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 鎌倉十三仏 鎌倉うめまつり特別参拝に往復はがきで申し込み、今日の雪の中、二階堂・薬師堂ヶ谷にある覚園寺(https://4travel.jp/travelogue/10773486)に出掛けた。<br /> 覚園寺の参拝はこれまでに2度あるが、今回は特別参拝ということで、歴代住職が眠る奥之院と鎌倉十井の棟立ノ井も見学コースに組み入れられている。<br /> 薬師堂前にはイヌマキの古木が聳えている。薬師堂とこのイヌマキの古木は同じ歴史を歩んで来たという。薬師堂に入って薬師三尊を参拝した。丈六薬師如来坐像は両手で薬壺を持ち、脇侍の日光・月光菩薩も坐像である。薬師堂は創建当時は瓦屋根であったが、後に萱葺き屋根に変更して天井を張ったのだという。天井には雲竜図(江戸時代のもの、狩野典信の筆)と征夷大将軍正二位源朝臣尊氏謹書」の銘、年月が記されている。薬師堂では十二神将までは見る時間がなかったので、今回は覚園寺が初めてというおばあさんもいたが、この人たちには1時間では時間が少なかったかと思う。<br /> 次に、薬師堂の裏の梅林を抜け、奥之院に向かう。その途中に旧内海家住宅(宝永3年(1706年)に建築)が移築されている。子供たちが校外学習などで良く来るが、金持ちの家と言っても信用してくれないという。内海家は手広で江戸時代には名主を務めた家柄である。多くの古文書が残されている。<br /> 奥之院の門の手前には近代に造られた檀家の墓地が並んでいる。門を潜った先に4mを越える程度の大きな宝篋印塔が2基並び、それをコの字に囲んで第三世以降(34世まで)の歴代住職の無縫塔が並んでいる。普段見る無縫塔のように長くはなく、球形をしている。向かって右が開山智海心慧の墓、左が第二世大燈源智の墓である。2基とも正慶元年(1332年)に建立された。開山の墓は遺言した宝篋印塔が建てられたのは27回忌のことで、その数ヶ月前に、先に亡くなった第二世の墓を大きな宝篋印塔で建て、開山の墓を立派なものにするためのものであったようだ。結果、第二世の墓は下部が上下に分かれ、開山の墓よりも6cmほど低くなっている。<br /> 檀家の墓地の手前の東側に小さな谷があり、こも(薦/菰)を敷いた10m先の右側に鎌倉十井の棟立ノ井がある。板石で屋根を着け、上の土砂が井戸に落ちないようにしている。家の形をした横井戸である。それから名が付いた。鎌倉で見た横井戸は浄智寺(https://4travel.jp/travelogue/10485789)と新清涼寺跡(https://4travel.jp/travelogue/10614237)だけであったが、鎌倉十井の棟立ノ井が鎌倉で見る3番目の横井戸であるとは…。<br /> その後は、地蔵堂裏の太郎庵椿を見た。江戸時代の茶人高田太郎冠者が品種改良した椿で、ピンク色の花が着いており、花の中には白が残っており、その優雅さから江戸時代に流行ったのだという。3又に分かれているのか、2股の横にもう1本植えられているのか判然とはしないが、見上げるほどの3本の幹である。樹齢は200~300年とされている。地蔵堂横には「法界萬霊」碑のお地蔵さまの左右に六地蔵が並んでいる。しかし、「三界萬霊」の銘は良く目にするが、「法界萬霊」は初めて見た。住職が言うには同じ意味であるが、お経には断然「三界萬霊」の方が多く出て来るという。<br />  十三仏を祀る横穴はパスして三蔵に向かう。三蔵は鎌倉では稀に見る立派な建物である。また、屋根の樽木を乗せる柱を支える柱が棟から伸びているという初めて目にする建物だ。27年前に富山から移築した建物だという。ここでテーブルを囲んで「鉢の木」(https://4travel.jp/travelogue/11457826)の藤川社長の講演をスライドを見ながら1時間ほどお聞きした。<br /> 今回、初めて覚園寺の境内の奥まで見学することができた。鎌倉中にある創建が鎌倉時代にまで遡るお寺にはない、自然の谷戸の形をそのまま残した境内があることに驚いてしまった。谷戸を削って平地を拡張し、崖にはやぐらを造るものだと思い込んでいたが、覚園寺は別で、鎌倉中以外で見られる普通の境内である。大船・常楽寺などにもやぐらがないが、鎌倉中ではなく、在郷扱いだったからだろうと思っていたが、浅はかであった。また、鎌倉時代には十王だったのが、日本で十三仏が考えられたのは江戸時代になってからのことであり、覚園寺の所謂「十三仏やぐら」も近世のものであろう。壽福寺のやぐら(https://4travel.jp/travelogue/10714660)ではあるまいし、入口が蒲鉾型をしているから、創建時から南北朝の時代に掘られた横穴(やぐら)ではないだろう。すなわち、覚園寺境内には1基もやぐらはないのだ。覚園寺の関係者は平子やぐら群(https://4travel.jp/travelogue/10779943)や天園ハイキングコースまでの尾根道脇のやぐら(https://4travel.jp/travelogue/10761125)に埋葬されたのであろう。<br />(表紙写真は覚園寺門前)

