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9.11…「2001年9月11日」と聞いて「はっ」とする人は、今でも多いと思う。<br />僕も、その一人である。<br /><br />20代から30代にかけて、毎年のように行き続けてきたオーストラリア、2001年は、職場の後輩を誘って、アデレードに行く計画を進めていた。<br />海外デビューをする後輩と飛行機やホテルのチケットを買いに行ったり(当時はまだ、オーストラリアは電子ビザのE-TASを未導入)、オーストラリア大使館に二人でビザを取りに行ったりと順調に旅の準備を進め、出発まで1週間となった9月11日のことだった。<br />上司の食事の誘いに付き合ってから、夜の9時か10時頃か、自宅に戻り、テレビのスイッチを入れると、画面は、ど真ん中にポッカリ穴が開いて煙が上がっている高層ビルをずっと映し出した。<br />「何、これ?」…ハトが豆鉄砲を喰らったかの様な状態が続いたが、しばらくして、どんな事態なのか、分かる瞬間が来た。<br />2つ並んだ高層ビルのもう一方にも旅客機が突っ込んで、大爆発を起こしたのだ。<br />僕は、戦慄を覚えた。「これは、テロじゃないか!」<br /><br />このニューヨークの世界貿易センタービルへの旅客機の突入後も、アメリカ国防総省の無残な姿、そして映画にもなったビッツバーグ近郊でのユナイテッド機の墜落と、「とめどない」と感じさせる勢いで次々とニュースが入ってきて、段々と暗澹たる気持ちになり、1週間後にアデレードに行こうか行くまいか、寝ながら考え、翌朝を迎えた。<br /><br />翌日、職場で、後輩と話し合った。<br />後輩も僕も、行くことについては前向きだったが、「改めてお互いに、身内や職場に承諾をもらうようにし、一人でも反対する人がいたら、今回は中止しよう」と約束した。<br /><br />幸い、お互いの身内からOKをもらえ、前の晩に同席した職場の上司からも、2つ3つ条件がついたものの、同じくOKをもらえたので、成田から香港を経由し、アデレードに向かった。<br /><br />アデレードでは、バロッサ・バレーへのドライブ、グレネルグ・ビーチ、南オーストラリア博物館、セントラル・マーケットなどで、いつもと変わらないオーストラリアを満喫し、後輩も、こんな時期での生涯初の渡航に多少の不安を感じていたみたいではあったが、初めての日本の外の世界を楽しんでくれたみたいだった。<br /><br />何のトラブルも無く帰国した後、「アメリカで起きたテロは、オーストラリアへの影響はそんなでも無かったのかな?」と考えたりもしていたが…バリ島でオーストラリア人を標的にしたテロが発生したとき、もはや他人事ではないことを思い知らされた。<br /><br />歴史は、教科書の中だけの出来事でもなければ、「対岸の火事」でも無い…自分も歴史の中で生きていることを、イヤでも勉強させられた2001年だった。

Australia 11th (Adelaide) Living in history [ARCHIVES]

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2001/09/18 - 2001/09/24

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yeppoon_lover

yeppoon_loverさん

9.11…「2001年9月11日」と聞いて「はっ」とする人は、今でも多いと思う。
僕も、その一人である。

20代から30代にかけて、毎年のように行き続けてきたオーストラリア、2001年は、職場の後輩を誘って、アデレードに行く計画を進めていた。
海外デビューをする後輩と飛行機やホテルのチケットを買いに行ったり(当時はまだ、オーストラリアは電子ビザのE-TASを未導入)、オーストラリア大使館に二人でビザを取りに行ったりと順調に旅の準備を進め、出発まで1週間となった9月11日のことだった。
上司の食事の誘いに付き合ってから、夜の9時か10時頃か、自宅に戻り、テレビのスイッチを入れると、画面は、ど真ん中にポッカリ穴が開いて煙が上がっている高層ビルをずっと映し出した。
「何、これ?」…ハトが豆鉄砲を喰らったかの様な状態が続いたが、しばらくして、どんな事態なのか、分かる瞬間が来た。
2つ並んだ高層ビルのもう一方にも旅客機が突っ込んで、大爆発を起こしたのだ。
僕は、戦慄を覚えた。「これは、テロじゃないか!」

