2015/11/17 - 2015/11/18
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旅人のくまさんさん
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広島平和記念公園の中にある、通称、『原爆記念館』の展示品の紹介です。被曝した数々の品の中から、その一部の紹介です。核兵器の恐ろしさを、改めて思い知らさせてくれる展示品の数々でした。
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爆心地から半径2.75キロの範囲の模型図です。赤いボールが爆心地を示しています。爆心地は、広島市細工町29-2の島病院(現島外科内科)南西側の上空約600メートルとされます。
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イチオシ
爆心地を表示した赤いボールのズームアップ光景です。高さも原爆が炸裂した600メートルを縮尺しているようです。爆心地から500メートル圏内では、閃光と衝撃波がほぼ同時に襲い、木造家屋は全数が全壊しました。鉄筋コンクリート建築の産業奨励館は、垂直方向の衝撃波を受けて天蓋部は鉄骨を残して消失、一部の外壁を残して大破しました。現在の原爆ドームです。
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『広島型原子爆弾(リトル・ボーイ)』の構造解説用の図面です。長さが約3メートル、重さが約4トンです。ウラン235が、弾頭の標的部と、尾部に近い砲弾部にピンク色で表示してあります。高度感知レーダーは、投下された原爆を最も威力ある高さで爆発させるためのものです。レーダーには、日本人の発明品の八木アンテナが使われていました。
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『原子爆弾』のタイトルがあった解説パネルです。広島型原子爆弾(リトル・ボーイ)は、最初に火薬が爆発し、先ほどの図面の砲弾部のウラン235を、標的部のウラン235に衝突させることにより、瞬時に核分裂の臨界値に達するように設計された原爆であることが解説されていました。
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リトル・ボーイを積んだエノラ・ゲイの飛行高度は約9630メートルでした。原爆投下されて43秒後に炸裂しました。自由落下で計算しますと、43秒間で落下した距離は9060メートルですから、ほぼ自由落下に近い状態だったようです。
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中央の展示品は、『爆心地の測定に利用された花崗岩と測定に使用した傾斜計』です。ある面は熱線の直射を受け、表面が溶解するなどの変化がありますが、熱線を受けていない面は変化していません。このように、爆心地付近の石灯篭や建物には熱線によって影ができました。これらの方向と角度を数カ所で測り、地図上で結んで爆心の位置と高度が測定されました。
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イチオシ
焼けただれた幼児用の三輪車の展示品です。爆心地から1500メートルの東白鳥町での被曝です。データーベースには、亡くなった3歳11か月の長男と一緒に庭に埋葬され、被爆40年目に墓所に移す決心をして掘り起こし、葬式をした時にこの自転車が寄贈されたと紹介されていました。
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爆心地から790メートルの元町で被爆した高等女学校3年生の西丸さんの遺品となった、『財布、校章、社章、回数乗車券』の展示品です。身内の方が目にしたら、いたたまれない気持ちになる品々です。
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『財布、校章、社章、回数乗車券』の展示品の説明パネルです。当時15歳で、学徒動員で通信業務を行っていた時の被曝と解説されていました。西丸さんの場合は、自宅まで運び込まれましたが、被爆から4日後の8月10日に亡くなられたことが記されていました。
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当時12歳の遺品となった中学校1年生の『中学生の靴』の展示品です。爆心地から900メートルの雑魚場町(現国泰寺町付近)での被曝です。被爆当時、西隣の国泰寺町に広島市役所がありました。市役所は空襲などの際、避難や救護を指示するなど重要な役割がありました。
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『中学生の靴』の展示品の説明プレートです。建物疎開作業の待機中、校舎内での被曝でした。お母さんが探し当てた時には、すでに遺体だったことが記されていました。空襲で市役所に火が移るのを防ぐため、周囲の建物を壊す作業が、『建物疎開』です。
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当時13歳の島田孝さんが、爆心地から500メートルの小町(現在の中町)で被爆した時の遺品です。『バックル、名札、死亡証明書』の展示です。広島市の調査では、原爆が投下された1945年8月6日は、爆心地から500メートル圏内に推計約2万1000人がいて、この年の年末までに9割が死亡したとされます。
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『バックル、名札、死亡証明書』の展示品の説明プレートです。被爆した翌日に亡くなった生徒さんです。爆心地から500メートル圏内にいた人の9割が年内に亡くなり、生存者も後遺症に苦しみながら亡くなられた方は多いようです。2014年時点での生存者の平均年齢は79歳、僅か145名との情報もあります。
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イチオシ
