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10月に引き続き、11月も友人の山中湖ロッジへ。圏央道の東北道と関越道を結ぶ区間の未開通部分が10月31日に繋がり、山中湖へのアクセスがとても便利になった。今回も天気には恵まれず移動日は雨が降ったりやんだり。こんな天気ではロッジに行っても富士山も見えないし湖畔の紅葉はすでにピークを過ぎているので、急いで行ってもしようがない。というわけで、途中の中央道大月ICで降りて日本三大奇矯に挙げられている猿橋に立ち寄ってみた。、

2015年秋 山中湖ロッジ滞在記(3) 日本三大奇矯の一つ、猿橋に立ち寄ってみた

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2015/11/10 - 2015/11/10

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旅行記グループ 山中湖ロッジ滞在記

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玄白

玄白さん

10月に引き続き、11月も友人の山中湖ロッジへ。圏央道の東北道と関越道を結ぶ区間の未開通部分が10月31日に繋がり、山中湖へのアクセスがとても便利になった。今回も天気には恵まれず移動日は雨が降ったりやんだり。こんな天気ではロッジに行っても富士山も見えないし湖畔の紅葉はすでにピークを過ぎているので、急いで行ってもしようがない。というわけで、途中の中央道大月ICで降りて日本三大奇矯に挙げられている猿橋に立ち寄ってみた。、

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
  •  猿橋のそばに駐車スペースがあるのか定かではなかったので、猿橋近隣公園隣りの大月市郷土資料館の駐車場に停め、公園を横切って猿橋へ。(結果的には蕎麦屋の隣に駐車場があったのだが・・・)<br /> 公園はどこにでもありそうな市民の憩いの場としての都市公園で、目立った特徴はない。しかし、猿橋に向かって歩いていくと、こんな崖があった。なんの変哲もない崖のように見えるが、そばに立て札が立っていて「これは6000年前に富士山が噴火したとき、桂川に沿って30kmも溶岩が流れてきた。その末端部分である」と書いてある。確かに溶岩が冷えて固まるときできる柱状節理が見られる。しかし、説明パネルが立ててなければ、見過ごしてしまう。<br /> 富士山周辺には、この種の溶岩地形はあちこちに見られる。 <br /><br />

     猿橋のそばに駐車スペースがあるのか定かではなかったので、猿橋近隣公園隣りの大月市郷土資料館の駐車場に停め、公園を横切って猿橋へ。(結果的には蕎麦屋の隣に駐車場があったのだが・・・)
     公園はどこにでもありそうな市民の憩いの場としての都市公園で、目立った特徴はない。しかし、猿橋に向かって歩いていくと、こんな崖があった。なんの変哲もない崖のように見えるが、そばに立て札が立っていて「これは6000年前に富士山が噴火したとき、桂川に沿って30kmも溶岩が流れてきた。その末端部分である」と書いてある。確かに溶岩が冷えて固まるときできる柱状節理が見られる。しかし、説明パネルが立ててなければ、見過ごしてしまう。
     富士山周辺には、この種の溶岩地形はあちこちに見られる。 

