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洛陽の関林廟の紹介です。祀られている関羽は、蜀漢の創始者の劉備に仕え、その人並み外れた武勇や義理を重んじた彼は、敵の曹操や多くの同時代人から称賛されました。後漢から贈られた封号は漢寿亭侯、諡が壮繆侯(または壮穆侯)ですが、諡号は歴代王朝から多数贈られました。

2019秋、中国旅行記25(17/34):11月19日(5):洛陽(5):関林廟(2):狛犬、関羽像、四天王像、寄進の関羽像

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2019/11/17 - 2019/11/21

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旅行記グループ 2019秋、中国旅行記25(上巻)

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旅人のくまさん

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洛陽の関林廟の紹介です。祀られている関羽は、蜀漢の創始者の劉備に仕え、その人並み外れた武勇や義理を重んじた彼は、敵の曹操や多くの同時代人から称賛されました。後漢から贈られた封号は漢寿亭侯、諡が壮繆侯(または壮穆侯)ですが、諡号は歴代王朝から多数贈られました。

  • 狛犬の説明の続きです。インド・ガンダーラを経由して、獅子座思想は中国に入ります。中国人は、龍や麒麟など、様々な霊獣を生み出すのが得意なので、獅子も羽をつけたり角を生やしたりしてどんどん空想上の生き物に変質しました。いわゆる「唐獅子」と呼ばれる派手な獅子像は、中国文化が生み出した独特のものです。中国でも、皇帝の守護獣として獅子像が定着しました。

    狛犬の説明の続きです。インド・ガンダーラを経由して、獅子座思想は中国に入ります。中国人は、龍や麒麟など、様々な霊獣を生み出すのが得意なので、獅子も羽をつけたり角を生やしたりしてどんどん空想上の生き物に変質しました。いわゆる「唐獅子」と呼ばれる派手な獅子像は、中国文化が生み出した独特のものです。中国でも、皇帝の守護獣として獅子像が定着しました。

  • 遣唐使が、日本に帰ってきてから、宮中に獅子座思想を持ち込みました。しかし、日本に持ち込まれた後、一対の獅子像はやがて日本独特の「獅子・狛犬」という形式に変わります。向かって右側が獅子、左側が狛犬の組合せです。獅子は黄色で口を開け角はなし、狛犬は白色で口を閉じ、角がある「阿吽」形式です。寺の山門を守る仁王像の阿吽などと同じで役割ですから、仏教の影響を受けたものと推測されています。また狛犬は「こま」の「犬」ではなく、あくまでも「こまいぬ」という空想の動物です。「犬」ではありません。以上、アサヒネットの解説記事の一部の紹介です。

    遣唐使が、日本に帰ってきてから、宮中に獅子座思想を持ち込みました。しかし、日本に持ち込まれた後、一対の獅子像はやがて日本独特の「獅子・狛犬」という形式に変わります。向かって右側が獅子、左側が狛犬の組合せです。獅子は黄色で口を開け角はなし、狛犬は白色で口を閉じ、角がある「阿吽」形式です。寺の山門を守る仁王像の阿吽などと同じで役割ですから、仏教の影響を受けたものと推測されています。また狛犬は「こま」の「犬」ではなく、あくまでも「こまいぬ」という空想の動物です。「犬」ではありません。以上、アサヒネットの解説記事の一部の紹介です。

  • 『気壯嵩高』の扁額の光景です。『関林廟』の大殿の建物だったようです。四字熟語などで検索しましたが、参考になる情報はありませんでした。少し勝手に解釈しますと、『気が若々しく漲り、高みに至る』と言ったところでしょうか。日本人の男子名としても『嵩高(かさたか、かさだか)』は使われています。

    『気壯嵩高』の扁額の光景です。『関林廟』の大殿の建物だったようです。四字熟語などで検索しましたが、参考になる情報はありませんでした。少し勝手に解釈しますと、『気が若々しく漲り、高みに至る』と言ったところでしょうか。日本人の男子名としても『嵩高(かさたか、かさだか)』は使われています。

