シュノンソー旅行記(ブログ) 一覧に戻る
ロワール川支流のシェール川に架かる美しい古城「シュノンソー城」は、16世紀から19世紀にかけて歴代の城主が歴史に名を残す女性たちであったため、『貴婦人たちの城』と呼ばれています。<br /><br />フランス国内のお城としては、ヴェルサイユに次ぐ人気だそうです。<br /><br />かつてこの場所には13世紀以降領主であったマルク家の城塞と水車がありましたが、16世紀初頭に宮廷の財務担当官であったトマ・ボイエが購入し、新たな城を建設。<br />のちにボイエの息子により、負債のため国王フランソワ1世に献上されました。<br /><br />1547年にアンリ2世がフランソワ1世から王位を継承すると城を愛妾ディアーヌ・ド・ポワティエに譲り、ディアーヌによって城と対岸を結ぶ橋や美しい庭園が造られました。<br /><br />ところがアンリ2世が馬上槍試合で事故死すると、ディアーヌは王妃カトリーヌ・ド・メディシスにより城を追われてしまいました。<br /><br />新たな城主となったカトリーヌは幼い王の摂政として実権を握り、ディアーヌが造らせた橋の上に2階構造の『ギャラリー』を建設し、現在の華麗な姿に改築したのでした。<br /><br />アンリ2世を巡る愛妾ディアーヌ・ド・ポワティエと王妃カトリーヌ・ド・メディシスの愛憎劇はあまりにも有名で、シュノンソー城の歴史に彩り(?)を添えています。<br /><br /><br /><br /><br />☆☆☆ 旅程 ☆☆☆<br /><br /> 6/24(水) (午前)羽田発JL045 ⇒ (夕方)パリCDG着《パリ泊》<br /> 6/25(木) CDG空港にてレンタカー・チェックアウト → アミアン《泊》<br /> 6/26(金) アミアン → ジェルブロワ → ルーアン《泊》<br /> 6/27(土) ジヴェルニー観光《ルーアン泊》<br /> 6/28(日) ルーアン → オンフルール《泊》<br /> 6/29(月) トゥルーヴィル・シュル・メール観光《オンフルール泊》 <br /> 6/30(火) オンフルール → ブヴロン・アン・オージュ<br />       → モン・サン・ミッシェル《泊》 <br /> 7/01(水) モン・サン・ミッシェル観光《モン・サン・ミッシェル泊》<br /> 7/02(木) モン・サン・ミッシェル → カンカル → サン・マロ《泊》<br /> 7/03(金) ディナン & サン・シュリアック観光《サン・マロ泊》<br /> 7/04(土) サン・マロ → トゥール《泊》<br />★7/05(日) アンボワーズ城 & シュノンソー城観光《トゥール泊》<br /> 7/06(月) トゥール → シャンボール城 → シャルトル《泊》<br /> 7/07(火) シャルトル → ヴェルサイユ《泊》<br /> 7/08(水) ヴェルサイユ宮殿観光 → (夜)パリCDG発JL046 ⇒ (機中泊)<br /> 7/09(木) (午後)羽田着<br /><br />(旅行時 1ユーロ≒139円)<br />

2015 フランス北西部を巡る旅(14)ロワールの古城《シュノンソー城》☆Chenonceau

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2015/07/05 - 2015/07/05

1位(同エリア25件中)

sanabo

sanaboさん

ロワール川支流のシェール川に架かる美しい古城「シュノンソー城」は、16世紀から19世紀にかけて歴代の城主が歴史に名を残す女性たちであったため、『貴婦人たちの城』と呼ばれています。

フランス国内のお城としては、ヴェルサイユに次ぐ人気だそうです。

かつてこの場所には13世紀以降領主であったマルク家の城塞と水車がありましたが、16世紀初頭に宮廷の財務担当官であったトマ・ボイエが購入し、新たな城を建設。
のちにボイエの息子により、負債のため国王フランソワ1世に献上されました。

1547年にアンリ2世がフランソワ1世から王位を継承すると城を愛妾ディアーヌ・ド・ポワティエに譲り、ディアーヌによって城と対岸を結ぶ橋や美しい庭園が造られました。

ところがアンリ2世が馬上槍試合で事故死すると、ディアーヌは王妃カトリーヌ・ド・メディシスにより城を追われてしまいました。

新たな城主となったカトリーヌは幼い王の摂政として実権を握り、ディアーヌが造らせた橋の上に2階構造の『ギャラリー』を建設し、現在の華麗な姿に改築したのでした。

アンリ2世を巡る愛妾ディアーヌ・ド・ポワティエと王妃カトリーヌ・ド・メディシスの愛憎劇はあまりにも有名で、シュノンソー城の歴史に彩り(?)を添えています。




☆☆☆ 旅程 ☆☆☆

 6/24(水) (午前)羽田発JL045 ⇒ (夕方)パリCDG着《パリ泊》
 6/25(木) CDG空港にてレンタカー・チェックアウト → アミアン《泊》
 6/26(金) アミアン → ジェルブロワ → ルーアン《泊》
 6/27(土) ジヴェルニー観光《ルーアン泊》
 6/28(日) ルーアン → オンフルール《泊》
 6/29(月) トゥルーヴィル・シュル・メール観光《オンフルール泊》 
 6/30(火) オンフルール → ブヴロン・アン・オージュ
       → モン・サン・ミッシェル《泊》 
 7/01(水) モン・サン・ミッシェル観光《モン・サン・ミッシェル泊》
 7/02(木) モン・サン・ミッシェル → カンカル → サン・マロ《泊》
 7/03(金) ディナン & サン・シュリアック観光《サン・マロ泊》
 7/04(土) サン・マロ → トゥール《泊》
★7/05(日) アンボワーズ城 & シュノンソー城観光《トゥール泊》
 7/06(月) トゥール → シャンボール城 → シャルトル《泊》
 7/07(火) シャルトル → ヴェルサイユ《泊》
 7/08(水) ヴェルサイユ宮殿観光 → (夜)パリCDG発JL046 ⇒ (機中泊)
 7/09(木) (午後)羽田着

(旅行時 1ユーロ≒139円)

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
カップル・夫婦
交通手段
レンタカー
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 滞在しているトゥールから<br />アンボワーズ城とシュノンソー城の観光に出かけました。<br /><br />トゥールからアンボワーズまでは車で30分、<br />アンボワーズからシュノンソーは20分ほどの道のりです。<br /><br /> <br />*アンボワーズ編はこちらです<br />  →http://4travel.jp/travelogue/11130691

    滞在しているトゥールから
    アンボワーズ城とシュノンソー城の観光に出かけました。

    トゥールからアンボワーズまでは車で30分、
    アンボワーズからシュノンソーは20分ほどの道のりです。

     
    *アンボワーズ編はこちらです
      →http://4travel.jp/travelogue/11130691

  • シュノンソー城のチケット(9.5ユーロ)は<br />トゥールのツーリスト・インフォで予め購入していました。<br /><br />入口から300mほどの並木道が続いています。

    シュノンソー城のチケット(9.5ユーロ)は
    トゥールのツーリスト・インフォで予め購入していました。

    入口から300mほどの並木道が続いています。

  • 並木道の途中に &quot;labyrinthe&quot;(迷路)の標識(写真右)が<br />あったので、そちらの方へ行ってみると・・・<br /><br />(写真左上)←ネットから拝借<br />  カトリーヌ・ド・メディシスの命で<br />  二千本のイチイの木で造られた ”迷路” がありました。<br />  (高さは人の背丈ほどあります)<br /><br />(写真左下)<br />  上の写真右端の黄色い星印付近のベンチの上から見ていますが<br />  もっと高い所からでないと ”迷路” とは解りにくかったです(*&#39;ω&#39;*)   

    並木道の途中に "labyrinthe"(迷路)の標識(写真右)が
    あったので、そちらの方へ行ってみると・・・

    (写真左上)←ネットから拝借
      カトリーヌ・ド・メディシスの命で
      二千本のイチイの木で造られた ”迷路” がありました。
      (高さは人の背丈ほどあります)

    (写真左下)
      上の写真右端の黄色い星印付近のベンチの上から見ていますが
      もっと高い所からでないと ”迷路” とは解りにくかったです(*'ω'*)   

  • 再び並木道に戻って進んで行くと<br />白亜の建物が見えてきました。

    再び並木道に戻って進んで行くと
    白亜の建物が見えてきました。

  • (写真上)並木道の終わり(お城側)で振り返って。<br />     一対のスフィンクスの石像があります。<br />       <br />(写真下)石像の後ろ(進行方向右手)に見える建物は<br />     レストランやショップです。

    (写真上)並木道の終わり(お城側)で振り返って。
         一対のスフィンクスの石像があります。
           
    (写真下)石像の後ろ(進行方向右手)に見える建物は
         レストランやショップです。

  • 『シュノンソー城』(左)と『マルク家の塔』(右)<br /><br />このアングルだとお城よりも『マルク家の塔』の方が<br />ずっと大きくて立派に見えます。

    『シュノンソー城』(左)と『マルク家の塔』(右)

    このアングルだとお城よりも『マルク家の塔』の方が
    ずっと大きくて立派に見えます。

  • お城に向かって右手に見えるのが<br />アンリ2世の死後、愛妾ディアーヌを追い出して<br />王妃カトリーヌが造らせた『カトリーヌの庭』<br /><br />※一般的には「ディアーヌを追い出した」と言われていますが<br /> 正確には、ショーモン城と交換させたのだそうです。<br /> 本来シュノンソー城は国王が狩りをしたり賓客を迎える時に<br /> 使用していた城で、実際にはショーモン城の方が領地収入も<br /> 多かったとか。

    お城に向かって右手に見えるのが
    アンリ2世の死後、愛妾ディアーヌを追い出して
    王妃カトリーヌが造らせた『カトリーヌの庭』

    ※一般的には「ディアーヌを追い出した」と言われていますが
     正確には、ショーモン城と交換させたのだそうです。
     本来シュノンソー城は国王が狩りをしたり賓客を迎える時に
     使用していた城で、実際にはショーモン城の方が領地収入も
     多かったとか。

  • 『カトリーヌの庭』から見る「シュノンソー城」<br /><br />ここからは塔とお城が一体化して見えます。

    『カトリーヌの庭』から見る「シュノンソー城」

    ここからは塔とお城が一体化して見えます。

  • お城に向かって左方向に移動すると<br />ボート乗り場がありました。<br />(7~8月のみ利用可)<br /><br />看板によると、10:00~12:30と14:00~18:45の時間帯に<br />1回30分まで利用できるようです。<br /><br />特に料金は書いてなかったので、無料なのかしら…

    お城に向かって左方向に移動すると
    ボート乗り場がありました。
    (7~8月のみ利用可)

    看板によると、10:00~12:30と14:00~18:45の時間帯に
    1回30分まで利用できるようです。

    特に料金は書いてなかったので、無料なのかしら…

  • こちらは『管理人事務所』<br /><br />壁一面、藤に覆われていて素敵☆

    こちらは『管理人事務所』

    壁一面、藤に覆われていて素敵☆

  • お城を挟んで『カトリーヌの庭園』の反対側にあるのが<br />『ディアーヌの庭園』<br /><br />『カトリーヌの庭園』より、ずっと大きいです。

    お城を挟んで『カトリーヌの庭園』の反対側にあるのが
    『ディアーヌの庭園』

    『カトリーヌの庭園』より、ずっと大きいです。

  • 《城門》<br /><br />フランソワ1世の時代に彫刻・彩色された木製の門です。<br /><br />最初にこの城を建てたトマ・ボイエと(妻の)カトリーヌ・ブリソネの<br />家紋が左右の扉に彫られています。<br /><br />(2階から、この城門の上のバルコニーに出られます)<br /><br />黄色い矢印部分には・・・↓

    《城門》

    フランソワ1世の時代に彫刻・彩色された木製の門です。

    最初にこの城を建てたトマ・ボイエと(妻の)カトリーヌ・ブリソネの
    家紋が左右の扉に彫られています。

    (2階から、この城門の上のバルコニーに出られます)

    黄色い矢印部分には・・・↓

  • 国王フランソワ1世の紋章であるサラマンダー(火トカゲ)と<br />ラテン語の碑文『神の恵みを受けたフランス王フランソワと<br />フランス王妃クロード』が彫られています。

    国王フランソワ1世の紋章であるサラマンダー(火トカゲ)と
    ラテン語の碑文『神の恵みを受けたフランス王フランソワと
    フランス王妃クロード』が彫られています。

  • (初代城主である)トマ・ボイエの家紋が彫られた、城門の左側の扉

    (初代城主である)トマ・ボイエの家紋が彫られた、城門の左側の扉

  • トマ・ボイエの妻、カトリーヌ・ブリソネの家紋が彫られた、<br />城門右側の扉

    トマ・ボイエの妻、カトリーヌ・ブリソネの家紋が彫られた、
    城門右側の扉

  • 《1階ホール》(城門入口方向を振り返って)<br /><br />ホールの両側に部屋がありますが、実は先に行きたい所があります。<br /><br />ホールの先には…↓

    《1階ホール》(城門入口方向を振り返って)

    ホールの両側に部屋がありますが、実は先に行きたい所があります。

    ホールの先には…↓

  • 《ギャラリー》<br /><br />シェール川に架かる橋の上に建設された幅6m、全長60mの<br />『ギャラリー』があり、城内で最も美しいと言われています。<br /><br />私たちはこのギャラリーを突き抜け、突き当たりにある扉から<br />川の対岸を目指しているのです。<br /><br />今午後4時半ですが、5時にこの扉が閉まるというので急いでいます。<br />(お城はこの時期は午後7時までオープン)

