2019/11/17 - 2019/11/21
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旅人のくまさんさん
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洛陽にある関羽のお墓とされる『関林廟』の紹介の締め括りです。東漢建安二十四年(219年)冬、関羽は孫権に討たれました。関羽の首は曹操の元に届けられ、建安二十五年(220年)正月、曹操は王侯の礼をもって関羽の首を埋葬しました。
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前方に見えてきたのは『春秋殿』の扁額が懸かった重厚な造りの建物です。『関林廟』の最深部付近にやって来ました。
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建物の入口脇に置かれていた置物光景です。推測ですが、建物補修工事の時の白い塗料がぶちまけられて、とりあえず外に出されたもののようでした。足元付近で確認できた材質感は、木造ではなく石造でした。補修できるようです。
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『春秋殿』の扁額のズームアップ光景です。春秋殿は、平面図に三殿と記された建物かもしれません。清の嘉慶22年(1817年)建立の建物です。落款の『輝』の一文字だけが分かりましたが、書家の特定はできませんでした。
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三国志演義をテーマにした壁画です。中央が主役の関羽港です。愛馬の赤兎馬に乗っていますが、関羽の方が遥かに大きく描かれていました。左の脇侍役が持つ薙刀は、『青龍偃月刀(冷艶鋸:れいえんきょ)』と呼ばれる大薙刀です。三国志演義の架空の人物、『周倉(しゅうそう)』のようです。
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同じく、三国志演義をテーマにした壁画です。中央が神格化された関羽羽の座像で、その左右を守るのが、右が『王甫(おうほ:生年不承~222年)』か、関羽の息子の『関平(かんぺい:生年不詳~220年)』、あるいは軍人の『寥化(りょうか:生年不詳~264年)』になるようです。左が、三国志演義の架空の人物、『周倉(しゅうそう)』です。
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『春秋殿』の中に置かれた関羽像です。赤い顔と、長い髭が決め手です。武勇の人のイメージとは異なった、読書中の姿でした。関羽の人物像の紹介です。『春秋左氏伝』を好み、ほぼ暗誦できたとされ、儒教の素養に富んでいました。当時、儒教を修められたのは一定の所得階級以上であったため、関羽の生家もそれなりに裕福だったようです。
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堂々とした姿の武人像です。顔は赤くありませんが、トレードマークの長い髭があります。こちらも関羽像でした。台座に右から読んで『忠義仁勇』の文字がありました。
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お休み中の関羽さんの像のようです。天蓋が付いた立派な寝所です。天蓋、幕も布団も金色尽くしでした。煌びやか過ぎて、さすがの関羽さんも、熟睡できないかも知れません。
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関羽さんの寝床の上の天蓋と、更にその上の天井光景です。青色に無られた建物部分は、再建された建物らしく、構造部分に細い建材や、薄い建材が使われていました。木材ではないかも知れません。一言でいえば、安普請に見えます。
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イチオシ
正面から眺めた、手前が牌坊、真ん中に碑亭、奥に関羽首塚がある光景です。関羽の首塚は、丸い(八角)の塀に囲まれた小高い緑の塚山です。中に立ち入ることは出来ません。牌坊に『漢寿亭候墓』の文字がありますが、西暦200年、劉備が曹操との戦いに敗れて逃走した際、曹操に降伏した関羽は曹操に厚遇され、曹操と袁紹との戦いで先鋒となって戦い、戦功に対し贈られたのが『漢寿亭候』でした。
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現地では、文字を読み取ることは出来ませんでしたが、とりあえずカメラに収めておいた二つの石碑の光景です。左側の大きい方の石碑には、最上部にかなり凝った龍のレリーフが刻まれていました。推測ですが、この部分の展示のために基礎や下部の石碑部分が再建されたらしく、まったく文字痕などがありませんでした。右側の頭が丸い石碑は、年代物のようですが、こちらも文字らしいものは確認できませんでした。
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またまた狛犬の登場です。日本の狛犬と同じように、吽形姿の雌獅子です。左足の下に子獅子がいるようです。長い髪と、少し広げた前足が特徴的でした。ところで、日本最古の石造り狛犬は、東大寺南大門にある狛犬で、建久七年(1196年)と言われています。鎌倉時代になります。
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同じく、日本の狛犬と同じように、阿形姿の雄獅子です。右足の下に玉があります。沖縄のシーサーのことです。獅子像をルーツにしたものという意味では同じですが、沖縄のシーサーは阿吽になっていないものが多いようです。意味合いも、村を守る、家を守る、火事を避けるなど、より庶民的な信仰と結びついています。
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『牌坊』の後ろに建つ、『碑亭』の光景です。外観から『八角亭』とも呼ばれているようです。清代の乾隆30年(1765年)建立の建物です。その中に納められているのは石碑です。
