2019/10/27 - 2019/10/27
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PHOPHOCHANGさん
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10月12日から27日までの連続した3日間が有効期間となる秋の乗り放題パスで、体育の日の3連休にツレと息子に会いに大阪へ行くのを楽しみにしていましたが、台風19号の暴風雨のせいで断念せざるを得なくなり、急遽その代替え案としてツレを引っ張り出しての1泊旅となりました(息子には嫁が居るけど、ツレは独身なのでワガママ言えますw)。
ツレは(宿泊地の)近江八幡で日牟礼(名前は知らず)神社に行きたいと言いましたが、PHOは計画を立てた時点から安土城に行くよ!って宣言してたので、安土でも神社に立ち寄るって事で納得してもらいました。
朝アラームもかけず、チェックアウトの時間近くまでゆっくりしたので(予定通りでは有ります)、PHOの乗継ぎ開始まで安土で使える時間は3時間半だけなのです。
それにしても安土観光にはお金かかりましたね、入場料やら何やら何処も料金設定が高くて驚きました。
東京からの往復の交通費を7850円で済ませてるPHOにしてみれば、レンタサイクルを3時間借りて、安土城跡とその中の総見寺拝観、信長の館に入館して、隣接する公益法人の食堂でセルフの牛丼を食べて4070円はちょっとね。家族で来てたら、ホンの数時間でとんでもない出費です。
とは言え、安土城の天主跡からの景色を眺めると、信長の心持の一端が感じられるような気がしました。
但し、写真は危うく石段写真集となってしまいそうになりました(載せたのよりもまだまだ在りますw)
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ロビーで24時間いつでも自由に飲める左がコーヒー、右が栄養機能食品のオランカ「サプリメントドリンク」。イチゴやブドウ、モモなど果物嫌い(パイナップルは大人になってから食べられるようになりました)のPHOですが、これは果汁でも癖も無く美味しかったです
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JR安土駅前の織田信長像。
左手に太刀、右手に扇を持った姿ですが、何となくバランス悪いと言うか、カッコ良さが感じられないんですけど(上半身に比べて下半身が短いように思えてなりません)。
安土駅では、まず観光案内所に立ち寄り、3時間余りの間に安土城と何処をどう周れば良いかを尋ねたところ、レンタサイクルを勧められました -
駅前に2軒の貸自転車店が在り、お爺ちゃんお婆ちゃんがやってるこちらのお店で電動チャリを借りる事にしました。
何と3時間で1200円もします。とは言え、安土城まで歩くと25分もかかるし、信長の館も逆方向に徒歩25分です。タクシーも止む無しと思っていただけに、或る程度の出費は覚悟していましたが、かなり強気の料金設定ですよね(近江八幡駅前の観光協会隣に在る駅リンくんでは1日500円なんですけど)。
お爺ちゃんに3時間は過ぎちゃうけど、延長料金無しにしてもらえるよう交渉して、ツレとサイクリング♪ -
活津彦根神社。
社伝によると、御祭神は活津日子根神(天照大神の第四御子神)で、創建は不明ですが古より豊浦庄の産土神として尊崇されています。この豊浦庄は桓武天皇が奈良薬師寺に寄進された土地ですが、後に延暦寺・日吉社の勢力下に入りました。
織田信長は安土城を築くにあたり参詣寄進していますし、彦根城主の井伊直孝も彦根神を尊崇し、自分の城に彦根の名を付けました -
ツレは御朱印をもらおうとしたのですが、境内は無人で、社務所らしきモノも見当たりませんでした。立派なのにね
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建立は寛永3(1626)年。棟札と様式、手法が一致する事から、江戸時代前期の寛永3年であると認められています。平成4(1992)年に桧皮葺から銅板葺に改められました。
滋賀県下に中世からの遺構が多い前室付三間社流造の伝統的な本殿として、建築の質も高く、また年代が判明した江戸時代前期の本殿として価値の高いものです -
安土城にやって来ました。
安土城は天正4(1576)年1月17日、織田信長公が天下統一を目指して、重臣の丹羽長秀を総普請奉行に据え、現在の安土山に築城させた平城です。建造当時は地形的に郭が琵琶湖に接していたようです。地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32m、それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されています。
