2015/11/17 - 2015/11/18
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旅人のくまさんさん
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世界文化遺産の厳島神社紹介の続きです。厳島神社のシンボルの一つが、海中に建つ赤い大鳥居です。現在のものは、明治8年(1875年)に再建された8代目、もしくは9代目とされます。100年を超えて老朽化が顕著なようですから、大修理の時期が迫っているようでした。
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イチオシ
宮島に亘るフェリーの中からも名がけることが出来案したが、今度は陸上から眺めた『大鳥居』の光景です。重量は約60トン、棟高屋約15.6メートルです。砂地の地盤のため、それぞれの柱の下には約30本から100本の松杭が打ち込まれています。初期の扁額は、表側(海側)が小野道風、裏側(社殿側)が弘法大師の筆だったと伝わります。
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最初は、瀬戸内海に面した堤防道を歩いていましたが、海岸線とは、いったんお別れです。振り返って眺めた堤防道方面の光景です。並木の姿が見えていました。左手に見えていたのは、地元の交番所の建物です。商店街散策の目印にもなった、道角の交番所です。
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『宮島』で見かけた交番所の建物のズームアップ光景です。周りの町並み景観にも配慮されたらしい、瓦葺きの和風の屋根でした。破風の部分に黄色を用いていたのが印象的です。一寸、お洒落な色遣いに見えました。
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ここからは、歩いて『厳島神社』に向かう途中の町並み光景です。道の両側に並んだ観光客目当てのお店の光景です。嚴島神社へと続く約350メートルの商店街は、『宮島表参道商店街』と呼ばれています。宮島杓子や宮島彫といった民芸品や土産物店、かきや穴子を使った宮島の名物グルメが味わえる店、もみじ饅頭店などが軒を連ねています。
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『回廊蘇影現〇姿』らしい文字が刻まれた石標の光景です。側面には、寄贈者らしい大根屋の文字がありました。読み取れた分だけでネット検索しましたら、『廻廊蘸影現龍姿・大根屋芳右衛門』が正しいようでした。キイが付きませんでしたが、もう片方の石柱には『華表柱深休鶴翼』の文字があり、これは、厳島神社本殿の回廊、及び大鳥居の姿を言葉にしたもので、『大鳥居は鶴が羽を休めている姿に見える』、『本殿回廊は竜がうねっている姿に見える』の意味とされます。
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『特別史跡・特別名勝・賢島」のタイトルがあった説明看板の光景です。『昭和27年(1952年)11月22日・国指定」の表示もありました。厳島(宮島)の周囲は30キロ、全島花崗岩の説明で始まり、毛利元就(1497~1571年)と陶春賢(1521~1555年)の古戦場の説明で締め括られていました。1555年10月に起きた、毛利元就による『戦国時代の三大奇襲戦』と呼ばれています。
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雨に濡れにくい場所を探して、一休み中の鹿さんたちです。座り込んで、完全リラックスモードでした。宮島の鹿さんへは餌槍禁止ですが、どうやって空腹を凌いでいるのか、少し心配なところでしたが、ガリガリに痩せた鹿さんは見掛けませんでした。『神鹿』ではありませんが、何らかの配慮はされているのかも知れません。
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二基並んだ石灯篭の光景です。寄進されたばかりでしょうか、まだ新しい石灯篭でした。背後に見える石垣は、戦国時代の名残のようです。1555年10月1日未明、陶軍の2万の軍勢に対し、毛利軍3千5百の将兵が、暴風雨の中、包ヶ浦に上陸し、博打尾根を超え、一気に陶軍の本陣がある『塔の岡』に攻め下りた、その戦いの場所です。
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別の場所にあった、大型の石灯篭のズームアップ光景です。柱部の表には『主願・当島・大根屋好右衛門』、側面には『清灯』の文字が刻まれていました。その背後にあった標識は、広島県名の『幸町西花地区・急傾斜地崩壊危険区域』の表示がありました。緑色表示の『急傾斜地』をはじめ、色分けして指定地が表示されていました。戦国時代の毛利軍と陶(すえ)軍の戦いを、この後、もう少し紹介します。
