2019/08/16 - 2019/08/16
114位(同エリア1810件中)
キートンさん
都市めぐりが観光のメインとなったこの夏旅。
8日目は、この旅の構想の原点となったサンクトペテルブルクの終日観光の日。
この旅のクライマックスともいえる今日は、サンクトペテルブルクの観光スポットの中でも定番中の定番ともいえる2箇所をじっくり見学します。
ペテルゴフを訪れた後、後編ではサンクトペテルブルク観光人気ナンバーワン、世界三大美術館のひとつのエルミタージュ美術館を訪れます。
夏のシーズンは非常に混雑するというエルミタージュ美術館。
その攻略法として、21:00まで見学できる水曜日か金曜日にサンクトペテルブルクで宿泊する旅程を調整した。
そして混むと予想される本館(冬の宮殿)を後回しにして、先に印象派絵画がメインの新館(旧参謀本部)を見学する作戦をとった。
閉館の21:00までで、どれだけ充実した見学ができるのか・・・
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 航空会社
- シンガポール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ペテルゴフの船着場13:30発の高速艇は出発が少し遅れて、到着したのは14:20頃だった。
しかも到着地点はエルミタージュ美術館前というより、宮殿橋より下流側だった。 -
昼食はあまり時間をかけたくなかったので、ネフスキー大通り近くのバーガーキングでハンバーガーと飲み物を購入して、アレクサンドルフスキー公園のベンチで食べた。
-
イチオシ
エルミタージュ美術館(冬の宮殿)と宮殿広場。
宮殿広場の中央には、1834年にナポレオン戦争の勝利を記念して建てられた、高さ47.5mのアレクサンドルの円柱がそびえる。 -
宮殿広場をはさんでエルミタージュ美術館(冬の宮殿)の向かいに建つのが旧参謀本部。
1827年にイタリアの建築家カルル・ロッシによって建てられた。
ロシアのアンピール(帝政)様式を代表する建築といわれる。 -
旧参謀本部の東側の建物は、2014年12月からエルミタージュ美術館新館として開館した。
今日は金曜日なので21:00まで開館している。
ただいま15:15。
5時間半は見学できる。 -
この新館の入場料は300ルーブルだが、本館との共通券700ルーブルを購入。
15:30頃、見学開始。 -
作品の展示は2階から4階の3フロアー。
まず2階から見学していく。
アフリカ芸術のエリア。
マリ共和国の演劇用の女性マスク。(231室) -
20世紀のイタリア彫刻。(245室)
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211~213室は、旧参謀本部の財務省として使われていた部屋が復元されている。
-
イチオシ
3階に移動して、300~302室はカール・ファベルジェの手がけた美術品のギャラリー。
「Miniature Copy of Imperial Regalia」(301室) -
エルミタージュ美術館新館の窓から見た、エルミタージュ美術館(冬の宮殿)と宮殿広場。
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「エカチェリーナ2世」(1762年)ウィギリウス・エリクセン(313室)
ウィギリウス・エリクセンは、コペンハーゲン生まれのデンマークの宮廷画家。
エカチェリーナ2世はロマノフ朝ロシアの女帝で、馬にまたがる軍服姿のエカチェリーナ2世の肖像は、何度か違ったサイズで描かれた。
ウィギリウス・エリクセンは、ロシアで名声と富を獲得した。 -
317~330室は、外務大臣の執務室や私室が並んでいる。
321室は、婦人用の私室として作られたブドゥアール(化粧室)。 -
日本産の展示品もある。
栗原信秀と駒井音次郎作「太刀」(1866年)や薩摩の陶器製の布袋(1880年頃)など。 -
4階は、19~20世紀のヨーロッパ美術のフロアー。
新館の最大の見どころでもある印象派画家の作品が集まる。
「二人のダンサー」(1897-1898年)エドガー・ドガ(402室) -
