2019/11/17 - 2019/11/21
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旅人のくまさんさん
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洛陽の白馬寺の次は隣接する関林廟の紹介です。関林廟は河南省洛陽市から7キロ離れた関林鎮に位置します。北は隋唐時代の古城と接し、南は龍門石窟に臨み、東西は青々とした山と透き通った清流に囲まれています。
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白馬寺の展示館の紹介の続きです。法宝閣の1階部分に設けられた展示館のようでした。この説明パネルのタイトルは、中央の大きな文字が『武則天修故白馬寺・公元685年』、左の説明文が『隋唐時期的白馬寺』、右の写真のタイトルが『唐代白馬寺建築・窟址等遺物』でした。『武則天(624~704年)』は、中国唯一の女帝です。日本では、則天武后と呼ばれます。
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次の説明パネルのタイトルは、右の大きな文字が『北魏洛陽「招提〇比」』、左の説明文のタイトルが『北魏時期白馬寺』でした。説明文では、洛陽仏教の盛期には、白馬寺には3千人以上の僧がいたことなどが紹介されていました。
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大きな文字の『北魏洛陽「招提〇比」』の右側部分御標の紹介です。そのタイトルは『洛陽伽藍記:中記載的寺院』でした。洛陽城内、城東、城塞、城南、城北に分けて寺院の一覧と、創立者などが列記してありました。
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写りが悪い5枚の写真ですが、左から『北魏皇家第一寺・永寧寺』、『四月八日洛陽行像』、『白馬寺殿内供奉経函』、『白馬寺沙門宝公』、『外来高僧帯給・白馬寺的奇果実』でした。
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長文で解説された説明パネルです。タイトルは『宋元時期的白馬寺』でした。北宋時代は960年からはじまり、南宋時代は1127年から始まり、1279年まで続きました。宋代の後の元代は、1279年から、明代に代わる1368年まででした。蒙古のフビライ・ハンが宋を滅ぼした後の元代には、イスラム文化が入りました。
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最後に紹介するパネルは、繰り返しになりましたが『隋唐時期白馬寺』のタイトルです。隋代は581年~618年と、40年に満たない短期でしたが、唐代は、618~907年と、300年に近い長期の治世でした。唐代の685年、則天武后の命により白馬寺の大改修が行われ、その後の隆盛期を迎えました。
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一人だけでの見学になった後、最後に向かったのは『国際仏殿苑区』です。あとでお聞きしましたら、皆さん方は白馬寺最古の建造物の『斉雲搭』の見学に向かわれたとのことでした。正面奥に見える塔は、タイ廟の中のストゥパのようです。その近くまで行っての見学はしませんでした。
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イチオシ
タイ廟方面に向かう途中に目にした、インド廟の光景です。時間の都合で、入場はせずに、この前で折り返しました。白馬寺の出入口で、皆さん方と合流し、次の見学地の『関林廟』に向かいました。
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『関林景区閲覧全景図』のタイトルがあった観光案内図の光景です。右上付近に丸い塚のような小山があり、その場所に『関林』の表示がありました。この場所には、立ち入ることは出来ないようでした。左下付近に、次に紹介する『舞楼』が記されていました。
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『千秋鑑』のような扁額が懸かった由緒ありそうな建物の光景です。関林舞楼の『千秋鑑』のようでした。中国語説明文の拾い読みですと、清朝の乾隆五十六年(公元1791年)の建立と紹介されていました。(洛陽関林管理処HP)
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中国旅行社の『関林廟』に関する説明文です。『関林廟は、劉備に忠義を尽くした三国志の英雄、関羽を祭る廟である。義を重んじて孫権軍の犠牲となった関羽は、後世にさまざまな信仰の対象となり、全国に祭られるようになったが、ここの廟が最初のものと言われている(旅情中国)』と紹介されていました。その出入口光景です。
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関林廟の出入り口前に置かれていた狛犬の紹介です。右足の下に玉を置き、口を開けた阿形の雄獅子の光景です。頑丈な鉄柵で囲われていました。大切な遺物の保護の目的のようでした。
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同じく、関林廟の出入り口前に置かれていた狛犬の紹介です。こちらは左足の下の子獅子がいる雌獅子の法です。同じように頑丈な鉄柵で囲われていました。顔の部分はかなり損壊していました。
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関林廟の出入り口があった建物の、屋根飾りのズームアップ光景です。獅子像をベースにした上に櫛団子のような屋根飾りがありました。その屋根飾りを覆う電線は、避雷針設備のようです。
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ここからは、入場しての見学です。関林廟は、武の聖人と称される関羽の墓地、世界三大関廟の一つです。関林廟は漢の時代から築き始められ、明の万歴20年(1592年)に修築され、敷地面積は12万平方メートルあり、明と清の時代の建築物は150軒余り、古代の石碑は70枚余りが残されています。
