2015/11/17 - 2015/11/18
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旅人のくまさんさん
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出雲大社紹介の締め括りです。『国譲り』の神話は、荒神谷遺跡をはじめ、周辺からも大量の青銅器が発掘され、出雲に大きな勢力が存在したことが分かってきました。古代の出雲王国の存在と、その後の歴史変遷を巡っての議論が楽しみです。邪馬台国の議論にも及びそうです。
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- 観光バス 新幹線
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自由時間を使って、ゆっくりと見学した出雲大社の紹介です。参拝客で込み合っていた建物は、お御籤や御朱印帳を扱っていました。立看板には、『御朱印・平成の大遷宮奉賛・受付』の文字がありました。本殿の正面になる『四足門・楼門』の左手にあった建物です。
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本殿の千木が僅かに見える出雲大社本殿の光景です。縁結びの神・福の神として名高い『出雲大社(いずもたいしゃ:いづもおおやしろ)』は、日本最古の歴史書といわれる『古事記』にその創建の由縁が記されているの古社で、明治時代初期までは『杵築大社(きづきたいしゃ)』と呼ばれていました。(出雲観光ガイド)
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『出雲大社摂社・氏社(うじやしろ)』のタイトルがあった説明立札の光景です。御祭神は、『天穂日命(アメノホヒノミコト)』の表示がありました。
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皇室と出雲国造家の祖先神とされる『天穂日命(アメノホヒノミコト)』を祀る、『出雲大社摂社・氏社(うじやしろ)』の社殿光景です。『天穂日命』は、『天照大神(アマテラスオオカミ)』の第二の子神です。天照大神の子の五神とされるのは、『天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)』、『天穂日命』、『天津彦根命(アマツヒコネノミコト)』、『活津彦根命(イクツヒコネノミコト)』、と『熊野櫲樟日命(クマノクスビノミコト)』です。(古事記要約)
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『宮向宿祢命(ミヤムキノスクネノミコト)』を祀る、『出雲大社摂社・氏社(うじやしろ)』の社殿光景です。古事記によれば、『大国主神の治めていた葦原中国(あしはらのなかつくに)を生んだのは、親である岐美二神(イザナギとイザナミ)と考え、葦原中国の領有権を子の天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)に渡して降臨させることにし、天津神(アマツカミ)の使者達を大国主神の元へ次々と派遣しました。最終的に武力によって葦原中国が平定されました』(同上)
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『出雲大社摂社・氏社(うじやしろ)』のタイトルがあった説明立札の光景です。御祭神は、『宮向宿祢命(ミヤムキノスクネノミコト)』の表示もありました。『由緒』には、出雲国造家祖神の天日穂命の17代孫と紹介されていました。葦原中国平定の続きです。『よいよ天忍穂耳命が降臨することになりましたが、その間に邇邇芸命(ににぎのみこと)が生まれましたので、孫に当たるニニギを降臨させました。(同上)
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『氏社』の二つの社殿の北側に位置していた社殿の光景です。出雲大社の境内図には『宝庫』と記されていました。江戸中期の1667年に創建された建物で、国の重要文化財に指定されています。桁行正面一間、背面二間、切妻造、向拝一間、檜皮葺の建物です。(文化遺産オンライン)
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東側から眺めた、出雲大社の本殿光景です。葦原中国平定の紹介の締め括りです。天孫の邇邇藝命(ニニギノミコト)が、高皇産霊尊の意向、もしくは 天照大神の神勅を受けて葦原の中津国を治めるために、高天原から筑紫の日向の高千穂峰へ天降ったことは『天尊降臨(てんそんこうりん)』と呼ばれています。
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イチオシ
