2019/03/16 - 2019/03/23
4323位(同エリア6456件中)
noriyosiさん
- noriyosiさんTOP
- 旅行記42冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 12,461アクセス
- フォロワー3人
2019年3月ドイツ・オーストリアハイライト周遊8日間の旅14 ウィーン 編残りと帰国編
2019年3月16日から3月23日の予定でドイツ・オーストリアの旅に出かけました。
3回目の海外旅行です。年に一度の骨休み。もう一度二人で行こうと思い立ちました。
今回は3月21日(木)6日目午後の オーストリア・ウィーン編の残りと3月22日(金)帰国編です。
ホテルの周辺を散策しましたがこのへんの夜は寂しくなるようで自由行動からホテルに戻るルートはメトロとトラムを乗り継ぐことにしました。
6日目3月21日(木)~7日目3月22日(金)の概略スケジュールです。
3月21日(木)午前
8:30 ホテルから、シェーンブルン宮殿~ウィーン歴史地区観光に向けて出発。
9:00 シェーンブルン宮殿
10:00 ベルヴェデーレ宮殿
昼~午後
12:00 シュテファン大聖堂~オペラ座
13:00 昼食
13:30 オプションツアー:ハプスブルク家ゆかりの地巡り観光
アウグスティーナ教会など
14:30 シシィ博物館
15:30 カプツィーナー霊廟
(今回はここから)
16:00~徒歩で移動
16:20 自然史博物館
17:20 美術史美術館
19:40~ メトロからトラムへ乗り継ぎ
20:10~20:30 トラムでホテルへ帰還
翌日3月22日(金)
8:30 ホテルから空港に向けて出発
11:50 ウイーン空港から帰国の途へ
オプションツアーの[宮殿クラシックコンサート]に参加するグループと離れて、よたよたと美術館に向かいました。
(わたしはコンサートに行きたかったのに。どうしてくれる。)
服装や靴があわないでしょう。
[いった人の話によると普通の服装で問題なかったようです。]
宮殿やクラシックは苦手、白鳥の湖やくるみ割り人形、ポールモーリア、ドラクエ交響組曲は良く聞いたけど。
(あれはクラシックか。)
名曲は出来た時からクラシックです。東海村太郎、坂本九、島倉千代子、若くは八代亜紀のコンサートなら行ったんだけどなあ。
(むしろ怖いわ)
などとと文字起こしをすればたわいもない話を仲良くしているうちに到着したところは、
Elisabethstraße ここはエリザベート通りです。
(エリザベートゆかりのものはあるの?)
通りの名前がゆかったりしているだけですね。
(なるほど。)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
エリザベート通りのシラー広場
シラーさんの銅像があります。
(だれ)
フリードリヒ・フォン・シラーをしらーないですか。
ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞になった賛歌『歓喜の歌』Ode an die Freude (1786)で有名です。
シュールだけれど、一節だけどうぞ。
ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
自身の歓喜の声を合わせよ
地球上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
それがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい
(しらない)
大切な奥さんがいれば,もうそれで充分だと言っているんです。私もそう思います。奥様がいなければここにいません。 -
晴たる青空、ただよう雲よ.
ふあくしょん。
(寒くなってきたか) -
(美術館はどこ?)
