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令和2年4月スタートの朝ドラ「エール」。10月上旬の放映では戦時中に古関裕而も実際に訪れた旧ビルマ(現ミャンマー)の戦場が描かれた。<br />2020年初め、宿泊したバガン(遺跡が多数残る古都)から第二次世界大戦当時のインパール作戦の激戦地の一つであるメイッティーラへ日帰りで観光を行い、日本軍ゆかりの場所を訪れた。<br />朝ドラ好きの皆様の何かの参考になれば幸いである。<br />☆☆☆<br />2019年の3月からミャンマーのあちらこちらを旅して来た。<br />せっかくなので、2018年10月から日本人に認められた最長30日間のビザなし滞在を目一杯活用しようと考えた。<br />日本出国日に遭遇した想定外のネコブル※のために、最初に計画していた二十八泊を一泊短縮したものの、それでも二十七泊二十八日間に及ぶ自己最長のミャンマーの旅を始めた。<br /><br />さてさて、今回はどういうことになりますやら。<br /><br />※トラブルの軽度のものをネコブルと言う。出典:若竹七海他「マレー半島すちゃらか紀行」(新潮社)<br /><br />☆☆☆ニ度目のバガン入りをした私は、到着二日目にタクシーをチャーターして日帰りでメイッティーラへ観光に出かけた。<br />メィッティーラを訪れるのは初めてである。この街の観光スポットは比較的集中していて、訪れやすかった。☆☆☆<br /><br />【旅のスケジュール】<br />バンコク<br /> ↓<br />ヤンゴン<br /> ↓<br />チャイティーヨー(*日帰り)<br /> ↓<br />ヤンゴン<br /> ↓<br />モウラミャイン<br /> ↓<br />ヤンゴン<br /> ↓<br />ミッチーナー<br /> ↓<br />マンダレー<br /> ↓<br />バガン(ニャウンウー) ~この旅行記~<br /> ↓<br />ヤンゴン<br /> ↓<br />ロイコー<br /> ↓<br />ヤンゴン<br /> ↓<br />バンコク<br /><br />(2020.03.17暫定版)

バガンからメイッティーラへ日帰り観光。~自己最長二十七泊、ミャンマーの旅~

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2020/02/29 - 2020/02/29

225位(同エリア480件中)

さっとん姉

さっとん姉さん

令和2年4月スタートの朝ドラ「エール」。10月上旬の放映では戦時中に古関裕而も実際に訪れた旧ビルマ(現ミャンマー)の戦場が描かれた。
2020年初め、宿泊したバガン(遺跡が多数残る古都)から第二次世界大戦当時のインパール作戦の激戦地の一つであるメイッティーラへ日帰りで観光を行い、日本軍ゆかりの場所を訪れた。
朝ドラ好きの皆様の何かの参考になれば幸いである。
☆☆☆
2019年の3月からミャンマーのあちらこちらを旅して来た。
せっかくなので、2018年10月から日本人に認められた最長30日間のビザなし滞在を目一杯活用しようと考えた。
日本出国日に遭遇した想定外のネコブル※のために、最初に計画していた二十八泊を一泊短縮したものの、それでも二十七泊二十八日間に及ぶ自己最長のミャンマーの旅を始めた。

さてさて、今回はどういうことになりますやら。

※トラブルの軽度のものをネコブルと言う。出典:若竹七海他「マレー半島すちゃらか紀行」(新潮社)

☆☆☆ニ度目のバガン入りをした私は、到着二日目にタクシーをチャーターして日帰りでメイッティーラへ観光に出かけた。
メィッティーラを訪れるのは初めてである。この街の観光スポットは比較的集中していて、訪れやすかった。☆☆☆

【旅のスケジュール】
バンコク
 ↓
ヤンゴン
 ↓
チャイティーヨー(*日帰り)
 ↓
ヤンゴン
 ↓
モウラミャイン
 ↓
ヤンゴン
 ↓
ミッチーナー
 ↓
マンダレー
 ↓
バガン(ニャウンウー) ~この旅行記~
 ↓
ヤンゴン
 ↓
ロイコー
 ↓
ヤンゴン
 ↓
バンコク

(2020.03.17暫定版)

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  • ☆☆☆宿泊したゼフリティ・ホテル。☆☆☆<br /><br />【02月29日(土)、バガン2日目。メイッティーラへの日帰り観光。】<br />約束した08時00分の10分前にロビーへ行く。<br />しばらくして今日のドライバー、Mr.アウが現れた。<br /><br />挨拶を交わし07時55分に出発した。<br />往路ではほとんど起きていたが、ごくまれに意識を失うこともあった。<br />10時05分、メイッティーラの市街地に入った。<br />事前予想ではホテルから3時間はかかるものと思っていたが、Mr.アウの運転はとてもスピードが早く、たくさんの車を追い抜き2時間少々で到着してしまった。