    《ギャラリー》

    シェール川に架かる橋の上に建設された幅6m、全長60mの
    『ギャラリー』があり、城内で最も美しいと言われています。

    私たちはこのギャラリーを突き抜け、突き当たりにある扉から
    川の対岸を目指しているのです。

    今午後4時半ですが、5時にこの扉が閉まるというので急いでいます。
    (お城はこの時期は午後7時までオープン)

  • 対岸の扉から城外に出ると、跳ね橋があり<br />石橋へと続いています。<br /><br />(写真中央にギャラリーのシャンデリアの灯りが見えます)

    対岸の扉から城外に出ると、跳ね橋があり
    石橋へと続いています。

    (写真中央にギャラリーのシャンデリアの灯りが見えます)

  • 石橋の先にある階段を下りると、川沿いの道に出られます。

    石橋の先にある階段を下りると、川沿いの道に出られます。

  • 石橋のアーチが良い感じ♪<br /><br />皆さん、川辺のお散歩を楽しんでいます。

    石橋のアーチが良い感じ♪

    皆さん、川辺のお散歩を楽しんでいます。

  • さて、肝心のお城ですが<br />曇り空だったのでセピアカラーにしてみました。<br />当時の雰囲気が醸し出されているでしょうか…<br /><br />青空だったら、お城の白さが際立って美しいことでしょう。

    さて、肝心のお城ですが
    曇り空だったのでセピアカラーにしてみました。
    当時の雰囲気が醸し出されているでしょうか…

    青空だったら、お城の白さが際立って美しいことでしょう。

  • お城の下をボートでくぐり抜ける人たちが(^^♪

    お城の下をボートでくぐり抜ける人たちが(^^♪

  • 『ギャラリー』に戻ってきました。<br /><br />1576年にカトリーヌ・ド・メディシスの命により<br />橋の上に『ギャラリー』が建設され、壮麗な舞踏会場となりました。<br />(床には石灰岩とスレートが敷き詰められ、天井梁の見える造りです)<br /><br />第一次世界大戦中は当時の城の所有者であったガストン・ムニエ氏が<br />自費で城を病院に改装し、2000人以上の負傷兵が入院し手当てを受けたそうです。<br />(ムニエ家はかつてはチョコレート王、今はフランス・ネスレの大株主で<br /> 現在も城の所有者です)<br /><br />第二次世界大戦時にはシェール川がドイツの占領地区の境であったため<br />城の入口(右岸)は占領地区側に位置し、ギャラリーの南側の扉は<br />左岸の非占領地区に通じており、フランスのレジスタンスは大勢の人々を<br />ここから逃がしたのだそうです。

    『ギャラリー』に戻ってきました。

    1576年にカトリーヌ・ド・メディシスの命により
    橋の上に『ギャラリー』が建設され、壮麗な舞踏会場となりました。
    (床には石灰岩とスレートが敷き詰められ、天井梁の見える造りです)

    第一次世界大戦中は当時の城の所有者であったガストン・ムニエ氏が
    自費で城を病院に改装し、2000人以上の負傷兵が入院し手当てを受けたそうです。
    (ムニエ家はかつてはチョコレート王、今はフランス・ネスレの大株主で
     現在も城の所有者です)

    第二次世界大戦時にはシェール川がドイツの占領地区の境であったため
    城の入口(右岸)は占領地区側に位置し、ギャラリーの南側の扉は
    左岸の非占領地区に通じており、フランスのレジスタンスは大勢の人々を
    ここから逃がしたのだそうです。

  • 『ギャラリー』にはシェール川に面した18の窓があります。

    『ギャラリー』にはシェール川に面した18の窓があります。

  • 『ギャラリー』から望むシェール川

    『ギャラリー』から望むシェール川

  • 可愛い男の子が熱心に聞いているのはオーディオガイド♪<br /><br />前を行く女性のTシャツの絵柄も面白かったのでパチリ☆

    可愛い男の子が熱心に聞いているのはオーディオガイド♪

    前を行く女性のTシャツの絵柄も面白かったのでパチリ☆

  • 《護衛兵の間》<br /><br />当時、城に入ってすぐ左手の部屋には<br />武装した宮廷の護衛が控えていました。<br /><br />16世紀の暖炉にはトマ・ボイエの紋章が。<br /><br />壁のタペストリーは16世紀のフランドル製で<br />城での生活や結婚の申し込み、狩りの場面などが描かれています。

    《護衛兵の間》

    当時、城に入ってすぐ左手の部屋には
    武装した宮廷の護衛が控えていました。

    16世紀の暖炉にはトマ・ボイエの紋章が。

    壁のタペストリーは16世紀のフランドル製で
    城での生活や結婚の申し込み、狩りの場面などが描かれています。

  • 《護衛兵の間》<br /><br />ゴシック様式やルネサンス様式の大箱は<br />16世紀に宮廷が城から城へ移動する際に銀器や食器、<br />タペストリーなどを収納して運ぶためのものでした。<br /><br />※当時の国王はひとつの城に留まるのではなく、王領を治めるため<br /> 廷臣、外国使節(大使)、召使い、御用商人などを引き連れて<br /> 領内を旅して周ったのだそう。

    《護衛兵の間》

    ゴシック様式やルネサンス様式の大箱は
    16世紀に宮廷が城から城へ移動する際に銀器や食器、
    タペストリーなどを収納して運ぶためのものでした。

    ※当時の国王はひとつの城に留まるのではなく、王領を治めるため
     廷臣、外国使節(大使)、召使い、御用商人などを引き連れて
     領内を旅して周ったのだそう。

  • 《礼拝堂》<br /><br />フランス革命の際には当時の城主であったデュパン夫人の機転で<br />礼拝堂は薪の貯蔵庫として使用され、宗教性を隠したために<br />破壊を逃れました。

    《礼拝堂》

    フランス革命の際には当時の城主であったデュパン夫人の機転で
    礼拝堂は薪の貯蔵庫として使用され、宗教性を隠したために
    破壊を逃れました。

  • 《礼拝堂》<br /><br />ステンドグラスはマックス・アングラン作で1954年の作品です。<br /><br />オリジナルのものは1944年(第二次世界大戦)の爆撃で<br />破壊されてしまいました。

    《礼拝堂》

    ステンドグラスはマックス・アングラン作で1954年の作品です。

    オリジナルのものは1944年(第二次世界大戦)の爆撃で
    破壊されてしまいました。

  • 《礼拝堂》<br /><br />聖母子が描かれたステンドグラス

    《礼拝堂》

    聖母子が描かれたステンドグラス

  • 《ディアーヌ・ド・ポワティエの部屋》<br /><br />右端の男性が立ち去るのを待っていましたが、ずっとオーディオガイドを<br />聞いてらしたので、しびれを切らせてパチリ!<br /><br />部屋には旧約聖書の『力の勝利』と『愛徳の勝利』をテーマに織られた<br />2枚の16世紀のフランドル地方のタペストリーが飾られています。<br /><br />写真中央の絵画は、ムリーリョ作『聖母子』

    《ディアーヌ・ド・ポワティエの部屋》

    右端の男性が立ち去るのを待っていましたが、ずっとオーディオガイドを
    聞いてらしたので、しびれを切らせてパチリ!

    部屋には旧約聖書の『力の勝利』と『愛徳の勝利』をテーマに織られた
    2枚の16世紀のフランドル地方のタペストリーが飾られています。

    写真中央の絵画は、ムリーリョ作『聖母子』

  • ディアーヌ・ド・ポワティエの肖像画(ネットから拝借)<br /><br />19歳年下のアンリ2世の愛を独占し続けた、知性と美貌の持ち主です。<br /><br />1499年にフランス貴族の長女として生まれ、15歳で39歳年上のブレゼ伯爵と結婚。2女をもうけるも、32歳で夫が亡くなり未亡人に。<br /><br />夫の存命中からフランソワ1世(アンリ2世の父)の最初の王妃(つまりアンリ2世の母)の侍女となりましたが、王妃はアンリが5歳の時に他界。<br />王妃と同い年だったディアーヌをアンリは母のように慕い、ディアーヌもアンリを我が子のように可愛がったそうです。<br /><br />アンリが7歳の時、パヴィアの戦いで敗れ捕虜となった国王フランソワ1世の身代わりの人質として、兄フランソワとともにスペインへ送られることに。その時アンリに駆け寄り、誰よりも別れを悲しんだのがディアーヌだったと言われています。<br /><br />12歳になったアンリがようやくフランスに戻ると、フランソワ1世はディアーヌにアンリの家庭教師になることを命じました。<br /><br />フランソワ1世が二人目の王妃を迎えると、祝いの馬上試合で兄のフランソワ(フランソワ1世の長男)が新しい王妃に敬礼したのに対し、アンリはディアーヌに敬礼を贈ったのだそうです。<br />※当時、試合の際に騎士は敬愛する(愛する)女性に敬礼を贈る習わしでした。<br /><br />1533年にアンリは14歳で同い年のイタリアのメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスと政略結婚をしました。(当時は政略結婚は当たり前のことでした)<br />嫁いできたカトリーヌにしてみれば、夫には思いを寄せる女性がすでに他におり、生涯その人だけを愛し続けたというのは随分と可哀そうな気がします。(ダイアナ妃とカミラ夫人が頭をよぎってしまいました)<br /><br />ディアーヌがアンリ2世の愛妾になったのは1538年頃(アンリ19歳、ディアーヌ38歳の頃)と考えられています。<br /><br />愛妾(あいしょう)とは、わかりやすく言えば愛人のことですが、昨今の不倫カップルの愛人とは随分と異なります。<br />当時ヨーロッパの国王はほとんどが政略結婚だったため、本当に愛する女性を愛妾にしたのだそうです。 <br />しかもフランスでは愛妾の地位は公に認められたもので公式愛妾(公妾)と呼ばれ、生活費も宮廷費から賄われて宮廷や社交界にも出入りできたとか。(このような例はイングランドやポーランドにもあったようです)<br /><br />大抵の国では国王の愛妾は公然の秘密で公式にはいないことになっていたのと比べると、フランスは寛容なお国柄で現代にもその精神は引き継がれているように感じられます。<br /><br />1547年に国王フランソワ1世が亡くなると(兄フランソワは球技中の事故ですでに他界していたため)次男のアンリが王位を継承し、シュノンソー城をディアーヌに贈りました。<br /><br />ところが1559年にアンリ2世が馬上槍試合で重傷を負うと、ディアーヌは王妃カトリーヌにより王を見舞うことも許されず、その傷が原因で王が亡くなると葬儀への参列すら許されなかったとか。<br /><br />王から贈られた宝石類の返還を求められ、ショーモン城と引き換えにシュノンソー城も追われてしまいました。<br />のちに自らの城であるアネ城に移り、67歳の生涯を閉じました。

    ディアーヌ・ド・ポワティエの肖像画(ネットから拝借)

    19歳年下のアンリ2世の愛を独占し続けた、知性と美貌の持ち主です。

    1499年にフランス貴族の長女として生まれ、15歳で39歳年上のブレゼ伯爵と結婚。2女をもうけるも、32歳で夫が亡くなり未亡人に。

    夫の存命中からフランソワ1世(アンリ2世の父)の最初の王妃(つまりアンリ2世の母)の侍女となりましたが、王妃はアンリが5歳の時に他界。
    王妃と同い年だったディアーヌをアンリは母のように慕い、ディアーヌもアンリを我が子のように可愛がったそうです。

    アンリが7歳の時、パヴィアの戦いで敗れ捕虜となった国王フランソワ1世の身代わりの人質として、兄フランソワとともにスペインへ送られることに。その時アンリに駆け寄り、誰よりも別れを悲しんだのがディアーヌだったと言われています。

    12歳になったアンリがようやくフランスに戻ると、フランソワ1世はディアーヌにアンリの家庭教師になることを命じました。

    フランソワ1世が二人目の王妃を迎えると、祝いの馬上試合で兄のフランソワ(フランソワ1世の長男)が新しい王妃に敬礼したのに対し、アンリはディアーヌに敬礼を贈ったのだそうです。
    ※当時、試合の際に騎士は敬愛する(愛する)女性に敬礼を贈る習わしでした。

    1533年にアンリは14歳で同い年のイタリアのメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスと政略結婚をしました。(当時は政略結婚は当たり前のことでした)
    嫁いできたカトリーヌにしてみれば、夫には思いを寄せる女性がすでに他におり、生涯その人だけを愛し続けたというのは随分と可哀そうな気がします。(ダイアナ妃とカミラ夫人が頭をよぎってしまいました)

    ディアーヌがアンリ2世の愛妾になったのは1538年頃(アンリ19歳、ディアーヌ38歳の頃)と考えられています。

    愛妾(あいしょう)とは、わかりやすく言えば愛人のことですが、昨今の不倫カップルの愛人とは随分と異なります。
    当時ヨーロッパの国王はほとんどが政略結婚だったため、本当に愛する女性を愛妾にしたのだそうです。 
    しかもフランスでは愛妾の地位は公に認められたもので公式愛妾(公妾)と呼ばれ、生活費も宮廷費から賄われて宮廷や社交界にも出入りできたとか。(このような例はイングランドやポーランドにもあったようです)

    大抵の国では国王の愛妾は公然の秘密で公式にはいないことになっていたのと比べると、フランスは寛容なお国柄で現代にもその精神は引き継がれているように感じられます。

    1547年に国王フランソワ1世が亡くなると(兄フランソワは球技中の事故ですでに他界していたため)次男のアンリが王位を継承し、シュノンソー城をディアーヌに贈りました。

    ところが1559年にアンリ2世が馬上槍試合で重傷を負うと、ディアーヌは王妃カトリーヌにより王を見舞うことも許されず、その傷が原因で王が亡くなると葬儀への参列すら許されなかったとか。

    王から贈られた宝石類の返還を求められ、ショーモン城と引き換えにシュノンソー城も追われてしまいました。
    のちに自らの城であるアネ城に移り、67歳の生涯を閉じました。

