2002/10/13 - 2002/11/08
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kojikojiさん
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深夜にイスタンブールに到着した翌日は、小雨のせいもあって何もする気分になりませんでした。小学校の夏休みが終わる直前の8月30日の気分でした。まだ2日あるのか2日しかないのか、どちらにも考え方一つで転んでしまう感じです。と言ってもしなければならないことは沢山ありました。ギョレメで買ったキリムをメフメットの妹さんの旅行代理店に取りに行くことと、最初の日に買ったキリムと指輪も取りに行かなければなりません。スルタンアフメットの中をどれだけ行ったり来たり歩いたでしょうか。そして集まった荷物を見て呟きました。「これ、誰が持って帰るの?」
以前にイスタンブールだけを1週間観光したことがあって良かったです。一通りの観光地は見ていたので、考古学博物館とブルーモスクをもう一度見るくらいでした。多少元気も出てきたのでガラタ橋を渡ってタキシム広場まで散歩もしました。今回の旅で知り合った人も周りにはいなく、出発したときは夏だったイスタンブールも,どっぷり秋になっています。ラマダンが終わって家族や友人同士で食事に出掛ける人を見ると、余計に寂しい気持ちになりました。
しかし最後に大きな問題がありました。空港へのドルムシュで小さなザックを持った日本人の女性に出会いました。ちょうど隣の席しか空いていなかったので座って旅の話をしました。同じアエロフロートでもあったのでチェックインを一緒にお願いしました。二人で40キロの所「60キロオーバーなので追加料金を払わないといけない。」と言われました。そこから散々交渉しましたが埒があきませんでした。するとその日本人の女性が流暢なトルコ語で交渉してくれたのです。すると急に「しかたないね。現金であるだけで良いよ。」と言うことになりました。15ドルと3000万トルコリラしかなかったので約3,500円程で済みました。本当はキロ数千円なのでその方には感謝し切れませんので、モスクワでのトランジットで飲み物と成田でお昼ご飯、後日池袋のカッパドキアと言うレストランで夕食のお礼もさせていただきました。メフメットのペンダントのお陰だと思います。アラーのお導きだったのでしょう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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とうとうイスタンブールに帰って来てしまいました。
あまりにいろいろなことがあり過ぎた旅だったので、4期間の旅の割には疲れてしまいました。しかし最後にしなければならないこともあります。
ギョレメのメフメットさんが妹に託してくれたキリムとジジムを受け取りに彼女の勤めている旅行会社へ行きました。同じスルタンアフメットでも旅行の最初に買ったカーペット3枚担いでは疲れました。 -
旅行の最初に買物した絨毯の店では当然と言えば当然ですが、お茶を飲みながら、あた商品を見せられます。もうキリムもジジムもいらないと言うとこれは軽いよと言ってスザンニが広げられます。これも素晴らしくて欲しくなりましたが、お値段の素晴らしかったです。
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各所へのピックアップと荷造りで一日かかってしまいました。
全部集めてみたらとても一人で持てる量ではありません。空港でのチェックインの時に、今までいろいろなことを言って追加料金を払わないで来たけれどちょっと自信が持てませんでした。 -
問題はあってもお腹は空くので食事に出掛けました。
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ラマザンが終わる前の日でした。1か月前にスルタンアフメットの公園で建築が始まっていた屋台の建築もほとんど終わっていました。
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晩御飯は以前にイスタンブールに来た時も通ったシルケジ駅のオリエントエクスプレスというレストランにしました。
その時は雰囲気が最高だったし一人でも気兼ねなく入れたので、1週間の滞在のうちに2回も行きました。 -
駅の構内とは思えないインテリアです。パリのリヨン駅の「ル・トラン・ブルー」も伝説のレストランですが、この店も規模は小さいですが、旅情を感じるにはもってこいの店です。前回の旅ではカラキョイのベラパレスに1週間滞在し、泊まった部屋はマタ・ハリの部屋でした。アガサ・クリスティの部屋も見学させてもらいました。「オリエント急行殺人事件」を執筆した部屋です。「ナイル殺人事件」を執筆したアスワンのオールドカタラクトのスイートルームは20年後に見る事が出来ました。
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正面のガラス扉の先はホームです。ブルガリアからヨーロッパへと鉄路は続いています。しかし、この後ドイツ人の団体さんが100人ほどやってきて折角の雰囲気はぶち壊しでした。日本人のツアーでも利用するので見掛けたことがあります。
食事を楽しんで、酔っ払って飲み残しのワインの瓶を持ってホテルへの坂道を登るとフラフラになりました。 -
翌日は前回見られなかった考古学博物館に行くことにしました。ヒッポドロームを抜けていきます。ヒッポドロームはスルタンアフメット・ジャーミィの西側にあるローマの大競技場跡で、ここに縦500メートル横117メートルのU字型競技場があり、戦車競技が行われていました。この広場には3本の柱が建つ。一番北側にある高さ25.6メートルのテオドシウス1世のオベリスクはエジプトのカルナック神殿からローマ皇帝の命により運ばれたものです。
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トプカプ宮殿の正門である「帝王の門」の真ん前にある、「アフメット3世の泉亭」の前を通りがかりました。トプカプ宮殿は以前にも行っているので今回はパスです。1728年に当時のスルタン・アフメット3世が建てた泉亭で、オスマン帝国の華やかな文化が花開いた時代に造られた優美なロココ様式の外観が素晴らしいです。
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考古学博物館はかなり古い歴史を持ち、1869年に帝国博物館として設立されたのが始まりだそうです。当初はトプカプ宮殿の中庭にあるアヤ・イリニ教会にオープンし、その後に建物が手狭になってくると、タイル博物館として利用されている建物に移設されます。このタイル博物館建物は入口に1472年と書かれており、イスタンブールの市民建築物としては最古のものです。