    ☆☆☆宿泊したゼフリティ・ホテル。☆☆☆

    【02月29日(土)、バガン2日目。メイッティーラへの日帰り観光。】
    約束した08時00分の10分前にロビーへ行く。
    しばらくして今日のドライバー、Mr.アウが現れた。

    挨拶を交わし07時55分に出発した。
    往路ではほとんど起きていたが、ごくまれに意識を失うこともあった。
    10時05分、メイッティーラの市街地に入った。
    事前予想ではホテルから3時間はかかるものと思っていたが、Mr.アウの運転はとてもスピードが早く、たくさんの車を追い抜き2時間少々で到着してしまった。

  • ☆☆☆パヤー中心部の建物。☆☆☆<br /><br />10時15分、最初のスポット、ナガーヨン・パヤーNagayon Pagodaに到着した。<br />日本人の戦没者慰霊碑があるとのことである。Mr.アウに導かれて本堂の中へ入っていく。

    ☆☆☆パヤー中心部の建物。☆☆☆

    10時15分、最初のスポット、ナガーヨン・パヤーNagayon Pagodaに到着した。
    日本人の戦没者慰霊碑があるとのことである。Mr.アウに導かれて本堂の中へ入っていく。

  • 本堂の中には様々な仏様が祀られていた。人は少なかった。

    本堂の中には様々な仏様が祀られていた。人は少なかった。

  • 本堂の中は至極普通のパヤー(寺)であった。<br /><br />日本人の戦没者慰霊碑を時間をかけて探してみたが、見つからない。<br />パヤーの中心の建物の正面右手のところに立っているのは、1995.11.06付けのパヤーの落成記念碑である。一部は日本語で書かれている。

    本堂の中は至極普通のパヤー(寺)であった。

    日本人の戦没者慰霊碑を時間をかけて探してみたが、見つからない。
    パヤーの中心の建物の正面右手のところに立っているのは、1995.11.06付けのパヤーの落成記念碑である。一部は日本語で書かれている。

  • Mr.アウが他のミャンマー人に聞いてくれて、パヤーの右手奥にある場所へ案内された。

    Mr.アウが他のミャンマー人に聞いてくれて、パヤーの右手奥にある場所へ案内された。

  • 旧日本軍が使用していた《九七式軽装甲車》の残骸が「地球の歩き方」に書かれている通りにひっそりと置かれている。

    旧日本軍が使用していた《九七式軽装甲車》の残骸が「地球の歩き方」に書かれている通りにひっそりと置かれている。

  • もうほとんど鉄屑となりかけているが、戦争の残滓がこんなところに残っている。

    もうほとんど鉄屑となりかけているが、戦争の残滓がこんなところに残っている。

  • 日本の援助で設置されたという浄水器は今も現役で、地元の人が水を汲みに来ていた。<br />何だかホッとする光景である。

    日本の援助で設置されたという浄水器は今も現役で、地元の人が水を汲みに来ていた。
    何だかホッとする光景である。

  • 10時45分、次のスポット、シュエ・チャウン(僧院)Shwe Kyaungに到着した。<br />車から降りたのがすでに僧院の中で、車を降りる時からサンダルを脱がなければいけなかった。ちょっとびっくりした。

    10時45分、次のスポット、シュエ・チャウン(僧院)Shwe Kyaungに到着した。
    車から降りたのがすでに僧院の中で、車を降りる時からサンダルを脱がなければいけなかった。ちょっとびっくりした。

  • 車を降りて真っ先に目についたのはこの写真の建物の軒下に掲げられた日本語の看板であった。

    車を降りて真っ先に目についたのはこの写真の建物の軒下に掲げられた日本語の看板であった。

  • 建物の壁にもこのようなプレートがはめられていた。<br /> 後でネットで調べると、ビルマ戦線で戦った旧日本兵の一人がこの僧院を訪れた際の詳細な記録が見つかった。<br />詳しい解説はそれらに譲ることにして、私がこの日に見たこと感じたことを中心にこの記録を書いておきたいと思う。

    建物の壁にもこのようなプレートがはめられていた。
    後でネットで調べると、ビルマ戦線で戦った旧日本兵の一人がこの僧院を訪れた際の詳細な記録が見つかった。
    詳しい解説はそれらに譲ることにして、私がこの日に見たこと感じたことを中心にこの記録を書いておきたいと思う。