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立派な台座の上に置かれた、どっしりとした姿のブロンズ製の獅子像の光景です。口を閉じた吽形の雌獅子でした。毛利軍と陶(すえ)軍の最後の戦いとなった『巌島合戦』は、1560年の織田信長の桶狭間の戦い、1184年の源義経の『鵯越(ひよどりごえ)の戦い』と並び、『日本三奇襲戦』の一つに数えられます。なお、『鵯越の戦い」は、『一の谷の戦い』とも呼ばれます。また、戦国時代に絞った場合には、源義経の『鵯越の戦い』に替えて、1546年の北条氏康の『河越城の戦い』が挙げられます。
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こちらは、大きな口を開けた阿形の雄獅子の光景です。ボディビル大会の優勝者のような筋肉質の身体つきでした。『巌島合戦』の紹介に戻ります。合戦が起きる前の背景の紹介です。『戦国時代、中国地方の有力者であった大内義隆は、宿老の陶晴賢(すえはるかた)の謀反により、長門大寧寺で自刃しました。義隆と盟友関係にあった毛利元就は、晴賢に兵を向けましたが、兵力は陶軍がはるかに優勢だったため、策を謀りました。
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振り返って眺めた海岸線と、その先に見える波止場方面の光景です。元就が練った末軍に対抗する策は、宮島の北に位置する宮ノ尾に城を築き、陶軍を宮島に誘き寄せることでした。狭い宮島では、陶の大軍の動きがままならないことを見越した作戦でした。作戦の成功のためには、偽情報なども流したようです。弘治元年(1555年)9月のことでした。
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海岸線に並ぶ石灯篭の列の光景です。夜間には、海中への転落防止にも役立っているようでした。毛利軍の作戦に嵌まった陶軍は、2万の兵を宮島に上陸させ、まず『勝山城』(多宝塔付近)に本陣を置き、続いて宮ノ尾城が良く見える『塔の岡』に置いて攻めたてましたが、守りが堅く、なかなか攻め落とすことができませんでした。
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随分とスマートに見えた吽形の獅子の光景です。一方、元就は、10月1日折からの暴風と暗闇にまぎれて対岸の地御前(じごぜん)から3千5百の兵を引き連れて、密かに包ヶ浦(つつみがうら)に上陸し、塔の岡の背後の尾根である博打尾(ばくちお)に登りました。博打尾根を超え、一気に陶軍の本陣がある『塔の岡』に攻め下りました。この場面は、先に紹介した通りです。奇襲が成功し、毛利軍の圧勝に終わりました。
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完全に逆光の写真になりましたが、そのまま紹介しておきます。『不意を突かれた陶軍は、混乱し戦うすべもなく敗走しました。陶軍の勇将・弘中隆包(ひろなかかね)は、絵馬ヶ岳(駒ヶ林)に敗走して自刃し、晴賢はわずかな手勢を引き連れ大江の浦に落ち延びましたが、自刃しました』、その結果、毛利氏は、『中国十カ国のほか豊前や伊予を支配し強大な勢力を誇る戦国大名になりました。毛利元就・隆元父子は、天神社を創建し、反橋(そりばし)や大鳥居の再建や社殿の廻廊を張り替え、また能舞台を寄進し演能するなど、その後の嚴島神社の発展に大きく寄与しました』、これで『巌島合戦』の紹介はお終いです。
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海中に建つ赤い『大鳥居』の光景です。普段見掛ける鳥居との違いは、海中に建つこと以外には、一番上の『笠木』と、その下の『島木』の構造の違いにあります。その違いは、この部分が袋構造になっていて、2~3トンの小石が詰められていることです。海中での浮力や波力に対応する工夫のようです。
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イチオシ
体の大きさや、仕草から見て、母子の鹿さんのようでした。私が宮島(厳島)の鹿で感じたことは、『春日大社の鹿と比べると、別種と思えるくらい、おとなしい宮島の鹿』の印象でした。しかし、ネット情報では、『春日大社の鹿と比べると、宮島の鹿は凶暴』との紹介もありました。季節や雌雄などによって、鹿さんの振舞いも変わるのかも知れません。
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逆光での撮影になりましたが、左足の下に大きな玉を置いた阿形の雄獅子像の光景です。江戸時代になると、福島正則が安芸国の藩主となり商業・廻船業を保護しました。続いて藩主となった浅野氏も施策を継承し、宮島は交易の中継基地として発展しました。歌舞伎や大相撲・富くじなどが催され、瀬戸内地方文化の中心地として栄えました。
