2015/11/17 - 2015/11/18
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旅人のくまさんさん
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最近目にしたネット情報で強く印象に残ったのが、古代大和王国は出雲にあったとし、『国譲り』は、無血ではなく、大きな殺戮が行われたとする推論でした。今から25~30年前に読んだ、李寧熙(イ・ヨンヒ)さんの一連の著書の中の『蘇える万葉集・天智暗殺の歌』以来の驚きでした。
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吉野川の支流の素鵞(そが)川のようです。出雲の古絵図には、出雲大社の東側に吉野川が流れ、西側に素鵞(そが)川が流れています。その素鵞川は、出雲大社の東南のあたりで吉野川と合流しています。これから紹介したいことの一つは、『蘇我氏と出雲との繋がり』ですが、これは既に触れました。もう一つが、万葉集、殊に垣野本人麻呂と関係です。どちらも、『国譲り』の伝承とも関連します。
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吉野川と、素鵞川に挟まれた出雲大社の地は、その二つの『河の内』にある『河内の宮』との指摘もあります。『河内の宮』は、人麻呂の長歌にも謳われていますが、長い間、現在の機内に位置する『河内国(かわちのくに)』辺りとばかり思いこんでいました。もちろん、それ以外の解説をした書籍を目にしなかった時代のことです。元歌は、万葉集巻一29の、人麻呂の『近江の荒れたる都を過ぐる時』の長歌です。
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人麻呂の長歌の中でも、50年経っても心から離れなかったのが、先ほどの歌です。今でも長歌と二つ反歌は諳んじています。この長歌と短歌を、現在の出雲大社の地に移して、『焼き払われる出雲王権の都』を思い浮かべる時、人麻呂の気持ちの一部が分かったような思いがします。古代出雲王権があったらしいことは、これまでの発掘調査の分析と、これからの新発見にも期待しています。
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写真は、出雲大社の『社務所』の光景が続いています。懐かしい人麻呂の長歌の巻一29の紹介です。『玉だすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生(あ)れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天(そら)にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか あまざかる 鄙にはあれど いはばしる 近江の国の』、以下に続きます。
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『楽浪(ささなみ)の 大津の宮の 天の下 知らしめしけむ 天皇(すめろき)の 神の尊(みこと)の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の しげく生ひたる 霞立ち 春日(はるひ)の霧(き)れる ももしきの 大宮所(おおみやどころ) 見れば悲しも』、以下、反歌に続きます。人麻呂がここで天皇(すめろき、すめらみこと)と呼んでいるのは、天智天皇のことです。
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反歌30:楽浪(ささなみ)の 志賀の唐崎 幸(さき)くあれど 大宮人(おおみやびと)の 舟待ちかねつ
現代語訳:楽浪の志賀の唐崎の港は今もあるけれど、大宮人が舟に乗り帰ってくることはない -
反歌31:楽浪の 志賀の大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも
現代語訳:志賀の入江は元のまま水を讃えていようとも、都を去った人たちにもう廻り逢うことはない -
最近目にしたネット情報で、強く印象に残ったのが、古代大和王国は出雲にあったとし、『国譲り』は、無血ではなく、大きな殺戮が行われたとする推論でした。この説によれば、今まですっきりしなかった古代史の謎の部分が読み解ける期待があります。今から25~30年前に読んだ、李寧熙(イ・ヨンヒ)さんの一連の著書の中の『蘇える万葉集・天智暗殺の歌』以来の驚きでした。今回知った『国譲り』の説は、当時の中国の唐の傀儡政権が大和の国に生まれていたとする推論部分に驚かされました。
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660年、唐は13万人の大軍を動員、新羅の5万の兵と連合して、百済を攻め滅ぼしました。百済の滅亡後も、遺臣達は各地で抵抗を続け、663年、日本(倭国)からも、3万7千人余りの軍が『白村江』の戦いに臨みましたが、唐・新羅連合軍に大敗しました。その結果、倭国の守りが固められ、その中の主なお城廻りをしましたが『運よく唐は攻めてこなかった』、と各地で説明されていました。
