2002/10/13 - 2002/11/08
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kojikojiさん
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イズミールには特別滞在したい所は無かったけれど、イスタンブール行きのフェリーの出発の曜日を合わせる為に3泊する必要がありました。他に行く所も無いので、エフェス遺跡とその周辺に行くことにしました。バスマネでチケットを買うとセルヴィスでオトガルまで送ってくれるのですが、このシステムは慣れてしまうととても便利です。イズミールのオトガルはとても巨大で乗り場は100以上あるようでした。クシャダシ行きのバスを途中のセルチュクで途中下車しました。エフェスは以前にギリシャのアテネからクルーズ船で来ていたのですが、セルチュクは初めてでしたし、博物館もヨハネ教会も見学できたので行って良かったと思いました。
ただ、帰りのバスは高速を走らない各駅停車だったので、午後7時か8時くらいにイズミールに戻れると思っていたらとんでもないことになりました。翌日はイズミール市内を見学して、港に行ってフェリーのチケットを買いに行きました。いやに閑散としていて警備員がトランプをしているので聞いてみると、「先週の便で今年のイスタンブール行きのフェリーは終わったよ。」との事でした。イズミールにもう1泊しても行く所もないので、ホテルに戻って部屋をキャンセルしてバスに乗ってイスタンブールへ行くことにしました。結果イスタンブールのオトガルに着いたのは、アンタルヤに続いて真夜中になってしまいました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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イズミールからクシャダシ行きのバスに乗りセルチュクで降りました。ここはエフェソスの遺跡と博物館のある小さな町です。最初にエフェソス考古学博物館に入りました。まずはマルクス・アウレリウス帝の胸像がお出迎えです。この皇帝はストア哲学などの学識に長けて良く国を治めた事からネルウァやトラヤヌス、ハドリアヌスとアントニヌスに並ぶ五賢帝と評価されています。
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ローマ時代のゲーム盤です。バックギャモンは2人プレイのボードゲームで、サイコロを振ってボード上のそれぞれ15個のコマを全て先にゴールさせた方が勝利となります。古代ローマ帝国では「Ludus duodecim scriptorum」というゲームが人気だったことがわかっており、現代のバックギャモンとほぼ同じルールを持っていたことから、人類史上初めて見つかった「バックギャモンの原型」と考えられています。
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エロスとクピドの展示室がありました。パムッカレのホテルの子供を思い出しました。どちらもいたずらっ子という共通点があります。
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絵にかいたような「イルカに乗った少年」ですね。これもエロスとクピドの展示室にありました。日本人のある年齢の人だと「海のトリトン」を連想すると思いますが、「イルカに乗ったエロス」です。
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この博物館には有名なアルテミス神像が2体収蔵されています。エフェソスを含む小アジアではキュベレーなどの大地母神信仰と混交し、独特なアルテミス崇拝が存在していたと想定されていたそうです。植物の豊穣や多産を掌る地母神としてのアルテミス崇拝でした。
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使徒パウロは「エペソス人への書簡」に、エフェソスの人々にキリスト教徒のあり方を語っているが、パウロはアルテミス信仰と正面から戦いを挑んでいたのでしょう。アンタクヤで立ち寄ったパウロの足跡を見た後ではなおさらそのことを感じます。また「使徒行伝」でもエフェソスにおける女神信仰の偶像崇拝について記してあります。
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この像を崇拝したたくさんの人々と同じように対峙すると不思議な気持ちになってきます。胸の乳房は雄牛の睾丸とも言われるそうですが、どちらも多産と豊穣を意味するのだと思います。過去にローマ郊外のティボリのヴィッラ・デステの庭園で胸の乳房のひとつひとつから水の出る噴水を見ているので乳房にしか感じられません。
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エフェソス考古学博物館には収蔵品25,000点余りのうちエフェソス遺跡やその周辺からの出土品約1000点が展示されています。展示品は住宅や泉や墓地など発掘場所別に展示してあります。周辺の遺跡の見学の前に立ち寄るのが良いと思います。
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博物館の見学の後は街中を抜けて、聖ヨハネ教会に行きました。「福音書・ヨハネ伝」によれば、十字架に架けられたイエスは、十二使徒のひとりであるヨハネに母親のマリアを託しました。「ヨハネ黙示録」には十二使徒がエルサレムから追放された後、ヨハネはエフェソスに赴き、西暦37~47年頃の間はアナトリア地方で布教活動をしたとされています。
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以前のエーゲ海クルーズではクシャダシ港からバスに乗ってエフェソス遺跡の見学の後に聖母マリアの住んだ家にも立ち寄りました。1967年にローマ教皇パウロ6世がこの家を訪れ、聖母に祈りを捧げたことによって、ローマ法王庁公認の聖地と認識されるようになりました。新約聖書の物語を知っていてこの辺りを旅すると、最高に面白いなと実感しました。