鎌倉・覚園寺(鎌倉うめまつり特別参拝)-2019年

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2019/02/15 - 2019/02/15

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉十三仏 鎌倉うめまつり特別参拝に往復はがきで申し込み、今日の雪の中、二階堂・薬師堂ヶ谷にある覚園寺(https://4travel.jp/travelogue/10773486)に出掛けた。
 覚園寺の参拝はこれまでに2度あるが、今回は特別参拝ということで、歴代住職が眠る奥之院と鎌倉十井の棟立ノ井も見学コースに組み入れられている。
 薬師堂前にはイヌマキの古木が聳えている。薬師堂とこのイヌマキの古木は同じ歴史を歩んで来たという。薬師堂に入って薬師三尊を参拝した。丈六薬師如来坐像は両手で薬壺を持ち、脇侍の日光・月光菩薩も坐像である。薬師堂は創建当時は瓦屋根であったが、後に萱葺き屋根に変更して天井を張ったのだという。天井には雲竜図(江戸時代のもの、狩野典信の筆)と征夷大将軍正二位源朝臣尊氏謹書」の銘、年月が記されている。薬師堂では十二神将までは見る時間がなかったので、今回は覚園寺が初めてというおばあさんもいたが、この人たちには1時間では時間が少なかったかと思う。
 次に、薬師堂の裏の梅林を抜け、奥之院に向かう。その途中に旧内海家住宅(宝永3年(1706年)に建築)が移築されている。子供たちが校外学習などで良く来るが、金持ちの家と言っても信用してくれないという。内海家は手広で江戸時代には名主を務めた家柄である。多くの古文書が残されている。
 奥之院の門の手前には近代に造られた檀家の墓地が並んでいる。門を潜った先に4mを越える程度の大きな宝篋印塔が2基並び、それをコの字に囲んで第三世以降(34世まで)の歴代住職の無縫塔が並んでいる。普段見る無縫塔のように長くはなく、球形をしている。向かって右が開山智海心慧の墓、左が第二世大燈源智の墓である。2基とも正慶元年(1332年)に建立された。開山の墓は遺言した宝篋印塔が建てられたのは27回忌のことで、その数ヶ月前に、先に亡くなった第二世の墓を大きな宝篋印塔で建て、開山の墓を立派なものにするためのものであったようだ。結果、第二世の墓は下部が上下に分かれ、開山の墓よりも6cmほど低くなっている。
 檀家の墓地の手前の東側に小さな谷があり、こも(薦/菰)を敷いた10m先の右側に鎌倉十井の棟立ノ井がある。板石で屋根を着け、上の土砂が井戸に落ちないようにしている。家の形をした横井戸である。それから名が付いた。鎌倉で見た横井戸は浄智寺(https://4travel.jp/travelogue/10485789)と新清涼寺跡(https://4travel.jp/travelogue/10614237)だけであったが、鎌倉十井の棟立ノ井が鎌倉で見る3番目の横井戸であるとは…。
 その後は、地蔵堂裏の太郎庵椿を見た。江戸時代の茶人高田太郎冠者が品種改良した椿で、ピンク色の花が着いており、花の中には白が残っており、その優雅さから江戸時代に流行ったのだという。3又に分かれているのか、2股の横にもう1本植えられているのか判然とはしないが、見上げるほどの3本の幹である。樹齢は200~300年とされている。地蔵堂横には「法界萬霊」碑のお地蔵さまの左右に六地蔵が並んでいる。しかし、「三界萬霊」の銘は良く目にするが、「法界萬霊」は初めて見た。住職が言うには同じ意味であるが、お経には断然「三界萬霊」の方が多く出て来るという。
  十三仏を祀る横穴はパスして三蔵に向かう。三蔵は鎌倉では稀に見る立派な建物である。また、屋根の樽木を乗せる柱を支える柱が棟から伸びているという初めて目にする建物だ。27年前に富山から移築した建物だという。ここでテーブルを囲んで「鉢の木」(https://4travel.jp/travelogue/11457826)の藤川社長の講演をスライドを見ながら1時間ほどお聞きした。
 今回、初めて覚園寺の境内の奥まで見学することができた。鎌倉中にある創建が鎌倉時代にまで遡るお寺にはない、自然の谷戸の形をそのまま残した境内があることに驚いてしまった。谷戸を削って平地を拡張し、崖にはやぐらを造るものだと思い込んでいたが、覚園寺は別で、鎌倉中以外で見られる普通の境内である。大船・常楽寺などにもやぐらがないが、鎌倉中ではなく、在郷扱いだったからだろうと思っていたが、浅はかであった。また、鎌倉時代には十王だったのが、日本で十三仏が考えられたのは江戸時代になってからのことであり、覚園寺の所謂「十三仏やぐら」も近世のものであろう。壽福寺のやぐら(https://4travel.jp/travelogue/10714660)ではあるまいし、入口が蒲鉾型をしているから、創建時から南北朝の時代に掘られた横穴(やぐら)ではないだろう。すなわち、覚園寺境内には1基もやぐらはないのだ。覚園寺の関係者は平子やぐら群(https://4travel.jp/travelogue/10779943)や天園ハイキングコースまでの尾根道脇のやぐら(https://4travel.jp/travelogue/10761125)に埋葬されたのであろう。
(表紙写真は覚園寺門前)