学徒動員の『中学生の遺品』の展示です。爆心地から900メートル離れた場所で、建物疎開作業をしていた中学1、2年生3人が身に着けていた遺品です。焼け焦げ、ボロボロになり、血のしみが残されています。当日、建物疎開作業などに動員された生徒約8,400人のうち、およそ6,300人が犠牲となりました。遺骨も遺品も残さず亡くなった生徒もたくさんいます。
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学徒動員の『中学生の遺品』の展示の説明パネルです。左から爆心地から900メートルの『中学生の遺品』、『帽子、ベルト』、『学生服』と『ゲートル』です。『ゲートル』は、日本では『脚絆(きゃはん)』とも呼ばれる、脛の部分に巻く布や革でできた被服です。
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『人影の石』の展示品です。爆心地から260メートル離れた、住友銀行広島支店の入り口の階段の一部です。強烈な熱線のため、石段の表面は白っぽく変化し、人が腰掛けていたと思われる中央の部分だけが影のように黒くなって残りました。
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『人影の石』の展示品の説明プレートです。現物は人影が薄れてきましたので、被爆して間もない頃の写真でしょうか、説明用に写真も一緒に展示してありました。石段の部分に腰かけたように見える黒い影のことのようです。
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爆心地から40メートルにあった、『鉄平石(複輝石安山岩)』の等の展示品です。爆心直下の清病院のコンクリート塀の上にあったものです。表面が溶けて黒色のガラス状物質を生じ、その一部は、はじけて裏返ししになって癒着しています。
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爆心地から330メートルの富国生命のビルの鉄骨の展示品です。広島富国館最上階の天井の鉄骨は、強烈な爆風の垂直圧で切断され、大きく曲がりました。爆風で引きちぎられたように見えました。
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『ビルの屋上の飾り石』のタイトルがあった写真展示です。爆心地から330メートルの富国生命の7階建てのビルの屋上光景です。屋上の飾り石が、軒並みに薙ぎ倒されていました。
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爆心地から2500メートルの比治山の南東の山裾で見つかった、『ガラス片が突き刺さったままの壁』の展示品です。突き刺さった部分が白丸で囲ってありました。まるで、ガラスの弾丸です。
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『ガラス片が突き刺さったままの壁』のタイトルがあった展示品の説明パネルです。爆心地からは離れた場所ですが、爆風が回り込んできて生じた、ガラス片が突き刺さった壁であることが説明されていました。
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爆心地から300メートルの『相生橋の橋げた』の展示品です。変形した部分が赤い矢印で記されていました。『相生橋』は、米軍爆撃機の『エノラ・ゲイ』が原爆投下目標として選んだとされる橋です。
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爆心地から300メートルの『相生橋の橋げた』の展示品の説明プレートです。左の写真は、歩道部分が大きく持ち上げられた相生橋の光景です。保母、狙い通りの場所に原爆が投下され、その効果を最大限にするために空中で爆発させられました。
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爆心地から1000メートルの場所から掘り出された『溶けたガラス小瓶のかたまり』の展示品です。瞬間のうちにガラスが溶融し、くっついたのでしょう、まるで飴玉細工のような光景です。
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『溶けたガラス小瓶のかたまり』の展示品の説明パネルです。火災の熱で溶けてくっ付いた小瓶の塊です。爆心地から1キロメートルの場所でこの状態ですから、更に爆心地に近い場所の地獄絵図が想像されます。それが、すでに紹介した『人影の石』などです。
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爆心地から1000メートルで遺品として見つかった『溶けてくっついた湯のみ茶わん』の展示品です。四人家族で、唯一生き残ったお母さんも8月30日に亡くなり、一家全滅だったことが記されていました。
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爆心地から300メートルの勤務地で被爆した岡原さんの遺品となった、『溶けた弁当箱、弁当のおかず入れ、象牙のパイプ』などの展示光景です。爆心地から300メートル以内で被爆した人は、よほどの好条件が揃わなければ、爆風や放射熱から逃れることはできなかったようです。
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『焦土に残されたもの』と題して展示された品の数々です。強い熱を受けたと思われる品々でした。まさか、こんなものが溶けるとは、と思われる品々です。普通に燃えたり溶けたりするものは、形そのものを留めていないようです。
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『焦土に残されたもの』と題した展示品の一覧です。20種類が一覧になっていました。瓦、金属、焼物やガラスなどの溶融隗などです。燃えたり蒸発したものは、すべて無くなってしまったことを物語る一覧でした。この日の見学を終え、宿泊したのは、広島湾に面した瀬戸内海の眺望が素晴らしいホテルでした。
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