2018/12/22 - 2018/12/22
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kojikojiさん
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この日はプラハを出発してチェスキー・クロムロフ経由でウィーンに向かいます。午前8時のプラハはまだ薄暗くてバスが少し走り出すと小雨が降ってきました。トイレ休憩を1回挟んで約3時間でチェスキー・クロムロフに到着しました。残念ながらここでも少し強めの雨が降っています。傘をさして現地ガイドさんの案内で「チェスキー・クロムロフ城」の見学から観光が始まります。予定表には入場観光ではない案内でしたが、建物の中には入らない中庭とはいえ城内を見学した気分にはなりました。10月から冬季閉鎖しているので個人で来たとしても内部の見学はできません。8年前の中欧の旅では3週間の比較的長い期間でしたが、チェコではブルーノにも立ち寄れず電車で通過しただけでした。建築関係の仕事を仕事をしながらミース・ファン・デル・ローエの代表作の「トゥーゲンハット邸」を見られないのは苦渋の判断でした。同じようにチェスキー・クロムロフも泣く泣く諦めた場所なので、今回の旅で立ち寄れたのは幸いでした。本当は1泊したいと思っていたのですが、そこまでは叶いませんでした。城の見学の後は城下町の古い石畳を歩きましたが、確かに世界で一番美しいと言われる街だなと感じました。案内されて歩く途中にガイドさんから1軒のガラス屋さんの紹介がありました。プラハでは諦めていたフォレスト・ガラスの専門店でした。8年前にプラハの美術館のショップで1個買い求め、その後もブリュッセルの博物館で見たローマンガラスなどなど心に残っているものです。その時は団体行動中なのでそのまま素通りです。橋を渡った先のクリスマスマーケットの開かれている広場で30分ほどの自由時間が、もらえましたが踵返しでガラス屋さんまで走りました。クレジットカードが使えるのと梱包について尋ね、10分で気に入ったコップやゴブレットを6個ほど選びました。思ったよりも安かったのでもっと買えばよかったと思いましたがそれでも大満足です。チェスキークロムロフキーのもう1つのポイントは「エッゲンベルグ醸造所」のランチです。チェコのビールは美味しいですがその醸造元ですからなおさらです。今回のツアーは各地の観光より、レストランの選定が良かったと思います。美味しいビールと近隣で獲れたマスのグリルは美味しかったです。絵葉書を1枚投函してバスはオーストリアとの国境を越えてウィーンに向かいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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午前8時にプラハを出発します。12月のヨーロッパはこの時間ではまだ薄暗いです。
トップホテル プラハ ホテル
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プラハから南に向かうとすぐに田園風景が現れます。以前の旅ではプラハ駅から列車でブルーノ経由でウィーンに入りましたが、今回はバスでチェスキー・クロムロフに立ち寄ってからのウィーン入りになります。
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ツアーも4日目で毎日朝が早いので皆さんは暖かいバスの中で寝ている方が多いですが、美しい景色がもったいないので目で追ってしまいます。
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だいぶ雪が消えましたが所どころ残っていました。この1週間前はチェコやハンガリーは雪が降ったそうで、
ブダペストは雪が積もって王宮の辺りは大変だったそうです。 -
2時間ほどで一度トイレ休憩がありました。高速道路のガソリンスタンドはどこもショップが併設されているので楽しいです。
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チェスキー・クルムロフ郊外にはブドヴァイゼルの工場があるので1本買っておきました。ブドヴァイゼルは英語表記で「Budweiser」で、アメリカのビール「バドワイザー」と一緒です。1876年にドイツ系アメリカ移民がアメリカでビールの製造を始め、欧州で有名なビールの名産地ブドヴァイスの名前を採ってバドワイザー と命名した事が起源です。アメリカ国内で商標登録を完了させてしまい、怒ったチェコ側はアメリカとの間で訴訟問題にまで発展します。最終的にはアメリカ側はヨーロッパではバドやブッシュという名前で販売し、チェコ側はアメリカでは「Czechvar」(チェコヴァル)という名前で販売することで合意したそうです。
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ブルタヴァ川が見えてくるとそろそろチェスキー・クロムロフです。ブルタヴァ川は南から北のプラハを経由してエルベ川の合流します。一昨日から旅してきたマイセンやドレスデンを流れていた川をさかのぼっている感じです。
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チェスキーは「チェコの」という意味で、クルムロフは「ねじれた川辺の草地(湿地)」という意味だそうです。雨の降る駐車場で出迎えてくれた現地のガイドさんの最初の説明でした。
プラーシュティ橋 建造物
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この町と城の建設はボヘミアの重要な通商路であるヴルタヴァ川沿いに13世紀後半に始まったそうです。 1302年にチェスキー・クルムロフの町と城はボヘミアの有力貴族であったローゼンベルク家のものとなります。町の繁栄とは裏腹にローゼンベルク家の財政は次第に破綻を来たすようになり、ついに借金の抵当に入れられた町は1601年に神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の手に渡ってしまいます。坂を上りながらガイドさんは息が切れて説明が大変そうで気の毒になります。
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その後1622年に神聖ローマ皇帝フェルディナント2世は三十年戦争において財政面を含む貢献のあったエッゲンベルク家にこの町を与えます。
