2007/08/01 - 2007/08/09
16位(同エリア26件中)
ねいちゃさん
さて、8月4日はいよいよ古城めぐりです。
フランスの歴史は、一言で言えばルイ14世とナポレオンの歴史と言っても過言ではありません。彼らが残した建造物や業績の数々に、つい圧倒され他が薄れてしまいがちですが、フランスというヤツはナカナカ奥が深いのです。
ルイ14世以前というカテゴリーに位置するのが、今回のロワール古城。派手さや豪華さはもちろんヴェルサイユ宮殿には遠く及びませんが、フランス王家の王城のなんたるかや当時の生活の匂いが見えてくるのもこういった場所なのですね。じっくり見て回りたいと思います。
といっても、あまり事前学習をしてこなかったので、また見落としとかもたくさんありそうですが、でもまぁなんとかなるっしょ、「ケセラセラ~」!
ではでは、ロワール古城の威風堂々とした佇まいをご覧下さい。
< 旅 程 >
☆8月1日(関空→パリ→ニース)
☆8月2日(ニース→モナコ→エクス=アン=プロヴァンス)
☆8月3日(エクス=アン=プロヴァンス→アルル→アヴィニヨン→リヨン)
★8月4日(リヨン→ロワール古城→トゥール)
☆8月5日(トゥール→サンマロ)
☆8月6日(サンマロ→パリ)
☆8月7日(パリ→ヴェルサイユ→パリ)
☆8月8日(パリ→関空)
☆8月9日(関空→自宅)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
-
朝早く目が覚めました。昨日はさすがに爆睡したせいか、かなり元気回復。寝るって大事ですよねー、みなさんも旅行中はムリをせず、所々できっちり休養をとってくださいね。歳とるとムリするとろくな事はありません、見所満載で気持ちの高揚はありますが、体力と精神力あっての感動です!
リヨンのホテルはこんなだったんだぁー、朝になってようやくわかりました。今日はなんか頑張れそうだな、天気もいいし・・・。 -
フランスの田園風景って、どっかに似てるなーとずっと思ってたんです。ふと気づいた「あ、北海道だー」。車窓を眺めているとそう北海道とよく似てる。とにかくだだぴっろくて何にもなくてのどかで・・・。北海道好きだから、定年になったら北海道移住をマジで考えてたくらいで、今はそんな勇気はなくなっておりますが・・・そういや北海道旅行記もアップしてないなぁー、毎年行ってたんだけども・・・。
-
7:20にホテルを出て、13:30にロワール地方のシャンボール城に到着。
バスの中でも風景を見つつも、時折眠ったりしていたようで、エネルギー満タン。
シャンボール城は後から前の方に見学していくコースのようですが、残念ながら城の中には入場できません。下車観光のみ・・・くぅー、入りたかったなぁー。 -
シャンボール城[Chateau de Chambord]
この城はフランソワ1世の狩猟用の居城として、ドメニコ=ダ=コルトナによって設計されました。ロワール渓谷にある古城の中でも最大の規模を誇ってます、確かにデカイです。客人として迎えられたレオナルド=ダ=ヴィンチはアンボワーズ城近くに住んでいたので、おそらく設計に何らかの関与はしていたでしょうが、どの辺がと言われると定かではありません。 -
フランソワ1世は、敵対していた神聖ローマ皇帝のカール5世を招待して「どうだい?すごいだろー」と見せびらかしたと言われています。イタリアかぶれのこの王を、カール5世はどう見ていたのか気にはなりますね。もっともそのカールも宗教改革の荒波やトルコの侵攻にさらされておりますから、それどころではなかったのかも知れませんが、おそらく「けっ!」とは思ったハズ。
