2020/03/06 - 2020/03/09
164位(同エリア480件中)
さっとん姉さん
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2019年の3月からミャンマーのあちらこちらを旅して来た。
せっかくなので、2018年10月から日本人に認められた最長30日間のビザなし滞在を目一杯活用しようと考えた。
日本出国日に遭遇した想定外のネコブル※のために、最初に計画していた二十八泊を一泊短縮したものの、それでも二十七泊二十八日間に及ぶ自己最長のミャンマーの旅を始めた。
さてさて、今回はどういうことになりますやら。
※トラブルの軽度のものをネコブルと言う。出典:若竹七海他「マレー半島すちゃらか紀行」(新潮社)
☆☆☆今回の長旅の終盤に、お気に入りの町ロイコーを訪れることにした。これで三回目の滞在である。
滞在3日目はツアーの申し込みが間に合わず、 必然的に休養日となった。この日はいろいろと考えを巡らし、翌日以降の準備を整えた。
4日目と5日目は、前回の滞在中に二日間ガイドをしてもらった若い女性ガイドMs.ウェイとともにカヤー族の村、リス族の村などを訪問した。手応えは十分あった。
5日目の夜とその翌日、ロイコーを発つ直前にちょっとしたサプライズがあった。☆☆☆
※表紙の写真はアイサーン村で撮影。
【旅のスケジュール】
バンコク
↓
ヤンゴン
↓
チャイティーヨー
↓
ヤンゴン
↓
モウラミャイン
↓
ヤンゴン
↓
ミッチーナー
↓
マンダレー
↓
バガン(ニャウンウー)
↓
ヤンゴン
↓
ロイコー ~この旅行記~
↓
ヤンゴン
↓
バンコク
(2020.03.21追記)
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【03月06日(金)、ロイコー3日目。明日と明後日のツアーを申し込む。】
午前06時00分のアラームで起床した。よく寝られた。
07時10分から朝食。今朝はシャンヌードルを用意してくれた(上の写真)。美味しかった。
昨日の夕方、宿のご主人からアボガドを食べさせてくれると言われたままになっていた。
朝食の時、アボガドも出してくれた。 -
出かける前に一昨日のロイコー到着以降に得られた観光スポットについての情報を整理し、紙にまとめた。
それを持って11時半に外出し、Amazing Kayah Travel and Toursの店舗へ。
※昨日はツアーの終了が遅かったため(ホテルに戻ったのが17時20分だった)、17時00分に営業が終了するこの旅行会社のオフィスには行けなかった。
何度か顔を合わせている若い女性スタッフしかいなかった。ご主人夫妻は今日はずっとホステルの方へ出かけていて、いつ戻るか分からないとのことであった。
出直して来ることも考えたが、それでも携帯電話で連絡が取れるとのことなので、この若い女性スタッフを通じて明日と明後日のツアーを申し込むことにした。
彼女は第一印象と違って、案外しっかりしていた。 -
☆☆☆ローピタLaw Pitaの発電所(バルーチャン発電所)。☆☆☆
明日は、カヤー族KayahのドータマージDaw Ta Ma Gyi村の訪問をメインにして、出来ればローピタLaw Pitaの発電所と滝へも行きたかった。
しかし、どちらもパミッションを今日中に取ることが必要なこと、両方へ行くには時間がかかりすぎることが主な理由で、不可能であると言われた。
そこで、明日はローピタへ行くのを諦め、ドータマージ村をメインに、朝の行きがけにデモソのマーケットに寄り、帰りにもう一か所の有名なスポット、ティーピンカンHtee Pwint Kan(デモソからの帰り道にある)へ行くことにした。
明後日は、リス族のアイサーン村への訪問(二回目)をメインに、同じ道路沿いにある二つの洞窟へも行くことにした。
ツアーの代金は、明日の分が18万チャット(約14,000円)、明後日の分が13万チャット(約10,000円)である。
明日の分を即金で支払った。明後日の分は明日ガイドのMs.ウェイへ直接支払えば良いということであった。 -
その後は街をブラブラ歩いてみた。今日もとにかく暑い。
最初にロイコーの市場へ行ってみた。市が立つ日(水曜日と土曜日)ではないので、あまり活気はなかったが、それでも人は多かった。 -
市場の近くで爆睡中のロイコー犬を発見。
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次は昨年8月以来となるタウングエ・パヤーTaung Kwe Pagodaを訪れた。ロイコーのシンボルである。
雨季と違ってパヤーの中は歩きやすかった。 -
☆☆☆ナワディ・ホテルの方角を望む。☆☆☆
記憶があまり鮮明に残っていなかったからか、ここから見る景色にあらためて感動を覚えた。 -
13時を過ぎた。一昨日昼食をとったベーカリーに寄って食事をした。飲み物で注文したノンアルコールのモヒートが美味しかった(上の写真)。
14時過ぎにホテルに戻って来た。しばらくすると女性スタッフがおやつのヨーグルトを持ってきてくれた。めちゃめちゃ甘かった。