  • 啓聖殿に鎮座する、十二冠冕旒王冠を被った関羽像です。この後、関羽についての説明をする前に、『三国志』と『三国志演義』について簡単に説明しておきます。格式高い歴史書、正史が『三国志』、小説風の読み物が『三国志演義』です。以前、中国の方から、日本でいえば小中学校時代の必読書は、『三国志演義』、『水滸伝』や『西遊記』とお聞きしたことがあります。

    啓聖殿に鎮座する、十二冠冕旒王冠を被った関羽像です。この後、関羽についての説明をする前に、『三国志』と『三国志演義』について簡単に説明しておきます。格式高い歴史書、正史が『三国志』、小説風の読み物が『三国志演義』です。以前、中国の方から、日本でいえば小中学校時代の必読書は、『三国志演義』、『水滸伝』や『西遊記』とお聞きしたことがあります。

  • 黄金の顔をした巨大な関羽像の光景です。『三国志』は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃~280年頃)の興亡史です。三国とは、日本でもよく知られている、『魏(ぎ)』、『呉(ご)』、『蜀(しょく)』です。『魏(ぎ:220~265年)』は、中国の三国時代に華北を支配した曹(そう)氏の王朝で、首都は洛陽です。曹魏や曹魏とも呼ばれます。日本では、魏は卑弥呼を記述した『魏志倭人伝』で知られます。中国後漢末期の西暦184年(中平元年)に太平道の教祖張角を指導者とする信者により中国史上初の組織的農民反乱が起きました。目印として黄色い頭巾を頭に巻いたことから『黄巾の乱』と呼ばれます。三国時代に移る一つの契機となりました。

    イチオシ

    黄金の顔をした巨大な関羽像の光景です。『三国志』は、中国の後漢末期から三国時代にかけて群雄割拠していた時代(180年頃~280年頃)の興亡史です。三国とは、日本でもよく知られている、『魏(ぎ)』、『呉(ご)』、『蜀(しょく)』です。『魏(ぎ:220~265年)』は、中国の三国時代に華北を支配した曹(そう)氏の王朝で、首都は洛陽です。曹魏や曹魏とも呼ばれます。日本では、魏は卑弥呼を記述した『魏志倭人伝』で知られます。中国後漢末期の西暦184年(中平元年)に太平道の教祖張角を指導者とする信者により中国史上初の組織的農民反乱が起きました。目印として黄色い頭巾を頭に巻いたことから『黄巾の乱』と呼ばれます。三国時代に移る一つの契機となりました。

  • 足もとに名札が置かれていました。左が『王甫(おうほ:生年不承~222年)』、右が関羽の息子の『関平(かんぺい:生年不詳~220年)』です。次に『呉(ご:222~280年)』の紹介です。長江流域に孫(そん)氏が建てた王朝で、首都は建業(現在の南京付近)です。孫呉、東呉とも呼ばれます。 三国の紹介の最後は、『蜀(しょく:221~263年)』です。蜀漢(しょくかん)や末漢とも呼ばれ、劉備(161~223年)が巴蜀の地(益州)に建てた国で、首都は成都です。

    足もとに名札が置かれていました。左が『王甫(おうほ:生年不承~222年)』、右が関羽の息子の『関平(かんぺい:生年不詳~220年)』です。次に『呉(ご:222~280年)』の紹介です。長江流域に孫(そん)氏が建てた王朝で、首都は建業(現在の南京付近)です。孫呉、東呉とも呼ばれます。 三国の紹介の最後は、『蜀(しょく:221~263年)』です。蜀漢(しょくかん)や末漢とも呼ばれ、劉備(161~223年)が巴蜀の地(益州)に建てた国で、首都は成都です。

  • こちらの像にも、足元に名札がありました。左が『周倉(しゅうそう):三国志演義などの架空の人物』右が、後漢末期から三国時代の軍人の『寥化(りょうか:生年不詳~264年)』です。四人の像が、関羽を護る四天王の役目になっているようでした。関羽はその死後に、道教では『協天大帝関聖帝君』として、仏教でも『関帝菩薩』として神格化されています。