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ここでも大好きなローマの皇帝であるハドリアヌス帝に再会できました。アンタルヤの考古学博物館で見た軍用の胴鎧ではなく、この像の胴鎧は優雅な雰囲気を称えています。
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アフロディシャスで出土したギガントマキのレリーフです。巨人はギガースあるいはギガンテスと呼ばれ、巨大で濃い毛を生やし、腰から下は竜の形をしています。この巨人はクロノスによりウラノスの性器が切り取られた際に滴り落ちた血をガイアが受胎し、産み落とされたものとされています。 ギガントマキアはギリシア神話における宇宙の支配権を巡る大戦で、巨人族ギガースたちとオリュンポスの神々が戦いを繰り広げた場面です。盾を持つ女神はアテナのようです。
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アフロディーテの像です。パリのルーブル美術館にはミロ島で発掘されたビーナス像が有名ですが、イスタンブールのビーナス像も優雅で美しいです。
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「タブニト王の石棺」には「王の眠りを妨げる者は皆呪われる。彼らとその血族はこの世界でも、また他のどの世界においても平和を見いだすことはないであろう。」と書かれているというのに、ミイラまで剥き出しで展示してあるので心配になってしまいます。
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紀元前4世紀頃のリキアの石棺は素晴らしいデザインです。蓋には美しい姿のスフィンクスが一対で描かれています。また腰部には戦うケンタウロスの姿が薄彫りで描かれています。ケンタウロス像の起源は東方の騎馬民族であるスキタイ人と戦ったギリシア人が、彼らを怪物視したものだという説もあるそうです。
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ギュスターブ・モローの描くスフィンクスのような気品と妖艶さを感じます。
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「アレキサンダー大王の石棺」に彫られた躍動感あふれる彫刻は一見の価値があります。ただこれは名前と異なり実際には古代フェニキア王国シドンの王、アブダロニモスの墓だと考えられているようです。 ガラスケースに入って陳列されているのは残念ですが見事な彫刻が施されています。
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アレキサンダーの石棺として真偽のほどは定かではないにも関わらず、この名が付いているのはその側面の彫刻のためで、マケドニアとペルシアの戦闘シーンやライオンと雄鹿狩りのシーンが描かれ、それぞれにアレキサンダー大王の姿が彫刻されています。
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この獅子の頭を被った人がアレキサンダー大王です。ナポリの考古学博物館のアレクサンダー大王がダレイオス3世率いるペルシア軍を屈服させた「イッソスの戦い」を想像させます。
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「嘆き悲しむ女性たちの石棺」
主人の死を悼む妻やハレムの愛妾18人の像が彫られています。紀元前3世紀のシドンで造られたものですが、悲しげな女性たちの姿に心打たれますが、羨ましくも感じます。 -
トロイの木馬の模型もありました。
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ギリシャやローマの素晴らしいもの以外にも展示hンは多いのですが、この当時は興味のあるものが片寄っていたうえに、フィルムの残りも少ないので写真も限られています。
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ここからはビザンチン美術の展示室を見学します。
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白大理石の美しい石版に色石を象嵌した素晴らしい作品です。イタリアのラヴェンナのサン・ヴィターレ教会の皇妃テオドラのモザイクを思い出しました。
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両肩の上の文字を読むとHAGIA EUDOCIAと書いてあります。ギリシャを長く旅しているうちにキリル文字が読めるようになっていて助けられます。アテネの哲学者レオンティウスの子アテナイスとして生まれ、古典文学などの素養を身につけます。父の死後に兄弟から相続財産がわずかしか分配されず、それを訴えにコンスタンティノープルへ出てきたところ彼女の見事な弁舌が、テオドシウス帝の姉プルケリアの関心をひき、彼女の女官に取り立てられ、テオドシウスの妻に推薦されます。
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このレリーフのデザインが気に入ったのと、その工業製品のような完璧な仕上がりに驚かされました。魚やイルカやアヒルのデザインがイラストチックなのも面白いです。
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モザイクも優れたものがありました。今回はアンタクヤで凄い物を沢山見ましたが、この博物館の収蔵品もグレードが高かったです。イラストっぽいローマの戦士の姿が可愛らしいです。
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このモザイクも素晴らしかったです。竪琴を引くのはオルフェウスで、周りには奏でる音楽に聴き入る動物や木々が描かれています。また、足元にはケンタウロスと笛を持ったパーンの姿もあります。
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ギリシャ悲劇や喜劇で使われる仮面も展示されていました。仮面の表情は世界中に共通するものを感じます。2時間ほど好きな時代の収蔵品を堪能しました。
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博物館の見学の後はまだ懲りずにグランドバザールとエジプシャンバザールにお土産を買いに行きました。エルマチャイ(りんご茶)とマロングラッセ(ケスターネ・シェケリ)を買いました。
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前の日に晩御飯を食べに来たシルケジ駅を通過します。正面から入るとレストランです。
