2001/10/12 - 2001/11/04
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kojikojiさん
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バンコックから帰ってきた翌週にエールフランスの夜便でパリ経由でリスボンに入りました。リスボンには1週間ほど滞在して市内の観光と日帰りできるエリアの観光に出掛けました。その後は2週間ほどかけてヴィアナ・ド・カステロまでポルトガルを旅しました。同じイベリア半島でもスペインとは全く違った国民性と文化を感じました。後半はスペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラに入り、巡礼路の最後だけを垣間見ましたがそれだけでも感動しました。いつかサンチアゴの巡礼路を歩いてみたいと思います。
サンチアゴからは夜行寝台列車でマドリードまで移動して、ここでも郊外のセゴビアやアビラや周辺の町を旅しました。
この時から1か月以上の旅がしんどくなってきました。
最初のリスボンは地図で見るだけでは分からない坂の町で、歩き回るのがしんどかったです。旅行前にクラークスのシューズを新調したのですが、この靴の裏が滑るので困りました。雨の降った道路で滑るくらいなら良いのですが、教会の屋根の上から4メートルほど落ちたときはリスボンで旅が終わるかと思ったほどです。次に来る事があったら絶対スニーカーで来ようと誓いました。アズレージョタイルにも惹かれ、何とか良いものが買えないかとアンティーク屋もかなりハシゴしましたが、17世紀の素晴らしい地図に出会ってしまい思わず購入しました。この地図は後年タッシェンの地図の本に掲載されているのを発見して驚きました。自宅の居間にはこの地図とスペイン全土の地図とイタリア半島の地図とバルカン半島の地図を額に入れて飾ってあります。1週間の滞在と言っても郊外にも出かけていたのでまだまだ行けなかったところも多いので近い将来再訪したいと思いました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
マドリッドへはエールフランスの夜便でまずパリに向かいました。ゆっくり寝て行こうと思ったのですが、隣の席の方と話が弾んでしまいました。前の週はバンコックからの帰りのJAL便で隣の席の人に嫌がらせをされたのにはまいりました。あまりに変な人だったので、今後同じような目に逢う人が出ないようにJALに連絡しました。数か月後に来た報告は「客室搭乗員にも確認いたしましたが、そのような事実はございませんでした。」でした。表面的に同乗していたCAも上辺だけで、我々の存在は抹殺されたのだと思いました。こんなサービスをしている会社はいずれダメになるなと思いました。もちろんそれ以降JALには自己保身のために乗らないようにしています。この話は旅先で出会った数十人の人達に話していますが、同じような目に遭った人が多いのに驚きました。そして2010年に経営破綻しました。
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ミラノ経由でシチリアへ行かれる隣の席の方とは空港で一緒に朝食を食べた後にお別れしました。3時間遅延した便は7時過ぎにリスボンへ向けて離陸しました。予約していたホテル・ベルバは空港バスを20分位で降りた目の前にありました。闘牛場もすぐ目の前でした。距離はありますが下り坂なので、まずは歩いて中心部まで出掛けました。急斜面のケーブルカーを初めて見た時はリスボンに来た!と思いました。
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ケーブルカーで坂の上に上がるとサンジョルジョ城が望めました。地図で見るイメージとは大違いで丘の多い街です。イタリアのトリエステも坂の多い町でしたが、須賀敦子先生リスボンはやばいです。写真を撮ったのはサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台で、消臭力のCMでミゲル・ゲレイロ君が歌っていた場所です。
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展望台の先にアンティーク屋さんがあり、最初はアズレージョタイルを見ていたのですが、素晴らしい17世紀の地図があったので思わず購入しました。これでポルトガルからアナトリアまでの地図が揃い、居間の壁に地中海の北側が揃いました。
後に買ったタッシェンの「Joan Blaeu Atlas Maior of 1665」という本に同じ地図が掲載されていてビックルしました。 -
ロシオ駅まで歩いてきました。後々ロカ岬にも行くので駅の様子を調べておきます。ネオ・マヌエル様式のファサードは16世紀初期のポルトガルのマヌエル様式を再現しています。最も特徴的なものは二つの蹄鉄をかたどった入り口で、駅構内の様式も特徴的でした。
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駅に面したロシオ広場を抜けてようやくアウグスタ通りまで到着しました。ブラブラ歩いて2時間くらいかかりました。コメルシオ広場が門の向こうに見えます。
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サンタ・ジュスタのリフトがあったので乗ってみます。クラシックなエレベーターです。トルコのイズミールにも似たようなエレベーターがあったことを思い出します。
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エレベーターで上がった展望テラスからコメルシオ広場方面を見るとテージョ川が見えました。初めて見るテージョ川はあまりに巨大でした。
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10cm角程度の立方体に整形された石材のことをピンコロと呼びますが、リスボンの町のほとんどがこのピンコロで覆われていると言ってもいいと思います。
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リスボン大聖堂も見えます。これでだいたいの観光ポイントを把握する事が出来ました。地図では分からないリスボンの傾斜も分かりました。なるほど「七つの丘の町」と呼ばれる意味が分かりました。
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勝利のアーチ(アルコ・ダ・ルア・アウグスタ)も見えました。対岸のバレイロ地区を行き来するフェリーにも乗ってみたかったですが、時間がありませんでした。
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コメルシオ広場で初めて路面電車に会えました。すごいクラシックな車両です。
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子供の頃に乗った京都の市電を思い出します。1901年に運行開始しているのでちょうど100年経っている訳です。
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コルメシオ広場のコルメシオは貿易という意味だそうです。広場の中心にはジョゼ1世の像が建っています。このブロンズ像はリスボンで初めて王へ献上された記念像で、当時最高の彫刻家ジョアキン・マシャド・デ・カストロの作品です。