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木々が生い茂る関林廟の境内光景です。長い歴史を持っている柏がいきいきと生い茂り、雨が上がった時、雲と霧が墓にまつわりながら立ち上る風景は、『関林翠柏』として、『洛陽八小景』の一つとなっています。関羽墓の前は柏の古木が千本以上も聳えていることから、『関林』と呼ばれるようになりました。
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参道の脇の柏らしい大木の光景です。『カシワ(柏、槲、檞)は、ブナ科コナラ属の落葉中高木です。現代中国語ではヒノキ科を柏科と呼んでいるようです。日本、朝鮮半島、台湾、中国に分布します。痩せた乾燥地でも生育することから、火山地帯や海岸などに群落が見られることが多いとされます。
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関林廟には、主な建築が全て中軸線に位置し、前から後へとそれぞれは舞楼、大門、儀門、甬道、拝殿、大殿、二殿、三殿、奉勅碑亭、石坊、八角亭、一番後は関塚となっていて、中国古代建築の特徴をよく表しています。 (中国旅行ガイド)
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イチオシ
右から読んで『関林』の扁額のズームアップ光景です。王鐸らしい落款がありました。明末から清初期にかけての著名な書家に王鐸(1592~1652年)がいますが、この扁額との関わりは分かりません。王鐸の作品のサインで比較してみましたが、判断が付きませんでした。
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柏の樹が生い茂る『関林廟』の境内光景です。三国志の英雄で、蜀の武将・関羽(生年不詳~220年)は、呉の孫権(182~252年)と湖北省の宜昌の近くの当陽で戦い、破れました。孫権は魏の曹操に関羽の首を贈りましたが、曹操(155~220年)は、その首をこの地に手厚く葬ったという言い伝えが残っています。
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柏の樹が生い茂る『関林廟』の境内光景が続きます。現在は11月の半ば過ぎ、落葉の気配はありませんから、常緑樹のように見えました。日本の柏とはどうも樹種が異なっているようです。
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石造の台の上に、金属製の台が置かれ、その上に坐した金属製の狛犬光景です。右足の下に玉を置いた、阿形の雄獅子です。中国旅行ガイドには、『儀門の前に鉄製の獅子が2頭踞っており、明の時代に鋳造され、重量は1500キロを超えている』との紹介もありました。(チャイナ・ハイライツ)
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こちらも石造の台の上に、金属製の台が置かれ、その上に坐した金属製の狛犬光景です。子獅子がじゃれつく吽形の雌獅子です。
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右から読んで、『威揚六合』の文字が記された扁額の光景です。多大な権力を示す意味で、武将として最高のほめ言葉とされ、西太后の筆による扁額です。西太后(せいたいこう、せいたいごう:1835~1908年)は、清の咸豊帝の側妃で、同治帝の母です。清末期の権力者で、満州・旗人の出身です。
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参道脇にずらりと並んだ狛犬の光景です。揃って赤い飾りがありました。正面に見える建物の扁額も楷書体の『関林』の文字でした。『儀門と大殿の間は石板で舗装された道があり、道側の柱には全て獅子の頭に彫刻され、計104個あり、さまざまな姿を見せて、いきいきとしており、ほかの関廟には見られない風景です』と紹介されていました。
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現地の標識類では確認できませんでしたが、儀門の建物から眺めた、大殿方面の光景になるようです。『関林景区閲覧全景図』で紹介したように、一直線上に建物が並んでいました。
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いつも狛犬を紹介していますので、アサヒネットを引用してその説明です。最初は、狛犬とは何かの説明です。神社に奉納、設置された空想上の守護獣像です。本来は「獅子・狛犬」といい、向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子、左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬です。阿吽の形になっているのは日本特有の形式です。
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中国の獅子像などは、ほとんどが両方とも口を開いていて「阿吽」にはなっていません。獅子・狛犬は、もともと別の生き物(空想上の霊獣)ですが、現在ではこの左右別の形状という形式を残したもののほうが少なく、形としては阿吽共に獅子に近いものが多くなっています。また、呼び方は「獅子・狛犬」の獅子が消えて単に「狛犬」に定着しています。
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次は、狛犬の起源についての説明です。古くは古代オリエントにまで遡ります。スフィンクスは、狛犬の遠い先祖と言えます。国王が強大な力を得るために、地上最強の動物と思われていた獅子(ライオン)の力を、王に宿らせるという思想は古くからありました。このため、王の椅子である玉座の肘掛けに、獅子頭を刻んだりするようになりました。
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ヨーロッパの家紋には、ライオンを象ったものが多いですし、プジョーのエンブレムもライオンです。インドでも、仏像の台座にライオンを刻んでいる例があります。これも仏様を守るという役割を担わせているわけです。狛犬研究の先駆者だった上杉千郷氏は、これを「獅子座の思想」と呼んでいます。(狛犬写真収集家になってしまいましたので、説明はこの後も続きます)
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