その両国が後に同盟を結ぶのですから、歴史というものは何でもアリですねぇ。マリ=アントワネットの結婚はその副産物、この時から彼女の運命が定められていたのかも・・・と考えることも歴史上の想像力ではあります。 -
このお城は中央のでーんとした本丸?と四方のずんぐりとした塔から形成されております。またそのまわりはとても低い壁が覆っていて、防衛上かなり問題ある施設です。敵の攻撃はとても防げそうもありません。
純粋に見栄えのみを追求されているみたいです。部屋数はなんと440もあるのですが、イタリアをイメージして窓も多く作ってあるので、フランスの寒さはしのげません。で、暖炉が365も作られることにもなり、フランソワ自身狩りの時にちょっと寄るみたいな使い方しかしてませんねー。「だって、寒いんだもん」とはフランソワの弁。(うそです^^;) -
このお城の見所は何と言っても「二重らせんの階段」でしょうね。2つの階段は真横にありながら交わることなく、DNAの配列のごとく3階まで昇り降りができます。
この階段はどうしても見たかったんですよねー、残念でなりません。こんな斬新なアイデアはダ=ヴィンチしか思いつかないだろうってんで、彼の設計とも言われておりますが、真相は不明。ダ=ヴィンチだったらいいなーというレベルのままです。
でも私はダ=ヴィンチのもんだと勝手に思わせてもらいます。彼ならDNAの配列を知っていても、何も不思議はない!確証は皆無、ただの妄想、ただの願望です! -
イチオシ
それにしても重厚な佇まいです。ヴェルサイユなどは確かに美しいのですが、城というイメージはなくて、やっぱり宮殿なのですね〜。こちらは美しさの中に「城やで〜」というのが色濃くでてる建物だと思います。
よく見ると本丸の回廊部分に人がいますねー、なんだぁ登れるんだ。あーあ、やっぱり入りたかったよなぁぁぁ。 -
このお城の敷地内には、1000ヘクタールの森があるそうです。その中には野生動物の保護地区なんかもあって、今も鹿や猪などが住んでいるそうで、その他にも希少動物なども保護活動もしているそうな・・・こういう所の徹底ぶりはエライね、フランス人。
この炎天下、さすがにお散歩を楽しむ人は少ないですが、ただ木陰などにたたずんで日がな一日のんびり過ごすのはいいかもね。忙しいツアー観光もいっぱい見られていいんだけど、心のゆとりというのはいつも無いからなぁー。 -
シャンボール城を出て、今日の昼食に向かいます。なかなかイイ感じのお店。フランスの田舎町ってどこもそうなんだけど、一つ一つの家が実に小綺麗にしているんですよー。立派ではないけど、壁に鮮やかな色を塗って、小さなお花が飾ってある、ホントに例外なくどの家もそうしてる。こういう美意識というのはアジアの街には見かけないものです。もちろんアジアならではの良さはあるんですけどね。
-
サン=ルイ大聖堂[Cathedrale St-Louis]
道路沿いにバスをとめて下車観光となりました。川を挟んで対岸からお城が眺めるられるそうです、撮影タイムですね。で、私頑張って撮ったんですが、てっきりコレがブロワ城だと2011年の今の今まで信じてきっておりました(笑)。添乗員さんもそう言ったような気がするし・・・本物のブロワ城はこの聖堂より左手にあるのです。今頃になってその事実を発見するとは?!