この城を築城した目的は、岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に位置していた事から、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」或いは「上杉謙信への警戒のため」などと推察されています。城郭の規模、容姿は天下布武(信長の天下統一事業)を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされています。
にしても、途中何処も道が狭くて判り難かったです。四つ角は在っても信号の在る交差点はほとんど無いし、道案内表示も出されていないので、観光地的雰囲気は有りません -
安土城の南口は石塁と呼ばれる石垣を用いた防塁で遮っています。この石塁が設けられた部分は東西110mも在り、その間に4ヶ所の出入口が設けられています。普通お城の入口って大手門1ヶ所だけですよね。
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大手道跡。
城内の道というものは敵の侵入を阻むためになるべく細く曲がりくねって作られますが、安土城は大手門からの道が幅6mと広く、約180mも直線が続いています。それって軍事拠点としての機能より、政治的な機能を優先させて作られたものだからのようです -
織田信長公。
総見寺は安土城築城に伴い、織田信長により城郭内に建立された臨済宗妙心寺派の寺院です。 嘉永7年に二王門と三重塔以外は消失してしまい、現在は仮本堂が安土城跡の徳川家康邸跡と伝えられる場所に在ります。なので総見寺に拝観するには まず安土城跡に入る必要が有ります(入場料と別途500円;お抹茶付き)。日祝日、雨天でない場合のみ拝観可能です
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襖絵「安土八景」
総見寺の執事も勤めていた山本燈舟(昭和3年~)による襖絵です。安土の四季折々の姿を水墨画で描いたものです -
本堂の須弥壇中央には、ご本尊十一面觀世音菩薩立像が安置されています。室町時代の一本造りの仏像です。
向かって左側には信長公の尊像。江戸時代初期の作と見られます。右手に笏を持ち冠を被り、黒衣の束帯を纏っています(見えてないですが)。信長公の戒名は「総見院殿贈大相国一品泰巌大居士」と言います。
向かって右の開山坐像は円鑑禅師(剛可正仲)。織田一族の織田信安の三男でした。開山以来5代にわたって織田家の末裔が住職となり信長公の菩提を祀ってきました。この開山坐像は寛政8年に当時住職の天領宗篤が企画して造ったものと言われています -
サンダルが置かれていたので庭に出てみました
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こちらでお茶をいただきますが、これから見て廻るので、ゆっくりは出来ません
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呈茶。
住職手作りのお菓子と2種類のお茶が楽しめます -
天守閣跡より出土した金箔瓦
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大手門通りに戻って階段を上ります
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豊臣秀吉邸跡
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大手道跡には、いくつかの石仏が見受けられます。これらの石仏は、築城の際に大手道の石材として使われたもので、城普請に使用する多くの石材は近郊の山々から採取されましたが、石仏や墓石なども含まれていました。
出土した石仏等は、本来は信仰対象となっていたものですが、築城の経緯を示すために発見当時の状態で保存してあります -
段差の大きいところにはブロックが置かれていました。
受付に置かれていた杖が役立ってます -
こんな狭いところも
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また広くなって
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他の山城と比べて規模が大きいと思いました。
最初の休憩スペース(椅子とテーブルが在る)まで頑張れば、後は楽でした♪杖は必需品です -
黒金門跡。
安土城中枢部への入口である黒金門は、ここまでの石垣に比べ、特に大きな石を使って組まれています。
この黒金門も天主と共に火災に遭った事が判っており、発掘で見つかった焼けた瓦の中には、菊紋・桐紋などの金箔瓦も含まれていました -
仏足石。
大手道跡に見つかった石仏と同様、二の丸跡付近から発掘されました。これもおそらく築城の際に石垣の一部として使われたものと思われます。
仏足石とは本来お釈迦様の足跡を表現した物で、古代インドでは仏像に先立ち崇拝の対象にされていました。日本では奈良の薬師寺のものが現存する最古(奈良時代、国宝)のものとして有名ですが、この仏足石は中世の数少ない遺物として大変貴重なものです -