402室は、クロード・モネの作品が展示されている。
「キャピュシーヌ大通り」(1873年)クロード・モネ
クロード・モネは「キャピュシーヌ大通り」を2作残している。
パリのキャピュシーヌ大通り35番のアトリエから、大通りを行き交う群集を描いた。
1874年に35番のアトリエで「第1回展覧会」を開催したが、それが後に「第1回印象派展」と呼ばれるようになった。
モネはその展覧会に、「印象・日の出」などの作品とともに、「キャピュシーヌ大通り」を出品したが、2作のうちどちらの作品が展示されたかは定かではない。 -
左から「モンジュロンの庭の片隅」(1876年)と「モンジュロンの池」(1877年)クロード・モネ
クロード・モネは、印象派を代表するフランスの画家。
代表作のひとつ、「印象・日の出」は印象派の名前の由来ともなった。 -
「ルーヴシエンヌの霜の朝」(1873年)アルフレッド・シスレー
アルフレッド・シスレーは、パリ生まれのイギリス人の画家。
主にパリ周辺の風景を題材にした作品を多く残している。
(このあたりから部屋番号が曖昧なので省略する) -
ピエール=オーギュスト・ルノワールの作品が展示されている部屋。
左から「扇子を持つ女」(1880年)、「ジャンヌ・サマリーの肖像」(1878年)、「ジャンヌ・サマリーの肖像」(1877年)と著名な作品が並ぶ。
ピエール=オーギュスト・ルノワールは、印象派の代表的画家で、若い女性を鮮やかな色彩で描いた作品を多く残した。
ルノワールは、恋人でもあった女優ジャンヌ・サマリーの肖像を複数描いている。 -
「鞭を持つ子供」(1885年)ピエール=オーギュスト・ルノワール
髪が長くスカートを着用しているようなので、どう見ても女の子。
原題は「Boy with a Whip」なので、実は男の子だったらしい。 -
「わらぶき屋根の家々」(1890年)フィンセント・ファン・ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホは、オランダ出身のポスト印象派の画家。
主要作品の多くは、フランスのアルルやサン・レミなどで過ごした1886~1890年に描かれた。 -
「パラウ・パラウ(おしゃべり)」(1891年)ポール・ゴーギャン
ポール・ゴーギャンは、フランスのポスト印象派の画家。
1891~1893年と1895~1901年の二度タヒチで過ごし、主要作品の多くがタヒチで描かれた。 -
イチオシ
「タヒチの牧歌」(1892年)ポール・ゴーギャン
個人的にお気に入りの作品。 -
「マタモエ(死)-孔雀のいる風景」(1892年)ポール・ゴーギャン
-
「果実を持つ女」(1893年)ポール・ゴーギャン
タヒチ時代の代表作のひとつ。 -
「煙草を吸う男」(1890-1892年)ポール・セザンヌ
ポール・セザンヌは、20世紀の美術に多大な影響を与え、「近代絵画の父」ともいわれるフランスの画家である。
故郷プロヴァンス地方の人物を描いた作品。 -
「サント=ヴィクトワール山」(1897-1898年)ポール・セザンヌ
ポール・セザンヌは1880年以降、フランス南部のエクス・アン・プロヴァンス近くのセザンヌの家から見えるサント=ヴィクトワール山を題材に、44の油絵と43の水彩画を描いている。 -
「静物とダンスの絵」(1909年)アンリ・マティス
アンリ・マティスは、フォーヴィスム(野獣派)の中心人物であったフランスの画家。
構図の一部に自身の作品を入れているところがユニーク。 -
「ボールに乗った女道化師」(1905年)パブロ・ピカソ
パブロ・ピカソは、ジョルジュ・ブラックとともにキュビズムの創始者として知られるスペインの芸術家。
作風がめまぐるしく変化した画家としても知られ、それぞれの時期で「○○の時代」と呼ばれる。
1904~1907年は「ばら色の時代」と呼ばれ、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少年少女などを描いた。 -
「白夜(橋の上の少女たち)」(1902-1903年)エドヴァルド・ムンク
エドヴァルド・ムンクは、「叫び」の作者として知られるノルウェーの画家。 -
「ピアノに寄る少女たち」(1892年)ピエール=オーギュスト・ルノワール