このニューヨークの世界貿易センタービルへの旅客機の突入後も、アメリカ国防総省の無残な姿、そして映画にもなったビッツバーグ近郊でのユナイテッド機の墜落と、「とめどない」と感じさせる勢いで次々とニュースが入ってきて、段々と暗澹たる気持ちになり、1週間後にアデレードに行こうか行くまいか、寝ながら考え、翌朝を迎えた。

翌日、職場で、後輩と話し合った。
後輩も僕も、行くことについては前向きだったが、「改めてお互いに、身内や職場に承諾をもらうようにし、一人でも反対する人がいたら、今回は中止しよう」と約束した。

幸い、お互いの身内からOKをもらえ、前の晩に同席した職場の上司からも、2つ3つ条件がついたものの、同じくOKをもらえたので、成田から香港を経由し、アデレードに向かった。

アデレードでは、バロッサ・バレーへのドライブ、グレネルグ・ビーチ、南オーストラリア博物館、セントラル・マーケットなどで、いつもと変わらないオーストラリアを満喫し、後輩も、こんな時期での生涯初の渡航に多少の不安を感じていたみたいではあったが、初めての日本の外の世界を楽しんでくれたみたいだった。

何のトラブルも無く帰国した後、「アメリカで起きたテロは、オーストラリアへの影響はそんなでも無かったのかな?」と考えたりもしていたが…バリ島でオーストラリア人を標的にしたテロが発生したとき、もはや他人事ではないことを思い知らされた。

歴史は、教科書の中だけの出来事でもなければ、「対岸の火事」でも無い…自分も歴史の中で生きていることを、イヤでも勉強させられた2001年だった。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
友人
交通手段
鉄道 レンタカー 徒歩 飛行機
航空会社
キャセイパシフィック航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • アデレード近郊のワイナリーの町、バロッサ・バレーで。

    アデレード近郊のワイナリーの町、バロッサ・バレーで。

    バロッサ 博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • &quot;Seppelts Field&quot;と言うワイナリーを見学。<br />ブドウが発酵した香りが、そこかしこで。<br />試飲して気に入ったワインをお土産にして帰ったら、妹一人に空にされてしまった。しかも、3本、全て。

    "Seppelts Field"と言うワイナリーを見学。
    ブドウが発酵した香りが、そこかしこで。
    試飲して気に入ったワインをお土産にして帰ったら、妹一人に空にされてしまった。しかも、3本、全て。

  • バロッサ・バレーからアデレード市内に戻る途中で。<br />オーストラリアに来たからには、ヨーロッパの流れを汲む町並みだけで無く、この広大な景色を、後輩に味わってもらいたくて、車を停めた。<br />伝わったかな?<br />

    バロッサ・バレーからアデレード市内に戻る途中で。
    オーストラリアに来たからには、ヨーロッパの流れを汲む町並みだけで無く、この広大な景色を、後輩に味わってもらいたくて、車を停めた。
    伝わったかな?

  • アデレードでお世話になった、サビル・パーク・スイーツ(Saville Parks Suites Adelaide)と言うホテル。<br />この外観が、とてもお気に入り。

    アデレードでお世話になった、サビル・パーク・スイーツ(Saville Parks Suites Adelaide)と言うホテル。
    この外観が、とてもお気に入り。