いやねー、ブロワ城の写真見てると「なんか違う」って気づいたんですよ。で、グーグルアースとか色々眺めていたわけです。この建物は一体なんだったんだって、何というか意地みたいなもんで。ようやく判明しました。この捜索だけで3日はかかってます、ハイ。 -
見るからに立派な建物ですよねー、間違えてもムリはないくらい(言い訳)。ブロワ城からこの聖堂までは、木骨組みの家などが立ち並ぶ旧市街で坂の多い狭ーいクネクネした道が多いのだそうですが、ここからではよくわかりませぬ。
このまま私たちはブロワ城に近づくことなく、シュノンソー城に向かうことになります。だんだん自信がなくなってきました。多分シュノンソー城に向かうハズです・・・(笑) -
ブロワの街に続く石造りの橋、かなり重厚ですよ。
ここを曲がればブロワ城、でも私たちはまっすぐ進んでいきます。 -
これも教会のようですが、この右手の小高い所の建物がだぶんブロワ城です。ようやく・・・欠片でも写真に写っていてよかったです。このお城はフランス王が6代にわたって居城としたそうで、中には有名な螺旋階段もあって・・・。
まぁまた今度フランスに行った時にしっかり見てきましょう。ご案内はその時までおあずけ・・・いつになるのでしょうねぇー。 -
一面のひまわり畑。イタリアでも同じ頃のひまわり畑を見たのですが、もう盛りがすぎて終わりだと添乗員さんは仰ってました。おしなべてヨーロッパはそうなのかと、一瞬思ったのですが、咲き誇ってるシーンを思い出して、あぁフランスは緯度的にはかなり北だからまだまだ盛りなんだと思い直した、その記憶の中の写真がコレです。
なんという饒舌な説明なのでしょうか、ひまわり畑ひとつにここまでの思いを込めるなんて、私もなかなかヤルじゃないですか。(笑) -
これはエジプト郊外のサッカラにあるメンチュヘテプの・・・というのはウソ(笑)。でも、そう言われても、通りそうなスフィンクス君です。シュノンソー城の駐車場にバスをとめて、いよいよ城内観光へと、歩き出した道に鎮座されております。フランスであっても、スフィンクスに迎えられるのはイヤな気はしませんねー、テンションあがります。
でも、君はなぜここにいるんだい???悪い人に連れてこられたのかな??? -
イチオシ
シュノンソー城[Chateau de Chenonceau]
この城の主は代々女性だったところから、一般には「6人の貴婦人の城」などと呼称されております。ロワール川の支流シェール川に美しいアーチの回廊を設けた白亜の城は、一部後期ゴシックを引きずるものの初期ルネサンス様式が色濃く出て、大変美しい外観をもっております。観光客がヴェルサイユ宮殿に次いで、2番目に多いというのもうなずけます。 -
マルクの塔
15世紀初めここにジャン=マルクが邸宅を建てたものがこの城の起源なのですが、紆余曲折があって、シャルル8世侍従のトマ=ボイエの所有とされました。ボイエは16世紀前半に邸宅を再建し、その建築を実質的に監督指揮したのは、妻のカトリーヌ=ブリコネーで、彼女が「1人目の女城主」。その後ボイエの息子はフランソワ1世にこの城を献上しております。
写真は中世の名残を残すマルクの塔、実際はボイエによってルネサンス式に直されてますが、名前だけは初代の所有者に敬意を表して(?)この名が残ってます。
で、何があるのかと入ってみましたら、なんと・・・お土産屋さんと化しておりました! -
護衛の間
16世紀に作られた白い暖炉の上にあったのが、初代女主人の夫トマ=ボイエの紋章。
壁には2枚のタペストリーが掛けられ、2つのテーブルが置いてありました。歴史のある上等なタペストリーだとは思いますが、だいぶ色もはげ落ち、なんか暗いの部屋だなぁーという印象。もっとも昔のヨーロッパの古城は、入ってすぐが護衛室。だからあんまりあでやかではないのは当たり前なのですが。 -