ルノワールはリュクサンブール美術館の依頼によって、1891年末からピアノを楽しむ二人の少女を、ほぼ同サイズで6枚描き始めた。
オルセー美術館所蔵の作品が最も知られていると思われる。
これは6枚のうちの1枚だと思われるが、構図は同じでも色彩がかなり薄い。 -
「庭園にて」(1885年)ピエール=オーギュスト・ルノワール
-
「モンマルトル大通り・晴れの日の午後」(1897年)カミーユ・ピサロ
カミーユ・ピサロが、さまざまな季節や時間のパリのモンマルトル大通りを描いた14の連作のひとつ。 -
「フォート・サムソンの景色」(1885年)ジョルジュ・スーラ
ジョルジュ・スーラは、点描画で知られるフランスの画家。 -
「ライラックの木」(1889年)フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホはサン・レミの療養所に入所していた頃、ライラックやイチハツの群生を描いた。 -
「エッテンの庭の記憶(アルルの女たち)」(1888年)フィンセント・ファン・ゴッホ
余談だが、ちょっとこの部屋は照明の映り込みがむごくて、上手く撮れていない。 -
「夜の白い家)」(1890年)フィンセント・ファン・ゴッホ
一見、夜を描いているようには見えない明るい絵だが、右上にひときわ明るく輝く星は「宵の明星」、つまり金星だとみられている。
1930年代のナチスによる退廃芸術弾圧で没収されて以降、長らく行方不明になっていたが、1995年にエルミタージュ美術館が「戦利品絵画」の一品として所蔵していることが公表された。 -
新館の東の渡り廊下から見た吹抜け。
-
イチオシ
「シールハンター:北グリーンランド」(1935-1937年)ロックウェル・ケント(425室)
今回初めて知った画家で気になったのがロックウェル・ケントだ。
ニューヨーク生まれの挿絵画家で作家でもある。 -
「Dan Ward's Stack:Ireland」(1926-1927年)ロックウェル・ケント(425室)
夕暮れの雲や光と影の描写が印象的だ。 -
「グリーンランド・トリスト」(1929年)ロックウェル・ケント(425室)
芸術的価値は知らないが、ここ行ってみたいと思わせる作品である。 -
左から「ダンサー」(1907-1908年)と「黒い帽子の女性」(1908年)キース・ヴァン・ドンゲン
キース・ヴァン・ドンゲンは、パリで活動したオランダ出身の画家。
フォーヴィスム(野獣派)に分類される人物。 -
「二姉妹(訪問)」(1902年)パブロ・ピカソ(431室)
ピカソが19歳の時に親友が自殺したことにショックを受けてから約4年間、鬱屈した心象を青を基調に社会の底辺に生きる人々を描いた「青の時代」の作品。
ガラスケースの中に厳重に展示されている。 -
433室は、ピカソの作品が展示されている。
日、火、木、土の曜日ならそろそろ閉館の時間だが、水、金は21:00まで開いているのであわてなくてよい。
混雑もなく、じっくり鑑賞できる。 -
左から「新聞を持つ男」(1911-1914年)と「マルティーグの港」(1913年)アンドレ・ドラン
アンドレ・ドランは、フォーヴィスム(野獣派)の中心人物でもあったフランスの画家。 -
「画家の家族」(1929年)アンリ・マティス
-
「音楽」(1939年)アンリ・マティス
マティスに関しては「赤い部屋」や「ダンス」が見当たらなかった。
どこかに出張中ということか・・・ -
「モンマルトルのキュスティン通り」(1909-1910年)モーリス・ユトリロ
モーリス・ユトリロは、主にパリの街の風景を描いたフランスの画家。 -
「冬の風景」(1909年)ワシリー・カンディンスキー
ワシリー・カンディンスキーは、抽象絵画の先駆者として、ドイツやフランスで活躍したロシア出身の画家。 -
18:30頃、エルミタージュ美術館新館の見学を終えた。
日が傾いてきて、宮殿広場は影の部分が広がってきた。 -
そして、引き続きエルミタージュ美術館本館(冬の宮殿)の見学へ移る。
エルミタージュ美術館本館は、冬の宮殿、小エルミタージュ、新エルミタージュと大きく3つの建物に分れている。
まずは、冬の宮殿を見学。
冬の宮殿は、美術作品よりも宮殿の豪華な室内装飾が見どころとなる。 -