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逆光での撮影になりましたが、拝殿に近い場所にあった『銅の鳥居』の光景です。南北に延びる参道の先に、拝殿の姿が見えてきました。『銅の鳥居』の前には、東西(左右)に延びる『社家通り』に繋がる通りがあります。真名井、宮内や御宮通りとも呼ばれ、かつては出雲大社に奉仕する神職の屋敷が立ち並んでいたようです。築地塀に囲まれた屋敷とされます。
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拝殿に向かって右手にあった背の高い石灯篭の光景です。上部が広くなった火袋には、格子窓が設けられていました。見えているのは南と西の2面ですが、四方向に格子窓があったかも知れません。飾りが少ない自然石を使った柱の部分には、『御神灯』の文字が刻まれていました。
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拝殿に向かって左手にあった背の高い石灯篭の光景です。屋根は銅葺き、左右とも同じ造りの石灯篭のようでした。こちらにも、飾りが少ない自然石を使った柱の部分には、『御神灯』の文字が刻まれていました。台座の部分も、自然石を使った頑丈な造りに見えました。
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出雲大社の『拝殿』光景です。『神楽殿』と同じように、巨大な注連縄が飾られていますが、こちらのほうが小振りになります。『拝殿』の注連縄は、一般的なものとは、逆向きになっています。その大きさは、長さ6.5メートル、重さ1トンです。
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右斜め前から眺めた、出雲大社の拝殿光景です。昭和28年(1953年)5月に、荒垣(あらがき)内にあった古い拝殿・鑽火殿(さんかでん)・庁舎(ちょうのや)が、不慮の火のために焼亡してしまいました。直ちに再興の事業が着手され、『高松宮宣仁(のぶひと)親王:1905~1989年)』が総裁になりました。昭和天皇の弟君にあたります。
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拝殿の再興事業は、全国の崇敬者の方々の浄財によって、6年後の昭和34年(1959年)に、総工費1億1千万円をかけて、戦後の本格的な木造建築として屈指の規模を誇る新拝殿が竣功しました。設計は、神社建築学の権威とされる福山敏男博士(1905~1995年:京都大学)です。大社造と切妻造の折衷した様式とされます。屋根は銅板葺きです。
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拝殿は、木曾檜材の木造建築で、建坪485.10平方メ-トル(約147坪)、高さ12.9メ-トルの規模です。その拝殿の大鳥居と甍のズームアップ光景です。拝殿の宇豆柱の礎石は、愛知県の岡崎石(重量13トン)が運ばれました。
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イチオシ
拝殿の工事請負は、桃山時代から長く棟梁の家として続いた伊藤平左衛門氏があたられました。拝殿の錺金具も美術的にも価値あるものをとの考えから、東京芸術大学の山脇洋三・若林作司両教授が設計されました。(以上、出雲大社公式HPを参照しました)
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神紋入りの提灯と、横から眺めた大注連縄の光景です。出雲の神社は、一宮である出雲大社をはじめとして『亀甲紋』が多いとされます。その理由は、天孫族から国譲りの勧告を受けた大国主は、それを容れ、北方鎮護の神として祀られました。北方は玄武のことで、玄武は亀が守りました。このため、亀甲が玄武の印として出雲に残ったとされます。
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見事に仕立てられた、黄色い花の懸崖菊のズームアップ光景です。『懸崖菊(けんがいぎく)』は、菊を盆栽仕立てにして、幹や茎が根よりも低くなるよう、崖のように垂れ下がらしたものです。ネット情報では『 向日市産の懸崖菊は、昭和の初期にはリヤカーで祇園や東山界隈まで運ばれ、古くから京都の秋を彩ってきました』、と紹介されていました。
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写真は、本殿に向かう参道光景です。この辺りは参道、あるいは表参道の一番北に当たる部分です。表参道の南の端は、二の鳥居の『勢溜の鳥居』が立つ場所から、更に南側にある一の鳥居の『宇迦橋(うがばし)の大鳥居』になるようです。