礼拝堂
ここのステンドグラスはかなり新しいです。といっても私が生まれる前ですけど・・・じゃあ半世紀は経ってますね(笑)。
第二次世界大戦中、元々あった窓が爆風で破壊されたそうです。この辺りはドイツ軍の占領地域で、連合国側の爆撃で壊れたんでしょうけど、同じ連合国のフランスの文化遺産の破壊なので状況は複雑。戦争というヤツは破壊しか生まないのに、なんで無くならないんでしょうかね。人間の愚かさの象徴だと思います。 -
確かに画風?は近代のものですね。1954年マックス=イングランドさんが造られたものだそうです。
この方は他にもシャルトルのルシェーヴル地区にある聖ヨハネ=バティスト教会のステンドグラスを造られております。 -
礼拝堂の天井、梁の造形が見事ですね。
ここは王のための礼拝堂であるため、2階部分にロイヤルギャラリーと呼ばれる王妃がミサに出る席が設けられておりました。 -
ディアーヌ=ド=ポワティエ[Diane de Poitiers]の居室
フランソワ1世の死後、王座を継いだアンリ2世は、愛妾ディアーヌ=ド=ポワチエにシュノンソー城を与えました。彼女がこの城の「2人目の女城主」、現在の城の構造は彼女が造らせたものです。彼女はアンリの家庭教師だったので、年齢は20歳も上でしたが、若い男が年上の女性に翻弄されることは儘あること、マザコンだったのでしょうか・・・。
そのディアーヌが使っていたのがこの部屋。政治能力も高かった彼女は、実質上アンリとの共同統治で「玉座の後ろのブレーン」となって、愛と信頼と権力を同時に握っておりました。
写真は王妃カトリーヌ=ド=メディシスの肖像、喪服を着ておられますから、アンリ2世の死後の作品。彼女は王の死後、ずっと喪服で過ごしたそうです。でも、なんでディアーヌの部屋にカトリーヌを飾るんでしょうね、普通の人は間違えるんじゃないかなー、これがディアーヌだと。カトリーヌさまには申し訳ないのですが、ディアーヌさんはもっとお美しいですっ! -
1559年国王アンリ2世が家臣との馬上試合の一騎打ちで敗れ大怪我、その後死亡してしまいます。(部下がマジ勝負して王様に怪我させちゃダメじゃん。)それを機に本妻である王妃カトリーヌ=ド=メディシスは、「シュノンソーを返せ」とディアーヌに命じ、代わりにショーモン城を与えました。
ワクワクしますねー、本妻と愛妾の確執・・・現場にはもちろん居たくはありませんが・・・ビシバシと火花が散るシーンが、お話だけでも想像できますよねぇ。もっともこの城の交換はディアーヌにとって不利な条件ではなかったと言われておりますが、ここはお話を盛り上げるために対決路線で行きましょう。 -
カトリーヌ=ド=メディシス[Catherine de Medicis]の書斎(緑の書斎)
アンリ2世の死後、王国の摂政となった彼女が使っていた書斎。カトリーヌはこの部屋からフランスを支配しておりました。そう、彼女がこの城の「3人目の女城主」です。この部屋の奥には小さな図書室があって、そこからディアーヌの庭とシェール川が見渡せます。
写真はティントレットの「シバの女王」 -
王妃としてアンリの愛を得られず、何の力も持ち得なかった彼女の復讐が始まります。王が重体の際にもディアーヌには接見を許さず、王の死に際しても葬儀にも呼びませんでした。さらには王がディアーヌに与えた贈り物リストを入手し、その全ての返還を求めるなど徹底した排除を断行するわけです。
これは単なる嫉妬ではないですねー、執念ともいうんでしょうか、私はここに女としての矜持を見る思いです。しかし、怖いものです。私の愛人がこんな目にあったらと思うと・・・(そんな人はいません、爆)
おっと、写真はなんだっけ?