美術史美術館はもうみえているんです。 -
ブルクリングをはさんで
Hofjagd- und Rüstkammer 甲冑博物館です。
(新王宮とつながっているのでなんといっていいか。) -
美術史美術館東面です。
石灰石なので排気ガスを吸い込んで黒くなります。コーチングをすれば汚れは防げますが、入った水をだせないので石が爆裂します。適時レーザでクリーニングしてもとの石の色にしています。 -
Maria-Theresien-Platz マリアテレジア広場の入口です。
見えているのは自然史博物館です。
Naturhistorisches Museum Wien:ウィーン自然史博物館(NHM )は、オーストリアの首都ウィーンのマリア・テレジア広場にある博物館です。ゴットフリート・ゼンパーとカール・フォン・ハーゼナウアーの設計により、帝国(インペリアル)フォーラムの一部として1871年から1889年にかけて建設されたネオルネッサンス様式の建物は、フランツ・ヨーゼフ1世皇帝によって帝国王立自然史博物館として設立されました。2024年には、NHMは約97万1000人の来場者を記録しました。自然史博物館の破風の碑には、ドイツ語で「自然とその探求の領域に、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世、1881年」と銘分が付いています。
DEM PRICHE DER NATUR UND SEINER EFFORSCHUNG KAISER FRANZ JOSEPHI MDCCCLXXXL -
パブリックドメイン:インペリアルフォーラムは1871年に開始され、1913年に中止されました。ホーフブルク宮殿と帝国博物館群をリング通りで結ぶことを目的としており、中央の玉座の間翼(未建設)、北の国民庭園翼(未建設)、東のブルク庭園翼(1908年完成)を含む新ホーフブルク宮殿と、南の美術史博物館(1891年完成)、北の自然史博物館(1889年完成)を含む新帝国博物館群から構成される予定でした。フォーラムは実現できませんでしたが、2つの建物は建設されました。
間違わないと思うけど、
マリアテレジア広場の北側にあるのが、ウィーン自然史博物館(Naturhistorisches Museum Wien)です。
広場のマリアテレジア像を挟んで対に建っているのが、南側の美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)です。
(同じじゃね。)
マリアテレジア広場に立って右に王宮をみて正面がNHMです。向き直って左に王宮をみて正面がKHMです。 -
そっくりに見えますが、違いとして、
自然史博物館(Naturhistorisches Museum)
屋根に違いがあります。(航空地図を参照してください。)
用途が違います。それで間取りが異なります。博物館なので展示室は窓側で、バックヤードが中庭側です。
美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)
美術館なので原則直射日光はさけ、小展示室は窓側、大展示室は奥の中庭側にあります。
内観には違いがあっても、外観はあまり違いがないはずですが、何か印象が違うのです。
ふと、影になる壁は暗く日が当たるところは白く見えるのではないかと、航空地図をみて気づいたのです。適当ですが建物を単純な立方体に置き換えて日影図をフリーソフトに描かせましょう。
冬至の影を描けば長すぎて悲惨なことになるので、行ったときの3月春分の日影図を描いてみたのですが、不思議なことに9時から15時までの影しか描いてくれず、影が出ないはずの南にも影が14時から15時までできるのです。
ひらめきました、ウィーン市の緯度は、おおよそ北緯48.25度です。日本でよく使った北緯36度でやり直すと8時から16時までの影を描いてくれましたが、南に13時から16時まで影が出来ました。
(何やねん。)
当たり前ですが、方位を40度近くふって建てているからです。北面と思っていたのは北西面で、南と思っていたのは南東面でした。
(話がもどるが何がちがうん。)
美術館を遠くからみたから西日があたる建物とドーム屋根がエンジ色に見えたからですかね。5時になったらどうなるか後で見ましょう。それはそうと航空地図の影から、これは春秋分から夏至にかけて10時~11時頃に写されたと思われます。
(やかましい。同じじゃろ。)
いや。向き合って建っているから座標位置が違う、北ファサードに入口がある建物と、南ファサードに入口がある建物ですよ。居室を南にしたい、共用部を北にしたい共同住宅でこんなことをやれば評価外です。
あれ、正確には北と南の関係ではないんでしたっけ。こういうのを逆切れという。すまんこってす。 -
(何で先に自然史博物館に行くん?)
自然史博物館の開館時間は10:00~18:00だが,美術史美術館では、木曜日は21:00まで開いているのじゃ。レストランもあるぞ。
(いくぞ。)
入場できるのは30分前までね。 -
自然史博物館の正面ファサードの壁のくぼみに納まっているのはアメリカとオーストリアの寓意的な彫像です。台座にAMERIKA und USTRALIENと彫ってあります。
(インデアンの家族:夫婦と子供にみえます。) -
(どこからはいる?)
-
・・・あの方に続いて入りましょう。
(またあの大扉を開けるのかとと思った。)
そんな訳ありません。いつもは子扉だけは開けてくれているんです。 -
(年寄り2枚ください。)
だれが年寄りじゃ。
(その方が安くなるのよ。)
最近目と耳が悪くなりましてな。ごほん、ごほん。
・・・しかし、日本語だけでよく通じるな。
(指をみろ。)
カニさんですか?
(違う。2本指で2枚。両手にカニさんなら4枚になるぞ。ましてここに豆腐を買いに来る人はいない。チケット売り場ではチケットしか売らないのじゃ。)
私の年代では手を拡げたバアの状態から、指折りかぞえるので、親指と人差し指を折った状態になるのだが、アメリカナイズされるとグゥの状態から指を伸ばすらしい。
(アメリ・カニ・ゼーションね。)え?