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写真は、『瑞垣(みずがき)』に囲まれた本殿の光景です。出雲大社の御本殿は、三重の垣に取り囲まれています。御本殿に一番近いのが『玉垣(たまがき)』、その回りの瑞垣、境内の回りは、『荒垣(あらがき)』に囲まれています。
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『瑞垣(みずがき)』の南東面光景です。右方向には出入口はないようでしたが、回廊風の建物の中間に、二階建ての楼閣の姿がありました。『観祭楼』と呼ばれています。左方向が正面出入口の『八足門』になります。
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本殿を取り囲む二つ目の『瑞垣(みずがき)』の東面光景です。その中央に『八足門(やつあしもん)』があります。正月の3日間だけ扉が開かれ、本殿を拝むことが出来ます。『八足門』は、江戸期の寛文年間(1667年)に創建された社殿群を解体し、延享年間(1744年)の再建に際し、現在の場所へ移築する形で再建されています。国の重要文化財の建築物です。
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四足門に正対した、拝殿の北面の光景です。建物の裏面になるようですから、目立った装飾などは、目にしませんでした。
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『瑞垣(水垣)』越しに眺めた本殿の光景です。現在の本殿は江戸時代に造営されたもので、高さは8丈(24メートル)の『大社造』と呼ばれる日本最古の神社建築様式です。かつての本殿は、その倍の16丈(48メートル)の高さと想定されています。屋根飾りの『千木(ちぎ)』は、もともとは屋根と屋根の接合部を切り揃えずにとめる事で、屋根の強度を向上させるための施工方法だったようです。しかしデザインが洗練されていくうちに、出雲大社の本殿のような『置き千木』という、屋根の上に置いてあるだけの飾りになっていきました。
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南側から眺めた、出雲大社の『御本殿』の建物光景です。『天下無双の大廈(二つと同じものが無い壮大な神殿)」と称えられる御本殿は、悠久の歴史の中でその度々の御造営遷宮と御修造遷宮を繰り返し、今にその姿を受け継いできました。現在の御本殿は延享元年(1744年)に造営されており、昭和27年に国宝に指定されました。「大社造」と呼ばれる日本最古の神社建築様式を今に伝えています』(出雲大社公式HP)、と紹介されていました。
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イチオシ
出雲大社の『御本殿』の建物正面のズームアップ光景です。『大社造』の特徴は、切り妻、妻入りの構造です。平面は九本の柱が田の字型に配置された 正方形の間取りとなっています。その中心には心御柱と称する太柱があり、その正面向かって右側の側柱との間は板壁となって殿内が仕切られています。
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正面に見えるのが四つ足門、その南に掛けて表示された、本殿跡の柱の表示の光景です。平成12年(2000年)から平成13年(2001年)に発掘された、出雲大社の巨大柱跡です。この発見により、出雲大社が高層神殿であった可能性が高まりました。木材が腐食せずに残ったのは、境内地下を流れる豊富な地下水のおかげでとされます。
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拝殿に向かって左手方面の光景です。右端に本殿跡の柱の表示が見えています。3本が束になった柱の数は9本、その中心が『心御柱(しんのみはしら)』です。平安時代後期~鎌倉時代前期に建て替えられた神殿の柱とされます。『縄文時代に起源を持つ神柱信仰が、平安時代にはっきりとした形で生きていたことを示す大変な発見(2000年10月、上田正昭京大名誉教授):朝日新聞』と評価されました。
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『宇豆柱(うづばしら)』の出土地点を示す標識の光景です。平成12年から13年にかけ発掘された柱跡は、『直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました。これは、そのうちの棟をささえる柱すなわち棟持柱(むなもちばしら)で、古くから宇豆柱(うづばしら)と呼ばれてきたものです』、と紹介されていました。語源はまだ調べが付きません。
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