「ウマノスズクサ様式」と呼ばれる16世紀のブリュッセルのタペストリー。元々は緑色だったのですが(あ、だから緑の書斎か)経年変化で青になってます。ヨーロッパに見られない動植物がいっぱい描かれて(織られて)おります。 -
ルイ14世のサロン
さすがはルイ14世と名前が付くだけあって、壁一面が緋色で豪華です。1650年7月14日に、ここを訪れた記念の部屋だそうですが、むっ、この日付・・・何かを感じますよねー、140年後には革命が・・・。
写真はルネサンス様式の真っ白な暖炉。中央にはフランソワ1世を表すサラマンダー(火とかげ)とクロード王妃を表すストート(オコジョ)が刻まれております。 -
左上−ルイ15世
右上−ルイ14世
左下−デュパン夫人[Madam Dupin]「5人目の女城主」
右下−プリンセス=ドゥ=ロハン
この城は1733年資産家のクロード=デュパンの手に移ります。デュパン夫人は美術・文芸・演劇の愛好者で、当代一流の文化人たちを招いたそうです。その中にはモンテスキュー・ヴォルテール・ルソーなども訪れています。ルソーが「エミール」を書いたのはココだそうですよ、「へぇー」ですね。
革命時には多くの館が襲撃されたのですが、デュパン夫人は農民たちに慕われていたため襲撃を受けなかったそうです。今日多くの調度品や装飾が残っているのは、彼女のおかげなのかもしれませんね〜。 -
階段
といってもわかりませんよね、こんな写真じゃ。これは天井なんですが、丸い模様がなんかおしゃれだったので写真をとったみたいです。ホントはこの階段、手すりが特徴でフランス風とイタリア風が混在しているんで、こっちを撮らないといけません。 -
フランソワ1世の寝室
暖炉の右手に「三美神」の絵があります。これはファン=ローの作品。この女性たちのモデルは、ルイ14世の愛妾たちで、シャトールー[Chateauroux]・ヴァンティミユ[Vintimille]・マイユ[Mailly]。ご自分の愛人たちを裸にして並べて眺めるなんてーーーいったい何を考えているんだか・・・。 -
ディアーヌ=ド=ポワティエの肖像画
彼女は50を過ぎても美しさは衰えず、20歳年下の王と同年齢に見えたとか。綺麗な人はいつまでも綺麗。思わず吉永小百合さんを思い出しました。(笑)
ですが、彼女の若さには秘密があったのです!!!
彼女は城を追い出された後、前夫の居城アネ城で67歳で亡くなったのですが、革命時墓があばかれ、遺体は共同墓地に投げ込まれました。
2008年、この墓地で一体の女性の遺骨が見つかり、骨の特徴から彼女のものと判明。さらに彼女の遺髪からは通常の人より500倍もの金が見つかります。
2009年、これは「金のエリクサー」という不老の霊薬を服用していたための金中毒死だったと科学者により発表され話題となります。命を削った若返りの妙薬・・・女性のみなさま、笑えない話だと思いませんか?
今、彼女の遺体は元の墓地に改葬され、静かに眠っておられます。。。いつまでも美しく、あなたの美貌は歴史と私たちの記憶に残りましたよ。 -
1階のホール
ヨーロッパの館建築では廊下は造られることが少ないのです。奥に住まわれるご主人を守るというのが発想の元なので、通常は部屋から部屋へと通り抜ける構造なんです。ヴェルサイユ宮殿でもそういう造りですよね。
でもここは各部屋に廊下から入る様式にされています、大変珍しいことですが、防衛よりも居住性が高まったということなんでしょうか。
写真はホールの天井を覆うリブ・ヴォールト。普通のゴシックではただ交差するだけなのですが、ここのはジグザク状に組み込んで天井の軽量化と同時に装飾性も生み出しています、綺麗ですよね。ヴォールトの交差部分にはキーストーンがはめられ、葉・バラなどの彫刻が施されておりました。これぞルネサンス様式。 -
ギャラリー
この下に川が流れていることになりますから橋の回廊。これを建設したのは王妃カトリーヌで、長さは60m、幅は6mほどあります。ただの橋にせずこういうギャラリーを設けるところが、彼女の非凡さの現れなのかもしれませんね。床には白黒のタイルが張られ、天井は木材の梁がむき出しのまんまで窓からの日差しでとても明るい空間です。彼女はここで息子のアンリ3世を記念するダンスパーティを開いたそうですよー。