チケットは1枚で二人分をかねるものでした。 -
(どこからみたらいいの?)
-
(あのお兄さんに聞く?)
聞けるんか?お姉さんかもしれないし。
逆時計回りでいこう。 -
(事情により鉱物部門は割愛)
まずは
Paläontologische Abteilung
古生物学部門
海の生物から。 -
(なに?)
-
(エビとイカにみえる。)
すべてオウムガイの仲間です。アンモナイトもです。 -
古代エジプトの太陽神アモンが持つ螺旋状に巻いた羊のツノににていたことから、アモンのツノという意味でアンモナイトになりました。
-
Paraphysornis 怪鳥パラフィソルニスの復元模型です。
(ブラジルで発見されたからパラフィソルニス・ブラジリエンシスです。) -
怪鳥の横にあるのは、Prodeinothriumプロデイノテリウムの骨格です。
プロデイノテリウム(学名:Prodeinotherium )は象の先祖です。ゾウ目デイノテリウム科の絶滅した属で、「恐ろしい獣」を意味するデイノテリウム属(Deinotherium)よりさらに古い属なのでプロ+デイノテリウムと呼んでいます。
(カメラを持っている方、後ろから怪鳥が狙っていますよ。) -
Eurohippus messelensis ユーロヒップス・メッセレンシスの復元模型、骨格化石
Eurohippus ユーロヒップスは馬の先祖です。 中期始新世から上部始新世4740万年から3770万年に生きていました。 -
そうです。ホール10は
Sauriersaal 恐竜ホールです。
『ホールの主な建築的特徴は、ディプロドクス、アロサウルス、イグアノドンの巨大な骨格をあらゆる方向から鑑賞できる中央プラットフォームです。プラットフォームには、ユタ州で発見された1億5000万年前のアロサウルス・フラギリスの骨格とそれに対応するアロサウルスのアニマトロニクス模型があります。全長6メートルを超えるこの驚くほどリアルで可動式の模型は、ジュラ紀後期の最も危険な捕食動物の幼体の大きさを再現しています。ホールの空中を占めるのは、翼開長7メートルのプテラノドンの実物大模型です。』
-
『その他の見どころには、世界最大のカメとして知られる巨大なカメ、アーケロン・イスキロスの骨格、胚が保存されたメスの魚竜、および数体の翼竜の骨格があります。」
写真左下の骨格が
Archelon ischyros アーケロン・イスキロスのものです。
(白亜紀は、7400万年前、アメリカ合衆国サウスダコタ州)
『約1億5000万年前に海を征服した、巨大ウミガメのアーケロン・イスキロスは史上最大のカメです。その甲羅は骨を覆う丈夫な皮膚にまで凝縮していました。このカメの巨大な体躯は、ほとんどの敵を寄せ付けませんでした。アーケロンは巨大なムール貝などを餌としていました。カメは非常に原始的なグループで、三畳紀にはすでに出現していました。最古のカメでさえ、甲羅によって身を守っていました。これは2億年以上もの間、有効な戦略でした。』 -
中央のプラットフォームに展示されているのは、
左はイグアノドン、
中央はディプロドクスの尾っぽ、
右(窓際)はアロサウルス・フラギリスの骨格です。 -
(左はティラノサウルス?)
違います。前脚の指が5本あるのでイグアノドン:Iguanodon(白亜紀前期)です。爬虫類のイグアナとは何の関係もありません。歯が似ているからこの名前になりました。
ティラノサウルス(白亜紀)は前脚が退化して小さくなったうえ、指が2本です。その代わり頭が大きくなりました。
アロサウルス(ジュラ紀)の前脚の指は3本で歯も違います。成獣アロ君は10㎝ですが、ティラノちゃんは30㎝です。 -
ブラキオサウルス (Brachiosaurus) 首の長い竜脚類恐竜の属ですが他の竜脚類とは異なり、後肢で立ち上がるのには適していませんでした。
幼体のアロサウルスはアニマトロニクス模型です。(前脚の指は3本。日本製でコンピューター制御で動きます。)
トリケラトプス(学名:Triceratops)は、中生代後期白亜紀(マーストリヒチアン期)の、現在の北米大陸に生息した植物食恐竜の一属「三本の角を持つ顔」を意味し、古代ギリシャ語のτρί- (tri-) が「三つ」、κέρας (kéras) が「角」、?ψ (ōps) が「顔」を意味することに由来しています。 -
奥さん、聞いてますか?