明日のツアーに備え、少し調べごとをした。
15時過ぎ、ベッドに寝転んで作業をしていると睡魔に襲われた。17時30分近くにようやく目を覚ました。 -
18時30分、夕食のために外出した。ホテル観光省のオフィスの近くで良い店を見つけた。
串焼き(焼きトン)を食べさせる店で、ビールのほかウイスキーも飲める。 -
☆☆☆ミャンマーでは最もポピュラーな銘柄の一つ。☆☆☆
最初にミャンマービールを一本だけ注文した後、店員に聞いて小さい瓶のウイスキー(175ml)を持ってきてもらう。水と氷も取り寄せた。 -
☆☆☆ミャンマーの串焼きの店では、店内で食べる時は具材を串から外して食べやすいようにカットしてくれる。☆☆☆
串焼きはケースの中から自分で取るスタイル。言葉が分からなくても注文しやすい。
調子に乗ってウイスキーの小瓶を空けてしまった。ちょっと飲み過ぎかもしれない。
明日に備え夜更かしをしないよう気をつけ、22時過ぎには床に入った。
【03月06日(金)、了。】 -
【03月07日(土)、ロイコー4日目。ドータマージ村へ。】
午前05時15分、アラームが鳴る前に起床した。
明け方ずっと同じ夢を見ていて少しうなされていたようである。
少し早く06時50分過ぎに食堂へ行く。
今朝はモヒンガーが用意されていた(写真左下)。美味しかった。
デザートをいろいろ持ってきてくれたが、黒蜜をつけるお菓子を半分食べただけで、アボガドなどには手を出せなかった。
約束の10分前、07時50分にフロントに下りて行くと、すでにMs.ウェイWaiが待っていた。四か月前と比べ、少し垢抜けた雰囲気である。
挨拶を交わした。直接ホテルへ来たらしく、ドライバーさんの到着が遅れていると言っていた。簡単に今日の予定を確認した。 -
☆☆☆淡水の小さな貝と思われるものが山積みにされている。「今が旬でおすすめだよ」と言われたが、さすがに手が出なかった。☆☆☆
08時07分にドライバーさんが到着し、挨拶を交わしてすぐに出発した。
最初に、10月にも立ち寄ったデモソDemosoの市場へ行った。 今日土曜日は市が立つ日である。 08時40分に到着した。
今朝もとても活気があった。松の木を細かくカットしたものを焚き付け用に売っているとMs.ウェイが教えてくれた。 -
☆☆☆スイカを積んだ車。☆☆☆
市場に着いたときMs.ウェイにライスワインを買いたいと言うと、すぐにライスワインを売っている所を見つけて連れて行ってくれた。
試飲をさせてもらい、三つの瓶に入ったライスワインのうちニ番目に飲んで口当たりの良かったものを買うことにした。1 L のペットボトルに入って2,000チャットであった。
市場の一角にスイカが山積みされていた。コロナウィルスの影響で現在ミャンマーと中国との国境はすべて閉鎖されているとのこと。
そのため、中国へ輸出できなくなったスイカなどが値下がりしているそうだ。コロナウィルスの影響がロイコーのような地方都市の生活にも現れているようだ。
出発直前にMs.ウェイは自分が大好きなイチゴを買っていた。後で昼食の時に水で洗って振舞ってくれた。
09時05分に市場を出発した。 -
☆☆☆ドータマージ村Daw Ta Ma Gyiの第一印象はこの風景。乾季のため赤土の埃がすごかった。☆☆☆
前回(昨年の10月)のツアーでカヨー族のティコ村へ行った時ほどではないが、一車線分程度しか舗装されていない悪路を延々と走って行った。
山はさほど険しくなかったので助かった。途中から眠気を催し、何度も何度もうとうとしてしまった。
ハッと気がつくと、10時10分過ぎにカヤー族Kayahが暮らすドータマージ村Daw Ta Ma Gyiに到着した。 -
ドータマージ村の位置(右下のハートマーク)。ロイコー市街は黄色い星の位置。
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私たちがこの村へ来る途中、ニ回くらい給水車を追い越した。
この村は水が不足しているようで、給水車で水を運び公共のタンク(上の写真)に蓄えて、それを村人が利用しているそうである。 -
☆☆☆ 家族総出で家の壁にモルタルを塗る作業(家の補修)をしていた。外部の人に頼まず、家族で行うのが一般的なようだ。☆☆☆
ドータマージ村に到着してから一軒の家(上の写真)へ連れて行かれ、そこでMs.ウェイはかなり長い時間交渉をしていた。ガイド役の人物を依頼するのに手こずったようである。
ようやく30歳台ぐらいの男性がガイドとしてやってきた。この人は、見かけは頼りなさそうだが、とてもしっかりしていて愛想も良かった。 -
左がガイドの男性、右がMs.ウェイ。
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最初に、新築祝いをしている最中の家(上の写真)へ連れて行ってくれた。
今日新築祝いをしているところへ出くわしたのは、とても幸運であることが後に分かった。 -
民族衣装をまとった高齢の女性が、私に気さくに話しかけて来た。かなり酔っている。
新築の家は、この女性の息子さんの家だそうである。 -
この家の一階には、たくさんの食べ物やライスワインの入った壺が置かれていた。
