2015/11/17 - 2015/11/18
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旅人のくまさんさん
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世界文化遺産の厳島神社の紹介です。宮島(厳島)は、全島が花崗岩で形成され、表層はその風化残留土の『まさ土』で覆われています。この土は流水で簡単に崩れ、勢いを増してゆくと山崩れから土石流へ、更に巨石を伴って威力を増していきます。厳島神社周辺は、弥山から流れる川が扇状地を作り、海流が砂を運び砂浜を作って形成されました。
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
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『厳島神社』の脇を流れる小川の光景です。地図で確認しましたら、宮島の最高峰・弥山(みせん)に源を発する『紅葉谷川(もみじだにがわ)』もしくは『御手洗川』のようでした。この川は、源流から厳島神社裏手までを『紅葉谷川』、神社裏手から河口までを『御手洗川』と呼ばれています。主峰は弥山529.8mで、標高400から500mの山が連なります。平均勾配は19.5度の急傾斜地です。
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宮島は、全島が花崗岩で形成され、表層はその風化残留土の『まさ土』で覆われています。この土は流水で簡単に崩れやすく、勢いを増していくと山崩れから土石流へ、更に発達すると巨石を伴って威力を増していきます。厳島神社周辺は、弥山から流れる川が扇状地を作り、海流が砂を運び砂浜を作ったことで形成されました。白糸川も弥山から同じような場所で海に注いでいました。
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厳島神社の『太鼓橋』の光景です。『反(そり橋)』や『勅使橋』の呼び名もあります。全長24m、幅4mで、高欄は丹塗り、橋脚は墨塗りです。今は通行禁止ですが、この橋の先は、厳島神社の意『西回廊』に繋がっています。鎌倉時代には架橋されていたことがわかっていますが、現存する橋は、弘治3年(1557年)、毛利隆元、元就父子が再建しました。擬宝珠の一つに刻銘があります。
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『後白河法皇御行幸の松』のタイトルがあった松の遺木の展示光景です。承安4年(1174年)、後白河法皇(1127~1292年)が参詣された時の手植えの松の遺木と紹介されていました。手植えから700年ほどが経ち、老木になったためでしょうか、明治初年に切り倒されました。後白河天皇は、異母弟の近衛天皇の急死により皇位を継ぎ、34年に亘り院政を行いました。
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黄色の葉と緑の葉が、半々ほどになった公孫樹の大木の光景です。後白河法皇の厳島行幸について補足しておきます。承安4年(1174年)3月16日、後白河院は滋子を伴って安芸国厳島神社に参詣するため京都を出発、福原を経由して26日に到着しました。交通手段は福原で清盛が用意した宋船だった可能性が高いとされます。天皇もしくは院が后妃を連れて海路を渡り、遠方まで旅行することは前代未聞のことでした。厳島参詣には清盛に対する政治的配慮の面と、単純に滋子を連れて霊験殊勝な厳島神社を見物したいという願望・好奇心とする説もあります。
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厳島神社の『社務所』の出入口になるようです。後白河院と清盛の間には、政治路線の違いなど解消できない対立が存在しましたが、両者には旧来のしきたりや偏見にとらわれず目新しいものを好むという共通点もありました。後白河院は清盛の進める日宋貿易に理解を示し、貴族の反対を抑えてその拡大に取り組みました。清盛の子の徳子は、後白河院の猶子として入内し、高倉天皇の中宮となりました。
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檜皮葺らしい屋根の上に降り積もった、公孫樹の黄葉の光景です。檜皮葺のようですが、棟には本瓦が載せられているようでした。樹齢70年以上の充分な樹径のある檜の立ち木からむいた皮を成型した檜皮が用いられます。皇極天皇(在位:642~645年)の新宮殿が檜皮葺とされ、それ以前の大王宮は諸豪族と同様に茅葺だったとされます。皇極天皇(594~661年)は、重祚して斉明天皇となりました。
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『世界遺産・日本三景・宮島案内図」のタイトルがあった観光案内図の光景です。赤く塗られた部分が世界遺産の『厳島(宮島)神社』になるようです。海上の大鳥居も赤く記されていました。この写真の北側方面は、左側になります。