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小雨に煙る宮島の守都山の光景です。その小雨も、麓のほうから徐々に晴れてきているようにも見えました。明治元年(1868年)、神仏分離令が発令され、廃仏毀釈運動が起こり、宮島に多くあった寺院が廃寺となりましたが、主な7ヶ寺が残り、嚴島神社や千畳閣・五重塔にあった仏像が寺院に移されました。
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ズームアップした写真で紹介する『大鳥居』の光景です。逆光での写真でしたが、拡大して扁額の文字が読み取れました。『伊都伎島神社』の文字が記されていました。『厳島』の古い時代の表記になるようです。明治8年(1876年)に傷みの進んでいた大鳥居が建て替えられました。
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角度を変えて眺めた獅子像の光景です。明治8年の大鳥居の建て替えでは、何年もかかって主柱となる材料の楠の自然木が探されました。その結果、宮崎県の現在の西都市と香川県の丸亀市から調達し、他の部材は広島市や宮島内で調達し再建されました。
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『厳島神社御由緒」のタイトルがあった、真新しい看板の光景です。冒頭に、祭神の『宗像三女神』が紹介されていました。次の三女伸です。
〇市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
〇田心姫命(たごりひめのみこと)
〇湍津姫命(たぎつひめのみこと) -
立派な檜皮葺風の屋根と、朱塗りの柱、それに真っ白な漆喰壁の厩舎の中に見えた白馬の光景です。残念ながら生きた『神馬』ではなく、作り物の馬でした。『神馬(しんめ、じんめ、かみうま)』は、神が騎乗する馬として神聖視された馬のことです。ブロンズ製の神馬をよく見かけます。
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立派な馬小屋の中にいた、作り物の『新馬』のズームアップ光景です。神社に奉献され、あるいは祭事の際に登場する馬が『神馬』と呼ばれます。馬の種類に特に決まりはないようですが、一般的に白馬が重んじられます。小規模な神社ではその世話などが重荷となることや、また献納する者にとっても高価なため、次第に絵馬などに置き換わっていきました。
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この後は、海上に建つ社殿に入場しての見学です。この時間帯では、柱の株は水中に没していましたが、干潮時には建物基礎部分まで姿を現します。今回は、見学中にsの姿を見ることはなさそうです。ネット写真で、その光景を目にしました。
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回廊の軒下から眺めた、海水で隔てられたほかの部分の回廊光景です。豊臣秀吉は、天正15年(1587年)、戦没将兵の供養のため、安国寺恵瓊(あんこくじえけい)に命じて大経堂(千畳閣)を造立しました。しかし、慶長3年(1598年)、秀吉が亡くなったため、完成間近で工事は中止されました。後ほど、その『千畳閣』も紹介します。
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回廊の軒下に吊り下げられていた、金属製の灯篭の光景です。格子模様の、比較的シンプルなデザインの灯篭でした。推測ですが、周りが海で、まともに潮風を受ける場所です。金属製品にとっては厳しい使用環境を考慮して、頑丈でシンプルなデザインにされているのかも知れません。
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日本一長いとされる回廊の光景です。先に紹介しましたが、明治時代の『廻廊蘸影現龍姿』と表現された石標が残っていました。『本殿回廊は竜がうねっている姿に見える』の意味とされル石標でした。東回廊と西回廊とを合わせて、260メートルの規模とされます。
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工事中らしい、目隠し用のシートが張られた一角の光景です。工事用の臨時の建物らしいものもありました。あまり目立たないよう、控えめの大きさの目隠し用のシートでした。上にも下にも十分な隙間が設けられていました。
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朱塗りの回廊のコーナー部分のズームアップ光景です。回廊の部分の敷板が、縁側の様に外に張り出していましたが、強度保持と、メンテナンス用の足場を兼ねているように見えました。高潮時の水圧を逃がすために、隙間を開けて板が張られているのがよく分かる光景でした。
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