  • アデレードの台所、セントラル・マーケット。<br />お化けのような大きさの野菜に、後輩が目を丸くしていた。

    アデレードの台所、セントラル・マーケット。
    お化けのような大きさの野菜に、後輩が目を丸くしていた。

    セントラル・マーケット 市場

  • アデレード市内から、グレネルグ(Glenelg)と言うビーチがある町に向かって走るトラム。

    アデレード市内から、グレネルグ(Glenelg)と言うビーチがある町に向かって走るトラム。

  • トラムは、ビーチの目の前が終点。

    トラムは、ビーチの目の前が終点。

    グレネルグ 散歩・街歩き

  • グレネルグ・ビーチで一休み。

    グレネルグ・ビーチで一休み。

    グレネルグ 散歩・街歩き

  • 南オーストラリア博物館、アボリジニに関連するものや、恐竜の骨、絶滅してしまった動物の剥製など、かなり充実した内容で、見応えがあった。<br /><br />囚人による歴史を持つ町が多いオーストラリアにあって、アデレードはドイツからの移民によって発展した町で、アデレードの人たちは、そのことに誇りを持つらしい。<br />それを聞いた上で来たからか、アデレードの町には、どことなく威厳を感じた。

    南オーストラリア博物館、アボリジニに関連するものや、恐竜の骨、絶滅してしまった動物の剥製など、かなり充実した内容で、見応えがあった。

    囚人による歴史を持つ町が多いオーストラリアにあって、アデレードはドイツからの移民によって発展した町で、アデレードの人たちは、そのことに誇りを持つらしい。
    それを聞いた上で来たからか、アデレードの町には、どことなく威厳を感じた。

    南オーストラリア博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • アデレードから日本に戻る途中、キャセイのストップオーバーキャンペーンを利用して、香港でお得に寄り道した。<br />この写真のプールでまったりしている最中、僕の方をチラチラと見て、話しかけてほしそうにしている女の子がいたのだが…僕にも度胸が無くて、結局、話しかけずじまいに…帰国後、大変、後悔した。<br />甘酸っぱい思い出である。

    アデレードから日本に戻る途中、キャセイのストップオーバーキャンペーンを利用して、香港でお得に寄り道した。
    この写真のプールでまったりしている最中、僕の方をチラチラと見て、話しかけてほしそうにしている女の子がいたのだが…僕にも度胸が無くて、結局、話しかけずじまいに…帰国後、大変、後悔した。
    甘酸っぱい思い出である。

    リーガル ホンコン ホテル ホテル

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この旅行記へのコメント (2)

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  • Tagucyanさん 2019/11/10 23:32:49
    私も同じ経験をしました
    yeppoon_loverさま

    9.11の衝撃、私もつい先日のように覚えています。
    実は私も、その10日後の9月20日に南米ペルーとボリビアに出かけることにしていて、その10日前にあんなことが起きてしまい、ドタバタしましたが結局予定通り出かけたという同じ経験をしています(しかもまだ混乱していたアメリカ経由で)。

    もっと言うと、そのちょうど1年前、2000年の9月中旬にはニューヨークを訪れていて、あの貿易センタービルの展望台にも登っていたので、「あのときあのビルで働いていた人たちは・・・」と思うと複雑な気持ちになったものです。

    ああいうことが重なると、その旅の印象というのも強く残るものですよね。

    ---
    Tagucyan

    yeppoon_lover

    yeppoon_loverさん からの返信 2019/11/11 00:00:48
    Re: 私も同じ経験をしました
    Tagucyanさん

    こんばんは。早速のコメントをありがとうございます。
    アメリカ経由でのフライト、現地までたどり着いたことに、驚きます。

    このアデレード滞在の帰路に、香港でストップオーバーをしたのですが、そのときの香港の空港内では、機関銃を携えた兵隊さんがいて、このときに、冒頭で書いた「歴史の中で生きている」を体感し、大げさに言えば、今までの価値観が変わりました。

    後輩の手荷物がセキュリティチェックで引っかかり、オーストラリア土産で買ったブーメランのせいだと分かったときは、笑ってしまいましたが…
    (成田到着まで、没収でした)

    yeppoon_lover

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