お祝いにやってきた村人たちが持ってきたものだそうである。 -
☆☆☆二人のお姉さまの写真を撮らせてもらう。☆☆☆
この家のニ階へも上がらせてもらった。主として男性たちが車座になってライスワインを飲んでご機嫌である。
一人の高齢の男性がマイクを手に民族音楽の歌を歌っていた。
新築のお祝いということで、民族衣装を身に着けた女性の姿が目に付いた。写真も撮らせてもらい、とても幸運であった。
一昨日訪れたジンボー族の村でも、カヤン族のパンペットでも、米などから作ったビールもしくはワイン(カヤンでカウイェーと呼ばれるもの)を必ず振る舞ってくれた。
この村でも、同じように家を訪れるたびにお酒を振舞ってくれた。 -
二軒目に訪れたターミャさんの家。
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この家では、建物の一階(二階部分の床下にあたる場所)で比較的若い女性二人が綿の織物をしていた。
この布織りの作業はとても難しく、連続しての作業は1時間ないし2時間程度が限度だそうである。 -
☆☆☆ 伝統的な方法での綿の糸作りを実演して見せてくれるターミャさん。☆☆☆
二階へ上がると、この家のお祖母さん、ターミャさんが迎えてくれた。約六十歳。お子さんが4人、お孫さんが3人いる。
隣には旦那さんもいた。お孫さんの一人、幼い男の子を抱っこして可愛がっているところであった。
この家は建ててから80年経っているとのこと。屋根は10年から15年ごとに吹き替えをする。
家の中は痛みが少ないので、竹でできた床は20から25年ごとに取り替えるとのことである。 -
☆☆☆ターミャさんは、カヤー族の伝統楽器のギター(弦も竹でできている)を持ち出して演奏してくれた。☆☆☆
ターミャさんは村の外へ一度も出たことがないとのことである。
旦那さんは、幼い頃に日本兵を見たことがあるそうだ。この村にも日本兵がやってきたのである。 -
昼食は、CBTの休憩所に使われていると思われる大きな建物の中で。
今回もMs.ウェイが弁当を持参していた。 -
☆☆☆ イチゴは今朝Ms.ウェイがデモソの市場で買ったもの。☆☆☆
鳥肉を炒めた料理を食べる時、彼女は「これは塩気が強すぎて、私は食べられない。」と言っていた。
確かに少し塩っぱいが、日本では普通の味付けのような気がする。
「日本人は食べ物に何でも醤油をつけて食べる。塩分が濃い食事が多い。」と言うと、彼女は笑っていた。
このやりとりから、ミャンマーのチャーハンがなぜ美味しくないか、私にはその理由がよく分かった。 -
☆☆☆休憩所の壁に掲示されていたドータマージ村のCBTプログラムの案内図。☆☆☆
この日と翌日のツアーの中で、Ms.ウェイと少し雑談っぽい話もした。
彼女は日本の寿司が大好きだそうである。しかし、ロイコーでは寿司を食べられる店がないと嘆いていた。どうやらヤンゴンの店で食べたことがあるようだ。
また、この日訪れた村はCBTプログラムに参加しているが、翌日訪れた村はそうではなかった。
彼女の口から、「CBTプログラムの光と陰」のような話を聞くことができた。
いずれ、内容を整理して私の旅行記の中で触れたいと考えている。 -
昼食後、この村のトーテムポールが立つ場所に案内された。
ドータマージ村はかなり大きい村で、巨大なトーテムポールが並び立つ風景に圧倒される。 -
トーテムポールのそばには、シャーマン(祈祷師)が儀式で使う家が建っていた。
ミャンマーでこのような家を見るのは初めてである。 -
小さなトーテムポールもあった。
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次に案内されたのは、ホテル観光省のオフィスで貰ったパンフレットの中で“rice barn village”と記されている場所である。
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Google Translateでパンフレットの解説を翻訳させると、
『もう1つの興味深いハイライトは、村のリビングエリアのすぐ外にある「米納屋」です。ここでは、村人の米は火事やその他の危険から守られており、守護者の精神が守られています。』
村外れのこの場所にある多数の倉庫に米を蓄えるのは、火災の危険を避けるだけでなく、村を守護する精霊に守ってもらうためでもある。
このような場所をミャンマーの山岳民族もしくは少数民族の村で見るのは、私にとっては初めてであった。 -
☆☆☆スーメイさんとお孫さん(女の子)。☆☆☆
この後、三軒目の家へ案内された。
階段のところで小さな男の子が泣きじゃくっていた。お祖母さんに怒られたのだと言う。
彼女はスーメイさんと言う。62歳。お子さんが10人、お孫さんが12人いるとのこと。
この家には35年以上暮らしている。息子さんの一人はタイにいたが、今は米国に渡っている。 -
お孫さんの小さな女の子も赤い民族衣装をまとっていた。
この時は理由を聞かなかったが、翌日Ms.ウェイに尋ねると先ほど私たちが訪ねた新築の家のお祝いでパレードのようなことも行われる。