二の丸跡
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信長公本廟。
天守跡西下の伝二の丸跡に信長公の本廟が在ります。重臣・羽柴秀吉は天正十一年
一月三法師に年賀を表すべく登城し、翌2月、信長公ゆかりの安土城二の丸跡に太刀、烏帽子、直垂などの遺愛品を埋葬して本廟としました。
そして6月2日の一周忌には、織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行ないました。
これにならって、現在でも毎年6月2日には信長忌として、総見寺(仮本堂;今さっき見て来たところ)にて法要を行なっています -
ご存知の通り、信長公は本能寺の変で自刃したとされますが、その遺体は見つからなかったというのは有名な話です。
そのため、全国各地に信長公を供養する墓は多く存在しています。高野山でも見ましたし。
ですが、安土城跡に在る事に意味が有るようにも思えたりします -
本丸御殿跡。
「信長公記」によれば天皇を招き入れる「御幸の間」が在ったと記載されています。
その後の調査で慶長年間に改修された京都御所内の天皇の住居である清涼殿と酷似した構造になっていた事が判明。更に礎石上の柱痕から、この建物が高床式であった事、周囲に伝三の丸跡や天主取付台と渡り廊下で繋がっていた事などが明らかとなっています。
今は杉木立に覆われた大きな本丸跡を横にして最後の階段を登ると、これこそが、信長が天下布武のために建てさせた、独創的で絢爛豪華な城の中心、天主の在った場所へ♪ -
天主閣跡。
低い石垣に囲まれた東西、南北それぞれ約28mの台地です。今は礎石が1.2mおきに整然と並ぶだけですが、この部分は天主の穴蔵(地階の部分)にあたり、その上に更に大きな天主が聳えていました -
天正十(1582)年6月に焼失して以来、初めて調査の手が入ったのが昭和15(1940)年。何か凄い感慨深いものが有ります。
日本の城郭を象徴する天守の建築は此処から始まったのでした -
城主気分♪
火力発電所が見えます -
琵琶湖や内湖の景色を楽しめます☆この景色って当時とは違うでしょうけど、天下布武って気持ちがちょっと判る気がしました
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近江米は此処で取れるの?
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五層七階(地上6階・地下1階)の天主はイエズス会の宣教師ルイス・フロイスによれば、ヨーロッパにも在るとは思えないほどの壮大さであったと言い、高さ33mの木造高層建築は、当時我が国で初めての物でした。
内部は信長公の御用絵師、狩野永徳の豪壮な障壁画や装飾を配していました。
安土城址から近い「安土城天主 信長の館」には、この天主の5~6階部分を復元されたものが展示されています。これは平成4(1992)年にスペインのセルビア万博へ出展された原寸大のもので、信長が狩野永徳を中心に描かせた障壁画や、金箔10万枚を使用した外壁、金の鯱を載せた屋根など絢爛豪華な様子を目の当たりにする事が出来ます=行ってみます -
本丸御殿跡まで戻って来ました
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織田信雄(信長の次男)公四代供養塔。
彼は長生きしたのです -
安土城の石垣は、花崗岩の石仏等以外は安土山や近くの繖山をはじめ、湖東地方で産出される湖東流紋岩という石を用いています。石垣はほとんど加工せず、自然石を巧みに使って積み上げられています。
平成元年~20年にかけて行なわれた環境整備では、これらの石垣の調査を行ない、築城時の石垣を大切に保存する事を基本にして、安全のために必要な部分だけを当時の工法で復元しているそうです。実際に放置された大石はあちこちに山積みされていました -
帰りは織田信忠(信長の長男;本能寺の変で自刃)邸跡の三叉路を右に折れ、総見寺跡へ向かいます
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此処が一番お城っぽい景色に思えましたが
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総見寺跡。
信長が生前に建立した総見寺は嘉永七(1854)年に主要な建物が焼失してしまいますが、二王門(重要文化財)と三重塔(重要文化財)だけは現存します。
調査によると、創建当初には本堂・拝殿・鎮守社・二王門・三重塔・表門・裏門だけでしたが、豊臣秀頼が建立した書院・庫裏、江戸時代中期以降に建てられた数棟の建物跡が発見されています -
総見寺。
正しくは、こちらの字を当てます -
西の湖が見渡せます。
余談ですが、西の湖は琵琶湖の南岸の近江八幡市に在る湖で、現存する内湖では最も大きいものです。平成18(2006)年11月1日に鳥獣保護区に指定され、同20年10月30日には琵琶湖のラムサール条約湿地登録エリアに追加されました。
