名です。訓読みでは『とびのお』と読み、『沓(くつ)』に似ていることから、『沓形(くつがた)』とも呼ばれます。
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まだ真新しい、『興慶宮』の扁額のズームアップ光景です。長安の東端にある『隆慶坊』に位置し、唐の睿宗が皇子であった五人の息子に賜った邸宅が元となりました。当時、皇太子だった『李隆基(後の玄宗)』も他の四人とともに住んでいました。 唐王朝の政治中枢となった、太極宮、興慶宮と大明宮は、長安の『三大内』と呼ばれます。
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『西安市興慶宮公園尋游図』のタイトルがあった観光案内図です。石造の看板のようでした。1958年に『興慶宮』の遺跡に造成されたことが紹介されていました。玄宗・李隆基王朝(713~758年)に因む場所であることも紹介されていました。案内図面の中央に位置するのが、『興慶湖』です。
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青空をバックに、樹木の枝先光景です。白っぽく見えていたのは、『ハクモクレン(白木蓮)』の蕾のようでした。日本では、花が咲く前は『コブシ(辛夷)』と、『ハクモクレン(白木蓮)』の区別は付き難いですが、辛夷は、日本の固有種ですから、白木蓮の蕾に間違いないようです。モクレン(白木蓮、紫木蓮)は、中国から平安期以前の日本に漢方薬として渡来しました。
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かつての『興慶宮』、現在の『興慶宮公園』の園内光景です。樹々が思う存分枝を伸ばしていました。現在は西安市が管轄する公園ですから、市民に開放されているようです。11月の中旬ですから、紅葉の時期を迎えていました。
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『興慶宮』東北側に『沈香亭』があり、牡丹の名所として知られます。玄宗皇帝と楊貴妃が花見を行ったことと、李白がこれを題材に詩を詠い、それを李亀年が歌にしたというエピソードで知られます。『沈香亭』は、先ほど紹介した『西安市興慶宮公園尋游図』の『興慶湖』に北側から張り出した岬のような場所に記されていました。
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『阿倍仲麻呂紀念碑』の文字が刻まれた立派な石碑の光景です。1979年に友好都市記念として西安の興慶宮公園に建立されました。阿倍 仲麻呂(あべのなかまろ:文武天皇2年(698年)~宝亀元年『(770年1月)』は、奈良時代の遣唐留学生でした。姓は朝臣。筑紫大宰帥・阿倍比羅夫の孫。中務大輔・阿倍船守の長男。弟に阿倍帯麻呂がいます。唐名を『朝衡/晁衡(ちょうこう)』とします。唐で国家の試験に合格または推挙で登用され、唐朝において諸官を歴任して高官に登りましたが、日本への帰国を果たせずに唐で客死しました。
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『阿倍仲麻呂紀念碑』の側面光景です。この面には、友人の詩人だった『李白』の漢詩が刻まれています。『日本晁卿辞帝都 征帆一片遶蓬壷 明月不帰沈碧海 白雲愁色満蒼梧』の読みは、『日本の晁卿(ちょうけい)帝都を辞し、征帆一片(せいはんいっぺん)蓬壷(ほうこ)を遶(めぐ)る、明月は帰らず碧海(へきかい)に沈み、白雲愁色蒼梧(そうご)に満つ』です。その意は、日本の晁衡卿は帝都長安を離れ、帆を張った舟は蓬莱山をめぐって行った。明月のような君は青い海に沈んで帰らず、白雲がうかび、愁いが蒼梧に満ちている。』です。
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同じく、『阿倍仲麻呂紀念碑』の側面光景です。この面には、日本の百人一首にも選ばれている和歌が、日本語表記ではなく、漢文表記で刻まれていました。日本文では、『天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも』の1首です。
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