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『碑亭』の中に納められた石碑の光景です。頭部に飾りがついた大きな石碑でしたが、文字は読むことができませんでした。コメント作成時に写真を拡大して確認しましたら、『忠義神武霊佑仁勇』の楷書体の文字が読み取れました。頭部の飾りは、龍のレリーフ像と、中央に落款の隷書体の文字がありました。
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右手前が『牌坊』、その後ろの『碑亭』の光景です。『牌坊』は、もう一つ手前に、曹操から贈られた『漢寿亭候』の文字が刻まれた『牌坊』があります。首塚は陵墓の大きさで、周囲380メートル、高さ10メートルとされます。
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右手に見えるのは、『関林廟』の中心部分を囲う塀の、西北部分になるようです。往きとは別の道を通って、南側の出入口に向かいました。この塀に沿って南に下り、塀が途切れた辺りで左に向かうだけです。
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イチオシ
長く続く、『関林廟』の中心部分を囲う塀の西側部分御光景です。その塀の上から。柏の高木が顔を覗かせていました。日本でいう、落葉中高木の柏と違って、中国の柏は、常緑樹のようでした。
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三国志に登場する国王の人達がモデルになったような、坐った姿の三体の人形です。魏・呉・蜀を代表する国王は、曹操、孫権と、劉備です。すでに北宋の時代には、劉備と蜀漢を善玉、曹操と魏を悪役とするイメージが定着していたという記録があるようです。
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西側の塀越しに眺めた『関林廟』の建物と、柏の大木の光景です。建物の名前は分かりませんが、緑瓦の屋根の上に、龍の屋根飾りが乗っていました。
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『関林廟』の西面に位置した出入口門の光景です。『関林景区閲覧全景図』を参照しても門の名前だけでなく、門そのものが記載されていませんでした。門の上部の右側に『忠』、左側に『義』の文字がありましたから、勝手に『忠義門』と呼んでおきます。
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イチオシ
先に紹介した、『関林景区閲覧全景図』を参照しますと、西北側から眺めた『鼓楼』になるようです。鐘楼は南側の門の東側になるに右手に位置していました。
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三国志に登場する武勇で有名な人達がモデルになったような三体の人形です。右から、張飛・益徳、関羽・雲長と諸葛亮・孔明当たりでしょうか。『張飛・関羽は共に1万の兵に匹敵する』と称えられ、諸葛亮・孔明は、智の人・軍略家として知られます。
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逆光で見難い写真になってしまいましたが、石の平板を積み上げて造形された飾です。池と一体となった石組でした。アクセントに、1本だけ常緑樹が植え込んでありました。
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自由散策の時間を終えて、再集合場所に戻る途中の光景が続きます。『関林廟』の名前に相応しい、緑豊かな廟域でした。
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六角形の屋根を持った東屋の光景です。一見、五角形に見えましたが、右端の柱の陰にもう1本が隠れていました。子の東屋にも、扁額は懸かっていないようです。屋根の反りが見事な造りです。
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岩の上に登って、甲羅干しをしていた亀さん達です。日本では、句有鬚が駆逐されて、ミシシッピアカミミガメなどに固有種が駆逐されてきましたが、中国ではどうでしょうか。手前の亀さんの横顔では、ミシシッピアカミミガメではないようです。
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右から『心勇』と読んでみて、ネット検索しましたが、有意な情報が見付かりませんでした。次に右の『心』と読んだ文字を字体検索しました。『篆書(てんしょ)』の書道家、中村伸夫氏(筑波大教授)の『心』の揮毫や、その他の書体も確認しました。『心』ではなかったようです。次に思い浮かんだのが『仁』の文字です。儒学の智勇仁の内の二文字ですから、『仁勇』の二文字が正しかったようです。
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右から読んで『忠義』の文字のようです。武士道の道徳律として義、勇、仁、礼、誠、名誉がありますが、武士階級だけでなく他の階級の人々と共通すべき倫理ともされます。これらは中国に発する儒教思想に基づくものです。武士道の目的となった徳目で、封建社会を特徴づける唯一のものが、『忠義』とされます。他のネット情報でも『忠義仁勇』出ることが確認できました。
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咲き始めた天狗の団扇こと、『ヤツデ(八つ手)』です。ウコギ科ヤツデ属の常緑低木です。日本原産ですが、現在では欧州などでも見ることができます。ヨーロッパには1838年に入ってきたという記録が残っているようです。この後は、一番の目的の『龍門石窟』の見学です。私にとって、莫高窟、雲崗窟の見学に続く、中国三大石窟の締め括りになります。
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