西の湖は大中之湖干拓地が造成された際に、水域として残った部分です -
正直、こんなに琵琶湖(実際には西の湖です) が近いとはビックリ。
とは言え、当時はお城は水際に在ったとか -
三重塔。
享徳三(1454)年の建立。総見寺創建時に近江国甲賀郡長寿寺より移築しました。国の重要文化財です -
建久九(604)年、豊臣秀頼が一部修理しているそうです。天正三年9月、突然三層目の屋根と一・二層の軒が崩落したがすぐ修理され、平成二十九年の台風の被害には、平成三十年秋にかけて大屋根をつけて修復が実施されました
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楼門への石段
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二王門(楼門)。
入母屋造本瓦葺きで棟木に元亀二(1571)年7月甲賀武士山中俊好建立とあります。
近江国甲賀郡柏木神社より移築されて来ました。
国の重要文化財となっています -
木造金剛力士立像。
室町時代の作で国の重要文化財です。
金剛力士像の頭部内側に、応仁元(1467)年 因幡院朝作の造像銘が残っており、信長公が天正年間に甲賀から移したものです -
楼門正面。
城内に在るって不思議 -
二王門を通ると百々橋口道に出ます。今は管理上の都合で百々橋口には出られないので、道なりに山裾を大手道方面へ戻って行く事になります。
木立の中を通り過ぎると、突如また眼前に大手道が広がります -
凄い石垣。
豊臣秀吉邸跡の奥に戻って来ました -
こんもりとした森の向こうから出て来たんですね。
安土城を後にして、次は信長の館へ -
近江八幡市(旧安土町)のマンホール。
織田信長が勝運を期して、当時の通貨 “永楽通宝”を刀の鍔に刻印して愛用した「まけずの鍔」にちなんで「刀の鍔」 と「永楽通宝銭」をデザインしたものです -
田んぼの中にいきなり現れる「文芸の郷」。
一見してローマ風(?)の建物が建ち並ぶこの「文芸の郷」は、ヨーロッパ文化交流の国際都市としての安土桃山時代の象徴として誕生しました。
スペイン・セビリア万博の日本館メイン展示物として復元された安土城天主を展示している「信長の館」や、パイプオルガンを備えたバロック調の音楽ホールである「文芸セミナリヨ」、総合体育館としてまた多目的ホールとしてスポーツや文化交流にと幅広く活用出来る「あづちマリエート」、四季折々の味を生かした「文芸の郷レストラン」など、歴史と文化に出会える場所です。
滋賀県立安土城考古博物館も隣接しています(見てる時間無いのが残念) -
安土城考古博物館。
秋季特別展「『動物美術館』開演!」
2019年10月12日(土)~11月24日(日)
人間にとって、常に関心の的であり続ける動物たち。さまざまな造形美術の中に、その姿や仕草が表現されてきました。本展では、「動物埴輪とその仲間」「仏教美術の名脇役集合」「狛犬百変化」「神使出現」「動物画の主役たち」の五部構成で、重要文化財8件、府県指定文化財8件を含む彫刻・絵画など約120件の動物美術が集結します。正統派から異端派まで、カワイイ系に怪獣系など、この秋、あなたも動物美術の魅力に浸ってみませんか?
安土に来てから知ったんです、この催し。
見たかったぁ★
安土城を見れば、後はお昼食べて帰ろうって思ってたので、朝ゆっくりしてしまいましたが、判ってれば朝最低でももう1時間早く出たのになぁ。
ホテルの方に団体客が7~8時に朝食を取って出発するので、それを避けていただく方が良いかとってチェックインの時に教えられて、それじゃあとアラーム無しで寝ちゃったし(普段は無しでも決まった時間に目を覚ますんですけどね) -
文芸セミナリヨ。
クラシック専用ホールです。
イエズス会の宣教師達が信長の許しを得て安土に開校したセミナリヨは、キリスト教の神学校(全寮制)でしたが、同時に西洋文化を伝える窓口でもあり、オルガン等の西洋楽器の演奏による情操教育をはじめとして、最先端の近代教育がなされていました。また、日本で最初に輸入されたオルガンによって西洋の音楽が奏でられ、信長もその音色を聴いたと伝えられています。
「文芸セミナリヨ」は、文化交流の場であったセミナリヨにちなんで名付けられた、音楽を中心に文化的な活動に幅広く利用できるバロックデザインのホールです。
赤いパイプオルガン、見たかったなぁ -
文芸の里レストラン。
12時過ぎたので、先にお昼にする事にしました -
近江牛を使った土日限定の牛丼定食、1070円。
味噌汁はかちどき汁って言うんです。キューブ状の根菜がドッサリ入ってました -
信長ハンバーグ定食、1120円。珍しくツレはこっち。
織田家の家紋「織田木瓜」をイメージした手作りハンバーグです。写真を撮った時には全くその意識が無かったので、真上から撮ってません。鉄板の熱々の感じが良いでしょ -
信長の館。