そのため小さい子どもも、普段はこんな格好はしていないが今日は民族衣装を着せられているのだという。
今日この村を訪れたのは、実に幸運であった。 -
ドータマージ村からデモソに戻り、今日最後の訪問地ティーピンカンHtee Pwint Kan(Google MapではHtee Pwint Lake)へ向かった。
ホテル観光省のオフィスで貰った観光地図に載っていたスポットの一つである。 -
地元の人にとっては有名スポットとのことである。小さな池が二つあり、そのうち手前の池の底から泥水が噴き出していて、それが傘のように見えた人には幸運が訪れると信じられている。
乾季の今は池の水はかなり少なくなっていて、しかも汚れている。
注意してよく見てみたが、泥の傘は見えなかった。 -
一箇所だけこんな所があったけど。
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池のほとりに立つ写真パネルでは確かに傘のようになっている。
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15時35分にホテルに戻った。車を降りるとき、Ms.ウェイに明日のツアー代として13万チャットを支払った。
着替えて部屋で寛いでいたら、女性スタッフがアボガドを持ってきてくれた。今朝食べられなかった代わりということなのだろう。
服も靴も泥で汚れていた。雑巾を水で濡らしジーンズや靴を拭いた。
18時00分過ぎに外出した。フロントにMs.Aがいた。話し掛けたかったが欧米人の女性ゲスト二人と取り込み中だったので、黙って鍵をフロントに置いて出かけた。
しかし、その後すぐにその女性二人が外出してきたので、ホテルに引き返した。
しかし、フロントにMs.Aはいなかった。その場にいた女将さんに彼女を呼んでもらった。
明日訪れるリス族の村へ持って行くお土産を買うためのショップを二人に教えてもらった。
教えてもらった店はホテルからそれほど遠くない。19時まで営業ということである。間もなく18時30分である。急いでそのスーパーへ向かう(上の写真)。
店内を見て回り、小分け出来るキャンディと、小さいチョコレートの詰め合わせを買った。 -
夕食は、昨日と同じ店に入り最初にビール大瓶一本、その後ウイスキーの小瓶を注文した。
会計の時嬉しかったのは、最初に頼んだ初めて飲むビール(BAWDARという銘柄)のキャップで一本無料が当たり、私はもう一本同じものを注文しなければ無料にしてもらえないと思っていた。
しかし、その分を割引してくれていて4,900チャットの請求であった。
5,000チャット札を渡して釣りを貰わずに帰ろうとしたら、女性店員が100チャット札を持って来てくれたので、ノーチェンジと言って立ち去った。
その後、明日自分から仕掛けるちょっとしたサプライズのための買い物をした。
今日デモソの市場で買って帰ったライスワインは美味しいのだが、味がくどくてたくさんは飲めない。
明日もツアーなので、夜更かしをしないように気をつけた。
【03月07日(土)、了。】 -
【03月08日(日)、ロイコー5日目。リス族のアイサーン村を再訪。】
午前05時30分に起床した。変な夢を見ていたがまあまあよく寝られたと思う。
このホテルで寝ていると自宅で寝ているかのような安心感を感じる。
午前06時を少し過ぎた頃、ホテルに近い幹線道路を騒々しい行列が通って行く。
今日何かの祭りがあるのであろうか。Ms.ウェイはある民族のお祭りが行われると言っていた。
今日も07時少し前に食堂へ行った。すでにミャンマー人の団体が食事をしていた。
今日はシャンヌードルがあった。スタッフさんが作ってくれた。美味しかった。粉チリのかけ過ぎで、ちょっと辛かったけど。
デザートにイチゴとミャンマーの伝統的なお菓子を出してくれた。 -
07時50分になる頃ロビーに下りて行くと、今朝もMs.ウェイがすでに待っていた。まだ車が到着していないことをとても申し訳なさそうにしていた。
しばらくして車が到着した。昨日と同じドライバーさんである。
07時57分に出発。
最初に、昨日私が見たいと言っていたトーテンポールがたくさん立ち並ぶ場所へ行ってくれた。
ここのことは、ホテル観光省のオフィスに掲示されていたパネルで知った。
08時02分、Google MapでDor Sor Beeと表示される場所の近くで車を降りた。 -
ひときわ立派なポール。先端の金属の装飾が美しい。
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☆☆☆サイズが異なる大小のポール。☆☆☆
ここは、ロイコー市街の中心部からすぐ近くである。
巨大なポールが立ち並ぶ様は実に壮観である。ここでイベントが行われるそうだ。
ボールが立ち並んでいるエリアには女性は入れないとのことである。立ち並んでいるポールのうち、一番高いものは4月の儀式に使われ、短いものは10月の儀式に使われるそうだ。
田植え前に豊作を願い、作物の収穫期に豊作を感謝する儀式が行われるとのこと。
毎年1月15日の「カヤー州の日」の大きなイベントも、ここで行われるようだ。 -