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ガラタ橋を渡ってタキシム広場まで行くことにしました。
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先月ここからアジア側のハイダルパシャ駅に向かったときは暑かったのに、この日は小雨も降っているので晩秋のような気配です。
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雨なのでカラキョイ駅からトゥネル(地下鉄)で一気にイステクラル通りまで上がります。前にも登っているガラタ塔とペラパレスはパスです。ぺらパレスホテルはこの当時営業していなかったのだと思います。
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前の旅ではこの辺りの羊料理屋に入ったことがありました。メニューは羊の頭のタンドーリだけで、脳みそ付きと脳みそ無しが選べました。同じ料金なので脳みそ付きを注文しました。厨房にも連れていかれて調理前の羊の頭も見せてもらいました。出てきた料理は頭蓋骨は無かったので安心しましたが、大体の部位は想像できました。美味しかったのですが、大きめの肉片をどかしたら目が合ってしまい、そこからは食べる事が出来なくなった思えがあります。
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通りの古本屋でアラビア語で書かれたギリシャの地図を買い、それと2002年はガラタサライがヨーロッパチャンピオンだったので、オフィシャルショップを探してウェアなどを買いました。
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1997年の旅ではイスタンブールのどこかでA型肝炎に感染してしまいました。帰国後1週間で普段服を着ている部分(首から下、手首から上、足首から上)に湿疹が出ました。病院で検査するとγ-GTPの数値が200近くまで上がっていました。薬をもらって家で1週間ほど安静にしていたら治りましたが、その後体中の皮膚が全部剥けました。この時初めて爪も皮膚だったと感じましたが、手足の爪が伸びてくるとその全部に白い筋が入っていました。
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ガラタ橋を通るとスイスとトルコの映画「ジャーニー・オブ・ホープ」を思い出します。1990年のアカデミー外国語映画賞を受賞しています。クルド人の若い農民夫婦が親せきから送られた絵葉書を頼りにイタリア経由でスイスへ密入国して働こうとします。子供は親に預けるのですが、末っ子が離れずに仕方なく連れて行くことにします。
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イスタンブールまでたどり着いて、ブローカーと会うのがガラタ橋でした。現在のガラタ橋ではなく、2段になって下の段に店が並んでいた古いガラタ橋です。そんな映画のことを思い出しました。
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グランドバザール近くにアンティーク屋があったのを思い出して探してみました。記憶に会った場所と違ったので、大柄なオーナーにその話をすると3年前に現在の場所を移ったとの事でした。それがきっかけでお茶が出てきて・・・。話し込んでいると1週間後に大阪から京都に旅行することが分かりました。
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何するでもなくバザールの喧騒の中に身を置いていると、旅も終わりなのだなと身に沁みて思えてきました。
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ラマダン(断食)についてのスローガンのようなものが電飾で書かれてありました。
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スルタン・アフメット・モスクの周りに1ヶ月前から建てていたラマザンマーケットの店も完成したようで、地元の人は家族と思い思いに食事を楽しんでいます。
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イルミネーションも綺麗です。周りがにぎやかになるにつれてちょっとホームシックな気持ちにもなってきます。
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翌日は前の晩の賑わいが嘘のように静まり返っています。
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シチリアの馬車も同じようなデザインだったなと思いだします。
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ホテルに戻る前に少し時間があったのでブルーモスクへ行きました。デジカメではないので上手く写せませんでした。
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前にほとんどの観光地の見学は済んでいたので、イスタンブールではアヤ・ソフィアにも地下宮殿にもモザイク博物館にも行きませんでした。
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誰もいないブルーモスクに一人座り、楽しかった旅のことを思い返していました。
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今回のトルコ旅行は良い方向に旅が転がっていくのを感じられるものでした。出会った人の親切の上に座ったままのような申し訳の無さも感じました。トルコでこれ以上の旅は出来ないだろうと思って、15年以上再訪も叶っていません。
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最終日はホテルの送迎でドルムシュに乗って空港へ向かいました。運転手がびっくりするくらいの荷物を積んでもらいました。座席に着くと小さなザックを持った日本人の女性が座っていました。空港への道中に旅の話をして、日本までの預入荷物の20キロ枠をもらえることになりました。さらに重量オーバーしている荷物の料金交渉も通訳してもらって助けてもらいました。最後の最後まで誰かのお世話になりっぱなしの旅です。モスクワと成田で食事をご馳走して、後日トルコ料理屋さんでお礼もしました。そうまでして預けた荷物はモスクワでの乗り換えで置き去りになり、手ぶらで家に帰ることになりました。妻にも空港まで迎えに来てもらったのですが。おかげで航空会社持ちで荷物は宅急便で届きました。
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