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昼食のお店近くから眺めた光景になるようでした。重要文化財の『五重塔』を見上げるような場所でした。しっかりと厳島神社を見学しましたので、昼食の時間は13時半頃からになりました。連絡船で到着したのが、12時30分頃でしたから、旅行計画書の予定通りの昼食の時間でした。
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少し遅くなった、この日の昼食です。食べようと思って箸を付けたところで、からくも思い留まり、写真を撮影しました。穴子飯、穴子丼は宮島の名物料理とされます。『全国から参拝客の絶えない宮島には、古くから穴子どんぶりというご当地料理がありました。江戸時代後期の「芸藩通志」にも、宮島近海の穴子のおいしさが書かれています』とのネット情報もありました。
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宮島の穴子飯に選んだのは、特別純米酒の『加茂鶴』です。酒類業組合法の定める特定名称は、原料や精米歩合・製造方法によって八つに分けられていますが、その中の特別純米と純米吟醸は、原材料の米と米麹と、精米歩合の60%以下の規定がまったく同じです。違いは『作り方のコンセプトの違い』などと説明されていますが、はっきり言ってよく分かりません。
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イチオシ
穴子飯の昼食のお店の二階から眺めた中庭の光景です。立派な庭園と池があり、錦鯉の姿が見えました。『ニシキゴイ(錦鯉)』は、 観賞魚用に改良されたコイの品種の総称で、『生きた宝石』『泳ぐ芸術品』とも呼ばれ、業界団体である全日本錦鯉振興会は、日本の『国魚』と位置付けています。
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池の錦鯉のズームアップ光景です。こちらは1階に下りて、池の脇からの撮影です。綺麗な水にも、餌にも恵まれて、ゆったりとした泳ぎの錦鯉さん達でした。錦鯉は、その優雅さから、国際的な評価や人気が高まっています。
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食事の後の自由時間では、豊臣秀吉が寄進したとされる『豊国神社(千畳閣)』を見学することにしました。昼食のお店からは、坂道はありますが、歩いて近い場所でした。日本三大奇襲とされる、『厳島の戦い』が、 1555年10月16日に起きた場所にもなります。
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イチオシ
『豊国神社(千畳閣)』がある『塔の岡』に登る石段の光景です。『厳島の戦い』の時、陶軍の本陣が置かれた場所です。陶軍は大軍だったため、大聖院や弥山に至るまで広く布陣していて、北の杉ノ浦から南の須屋浦まで海側も警固船で埋め尽くされました。陶軍は、宮尾城を尾根沿いに陸路で攻めており、城の水の手(水源)を断とうとしていました。
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『塔の岡』に上る途中の町並みの眺望です。『塔の岡』の名前の由来は『、この岡にある『五重塔』に因みます。岡の上には、そのほかに『豊国神社』の『千畳下閣』と呼ばれる巨大な社殿があります。『豊国神社』は、厳島神社の末社に数えられていますから、『豊国神社』や『五重塔』も厳島神社の一部と見做していいようです。
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家並みが次第に遠くまで見えるようになりました。宮島(厳島)の最高峰の『弥山(みせん)』の標高は530メートルほどですが、『塔の岡』の標高は数十メートル程度のようでした。標高を記した資料が見つかりませんでしたから、推測です。
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『塔の岡』の最高地点に近くなったようです。かなり遠くまで見渡せるようになりました。眼下には、白漆喰で塗り込めた壁を持つ建物と、黄葉真っ盛りの公孫樹が見えました。左手方面に見えるのは、多分、入り込んだ入江になるようです。
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イチオシ
急斜面の平らな箇所に建つ大銀杏の黄葉光景です。普段なかなか目にしない、上から眺めた公孫樹の黄葉と、その周りの黄色の絨毯の光景です。この大銀杏は、黄葉の最後の見頃に差し掛かっていました。