-
羽毛を持つデイノニクスの実物大模型
デイノニクス:Deinonychus(古代ギリシャ語の δεινός「恐ろしい」と?νυξ、属格?νυχος「爪」に由来)は、ドロマエオサウルス科に属する肉食恐竜の属で一種のみ、デイノニクス・アンティルホプスです。まだ鳥類ではないが、最も近縁の恐竜です。
(鳥やろ。)
羽毛があっても恐竜です。 -
恐竜から鳥に進化していくのです。
-
Die Eroberung des Luftraums(The conquest of the sky)空の征服
始祖鳥Archaeopteryx(アーケオプテリクス、古代ギリシャ語の?ρχα?ος archaîos「古代の」とπτέρυξ ptéryx「翼、飛翔、羽」に由来)
ジュラ紀、体長50㎝くらいの化石がドイツで発見されています。ここにあるのは複製の様です。 -
(ギャオスの骨格だ。)
翼竜プテラノドンですよ。
(ギャオスでしょ。)
どちらかといえばラドンにちかいです。
(ふうん。ラドンなの。)違う。
[コンサートのことを根に持っているな。どうしょう。石橋をたたいてこわせ。化石のうえにも数億万年。何言って万年・・・違う。奥さんの耳に念仏。奥さんがコンサートに行けなければあたりちらす。・・noriyosiにも5分の魂。・・いかん。noriyosiもおくさんにあやまり]
今度コンサートに行きましょう。
(よっしゃ) -
奥さあん。・・・たいしたもんだ。あっという間にルーム11から14まで通りすぎた。
-
(キングギドラの骨格見たかったのに。)
私もですけど、それは恐竜ではなく怪獣です。ここは不自然・架空博物館ではないんです。 -
(お猿さんに興味はない。)
恐竜に趣味が偏ってるけど、ホモサピエンスの進化も面白いんですけど。 -
展示室から出ましたね。上の階に行きますか。
(いや。ここから出ないと美術館に行けないから。遅くならないうちに早く出よう。 -
(どれが出口?)
どの扉が出口なんでしょうね。 -
自然史博物館から出てきました。5時過ぎですけど日没前なので地面は博物館の影で暗くなっています。
(モスラの幼虫が東京タワーにまゆを作るところや、ゴジラとキングコングが富士の裾野でけんかするところの展示は屋外にもないのんか。)
楽しそうな恐竜公園はあるんだけど。東京ではビルの上にゴジラさんがいました。
(いってみるか。)はい。 -
陰になっているので、西日による影響は受けず石目による色むらだけです。
ファサード左の彫像の台座はEuropaと彫っています。
自由の女神とハープを持った青年に見えますが、ローマ神話の女神リーベルタースとアポロンでヨーロッパを表す寓意的な彫像となっています。
(小象さんがかわいい。) -
広場のマリアテレジア像です。お顔はつねに王宮側を見ています。
奥に見えているのが美術史美術館です。
『KHM 博物館協会は、5,000年にわたる文化史にわたる博物館とコレクションの協会であり、ヨーロッパで最も有名な文化機関の1つです。
主な任務は、これらのコレクションの保存、研究、展示です。この地域の重要な文化遺産を守り、幅広い人々に公開するために、質の高い展覧会や教育プログラムを企画し、研究プロジェクトを実施しています。
この協会はオーストリア連邦博物館群に属し、3つの博物館(美術史博物館、ウィーン世界博物館、劇場博物館)と7つのコレクション(エフェソス博物館、帝国武器庫、古代楽器コレクション、帝国宝物庫、インスブルックのアンブラス城、帝国馬車博物館、テセウス神殿)を擁しています。これらはウィーンとインスブルックの合計7か所に所在しています。』 -
建物から地面に落とす影は無いようです。出っ張っているところは後ろに影が出来ています。外壁は石目による色むらはありますが、陰になるところは暗く日が当たるところは光って見えました。鉛紫色のドーム屋根がエンジ色に変ったように見えました。これが違って見えた要因のような気がします。
美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)の破風の碑文銘板には
DEN DENKMÄLERN DER KUNSTFREUNDE DES ALTERTHUMS KAISER FRANZ JOSEPH I MDCCCLXXXL
[古代の芸術と学問に携わる人々にフランツ・ヨーゼフ1世、1881年]とあります。
ファサードにはどちらも女性像の彫像があります。
台座には左(東)はMALEREI:マーレライ(絵画)と、
右(西)はBILDHAUEREI:ビルトハオエライ(彫塑)と文字を掘っていますがこちらは左手に恐ろしいものをもったユディトさんのようです。 -
エントランスホールです。
(どのように行けばいいのやら。) -
インフォーメーションカウンターもありますが、手荷物を預けてからにしましょう。
-
パンフレットを見たのがまずかったのか。これは自撮り棒、三脚だめ、フラッシュだめ、スマートフォンだめ、何が何でも撮影はだめと思うでしょ。
(フラッシュ使わなければいいよ。マナーモードにしてね。だよね。)
だったよね。後の祭りだよね。 -
手荷物預けよう。みんな軽装でだれももってないでしょ。
(いや)
コインは戻ってくるから。
(それを早くいいなさい。) -
展示室レイアウト