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聖パウロの殉教後に福音書を書きつづけた聖ヨハネが亡くなると、遺言によりこのアヤスルクの丘に埋葬されました。その後4世紀に教会が建てられ、6世紀にはユスティニアヌス帝によりバシリカが建造されます。現在はその一部しか残されていません。
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8世紀にアラブ人達が侵入してきて、この周辺にはアヤスルクの要塞が築かれました。現在は廃墟となっていますが内部には白大理石に囲まれた聖ヨハネの墓所が現存しています。
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4本の柱で囲まれたのが聖ヨハネのお墓です。今回はアンタクヤからエフェソスまでヨハネの足跡を辿った感じがします。日本からのトルコ周遊ツアーではエフェソス遺跡には立ち寄りますが、マリアの家やこの墓所などに立ち寄らないのがもったいないです。
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アヤスルクの丘からエフェソス遺跡の方を望みます。広大な農村地帯を越えて、かなり歩かなければならないのが分かりました。
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綿花畑の間の車道を延々と歩いてエフェス遺跡に向かいます。以前来たときはヘラクレスの柱の近くの入り口でしたが、今回は反対側の劇場側から入場しました。
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ここまで来れば前にも来ているので、どこに何があるか分かります。エフェソスは紀元前11世紀にイオニア(古代ギリシャ)人により建設され、紀元前10世紀には人が定着し始めます。紀元前700年頃には古代七大不思議の一つである「アルテミス神殿」が建設されて都市国家として発達していきます。
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紀元前133年にはローマ帝国の支配下に入って最盛期を迎えました。エフェソスには古代ギリシャやローマの遺跡が多く残っており、ギリシャ本土よりも保存状態が良く、都市が丸ごと残っています。通りを歩いていると、まるで2000年前の時代にタイムスリップしたかのような感じを覚えます。
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ローマ劇場には生まれて間もない仔犬がたくさんいました。
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どう見ても誰かが飼っているようには見えません。岩合光昭さんが来たらがっかりですね。エフェソスの遺跡では猫の姿は見掛けませんでした。
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ギリシャの遺跡にネコは付きものですが、トルコの遺跡では犬に出くわすことが多いです。エフェソスには二つの劇場があり、この大劇場は25000人が収容可能で、音響効果も抜群なので現在でもコンサートに利用されています。今回いくつもの劇場を見てきましたがここが最大だと思います。
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ジュリアス・カエサル(シーザー)とクレオパトラ7世が歩いたとされるアルカディアン通りは、儀式用に作られたというだけあってきらびやかな印象を受けます。元々はこの通り近くに古代の港がありましたが、現在は海岸線を見ることはできないほどの内陸になっています。
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数千年前の通りがそのままの姿で残っています。誰もいないこの通りで過去に思いを馳せます。午前中のクルーズ船のエクスカーションが集中する時間では絶対に見ることの出来ない姿です。
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有名な世界最古の看板です。この先に娼館があると言うような意味だそうです。ケルスス図書館の正面にあるのが娼婦の館の跡なので、行ってみましたがそれらしい遺跡はありませんでした。
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セルスス図書館の脇の日陰でスケッチをしていると、図書館の中で自分の絵を展示している女性に声を掛けられました。イスタンブールの作家の方で、しばらくここまでの旅のことなどを話ししました。図書館のレリーフの細かさや美しさには目を見張るものがありますが、午後になるとファサードが逆光になってしまいます。その点は午前中の方がきれいです。1万冊の蔵書を誇り、有名なアレキサンドリアやベルガマと並んで、ギリシャの三大図書館と称されました。
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セルスス図書館からクレテス通りに折れて、立ち並ぶ建物を見学していきます。ここはハドリアヌス神殿で、アーチの上部に女神ティケの姿が見えます。
クレテス通りにはクレオパトラの妹である「アルシノエ4世」の墓とされる場所もあります。アルシノエ4世は紀元前46年にカエサルの意向により死刑を免れて、エフェソスの居宅に幽閉されていましたが、紀元前44年にクレオパトラの意向により殺害されたという記録も残されています。 -
クレオパトラ7世は日本では絶世の美女とされますが、実際は美人ではなかったようです。ただその知性と才覚でローマ帝国のカエサルを調略していきます。この当時クレオパトラ7世はエジプト王だったプトレマイオス13世と結婚していました。長弟(姉弟婚)だったプトレマイオス13世とは後に内戦へと発展し、クレオパトラの勝利によりナイル川で溺死します。
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その後弟のプトレマイオス14世と結婚しますが、この弟も暗殺してしまいます。その後マルクス・アントニウスと結婚しますが、最終的には二人は自殺することになります。エフェソスはそんな歴史の舞台でもあります。エフェソスから地中海を南に渡れば終焉の地であるアレクサンドリアも近いのだと感じます。