    こちらの像にも、足元に名札がありました。左が『周倉(しゅうそう):三国志演義などの架空の人物』右が、後漢末期から三国時代の軍人の『寥化(りょうか:生年不詳~264年)』です。四人の像が、関羽を護る四天王の役目になっているようでした。関羽はその死後に、道教では『協天大帝関聖帝君』として、仏教でも『関帝菩薩』として神格化されています。

  • 次は壁画の紹介です。もちろん主人公は神格化された関羽公です。小説『三国志演義』では、身の丈9尺(後漢から三国時代の尺度で約216センチ)、2尺((約48センチ)の髭、『熟した棗(なつめ)の実のような』と形容されている紅顔です。馬に乗った姿ですが、馬が可哀想なくらいの大男です。

    次は壁画の紹介です。もちろん主人公は神格化された関羽公です。小説『三国志演義』では、身の丈9尺(後漢から三国時代の尺度で約216センチ)、2尺((約48センチ)の髭、『熟した棗(なつめ)の実のような』と形容されている紅顔です。馬に乗った姿ですが、馬が可哀想なくらいの大男です。

  • 壁画の紹介が続きます。関羽軍の進軍の場面になるようです。右端の大きな軍旗の文字が『関林』、その左の虎の絵を担ぎ、銅鑼を打ち鳴らす二人の後の旗が『廻避』と『粛静』、その後ろに『関』の旗もあります。示威行動としての進軍のようです。

    イチオシ

    壁画の紹介が続きます。関羽軍の進軍の場面になるようです。右端の大きな軍旗の文字が『関林』、その左の虎の絵を担ぎ、銅鑼を打ち鳴らす二人の後の旗が『廻避』と『粛静』、その後ろに『関』の旗もあります。示威行動としての進軍のようです。

  • 題意が読み解けなかった壁画の粗油買いが最後になりました。左下の壷の口から立ち上った煙か霞の中に、軍人、人々や鬼などが描かれているようです。寓話的には、開けられたパンドラの箱のようにも見えましたが、その解釈ではしっくりしませんでした。

    題意が読み解けなかった壁画の粗油買いが最後になりました。左下の壷の口から立ち上った煙か霞の中に、軍人、人々や鬼などが描かれているようです。寓話的には、開けられたパンドラの箱のようにも見えましたが、その解釈ではしっくりしませんでした。

  • 死後の関羽と、次第に生まれた関羽信仰の紹介です。写真は、各地から寄進された関羽像です。この二柱は同じデザインで、寄進者らしい部分に同じ『関帝聖君・洛陽関林』の文字がありました。

    死後の関羽と、次第に生まれた関羽信仰の紹介です。写真は、各地から寄進された関羽像です。この二柱は同じデザインで、寄進者らしい部分に同じ『関帝聖君・洛陽関林』の文字がありました。

  • 各地から寄進された関羽像の紹介が続きます。関羽に纏わる民間伝承のことです。『水』に係わる伝承が多く伝わっていて、その一つは、若い頃、悪代官を誅殺し、逃亡している最中に関所を通らねばならなくなったときの話です。水中から菩薩が現れ、その助力で関羽の顔が真っ赤になり、門番に本人と気づかれずに通ることができたというものです。

    各地から寄進された関羽像の紹介が続きます。関羽に纏わる民間伝承のことです。『水』に係わる伝承が多く伝わっていて、その一つは、若い頃、悪代官を誅殺し、逃亡している最中に関所を通らねばならなくなったときの話です。水中から菩薩が現れ、その助力で関羽の顔が真っ赤になり、門番に本人と気づかれずに通ることができたというものです。

  • 二つ目の『水』纏わる民間伝承です。関羽の誕生日の5月13日(旧歴)には、毎年雨が降るそうです。これは関羽が愛用の青竜偃月刀を磨くためだとされています。そのことから、『磨刀雨』と呼ぶそうです。<br />