この優雅な空間も歴史は様々な使用を強要したようで、第一次世界大戦では、城のすべての部屋が病棟となり、ここにもベットが並べられたそうです。
また第二次世界大戦では、城の入口がドイツ占領区域だったのに対し、ギャラリーの南ドアは非占領区域となっていて、レジスタンスの面々が逃亡や画策に利用したともいわれております。戦争の記憶が多く残っている古城なんですね。 -
ギャラリー南端にあるシェール川の左岸に出る南ドア。北側は美しいルネサンスの暖炉があります。このドアを使ってレジスタンスが逃げ延びて行ったんでしょうねー。
-
ドイツ軍非占領地域にやってきました。
「なんとか逃げ出せたようだな、全員いるか?」
「ジャンがいませんっ!」「なに?!」
「お前たちはここで待っていろ、ちょっと見てくる。」
「ダメですよ、ヤツは・・・脳天打ち抜かれて・・・もう」
「くそぉーーー」
なんて会話があったのかもしれません。 -
厨房
再びお城にもどってきました。階段を下りたところに厨房がありました。ここは橋脚の土台の上に作られています。少ししか見ませんでしたが、いっぱい鍋やケーキの型なんかがおいてありますねー。見た目なんか新しい感じでしたが、何でも大戦中病院として使用された時に当時の最新設備が入れられたそうです。
だいぶ鍋の中が汚れてますねー、牛乳暖めた感が出ています。(どんな感なんや、意味不明)
ちなみに厨房下にはボートが着くデッキがあって、「ディアーヌの水浴び場」と呼ばれています。でも結構流れが急だよ、流されちゃうよ〜。 -
カトリーヌ=ド=メディシス[Catherine de Medicis]の寝室
部屋全面に重みのあるタペストリーが飾られ、日本人的な感覚で言えばちょっとここでは眠れないよなーという感じです。暖炉や床タイルは古いものでルネサンス期のもの。ベッドの右手に見える絵画は、コレッジョの「愛の教え」という作品で、タペストリーの対比としてはなんかほっとします。
カトリーヌはフィレンツェの銀行屋の娘として政略結婚でフランスに連れてこられました。その出身から宮廷内では揶揄され陰口を叩かれたと思います。頼みの旦那は年上女に夢中・・・とても辛かったでしょうねー、きっと。
でも彼女は強い、フランスにイタリアの食文化を持ち込んだのは彼女です。今日あるフランス料理は彼女の御陰といっても過言ではないし、30年に及ぶ摂政としての役割も宗教対立を果断に乗り切ろうと努力します。結果はユグノー戦争を招き、ヴァロア朝を断絶させてしまうのですけど・・・これも考えようによっては、女としての矜恃、潔しです。 -
イチオシ
カトリーヌの寝室横の版画展示室からディアーヌの庭園をのぞむ
カトリーヌはどんな想いで、夫の愛人が作った庭を眺めていたのでしょうか?自分の名前がついた庭園はこの部屋からは見られないというのに。
でもね、たぶんですけど、彼女は美しいものは美しいと素直に思っていたと勝手に想像するんですよね、だからここを寝室にしたと。でなけれりゃ、イタリアの食文化を持ち込んだりしない。美しい食事でなきゃヤだったんだと思うなー。とっても正直な人だったんでしょうね、きっと。 -
5人の王妃の寝室
この寝室は、カトリーヌ=ド=メディシスの5人の娘(義理の娘さんも含んでます)にちなんでこのようなお名前になってます。この娘さんたちは、アンリ4世の妻マルグリット=ド=ヴァロワ、フェリペ2世の妻エリザベート=ド=ヴァロワであり、フランソワ2世の妻メアリー、シャルル9世の妻エリザベート=ドートリッシュ、アンリ3世の妻ルイーズ=ド=ロレーヌ-ヴォーデモン[Louise de Lorraine-Vaudemont]の方々です。
最後のルイーズ=ド=ロレーヌさんは、1589年このお城の「4人目の女城主」さまとなられましたが、とても大きな心の傷を抱えられることになります。 -
イチオシ
カトリーヌの実の娘さんであるマルグリットの夫アンリ4世はブルボン朝の創始者、元々新教徒であった人ですが、国民の9割を占める旧教に改宗することで国民の支持を獲得する一方、1598年ナントの勅令を発布して信仰の自由を保障、新教徒にも行き届いた善政をひかれた歴史上有名な方です。ルイ14世などは、無駄な戦争と浪費のあげく、ナントの勅令を廃止し、国内産業を停滞させましたから、それと比べるとはるかに名君と言えますよね。
