2014/02/25 - 2014/03/03
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自由時間で散策した、ゴッホ由縁のアルルの町の紹介です。アルルの町を見学の後、フランス最大の港町、マルセイユに向かいました。
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改めて、アルルの町の紹介です。アルルは、ローヌ川の分岐点に位置し、カマルグの大部分をエリアに含みます。フランスの市町村(コミューン)では、最大の面積を持つ町です。カマルグは、アルルで二又に分岐したローヌ川と地中海に囲まれたフランス南部の三角州地帯です。
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イチオシ
アルルのスズカケノキ(鈴懸の樹)の並木道です。スズカケノキ(鈴懸の樹)は、洋名ではプラタナスです。冬木立に、スズ(鈴)のような実だけが残っていました。
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アルルは、紀元前6世紀頃ギリシア人によって『Theline』の名前で創設された町です。紀元前535年にケルト人のサッルヴィ(Salluvii)によって占領されました。彼等は街の名前を 『アレラーテ (Arelate)』に変更しました。湖、池、潟の近くの意味です。
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ローマ人により町が占領されたのは、紀元前123年のことです。地中海に繋がる運河を紀元前104年に浚渫し、街を拡張してローマにとって重要な都市となりました。
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紀元前49年1月、ルビコン川を渡ったカエサル(紀元前100〜紀元前44年)が、ポンペイウス(紀元前106年〜紀元前48年)と対峙した時、アルルはカエサルの側に付き、軍隊を派遣しました。一方、マッサリア(マルセイユ)はポンペイウスを支援しました。カエサルの勝利が決定的になると、マッサリアはその所有物を取り上げられ、報償としてアルルに引き継がれました。
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アルルに拠点のあったローマ軍の第6軍団フェッラタの退役軍人のための植民市として設立された町は、『コロニア・ユリア・パーテルナ・アレラテンシス・セクタンノールム』でした。『第6軍団の先祖伝来のアルルのユリウス植民地』の意味とされます。アルルの町のケースに限らず、ローマの占領政策の一環でした。
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アレラーテはローマ帝国の属州だったガリア・ナルボネンシスの非常に重要な都市でした。99エーカー (40万平方メートル) 程の土地を有し、円形闘技場、凱旋門、キルクス、劇場、円環状の市壁など、豊富で幅広い記念物を所有していました。現在のアルルの街よりも海に近く、主要港としても機能しました。
写真紹介は、アルルの裏通りの光景が続きます。 -
写真紹介は、家の前に残されていた、遺物らしい石造品です。
アレラーテの街は、4〜5世紀の間、軍事遠征の際、ローマ皇帝のための本部として頻繁に使用され、その影響力はピークを迎えました。395年、ローマ帝国が東西に分割されると、西ローマ帝国の西部(ガリアにヒスパニアとアルモリカを加えた場所)を統治する、ガリアのプラエトリアニの本拠地となりました。 -
アレラーテの街は、皇帝コンスタンティヌス1世(272〜332年)のお気に入りとなり、彼はここにローマ浴場を建設しました。現在もその大部分が残っています。彼の息子のコンスタンティヌス2世(316〜340年)は、この街で生まれました。コンスタンティヌス3世は、ここで西ローマ帝国の西部の皇帝になることを宣言し、408年にここを都としました。
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写真紹介は、年代を現すような、『1664』の数字が記された新しい看板の光景です。1664年のフランスは、太陽王と呼ばれた、ルイ14世(在位:1643〜1715年)の治世中でした。
ところで、一般には、西ローマ帝国は、476年9月4日にオドアケルがロムルス・アウグストゥルス帝を廃した時に滅んだとしますが、異説もいくつかあるようです。 -
『Walla Beer(ワラ・ビール)』の看板があった古い建物の光景です。オーストラリアン・カフェーの文字もありました。
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アルルの裏通りのような街並み光景です。壁の色と屋根の色、それに高さもほぼそろった街並み光景でした。
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工事用のフェンスが歩道の上に設置してあったお店の前の光景です。柵の間には、人が通行できるだけの隙間が開けてありました。赤錆だらけのキャスター付きのフェンスでした。
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イチオシ
ここからは、再集合場所のバスの駐車場所に向かう途中の街並み光景の紹介です。歩道は、テントの庇が伸びて、お店の一部として使われていました。
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まだ冬木立のままのプラタナスの並木道の光景です。ゴッホが描いたプラタナスの絵には、『アルルの眺望(手前にポプラのある果樹園)』などがあります。1889年の作品です。