そんなわけで、館内ホールまでの映像しかありません。
期待されていたのに残念です。
(混乱するから、別にいいよ。)
今回はパブリックドメインを使ってバベルの塔と絵画芸術だけの話にします。
まず創世記がバベルとよぶ街の塔の話ですが、創世記にはバベルの塔の話は11章1-9節しかありません。
『1 全地は同じ発音、同じ言葉であった。2 時に人々は東に移り、シナル(シュメール?)の地に平野を得て、そこに住んだ。3 彼らは互に言った、「さあ、れんがを造って、よく焼こう」。こうして彼らは石の代りに、れんがを得、しっくいの代りに、アスファルトを得た。4 彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう。」5 時に主は下って、人の子たちの建てる町と塔とを見て、6 言われた、「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らはすでにこの事をしはじめた。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。7 さあ、われわれは下って行って、そこで彼らの言葉を乱し、互に言葉が通じないようにしょう。」8 こうして主が彼らをそこから全地のおもてに散らされたので、彼らは町を建てるのをやめた。9 これによってその町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を乱されたからである。主はそこから彼らを全地のおもてに散らされた。』
創世記がバベルとよぶ街の塔の物語は、年代順では大洪水の後、アブラム(後のアブラハム)が75歳でハランへ旅する前の出来事です。
ニムロドは、大洪水後の最初の大帝国の創始者であり王でした。創世記10-10彼の国は最初シナル(シュメール?)の地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった。11 彼はその地からアッスリヤ(アッシリア?)に出でて、ニネベ、レホボテイリ、カラおよびニネベとカラとの間にある大いなる町レセンを建てた。 -
ブリューゲルの『バベルの塔』は創世記を題材にしています。創世記がバベルとよぶ街の塔の話、シュメール人のバビロンの街の話をからめて、これだけで専門家がいっぱい寄ってきて情報過多で『混乱』しますので、バビロンのおさらいです。
紀元前4000~3100年頃、ミソポタミア最東南部ユーフラテス河畔の東側に新興シュメール都市国家が成立し、王朝時代が築かれました。キシュ、ウル、ウルク、ラガシュなどの都市のうちシュメール人の都市ウルクは2~5万人でした。紀元前2400~2350年の間、シュメール人は衰退し、アッカド人が増加しました。シュメールのキシュ第4王朝のウル・ザババ王の笏持ちであったサルゴン王が率いるアッカド王国に征服されてしまいます。しかし紀元前2350年頃統一王朝アッカド帝国(~2154)も衰退し、紀元前2060年頃ウル王ウル・ナンムによりシュメールが再興されウル第三王朝(~2004衰退)ができ、バビロンを都とするバビロン第一王朝が建国されたのは紀元前1830年(~1530衰退)です。バビロンはシュメール人が創った都市です。ジグラッドはシュメール人により建設された神殿です。
パブリックドメイン:バビロンの世界地図
見てわかるように13がバビロンです。(わからんぞ)バビロンの守護神マルドゥクによる世界の創造の一部を描写しているようです。マルドゥクは太古の塩の海(ティアマト女神)を分け、陸と海を創造しました。その中には「ノア」ことアトラ・ハシスが漂着したアララト山も含まれる。14~17は海で、地球創造以来、地球を取り囲む塩の海蛇の女神ティアマトを象徴している。ティアマトの伴侶の淡水から生じたアブズ、そして洪水は、おそらく人間を捕食する海の怪物、リヴァイアサンの起源か。バビロニアのノアの島であるディルムンがあります。神々が空に建てた門を通して、エデンの園に雨を降らせましたが、同時に洪水も引き起こしました。(長くなるので以降省略、バビロン神話やギルガメッシュ叙事詩など)
とにかく大洪水の話はヘブライ人の創世記に シュメール人の神話が取り入れられているようです。 -
フランドル(今の北フランス、ベルギーと一部オランダ)のピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563年) Turmbau zu Babel, 1563
この絵は大変面白い。
(うん。王様のよこにいる人おかしい。王様もうっとうしいから杖で頭を叩こうとしている。)
いいとこ見てる。宗教画ではなく絵としてみると楽しい。日によって違って見えてきます。岩山を利用して塔をたてているんですが、河口のそばで、氾濫したら大惨事です。よくみるとバビロンなら街と樹がおかしいです。大砲に見えたのがクレーンだったり、一所懸命働いている人や、壊している人に見えたり、建築現場に住みついた人がいたり、遊び心がありますね。
私は建物は作業員一心同体、同じ目的をもって計画的に建てなければ完成できませんよと受け取りますが、創世記の教えはどうなんでしょう。
シュメール人の焼成煉瓦や、アスファルトの技術をまねずにヘブライ人は放牧民族だから定住せずに各地に散らばれとの教えなんでしょうか?