  • この建物の奥の片隅に旧日本軍が使用したものと思われる野戦砲の一部が置かれていた。Mr.アウがそれを指さして私に教えてくれた。<br /><br />ビルマ戦線に関しては、後にネットで検索すると次のような解説が散見された。<br /><br />『太平洋戦争の激戦地であるビルマの中で、バガンでは大きな戦闘は起きていません。ただ車で3時間程の距離にあるメイッティーラ(メイクテーラ)はインパールからの後退途中に激戦となり、多くの死者を出しました。』<br /><br />『1945年3月、日本軍の拠点の一つだったメイッティーラ(旧メイクテーラ)を巡って、激しい攻防戦が繰り広げられている。』<br /><br />『インパール作戦を始め、ビルマで命を落とした日本軍将兵の数は16万人におよぶ。』<br /><br />最後の16万人という数字は、不謹慎な例えかもしれないが大戦末期の沖縄戦における沖縄県民の死者行方不明者の総数が12万人を超えるという事実と比べると、相当な数であると考えられる。

    この建物の奥の片隅に旧日本軍が使用したものと思われる野戦砲の一部が置かれていた。Mr.アウがそれを指さして私に教えてくれた。

    ビルマ戦線に関しては、後にネットで検索すると次のような解説が散見された。

    『太平洋戦争の激戦地であるビルマの中で、バガンでは大きな戦闘は起きていません。ただ車で3時間程の距離にあるメイッティーラ(メイクテーラ)はインパールからの後退途中に激戦となり、多くの死者を出しました。』

    『1945年3月、日本軍の拠点の一つだったメイッティーラ(旧メイクテーラ)を巡って、激しい攻防戦が繰り広げられている。』

    『インパール作戦を始め、ビルマで命を落とした日本軍将兵の数は16万人におよぶ。』

    最後の16万人という数字は、不謹慎な例えかもしれないが大戦末期の沖縄戦における沖縄県民の死者行方不明者の総数が12万人を超えるという事実と比べると、相当な数であると考えられる。

  • 最初に入った建物の反対側に立っている仏塔。日本人戦没者の遺族が建てたものである。

    最初に入った建物の反対側に立っている仏塔。日本人戦没者の遺族が建てたものである。

  • 仏塔にカタカナで記された「ロンゼリー」という言葉の意味をMr.アウに尋ねると、正しくはランゼリーで、「リメンバー(記憶する)」という意味とのことである。<br /><br />具体的なことはわからなかったが、メイッティーラ攻防戦の激戦地の跡にこの僧院が建てられたのであろうか。<br />地面を掘り返せば今も旧日本兵の遺骨などが見つかるのではないかと思いながら、この後僧院の中をさらに奥へと進んでいった。

    仏塔にカタカナで記された「ロンゼリー」という言葉の意味をMr.アウに尋ねると、正しくはランゼリーで、「リメンバー(記憶する)」という意味とのことである。

    具体的なことはわからなかったが、メイッティーラ攻防戦の激戦地の跡にこの僧院が建てられたのであろうか。
    地面を掘り返せば今も旧日本兵の遺骨などが見つかるのではないかと思いながら、この後僧院の中をさらに奥へと進んでいった。

  • Mr.アウがお坊さんたちに尋ねてくれて、僧院の敷地内のずっと奥の池の先へ屋根のついた渡り廊下を歩いて行った。<br />さらにその奥にある旧日本兵慰霊塔に案内してくれた。

    Mr.アウがお坊さんたちに尋ねてくれて、僧院の敷地内のずっと奥の池の先へ屋根のついた渡り廊下を歩いて行った。
    さらにその奥にある旧日本兵慰霊塔に案内してくれた。

  • ☆☆☆僧院の隅にひっそりと建つ旧日本兵の慰霊塔。☆☆☆<br /><br />このとき、一人の若いお坊さんが慰霊塔の近くにいた。お坊さんは、Mr.アウが事情を説明すると慰霊塔を建てた時に訪ねてきた日本人遺族の家族の写真や貴重な資料を持ってきて私たちに見せてくれた。<br /><br />この僧院を11時18分に出発した。

    ☆☆☆僧院の隅にひっそりと建つ旧日本兵の慰霊塔。☆☆☆

    このとき、一人の若いお坊さんが慰霊塔の近くにいた。お坊さんは、Mr.アウが事情を説明すると慰霊塔を建てた時に訪ねてきた日本人遺族の家族の写真や貴重な資料を持ってきて私たちに見せてくれた。