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まだ冬木立のままのプラタナスの並木道の光景が続きます。アルルの街角を写真紹介しながら、ゴッホ(1853〜1890年)のアルル時代の紹介です。
○1888年2月20日、アルルに到着、『ホテル=レストラン・カルル」に下宿しました。
○5月、下宿先を『カフェ・ド・ラ・ガール』に換え、同じラマルティーヌ広場に『黄色い家』を借り、アトリエ兼住居として整備にとりかかります。 -
○5月30日〜6月1日、ゴッホの部屋では静物画を描き、また、地中海岸の サント・マリー・ド・ラ・メールにスケッチ旅行に出掛けました。
○6月までの作品は風景画がほとんどで、アルルのはね橋、 春の果樹園風景、夏の麦畑の風景が三つの大きなグループを形成しています。 -
○7月に入ると、肖像画が増えてきます。以後、アルルでの彼の友人たち、郵便局員ルーラン一家、『カフェ・ド・ラ・ガール』の経営者であるジヌー夫人(アルルの女)、アルジェリア歩兵連隊の少尉ミリエ、ベルギーの画家ボックなどが、彼のカンヴァスにその姿を残しました。
写真は、お菓子屋さんのショーウィンドウ光景です。 -
○9月半ば、『黄色い家』へ移ります。 彼は南仏のアトリエでの画家たちとの共同生活を夢見ていましたが、その最初の相手として、ゴーギャンを意識しました。ゴーギャンは当時経済的に非常に困窮していて、テオの援助を期待できるアルルでの生活に魅力を感じるようになっていました。その頃ゴッホは、ガス燈の灯が水面に美しく映えるローヌ河の上の星空を描きました。
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写真は、アルルの市街案内図です。
○10月23日、 ゴーギャンがアルルに到着、二人の共同生活はうまく行くかのように見えましたが、両者の強い個性は次第にぶつかり合い、12月半ばには、ゴーギャンはパリに戻ることを考えたようです。
○12月23日、ゴーギャンとの激しい喧嘩の後、彼は自分の 左耳の下部を切り取り、翌朝、意識不明のままアルルの病院に運ばれました。ゴーギャンは事件をテオに知らせ、テオはアルルへ急行しました。
○1889年1月7日に退院し、『黄色い家』へ戻りました。彼を支えたのは、病院の医師レー・アルル、牧師サル、そしてルーランやジヌーらの友人達でした。
○2月7日、再び発作を起こして入院、一時退院したものの、付近の市民の要請もあり、以後、病院暮らしを余儀なくされました。 -
写真は、アルルの見学を終えて、マルセイユに向かう途中の車窓光景です。
○3月23日〜24日、ポール・シニャック(1863〜1935年)がアルルの病院に彼を見舞いました。
○4月17日、弟のテオはオランダで、ヨハンナ・ボンゲル(通称ヨー)と結婚、パリで新婚生活を始めました。次にいつ神経の発作が襲ってくるかという不安を抱え、ゴッホは、自ら精神療養院息を選択しました。 -
夕日に輝く、マルセイユに向かう途中の岩山の車窓光景です。
○5月8日、ゴッホは牧師のサル師に付き添われ、サン・レミの精神療養院へ向かいました。
○ゴッホの弟で、通称テオ、テオドルス・ファン・ゴッホ(1857〜1891年)は、オランダ出身の画商です。ゴッホが亡くなる1890年まで経済支援し、数々の名画が生まれる下支えをしました。 -
早めの時間にチェックインできた、マルセイユのホテルです。マルセイユは港町として有名で、フランス国歌の『ラ・マルセイエーズ』でも知られています。もとはフランス革命(1789年)の時の革命歌で、マルセイユの連盟兵(義勇兵)が歌って広めたことからこの名前があります。
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イチオシ
同じく、マルセイユで宿泊した、『メルキュール・マルセイユ・サントル・ヴュー・ポールホテル』のロビー光景です。マルセイユは治安が良くないとお聞きしていましたが、このホテルの中は快適でした。
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『メルキュール・マルセイユ・サントル・ヴュー・ポールホテル』の正面入口光景です。大型の回転式自動ドアでした。
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快適だった、『メルキュール・マルセイユ・サントル・ヴュー・ポールホテル』の自室の紹介です。洗面室の光景です。洗練されたデザインと清潔感が漂っていました。
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同じく自室のベッドルームの光景です。色彩感覚にも、あか抜けたハイセンスさが散りばめられていました。
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同じく、『メルキュール・マルセイユ・サントル・ヴュー・ポールホテル』の自室の紹介が続きます。壁掛けの大画面の薄型テレビの光景です。冷蔵庫の上には、サービス品のエビアンのペットボトルがありました。
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『メルキュール・マルセイユ・サントル・ヴュー・ポールホテル』のレストランでの夕食です。フランス料理らしく、大きな皿に盛られた料理です。味も十分でした。
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白ワインと赤ワインを注文し、ゆっくりとフランス料理を楽しみました。もちろんフランス製のワインです。
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