  • 《ディアーヌ・ド・ポワティエの部屋》<br /><br />暖炉の上のマントルピースにはソヴァージュ作の<br />カトリーヌ・ド・メディシスの肖像画(19世紀)が。<br /><br />なぜディアーヌの部屋にカトリーヌの肖像画があるのか<br />よくわかりません。<br />私がディアーヌだったら、草葉の陰から<br />「その肖像画をカトリーヌの部屋に移して~」と言いたい!<br /><br /><br /><br />***カトリーヌ・ド・メディシス***<br /><br />イタリアの大富豪メディチ家の生まれですが、母親はフランス国王フランソワ1世の従妹(いとこ)で、カトリーヌはフランス人の血も引いていました。<br />ディアーヌとは共に同じ家系の直系の子孫で、従姉妹(いとこ)関係。<br /><br />14歳の時にフランソワ1世と(メディチ家出身の)教皇クレメンス7世の取り決めで、フランソワ1世の次男であるアンリのもとに嫁いできました。 <br /><br />ところが夫となったアンリの眼中には19歳年上のディアーヌしかなく、やがてディアーヌはアンリの愛妾に。<br /><br />アンリとカトリーヌの間には10年近くも子供ができず、ディアーヌはアンリにもっと頻繁にカトリーヌの寝室を訪ね早く世継ぎを作るよう勧めたそうです。(世継ぎができずにアンリが新たな若い妃を迎えることを恐れていたようです)<br />その後カトリーヌは24歳で第一子をもうけ、10人を出産しました。<br /><br />1547年にアンリ(28歳)が王位を継承すると、カトリーヌも欲しがっていたシュノンソー城をディアーヌに与えました。<br />「夫の愛を独占するだけでなく、シュノンソー城まで手に入れるとは!」というカトリーヌの嫉妬や絶望、怒りや悲しみはいかばかりだったでしょうか。<br /><br />1559年にアンリ2世が40歳で事故死すると、幼い新国王(息子)の摂政となり実権を握ったカトリーヌ。<br />とはいえ、フランス国内では宗教対立による内乱が勃発し、カトリーヌは大虐殺の首謀者として歴史に悪名を刻み、1589年に69歳で亡くなりました。<br /><br />ところで、カトリーヌが嫁いできた当時、貿易や商業で繁栄し食文化も発展していたイタリアに比べ、フランス(や他の欧州諸国)はまだまだ遅れていたとか。 <br />料理は煮込んだり焼いたりした程度のものが大皿に盛られ、それを各自が用意したナイフで切り取り、手づかみで食べるのが宮廷ですら一般的だったそうです。<br /><br />カトリーヌはイタリア人のお抱え料理人の作る新しい料理や、美しい銀器や陶器の個人用の皿とナイフやフォーク、ナプキンを使用する洗練された食事作法をフランスへ持ち込みました。<br /><br />フランス貴族の間にイタリアの最先端の食文化が流入し、フランス料理の発展にも貢献しました。<br />ケーキやアイスクリーム、トリュフなどもカトリーヌが持ち込んだものだそうです。

    《ディアーヌ・ド・ポワティエの部屋》

    暖炉の上のマントルピースにはソヴァージュ作の
    カトリーヌ・ド・メディシスの肖像画(19世紀)が。

    なぜディアーヌの部屋にカトリーヌの肖像画があるのか
    よくわかりません。
    私がディアーヌだったら、草葉の陰から
    「その肖像画をカトリーヌの部屋に移して~」と言いたい!



    ***カトリーヌ・ド・メディシス***

    イタリアの大富豪メディチ家の生まれですが、母親はフランス国王フランソワ1世の従妹(いとこ)で、カトリーヌはフランス人の血も引いていました。
    ディアーヌとは共に同じ家系の直系の子孫で、従姉妹(いとこ)関係。

    14歳の時にフランソワ1世と(メディチ家出身の)教皇クレメンス7世の取り決めで、フランソワ1世の次男であるアンリのもとに嫁いできました。 

    ところが夫となったアンリの眼中には19歳年上のディアーヌしかなく、やがてディアーヌはアンリの愛妾に。

    アンリとカトリーヌの間には10年近くも子供ができず、ディアーヌはアンリにもっと頻繁にカトリーヌの寝室を訪ね早く世継ぎを作るよう勧めたそうです。(世継ぎができずにアンリが新たな若い妃を迎えることを恐れていたようです)
    その後カトリーヌは24歳で第一子をもうけ、10人を出産しました。

    1547年にアンリ(28歳)が王位を継承すると、カトリーヌも欲しがっていたシュノンソー城をディアーヌに与えました。
    「夫の愛を独占するだけでなく、シュノンソー城まで手に入れるとは!」というカトリーヌの嫉妬や絶望、怒りや悲しみはいかばかりだったでしょうか。

    1559年にアンリ2世が40歳で事故死すると、幼い新国王(息子)の摂政となり実権を握ったカトリーヌ。
    とはいえ、フランス国内では宗教対立による内乱が勃発し、カトリーヌは大虐殺の首謀者として歴史に悪名を刻み、1589年に69歳で亡くなりました。

    ところで、カトリーヌが嫁いできた当時、貿易や商業で繁栄し食文化も発展していたイタリアに比べ、フランス(や他の欧州諸国)はまだまだ遅れていたとか。 
    料理は煮込んだり焼いたりした程度のものが大皿に盛られ、それを各自が用意したナイフで切り取り、手づかみで食べるのが宮廷ですら一般的だったそうです。

    カトリーヌはイタリア人のお抱え料理人の作る新しい料理や、美しい銀器や陶器の個人用の皿とナイフやフォーク、ナプキンを使用する洗練された食事作法をフランスへ持ち込みました。

    フランス貴族の間にイタリアの最先端の食文化が流入し、フランス料理の発展にも貢献しました。
    ケーキやアイスクリーム、トリュフなどもカトリーヌが持ち込んだものだそうです。

  • 《ディアーヌ・ド・ポワティエの部屋》<br /><br />アンリ(Henri)2世とカトリーヌ・ド・メディシスの頭文字HとCを組み合わせたロゴがディアーヌ・ド・ポワティエのDを描いているように見え、絡み合う3人の人間模様を象徴しているかのようです。<br /><br />即位したアンリ2世は王妃カトリーヌにはいかなる政治的権力も持たせず、かたやディアーヌには全幅の信頼を寄せ、公式書類に二人の名前を合わせた &quot;Henri Diane&quot; と署名することを許していたのだとか。<br /><br />ディアーヌの宮廷での地位を物語るエピソードとして、教皇パウロ3世が王妃カトリーヌに「黄金の薔薇」を贈った際に、愛妾ディアーヌにも真珠のネックレスを贈ったと言われています。

    《ディアーヌ・ド・ポワティエの部屋》

    アンリ(Henri)2世とカトリーヌ・ド・メディシスの頭文字HとCを組み合わせたロゴがディアーヌ・ド・ポワティエのDを描いているように見え、絡み合う3人の人間模様を象徴しているかのようです。

    即位したアンリ2世は王妃カトリーヌにはいかなる政治的権力も持たせず、かたやディアーヌには全幅の信頼を寄せ、公式書類に二人の名前を合わせた "Henri Diane" と署名することを許していたのだとか。

    ディアーヌの宮廷での地位を物語るエピソードとして、教皇パウロ3世が王妃カトリーヌに「黄金の薔薇」を贈った際に、愛妾ディアーヌにも真珠のネックレスを贈ったと言われています。

  • 《厨房》<br /><br />シェール川の川床に建てられた、端の二つの橋脚の上(地下1階)に位置しています。<br /><br />この橋脚間には食料補給のための船着き場へと降りる階段があり、ディアーヌはシェール川での水泳に利用していたそうです。(階段の場所は確認し忘れました)<br /><br />ディアーヌは当時の宮廷の女性にしてはアウトドア派で、水泳や乗馬で体型を保っていました。<br />アンリ2世が亡くなった時、ディアーヌは60歳近くでしたが30歳の頃と変わらぬ美しさで、肌は雪のように白いと称えられていたとか。<br /><br />ところがディアーヌが晩年を過ごしたアネ城に残されていた遺髪と2008年にフランスの科学者が発掘した遺骨を調査した結果、アンチエイジング薬「金のエリクサー」の中毒で亡くなったことがわかったというから驚きです!<br /><br />「金のエリクサー」とは塩化金をジエチルエーテルに溶かした黄色い液体で、不老の霊薬として薬売りが売り歩いていたものをディアーヌは毎日飲んでいたのでした。<br /><br />遺髪は通常の500倍もの金を含有し、エリクサーの純化剤として使用されていた水銀も検出されました。<br />色白だったのは金中毒による貧血が原因で、肝障害も患っていたはずだと言われています。<br /><br />ここまで科学で解明されてしまうと夢もロマンも吹き飛んでしまいますが、アンリ2世の愛を繋ぎとめるためだったのか、若さと美貌を保つために大きな代償を払ったディアーヌが不憫でなりません。

    《厨房》

    シェール川の川床に建てられた、端の二つの橋脚の上(地下1階)に位置しています。

    この橋脚間には食料補給のための船着き場へと降りる階段があり、ディアーヌはシェール川での水泳に利用していたそうです。(階段の場所は確認し忘れました)

    ディアーヌは当時の宮廷の女性にしてはアウトドア派で、水泳や乗馬で体型を保っていました。
    アンリ2世が亡くなった時、ディアーヌは60歳近くでしたが30歳の頃と変わらぬ美しさで、肌は雪のように白いと称えられていたとか。

    ところがディアーヌが晩年を過ごしたアネ城に残されていた遺髪と2008年にフランスの科学者が発掘した遺骨を調査した結果、アンチエイジング薬「金のエリクサー」の中毒で亡くなったことがわかったというから驚きです!

    「金のエリクサー」とは塩化金をジエチルエーテルに溶かした黄色い液体で、不老の霊薬として薬売りが売り歩いていたものをディアーヌは毎日飲んでいたのでした。

    遺髪は通常の500倍もの金を含有し、エリクサーの純化剤として使用されていた水銀も検出されました。
    色白だったのは金中毒による貧血が原因で、肝障害も患っていたはずだと言われています。

    ここまで科学で解明されてしまうと夢もロマンも吹き飛んでしまいますが、アンリ2世の愛を繋ぎとめるためだったのか、若さと美貌を保つために大きな代償を払ったディアーヌが不憫でなりません。

  • 《厨房》<br /><br />(写真左)城内で最も大きいという16世紀の暖炉<br /><br />(写真右)ピザの焼き釜みたいだと思ったら<br />     やはりパンの焼き釜でした。

    《厨房》

    (写真左)城内で最も大きいという16世紀の暖炉

    (写真右)ピザの焼き釜みたいだと思ったら
         やはりパンの焼き釜でした。

  • 《厨房》<br /><br />棚に並んだ壺やポット類、壁に飾られたお鍋や焼き型が<br />可愛らしいです。

    《厨房》

    棚に並んだ壺やポット類、壁に飾られたお鍋や焼き型が
    可愛らしいです。

  • 《厨房》<br /><br />配膳室か食堂だったと思います。

    《厨房》

    配膳室か食堂だったと思います。

  • 《フランソワ1世のサロン》<br /><br />右側の絵画は17世紀のシュノンソー城の城主が描かれた<br />『狩の女神ディアナ姿のロール・ヴィクトワール・マンチーニ』<br /><br />※ディアナはローマ神話に登場する狩猟、貞節、月の女神だそう。

    《フランソワ1世のサロン》

    右側の絵画は17世紀のシュノンソー城の城主が描かれた
    『狩の女神ディアナ姿のロール・ヴィクトワール・マンチーニ』

    ※ディアナはローマ神話に登場する狩猟、貞節、月の女神だそう。

  • 《フランソワ1世のサロン》<br /><br />『狩の女神ディアナ姿のディアーヌ・ド・ポワティエ』(1556年)<br /><br />フォンテーヌブロー派のル・プリマティスによりシュノンソーで<br />描かれた、ディアーヌ56歳頃の絵画です。<br /><br />(その数年後に国王アンリ2世が亡くなり、城を追われました)

    《フランソワ1世のサロン》

    『狩の女神ディアナ姿のディアーヌ・ド・ポワティエ』(1556年)

    フォンテーヌブロー派のル・プリマティスによりシュノンソーで
    描かれた、ディアーヌ56歳頃の絵画です。

    (その数年後に国王アンリ2世が亡くなり、城を追われました)

  • 《フランソワ1世のサロン》<br /><br />右の絵画は、ファン・ロー作『三美神』<br /><br />その左は、見事なイタリア製キャビネット

    《フランソワ1世のサロン》

    右の絵画は、ファン・ロー作『三美神』

    その左は、見事なイタリア製キャビネット

  • 《フランソワ1世のサロン》<br /><br />(写真上) <br />  見事なイタリア製キャビネットは、フランソワ2世と<br />  メアリー・ステュアートの結婚祝いとして贈られたもの<br />  ※フランソワ2世はアンリ2世の長男で、フランソワ1世の孫<br />  ※メアリー・ステュアートはスコットランド女王<br />      <br />  真珠貝のはめ込み細工や象牙の羽ペン画が施されています。<br /><br /><br />(写真下) <br />  ルネッサンス様式の作品の傑作の一つと言われるマントルピース<br /><br />  二人の人魚と(初代城主の)トマ・ボイエの紋章の<br />  レリーフ彫刻が施されています。<br />  『シュノンソーが完成したならば、私の名は歴史に残る』<br />  という金言も彫られているそうですが、トマ・ボイエより<br />  後世の女性たちの方が名を残しましたよね(´艸`*)

    《フランソワ1世のサロン》

    (写真上) 
      見事なイタリア製キャビネットは、フランソワ2世と
      メアリー・ステュアートの結婚祝いとして贈られたもの
      ※フランソワ2世はアンリ2世の長男で、フランソワ1世の孫
      ※メアリー・ステュアートはスコットランド女王
          