    二つ目の『水』纏わる民間伝承です。関羽の誕生日の5月13日(旧歴)には、毎年雨が降るそうです。これは関羽が愛用の青竜偃月刀を磨くためだとされています。そのことから、『磨刀雨』と呼ぶそうです。

  • 三つ目の『水』纏わる民間伝承です。関羽の故郷である解州には中華最大の塩湖『解池』」があり、ここに住む妖怪の蚩尤を関羽が退治したと伝わっています。こうして関羽は解池の水神として祀られることになりました。因みに荊州の益陽には、関羽が渡河して魯粛の陣を攻撃しようとした浅瀬を『関羽瀬』と呼んでいる場所があります。

    三つ目の『水』纏わる民間伝承です。関羽の故郷である解州には中華最大の塩湖『解池』」があり、ここに住む妖怪の蚩尤を関羽が退治したと伝わっています。こうして関羽は解池の水神として祀られることになりました。因みに荊州の益陽には、関羽が渡河して魯粛の陣を攻撃しようとした浅瀬を『関羽瀬』と呼んでいる場所があります。

  • 関羽は様々な場面で水と係わっています。曹操が荊州侵攻で南下してきたとき、関羽は荊州の水軍(劉埼の水軍)を率いていました。劉備の配下で水軍を率いているのは関羽ぐらいなものです。また曹操の領土である樊城を攻めたときも、援軍である于禁らを水攻めで破っています。水神化される要素はこのときから持っていたようです。以上の水のエピソードは、三国志雑学からの紹介です。

    関羽は様々な場面で水と係わっています。曹操が荊州侵攻で南下してきたとき、関羽は荊州の水軍(劉埼の水軍)を率いていました。劉備の配下で水軍を率いているのは関羽ぐらいなものです。また曹操の領土である樊城を攻めたときも、援軍である于禁らを水攻めで破っています。水神化される要素はこのときから持っていたようです。以上の水のエピソードは、三国志雑学からの紹介です。

  • 次は、小説『三国志演義』で描かれた『関羽』の紹介です。関羽は、重さ82斤(後漢から三国時代の尺度で約18キロ)の青龍偃月刀(冷艶鋸:れいえんきょ)と呼ばれる大薙刀を持ち、赤兎馬に跨っています。名馬赤兎については、呂布の死後曹操が持っていて、降伏した関羽の心を得るべく譲ったことになっています。曹操からの贈り物は、二夫人への贈り物を含め全て封印した関羽です。

    次は、小説『三国志演義』で描かれた『関羽』の紹介です。関羽は、重さ82斤(後漢から三国時代の尺度で約18キロ)の青龍偃月刀(冷艶鋸:れいえんきょ)と呼ばれる大薙刀を持ち、赤兎馬に跨っています。名馬赤兎については、呂布の死後曹操が持っていて、降伏した関羽の心を得るべく譲ったことになっています。曹操からの贈り物は、二夫人への贈り物を含め全て封印した関羽です。

  • 赤兎馬は、『この馬は一日に千里を駆けると知っております。今幸いにこれを得たならば、もし兄者(劉備)の行方が知れました時、一日にして会う事が出来ましょうぞ』と勧められ、唯一これを受け取りました。以降は関羽の愛馬として活躍しました。

    赤兎馬は、『この馬は一日に千里を駆けると知っております。今幸いにこれを得たならば、もし兄者(劉備)の行方が知れました時、一日にして会う事が出来ましょうぞ』と勧められ、唯一これを受け取りました。以降は関羽の愛馬として活躍しました。

  • 三国志演義では、養子として関平が、次男として関興、三男として関索が出てきます。正史によれば、関平は実子、関興は諸葛亮にその才能を評価されていたものの二十数歳で亡くなっています。関索に至っては正史やその註にも一切記載が無く、後世に作られた伝承『花関索伝』の登場人物を流用したものらしく、実在しない人物だと考えられています。