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左手に見えてくるのがトラヤヌスの泉です。2世紀に作られた高さ12メートルの2階建てで、皇帝トラヤヌスに捧げられたものでした。前面に残る大理石の巨大な水槽跡から、滔々と水が流されていたことが分かっています。
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当時の色がそのまま残っています。往時のこの通りはさぞ美しかったのではないでしょうか。ギリシャ彫刻は白い大理石でできているという印象はイギリス人が考えたことで、彫刻に残っていた彩色を削り取ったことは大英博物館のエルギン・マーブルで有名な話です。
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ほとんど原形をとどめないトミティアヌス神殿です。2本の柱の間に高さ7mのドミティアヌス帝像が立っていたとされます。
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メインストリートを歩いていても観光客の姿はほとんどありません。まるで遺跡を貸し切った気分になってきました。
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石柱に獅子の毛皮をまとっているヘラクレスが彫られている「ヘラクレスの門」まで来たところで先に行くのはやめにします。この先が出口になっているのは以前来た時に知っています。
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勝利を神格化した存在である女神ニケの像です。アテナと混同され、勝利の女神としてのアテナ神の別称とされることもあります。ローマではウィクトリアと呼ばれ、ニケを英語読みするとナイキというわけです。
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アフリカとの交易も盛んだったのでしょうかバナナのレリーフもありました。そういえばタシュシュからアンタルヤへバスで移動する途中、バナナの屋台がたくさんあるところを通り過ぎたので、トルコでバナナの栽培も出来るのかもしれません。
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遺跡の出口で絵葉書と切手を買って、来た時とは違う道をオトガルに向かいます。こちらも見渡す限り綿花畑です。
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ヨハネ教会の向こうの山頂に城砦が見えます。地球の歩き方には特に何も説明がありませんでしたが気になる所でした。
イズミールへの帰りのバスを良く確認しなかったので、高速を走る急行ではなくて小さな村を回っていく普通バスに乗ってしまいました。出発時間は早かったけど、到着は2時間近く余分にかかりました。 -
翌朝はイズミールの市内観光に出掛けた途端に火事に出くわしました。
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結構大きな火事になりました。
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市内観光の大きな目的はイズミールの考古学博物館の見学です。コナック広場のそばにある考古学博物館では古代のアゴラポに立っていたポセイドンやデメテルの像など、古美術のコレクションが充実しています。 今回の旅ではいろいろな博物館で数多くの彫刻を見ることが出来ました。
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エロス(クピド)がモチーフになった石棺も数多くありました。
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髭面の胸像と起立する陽根を有する角柱はヘルマと呼ばれ、路傍や畑の境界などに立てられ、境界を示す石であるとともに農民や牧人が豊饒多産を祈願する神霊の像であったとも推測されます。ヘルメスの原始的形態を示すともされます。
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博物館の見学の後はイスタンブール行きのフェリーの切符を買いに行きました。フェリーターミナルがいやに閑散としていて、チケット売り場も閉まっています。警備員がトランプをしているので尋ねててみると、「先週の便で今年のイスタンブール行きのフェリーは終わったよ。」と言われてしまいました。
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仲の悪いギリシャが近い港なので、トルコ海軍の軍艦がたくさん停泊していました。
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コナック広場にはイズミールのシンボルであるサアアットゥ・クレシ(時計塔)があります。スルタン・アブデュルハミトからの寄贈により1901年に建設されたこの塔には、後期オスマン様式の装飾が精巧に施されています。
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結果イスタンブール行きのフェリーは無いので、荷物をまとめてバスでイスタンブールに向かいました。お昼過ぎの12時半にイズミールを出て、イスタンブールに着いたのは午後10時を回っていました。今から思えばアジア側のハイダルパシャ駅の近くで降りて、フェリーでボスポラスを渡った方が1時間は早かったと思います。ハイダルパシャ駅を出た後にボスポラス海峡大橋を渡って、ヨーロッパ側の街外れのオトガルまでは1時間近くかかりました。トラムに乗って懐かしいスルタナフメットに出て、タシュコナックホテルで事情を言うと快く部屋を用意してくれました。
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