ちなみに、こちらがホテル観光省のオフィスに掲示されていたこの場所のパネルである。
衣装からして、踊っているのは滞在二日目に村を訪れたジンボー族の男性たちと思われる。 -
☆☆☆アイサーン村の手前の未舗装路。前方から来た牛車!とすれ違った。☆☆☆
その後、幹線道路をシャン州との州境へ向けてかなり北上した。昨年8月に一度来たきりなのであまりよく覚えていない風景が続く。
幹線道路から外れる直前に一軒の商店の前でMs.ウェイは車を停めた。
ついていくと、これから訪問する村の人へのお土産として、一個500チャットの洗濯用合成洗剤を4袋買った。代金は私が支払った。
CBTプログラムの場合は、 現地のガイド代や各家の訪問への謝礼(参加するアクティビティの代金)、昼食代などは全てCBTの料金として一括してガイドさんから地元の担当者へ支払われる。
その分はツアー代金に当然含まれているので、私から現地で払うことはない。
しかし、今日訪れるリス族のアイサーン村は CBTには参加していないため、このお土産代もツアー代には含まれておらず、私の負担となっているのである。(そのことは昨日Ms.ウェイから確認されていた。) -
アイサーン村へ続く道の入口横にある見覚えのあるパヤー(上の写真は前回の訪問時に撮影)では、今日何かのお祭りがあるのか、人がたくさん集まっていた。
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その先の未舗装の悪路をゆっくり進み、見覚えのある風景が続いた。
09時03分、アイサーン村に到着した(上の写真は前回の訪問時に撮影)。
後でMs.ウェイに村の名称の英語での表記を教えてもらった。Ai Santと表記するそうだ。 -
アイサーン村の位置(右上のハート)。
ちなみに、山を挟んですぐ西側はシャン州の奥インレー湖(第二インレー湖)である。
昨年12月にインレー湖北岸のニャウンシュエに滞在した時、街中の旅行会社でロイコー行きの長距離バスの切符が販売されていることを示す表示を目にした。
インレー湖の北岸とロイコーとの間のバスの便は悪くないようである。 -
☆☆☆2019年8月に最初にアイサーン村を訪問した時にドナリさんの家の前で記念に撮影してもらった写真。☆☆☆
車を降りてMs.ウェイとともに歩き始めたところ、すぐ目の前に人が何人か集まっていた。
Ms.ウェイに前回ガイドをしてくれた女性の写真を見せると(上の写真の左から3人目)、彼女はそれを近くにいた女性に見せて話をしていた。
ガイドの女性はよそへ行ってしまって今はいない、ということであった。
さらに、私が撮ってもらった集合写真(上の写真)を彼女たちが見ていると、背景となっている家はすぐそこの家だと言う。
どうやら、その家の裏側に来ていたようである。
今日最初に出会った子どもたちの中に1人だけ、私が前回この村で会っている女の子(上の写真の前列の赤い服の子)が混じっていた。
Ms.ウェイがきくと、私のことを覚えていると言うではないか。 -
☆☆☆右側がドナリさんの家。左から二人目の女の子に前回の訪問時に会っていた。☆☆☆
すぐにその家の中に招き入れられた。ほどなくしてこの家の主の年配の女性が現れた。私のことを覚えていてくれて、とても歓迎してくれた。
彼女はドナリさんという。55歳。何と私より年下である。 私の年齢を伝えると、とても若く見えると褒めてくれた。
旦那さんは既に亡くなっている。私は、ドナリさんの息子さんがタイで働いていることを覚えていた。そのことを聞くと、今チェンマイで暮らしているという。
ドナリさんは、前回私が訪問したのが雨季(8月初旬)だったことを覚えていて、「この前の時は、この家の床がぐちゃぐちゃじゃなかったですか?」と聞いてきた。「 いいえ、大丈夫でしたよ。」と私は答えた。 -
前回の訪問時には、子どもたち(5~10歳くらいの女の子)がこの家の中に集まって来た。
彼女たちを楽しませるため、 私は鞄の中に入れておいた折り紙を取り出し、鶴を折って見せた。
子どもたちは目を輝かせ、私が渡した折り紙を使って同じように鶴を折り始めた。即席の折り紙教室の始まりである。
(詳しくは、私の最初のロイコー旅行記を参照されたい。)
今回も、男女の子どもたちが家の中に集まって来たので、私は早速折り紙を取り出して配った。
しかし、今回は年齢の低い子が多く、この後グダグダになってしまった。 -
☆☆☆今回もドナリさんの家の前で記念撮影。男の子たちは早々にどこかへ行ってしまった。☆☆☆
私は、前回も今回もダイソーで買った一番小さいサイズの折り紙の用紙を持参していた。
しかし、年齢の低い子たちは指先を器用に動かすことができず、鶴の細かい細工の部分で皆つまずいてしまった。
前回教えた女の子も、今回はうまく折れなかったようである。 -
☆☆☆どの村へ行ってもちゃっかりしているウェイさん。☆☆☆
結局、今回の折り紙教室は成功とは言えなかった。
途中で飽きてしまって遊び始めた子が多かった。
Ms.ウェイも、最初は折り紙の折り方を通訳してくれたが、彼女も飽きてしまったらしく、この家の人に民族衣装を借りて写真を撮ったりしていた。