    猿橋近隣公園 公園・植物園

  • 公園を抜けて遊歩道を進むと桂川の流れが見えてくる。この川、神奈川県中央部を貫流する相模川の上流部分である。

    公園を抜けて遊歩道を進むと桂川の流れが見えてくる。この川、神奈川県中央部を貫流する相模川の上流部分である。

  • 桂川沿いも華やかではないが紅葉のピークを迎えている。

    桂川沿いも華やかではないが紅葉のピークを迎えている。

  • 公園から猿橋に向かう遊歩道沿いにはアジサイのたくさん植えられていた。花が咲く6月には、アジサイ祭りが開かれるそうだ。

    公園から猿橋に向かう遊歩道沿いにはアジサイのたくさん植えられていた。花が咲く6月には、アジサイ祭りが開かれるそうだ。

  • 10分ほど歩くと、猿橋が見えてくる。橋の下が橋の展望台になっている。ふつう、展望台というと上から眺める場所なのだが、ここは下から見上げる展望台なのである。

    10分ほど歩くと、猿橋が見えてくる。橋の下が橋の展望台になっている。ふつう、展望台というと上から眺める場所なのだが、ここは下から見上げる展望台なのである。

    猿橋 名所・史跡

    歌川広重も描いた江戸時代のユニークな構造の木造橋 by 玄白さん
  • この橋が三大奇矯の一つと言われるゆえんは、肘木桁式と言われる橋の様式で、その肘木が4層構造になっており、すべての肘木に家のような屋根が取り付けられている面白い形になっているのである。<br />橋の長さは約30m、水面からの高さ31mである。水面からの高さがあるので橋脚を作るのが難しいため、こういう様式が採用されているのだそうだ。渓谷の高いところに橋脚なしの橋を架けるとすると、吊り橋が一般的なのだが、耐久性を考慮して、こんな形式の橋にしたのかもしれない。

    この橋が三大奇矯の一つと言われるゆえんは、肘木桁式と言われる橋の様式で、その肘木が4層構造になっており、すべての肘木に家のような屋根が取り付けられている面白い形になっているのである。
    橋の長さは約30m、水面からの高さ31mである。水面からの高さがあるので橋脚を作るのが難しいため、こういう様式が採用されているのだそうだ。渓谷の高いところに橋脚なしの橋を架けるとすると、吊り橋が一般的なのだが、耐久性を考慮して、こんな形式の橋にしたのかもしれない。

  • 4層の肘木とそれに直交して肘木を支える柱すべてに屋根が取り付けられている。おそらく、雨水による木の腐食を防止するためなのだと推測される。

    4層の肘木とそれに直交して肘木を支える柱すべてに屋根が取り付けられている。おそらく、雨水による木の腐食を防止するためなのだと推測される。

  •  猿橋架橋の起源は定かではないが、推古天皇の時代に、百済人「志羅呼」(しらこ)という人物が、この地に来て、猿がこの渓谷に藤蔓を架けて岸を渡るのを見て橋を架けたという伝説があるらしい。猿橋という名前は、この伝説由来のようだ。<br /> 史実としては、室町時代、戦国時代に、武田家と足利家、あるいは武田家と上杉家の合戦の場となっていたというから、当時から戦略的要衝であったのであろう。<br /> 江戸時代になり、甲州街道が整備されると、この橋の重要性はさらに高まり、9回も架け替えがされたそうだ。江戸時代になって、この肘木桁様式になったという。もちろん、すべて木製であった。

     猿橋架橋の起源は定かではないが、推古天皇の時代に、百済人「志羅呼」(しらこ)という人物が、この地に来て、猿がこの渓谷に藤蔓を架けて岸を渡るのを見て橋を架けたという伝説があるらしい。猿橋という名前は、この伝説由来のようだ。
     史実としては、室町時代、戦国時代に、武田家と足利家、あるいは武田家と上杉家の合戦の場となっていたというから、当時から戦略的要衝であったのであろう。
     江戸時代になり、甲州街道が整備されると、この橋の重要性はさらに高まり、9回も架け替えがされたそうだ。江戸時代になって、この肘木桁様式になったという。もちろん、すべて木製であった。

  • 現在の橋は、昭和59年に3億8300万円の費用をかけて、架け替えられた。架け替えは江戸時代の嘉永4年(1851年)の絵図面に忠実に設計されたという。ただし、耐久性、メンテナスを考慮して、橋桁の構造物はすべてH形鋼を使い、それを木材で覆って外観を当時と同じにしたものである。

    イチオシ

    現在の橋は、昭和59年に3億8300万円の費用をかけて、架け替えられた。架け替えは江戸時代の嘉永4年(1851年)の絵図面に忠実に設計されたという。ただし、耐久性、メンテナスを考慮して、橋桁の構造物はすべてH形鋼を使い、それを木材で覆って外観を当時と同じにしたものである。

  • 展望台から階段を上り、橋の上に行ってみる。<br />今は、桂川の通行は猿橋の奥に見える新猿橋が使われており、猿橋は歴史資産としてのみ存続している。周辺の渓谷美も含め昭和7年に国の名勝に指定されている。<br />歴史資産とはいえ、今でも歩行者は渡ることができ、地域の往来には役立っているのである。