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路面電車に乗っても良かったのですが、歩いてカテドラルの方へ進んでみます。電車と歩道にはほとんど隙間が無く怖いくらいでした。でもそれも魅力に感じられました。
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大聖堂の前で路面電車が来るのを待ちました。日曜日にサンデーサービスにも参加させてもらいましたが素晴らしかったです。
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同じ夕日でも乾燥したアンダルシアで見ると焼け落ちるように見えますが、ポルトガルで見ると哀愁を感じるのは何故でしょうか?大西洋からもたらされるの大気中の湿度の具合が日本に似ているのかもしれません。
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翌日はまずグルペルキアン美術館まで歩いていきました。何故かここでは写真を1枚も撮っていませんでした。写真は残っていませんが、ラリックのジュエリーの素晴らしさは瞼に焼き付いています。ここはもう一度行かねばと思っています。その後はアルマファ地区を散歩してみます。
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河口付近は良い風が吹くのかヨットが沢山見えます。この辺りで対岸まで5kmくらいあります。吃水域でどんな魚が釣れるのでしょうか?
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大航海時代はこんな船が幾艘も停泊していたのでしょう。
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ポルトガル国旗は緑は希望を表し、赤は共和国成立の革命を表すそうです。金色(黄色)の球状は大航海時代の航海用具だった天測儀で、盾の中の七つの黄色い城はレコンキスタ(国土回復運動)の終わりにアフォンソ3世がベルベル人から奪い返した城砦を意味し、五つの青い盾はオーリッケの戦いをめぐる初代ポルトガル王アフォンソ1世の伝説にある敵の五人の王を、青い盾の中にある五つの白い円はキリストの五つの聖痕を表すそうです。
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サンタ・エングラシア教会が丘の上にそびえています。
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この日はこのままサンタ・アポローニャ駅を通り過ぎてアズレージュ美術館に行きました。リスボン郊外のトマールやエヴォラにはバスで行ったので、サンタ・アポローニャ駅を使うことはありませんでした。
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アズレージョ美術館は不便な場所にありますが、ここで装飾タイルを見てから今まで思っていたアズレージョの印象が全く変わりました。母方の親戚が京都で窯業を営んでいるので多少の知識はありますが、写真や本で見るのとは大違いでした。特に近世のアールヌーヴォーの頃のタイルには魅せられました。
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ナザレの手前のカルダス・ライーニャにあるボルダロ社(キャベツの葉の形の皿で有名な)で現在も造られているのを知って予定の変更を決めました。
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小さい美術館でしたがリスボンでは印象に残る場所の一つです。
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サンタ・エングラシア教会は17世紀に創立された比較的新しい教会です。20世紀に入ってから国立のパンテオン(名士合祀殿)となり、ポルトガルの著名な人物が葬られていて、ファド歌手のアメリア・ロドリゲスなど著名人が祀られていました。
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次に行ったサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院の屋上にいると突然の土砂降りになりました。慌てて大理石の階段を降りようとしたら滑って屋上から落ちました。その時履いていたクラークスの靴はリスボンでは恐ろしくて履けませんでした。行った事のある方は分かると思いますが町中の石畳の道路はツルツルに磨かれていて、ほとんどが坂道です。これ以降クラークスの靴は買えません。
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ブラガンサ家霊廟でこの像を見た瞬間はドキッとしました。本当に女性が棺の前に立っているのかと思いました。1908年に共和主義者によって暗殺されたカルロス1世と長男のブラガンサ公ルイス・フィリペの墓には、死者を悼む等身大の像です。
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後期ルネサンス様式であるマニエリスムのファサードも素晴らしいですが、荘厳なバロック様式の内部も素晴らしかったです。
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修道院の屋上からの眺めも素晴らしかったです。サンタ・エングラシア教会の写真を撮っているときに雨が降ってきました。そして屋上から降りる石の階段から転げ押して脇腹から腿を強く床に打ち付けました。あまりの痛さにここで旅も終わりかと思いました。
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雨に煙るテージョ川の帆船は21世紀ものもとは思えない景色でした。
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その後この濡れた石畳を歩くのは恐ろしかったです。
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バイロ・アルト地区まで戻ってきてサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ修道院を望みます。この高低差を毎日歩いていたことになります。
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ロシオ広場の夜景です。デジカメだったら簡単に美しい写真が撮れたでしょう…。
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頂上には勝利の女神が中央に立ち、大航海時代の偉人ヴァスコ・ダ・ガマ(左)と、リスボン大震災の復興を指揮したポンバル侯爵(右)の像に月桂樹の冠を掲げています。
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街中が石畳ですからピンコロの修理は大変でしょう。でもこの仕事はリスボンの町がある限り一生食い逸れは無いと思います。