館内では平成4(1992)年に開催されたスペイン・セビリア万博の日本館のメイン展示となっていた原寸大の安土城天主の最上部5階6階部分が見られます -
これでは有りませんw
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可愛い♪
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「安土城天主 信長の館」では万博終了後に展示されていた天守を安土町が譲り受け、解体移築し新たに追加復元された部分を含め、保存・展示しています
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安土城は天正7(1579)年、織田信長の命により建てられました。世界で最初の木造高層建築といわれ、高さ約46mの壮大で絢爛豪華な様は、ヨーロッパにまで紹介されました。しかし、わずか3年で焼失し、「幻の名城」と呼ばれて来ました。
近年になり、加賀藩のお抱大工に伝わる「天守(主)指図」が発見され、故 愛知産業大学学長 内藤昌氏による遺跡発掘調査、実測調査の結果「安土城」である事 が解明されました。
内藤昌氏の説に基づき、内部の狩野永徳が描いたと言われる金碧障壁画とともに、原寸大に復元されたのです。
安土城は天下布武の象徴であり、天主5階・6階部分は、日本の宗教・思想を統一した「天道思想」を表現したものです。天下統一にかけた信長の強い意志を見る事が出来ます -
赤い5階が正八角形、金色の6階が正方形。
実際に見てた時は、派手さに目を奪われてと言うより、細かい所(細かくない!)まで注意してみておらず、全く違和感を感じませんでした -
5階内部は正八角形の「八角の段」と称し、宇宙を形どってるそうです。柱や天井はすべて朱漆に塗られ、法隆寺夢殿のような建築構成になっています。柱にはのぼり竜、くだり竜の彫刻がほどこされ、地獄より天国へいたる仏教観を示していますす。
内陣には、釈門十大弟子のなかで釈迦が教えを説く様子を描き(釈迦説法図)、外陣(廊下)に面して、地獄における餓鬼畜生(阿鼻地獄図)が金碧極彩色の障壁画で描かれている。 -
外は地獄w
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黒と金って素敵☆
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階上部分を同じ目の高さで見られるのは正面のごく一部だけです
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6階は正方形で、外観は金箔で仕上げられ、内部は黒漆塗りです。「天子南面」する 「四角の段」と言われ、正面の南→西→北→東と一周し天子創世の中国故事に 基づく、道教・儒教の教義を描いています。中国創世記の帝王(3皇5帝)、老子・孔子・七賢人などが見られます(でも、近寄って覗けないので、あまり良くは見えません)
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天主鬼瓦。
これとそっくりな写真を見つけました(皆、目を付けるのは同じところって事)。
www.zc.ztv.ne.jp/bungei/nobu/tenji/07.html
桐紋が切れちゃったのは失敗です -
饗応膳『天正十年安土御献立』
5月15日の信長の家康饗応膳。
当時のおもてなしは料理が一度に並べられるので、配膳される際の華やかさが強調されました -
千代の山。
両口屋是清かな?現在でもおめでたい席の引き出物に用いられるようです。
お饅頭の中にお饅頭が埋まってるのです -
鎧兜にマントって信長ですよね
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あづちマリエート。
総合体育館と多目的ホール。
フランス語で「調和・結びつき」を意味する「マリエ」と「創造」を意味する「クリエート」からつくられた造語が「マリエート」です -
日時計。
詳しい謂れは判りません -
菓子処 万吾楼。
安土駅前の角に在ります。
「まけずの鍔」と言う最中が有名な和菓子店です。安土名物まけずの鍔本舗って呼び名も有るほどです。
迷いましたが、PHOは最中が得意ではないので、こっちをバラで買いました。でも、最中にすれば良かったかも… -
JR安土駅。
かなり奇抜な駅舎です -
13時56分発の米原行きから乗り継ぎ開始。ずっと乗り続ければ約8時間後にはPHO宅の最寄り駅に到着しますが、富士駅で途中下車して気分転換。駅改札前のパン屋さんで夕食もゲットして、14分後に来る次の電車に乗りました。この電車だと熱海での乗り換え間隔が短いので、最終的に10分足らずの遅れにしかなりません。
次は冬の青春18きっぷで12月に息子に会いに行く予定です。
最後までご覧いただき、有難うございました_(..)_
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