ちなみに、私は最初にこの家に入った時、持参してきたキャンディー(昨夜Ms.Aたちに教えてもらったスーパーで購入していた )を子どたちに配っていた。
すると、私の傍らでMs.ウェイも全く同じことをしていた。彼女もキャンディーを用意していたのである。
残ったキャンディーは、後でこの家の女性に渡して子どもたちに配ってくれるようお願いした。 -
10時になる頃、この家の人たちから、食事をしていかないかと誘われたので快諾した。
ちなみに、前回の訪問時にも同じ流れで昼食をご馳走になっている。
すぐに食事の用意をしてくれた。
Ms.ウェイと共に出された食事を頂いた。Ms.ウェイはスープがとても美味しいと言っていた。 -
☆☆☆ドナリさんのお孫さんが家の外でご飯を食べていた。口の周りについたご飯粒を見て、大人たちが微笑んでいた。私がMs.ウェイに「日本ではこういう時、口の周りに『お弁当』がついている、と言うんですよ」と言うと、通訳してくれて皆で笑ってくれた。☆☆☆
ドナリさんの家を辞去するとき、持参してきたチョコレートの詰合せ(昨夜キャンディーと一緒に購入した)をこの家の人へプレゼントした。今日買った洗剤も一つ渡した。
前回の訪問時にちゃんとしたお礼が出来なかったので、私はとても嬉しかった。 -
その後、ガイドを引き受けてくれた女性(ドナリさんの家に来ていた子どもたちのお母さん)について、村の中をしばらく歩いた。
アイサーン村には現在44軒の家があり、約160人が暮らしている。 村の規模としては小さい方のようである。
今日は日曜日であるが、住民のほとんどは仏教徒なので仕事を休まず畑へ出かけていた。そのため、戸口に鍵をかけている家が目についた。
このガイドさんは3人の子どもを従えていた。真ん中の女の子(この旅行記の表紙の写真の左側の子)がなかなかお転婆で、先ほどの折り紙教室の時もよその家の男の子に盛んにちょっかいを出していた。 -
家の前で仕事中の女性。
声をかけて写真を撮らせてもらった。お礼に洗剤を渡した。
ここまでご覧いただいて分かるように、この村では比較的高齢の女性たちが普段から伝統衣装を身につけているようである。
今回の滞在中の最初のツアーで訪れたジンボー族の村とは対照的である。
このような村を、Ms.ウェイの言葉を借りるなら、「リアルな村」と言うべきではないだろうか。 -
前回の訪問時には気づかなかったか、もしくは存在しなかった比較的大きな商店を見つけた。
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こちらの女性も快く写真を撮影させてくれた。
-
大きな木の木陰で竹を割る作業をしている女性がいた。その周りに人が集まっていた。
そこは水場になっていて、山から湧き水を引いている。
ここで水浴びをすると快適だが、冬は寒くてできないとのことである。
最後に、ガイドをしてくれた女性にお礼の洗剤とチップ5,000チャットを私から渡してこの村を後にした。
ちなみに、今日ここへ来る時の車の中でMs.ウェイから聞いていたCBTプログラムの場合の食事代やガイドへの謝礼は、予想外に高いものであった。 -
☆☆☆村の奥にはシャン州との州境となっている山々が連なっている。☆☆☆
昨年8月に男性のドライバー(兼ガイド)Mr.ペブトゥに初めてこの村に連れて来てもらったのであるが、今回同行したMs.ウェイは私が思っていた以上にこの村の人たち(ほとんどが女性と子ども)にすぐに打ち解けた。
おかげで、私も前回の訪問時以上にこの村で心地よく過ごすことが出来た。
ガイドが女性であることも重要だと私は考える。
ロイコーから訪れた少数民族の村で、各家で私たちを迎えてくれたのは、まずは女性なのである。
また、CBTプログラムに参加していないこの村での振る舞い方を、彼女は若いのに熟知しているようであった。 -
☆☆☆アイサーン村へ続く未舗装の道。前回の訪問時に撮影。☆☆☆
アイサーン村を10時52分に出発した。
村からの帰り道、Kayan Beauty Travels & Tours(今回の滞在中に私が最初のツアーを依頼した会社)の車とすれ違った。Ms.ウェイが教えてくれた。
彼らも外国人をアイサーン村へ案内しに行くところだった。 -
次に向かったのは、アウンタピィ洞窟Aung Tha Pyae Caveである。11時30分に到着した。
この洞窟と次に訪れた洞窟は、ホテル観光省のオフィスで貰った観光地図で紹介されている十五箇所の観光スポットに含まれている。 -
☆☆☆洞窟の入口。☆☆☆
入口付近は地味な感じであるが、奥に長く伸びている。なかなか面白い洞窟だと思った。
ここはミャンマーの洞窟の中では例外的に履物がOKであった。人があまり来ないため、十分な手入れがされていないことの証であろう。 -
私たち以外には見学者はほとんどいなかった。奥の方は照明があまり届かず、やや暗くなっている。
ミャンマーで観光客に公開されている洞窟は、ほとんどが洞窟寺院である。
ここでも何体かの仏様が安置されていた。 -
王様の姿をしたブッダ。
Ms.ウェイによると、ブッダは何度も生まれ変わり王様にもなっている。