    三国志演義では、養子として関平が、次男として関興、三男として関索が出てきます。正史によれば、関平は実子、関興は諸葛亮にその才能を評価されていたものの二十数歳で亡くなっています。関索に至っては正史やその註にも一切記載が無く、後世に作られた伝承『花関索伝』の登場人物を流用したものらしく、実在しない人物だと考えられています。

  • 『赤壁の戦い』で敗走した曹操を華容で待ち伏せますが、憔悴した曹操を見兼ねて旧恩により見逃しました。このことを諸葛亮に咎められ死罪を言い渡されるが、玄徳のとりなしで事なきを得ています。 『赤壁の戦い』は、後漢末期の208年、長江の赤壁(現在の湖北省咸寧市赤壁市)で起こった、曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いです。 2008年の中国映画、『レッドクリフ』は見応えがありました。

    『赤壁の戦い』で敗走した曹操を華容で待ち伏せますが、憔悴した曹操を見兼ねて旧恩により見逃しました。このことを諸葛亮に咎められ死罪を言い渡されるが、玄徳のとりなしで事なきを得ています。 『赤壁の戦い』は、後漢末期の208年、長江の赤壁(現在の湖北省咸寧市赤壁市)で起こった、曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いです。 2008年の中国映画、『レッドクリフ』は見応えがありました。

  • 関羽は、三国志演義では死後に呂蒙を呪い殺すとされていますが、義理堅い関羽の印象にそぐわず、また非現実的であることなどから近年では削除されることもあるようです。曹操は関羽の亡霊を恐れて衰弱し、病死したとも語られています。

    関羽は、三国志演義では死後に呂蒙を呪い殺すとされていますが、義理堅い関羽の印象にそぐわず、また非現実的であることなどから近年では削除されることもあるようです。曹操は関羽の亡霊を恐れて衰弱し、病死したとも語られています。

  • また三国志演義では、関羽が斬首された後、その霊が玉泉山の普浄という僧の前に、同じくして死んだ関平と周倉、それに家臣の霊と共に現れ、呉や呂蒙に対する恨みを綴りますが、普浄の説得により成仏する、という話もあります。政治面から見ると、乱世の中で特定の個人に対して忠誠を尽くした関羽は、為政者から見ると賞賛すべき人物でした。民衆の人気と相まって神格化されたようです。

    また三国志演義では、関羽が斬首された後、その霊が玉泉山の普浄という僧の前に、同じくして死んだ関平と周倉、それに家臣の霊と共に現れ、呉や呂蒙に対する恨みを綴りますが、普浄の説得により成仏する、という話もあります。政治面から見ると、乱世の中で特定の個人に対して忠誠を尽くした関羽は、為政者から見ると賞賛すべき人物でした。民衆の人気と相まって神格化されたようです。

  • 『関林廟』の境内光景です。前方に見える建物には、『光昭(?)日月』の扁額が懸かっていました。関林廟は219年、関羽が魏の樊城を攻めた際、呉の兵站基地を奪ったことにより、呉の司令官呂蒙に攻め込まれ討たれました。呉主の孫権が関羽の首級を曹操の元に送り届け、曹操によって洛陽郊外に手厚く葬られたことに由来します。

    『関林廟』の境内光景です。前方に見える建物には、『光昭(?)日月』の扁額が懸かっていました。関林廟は219年、関羽が魏の樊城を攻めた際、呉の兵站基地を奪ったことにより、呉の司令官呂蒙に攻め込まれ討たれました。呉主の孫権が関羽の首級を曹操の元に送り届け、曹操によって洛陽郊外に手厚く葬られたことに由来します。

  • 同じく、柏の古木が立ち並ぶ『関林廟』の境内光景です。討ち取られた関羽の首は、孫権から曹操のもとへ送られました。清の道光年間にこの地は『関林』と改称されました。『林』の字は特別な人物の墓にのみ使われます。山東省曲阜市にある孔子の『孔林』と、この地にある関羽の『関林』の2ケースしかありません。