もう一人の娘さんのエリザベートの夫フェリペ2世は、ご存じスペイン絶対王政を現出された方、ポルトガルを併合して「太陽の沈まぬ国」を作り上げましたが、無敵艦隊が英王エリザベス1世に破られ、以後スペインは衰退の道を進むこととなります。
こんな風に以後の歴史を見てみると、カトリーヌの娘さんは、世界史の真っ直中で様々な出来事に関わっておられることが、よぉーくわかります。
2階にはテラスがあって、大変眺めがよろし。写真はマルクの塔をテラスから。 -
テラスの右手にあるのが、ディアーヌ=ド=ポワチエの庭。
庭の中央には噴水があってとっても綺麗です。この庭はシェール川の氾濫から守るために、一段高い石垣の上に作られております。お花が盛んに咲きほこる頃には、花壇越しに川の上のアーチをもつこの城の美しい眺めが楽しめ、絶好の撮影ポイント。私は下のワインの貯蔵庫でワインの試飲ができる!という言葉につられ、この庭には訪れておりません。今にして思えば何ともったいないことをしたのかと後悔中。 -
テラスの左手にはカトリーヌ=ド=メディシスの庭。
中央には池があり、ここからは西のファサードが見えます。なんでも庭の花壇の植替えは春と夏に行われ、13万本もの草花が一斉に植えられるとか。また王家の厩舎と養蚕場が、カトリーヌによってフランスにもたらされたそうで、他にも農場と公園もあって、ここから行けるそうです。もちろん私はワインに魂を持って行かれておりますので、訪れてはおりません。 -
ガブリエル=デストレの寝室
この部屋はアンリ4世の愛妾ガブリエル=デストレの寝室で、彼女の息子ヴァンドーム公セザールは王の子として認知されました。ルネサンス期の調度品がよく保存されておりますが、このあたりまで来るとどれも同じように見えてくるので、あんまり深い印象はありませんねぇ。 -
ただここにあったタペストリーは、他の部屋が色褪せているのと比べて、結構原色が残っているなぁとは思いました。後で調べて見たら、この部屋のタペストリーは「ルーカスの月」と呼ばれるそうで、大変珍しいものだったとか。
写真は「8月 - 乙女座(刈り取り人への支払い)」というテーマのタペストリーだと思います。 -
この絵の方が印象に残ってますね。私この方がディアーヌさんだと、なんか勝手に勘違いして覚えておりましたが、全然違いました。
これは17世紀にフローレンス派の画家が描いた「聖セシリア」。音楽家の守護聖人だそうですが、とても優しいお顔をしてはります、なごむぅ〜。 -
ルイーズ=ド=ロレーヌ−ヴォーデモン[Louise de Lorraine-Vaudemont]の寝室
3階に上がってきました。この階で公開されているお部屋はここだけでしたが、入ってびっくり「むっちゃ暗い!」今までと様相がまるで異なっております。
前述のルイーズさんですが、夫アンリ3世が1589年8月に暗殺されると、悲しみの余りこのシュノンソー城での引きこもり生活に入られます。
瞑想と祈りの毎日、修道女たちに囲まれ、王への哀悼を示す白い喪服を常に着用し、喪服を着たまま城内をさまよい歩かれ、いつしか「白衣の王妃」と呼ばれたそうです。
現在彼女はサン=ドニ大聖堂で、夫アンリ3世の傍らで共に安からに眠っておられます。 -
この部屋全体にみなぎる悲しみ。その救いを信仰にすがる雰囲気。
それをもっともよく表しているのが、暖炉上のキリストの荊冠と16世紀に描かれたこの絵画です。
ともすれば、庶民とは違う王族の優雅な生活に焦点が当てられることは多いのですが、彼らもまた同じ人間。いくら食に困らずとも、いくら綺麗に着飾ろうとも、それだけで幸せとは決して言えないのですよね。多少お金がなくても、家族が元気で日々笑顔がある生活が、どれだけかけがいのないものか、そういうことなのだと改めて思います。 -
彼女の寝室の壁面や天井には、銀の涙・未亡人の綬章・荊冠など喪を表すもので飾られていました。黒と白の世界しかベット付近にはありません。こんな所で毎日過ごせば、普通の人も病気になるよなーっていう暗い部屋です。
荊冠の中のギリシャ文字が見えるでしょうか?