ミャンマーの人々がイメージするブッタは、私たち日本人のイメージとはかなり違っているようである。 -
☆☆☆この寝仏がある辺りまではまあまあ明るかった。☆☆☆
Ms.ウェイが途中でとても怖がってしまう。
もう少しだけ先へ行けそうだが、私も無理に先へ行くことはせず、引き返すことにした。
ちなみに、昨年10月のツアーの途中でグエタウン・ダムNgwe Daung Damに寄った時、ダムの上にいた観光客を乗せる二頭の象を目の前にしてMs.ウェイが異様に怯えていた。
その様子を覚えていた私は、この洞窟に入る前から彼女は暗いところが苦手なのではないか、と予想していた。
この洞窟は私がこれまでミャンマーで見た洞窟と比べ、まだ整備の途中という感じであった。 -
☆☆☆ お祭り会場の入口付近。頭にオレンジ色の布を巻いているパオ族の女性がいる。☆☆☆
次の洞窟へ向かう途中、今日行われているパオ族のお祭り会場に寄った。
パオの祭りのことは昨日のツアーの途中でMs.ウェイから聞いていたのだか、私はホテルに帰ってから民族の名称を思い出せなかった。
今朝午前6時過ぎにロイコー市街を通った騒々しいパレードは、ひょっとしたらこのパオの祭りと関係があるのかもしれない。
パオ族は、昨年12月にシャン州にあるインレー湖へ行った時に訪れたカックー遺跡やその周辺、タウンジー、ニャウンシュエなどでよく見かけた。
カックー遺跡を訪れる際には、タウンジーからガイドとしてパオ族の若い女性がついて来てくれた。
パオ族は隣のシャン州に多く住むが、ここカヤー州にもかなりの人口がいるということを今日初めて知った。 -
12時10分、パオ族のお祭り会場に着いた。
休憩場所のようになっている僧院に立ち寄った(上の写真)。お茶とフルーツを出してくれた。
お祭りの本番は夕方からのようで、夜にはダンスが行われるとのことである。 -
12時35分、今日のツアーの最後のスポット、ルウェルタム洞窟Lwel Ta Mu Cave(Google MapではLwal Tamu Shrine Cave)に到着した。
ここには大勢の人が来ていた。入り口の横に小さな仏塔がたくさん建てられていて、全体がパヤーのような雰囲気である。 -
前の洞窟にいた時、Ms.ウェイが次の洞窟では地下に下りて行くと言っていた通り、入口を入ってすぐ地下へ下りて行く狭い階段があった。
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私がこれまでミャンマーで入ったことがある洞窟の中で、これだけ深く地下へ下りて行くのは今回が初めてである。
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一番下近くまで行った時、何度か短い停電があった。洞窟の中にいて停電に合うのは良い気持ちがしない。
中はミャンマーの洞窟によくあるように、仏教施設として比較的よく整備されていた。 -
詳しいことはよくわからないが、石灰化する前の珊瑚虫?もしくは貝?と考えられるような細かい物体がたくさん重なっている面白いところが一箇所あった。
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仏塔に向かって熱心に礼拝するミャンマー人。ここは宗教施設である。
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☆☆☆ゴールデンロックのレプリカと思われるもの 。ここに来た直後、停電して真っ暗になった。☆☆☆
奥の方へ行った時、再び停電が来た。今度は長かった。
Ms.ウェイと二人してスマホのライトをかざしながら気をつけて戻って来た。
停電がなければ、もうしばらく中を歩き回ってみたかったが、無理はしないことにした。
入口のすぐ手前に戻った時、再び電気の灯りがついた。
13時00分にルウェルタム洞窟を出発した。 -
☆☆☆ナワディ・ホテルの二階のホール。☆☆☆
13時10分過ぎにホテルに到着して、今日のツアーは終了した。
車を降りる時、Ms.ウェイに「ここでしばらく待っていて下さい。」とお願いした。
彼女は車を降りてきて、ロビーで待っていてくれた。 -
自分の部屋に戻り、昨晩から冷やしておいたケーキ(昨夜の夕食を取った店の近くのベーカリーで買っておいた)を持って一階のロビーに戻り、彼女に渡した。
前回と今回の計4日間のガイドへのお礼である。彼女のガイドのおかげで私はとても内容の濃い経験をすることができた。
ちょうど宿のご主人がフロントにいたので、お願いしてMs.ウェイとのツーショット写真を撮影してもらった。
今回の滞在のとても良い記念になった。 -
☆☆☆ ナワディー・ホテルの隣にある建物。今回宿泊した部屋からもよく見える。前回と前々回、この建物に私はまったく関心を払っていなかった。この後ちょっとしたサプライズがあった。☆☆☆
今日は比較的短時間のツアーであったが、やはり日差しが強かった。その分疲れていたのであろう。
ベッドで横になって記録を書いているうちに、ついうとうとしてしまった。
ちなみに、今日は車の中ではまったくうとうとしなかった。(私にしては珍しい?)