本殿の北西にある宝物館の彰古館の建物光景です。『亀甲積基壇に建つ木造二階建の入母屋造銅板葺で、正面中央に一間切妻造の玄関を設け、二階は桁行梁間とも側廻り一間を逓減し、縁高欄を廻して風格ある外観を持ちます。良質のスギ材を用い、施工も丁寧で、境内空間と調和している』(文化遺産オンライン)、と紹介されていました。入場もできますが、外観だけの見学にしました。
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イチオシ
宝物館の彰古館に入場はしませんでしたが、玄関先の飾りなどのズームアップ光景です。国の『登録有形文化財(建造物)』に指定されています。創建年は大正3年(1914年)です。正面に飾ってあったのは、相撲の神様として名高い、『野見宿祢(のみのすくね)像』です。第13代出雲國造の『襲髄命(かねすねのみこと)』の別名です。
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出雲大社の境内光景です。出雲大社では、境内ではなく境外と呼ばれている区域のようでした。前方に見えている大きな建物が、神楽殿になるようです。ここからは、見学を終えて駐車場に戻る途中の境内光景になります。
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『鏡の池(島台の松)』の表示があった立札の光景です。右側に見える造り物のコウノトリの背後に見えているのが『島台の松』のようです。地下水が湧き出す『鏡の池』とされ、神楽殿の西側に位置します。
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振り返って眺めた『鏡の池(島台の松)』方面の光景です。右手に見えているのが、神楽殿です。出雲大社の敷地内には、3か所の遊水地点があり、それぞれ『鏡の池』と呼ばれているようでした。背後の山は、『鶴山』当たりになるようです。さらに右手(東側)には、吉野川と素鵞川の源流らしい『八雲山』が位置します。
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右側の石のモニュメントには、磨き上げられた断面に『神楽殿』の文字が刻まれていました。現代アートのようなモニュメントでしたが、生物のような、具象的なイメージも感じられる外観でした。
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すでに紹介済みの『祖霊社』の建物光景です。正式名称は、『出雲大社教祖霊社』とされます。神楽殿よりさらに西方に位置する建物で、その歴史は明8年(1875年)にはじまります。
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重厚な造りの『祖霊社』の拝殿上部の屋根のズームアップ光景です。亀甲マークの神紋がいくつも見えました。二重になった庇は、唐破風の造りでした。唐破風(からはふ)は、日本の城郭建築などにみられる頭部に丸みをつけて造形された破風の一種です。『唐』の文字がありますが、日本特有の建築技法とされます。(ウィキペディア)
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『祖霊社』の拝殿に掲げられた注連縄の光景です。『出雲大社』の施設らしい質量感のある注連縄です。大きな〆子も三つ付いていました。このあと、『誰でも独学ネット』に纏められた、出雲王国のネット資料がありましたので、その一部を紹介します。4000年前(紀元前2000年頃)にインドのドラヴィダ族が、日本へ数千人規模で移住し、出雲に定着したとする、時間・空間ともにスケールの大きな話です。
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写真の光景は、記念碑と記念植樹です。インドの『ドラヴィダ』は、世界四大文明の『ドーラビーラー』のことを指すようです。言語学者の大野晋(1919~2008年)は、『岩波古語辞典』の編纂で知られますが、日本語の起源を古代タミル語にあるとした、クレオールタミル語説でも知られます。手元に大野晋さんの『日本語をさかのぼる(岩波新書):1974年』等がありましたので、少し目を通しました。
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『誰でも独学ネット』の話に戻ります。『ドラヴィダ族移住は重大なできごとで、日本の正史に記録すべきなのですが、全く記録がありません。(中略)正史から抹殺されたのです。(中略)出雲王国は、ヤマト朝廷の前であり、ヤマト朝廷を成立させながらもヤマト朝廷から排除されたので、記録はありません。出雲の加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡の圧倒的な量の銅鐸・銅剣の出土は、考古学的な証拠でもあります』
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『古事記の神話部分の4割が出雲の記事です。出雲が国譲りをして以降、九州南部へ天孫降臨があり、その子孫(イワレビコ)がヤマトへ東征して神武天皇として即位し、ヤマト朝廷が始まった、という流れです。天孫降臨から話を始めればよさそうなものなのに、えんえんと出雲の記事が書かれます。持統天皇と藤原不比等が「正史」作成時に、出雲の歴史を排除し、万世一系を虚構しました』(同上)