    展望台から階段を上り、橋の上に行ってみる。
    今は、桂川の通行は猿橋の奥に見える新猿橋が使われており、猿橋は歴史資産としてのみ存続している。周辺の渓谷美も含め昭和7年に国の名勝に指定されている。
    歴史資産とはいえ、今でも歩行者は渡ることができ、地域の往来には役立っているのである。

  • 江戸時代の浮世絵師、歌川広重も猿橋を題材に「甲陽猿橋之図」という浮世絵を描いている。

    江戸時代の浮世絵師、歌川広重も猿橋を題材に「甲陽猿橋之図」という浮世絵を描いている。

  • モミジと猿橋。

    イチオシ

    モミジと猿橋。

  • 橋の袂にある大黒屋という蕎麦屋。昔は旅館だったそうだ。国定忠治が、ここに逗留したことがあり、それにちなんで忠治そばというブランドで蕎麦を商っている。猿橋を見に来る観光客相手の商売かな。

    橋の袂にある大黒屋という蕎麦屋。昔は旅館だったそうだ。国定忠治が、ここに逗留したことがあり、それにちなんで忠治そばというブランドで蕎麦を商っている。猿橋を見に来る観光客相手の商売かな。

  • 橋の袂にあった小さな社。

    橋の袂にあった小さな社。

  • 雨に濡れる猿橋。橋板はヒノキ製だという。橋の上には、市民作成の切り絵行灯が置かれている。夜になり灯が入ると風情ある景色になりそうだ。橋のそばには照明ランプもとりつけられていたので、ライトアップもされるのだろう。<br />

    雨に濡れる猿橋。橋板はヒノキ製だという。橋の上には、市民作成の切り絵行灯が置かれている。夜になり灯が入ると風情ある景色になりそうだ。橋のそばには照明ランプもとりつけられていたので、ライトアップもされるのだろう。

  • 落葉と切り絵行灯。

    落葉と切り絵行灯。

  • 橋の真ん中からの眺め。上流方向。<br />なかなかの渓谷美である。

    橋の真ん中からの眺め。上流方向。
    なかなかの渓谷美である。

  • 下流側の眺め。下にかかる箱型の橋は、八ツ沢発電所一号水路橋。<br />桂川流域には8つの水力発電所があり、八ツ沢発電所は明治45年に建設された。そこで使われた水を下流の発電所で有効利用するために、リレー式に水を送るための導水管用の橋である。建設主は、東京電灯株式会社(東京電力の前身)で、現在でも東京電力が現役の設備として稼働させている。建設当初は東洋一の最新鋭の大規模発電所だったそうだ。<br />この水路橋を含め、八ツ沢発電所は2005年に国の重要文化財に指定されている。<br />こちら側の紅葉は見事である。

    イチオシ

    下流側の眺め。下にかかる箱型の橋は、八ツ沢発電所一号水路橋。
    桂川流域には8つの水力発電所があり、八ツ沢発電所は明治45年に建設された。そこで使われた水を下流の発電所で有効利用するために、リレー式に水を送るための導水管用の橋である。建設主は、東京電灯株式会社(東京電力の前身)で、現在でも東京電力が現役の設備として稼働させている。建設当初は東洋一の最新鋭の大規模発電所だったそうだ。
    この水路橋を含め、八ツ沢発電所は2005年に国の重要文化財に指定されている。
    こちら側の紅葉は見事である。

  • 橋を渡り切り、反対側から大黒屋を遠望。

    橋を渡り切り、反対側から大黒屋を遠望。

  • 雨が一段と激しくなってきた。雨脚が写真に写るほどの土砂降り。<br />カメラが濡れそうなので、退散することにした。<br /><br />この後、山中湖ロッジに直行。以下、2015年秋 山中湖ロッジ滞在記(4)に続く。

    雨が一段と激しくなってきた。雨脚が写真に写るほどの土砂降り。
    カメラが濡れそうなので、退散することにした。

    この後、山中湖ロッジに直行。以下、2015年秋 山中湖ロッジ滞在記(4)に続く。

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