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跡継ぎに恵まれなかったエッゲンベルク家は1719年に断絶し、有力貴族のシュヴァルツェンベルク家が町と城を相続します。領主ヨーゼフ・アダム・シュヴァルツェンベルクの時代に城はバロック様式に改築され、後に有名となる城内劇場(バロック劇場)が完成します。
プラーシュティ橋 建造物
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お城の内部の華やかさの説明もありましたが11月から3月は閉鎖されています。それ以前にこのツアーでは城の内部見学は11月以前のものから含まれていません。
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ここはヴルタヴァ川沿いの崖の一角にある展望スポットで、一番高い位置になります。街を流れる川とチェスキークルムロフ城とヴィート教会と町並み、奥に広がる丘が一望できます。
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ここでしばらく写真タイムです。狭い展望台なうえに雨が降っているので写真を撮るのは大変です。
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このまま城の中を通り抜けて、その先の町まで降りていくようです。長年の夢だったチェスキー・クロムロフにやってきたという感慨に浸ります。
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2人一緒の写真を撮ってもらいましたが、これではどこだか分からないですね。町中に数あるマップの中でいうと11番の馬小屋に当たる位置です。
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第5の中庭からプラーシュチョヴィー橋に向かって進んでいきます。後で知りますが、この橋は断崖と断崖を繋いだ建物のようでした。
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エゴンシーレ1916年作の「クルマウの風景」が2003年ロンドンのサザビーズで約24億円で落札されました。この「クルマウ」は「チェスキークルムロフ」のことです。シーレの母親が生まれた場所で自身も住んでいた時期があったそうですが、彼の作品が卑猥だという評価で市民に追い出されたそうです。
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プラーシュチョヴィー橋を通過してきます。歩いているときはただ建物を通り抜けているだけのイメージでした。
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アッパー・キャッスルの第4の中庭に入りました。
チェスキークルムロフ城 城・宮殿
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一見豪華な建物ですが壁面は全てフラットで、トロンプ・ルイユという騙し絵になっています。石積みの壁やモールディングやレリーフは全て描かれたものです。
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窓のニッチのクリスマスの植え込みは本物でした。
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ここまで全て描かれたものは初めて見る気がします。
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本来は壁に造られた壁龕(ニッチ)に石像が立っているように見せたかったのだと思います。モチーフは茶色い柱を見ても分かるように古代ギリシャのようで、石像の下にもヴィーナスの文字が読み取れます。
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1つ1つ見ていくと当時の苦労が感じられます。壁龕の上部のシェル状の意匠だったり。建築費用として考えれば実際の石積みの建築に比べて安くできたと思います。
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中庭はこのようなアーチの通路でつながっています。この大きさだと馬車や馬に乗ったままで城内を移動できたのだと感じます。
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最初の馬小屋の展望台から見えた塔が見えました。
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16世紀に現在のルネサンス様式に改築された塔のデザインに惹かれますが、周囲の建物のトロンプ・ルイユの建築様式が違うのも面白いです。
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フラットな窓の開口部も重厚な石造りのように見えます。
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外から見るとシンプルな建物です。雨が上がって日が差してくるとしっとりとした佇まいです。
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左側がエッゲンベルグ家の5弁の薔薇と車輪の意匠が読み取れます。右側はシュヴァルツェンベルク家の鷲の紋章だと思います。
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6月の夏至の週末には「五弁の薔薇」の祭典が開催され、中世の衣装を着た人たちが町中を練り歩くそうです。
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到着したときはかなりの雨降りで観光がどうなるかと心配になりましたが、雨があがってしまえば穏やかな日差しになりました。