17時過ぎ、夕食のため少し早目に外出する。
ちょうどご主人がフロントにいたので、明日空港へ車で送ってもらうことを依頼する。
明日のフライトはロイコー空港を11時15分発なので、10時00分にホテルを出たいと伝えた。 -
外出時に隣の建物の表に立っている看板をしげしげと眺めると、ノルウェーの難民支援機関の事務所であった。
ロイコーに滞在する度に訪れたパンペットで暮らすカヤンの人々と同族の人々が、タイ側のメーホンソーン近郊の難民村(現在二箇所ある)で暮らしている。
私はそれらの村を訪れたことがある。
遠く離れた国境の向こう側にある村でのカヤンの人々の生活にしばし思いを馳せた。 -
夕食のためAmazing Barへ向かう途中、バルーチャン川を挟んで対岸にモスクが見えた。
このモスクには、前回と前々回の滞在中に一度ずつ立ち寄っている。
川のこちら側から見ると、ヤシの木を背景に何とも不思議な光景である。仏教国ミャンマーにいるとは思えない。
この景色は、ミッチーナーの旅行記の表紙で私が言及しているイーグルスの往年の名アルバム「ホテル・カリフォルニア」のジャケット写真を連想させると思うのは、私だけであろうか? -
今回の滞在中ニ回目となるAmazing Barへ行く途中、店の手前で犬たちに何回か吠えたてられた。帰りは同じ道を通ることをやめた。
最初にビーフ・ハンバーガーを注文した。
付け合せのフレンチフライ(ポテト)に塩をかけ過ぎている。やはり私の推測通り、ミャンマー人(料理人)は塩分には鈍感であるようだ。
今日はこの店は大盛況である。テーブルがほとんど埋まっている。
奥に座っているグループの中に、二日目のツアーの時のドライバーさんがいた。
私を見つけて、わざわざ声をかけてくれた。明日出発することを伝えた。
帰りは少し遠回りをした。20時にホテルに戻った。
フロントにいたご主人から、民族衣装のデザインのシャツをプレゼントされた。
これがロイコー出発直前の最初のサプライズである。
名残惜しいが、明日はヤンゴンへ発たなければならない。
最高に楽しい五日間であった。
【03月08日(日)、了。】 -
☆☆☆出発する日に部屋から眺めた夜明けの太陽。☆☆☆
【03月09日(月)、ロイコーを発つ。最後のサプライズ。】
午前05時30分のアラームで起床した。まあまあよく寝られたと思う。 -
☆☆☆今回の滞在中最後の朝食。☆☆☆
午前07時00分から朝食へ。今朝もデザートにイチゴと昨日と同じ甘いお菓子を出してくれた。お腹いっぱいになった。
最後なので食堂の女性スタッフ全員に(調理をしてくれる年配の女性スタッフにも)挨拶をして部屋に戻った。
ゆっくりと荷物をパッキングしていった。 -
午前09時50分、私がまさに部屋を出ようとしている時ノックがあった。
Ms.Aがヘルメットをかぶった姿でドアの前に立っていた。
バイクに乗ってたった今出勤してきたところのようである。
出発する私を呼びに来たのだが、シャツ(民族衣装のデザイン)をプレゼントしてくれた。とてもびっくりした。
これがロイコー出発直前の第二のサプライズである。 -
☆☆☆ナワディホテルのフロントにて☆☆☆
Ms.Aにスーツケースを下へ運んでもらい、私は後から下りていった。ホテルのご主人が車の中でスタンバイしていた。
車に乗る直前、Ms.Aにもう一度挨拶をして「 今度ここへ来るときは、何か日本のお土産をあなたに買って来ます」と伝えた。
その言葉を口にする瞬間まで、私は次にロイコーへ来ることは微塵も考えていなかった。 -
☆☆☆ホテル前の道路。☆☆☆
しかし、一度口にしてしまった以上、ここへもう一度来ることはこれで決定である。
日本の男子に二言はない。
これがロイコー出発直前の第三のサプライズ、かな? -
ホテルを出て5分後には空港に到着した。ちょうど10時00分になる頃である。
ご主人に丁寧にお礼を言って別れを告げた。
カウンターで11時15分出発予定のヤンゴン行きフライトのチェックインをしてもらうと、出発が1時間遅延するという。
12時00分過ぎの出発のようだ。待合室にはもう何人も乗客が来て待っている。 -
11時00分を過ぎてセキュリティーチェックの受付けが始まる。外の待合室はベンチが少なく窮屈だった。
11時55分に飛行機が到着した。間もなく搭乗開始。いつものように何の案内もないので、他の乗客の動きを注意深く観察する。
機体はATR72-60。ほぼ満員である。
12時16分、ロイコー空港を離陸した。 眼下に美しいロイコーの街が見えた。
【ロイコー旅行記、了。】
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この旅行記へのコメント (2)
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- きなこさん 2020/03/12 17:32:24
- ロイコーの村々
- こんにちは
スマホで4トラにアクセスすると早くも②がUPされてて嬉しくて早速読み入ってしまいました。
観光省で情報を集めて次々と計画して廻られてるのとても羨ましいです。
多分私もミャンマー第1日目に出くわした民族フェスティバルで入手した資料にも載っているのかも知れませんが、それをそこまで読み取る事は出来ませんでした。
自宅に帰りパンフレットを見てみると興味深い記事がいっぱいありました。
旅好きのOTTUさんの旅行記を拝見してると行きたい虫がムクムク顔を出して来ます。
きなこ
- さっとん姉さん からの返信 2020/03/12 19:49:33
- コメントありがとうございます。
- 最終日の旅行記は、書きたい事がいっぱいあって、まだアイサーン村の途中です。
ロイコーは、まだ外国人観光客が少ないようで、数少ない旅行会社同士が客の取り合いをしているような雰囲気もありました。
彼らが最初にお勧めするのは、やはり市街からアクセスしやすいカヤン族のパンペットとカヤー族のターニーラーレ村だと思います。どちらもきなこさんは行かれましたね。私も二回ずつ訪れています。
車酔いが大丈夫であれば、私が昨年10月に訪れたカヨー族(「耳長族」)のチコHtay Kho村がベストだと思います。ロイコー市街から車で片道3時間かけて訪れる価値はあると思います。まさに「リアルな村」です。
ちなみに、カヨー族には昨年9月にチェンラーイ近郊にある観光村(カヤンの女性もいる)で先に出会っていました。
私は山岳民族(少数民族)に強い関心を抱いて以来、「ヤラセ」的要素が強いと承知の上で、そうした観光村にも可能な限り足を運んでいます。
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