      真珠貝のはめ込み細工や象牙の羽ペン画が施されています。


    (写真下) 
      ルネッサンス様式の作品の傑作の一つと言われるマントルピース

      二人の人魚と(初代城主の)トマ・ボイエの紋章の
      レリーフ彫刻が施されています。
      『シュノンソーが完成したならば、私の名は歴史に残る』
      という金言も彫られているそうですが、トマ・ボイエより
      後世の女性たちの方が名を残しましたよね(´艸`*)

  • 《フランソワ1世のサロン》<br /><br />ファン・ロー作『三美神』<br /><br />ルイ15世が相次いで寵姫(=愛妾)にしたという<br />ネール三姉妹がモデルです。<br /> <br />※ルイ15世:ブルボン朝第4代のフランス国王<br />  (在位1715年~1774年)<br /><br />3人はシャトールー夫人、ヴァンティミリア夫人、マイイー夫人で<br />皆、既婚者だったとか。<br /><br />愛妾は既婚者のほうが都合が良かったようです。<br />当時、王位継承権を持つのは王妃の産んだ男子のみでしたが<br />夫がいる女性なら国王に結婚を迫ることもなく、王妃としては安心。<br />国王は夫の出世と引き換えに、夫を黙らせたようです。<br />相手が未婚の場合は、適当な男性と結婚させ愛妾にしたのだとか。

    《フランソワ1世のサロン》

    ファン・ロー作『三美神』

    ルイ15世が相次いで寵姫(=愛妾)にしたという
    ネール三姉妹がモデルです。
     
    ※ルイ15世:ブルボン朝第4代のフランス国王
      (在位1715年~1774年)

    3人はシャトールー夫人、ヴァンティミリア夫人、マイイー夫人で
    皆、既婚者だったとか。

    愛妾は既婚者のほうが都合が良かったようです。
    当時、王位継承権を持つのは王妃の産んだ男子のみでしたが
    夫がいる女性なら国王に結婚を迫ることもなく、王妃としては安心。
    国王は夫の出世と引き換えに、夫を黙らせたようです。
    相手が未婚の場合は、適当な男性と結婚させ愛妾にしたのだとか。

  • 《ルイ14世のサロン》<br /><br />ルイ14世:ブルボン朝第3代のフランス国王(在位1643年~1715年)<br />     <br />王朝の最盛期を築き、『太陽王』と呼ばれました。

    《ルイ14世のサロン》

    ルイ14世:ブルボン朝第3代のフランス国王(在位1643年~1715年)
         
    王朝の最盛期を築き、『太陽王』と呼ばれました。

  • 《ルイ14世のサロン》<br /><br />写真上の左手は、ルイ14世の肖像画のスクリーン画です。 <br />(本物は修復中でした)<br /><br />ルポートル作の4つの大きな木片のみで組まれたという<br />肖像画の額縁が見事なので、実物を見てみたかったです。<br /><br />暖炉のマントルピースの紋章は、左がフランソワ1世のサラマンダー<br />(火トカゲ)で、右は王妃クロード・ド・フランスのアーミン(白テン)<br /><br />※王妃クロード・ド・フランス(アンヌ・ド・ブルターニュ女公の娘)は<br /> ブルターニュ女公のため、紋章がブルターニュのアーミンなのです。<br /> 今もブルターニュ地方の町の紋章には、このアーミンの姿や<br /> 黒い尻尾の先をデザイン化したものが描かれています。

    《ルイ14世のサロン》

    写真上の左手は、ルイ14世の肖像画のスクリーン画です。 
    (本物は修復中でした)

    ルポートル作の4つの大きな木片のみで組まれたという
    肖像画の額縁が見事なので、実物を見てみたかったです。

    暖炉のマントルピースの紋章は、左がフランソワ1世のサラマンダー
    (火トカゲ)で、右は王妃クロード・ド・フランスのアーミン(白テン)

    ※王妃クロード・ド・フランス(アンヌ・ド・ブルターニュ女公の娘)は
     ブルターニュ女公のため、紋章がブルターニュのアーミンなのです。
     今もブルターニュ地方の町の紋章には、このアーミンの姿や
     黒い尻尾の先をデザイン化したものが描かれています。

  • 《ルイ14世のサロン》<br /><br />このサロン(部屋)には17世紀と18世紀のフランス絵画の<br />素晴らしいコレクションが多数飾られています。<br /><br />写真はその中の1枚で<br />ルーベンス作『幼いキリストとバプテスマのヨハネ』<br /><br />ナポレオン1世がスペイン王として即位させた<br />兄ジョセフ・ボナパルトから購入したものだそうです。<br />でなければ、プラド美術館に飾られていたかもしれない作品ですね。

    《ルイ14世のサロン》

    このサロン(部屋)には17世紀と18世紀のフランス絵画の
    素晴らしいコレクションが多数飾られています。

    写真はその中の1枚で
    ルーベンス作『幼いキリストとバプテスマのヨハネ』

    ナポレオン1世がスペイン王として即位させた
    兄ジョセフ・ボナパルトから購入したものだそうです。
    でなければ、プラド美術館に飾られていたかもしれない作品ですね。

  • 《ルイ14世のサロン》<br /><br />シュノンソー城の18世紀の城主『ルイーズ・デュパンの肖像画』<br /><br />彼女はシュノンソー城で知識人たちのサロンを催し、モンテスキュー、<br />ヴォルテール、ルソーなどの哲学者や作家、科学者などを招き<br />城にかつての栄光を取り戻した人。<br /><br />フランス革命時にはその機知により、シュノンソー城を守りました。

    《ルイ14世のサロン》

    シュノンソー城の18世紀の城主『ルイーズ・デュパンの肖像画』

    彼女はシュノンソー城で知識人たちのサロンを催し、モンテスキュー、
    ヴォルテール、ルソーなどの哲学者や作家、科学者などを招き
    城にかつての栄光を取り戻した人。

    フランス革命時にはその機知により、シュノンソー城を守りました。

  • 2階へと続く階段

    2階へと続く階段

  • 2階のテラスから望む『マルク家の塔』と『前庭』<br /><br />16世紀初頭、トマ・ボイエがマルク家からシュノンソーを購入すると<br />城塞と水車を取り壊し、塔の部分のみ残してルネッサンス様式に<br />造り替えました。<br />『マルク家の塔』と呼ばれる所以です。<br /><br />『前庭』はかつての城塞の跡地です。<br />

    2階のテラスから望む『マルク家の塔』と『前庭』

    16世紀初頭、トマ・ボイエがマルク家からシュノンソーを購入すると
    城塞と水車を取り壊し、塔の部分のみ残してルネッサンス様式に
    造り替えました。
    『マルク家の塔』と呼ばれる所以です。

    『前庭』はかつての城塞の跡地です。

  • (2階のバルコニーから望む)<br /><br />『マルク家の塔』の右手には『ディアーヌの庭園」

    (2階のバルコニーから望む)

    『マルク家の塔』の右手には『ディアーヌの庭園」

  • (2階のバルコニーから望む)<br /><br />『マルク家の塔』の左手には『カトリーヌの庭園』

    (2階のバルコニーから望む)

    『マルク家の塔』の左手には『カトリーヌの庭園』

  • 『カトリーヌ・ブリソネのホール』(2F)<br /><br />狩りの場面が描かれた17世紀の6枚のタペストリーが<br />壁に掛けられています。

    『カトリーヌ・ブリソネのホール』(2F)

    狩りの場面が描かれた17世紀の6枚のタペストリーが
    壁に掛けられています。

  • 『カトリーヌ・ブリソネのホール』(2F)<br /><br />カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアから取り寄せた<br />大理石のメダイヨンも壁に飾られていました。<br /><br />ネロやクラウディウスなど、古代ローマの皇帝たちです。

    『カトリーヌ・ブリソネのホール』(2F)

    カトリーヌ・ド・メディシスがイタリアから取り寄せた
    大理石のメダイヨンも壁に飾られていました。

    ネロやクラウディウスなど、古代ローマの皇帝たちです。

  • 《五人の王妃の居室》<br /><br />カトリーヌ・ド・メディシスの二人の娘と<br />三人の義理の娘(息子の妃)を記念して名付けられた部屋<br /><br />※5人の王妃とは<br />  実の娘・・・・王妃マルゴ<br />         (ブルボン朝初代フランス国王アンリ4世の妃)<br />         エリザベート・ド・フランス<br />         (スペイン王フェリペ2世の妃)<br />  義理の娘・・・メアリー・スチュアート(フランソワ2世の妃)<br />         エリザベート・ドートリッシュ(シャルル9世の妃)<br />         ルイーズ・ド・ロレーヌ(アンリ3世の妃)      

    《五人の王妃の居室》

    カトリーヌ・ド・メディシスの二人の娘と
    三人の義理の娘(息子の妃)を記念して名付けられた部屋

    ※5人の王妃とは
      実の娘・・・・王妃マルゴ
             (ブルボン朝初代フランス国王アンリ4世の妃)
             エリザベート・ド・フランス
             (スペイン王フェリペ2世の妃)
      義理の娘・・・メアリー・スチュアート(フランソワ2世の妃)
             エリザベート・ドートリッシュ(シャルル9世の妃)
             ルイーズ・ド・ロレーヌ(アンリ3世の妃)      

  • 《五人の王妃の居室》<br /><br />天蓋付きベッドがいかにもお姫様チックですね。<br /><br />城内の各部屋にはゴージャスな生花が飾られていました。

    《五人の王妃の居室》

    天蓋付きベッドがいかにもお姫様チックですね。

    城内の各部屋にはゴージャスな生花が飾られていました。

  • 《カトリーヌ・ド・メディシスの居室》<br /><br />ルネサンス期特有の天蓋付きベッドの柱と横羽目板には<br />見事な彫刻が施されています。<br /><br />ベッドの右側には木版に描かれたコレッジョの<br />『愛の教え』が掛けられています。<br />(同じ題材がキャンバス地に描かれた作品が<br /> ロンドンのナショナルギャラリーにあるそうです)<br /><br />壁には聖書の一場面である『サムソンの生涯』が描かれた<br />16世紀の貴重なフランドルタペストリーが掛けられています。<br /><br />彩色され金泥が塗られた木製の格天井には<br />カトリーヌのCとアンリ2世のHを組み合わせたロゴが。

    《カトリーヌ・ド・メディシスの居室》

    ルネサンス期特有の天蓋付きベッドの柱と横羽目板には
    見事な彫刻が施されています。

    ベッドの右側には木版に描かれたコレッジョの
    『愛の教え』が掛けられています。
    (同じ題材がキャンバス地に描かれた作品が
     ロンドンのナショナルギャラリーにあるそうです)

    壁には聖書の一場面である『サムソンの生涯』が描かれた
    16世紀の貴重なフランドルタペストリーが掛けられています。

    彩色され金泥が塗られた木製の格天井には
    カトリーヌのCとアンリ2世のHを組み合わせたロゴが。

  • 《メディシス家のギャラリー》<br /><br />2階に新設されたギャラリーで、これまで公開されていなかった<br />絵画、タペストリー、家具調度品、芸術作品が展示されています。

    《メディシス家のギャラリー》

    2階に新設されたギャラリーで、これまで公開されていなかった
    絵画、タペストリー、家具調度品、芸術作品が展示されています。

  • 《メディシス家のギャラリー》<br /><br />シュノンソー城の建設の過程や歴史に残る出来事に関する<br />資料が展示されています。<br /><br />また、シュノンソー城の運命を数世紀にわたって守り通した<br />6人の女性城主たちの伝記も紹介されています。<br /><br />写真はその一人、デュパン夫人の家系図です。<br />『ルイ14世のサロン』にはデュパン夫人の肖像画が<br />飾られていました。

    《メディシス家のギャラリー》

    シュノンソー城の建設の過程や歴史に残る出来事に関する
    資料が展示されています。

    また、シュノンソー城の運命を数世紀にわたって守り通した
    6人の女性城主たちの伝記も紹介されています。

    写真はその一人、デュパン夫人の家系図です。
    『ルイ14世のサロン』にはデュパン夫人の肖像画が
    飾られていました。

  • 《版画展示室》<br /><br />各時代のシュノンソー城の姿を表わした<br />素描と版画のコレクションが展示されています。<br /><br />二つの続き部屋のうち手前の展示室は、18世紀に<br />デュパン夫人のためにシュノンソー城に装飾が加えられた際の<br />美しい絵天井と優美な暖炉が見られます。<br /><br />奥の展示室はシェール側に面し、天井と暖炉はルネサンス期のもの。

    《版画展示室》

    各時代のシュノンソー城の姿を表わした
    素描と版画のコレクションが展示されています。

    二つの続き部屋のうち手前の展示室は、18世紀に
    デュパン夫人のためにシュノンソー城に装飾が加えられた際の
    美しい絵天井と優美な暖炉が見られます。

    奥の展示室はシェール側に面し、天井と暖炉はルネサンス期のもの。

  • 《セザール・ド・ヴァンドームの居室》<br /><br />ブルボン朝初代フランス国王アンリ4世と<br />愛妾ガブリエル・デストレとの間に生まれ、<br />1624年にシュノンソー城の城主となった<br />ヴァンドーム公セザールの思い出が残されている部屋<br /><br />※パリのヴァンドーム広場は彼の館があった跡地なのだそう。<br /><br />ルネサンス期の暖炉は19世紀に金色に彩色されたもので<br />(初代城主の)トマ・ボイエの紋章が描かれています。<br /><br />天蓋付きベッドと家具はルネサンス期のもの。