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僅かに残った紅葉の葉と、五重塔の光景です。今日の天候では、紅葉屋黄葉の色合いは全く期待できません。広島県教育委員会の公式HPからの紹介です。『和様と禅宗様が融合されて、みごとな構成をなす五重塔である。室町時代の応永14年(1407)創建と言われ、露盤(ろばん)下品軒覆の鉄板鋳銘から戦国時代の天文2年(1533)に改修されたことがわかる。九輪を鋳造した廿日市鋳物師(いもじ)、山田壱岐守の名もあげられている』、と紹介されていました。
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左手に見える蘇鉄と、その背後の五重塔の側面光景です。広島県教育委員会の公式HPには、『初重の柱は上部を金襴巻(きんらんまき)とした朱漆塗で、それぞれ彩色の寄附者の名が記されている。内陣の天井は雲竜、来迎壁は表に蓮池、裏に白衣観音、周囲の壁板は瀟湘(しょうそう)八景を添景とした真言八祖の壁画である』、と紹介されていました。
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写真は『五重塔』の側面光景です。『塔の岡』は、高い場所から眺めると、『亀の姿』に見えることから、『亀居山』とも呼ばれています。山の麓にある寺院の『大願寺』の山号にも使われています。
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『五重塔』の現在の正式名称は『厳島神社五重塔』、『厳島神社宝物館』とも呼ばれているようです。国の重要文化財には、明治明治33年4月7日に登録されました。三間五重塔婆、檜皮葺、高さ27mです。大聖院の子院にあたる金剛院の五重塔でしたが、明治初年の廃仏毀釈、神仏分離により、厳島神社の管理に移されました。
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『五重塔』のタイトルがあった説明立札の光景です。箇条書きの3項目の要点と、末尾に補足説明がありました。3項目の要点は次の通りです。
1.重要文化財
2、応永14年(1407年)建立
3、総高29.3メートル -
『千畳閣』のタイトルがあった説明板の光景です。天正15年(1587年)、豊臣秀吉が毎月一度千部経を読誦するため政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。島内では最も大きな木造建築物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてきました。秀吉の急死によって工事が中止されたため、御神座の上以外は天井が張られていません。未完成のままの状態で現在に至っています。
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『豊国神社』の正面出入口光景です。豊国神社の社号は、秀吉が死後に神として崇められるようになった神号(しんごう)である『豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)』に因んでいます。愛知県は、元は尾張と三河の国、三英傑と呼ばれる織田信長、豊臣秀吉と徳川家康を輩出しています。三英傑には、それぞれ、祀られた神社と『神号』があります。
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『豊国神社』の『濡れ縁』の光景です。三英傑が祀られた神社と神号の紹介です。
〇織田信長:建勲神社(たけいさおじんじゃ):建勲(たけいさお)
〇豊臣秀吉:豊国神社(ほうこく/とよとみじんじゃ):豊国大明神
〇徳川家康:東照宮(とうしょうぐう):東照大権現 -
『豊国神社』の建物正面光景です。豊臣秀吉が毎月一度千部経の転読供養をするため,天正15年(1587)発願、安国寺恵瓊を造営奉行として同17年(1589)ほぼ完成した大経堂です。文禄・慶長の出兵,秀吉の死去などの理由により天井板もはられず,正面の階段もない未完成状態ですが、規模広壮、木割雄大で軒丸瓦・唐草瓦に金箔をおすなど、よく桃山時代の気風を示した建物とされます。
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何本もの添木でからくも持ち堪えていた『ソテツ(蘇鉄)』の古木の光景です。ソテツは、裸子植物ソテツ科の常緑低木です。窒素固定能を持った生物と共生している植物としては、マメ科の植物が有名ですが、その能力がソテツにもあるため、窒素分の乏しい土地での生育も可能です。『蘇鉄』という名前は、枯れかかった時に鉄の釘を打ち込むと蘇るという伝承に由来します。
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少し離れた場所から眺めた、ソテツの古木の光景です。ソテツ類の中では日本列島に自生する唯一の種で、自然分布では日本列島の固有種です。日本列島の九州南端、南西諸島、台湾、中国大陸南部に分布します。主として海岸近くの岩場に生育します。なお、自生北限は宮崎県串間市都井岬とされます。
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