孔雀石の間(189室)
ウラル地方で産出された貴重な孔雀石(マラカイト:緑の柱の部分)がふんだんに使われた応接室。
十月革命の直前、臨時政府の面々が最後の閣議をを開いた部屋。
天井や扉の装飾も見事である。 -
ニコライ2世の書斎(178室)
ゴシック様式で造られ、ブレーメン産の砂岩で作られた白い暖炉がある。 -
ブドゥアール(306室)
当時の流行である鮮やかなロココ様式でデザインされた、皇后のための私室。 -
黄金の客間(304室)
壁や扉に金箔の施された豪華絢爛の客間で、冬宮でも最も美しい部屋のひとつ。 -
白の間(289室)
ニコライ1世が息子(後のアレクサンドル2世)の結婚に際して贈った部屋。
白を基調とした美しいアーチ型天井をもち、神話や戦争を題材としたレリーフが施されている。 -
大使の階段(ヨルダン階段)
冬宮の正面階段であり、各国の外国使節を迎えたのだという。 -
「ヨルダン階段」とは、キリストが洗礼を受けたというヨルダン川に由来し、ロシア宮廷では冬宮の前を流れるネヴァ川をヨルダン川に見立てて洗礼式が行われたという。
-
イチオシ
花崗岩の円柱、鏡を多用した窓、彫刻や金のレリーフなどで装飾され、ロシア・バロックの極致といえる。
ここを訪れた各国大使に、ロシアの豊かさ、文化度の高さ、帝国の権威を印象づける目的もあったようだ。 -
ピョートル大帝(小玉座)の間(194室)
ピョートル大帝の栄誉をたたえるために作られた部屋。
正面に掲げられた「ピョートルとミネルヴァ」には女神とピョートルが並んで描かれている。 -
紋章の間(195室)
ブロンズ製のシャンデリアに、ロシア各県の紋章がデザインされているという。 -
1812年祖国戦争の画廊(197室)
英雄クトゥーゾフを中心に、ナポレオン戦争に参加した300人の将軍たちの肖像画が掲げられている。 -
聖ゲオルギー(大玉座)の間(198室)
歴代皇帝による謁見の間。
大使の階段から部屋を通された外国の大使や使節は、ここで皇帝には拝謁した。 -
玉座にはロマノフ王朝の紋章である双頭の鷲が描かれている。
-
パヴィリオンの間(204室)にある孔雀の時計。
エカテリーナ2世の愛人だったポチョムキンが、エカテリーナ2世に贈ったものだという。 -
「放蕩息子の帰還」(1666-1668年)レンブラント・ファン・レイン(254室)
新約聖書の中の「放蕩息子」の逸話にちなんだ、レンブラントの晩年の代表的な宗教画作品。
レンブラント・ファン・レインは、バロック期を代表する画家のひとりで、ルーベンスと並ぶオランダの巨匠である。 -
「フローラに扮したサスキア」(1634年)レンブラント・ファン・レイン(254室)
レンブラントの妻となったサスキアが、花と美の女神フローラに扮した肖像といわれているが、異論を唱える研究者もいる。 -
「ダナエ」(1636-1647年)レンブラント・ファン・レイン(254室)
ギリシャ神話の英雄ペルセウスの母ダナエがほぼ等身大で描かれている。
1985年に客によって硫酸をかけられ損傷した名画。
可能な限り修復がおこなわれたが、頭部、右腕、両足の損傷がひどく、完全には修復できていない。 -
「ダナエ」(1554年)ティツィアーノ・ヴェチェリオ(221室)
ティツィアーノ・ヴェチェリオは、盛期ルネサンスのイタリアの画家で、ヴェネチア派の巨匠。
ティツィアーノは、ギリシャ神話のダナエをモチーフに少なくとも5点の作品を残している。
この作品のほかに、国立カポディモンテ美術館、プラド美術館、ウィーン美術史美術館に所蔵されているものが知られている。 -
ダ・ヴィンチの間(214室)
かつてニコライ1世の書斎だった部屋。
バロック様式の天井にクラシック様式の円柱をもち、ロココ調の扉が用いられている。
エルミタージュ美術館の中でも最も混雑する部屋だということだが、金曜日の20:00前頃はたいしたことはない。 -
「リッタの聖母」(1490-1491年)レオナルド・ダ・ヴィンチ(214室)
幼児キリストに母乳を与える聖母マリアを描いた作品。
19世紀にミラノ貴族のリッタ家が所有していたことから「リッタの聖母」と呼ばれている。
1865年にアレクサンドル2世がリッタ家から購入した。 -