    《セザール・ド・ヴァンドームの居室》

    ブルボン朝初代フランス国王アンリ4世と
    愛妾ガブリエル・デストレとの間に生まれ、
    1624年にシュノンソー城の城主となった
    ヴァンドーム公セザールの思い出が残されている部屋

    ※パリのヴァンドーム広場は彼の館があった跡地なのだそう。

    ルネサンス期の暖炉は19世紀に金色に彩色されたもので
    (初代城主の)トマ・ボイエの紋章が描かれています。

    天蓋付きベッドと家具はルネサンス期のもの。

  • 《ガブリエル・デストレの居室》<br /><br />国王アンリ4世の愛妾で<br />後に王の摘出子となったセザール・ド・ヴァンドームの<br />母であるガブリエル・デストレの部屋<br /><br />天蓋ベッドのそばには『城の日常の風景、愛情』と題された<br />16世紀のフランドル製タペストリーが掛けられています。

    《ガブリエル・デストレの居室》

    国王アンリ4世の愛妾で
    後に王の摘出子となったセザール・ド・ヴァンドームの
    母であるガブリエル・デストレの部屋

    天蓋ベッドのそばには『城の日常の風景、愛情』と題された
    16世紀のフランドル製タペストリーが掛けられています。

  • 2階から3階へ

    2階から3階へ

  • 3階から見下ろして<br /><br />擦り減った石段(大理石製?)に歴史を感じます。

    3階から見下ろして

    擦り減った石段(大理石製?)に歴史を感じます。

  • 《ルイーズ・ド・ロレーヌの居室》(3F)<br /><br />夫のアンリ3世が1589年に暗殺されると、瞑想と祈りのため<br />ルイーズ・ド・ロレーヌはシュノンソーに引き籠りました。<br /><br />※アンリ3世:アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの4男で<br />       ヴァロワ朝最後のフランス国王(在位1574年~1589年)<br /><br />彼女を支え続けた数少ない従者たちに囲まれ<br />王室の喪中の作法に従って常に白い服を身に着けていたため<br />ルイーズ・ド・ロレーヌは「白い王妃」と呼ばれたそうです。

    《ルイーズ・ド・ロレーヌの居室》(3F)

    夫のアンリ3世が1589年に暗殺されると、瞑想と祈りのため
    ルイーズ・ド・ロレーヌはシュノンソーに引き籠りました。

    ※アンリ3世:アンリ2世とカトリーヌ・ド・メディシスの4男で
           ヴァロワ朝最後のフランス国王(在位1574年~1589年)

    彼女を支え続けた数少ない従者たちに囲まれ
    王室の喪中の作法に従って常に白い服を身に着けていたため
    ルイーズ・ド・ロレーヌは「白い王妃」と呼ばれたそうです。

  • 《ルイーズ・ド・ロレーヌの居室》(写真上部が天井で下部は壁面)<br /><br />当時の状態のまま残っていた天井に合わせて<br />部屋が復元されたそうです。<br /><br />天井と壁には死の悲しみを象徴する『鳥の羽根』が描かれています。<br />(大羽根の &quot;Penne&quot; と心痛の &quot;Peine&quot; は同じ発音です)

    《ルイーズ・ド・ロレーヌの居室》(写真上部が天井で下部は壁面)

    当時の状態のまま残っていた天井に合わせて
    部屋が復元されたそうです。

    天井と壁には死の悲しみを象徴する『鳥の羽根』が描かれています。
    (大羽根の "Penne" と心痛の "Peine" は同じ発音です)

  • 《ルイーズ・ド・デストレの居室》<br /><br />天井と壁には『鳥の羽根』以外にも、死や悲しみを象徴する<br />絵柄が描かれています。<br /><br />(写真左)黄色の矢印は『墓堀人のシャベル』<br />     水色の矢印は『銀の涙』<br />     ピンクの矢印は(おそらく)『未亡人の編み紐』<br /><br />(写真右)『茨の冠』と、緑の矢印は<br />     『ルイーズの頭文字であるギリシャ文字ラムダ(Λ)と<br />     アンリ3世の頭文字エータ(H)を組み合わせたロゴ』  

    《ルイーズ・ド・デストレの居室》

    天井と壁には『鳥の羽根』以外にも、死や悲しみを象徴する
    絵柄が描かれています。

    (写真左)黄色の矢印は『墓堀人のシャベル』
         水色の矢印は『銀の涙』
         ピンクの矢印は(おそらく)『未亡人の編み紐』

    (写真右)『茨の冠』と、緑の矢印は
         『ルイーズの頭文字であるギリシャ文字ラムダ(Λ)と
         アンリ3世の頭文字エータ(H)を組み合わせたロゴ』  

  • 《ルイーズ・ド・ロレーヌの居室》<br /><br />現代にタイムスリップしてきた<br />プリンスとプリンセスかしら…(*´▽`*)

    《ルイーズ・ド・ロレーヌの居室》

    現代にタイムスリップしてきた
    プリンスとプリンセスかしら…(*´▽`*)

  • 城内の見学を終え、外に出てきました。<br /><br />お堀に映る姿も優雅で美しいです。

    城内の見学を終え、外に出てきました。

    お堀に映る姿も優雅で美しいです。

  • 再び『カトリーヌの庭園』にやって来ました。<br /><br />やはり、ここから見るお城のアングルが一番好き☆

    再び『カトリーヌの庭園』にやって来ました。

    やはり、ここから見るお城のアングルが一番好き☆

  • 代々の女性城主たちにより改築されてきただけに<br />気品ある優雅な佇まいです。<br />

    代々の女性城主たちにより改築されてきただけに
    気品ある優雅な佇まいです。

  • 『カトリーヌの庭園』<br /><br />宮廷で公に認められていたとはいえ、王の寵愛を失ったり<br />王亡き後は、王妃にとっての邪魔者でしかない愛妾という立場。<br /><br />お城を眺める恰好のベンチで、そんなディアーヌに<br />思いを馳せてみたりして。。。<br /><br />(でも蚊がいるので要注意!!!)

    『カトリーヌの庭園』

    宮廷で公に認められていたとはいえ、王の寵愛を失ったり
    王亡き後は、王妃にとっての邪魔者でしかない愛妾という立場。

    お城を眺める恰好のベンチで、そんなディアーヌに
    思いを馳せてみたりして。。。

    (でも蚊がいるので要注意!!!)

  • 『カトリーヌの庭園』<br /><br />お庭の手入れがとても良く行き届いていることに<br />感心しました。<br /><br />ラヴェンダーやペチュニア(サフィニア?)の鮮やかな色が<br />お城の白さを際立たせています。

    『カトリーヌの庭園』

    お庭の手入れがとても良く行き届いていることに
    感心しました。

    ラヴェンダーやペチュニア(サフィニア?)の鮮やかな色が
    お城の白さを際立たせています。

  • 『カトリーヌの庭園』<br /><br />庭園中央の噴水にお城が映し出されています。

    『カトリーヌの庭園』

    庭園中央の噴水にお城が映し出されています。

  • 500年の間に様々な出来事が<br />シュノンソー城の歴史に刻まれました。<br /><br />まるでおとぎ話のようにも思えるけれど<br />すべては本当に起こった物語。<br /><br />シュノンソー物語・・・でした。

    500年の間に様々な出来事が
    シュノンソー城の歴史に刻まれました。

    まるでおとぎ話のようにも思えるけれど
    すべては本当に起こった物語。

    シュノンソー物語・・・でした。

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この旅行記へのコメント (35)

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  • ねんきん老人さん 2018/03/15 10:26:36
    私も行きました!・・・な~んて。
    sanaboさん、お早うございます。

     いつも刺激的な写真と文章を楽しませていただいています。
     sanaboさんのいらっしゃるのは、猫も杓子も観光バスで押しかけるという定番コースではないので、私などは地名も知らない「異国」ばかりなのですが、今回はやっと、自分も行った所が出てきました。
     とはいえ、昔々、インチキな団体のインチキな研修旅行で連れていかれたというだけのことで、しかも何の手違いからか、当日のガイドが相撲取りのような体格のフランス女性で、日本語は一言も喋れず、英語と、所々フランス語という悪夢のような一日でした。
     私は説明のほとんどが聞き取れず、早々に諦めてただ建物や庭を眺めて過ごしただけに終わりました。
     後年、別の動機からアンリ2世の生涯について勉強し、自分がせっかくシュノンソー城に行きながら何も知らずに見てきたことに地団駄踏む思いをしました。その後行く機会もなく今に至っていますが、旅は事前の勉強によって深くも浅くもなるということを思い知らされた次第です。
     今回のsanaboさんの旅行記を拝読しながらも、「そうそう!」という思いよりも「そうだったっけ?」という思いの方が圧倒的に多く、刺激を受けながらも悔しい思いもしています。
     通り一遍の「写真アルバム」ではないsanaboさんの旅行記で私の老脳も久しぶりに活性化されたような気がします。 ありがとうございました。

    ねんきん老人

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2018/03/16 23:29:34
    いつもありがとうございます♪
    ねんきん老人さん、こんばんは

    いつもご訪問とコメントをいただきまして、ありがとうございます^^

    ねんきん老人さんもシュノンソー城へいらしたことがおありだったのですね〜!
    相撲取りのような日本語を話せないガイドさんが登場され、悪夢のような一日だったとは(ねんきん老人さん流のユーモアだとは思いますが)、せっかくの機会でしたのに本当に残念でしたね。

    >  後年、別の動機からアンリ2世の生涯について勉強し、自分がせっかくシュノンソー城に行きながら何も知らずに見てきたことに地団駄踏む思いをしました。その後行く機会もなく今に至っていますが、旅は事前の勉強によって深くも浅くもなるということを思い知らされた次第です。

    いつも好奇心旺盛に学ばれる姿勢でいらっしゃるねんきん老人さんには心より敬服いたします。 それだけにアンリ2世の生涯について学ばれた時には、シュノンソーでの出来事を思い出され、悔しい思いをされたことでしょう。

    旅行記にいろいろと書いている私ですが、旅行前にはあまりリサーチする時間もなく、旅行記を書くときに調べたりして「へ〜、そうなんだ〜」と思うことが多々あります。 旅行先ではひたすら写真ばかり撮りまくっています(笑) 私の場合、写真を撮ることが旅行の大きな楽しみでもありますので。

    >  通り一遍の「写真アルバム」ではないsanaboさんの旅行記で私の老脳も久しぶりに活性化されたような気がします。 

    いえいえ、ねんきん老人さんの脳の方が私よりずっと活性化されていると思いま〜す!(笑) ねんきん老人さんのように勉学心も旺盛でないので、停滞した脳が錆びつきそうです^^;

    桜の便りももうすぐですね。 
    まだまだ寒暖差がありますのでごくれぐれも自愛下さいませ。
    ありがとうございました^^

    sanabo
  • ドロミティさん 2017/02/18 01:25:56
    ディアーヌ♪
    sanaboさん、こんばんは^^

    sanaboさんがお気に入りだという、最後のシュノンソーの写真、
    とても素敵ですね。
    私はセピア色のシュノンソーも大好きです^^

    こちらの旅行記に以前、書き込みした記憶があるけれど、きっと
    旅行記からコメントしたのではなく、掲示板から書き込みしちゃ
    ったのね^^;
    悔しいからもう一度書き込んでいま〜す*(^0^)*

    ディアーヌの肖像画を見て、改めて彼女の美貌に脱帽!
    今更なんだけど、ルーヴルで私が好きな絵に「狩りをするディアヌ」
    という、猟犬を従え、これから狩りに出ようとする女神ディアナを
    描いた絵があるけど、ディアーヌさんの肖像画とそっくり!!

    ま、ディアーヌさんをモデルにした作品らしいから当然なのだけどネ!

    と、こんなふうにsanaboさんの旅行記をフォーカスを替えて、何度も
    楽しませていただいておりますヽ(^o^)丿

    金のエリクサーが欲しい☆ ドロミティ zzz...

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2017/02/18 21:54:24
    RE: ディアーヌ♪
    ドロミティさん、こんばんは☆

    > 私はセピア色のシュノンソーも大好きです^^

    旅行記にセピア色の写真を使ったのは初めてでしたけど
    むか〜しのお話も書いたから、中世のお城らしく見えていいかなと思いました^^

    > こちらの旅行記に以前、書き込みした記憶があるけれど、きっと
    > 旅行記からコメントしたのではなく、掲示板から書き込みしちゃ
    > ったのね^^;
    > 悔しいからもう一度書き込んでいま〜す*(^0^)*

    以前、シュノンソーのコメントをいただいたのは覚えてましたが
    旅行記からではなく掲示板からの書き込みだったと、その時
    気づくべきでした(>_<)
    今は16ページにあるけど、どんどん後ろに行っちゃうものネ〜

    > ディアーヌの肖像画を見て、改めて彼女の美貌に脱帽!
    > 今更なんだけど、ルーヴルで私が好きな絵に「狩りをするディアヌ」
    > という、猟犬を従え、これから狩りに出ようとする女神ディアナを
    > 描いた絵があるけど、ディアーヌさんの肖像画とそっくり!!

    私ったらルーブルで見たのか見てないのか全く記憶になくて
    どんな絵かしらとググってしまいました。
    そしたら・・・本当に素敵な絵☆ 
    ディアヌが少年っぽいというか中性的な感じに描かれていますね。
    どうして狩りに行くのに裸なのかよく分からないけど・・・
    それがフォンテーヌブロー派の表現らしいけど、とても魅力的ですね。
    それに、本当に肖像画とそっくり!
     