(考えるな。たがいの民族にちがいがある。) -
ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1568年)5年後の作品(絵が小さいから別名小バベル)
楽しみが減ってもはや工事を完成できませんね。ミナレットのようならせんスロープは工事用通路になりますが工事途中なのに足場の穴が残るだけで足場を外しているのです。
創世記がバベルとよぶ街の塔の話 ヨベル書10章要約
【彼らはアララトの地から東に向かいシナアルに行き、彼らはその日々に町と塔を建てました。「さあ、天に昇るためにこれを使おう。」 そして彼らは建設を始め、第四週には火でレンガを焼き、それらは石の代わりとなり、彼らがそれらを接着するために使った粘土は海から出てくるアスファルトであり、シナアルの地の水の泉から得られたものでした。 そして彼らはそれを建設し続け、四十三年間かけてそれを建てました。その幅は203レンガであり、高さ(レンガの高さ)は1の3分の1であり、その高さは5433キュビットと2パームに達し、(1つの壁の長さは)13スタディ、もう一方の壁の長さは30スタディに達しました。
『見よ、彼らは一つの民であり、これを始めたので、今や彼らにできないことは何もない。さあ、下って行って彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が理解できないようにし、彼らが町や国々に散らばるようにしよう。彼らの間で一つの目的が成し遂げられることはなく、裁きの日までそうなるであろう。』彼らは互いの言葉を理解できなくなり、町と塔の建設を止めました。 このため、シナアルの全地は「バベル」と呼ばれています。というのは、主がそこで人間の子孫たちの言葉を混乱させたからです。またそこから彼らはおのおのその言語、民族にしたがって彼らのすべての都市に分散していった。主はその塔に向けて大風を送って、これを地面に転覆せしめられた。見よ、その塔はシナルの地、アッシリアとバビロンの中間にあった。人々はその名を『崩壊』と呼んだ。】
創世記のバベルはアッシリアとバビロンの間、シナアル(シュメール)の地にあり、その(塔)の名前は『崩壊』と呼ばれたそうです。創世記のバベル(混乱)はバビロン(神の門)と違う場所かもしれません。
※旧約聖書偽書(外典)ヨベル書(死海文書の一書 ギリシャ語訳・原典ヘブライ語は断片が残るのみ)
(frag y)
(10,21)契約。43年かけて家を建てた。その高さは5433ペーキュスと2掌尺。間口は203プリントス。プリントスの高さは、1煉瓦の1/3。<1つの壁の長さは>13スタディアとさらに30〔プース?〕。
(frag z)
(10.21)というのは、40年刊かけて彼らは家を建て、あの人(ネブロード)が彼らを背教へと強く使嗾したとき、
(10.24)神によって乱されて、多言語へと分かれた。そこでかの人(ネブロード)は、?????