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壁面はズグラッフィート技法による騙し絵です。元々は16世紀ルネサンス期のイタリアで広く流行した壁面の仕上げ方法で、2層の対照的な色からなる漆喰の表面の湿った層を掻き落として線画を描く壁の装飾技法です。この場合一度白漆喰で仕上げた壁に定規を当てて、線を引いたり茶色い部分の白漆喰を乾く前に?惜き落としています。その効果によって、本来は高価な四角推に出っ張った石の仕上げのように見せています。
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色褪せていますが日時計が描かれていました。プラハで時計塔に再会してから頭の中に澁澤龍彦が浮かんでいましたが、ここで日時計を見つけてしまうと「ヨーロッパの乳房」に収録された「日時計について」が思い出されます。
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リルケの「日時計」についてもこの本から知ったし、ある意味自分の旅の方向性を決められた本でもあります。この城ではまたその本につながることがこの後にもありました。腕時計を見たら午前11:23でした。
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13世紀の中ごろにまでその起源をさかのぼることの出来るフラデークの塔ですが、ロジェムベルク家のヴィルヘルムの時代である16世紀後半にイタリアの建築家アローニャのバルタサーレ・マッギー によって質素なゴシック様式からルネッサンス様式へと大きくその外観は変えられたそうです。
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塔にはめ込まれたレリーフはイタリアの雰囲気を感じさせます。手前の建物の窓の上に描かれた顔も面白いです。
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騎士の周りの壁はもう立体に見せるというよりはプラハのキュビズム美術館に飾られた絵画のように見えてきます。
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18世紀から19世紀のシュヴァルツェンベルク家の時代には、ここで硬貨が造られていたそうです。
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ハンティングトロフィーのようなレリーフが美しいです。鹿の皮の雰囲気はマイセンで見た陶器のようでもあります。
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3人兄弟のような煙突は少しづつデザインが違っています。
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見事に描かれたイオニア式の柱ですが、軒まで伸びていないのでちぐはぐな感じがします。柱を伸ばすより上の壁画を横に繋げたかったのでしょうね。
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クリスマスの飾りのリボンも五弁の薔薇を意識しているようでした。
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ルクレチアは紀元前6世紀頃に王政ローマの女性です。ローマの王子セクストゥスは人妻だったルクレチアに恋をしてしまい、関係を迫り剣で脅しましたが彼女は脅しに屈しませんでした。しかし執拗な脅しに遂にルクレチアは折れてしまいます。王子が去った後に彼女は父親と夫を呼び、起こった悲劇を話し終えると「復讐をしてください。」と頼み、短剣で自らの命を絶ちます。王政ローマから共和制に変わるきっかけとなった話です。
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アッシリアの王ネブカドネツァルはメディア王との戦いにおいて自分に協力しなかった諸民族を攻撃するために司令官ホロフェルネスを派遣します。ホロフェルネスは軍勢を率いてユダヤへやってくると、ベトリアという町を包囲します。ユディットは着飾ってホロフェルネスのもとに赴き、ホロフェルネスの祝宴で泥酔させ、眠っていたホロフェルネスの短剣をとって彼の首を切り落とします。今まで見てきたクリムトやクラナッハやカラヴァッジオの有名な絵が頭に浮かびます。
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ガイドさんの説明に無いユディットの絵を読み解いたご褒美なのか、ウィーンでの観光でベルベデーレ宮殿に行った時のことです。3度目の美術館なので離団しようと思っていたら、今まで何十年と撮影禁止だった館内が撮影禁止解除になっていました。クリムトの「接吻」も「ユディット」も写真を撮れたので良かったです。今年はこの「ユディット」が日本に来るようです。
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第2の中庭に入る手前の堀には1647年に建造された木製の跳ね橋があり、城を堅固に守っていたそうですが現在は石橋となっていました。その石橋の両側の掘割には16世紀から熊が飼われていていたそうです。ローゼンベルク家のローゼは薔薇が語源で、紋章には5弁の赤い薔薇が使われていますが、ローゼンベルク家のシンボルとして熊も描かれています。ローゼンベルク家はイタリアのオルシーニ家の子孫であり、オルシーニは熊を意味する言葉であることから、堀にはそのことに因み3頭の熊が飼われているそうです。
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ローゼンベルグ家とオルシーニ家がつながった途端に自分の中でいろいろなものがつながりました。先ほどの澁澤龍彦の「ヨーロッパの乳房」を読んで30年ほど前にイタリアを旅したことがあるのですが、どうしても行きたかったのが「バロック抄-ボマルツォ紀行」に掛かれたボマルツォでした。パルコ・ディ・モストリと呼ばれる庭園はオルシーニ家のものでした。
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そしてその庭園には薔薇を抱えた熊の像が置かれてありました。そうかオルシーニは熊(orso)という意味だったのかと、謎が解けたような気分でした。まるでダン・ブラウンの小説の謎を解いている気分です。