    ドロミティさんの(昨年12月の)ルーブルの旅行記を
    先ほど確認して来ましたが、この絵は載ってないのね。
    昨年のルーブルでも実物見てきましたか? 
    お写真あったら追加してほしいです(*^-^*)

    > と、こんなふうにsanaboさんの旅行記をフォーカスを替えて、何度も
    > 楽しませていただいておりますヽ(^o^)丿

    それはそれは作者冥利に尽きまする〜〜m(__)m  

    > 金のエリクサーが欲しい☆ ドロミティ 

    日頃のご恩返しに、探しておきま〜すヽ(^o^)丿

    sanabo

    ドロミティ

    ドロミティさん からの返信 2017/02/19 00:33:22
    続きまして♪
    sanaboさん、こんばんは^^

    > 以前、シュノンソーのコメントをいただいたのは覚えてましたが
    > 旅行記からではなく掲示板からの書き込みだったと、その時
    > 気づくべきでした(>_<)
    > 今は16ページにあるけど、どんどん後ろに行っちゃうものネ〜

    16頁行って見たけど、アレをあうんの呼吸と呼ぶ〜(^_-)☆

    > 私ったらルーブルで見たのか見てないのか全く記憶になくて
    > どんな絵かしらとググってしまいました。
    > そしたら・・・本当に素敵な絵☆ 
    > ディアヌが少年っぽいというか中性的な感じに描かれていますね。
    > どうして狩りに行くのに裸なのかよく分からないけど・・・
    > それがフォンテーヌブロー派の表現らしいけど、とても魅力的ですね。
    > それに、本当に肖像画とそっくり!

    そうなのよ〜〜!
    と言うのは、中性的というか、私ったら初めて見たときに男性だと思って
    あの絵に恋に落ちたのでした(^◇^;)
    肖像画とも本当にそっくり!
    と言うことは、やはりディアーヌの美貌は本物ネ☆
     
    > ドロミティさんの(昨年12月の)ルーブルの旅行記を
    > 先ほど確認して来ましたが、この絵は載ってないのね。
    > 昨年のルーブルでも実物見てきましたか? 
    > お写真あったら追加してほしいです(*^-^*)

    わざわざありがとうございます!_
    12月、あの絵を探してグルグル回ったけど、見つけられなかったの。

    もしかしたらランス(Lens)のルーヴル分館に行っちゃったのか、
    何処かに貸し出し中?
    時間が遅くて閉められてたお部屋があったから探しきれなかったとか〜(涙)

    > > 金のエリクサーが欲しい 
    >
    > 日頃のご恩返しに、探しておきま〜すヽ(^o^)丿

    ↑是非是非お願いいたしまする_(._.)_

    ではでは〜おやすみなさい☆ ドロミティ

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2017/02/20 00:23:42
    RE: 続きまして♪
    ドロミティさん、こんばんは〜

    > 16頁行って見たけど、アレをあうんの呼吸と呼ぶ〜(^_-)☆

    そうよね〜(^_-)-☆
    って、この会話、きのうのメールからの続きだけど、数年後に
    掲示板だけ見たら 、何の話か分からなくなってたりして・・・(笑)

    > と言うのは、中性的というか、私ったら初めて見たときに男性だと思って
    > あの絵に恋に落ちたのでした(^◇^;)

    絵にすっかり惚れこんだ、という意味なら分かるけど
    あの絵の男性(?)に恋したのなら問題だわ〜〜(;・∀・)
     
    > 12月、あの絵を探してグルグル回ったけど、見つけられなかったの。

    そうだったの? 憧れの人(?)に会えなくて残念でした!!

    > もしかしたらランス(Lens)のルーヴル分館に行っちゃったのか、
    > 何処かに貸し出し中?
    > 時間が遅くて閉められてたお部屋があったから探しきれなかったとか〜(涙)

    正解は3択のうち、どれかしら???@@

    > > 日頃のご恩返しに、探しておきま〜すヽ(^o^)丿
    >
    > ↑是非是非お願いいたしまする_(._.)_

    ↑↑↑承知つかまつった、でござる! 

    sanabo
  • Keiさん 2017/01/28 20:31:31
    御無沙汰しています
    sanaboさん、こんばんは

    シュノンソー城の有名ですので、フランスにあまり縁のないオヤジでも名前だけは知っています。
    以前にどこかのTVで城の解説を見たような気もしますが、すっかり忘れていました。

    鮮やかな写真と豊富な知識、文才のあるsanaboさんの旅行記で改めてこの城の事を深く理解できたように思います。

    いつも思いますがsanaboさんの旅行記は1話ずつが完成されていて、紹介本として書店で売られているような出来栄えですね。買わずにタダで見れるのを感謝しなければいけませんね。

    Kei

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2017/01/29 22:47:54
    RE: 御無沙汰しています
    Keiさん、お久しぶりです!

    でも少し前にKeiさんのことを思い出していました。
    というのも、10日ほど前にまたアマトリーチェの近くで地震がありましたよね。 Keiさんもきっと心配され、心を痛めていらっしゃるだろうなぁと思っていました。
    昨年夏以来の被災者の方々のためにも、一日も早い復興を願って止みません。
    そしてKeiさんの一日も早い再訪の日が訪れるためにも☆

    シュノンソー旅行記をご覧いただきまして、ありがとうございました。
    私も何度かTVの番組で見たことがあります。 美しい外観と女性たちを巡るお話などに興味を引かれがちですが、城の歴史上の出来事や見事なまでに手入れの行き届いた庭や周囲の自然環境など、実際に訪れてみて感じた魅力がたくさんありました。

    > いつも思いますがsanaboさんの旅行記は1話ずつが完成されていて、紹介本として書店で売られているような出来栄えですね。買わずにタダで見れるのを感謝しなければいけませんね。

    そのような身に余るお言葉をいただき、恐縮です!
    私こそ、Keiさんの旅行記でイタリアの建築や美術を楽しく勉強させていただき、感謝しています。 Keiさんのマンウォッチングも楽しいですし、爆笑モノのアテレコ(?)も楽しみにしていま〜す♪

    2015年秋の旅が完結しましたが、次回作もお待ちしていますね。

    sanabo
  • ひらしまさん 2016/07/23 19:01:29
    ディアーヌの人間像

    シュノンソー。美しい城ですよね。
    妻の両親と一緒に訪ねた場所なので、その後亡くなった父のこともあわせてなつかしく思い出しながら読ませていただきました。

    > なぜ、ディアーヌの部屋にカトリーヌの肖像画があるのか、よくわかりません。
    > 私がディアーヌだったら、草葉の陰から「その肖像画をカトリーヌの部屋に移して〜」と言いたい!

    同感。ぼくもあの部屋で不思議に思いました。
    しかし、ディアーヌがアンリ2世の母親と同い年で、19歳も年上の元家庭教師だったなんて、全然知りませんでした。

    この旅行記のおかげで、ディアーヌの人間像が立ち上がってきて、年上の女の哀しみのドラマが生まれてきました。
    素敵な旅行記をありがとうございました。

    ひらしま

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/24 23:45:23
    RE: ディアーヌの人間像
    ひらしまさん、こんばんは

    > 妻の両親と一緒に訪ねた場所なので、その後亡くなった父のこともあわせてなつかしく思い出しながら読ませていただきました。

    そうでしたか。 ひらしまさんと奥様にとって、大切な思い出の残る場所だったのですね。

    > > 私がディアーヌだったら、草葉の陰から「その肖像画をカトリーヌの部屋に移して〜」と言いたい!
    >
    > 同感。ぼくもあの部屋で不思議に思いました。

    ね〜、そうですよね。 私がディアーヌだったら(←って、しつこいですけど)、カトリーヌの肖像画が怖くて(あの世でも)安眠できません!

    > しかし、ディアーヌがアンリ2世の母親と同い年で、19歳も年上の元家庭教師だったなんて、全然知りませんでした。

    今の時代なら一大スキャンダルとなるところでしょうけど、アンリ2世統治下では宮廷でのディアーヌの権力が王妃以上のものであったというから本当に驚きですね。

    > この旅行記のおかげで、ディアーヌの人間像が立ち上がってきて、年上の女の哀しみのドラマが生まれてきました。

    ディアーヌとカトリーヌ、それぞれが哀しみを抱え、同時に強さも持ち合わせていたように感じます。 それにしてもアンリ2世の影の薄いこと・・・

    ひらしまさん、この夏はくれぐれもご自愛なさり
    お元気で猛暑を乗り切られますように。。。

    旅行記の続きへ、また楽しみに伺わせていただきますね♪

    sanabo
  • thierryさん 2016/07/22 00:27:50
    シュノンソー城物語
    sanaboさん、こんばんは。
    無事にポルトガルから帰国されたんですね。
    たくさん素敵な写真が撮れたでしょうか?

    シュノンソー城、
    お城へ続く並木道は雰囲気があり、ワクワク感が高まりますね!

    お城の名前は聞いた事があるけれど、歴史については無知だったので
    sanaboさんの『シュノンソー城物語』とても興味深く読ませていただきました(^.^)

    続きの旅行記も楽しみにしています\(^o^)/

    thierry







    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/23 00:30:09
    RE: シュノンソー城物語
    thierryさん、こんばんは〜☆

    > 無事にポルトガルから帰国されたんですね。
    > たくさん素敵な写真が撮れたでしょうか?

    はいっ、無事に帰ってきました〜(*^^*)
    写真もいつものごとく、たくさん撮って来ましたので
    またまた整理が大変そうです(>_<)

    > シュノンソー城、
    > お城へ続く並木道は雰囲気があり、ワクワク感が高まりますね!

    ホントに、高〜い木の並木道が延々と続き、雰囲気満点でした。
    その先にお城が見えてくるという演出はとってもお上手ですよね!
    おとぎの国へ導かれていくような気分になりました。

    > お城の名前は聞いた事があるけれど、歴史については無知だったので
    > sanaboさんの『シュノンソー城物語』とても興味深く読ませていただきました(^.^)

    ありがとうございます^^
    あんなに美しいお城なのに、ドロドロの愛憎劇や戦乱を
    くぐり抜けてきたと思うと、興味深いですね。

    > 続きの旅行記も楽しみにしています\(^o^)/

    thierryさんの台湾旅行記の続きへも
    また楽しみにお邪魔させていただきますね(*^^*)

    sanabo

  • あまいみかんさん 2016/07/14 19:10:43
    これはお伽の国のお城ですね!!!
    sanabo様、

    お邪魔しま〜す。
    楽しかったでしょうポルトガル旅行記に取り掛かる前に
    フランス旅行記を先に仕上げるようにとのお連れ合いの言葉。
    素晴らし〜い旅行記が完成しましたね、流石です!!

    シュノンソー城へのすがすがしい並木道を歩き始めた時から
    もうすっかり、魔法にかけられたようです。
    塔がいっぱいの外観からして、子供の頃から抱いていた
    お伽の国のお城そのものです。

    sanabo様の語りの名調子につられて、全く知らなかったこのお城の
    歴史や、お城を取り巻く人物が、すーっと入って参りました。

    後世にまでも、その名声が轟くだろうと考えた建築家以上に、
    このお城にお住まいになった女性陣の方が有名になったでしょう
    ・・・っとのコメントには思わず・・・フフフ。
    美しいお城にまつわる興味深いお話でした。

    1枚、1枚のお写真が、どれも絵葉書のようです。
    お花がいっぱいのフランス式庭園、やっぱり素敵ですね。
    どの部屋のお写真も豪華。
    フランドルのタペストリーも、絨毯も、家具もすんばらしい!!
    台所の銅鍋も、棚の陶器の器も、シンプルな市松模様の床の大広間も
    とてもすっきりとしていて、オシャレで、
    壁にかかっているムリーリョやルーベンスなどの絵画も
    超一流、夢のようなお城ですねえ。

    何にもまして、感激したのが、お部屋に飾ってあるお花!!!!
    ヨーロッパの教会などで、感動するのは、薔薇や、白百合をたっぷりと
    お供えしてあること。
    シュノンソー城のsanabo様のお写真にも、立派な生花のフラワーアレンジメントが数々あるのに、びっくりしました。
    変わった色合いの花瓶に、それこそ、たーーっぷりと入っているお花達、
    素晴らしいですね。
    絶世の美女だったと言うディアーヌ・ド・ポワティエと華を競うかのように
    当時も、お城のあちらこちらに飾られていたのでしょうね。

    こんな美しいお城もあるんだ〜っと、すっかり、魔法にかけられ状態の私です。

    有難うございました。











    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/15 17:47:19
    いつも本当にありがとうございます!
    あまいみかんさま、

    いつも貴重なお時間を費やし、たくさんの心暖まるコメントを
    お寄せくださり、とてもとても嬉しく思っております(*^^*)

    > 楽しかったでしょうポルトガル旅行記に取り掛かる前に
    > フランス旅行記を先に仕上げるようにとのお連れ合いの言葉。

    そうなんですよ(笑)
    早くポルトガル旅行記を作りたくて仕方ないのですが、
    「ごもっとも」とばかりにフランス旅行記の完結を目指しています^^;

    > シュノンソー城へのすがすがしい並木道を歩き始めた時から
    > もうすっかり、魔法にかけられたようです。

    プラタナスらしいのですが、それはそれは見事な並木道で
    あまいみかんさまが仰るように、あの道を歩きながら魔法にかけられ
    気付くと目の前には魔法の国のお城が姿を現していました。
    駐車場からお城のてっぺんが見えていたりしたら、がっかりですものね。

    > 後世にまでも、その名声が轟くだろうと考えた建築家以上に、
    > このお城にお住まいになった女性陣の方が有名になったでしょう
    > ・・・っとのコメントには思わず・・・フフフ。

    その部分に気付き、コメントして下さったのは流石あまいみかんさま☆です!
    名声などというものは、自分で騒ぎ立てたりするものではありませんよね。

    > お花がいっぱいのフランス式庭園、やっぱり素敵ですね。

    お花が綺麗なのはもちろんのこと、チリひとつなく
    整然と管理されていることにとても感心しました。 
    私自身ガーデニングが好きなのですが、花がら摘みも丹念にされており
    いかに手をかけているかが分かります。
    現在の所有者はフランス・ネスレの一族ですが、ネスレの宣伝の
    看板のひとつもなく、その心意気にも感心しました。