(10,26)このために塔は強風によって、記録されているところでは、倒れ、神的審判によってこれを倒したもうた。
※これは創世記のバベルにある塔の高さは約2484mと言っています。1キュビット(ペーキュス)は手の指先からひじまで約45㎝です。 -
パブリックドメイン:バビロンの復元想像図と遺構
新バビロニア王朝が成立するのは紀元前625年のころです。第2代ネブカドネザル2世の次代に最盛期を迎ええ、首都バビロンの再建を積極的に行う一方、シリアやパレスチナ方面へと進出し、紀元前597年にはユダヤ人のユダ王国(南王国)の首都エルサレムを占領して、「バビロン捕囚」を行いました。
新バビロニアのジグラッドはシュメール人により建設され、7層100mの高さの月の女神イナンチを祀る神殿でした。 -
ネーデルランド(オランダ)のヨハネス・フェルメール 『絵画芸術』ときどき別名『画家のアトリエ』(1667年)
Jan Vermeer: Die Malkunst, um 1666/1668
これはウスターシュ・ル・シュウールの『エウテルペー、タレイア、クレイオー』 (1652-1655年)を一緒に見ればわかる。女神クリオは、人類の偉業を讚えるラッパ(トランペット)とその偉業を記した本を手に、花冠をつけた音楽のエウテルペーはフルートを奏で、喜劇の女神ターリアは、演劇を象徴する仮面を手にしている。
学識のある専門家は少女にトランペットと本と月桂樹の冠を付けるだけで女神クリオ(クレイオー)と気づく。絵の構成や背景も素晴らしいのですが、私は知らないから画面の中で一番小さな領域に描かれた少女に清楚なイメージを感じるだけで十分です。
もう一つ好きな絵があって、『青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)』ですが、顔にはひび割れがみえます。これも油絵ですから、ひび割れてみえるはずですが、不思議なことに、8倍に拡大しても見えません。これは。
(これは?)小さい領域に描かれているのと、パブリックドメインではデジタル画像処理をしているようなのです。
(実物はどうだった?)
記憶にございません。ひび割れを見たくて行く人はいません。 -
いろいろ楽しんだ館内もさすがに寂しくなってきた。
-
夜も更けてまいりました。
(あなたは老けてきました。) -
(外は真っ暗。急がないと危険があぶない。)
アプリで明るくできるから大丈夫。
(それがなんの役に立つ?) -
奥さん、足が早い。
-
ワンちゃんに注意しても無駄だから。標識は同伴の人間に注意に変更しょう。
(うるさいです。みたらわかる。) -
自然史博物館の東面はクリーニングで白くなっているでしょう。
(ほんとだね。) -
ホテルまであまり歩かないですむメトロ+トラム乗り継ぎで戻りましょう。
[Volksheaster U3(3駅)~ Westbanhhof S+U (12駅) Linzer Str.で下車]
-
(近くのあのプラットホームから乗り込むぞい。)
-
メトロ駅からエスカレータで地上に出ました。そんなに暗くありません。(暗いわ。)
-
メトロからトラムに乗り換えです。
(諸般の事情により以降省略) -
6時30分
ホテルの部屋からみる風景も今日が最後。
(今更ながら、鉄道のそばだった。) -
2連泊した部屋ともお別れです。
(他にノーヴムホテルはありますが、ここカバリエ・ウィーンは解体されてもうありませんから本当に最後でした。) -
まず、朝食会場へ。
-
左の呼び出しボタンを押すと、右のエレベータの扉が開いた。
階段ホールを兼ねているから、エレベータの扉は遮煙防火扉になっているはず。 -
寂しさもあるのですが、慌ただしく荷物を積み込んで、8時50分、バスで空港に向かいます。
-
出国手続きをすましたあと、
-
9時50分
私たちはGゲートに移動します。 -
最後の買い物をしているようです。
(お土産のチョコレートを食べたのはだれだあ。)
一口どうぞ。
(そうお。パク。ばらして配るか。) -
スイスの飛行機を見ながら、
-
搭乗手続きまで、まだ時間があるのでコーヒを飲みます。
-
ウイーン発は11時50分。
(ロケットの打ち上げ秒読みみたい。) -
お疲れ様でした。旅に行けば出会った皆様はみんな友達。お付き合いいただきありがとうございました。
ドイツ・オーストリアハイライト周遊8日間の旅も好評のうち、予定終了でございます。
(長い間有難うございました。いろいろありましたが、ぶじ帰国出来たのは皆様のおかげです。あらためてお礼申し上げます。)
来年は旧作ではなく、もう一度新作でお目にかかりたいものです。スペインかアラスカの旅の空の下で。その時までごきげんよう。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
noriyosiさんの関連旅行記
ウィーン(オーストリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ウィーン(オーストリア) の人気ホテル
オーストリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストリア最安
478円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
73