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熊の代わりに聖母マリア像が置かれ、塔をバックに美しい姿を見せています。
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ヨハネの黙示録に記載される「太陽を着て、足の下に月を踏み、頭上に12の星の冠を被っていた。」という記述のままの聖母マリアの姿です。でもよく見ると頭上の星は9しかありませんでした。エーゲ海のパトモス島のヨハネの黙示録教会へ行ったことを思い出します。
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本来は城下町からずっと上がってきて、こちらから見学を進めるのだと思います。団体ツアーの場合は逆ルートでここから下っていくようです。
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赤い門と呼ばれる本来の入り口です。門の左右を狛犬のように獅子が守っています。
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ここでもまた新しい紋章が出てきますが、どこのものか分かりません。
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こちらはシュヴァルツェンベルク家の紋章だと分かります。トルコ人の頭をつつくカラスが描かれていますから。第2次ウィーン包囲は1683年に行われたオスマン帝国による最後の大規模なヨーロッパ進撃作戦で、オスマン軍はオーストリアの首都で神聖ローマ皇帝の居城であるウィーンを大軍をもって攻撃した頃のものだと思います。
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チェスキー・クロムロフ城の見学が終わり、ブルタヴァ川まで小道を下っていきます。ガイドさんが坂道の階段を下りながら紹介してくれたのはグラス屋さんでした。
見た瞬間「これだ!」と思いました。8年前の中欧の旅でプラハのシュテルンベルク宮殿のミュージアム・ショップで売っていたフォレスト・ガラスです。ウビトバニ ザーメツケ スホディ ホテル
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この時は団体行動なので泣く泣く通過するだけです。この先で自由時間があったら戻れるように店の場所を覚えておきます。
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道すがらには観光客が喜びそうなお土産物屋や小さい博物館が並んでいます。ここで1泊したかったなというのが正直な印象です。
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湾曲したモルタヴァ川に架かる「ラゼブニッキー橋」は理髪師の橋という意味だそうです。橋の中ほどには磔刑像が掲げられています。
ラゼブニッキー橋 建造物
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そしてその反対側にはプラハのカレル橋にも立つヤン・ネポムツキーの像がありました。聖職者や水難からの庇護者として船員や橋の守護聖人としても崇敬されている聖人です。
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楽器を奏でるおじさんは寒そうです。
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いつかまた来たいと思う美しい町でした。
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橋を渡っても楽しげなお店が続いています。
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レストランにはブドヴァイゼルビールのロゴがお客を誘います。
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「スヴォルノスティ広場」まで上がってきました。普段は何もない広場ですが、この時期はクリスマスマーケットのスタンドで埋め尽くされています。
スヴォルノステイ広場 広場・公園
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お客が少ないせいかスタンドにも人があまりいません。
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中心にある像はペストに対する庇護を願って聖母マリアにささげられたもので1715年に造られたそうです。
ペスト記念塔 モニュメント・記念碑
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広場の一角にはクリッペが置かれてありました。
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素朴で可愛らしい聖母マリアと幼子イエスの姿が微笑ましいです。
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スヴォルノスティ広場には16世紀に建てられた市庁舎の建物もあります。
市庁舎 建造物
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シュヴァルツェンベルク家の紋章にはトルコ人の頭をつつくカラスが描かれています。16世紀の頃はオスマントルコは脅威だったのだろうし、戦いも激しかったのだと思います。
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チェスキークルムロフの紋章 です。
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背景が赤色の2つの尾の銀色の獅子はボヘミアの紋章です。
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「MADETA」はこの町で一番おいしいチーズ屋さんだそうですが、ちょうど12時でお昼休みになっていました。
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五弁の薔薇は町のあちこちにちりばめられています。