    この僧院を11時18分に出発した。

  • 11時25分、三番目のスポット、ファウンドーウー・パヤーPhaung Daw Oo Pagodaに到着した。

    11時25分、三番目のスポット、ファウンドーウー・パヤーPhaung Daw Oo Pagodaに到着した。

  • このパヤーの入口。

    このパヤーの入口。

  • ☆☆☆建物の中。☆☆☆<br /><br />日本語ガイドブックにも写真が載っている、カラウェイの形をした目立つパヤーである。<br />今日訪れたスポットの中では、内容的に一番中身がなかった。

    ☆☆☆建物の中。☆☆☆

    日本語ガイドブックにも写真が載っている、カラウェイの形をした目立つパヤーである。
    今日訪れたスポットの中では、内容的に一番中身がなかった。

  • ネットではアヒルのパゴダと書かれたりしている。お祭りなどイベントの時にはそれなりに見ごたえがあるのであろうか。

    ネットではアヒルのパゴダと書かれたりしている。お祭りなどイベントの時にはそれなりに見ごたえがあるのであろうか。

  • Mr.アウに対岸へ行ってファウンドーウー・パヤーの写真を撮りたいと言ったら、すぐに連れて行ってくれた。<br />もう一箇所訪問を予定している小さなパヤーの入り口がすぐ近くにあったので、Mr.アウには車で待機していてもらい、私だけで向かった。<br /><br />工事のための仮の足場のようなものが組まれていて、湖上に突き出したこの小さなパヤーに行くのはちょっと怖かった。<br />何とかたどり着けたが、大して見るべきものはなかった。

    Mr.アウに対岸へ行ってファウンドーウー・パヤーの写真を撮りたいと言ったら、すぐに連れて行ってくれた。
    もう一箇所訪問を予定している小さなパヤーの入り口がすぐ近くにあったので、Mr.アウには車で待機していてもらい、私だけで向かった。

    工事のための仮の足場のようなものが組まれていて、湖上に突き出したこの小さなパヤーに行くのはちょっと怖かった。
    何とかたどり着けたが、大して見るべきものはなかった。

  • 車が停まっている場所へ戻り、Mr.アウに合図をして近くにある食堂で昼食を取ることにした。<br />入ったのは橋の袂にある地元の人向けの食堂。おそらく外国人などは滅多に来ないのであろう。<br />身振り手振りを交えて何とか麺料理を注文し、冷えた缶コーラを飲む。

    車が停まっている場所へ戻り、Mr.アウに合図をして近くにある食堂で昼食を取ることにした。
    入ったのは橋の袂にある地元の人向けの食堂。おそらく外国人などは滅多に来ないのであろう。
    身振り手振りを交えて何とか麺料理を注文し、冷えた缶コーラを飲む。

  • 店の中にいた猫。おそらく食べ物のお裾分けを欲しいのであろう。秋波を送ってくる。

    店の中にいた猫。おそらく食べ物のお裾分けを欲しいのであろう。秋波を送ってくる。

  • 出てきたのは、日本のうどんのような太さの米麺の汁無し麺である。<br />麺は卵の黄身にまぶされ、そんなに辛くない味付けがされていた。<br />汁なしのうどんに近い麺料理は、ミャンマーに来て初めて食べる。<br />付け合わせのスープが結構美味しくて、一緒に食べるのにピッタリだった。<br />昼食代はコーラとうどんで計1,000チャット(約74円)だった。

    出てきたのは、日本のうどんのような太さの米麺の汁無し麺である。
    麺は卵の黄身にまぶされ、そんなに辛くない味付けがされていた。
    汁なしのうどんに近い麺料理は、ミャンマーに来て初めて食べる。
    付け合わせのスープが結構美味しくて、一緒に食べるのにピッタリだった。
    昼食代はコーラとうどんで計1,000チャット(約74円)だった。

  • 最後は、これも湖畔にあるダンマトゥーカシュエズィゴン・パヤーDhamma Thukha Shwezigon Pagodaへ行った。12時18分に到着した。

    最後は、これも湖畔にあるダンマトゥーカシュエズィゴン・パヤーDhamma Thukha Shwezigon Pagodaへ行った。12時18分に到着した。

  • ここは期待外れであった。金ピカの仏塔の周りに建物は皆無で閑散としている。<br />門前の屋台もごくごく少なかった。人があまり来ていないことの表れであろうか。<br />車を降りる時に小さな魚が入ったビニール袋を持って来て売りつけようとする母子がいた。<br />魚を湖に逃がしてやる功徳のためのものであろうか。もちろん買わなかった。