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ケルースからシントラとロカ岬を周った翌日は地下鉄に乗ってヘロニモス修道院までやってきました。ここはリスボン観光のメインの一つと言っても過言ではありません。
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マヌエル様式の最高傑作の一つと言われる修道院の建築です。マニエル様式は名前の通りマヌエル1世の統治した15世紀後半から16世紀に流行した建築様式です。代表的な建築物にはヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を記念して建立された、このヘロニモス修道院とトマールのキリスト教修道院が挙げられます。
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建物には船や海に関する装飾が施され、地球儀や鎖、ロープの結び目や舷窓の蓋、波やサンゴ、海草やインドや南アメリカの植物、人間と宗教などがモチーフとされています。
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内陣の柱から一体になった支柱は椰子の木がモチーフにしているそうです。バスコダ・ガマが持ち帰った珍しい植物などがモチーフになっているのでしょう。
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椰子の木の森の中に迷い込んだ感じがしないでもありません。
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外部のレリーフも素晴らしいです。マヌエル様式の特徴であるロープやレースのような柔らかさを感じさせる彫刻です。
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スペインのアントニオ・ガウディの建築にも通じるような意匠を感じますし、同時代のハンガリーの建築家レヒネル・エデンにも影響を与えていると感じます。
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雨樋のガーゴイルのモチーフには怪物や動物や爬虫類が多用されています。この辺りはゴシック建築の影響も感じられます。
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レース編みのように見えます。硬い石から掘り出したのではなくて、柔らかい粘土で細工したものを焼き固めているのではないかと思えるほどです。
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今までイタリアやスペインの聖堂建築を数多く観てきましたが、全く違う雰囲気を醸し出しています。翌日にトマールまで行くのが楽しみになってきました。
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ヘロニモス修道院からテージョ川まで出ると対岸にクリスト・レイ像が見えました。リスボンを見渡すカトリックの記念碑で、リオ・デ・ジャネイロにあるコルコバードのキリスト像に触発されて造られたそうです。5キロ先の対岸の像がこの大きさで見えるのが驚きです。門の形をした台座だけで75メートルあって、その上にキリストの像が28メートルあるそうです。
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発見のモニュメントです。記念碑は52メートルの高さで、キャラベル船の船首の曲線に似せてあります。先頭のエンリケ航海王子の後方に、その他の同時代の探検家や芸術家、科学者に地図制作者や宣教師ら約30名のポルトガル人の像が並びます。
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日本人が普通に知っているのはエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマとフランシスコ・ザビエルとフェルディナンド・マゼランくらいです。
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エンリケ航海王子の視線の先には日本が見えていたのでしょうか。後年スリランカやマレーシアのマラッカやマカオを旅するとポルトガルの足跡が感じられ、エンリケ航海王子の事を思い出さずにはいられませんでした。
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モニュメントの上に登ってみました。
入口側は上から見るとウィンド・ローズと呼ばれる世界地図が見え、ポルトガルが到達した西暦の年号が記されています。テージョ川河口の先にはベレンの塔が見えます。 -
気持ちの良いレストランがあったので軽くお昼をいただきました。
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念願のベレンの塔です。この先はもう大西洋です。16世紀にマヌエル1世によってヴァスコ・ダ・ガマの世界一周の偉業を記念してテージョ川への船の出入りを監視する目的で造られた要塞です。
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目的は要塞でも柔らかい印象を受けるマヌエル様式の彫刻で覆われているので優雅な印象を受けます。見張り塔の屋根はカボチャか何かで、ロープで結んであるように見えます。同じような目的で造られたマルタ島のヴァレッタやキプロスの見張り塔とはイメージが違います。
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白く優美な外観は純白のドレスをまとった貴婦人に喩えられるのも頷けます。内部の見学に向かいましょう。
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テラスから建物を望むとディテールが手に取るように分かります。壁には国旗と同じ紋章が掲げられています。テラスに置かれた聖母子像も柔らかな印象を受けます。
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この辺りは車の通りが広いので地下道でし通りを渡れません。危険な感じはありませが、ストリートアートで覆われていました。
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この後国立古美術館によりました。見たかったヒエロニムス・ボスの「聖アントニヌスの誘惑」、ピーテル・ブリューゲルの作品が印象に残っています。グルベンキアン美術館の印象はラリックの装飾品だけでした。他にも素晴らしい物があった記憶はありますがラリックの作品以外は思い出せません。ラリック展で日本に来たのは知っていましたがあえて観に行きませんでした。リスボンに行っていない妻には勧めましたが、展示の仕方が良くなかったそうです。
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ポルトガル国内の移動はほとんどがバスが便利でした。列車を使ったのはリスボンからシントラへ行ったときとポルトからアヴェイロ、アヴェイロからヴィアナ・デ・カステロ、そしてサンチアゴ・デ・コンポステーラへの北部からスペインにかけてだけでした。
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