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お城以外にもスグラヴィットを施した建物がたくさんあります。
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お城より手入れが行き届いています。
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確かに世界一美しい街と言われる所以が分かる気がします。
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低く垂れこめた雲もなかなか良い雰囲気を出しています。
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「セミナールニー庭園」のテラスからチェスキー・クロムロフ城が美しく望めました。
地域博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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フラデークの塔もよく見ると騙し絵で覆われています。
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30分ほどの自由時間がもらえることになりました。チーズ屋さんで買い物したいという人とクリスマスマーケットに行く人と別れます。
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思いっきり走って城近くのグラス屋さんまで戻りました。
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「Repliky -historicke sklo」というフォレスト・ガラス専門店です。店に入って「日本から来た団体旅行社なので、時間がないのだけど、クレジットカードで支払いができて、10分で梱包してもらえますか?」と尋ねると最初はびっくりしていましたが、笑顔で「大丈夫よ。バブルで包んで箱に入れますよ。」とのこと。
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中央ヨーロッパの中世のガラスは、森の中で生産されることからフォレスト・ガラス(森のガラス)として知られています。フォレストガラスは薄い緑色で、ガラスの中に気泡が見えるのが特徴です。これは材料の中の珪土に含まれるミネラルがもたらします。
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10分で選んだのがこれらのガラスです。バロックやルネッサンスのデザインなど取り混ぜて大きさも変化をつけました。小さいもので高さ15センチくらいです。
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現在の中世のガラスの再現は森の木を燃やすのではなくガスに変わった以外は昔の道具を使っています。デザインは遺跡や博物館に保存されているものを忠実に再現しています。
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店のおばさんは手際よくエアパッキンで包んで箱に入れてくれます。お願いして箱にどの時代のデザインかを書いてもらいました。お勘定をすると全部で10,000円くらいでした。もっとたくさん買って来れば良かったと思いますが、軽いのですが結構ガザばりました。
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ガラスに裏側から描いたナイーヴアートの絵も素敵でした。12使徒とイエスとマリアかと思ったらいろいろな聖人のようです。おばさんにお礼を言って広場まで戻りました。
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戻ってしばらく息を整えて「あっ。」と思いました。絵葉書を買うのを忘れました。もう出発するので買う時間はありません。これは唯一の失敗でした。
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古い騎士のフレスコ画が残っています。雨風に耐えてよく残っています。天気の悪いこんな日だから感じるのかもしれません。
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そろそろお腹が空いてきたところで、「エッゲンベルグ醸造所」に向かいます。5月から9月の夏の間だけ醸造所見学ツアーがあるようです。
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この日のお昼は醸造所に併設されたビアレストランということです。マイセンからドレスデン、プラハと美味しいビールが飲めて、そしてチェスキー・クロムロフでも美味しいビールがいただけます。
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1662年にエッゲンベルグ家が醸造所を含む敷地全体を買収して以来、醸造所の名前になったようです。
エッゲンベルグ醸造所 建造物
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入り口から右手に長い通路がありますが、壁にはチェスキー・クロムロフの文字が。
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「Restaurance Eggenberg(レスタウラツェ エッゲンベルク)」はかつては醸造所の一部だった建物を使ったレストランで、隣の建物では今でもビールが醸造されています。
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「ベヘロフカ」はチェコを代表するハーブリキュールで、1807年に薬剤師のヨーゼフ・べベールによって生み出されました。100種類を越えるハーブを原材料に造られますが、レシピは門外不出で現在それを知っているのはわずか2人だけらしいです。
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「エッゲンベルグ、素晴らしいビール」樽に乗った裸の女性の意味は???