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  • 覚園寺門前。

    覚園寺門前。

  • 「覚園寺」。<br />今回の特別拝観で鎌倉十井の棟立ノ井を見たといったら、鎌倉十井は制覇ですか?と聞かれた。しかし、鎌倉十井と鎌倉五名水とは矛盾も多く(https://4travel.jp/travelogue/10609204)、鎌倉十井と鎌倉五名水とを確定できない現在ではそれは無理なことだ。<br />また、扇ノ井(https://4travel.jp/travelogue/10605344)は民家にあるので見られないともいう。しかし、本田家は頼朝に従って鎌倉入りした武家の家である。800年以上も続く鎌倉の旧家では住民は非常にフレンドリである。私は「民家ではなく、武家屋敷跡。」と教えてあげた。

    「覚園寺」。
    今回の特別拝観で鎌倉十井の棟立ノ井を見たといったら、鎌倉十井は制覇ですか?と聞かれた。しかし、鎌倉十井と鎌倉五名水とは矛盾も多く(https://4travel.jp/travelogue/10609204)、鎌倉十井と鎌倉五名水とを確定できない現在ではそれは無理なことだ。
    また、扇ノ井(https://4travel.jp/travelogue/10605344)は民家にあるので見られないともいう。しかし、本田家は頼朝に従って鎌倉入りした武家の家である。800年以上も続く鎌倉の旧家では住民は非常にフレンドリである。私は「民家ではなく、武家屋敷跡。」と教えてあげた。

  • 覚園寺門。<br /><br />宝篋印塔に関しては、畠山重保の墓(https://4travel.jp/travelogue/10608761)(3.4m余り)、泣塔(鎌倉市寺分)(https://4travel.jp/travelogue/10615848)や、浄光明寺の冷泉為相墓(https://4travel.jp/travelogue/10527758)、長寿寺の足利尊氏墓(https://4travel.jp/travelogue/10450743)、安養院(https://4travel.jp/travelogue/10559886)で見た尊観上人の墓と伝わる大きな石造宝篋印塔(国指定重要文化財)と北条政子の墓と伝わる小ぶりの石造宝篋印塔程度しか鎌倉にはないものと思っていたが、ここ覚園寺奥之院には4mほどの2基の宝篋印塔があり驚いた。こうした大きさの宝篋印塔は時代が下がるが、織田信長の妹であるお市の方の3人娘・浅井3姉妹の二女・お初の墓の宝篋印塔(https://4travel.jp/travelogue/10463840)と同規模か。あるいは、普済寺(新潟県村上市大場沢)の宝篋印塔(https://4travel.jp/travelogue/10884317)が思い出される。<br />忍性墓(https://4travel.jp/travelogue/10659505、https://4travel.jp/travelogue/10874590)や覚賢塔(https://4travel.jp/travelogue/10615906)のような鎌倉時代に造られた大型の五輪塔は知られており、見る機会もあるのだが、鎌倉時代に造られた大型の宝篋印塔は残念ながらそうではない。ようやく鎌倉十三仏 鎌倉うめまつり特別参拝で見る機会ができた。