ラムダ(Λ)はルイーズのイニシャルで、(H)のアンリ3世のイニシャルとからみ合わせて模様とされています。ね、なんか可哀想すぎますよね。悲しくなってくる模様でした。 -
シュノンソー城、なかなか見応えのあるお城でした。
ここでしばし自由時間をいただきまして、早速ワインを飲みに行ったのですが、なんかやってなくて・・・意気消沈。仕方ないのでその近くのカフェでビールで我慢します。(って、結局飲んでるんですけど) -
イチオシ
シュノンソー城玄関上にあるステンドグラス。
これもマックス=イングランドさんの作。とってもいいお馬さんですよ〜。お城に行かれた時は玄関入ってすぐ後を振り返ってみてくださいね。 -
最後にシュノンソー城を雄姿を。
ツアーにおられた新婚さんは古城ホテルにお泊まりコースなので、彼らをひやかしつつ送り届けてから、我々はトゥールの街まで行って、単なる3ツ星ホテルで宿泊となりました。
8月4日はこれで終了。明日はいよいよモンサンミシェル・・・。
「フランス窓便り・・・⑤(モンサンミシェル編PartⅠ)」へと続きます。
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この旅行記へのコメント (1)
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- サウスピーチさん 2011/10/22 11:09:14
- こんにちは〜♪
- ねいちゃさん、またまたこんにちは♪
ロワール城、実は4、5年前の計画では、ロワール渓谷を数日かけてドライブしながら川沿いのお城を見て回る予定でした。 が、結局旅行自体中止になり、昨年果たせたフランス旅行では日数が足りず、次回(いつになるやら)に持ち越しとなった次第です。
そうそう、ロワール渓谷をサイクリングで回れる、って知ってました? 小さな田舎道を含めて、専用のサイクリング・ロードが整備されてるらしいです。 雄大な景色と歴史と風を感じながら走れるなんて・・・。 めっちゃいいですよね〜。 (が、自転車などというものをここ、十数年、いや、ウン十年・・・?乗っていないので、それがちょっと心配で・・・?)
シュノンソー城ですが、かなり詳細に書かれていましたねー。 (影の努力? それともねいちゃさんの膨大な知識の中から簡単〜♪に引き出しただけ?でしょうか・・・笑) 私は史実の本も読みますが、歴史小説が大好きで、今まで読んだ中で、藤木ひとみさん(多分彼女の歴史小説は全部読んでいると思います)がシュノンソ―城に関わる人物について何冊も小説を書かれているので(まあ歴史小説ですから、フィクションが多々入っているとは思いますが)、色々と思い出しながらねいちゃさんの説明を読み、また新たなことも学ばせて頂きました。
P.S. 前書き込みの「こういう私たちがもし一緒に旅行してたら、かなりめんどくさい旅行者に・・・」というくだりですが、正に同意見で、爆笑しました! というのも、面白いことに私もちょっと同じようなことを考えたことがあったんです! 以前は、旅行に行っても同行者の興味・テンションの違いに失望(いつもの他人のせいにする悪い癖)することが多くて、(興味やそのレベルが同等またはそれ以上の人との旅行はさぞ楽しいだろうなぁ・・・)とよく空想していたものです。(^^; が、数ヶ月前にあることがきっかけで、ねいちゃさんの仰るとおり、「世の中よくできているものだ・・・。」と悟りました。 お互い気兼ねなく旅行できれば、ちょっとチグハグでもそれでいいのかもしれません。 それに、同行者が全く興味なければ、一人旅(実はまだやったことないんですケド・・・)でもいいわけですし・・・ね。
・・・ちょっとだけ独りでつぶやきたかったので、この書き込みへの返信はいりません。
それでは、また!
サウスピーチ :)
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