2001/10/12 - 2001/11/04
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kojikojiさん
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ポルトガルの旅の終わりはヴィアナ・デ・カステロでした。
早朝の駅を出発してレデンドーラで乗り換えてサンティアゴへ向かいます。TUIの駅の手前辺りが国境だったのでしょうか?いつのまにかスペインに入っていました。車窓の風景はミラノからマジョーレ湖を越えてスイスに入る時のような雰囲気でした。湖に浮かぶ小島のヴィラを見ているとそんなことを思い出しました。
サイティアゴの駅では余分な荷物をコインロッカーに預けましたが日本語表記があったのには驚きました。過去に見たのはイタリアのブリンディジとここだけです。ギリシャのピレウスの港ではATMが日本語表記だったことがありました。翌日のマドリッド行きの夜行寝台のチケットを予約して、両替をして、郵便局で切手を買ってからパラドールに向かいました。大聖堂の正面にあるので迷わずに到着しました。今回の旅では一番のホテルで、ここは日本の予約会社を通して予約してありました。部屋の窓からはパティオ越しに大聖堂が望めました。2日間の滞在でしたが道行く巡礼者を見ているといつかピレネーの向こうから歩いてみたいという想いが湧き上がってきました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
パラドールに到着です。今回の旅の中では一番由緒ある高級ホテルです。まだ昼を少し廻った所でしたが空いているのか部屋に通してくれました。
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部屋の窓からの眺めです。エレベーターは大聖堂側なので長い廊下を歩きます。途中に小さな応接セットがあったり面白い造りになっています。一休みしてから街歩きです。折角の贅沢なのに部屋の写真は全く撮っていませんでした。
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パラドールの直ぐ脇にサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂がそびえます。お昼時でもあり歩いている人も少ないです。夕方になると巡礼の人の姿が多く見受けられました。
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聖ヤコブはガリラヤ湖の漁師で、弟のヨハネと共にイエス・キリストに従います。ヒスパニアにおいて布教活動を行なった後エルサレムに帰還しますが、ヘロデ・アグリッパ1世によって断首され、十二使徒のうち最初の殉教者となります。その遺体を弟子2人が石の船に乗せ海を果てしなくさまよった末にサンティアゴ付近に辿り着き、埋葬したのが紀元1世紀半のことでした。
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9世紀に星に導かれた羊飼いがこの地で聖ヤコブの墓を再発見し、遺骨を祭った聖堂が建てられそこに教会が造られます。これがサンティアゴ・デ・コンポステーラの町の起源となります。
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町中には美味しそうなタルトやケーキを売る店がたくさんありました。ガリシアの伝統菓子タルタ・デ・サンティアゴです。アーモンドと卵と砂糖だけで作られるケーキで、サンティアゴ(聖ヤコブ)の遺骸がまつられている巡礼路の最終地点サンティアゴ・デ・コンポステーラの修道院で作られたのが始まりだそうです。パウダーシュガーで十字架をシルエットを入れるのがお約束です。
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店のディスプレイの美しさに目が留まります。リスボンを出てからはずっとポルトガルの地方都市巡りだったせいかもしれません。上の段は形がおっぱいに似ているので、おっぱいを意味するTeta(テタ)の単語からテティージャ(Tetilla)と呼ばれるチーズです。こちらは燻製バージョンの「サン・シモンチーズ(Queso San Simon)」です。
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ポルトガルもお菓子が美味しい国でしたが、スペインも美味しい国です。
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ハモンの国にやってきましたと実感します。
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この辺りもボビンレースが盛んなようです。おばあさんがレースを編んでいる姿を何度も見掛けました。
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夜になると人通りも途絶え静けさに包まれます。聖地なので過剰なライトアップも無く、少々寂しい感じは否めません。
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聖堂の裏側の方が明るい照明がついていました。街歩きはこれくらいにして正面側に戻りましょう。
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ガリシア地方も湿気が多いのでしっとりしていますが、聖堂の石肌は変色して苔生しています。夜になるとカンボジアのアンコールの遺跡のようにも見えました。
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夕食は折角なのでパラドールのレストランでいただきました。午後8時に着いた日本のツアーの人達は直ぐに集合して、同じ物を食べてさっさと部屋に返っていきました。ガリシアのワインを飲みながらシーフードのスープとハマグリとタコを焼いた料理をいただきました。タコ料理は今回の旅で大のお気に入りになりました。食事を終えてからもう一度大聖堂の姿を目に焼き付けました。