    > 何にもまして、感激したのが、お部屋に飾ってあるお花!!!!
    > ヨーロッパの教会などで、感動するのは、薔薇や、白百合をたっぷりと
    > お供えしてあること。
    > シュノンソー城のsanabo様のお写真にも、立派な生花のフラワーアレンジメントが数々あるのに、びっくりしました。

    そうなんです! 
    各部屋ごとのお花の種類も異なり、豪華なフラワーアレンジメントを
    眺めるだけでもゴージャスな気分に浸れました^^
    (アンボワーズ城はあくまでも百合の花にこだわり、種類の異なる百合が
     部屋ごとに飾られていました。)

    > こんな美しいお城もあるんだ〜っと、すっかり、魔法にかけられ状態の私です。

    今回は空想の翼を広げるまでもなく、魔法にかけられてしまわれたのですね(*^^*)

    あまいみかんさまからの温かいコメントを励みに、フランス旅行記の
    早期完結を目指したいと思います♪  ありがとうございました^^

    sanabo
  • バモスさん 2016/07/13 19:24:06
    お城ほしいですね
    sanaboさん

    いつもコメントさせていただこうと思ってますが
    ただただうっとりの世界で、絶世の美女を見てるみたいです☆
    もうすぐ欧州へ行かれるのでしょうね。
    こんなお城ほしいです。

    バモス

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/13 21:42:34
    RE: お城ほしいですね
    バモスさん、こんばんは〜

    いつもありがとうございます^^

    > もうすぐ欧州へ行かれるのでしょうね。

    実はもう、6月にポルトガルに2週間行って来たんです。
    早くポルトガルの旅行記を作りたくて仕方ないのに、いまだに去年の
    フランス旅行記が終わらずにいます><

    > こんなお城ほしいです。

    バモスさんったら、お城が欲しいのか
    それともこんなお城に住む王様になって美女をはべらしたいのか、
    どっち〜?(*^o^*)

    sanabo

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/13 21:49:39
    訂正デス
    > それともこんなお城に住む王様になって美女をはべらしたいのか、

    はべらしたい→「はべらせたい」の誤りデス。

    バモス

    バモスさん からの返信 2016/07/14 06:44:39
    ポルトガル
    sanaboさん

    ポルトガルへ行かれたのですか!そりゃ楽しみ〜
    もう30年前にリスボンとロカ岬へ行ったきりで、
    コインブラとか地方もゆっくり旅したいです。

    お城も美女もほしいです!でも最初はいいけど美女をはべらすのも体力的にもたいへんよ\(◎o◎)/!
    ノルマンディーにお城をもてたらいいですけど
    欧州のお城を改修したユースホステルで働くのが現実的かな〜

    バモス

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/15 00:10:29
    RE: ポルトガル
    バモスさん、こんばんは〜

    > もう30年前にリスボンとロカ岬へ行ったきりで、
    > コインブラとか地方もゆっくり旅したいです。

    30年前にいらしたとは、懐かしい場所ですね。
    旅行記見て、思い出に浸っていただけたら嬉しいです♪
    (って、いまだにフランス旅行記を引きずっているので
     リスボン旅行記がいつ完成するのか、本人にも予測不能ですケド・・・)

    > お城も美女もほしいです!でも最初はいいけど美女をはべらすのも体力的にもたいへんよ\(◎o◎)/!

    たしかに(^▽^;)
    でも王様の権力と財力があれば、体力不足でも何とかなるかも〜

    > ノルマンディーにお城をもてたらいいですけど
    > 欧州のお城を改修したユースホステルで働くのが現実的かな〜

    ライン川を見下ろすお城のユースホステルを見学したことありますけど
    今度近くに行ったら、従業員募集してるか聞いときま〜す(*^o^*)
    あ、やっぱりノルマンディーがいい?

    sanabo

    バモス

    バモスさん からの返信 2016/07/15 07:05:09
    ノルマンディーと
    sanaboさん おはようございます

    ノルマンディーとアドリア海にもほしいわ〜
    ドブロブニクの北、スプリットあたりに。
    トスカーナへも船で遊びに行けるしね。

    売れっ子作家みたいにポルトガルもアップされたら
    ねぇ〜先生!

    バモス

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/15 19:47:23
    RE: ノルマンディーと
    バモスさん、

    実は私、クロアチアは未踏の地で
    特にドブロブニクとロヴィニに行きたいと思っています♪

    それまでに、スプリットにお城買っといて下さいね〜(*^^*)

    sanabo
  • ネコパンチさん 2016/07/12 14:31:39
    ただただうっとりです♪
    sanaboさん、こんにちは(^^)

    素晴らしい力作に、一気に中世の世界に引き込まれてしまいました。
    最初見たときはただ綺麗とだけ感じたお城ですが、
    sanaboさんの詳細な解説とともに、お城の内部やそこで繰り広げられた
    人間ドラマを巡った後で再度外へ出てきて見ると、
    全てを超越した完璧な美のようなものが感じられました。

    たとえ内部でどのようなことがあったとしても、揺らぐことなく
    全てを包み込み、超然と佇んでいる強さというのか…

    歴史は勝者に都合良い形でしか残っていないことも多いものですよね。
    研究が進んで新説が出てきても、人の心の内までは図れないものかと。

    真実は当事者3人と、それとシュノンソー城だけが知っているいうのも
    ミステリアスで、だからこそ多くの人を惹きつけてやまないのでしょうね。

    それにしても、前作と間隔があるのであまり意識しませんでしたが、
    この日の午前中にアンボワーズ城行かれたんでしたよね!?

    王とダ・ヴィンチの心温まる交流のお話の後のこの愛憎ドロドロ劇、
    sanaboさんの1日も中世史に匹敵する濃密さでしたね(@_@)
    しかも前日捻挫しているのに、すんごく歩いてませんか?

    制作は大変でしょうが、次回も楽しみにしています。
    ではまた〜(^^)/

    ネコパンチ



    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/13 13:53:59
    こんにちは〜♪
    ネコパンチさん、こんにちは

    > 最初見たときはただ綺麗とだけ感じたお城ですが、
    > sanaboさんの詳細な解説とともに、お城の内部やそこで繰り広げられた
    > 人間ドラマを巡った後で再度外へ出てきて見ると、
    > 全てを超越した完璧な美のようなものが感じられました。

    丁寧に旅行記をお読み下さったからこそ、そのような感想を抱いて
    下さったのだと嬉しく思いました。

    > たとえ内部でどのようなことがあったとしても、揺らぐことなく
    > 全てを包み込み、超然と佇んでいる強さというのか…

    対岸の丘からアルハンブラ宮殿の夜景の姿を見た時、全く同じことを
    感じたのを覚えています。
    人間も同じだなぁとつくづく思います。 
    その人の生きざまが滲み出る様な美しさ、ってありますよね。

    > 真実は当事者3人と、それとシュノンソー城だけが知っているいうのも
    > ミステリアスで、だからこそ多くの人を惹きつけてやまないのでしょうね。

    本当にそうですね。 特に女性二人の心の内は・・・
    二人はライバルでもあったけれど、協力関係にあった部分もあるようですし
    その辺りのことに関する本も読んでいないので興味津々です。
    詳しい歴史書を読んだとしても、やはり人の心の中の本心は想像でしか
    ありませんしね。

    ところで以前、(写真の)作品のタイトルや旅行記のタイトルについて
    ネコパンチさんとお話したことがありましたよね。
    今回、「○○のシュノンソー城」的なタイトルをいくつか考えたのですが
    陳腐なものばかりで却下!(笑) 
    開き直って、そのまんまのストレートなタイトルにしてしまったので
    ネコパンチさんに見られるのが恥ずかしかったです@@;
    ネコパンチさんの写真教室の先生には、一蹴されてしまいますね><

    > それにしても、前作と間隔があるのであまり意識しませんでしたが、
    > この日の午前中にアンボワーズ城行かれたんでしたよね!?
    >
    > 王とダ・ヴィンチの心温まる交流のお話の後のこの愛憎ドロドロ劇、
    > sanaboさんの1日も中世史に匹敵する濃密さでしたね(@_@)
    > しかも前日捻挫しているのに、すんごく歩いてませんか?

    そうなんです〜  中世のお城それぞれに歴史があり、そのストーリーを
    掘り起こしていたらきりがないでしょうね。
    人間模様が交錯しているからこそ、面白いのでしょうね。
    ネコパンチさんがおっしゃるように、前日の晩はおトイレまで歩くのも
    大変だったのに、翌日は歩くにつれウォーミングアップになったのか
    痛さも軽減し、結果的にたくさん歩きまわれて本当に良かったです。
    (旅の神様に感謝です!)

    気分はすっかりポルトガルで、早くポルトガルの旅行記を作りたくて
    仕方ないのですが、フランス編がまだもう少し残っています^^;

    『5月のパリ』、最終編も楽しみにお待ちしていますね♪

    sanabo

    ネコパンチ

    ネコパンチさん からの返信 2016/07/14 14:15:58
    すごい記憶力ですね!
    sanaboさん、こんにちは♪

    タイトルの話、よく覚えていらっしゃいましたね!
    慌てて、過去の掲示板見直しましたよ〜(^▽^;)
    元々は旅行記の中の酔っ払いの私の戯言でしたね、
    お恥ずかしい…

    ストレートだなんてとんでもないですよ〜
    「ロワールの古城」ですでにミステリアスでロマンを
    感じさせますもん(*^^*)

    写真の場合は、例えば富士山の写真に「富士山」って
    タイトルをつけたとしたら「それはわかりますがそれが何?」って
    思われてしまいますが…

    私の方こそ、投稿後に、sanaboさんのように書き込みして下さる
    方々の表現の方が余程素敵で、「こんな言葉を知っていたら!」
    と思うことばかり、自分の語彙の乏しさを痛感させられてばかり
    です(*´▽`*)

    ヴェルサイユにも行かれているんですよね?
    旅行記にも書きましたが、私の心にはイマイチ響かなかった
    宮殿でしたが、sanaboさんの解釈で改めて拝見すると
    見逃していたことを発見できそうで楽しみです♪

    って、これってすごいプレッシャー与えてますか(^^;?

    いじわるネコパンチより(^^)/

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/14 23:20:03
    いじわるどころかフォロー上手なネコパンチさん☆
    ネコパンチさん、こんばんは

    > 元々は旅行記の中の酔っ払いの私の戯言でしたね、
    > お恥ずかしい…

    戯言だなんてとんでもない!
    常日頃、文才のない私は旅行記のタイトルにいつも頭を悩ませ
    ネコパンチさんの旅行記のタイトルを拝見しては感心しきりで
    さらに写真教室でのお話も強く印象に残っていました。

    > ストレートだなんてとんでもないですよ〜
    > 「ロワールの古城」ですでにミステリアスでロマンを
    > 感じさせますもん(*^^*)

    なんて優しいフォローのお言葉☆
    「ロワールの古城・シュノンソー城」じゃあ、「日本一高い・富士山」と
    変わりませぬーーー。 わぁ、恥ずかしい〜

    > ヴェルサイユにも行かれているんですよね?
    > 旅行記にも書きましたが、私の心にはイマイチ響かなかった
    > 宮殿でしたが、sanaboさんの解釈で改めて拝見すると
    > 見逃していたことを発見できそうで楽しみです♪

    それが・・・入場の時点で既に物凄い長蛇の列にテンション下がりまくりで
    城内に入ってもおしくらまんじゅう(←これ、死語?)状態で
    人の頭しか写真に写らない状況で、すっかりヤル気なくしました。
    日本でチケットをネット購入していなければ、見学やめてたと思います。
    それに、あのキンキラキンはあまり好きじゃなかったですし・・・
    好きなお城はシェーンブルン宮殿かな。
    というわけで、あまり乗り気ではないのですが、ヴェルサイユの旅行記も
    成り行きで作ります(´▽`)

    励みになるコメントをありがとうございました(*^^*)

    sanabo
  • レイジーガーデナーさん 2016/07/10 18:28:15
    素敵です♪
    シュノンソー城、すごくキレイですね。

    名前はよく聞きますが、ここまでじっくり見られるのは
    sanaboさんの旅行記ならではですね。

    いつもながらの詳細な解説のお陰で、実際に行ったら
    何気なく見落とすような箇所も、エピソード付きで
    愉しませていただきました♪

    モノトーンのギャラリーも本当に美しい!
    お庭も見ごたえあるし、ここだけで何日でも見飽きない
    感じですね。

    しかし、イタリア文化を持ち込んだことで有名な
    メディチ家のカトリーヌに、そんな愛憎劇があったとは!

    sanaboさんの解説を拝読するうちに、
    どちらの立場も気の毒な気がしてきました。

    ただ、19歳も年下の王の愛情を独占したディアーヌは
    その誇りを支えに幸せだったかも…。

    歴代の王妃の愛憎が刻まれた寝室は、豪華だけど
    怖くて眠れないかもね、なんて思っちゃいました。^m^

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/10 19:36:14
    RE: 素敵です♪
    レイジーガーデナーさん、こんばんは〜☆

    九州で大雨が降ったり、余震のニュースが入るたび
    レイジーガーデナーさんを思い出しています。
    少しずつ落ち着かれてきていれば良いのですが・・・

    今回もいいねとコメントをありがとうございました(*^^*)

    > しかし、イタリア文化を持ち込んだことで有名な
    > メディチ家のカトリーヌに、そんな愛憎劇があったとは!