    ここは期待外れであった。金ピカの仏塔の周りに建物は皆無で閑散としている。
    門前の屋台もごくごく少なかった。人があまり来ていないことの表れであろうか。
    車を降りる時に小さな魚が入ったビニール袋を持って来て売りつけようとする母子がいた。
    魚を湖に逃がしてやる功徳のためのものであろうか。もちろん買わなかった。

  • ☆☆☆ダンマトゥーカシュエズィゴン・パヤーからの眺め。☆☆☆<br /><br />昨日の私の計算では、14時00分までこの街で観光をするつもりであったが、早くも終わってしまった。<br />最後のパヤーを12時40分に出発し、往路と同じ経路で戻った。<br />車の中で半分以上意識を失っていた。

    ☆☆☆ダンマトゥーカシュエズィゴン・パヤーからの眺め。☆☆☆

    昨日の私の計算では、14時00分までこの街で観光をするつもりであったが、早くも終わってしまった。
    最後のパヤーを12時40分に出発し、往路と同じ経路で戻った。
    車の中で半分以上意識を失っていた。

  • ☆☆☆車窓からティンタウン・パヤーが見えた。☆☆☆<br /><br />ニャウンウーが近づいて来たとき、進行方向左手に岩山が見え、そのてっぺんにパヤーが建っている。<br />Mr.アウからそこへ寄って行かないかとの提案があり、二つ返事で受けることにした。<br />

    ☆☆☆車窓からティンタウン・パヤーが見えた。☆☆☆

    ニャウンウーが近づいて来たとき、進行方向左手に岩山が見え、そのてっぺんにパヤーが建っている。
    Mr.アウからそこへ寄って行かないかとの提案があり、二つ返事で受けることにした。

  • ☆☆☆このパヤーの駐車場から入り口へ向かう途中、店屋が多く出ていて人で賑わっていた。参拝者が多いことを物語っているようだ。☆☆☆<br /><br />ティンタウン・パヤーTuyin Taung Pagodaという。<br />車でほぼ頂上の直下まで上がることが出来た。

    ☆☆☆このパヤーの駐車場から入り口へ向かう途中、店屋が多く出ていて人で賑わっていた。参拝者が多いことを物語っているようだ。☆☆☆

    ティンタウン・パヤーTuyin Taung Pagodaという。
    車でほぼ頂上の直下まで上がることが出来た。

  • Mr.アウに導かれて上がっていくと、バガンの眺望が開けている。<br />山頂に建つ仏塔もとても美しかった。こんなに展望の良いスポットがあるとは驚きである。<br /><br />私の記憶ではネットのバガン旅行記では見たことがないので、地元の人のみが知る穴場スポットなのであろうか。

    Mr.アウに導かれて上がっていくと、バガンの眺望が開けている。
    山頂に建つ仏塔もとても美しかった。こんなに展望の良いスポットがあるとは驚きである。

    私の記憶ではネットのバガン旅行記では見たことがないので、地元の人のみが知る穴場スポットなのであろうか。

  • このパヤーはニャウンウー方面へ突き出した山筋の一番手前にある。<br />反対側の山筋の様子もよく見えた。

    このパヤーはニャウンウー方面へ突き出した山筋の一番手前にある。
    反対側の山筋の様子もよく見えた。

  • 昨年8月バガンに滞在した時、5ドルの入場料を払ってバガン・ビューイング・タワーに登ってみたが、最上部から見える範囲はそんなに広くなかった。<br /><br />ここからは、個々の遺跡の形ははっきりしないものの、かなり広い範囲を見渡すことが出来る。

    昨年8月バガンに滞在した時、5ドルの入場料を払ってバガン・ビューイング・タワーに登ってみたが、最上部から見える範囲はそんなに広くなかった。

    ここからは、個々の遺跡の形ははっきりしないものの、かなり広い範囲を見渡すことが出来る。

  • ☆☆☆山頂の手前。右側に歩きやすい屋根付きの通路があった。☆☆☆<br /><br />15時20分、ホテルに到着。<br />車を降りるときMr.アウに礼を言い、今日の代金100USDを支払った。<br />【メイッティーラ訪問記、了。】

    ☆☆☆山頂の手前。右側に歩きやすい屋根付きの通路があった。☆☆☆

    15時20分、ホテルに到着。
    車を降りるときMr.アウに礼を言い、今日の代金100USDを支払った。
    【メイッティーラ訪問記、了。】

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