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翌朝のパラドールの朝食も豪華で素晴らしかったです。ワインやカバも用意されていてテーブルに並べてみるとフルコースのディナーのようになりました。
2日目も町をブラブラしてみます。美味しそうな山鳥やウサギもぶら下がっています。もう11月になろうとしていますから本格的なジビエの季節です。 -
スペインでは豚はどんぐりを食べて人間は栗を食べる訳です。栗の美味しい季節にもなりました。
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サンティアゴに到着して約1日経ってから大聖堂に参拝しました。すぐに入ってしまってはもったいない気がしていました。
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ここにも帆立貝。街中に帆立貝が溢れています。
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聖堂の中です。巡礼者が最初にお参りする場所です。「栄光の門」と呼ばれ、巡礼者がサンチアゴに着いてこの門の下に跪き、円柱に右手を当てて祈るのですが、数百年に渡って擦り減った手形が円柱に形どられています。
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この栄光の門はこの後2008年から10年に渡って修復作業をされているそうです。10年の歳月をかけて行われている栄光の門の修復作業で最も注目を浴びるのが、色彩がついた新しい栄光の門の姿です。この姿はもう見ることは出来ないのでしょう。
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堂内の最初の回廊は彫刻で埋め尽くされています。これを全部宗風して彩色しているのだと思うと複雑な気持ちではあります。1188年に巨匠マテオが手掛けたもので、この門には旧約と新約聖書の登場人物を描いた 200 点以上の彫像が彫られています。
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実は昔のままの「栄光の門」を観ることは出来るのです。どうしても見たい方はロンドンに行けば良いのです。ビクトリア&アルバート博物館のカスト・コートという部屋には驚かされます。原寸大のこの門のレプリカがあります。石膏などで写し取った物なので見た目は同じなのでびっくりするとともに感動しました。ローマのトラヤヌスの記念柱やミケランジェロのダビデ像にモーゼ像…。
ビクトリア&アルバート https://4travel.jp/travelogue/11049004 -
ファサードを下から見上げてみました。サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂は、基本となるロマネスク様式の設計に精巧なバロック様式とゴシック様式の装飾を施した絢爛豪華な建築様式の集大成のような建物です。
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よく見るといたる所にホタテ貝の意匠が組み込まれています。
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小さな路地からも大聖堂の尖塔が顔を覗かせています。
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ヒターノのおばあさんは毎日ここにいるようでした。
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いつか巡礼路を歩きたいと思っているのでインフォメーショで地図を見たり情報を集めていると、巡礼を終えた旅人が最後のスタンプをクレデンシアル(巡礼手帳)に貰っているのに出会えました。ボロボロになった巡礼手帳が旅の重さを教えてくれた気がしました。
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巡礼路はいつか歩いてみたいと考えていました。この当時父はパーキンソン病を患い始めた頃でした。父が亡くなったらと漠然と考えていましたが、亡くなってもう5年経ちますが、まだ願いはかなっていません。
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夜行列車まで時間があったので夜景を眺めに行きました。夕食は大聖堂に近いエル・ラピドという店に入ってみました。ガリシア風のシーフードスープに海老とタコをグリルしてもらいました。ポルトガルに遜色なく美味しい料理でした。サンティアゴタルト(アーモンドタルト)生クリーム添えでコーヒーをいただきながら絵葉書を書いていました。あまりに美味しい料理だったので実家の両親宛に本日2枚目の葉書です。
すると店からリキュールがサービスされました。前回のスペインの旅でも帰国前の晩に同じリキュールがサービスされたのを思い出しました。何となく旅も終わりかと思え急に寂しい気分になりました。 -
ほろ酔い気分で駅まで戻り、荷物をピックアップしてホテルトレインを待ちます。1等個室という贅沢をしました。コンバートメントに案内してくれた車掌さんに飲み物を勧められ、ウイスキーと氷をいただきました。代金を払おうとすると「後でいいよ。」と言いながら取りに来ませんでした。マドリッドでお別れを言っても何も言いませんでしたが・・・。
夜が明けるとマドリッドと周辺の旅が始まります。
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