    同じく、柏の古木が立ち並ぶ『関林廟』の境内光景です。討ち取られた関羽の首は、孫権から曹操のもとへ送られました。清の道光年間にこの地は『関林』と改称されました。『林』の字は特別な人物の墓にのみ使われます。山東省曲阜市にある孔子の『孔林』と、この地にある関羽の『関林』の2ケースしかありません。

  • 柏の古木が立ち並ぶ『関林廟』の境内光景が続きます。この場所を含め、要所で狛犬が目を光らせていました。

    柏の古木が立ち並ぶ『関林廟』の境内光景が続きます。この場所を含め、要所で狛犬が目を光らせていました。

  • 拝殿か大殿当たりの屋根になるようです。その屋根飾りのズームアップ光景です。逆立ちをした龍の姿でした。龍は水との関係が深く、火除けの守りとして飾られることが多いようです。避雷針の役割の金属線が張り巡らされていました。

    拝殿か大殿当たりの屋根になるようです。その屋根飾りのズームアップ光景です。逆立ちをした龍の姿でした。龍は水との関係が深く、火除けの守りとして飾られることが多いようです。避雷針の役割の金属線が張り巡らされていました。

  • 同じく、一対になった龍の屋根飾りのズームアップ光景です。龍の像の右手に伸びているのが避雷針のようです。金属線は、屋根の頂部などを保護範囲にして、アース極に繋がっているようです。

    同じく、一対になった龍の屋根飾りのズームアップ光景です。龍の像の右手に伸びているのが避雷針のようです。金属線は、屋根の頂部などを保護範囲にして、アース極に繋がっているようです。

  • なぜか、銅製の大鍋が屋外に置かれていました。よく見たら、線香立でした。本体と一体になった足の造りから見て、大鍋の再利用ではなく、専用に造られた線香立のようでした。

    なぜか、銅製の大鍋が屋外に置かれていました。よく見たら、線香立でした。本体と一体になった足の造りから見て、大鍋の再利用ではなく、専用に造られた線香立のようでした。

  • 財神殿に鎮座する関羽像です。周倉と関平が脇を固め、中央が関羽像です。関羽は、見事な鬚髯(鬚:あごひげ、髯:ほほひげ)をたくわえていたため、諸葛亮からは『髯(ひげ)』殿と呼ばれ、『三国志演義』などでは『美髯公(びぜんこう)』などとも呼ばれます。

    財神殿に鎮座する関羽像です。周倉と関平が脇を固め、中央が関羽像です。関羽は、見事な鬚髯(鬚:あごひげ、髯:ほほひげ)をたくわえていたため、諸葛亮からは『髯(ひげ)』殿と呼ばれ、『三国志演義』などでは『美髯公(びぜんこう)』などとも呼ばれます。

  • 美髯公と呼ばれた、関羽像のズームアップ光景です。ところで、現在では関羽は、水難除けや船の守り神というわけではありません。なんと、『金儲けの神様』です。実はその理由が、現在の山西省、解州の解湖にあります。漢の時代から塩を政府の専売にしていました。政府の委託を受けていた地元の民は経済的に潤い、やがて金融業にも手を広げていきました。

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    美髯公と呼ばれた、関羽像のズームアップ光景です。ところで、現在では関羽は、水難除けや船の守り神というわけではありません。なんと、『金儲けの神様』です。実はその理由が、現在の山西省、解州の解湖にあります。漢の時代から塩を政府の専売にしていました。政府の委託を受けていた地元の民は経済的に潤い、やがて金融業にも手を広げていきました。

  • 関羽を祀った廟の建物光景です。関羽はこの解湖の守り神のような存在として祀られていましたから、自然とこの山西省の人々に信仰され、山西省の人々が商売繁盛していくのにつれて『商売の神様』」になっていったようです。ですから現在の華僑の人々は関羽を『商売神』として祀っています。<br />

    関羽を祀った廟の建物光景です。関羽はこの解湖の守り神のような存在として祀られていましたから、自然とこの山西省の人々に信仰され、山西省の人々が商売繁盛していくのにつれて『商売の神様』」になっていったようです。ですから現在の華僑の人々は関羽を『商売神』として祀っています。

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