    覚園寺門。

    宝篋印塔に関しては、畠山重保の墓(https://4travel.jp/travelogue/10608761)(3.4m余り)、泣塔(鎌倉市寺分)(https://4travel.jp/travelogue/10615848)や、浄光明寺の冷泉為相墓(https://4travel.jp/travelogue/10527758)、長寿寺の足利尊氏墓(https://4travel.jp/travelogue/10450743)、安養院(https://4travel.jp/travelogue/10559886)で見た尊観上人の墓と伝わる大きな石造宝篋印塔(国指定重要文化財)と北条政子の墓と伝わる小ぶりの石造宝篋印塔程度しか鎌倉にはないものと思っていたが、ここ覚園寺奥之院には4mほどの2基の宝篋印塔があり驚いた。こうした大きさの宝篋印塔は時代が下がるが、織田信長の妹であるお市の方の3人娘・浅井3姉妹の二女・お初の墓の宝篋印塔(https://4travel.jp/travelogue/10463840)と同規模か。あるいは、普済寺(新潟県村上市大場沢)の宝篋印塔(https://4travel.jp/travelogue/10884317)が思い出される。
    忍性墓(https://4travel.jp/travelogue/10659505https://4travel.jp/travelogue/10874590)や覚賢塔(https://4travel.jp/travelogue/10615906)のような鎌倉時代に造られた大型の五輪塔は知られており、見る機会もあるのだが、鎌倉時代に造られた大型の宝篋印塔は残念ながらそうではない。ようやく鎌倉十三仏 鎌倉うめまつり特別参拝で見る機会ができた。

  • 覚園寺門。

    覚園寺門。

  • 山門に「寺社特別参観」。

    山門に「寺社特別参観」。

  • 山門。

    山門。

  • 紅梅。

    紅梅。

  • 紅梅。

    紅梅。

  • 山の木。

    山の木。

  • 覚園寺境内。

    覚園寺境内。

  • 庫裏。

    庫裏。

  • 愛染堂。

    愛染堂。

  • 三蔵。

    三蔵。

  • 寺務所。

    寺務所。

  • 鐘。

    鐘。

  • 九重石塔。住職に聞くと紫式部ゆかりの京都・清凉寺の九重石塔のレプリカだという。

    九重石塔。住職に聞くと紫式部ゆかりの京都・清凉寺の九重石塔のレプリカだという。

  • 境内の木立。

    境内の木立。

  • 仏像。

    仏像。

  • 仏像。

    仏像。

  • 仏像。

    仏像。

  • 仏像。

    仏像。

  • お地蔵さま。

    お地蔵さま。

  • お地蔵さま。

    お地蔵さま。

  • お地蔵さま。

    お地蔵さま。

  • お地蔵さま。

    お地蔵さま。

  • 棟立ノ井(イメージ)。

    棟立ノ井(イメージ)。

  • 開山(智海心慧)塔(嘉元4年銘)。高さ4.27m。開山智海心慧nお27回忌に建立された(図録「特別展 覚園寺-開山智海心慧 七百年忌記念-」より)。

    開山(智海心慧)塔(嘉元4年銘)。高さ4.27m。開山智海心慧nお27回忌に建立された(図録「特別展 覚園寺-開山智海心慧 七百年忌記念-」より)。

  • 大燈塔(嘉元4年銘)。高さ4.11m。二世大燈源智の墓塔(図録「特別展 覚園寺-開山智海心慧 七百年忌記念-」より)。

    大燈塔(嘉元4年銘)。高さ4.11m。二世大燈源智の墓塔(図録「特別展 覚園寺-開山智海心慧 七百年忌記念-」より)。

  • 薬師堂(図録「特別展 覚園寺-開山智海心慧 七百年忌記念-」より)。前にはイヌマキ。

    薬師堂(図録「特別展 覚園寺-開山智海心慧 七百年忌記念-」より)。前にはイヌマキ。

  • 覚園寺境内図(図録「特別展 覚園寺-開山智海心慧 七百年忌記念-」より)。中世に作成された絵図であろう。百八やぐらのある場所は境内にはない。また、当然ではあるが十三仏やぐらも記載されてはいない。奥之院にある歴代住職の墓(13石塔)の位置は現在と異なっている。

    覚園寺境内図(図録「特別展 覚園寺-開山智海心慧 七百年忌記念-」より)。中世に作成された絵図であろう。百八やぐらのある場所は境内にはない。また、当然ではあるが十三仏やぐらも記載されてはいない。奥之院にある歴代住職の墓(13石塔)の位置は現在と異なっている。

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