「ブノアの聖母」(1478年)レオナルド・ダ・ヴィンチ(214室)
アンドレア・デル・ヴェロッキオのもとで修業を積んでいたダ・ヴィンチが、画家として独り立ちして最初に描いた作品だといわれる。 -
イチオシ
ラファエロの回廊(227室)
ラファエロの手によるヴァチカンのフレスコ画が、壁一面に模写されている。 -
「コネスタビレの聖母」(1502-1504年)ラファエロ・サンティ
ラファエロが20歳の時の作品で、円形の小さなサイズの絵画である。
アレクサンドル2世がコネスタビレ家から購入した。
ラファエロ・サンティは、イタリアの画家、建築家で、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティとともに盛期ルネサンスの三大巨匠のひとりである。 -
「聖家族」(1504年)ラファエロ
幼少期のイエス、聖母マリア、養父ヨセフが描かれている。 -
イチオシ
「リュートを弾く若者」(1595年)ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(232室)
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオは、バロック期のイタリア人画家。
明と暗の対比、虚ろな若者の表情、花や果物やバイオリンの繊細な描写が際立つ作品。
楽譜は音符も十分読みとれるほどである。 -
騎士の間(247室)
馬に乗った騎士、騎士の鎧(プレートアーマー)が展示されている。 -
細長い241室は、天井画や壁画が美しい。
-
「ペルセウスとアンドロメダ」(1622年)ピーテル・パウル・ルーベンス(247室)
ピーテル・パウル・ルーベンスは、バロック期のフランドルの画家。
「フランダースの犬」のおかげで、美術に興味がない日本人にも知られている画家。
ギリシャ神話の、怪物メドゥーサを退治したペルセウスと王女アンドロメダのほか、ペガサスやケートス(海の怪物)が描かれている。 -
「大地と水の結合」(1618年)ルーベンス(247室)
大地の女神キュベレと海の王者ネプチューンが手をとりあい、女神ヴィクトリアとホラガイを吹くトリトンに祝福されている。 -
「アントニオ・サラテの肖像」(1810-1811年)フランシスコ・デ・ゴヤ(239室)
フランシスコ・デ・ゴヤは、18世紀のスペインの巨匠といわれる画家。
無名の女優で36歳で亡くなったアントニオ・サラテは、この肖像画で名を残すことになったという。 -
「使徒ペトロとパウロ」(1587-1592年)エル・グレコ(240室)
エル・グレコは、主にスペインで活躍したギリシァのクレタ島出身の画家。
宗教画を得意としたエル・グレコの、十二使徒を描いた一連の肖像画の中の一作。
左にペトロ、右にパウロが描かれている。 -
日本の展示室(375室)の、甲冑や刀などの展示。
冬宮の3階には東洋美術の展示がある。
閉館まで20分程度時間があったが、すでに疲れていたのでこのあたりで見学を終了することにした。
チケット購入や見学全般を通して、特に目立った混雑は見られなかった。
15:00を過ぎてから、エルミタージュ美術館新館→エルミタージュ美術館本館と見学する作戦は、見事に思惑通りとなった。 -
夕食はテレモークという、ロシアではメジャーなファーストフード店で摂ることにした。
ブリヌイというロシア料理のチェーン店である。 -
ブリヌイ(192ルーブル)、ファンタオレンジ(99ルーブル)を注文、合計291ルーブル。
ブリヌイは、肉、ハム、チーズ、野菜などクレープで包んだような料理。
中の具材によって料金は異なる。
日本でいうと、お好み焼きではなくキャベツ焼きに近いかなという感じ。
クレープのようなスイーツではないが、夕食としてはひとつでは少し物足りない感じかな。
今日は、ペテルゴフとエルミタージュ美術館の二つにしぼって集中観光したが、特にエルミタージュ美術館は混雑にあうこともなくじっくり見学できた。
明日はサンクトペテルブルク観光最終日で、午後のサプサン号でモスクワへと移動します。
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