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『当時の藤原政権は、古事記を草稿として扱い、古事記をベースに日本書紀を仕上げ、古事記を廃棄することを命じました。日本書紀には、僅かしか出雲神話が記述されていません。そして、正史に違背する歴史を残すことを禁じました。神話としてでてくる神の名は、大部分が実在の人物です。ただし、相関関係や時代は史実通りではありません。神社の祭神を見ると、歴史が見えてくることもあります』(同上)
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『ドラヴィダ族の移住が紀元前2000年頃で、その後、出雲を中心に出雲族が増えて繁栄し、王国を作る気運になり、紀元前660年頃、出雲王国ができました。(中略)古事記に書かれた大国主は、第8代出雲王、八千矛(やちほこ)のことです。出雲王は17代続きました。その17人の王の名がすべて、古事記に記されています』(同上)
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イチオシ
ここからは、出雲大社の見学を終えて、観光バスで岡山駅に向かう途中の光景です。小振りだった雨が、本降りに代わっていました。雨粒で霞んだ窓越しに眺めた、田植えが済んで間もない田んぼの光景に見えましたが、取入れが済んだ切株から伸びた脇芽のようでした。
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岡山駅に向かう車窓光景が続きます。島根半島は、神話の世界では『国引き(くにびき)』の舞台となった場所です。出雲国風土記の編纂が命じられたのは和銅6年(713年)5月、元明天皇の時ですが、天平5年(733年)2月、聖武天皇に奏上されました。『八束水臣津野命?(ヤツカミズオミツノノミコト)?』が「国来?(くにこ)?、国来」と言いながら、新羅?(しらぎ)?に綱をかけて出雲国に引き寄せたと記します。
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休憩に立ち寄った『いずもまがたまの里・伝承館』です。島根県松江市玉湯町にある勾玉(まがたま)や、瑪瑙(めのう)等の製作・販売を会社です。観光客誘致に力を注いでいるようでした。神話時代、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した後、「勾玉」をアマテラスオオミカミに献上しました。これが三種の神器の一つ『八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)』になったと伝えられています。
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『出雲国風土記』には、『国引き神話』を始めとして、出雲に伝わる神話などが記載され、記紀神話とは異なる伝承が残されています。現存する風土記の中で、唯一ほぼ完本の状態とされ、貴重な資料となっています。現存する写本は70種程ありますが、その中で最も古いと考えられるのは、慶長2年(1597年年)に細川幽斎が書写させた『細川家本』とされます。
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播州の夕暮れは、あっという間にやってきます。現在時刻はまだ5時15分頃ですが、すっかり夜の景色に変わった岡山市内の光景です。岡山駅から名古屋までは、新幹線で1時間半ほど、東京駅から名古屋に戻る時間とあまり変わりがないイメージです。
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観光バスで送ってもらって、新幹線の岡山駅に無事到着しました。後姿は、今回の厳島神社と出雲大社、それに原爆ドームの見学をご一緒した皆さん方です。それぞれ、手に大きなお土産品の袋がありました。
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新幹線の岡山駅構内の光景です。旅行の楽しみの一つが、地方の名物を肴に、日本酒やワインです。岡山駅は何度も立ち寄りましたので、心図森のお店も何軒かありました。旅行の余韻を楽しみながらのひと時は格別です。
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新幹線の岡山駅構内の光景です。現在時刻はちょうど18時頃でした。東京方面は、この時間帯では1時間に3~4本の『のぞみ号』があるようでした。予約の列車までは時間がありましたので、ゆっくりと岡山駅構内で晩酌を楽しむ時間がありました。
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