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ランチはパプリカを振ったチーズとサラダの盛り合わせから始まりました。
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観光が終わって、買いたいと思っていたグラスやゴブレットも買えて満足です。
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エッゲンベルグのロゴの入ったグラス。レストランの左には醸造所のショップがあって、食後に行ってみようと思っていながら、絵葉書を書いていたら時間が無くなりました。
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ビールがやってきました。麦の穂とホップとエッゲンベルグ家の紋章を組み合わせたロゴなのですね。
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スヴィエトレー・ヴィチェプニー(Svetle vycepni)というライト・ドラウトと、スヴィエトリー・レジャーク(Svetly lezak)というライト・ラガーとトマヴィー・レジャーク(Tmavy lezak)のダーク・ラガー/黒ビールの3種類がありました。
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まずはダーク・ラガーで乾杯です。日本で飲む黒ビールと違い、甘みもあって飲みやすいビールです。昨晩プラハのウ・フレクーで飲んだビールを思い出します。
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メインはマスのフライです。
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このツアーの食事はその土地の名物料理がうまく組み合わされていて満足のいくものでした。マスも皮はカリカリで実はふっくらして美味しかったです。付け合わせのポテトもホクホクです。
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ライト・ラガーのビールもお替りします。ビールは1杯2ユーロでした。
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デザートは洋ナシとリンゴをカットしたものでした。
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店を出るときに絵葉書の投函を頼もうと思ったら、「レストランを出て左に行ったらポストあるわよ。」と言われたので投函に走りました。10日くらいで届きました。
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醸造所の駐車場までバスが来ていたのですぐに乗ることができましたが、ショップに立ち寄れなかったのが残念です。
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念願だったチェスキー・クロムロフの観光もできました。次に来ることがあったら1泊したいものです。ここからはバスで3時間30分かけてウィーンに向かいます。
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雨も上がって天気も良くなってきました。
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雲が低く広がっていますが、美しい景色が流れていきます。
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美味しい食事とビールを何杯か飲んだのでお昼寝したいところですが、その睡魔より車窓の景色の方が勝ちました。
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午後4時前にチェコからオーストリアに入ります。昔の国境のゲートが残されていました。現在はシェンゲン協定を結んだ国の行き来は簡単ですが、昔は国境を越えるとパスポートコントロールもたくさんあったし、いろいろな国を旅している旅情も感じられスタンプもたくさん押してもらえました。
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XXXLutzと書かれた看板を見たら初めはアムステルダムに来てしまったのかと思いました。XXXはアムステルダムを意味します。これはオーストリアの家具屋さんの看板です。
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ここのガソリンスタンドでトイレ休憩です。すごいかっこいいデザインですよね。
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こちらは世界共通デザイン。
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おぼろ月に照らされてウィーンまでひとっ走り。
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午後6時を回ったところで懐かしいウィーン西駅の前を通過しました。30年前にここで1か月のユーレールパスにスタンプをもらい、メルクまで電車に乗った後ドナウ川クルーズでウィーンまで戻り、南駅から夜行寝台でヴェネツィアまで行った旅を思い出しました。そんなウィーン南駅ももうありません。
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そしてしばらく走るとシューンブルン宮殿がライトアップしているのが見えました。クリスマスマーケットで賑わっています。この日のスケジュールは宮殿の西側の「パークホテル・シューンブルン」にチェックインして終わりです。もちろんクリスマスマーケットに出かけました。
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