    当時は皆、政略結婚だったとはいえ、カトリーヌには恋仲の人がいたそうです。
    でも泣く泣く別れさせられフランスにお嫁に来たら、夫は19歳も年上の女性に
    ぞっこんだったなんて、怒りますよね〜

    > sanaboさんの解説を拝読するうちに、
    > どちらの立場も気の毒な気がしてきました。

    そうですよね。 王が亡くなるまでのカトリーヌも可哀そうだし
    王が亡くなった後のディアーヌも可哀そうだし・・・
    当時の女性は、夫や(結婚前は)親の所有物だったそうですけど
    でも二人の生きざまを見ると、女性は(今も昔も?)強いなぁとも思います。

    > ただ、19歳も年下の王の愛情を独占したディアーヌは
    > その誇りを支えに幸せだったかも…。

    もしどちらかに生まれ変わるとしたら、やっぱりディアーヌかしら〜とは
    思うケド、19歳(アンリ)と38歳(ディアーヌ)はまだありえても
    10年後20年後を考えるとしんどい気もするし・・・@@;
    やっぱり、「金のエリクサー」飲んじゃうかも(爆)

    > 歴代の王妃の愛憎が刻まれた寝室は、豪華だけど
    > 怖くて眠れないかもね、なんて思っちゃいました。^m^

    ホント、ホント!
    それに旅行記にも書きましたけど、なんでディアーヌの寝室に
    カトリーヌの肖像画があるんでしょうね?(あの肖像画、怖いし!)

    お互い、自分のベッドで今晩も安らかに眠りましょう(*^o^*)

    ジメジメの梅雨も嫌だし、そのあとの酷暑も辛いですけど
    くれぐれもご自愛なさり、お元気でお過ごしくださいね。
    ありがとうございました〜♪

    sanabo



  • アルカロイド ダリルさん 2016/07/09 22:07:37
    王妃マルゴの世界

    こんばんわ〜〜ダリルです!

    白い城と愛憎劇の栄枯盛衰! ドラマの舞台は美しいほど、悲劇が際立つ物語!
    萩尾望都の王妃マルゴの連載と同時に、旅行記が読めてジャストなタイミングでした!

    当時のカトリーヌの王室が80人のコックを連れて、旅をしながらフランス各地を回る場面が、sanaboさんの旅行記で目の前に、、、

    カトリーヌがデイァーヌに、シュノンソーの城を返せと詰め寄る場面では、王の死のショックで、一晩で老婆になってしまった愛妾の姿に、権力のはかなさを知った王女マルゴが、母親の深い憎悪に震え上がるシーンがありました!

    んもーぅっ!ビビット! 同時進行! 高校時代にsanaboさんの旅行記と、王妃マルゴを読んでいたら、世界史のテストは100点だったろうに、、、! ユグノー戦争とノストラダムス、ペストの流行の背景を知っていたら、暗記がサクサクできたでしょうね〜〜

    映像の力と、物語記憶の合体した力は、10倍になって迫って来ました! 知っているのと知らないのとは、人生の大きさがぜんぜん違う! 本当にインパクトのある旅行記でした! この旅行記を読めて、とてもしあわせです! 書くのはとてもタイヘンな事と思います! でも、ものすご〜く!私は楽しみにしています!

    ステキな旅行記ありがとうございます!

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/10 16:58:16
    RE: 王妃マルゴの世界
    ダリルさん、こんにちは〜

    > 白い城と愛憎劇の栄枯盛衰! ドラマの舞台は美しいほど、悲劇が際立つ物語!

    うわぁ、ダリルさん、文章上手いわ!!! (ホント、多才なんだからっ!)

    > 萩尾望都の王妃マルゴの連載と同時に、旅行記が読めてジャストなタイミングでした!

    萩尾望都さんって知らなかったのでググりました。 (ハギオボウトかと思ったくらい。笑)
    王妃マルゴを連載中なんですね。 実は旅行記の作成途中で王妃マルゴのことをちょっと調べたら、淫乱で自由奔放な人だったみたいなので気になっていた方です。 映画にもなったようで、さすが題材としては話題に事欠かない方のようですね。

    > 当時のカトリーヌの王室が80人のコックを連れて、旅をしながらフランス各地を回る場面が、sanaboさんの旅行記で目の前に、、、

    萩尾望都さんの連載、面白そうですね〜
    難しい歴史書よりも目から入ってくると分かりやすいですね。
    へぇ〜、80人ものコックを引き連れていたんですか!?

    > カトリーヌがデイァーヌに、シュノンソーの城を返せと詰め寄る場面では、王の死のショックで、一晩で老婆になってしまった愛妾の姿に、権力のはかなさを知った王女マルゴが、母親の深い憎悪に震え上がるシーンがありました!

    あらま〜、なんともリアルな!!!  クライマックスシーンですものね。
    カトリーヌがディアーヌに対し積年の恨みを持つのは当然としても、本来カトリーヌは悪い人じゃないと(少なくとも嫁いできた頃は)思うのですが、実権を握ってからの(虐殺を指示したと言われる頃の)カトリーヌはどうだったんですか?
    そのあたりのことがよくわからなくて、ずっと疑問に思っていました。
    歴史上は悪女のように言われてるけど、本当に彼女が裏で指示していたのか、だとしてもそれがやむを得ない処置と思っていたのか、その辺のことが分からないでいました。萩尾さんはどう捉えていますか?
    だったら、買って読めって? そう言わずに、ダリルさん、教えて〜♪

    > んもーぅっ!ビビット! 同時進行! 高校時代にsanaboさんの旅行記と、王妃マルゴを読んでいたら、世界史のテストは100点だったろうに、、、!

    どうかしら〜(爆) もうダリルさん、最高に面白いっ!

    > 映像の力と、物語記憶の合体した力は、10倍になって迫って来ました!
    知っているのと知らないのとは、人生の大きさがぜんぜん違う! 本当にインパクトのある旅行記でした!

    萩尾さんの連載も読まれ、愛憎の世界のストーリーを知り尽くしているダリルさんだからこそ、そんなにもインパクトを持って受け止めて下さったのだと思います。 ありがとうございました!

    ダリルさんがシュノンソー(や他の城も)へいらしたら、どんな旅行記になるのかそれこそ楽しみです(*^^*)

    まずは、バンコクの旅行記の続きへ楽しみに伺いますね♪

    sanabo
  • cheriko330さん 2016/07/09 11:14:33
    歴史渦巻くシュノンソー城
    sanaboさん、おはようございます\(^o^)/

    UP終えてやれやれですね♪ お疲れさまでした<(_ _)>
    もう、さすがです。お見事しか言葉が見付かりません。
    時間が掛かるのも納得ですね。

    "ショーモン城と交換"の話など知りませんでした。
    他にも知らない事だらけで、すご〜くお勉強になりました。
    結構、この手の話は興味ありますよね。中世の王侯貴族はどこも
    同じですね。
    イギリス王室も然り・・・(私、ダイアナ妃のファンです)

    管理人事務所の壁一面に藤の花が咲けば、見事でしょうね。
    お庭も手が行き届き、きれいですね♪

    ルーベンスの"幼いキリストとバプテスマのヨハネ" 可愛いです。
    こんな可愛いい絵も描いていたのですね。

    シュノンソー城の隅々まで見せて頂き、感激しました。
    歴史のお勉強の後、最後にシュノンソー城の素敵な写真の数々
    和ませて頂きました。
    演出家sanaboさんに1票しかないのが残念です。拍手喝采です。

    どれ位の滞在だったのでしょうか?
    少しゆっくりお休み下さいね。休養後、一番人気のベルサイユ宮殿も
    乞うご期待ですね。

    では、また cheriko330

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/10 15:36:30
    RE: 歴史渦巻くシュノンソー城
    cheriko330さん、こんにちは〜

    このあいだは「今夜あたりUP出来そう」なんて言っておいて
    結局翌朝になってしまいました><

    もう気分は完全にポルトガルで、早くポルトガルの旅行記を
    作りたくて仕方ありません(笑)
    でも、フランス編まだ3つもあるの!(爆)

    > 管理人事務所の壁一面に藤の花が咲けば、見事でしょうね。
    > お庭も手が行き届き、きれいですね♪

    あの建物、可愛いですよね^^
    よ〜く見ると、まだ少し藤の花も残っていますが、盛りは
    もっとずっと前だったのでしょうね。

    > ルーベンスの"幼いキリストとバプテスマのヨハネ" 可愛いです。
    > こんな可愛いい絵も描いていたのですね。

    シュノンソーは絵画のコレクションもたくさんあり
    (cheriko330さんもいらしてるから、ご存知ですよね)
    後になって、ムリーリョの『聖ヨセフの肖像』など見逃していたことが
    わかりました。
    後半の部屋に行くほど、(疲れてきて)写真の数も激減しています(笑)

    > 演出家sanaboさんに1票しかないのが残念です。拍手喝采です。

    cheriko330さんからの嬉しいお言葉が何よりの励みになりまーす(*^o^*)

    > どれ位の滞在だったのでしょうか?

    cheriko330さんに聞かれて写真の時間を調べたら、3時間くらい
    シュノンソーにいたようです。
    いつもどこでもそうなのですが、しつこく写真撮ってるから
    普通の人の2〜3倍の時間がかかってる気が。
    でも我が家のモットーは、「滞在地で過ごす時間を楽しむ」なので
    これからもこのスタイルだと思います。

    > 少しゆっくりお休み下さいね。休養後、一番人気のベルサイユ宮殿も
    > 乞うご期待ですね。

    それがね〜、ヴェルサイユは激込みで物凄い人だかりで
    宮殿の部屋の写真も人の頭しか写ってない状態で、少々やる気が失せています。 
    どうなることやら・・・です。

    心はポルトガル♪・・・のsanaboでした!

  • ふわっくまさん 2016/07/09 08:57:36
    おとぎの国〜☆・・
    sanaboさん、おはようございます。
    梅雨空で蒸し暑い昨今ですが、朝からウットリ美しいおとぎの国のような景色を拝見させていただきました(^-^)
    青い空に白いお城、庭園にはお花がキレイに咲いて〜・・
    機会があれば是非ぜひ、この目で見たくなる夢のような光景です〜♪

    その中でオーディオガイドを聞きながら歩く賢そうな男の子と、女性の面白いTシャツ柄をパチッと一枚撮られてみたり・・
    当時の政略結婚の様子や、愛妾の説明もされたり・・
    外は大雨なのですが、お陰様で充実した時間を過ごせました。
                  ふわっくま

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/10 15:05:42
    RE: おとぎの国〜☆・・
    ふわっくまさん、こんにちは〜

    > 青い空に白いお城、庭園にはお花がキレイに咲いて〜・・

    そうそう、この光景だけ見ると夢とロマンに満ち溢れ
    白雪姫でも住んでいそうな気がしますよね〜(*^^*)
    でも、実情は愛憎と策略の渦巻くお城だったとは〜〜(笑)

    > 機会があれば是非ぜひ、この目で見たくなる夢のような光景です〜♪

    姿かたちは、キンキラキンのヴェルサイユよりずっと美しくて
    お城らしくて好きです♪
    ロワールの古城のイチオシですので、ふわっくまさんも機会があればぜひ!

    > 当時の政略結婚の様子や、愛妾の説明もされたり・・

    世界史音痴なので、旅行記作りながら私自身も「そうだったの〜!?」と
    思うことがいっぱいです。

    早く今年のポルトガル旅行記を作りたいのですが、フランス旅行記に
    もう少しお付き合いいただけたら嬉しいです^^

    sanabo
  • dankeさん 2016/07/09 08:14:04
    シュノンソー
    sanaboさん、

    シュノンソー城は昨年両親と行こうと思ったロワール渓谷プランにもちろん入っていましたが、両親がこの地域にあまり興味を示さなかったためやめたところですので、私は興味津々で拝見しました。

    このお城は女性の城と言われているだけあり、やはりその歴史のドロドロしさがすごいですが、結局人は今も昔もあまり変わっていないのではと実感します。建前で生きるか本音で生きるかの違いであり‥

    そんなドロドロを美しい写真とともにsanaboさんの丁寧なあくまで中立的な書き方、おそれいりました。なかなかまとめるのが大変な歴史だと思うからです(笑)。

    でもこれも私はフランスの魅力の一つだと思っています。なんかまとまりない感想ですみません。

    ディアーヌの美貌への執着は本当にすごいものだったのですね、金のとり過ぎとは!参りました。

    sanabo

    sanaboさん からの返信 2016/07/10 14:35:01
    RE: シュノンソー
    dankeさん、こんにちは

    > 両親がこの地域にあまり興味を示さなかったためやめたところ

    そうだったのですね〜
    今年のフランス旅行はロワールにもいらっしゃるご予定でしょうか?

    > そんなドロドロを美しい写真とともにsanaboさんの丁寧なあくまで中立的な書き方、おそれいりました。

    本当に政略結婚や近親結婚が当たり前で、愛憎劇がいっぱいの
    ドロドロの世界ですよね〜(笑)
    ディアーヌの胸の内はある程度想像できても、カトリーヌに関しては
    正直どう捉えたらよいのかわからず、結果的に断定的なことは言えず
    中立的な書き方になってしまったのかも。
    カトリーヌは、根は悪い人ではなかったと思います。 
    私だったら、王亡き後ディアーヌを追い出して『ディアーヌの庭』を取り壊し
    自分の庭(カトリーヌの庭)にしていたと思うな〜
    (きゃぁ、私ってカトリーヌより怖い女???)

    > ディアーヌの美貌への執着は本当にすごいものだったのですね、金のとり過ぎとは!参りました。

    女性の美への探求心はいつの時代も変わらないけれど、19歳も年下の
    国王の寵愛を繋ぎ留めておくためにも、不老の霊薬を飲んでいたと思うと
    不憫な気がしますね。

    シュノンソー城は夢とロマンだけでなく、愛憎と策略に満ち満ちていたけれど
    そんな歴史こそdankeさんがおっしゃるようにフランスの魅力であり
    面白さでもありますね。

    今年のフランス旅行もたくさん楽しんでらして下さいね(*^^*)

    sanabo

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