2009/06/21 - 2009/06/27
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旅人のくまさんさん
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敦煌市外の玉門関と陽関の見学です。最初に玉門関を目指しました。いずれも砂漠のオアシスだった場所です。
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旅行4日目の朝です。2泊した敦煌賓館でのバイキング方式の朝食です。トマト、キュウリ、ピーマンやトウモロコシなど、野菜もたっぷり戴きました。
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横から眺めた、敦煌賓館の文字が揮毫された門の光景です。脇で涼しげな噴水が噴き上げていました。現地時間は8時20分過ぎ、そろそろ今日の見学に出発です。
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現地時刻は9時少し前、玉門関見学の向かう途中の道路脇の光景です。工場らしい長い塀が続いていました。左手では、建物外壁の塗装作業が行われていました。
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玉門観に向かうバスの中からの光景が続きます。資材置き場の様な一角も、長い塀で囲われていました。
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人家がなくなり砂漠の光景になりました。この光景が、現地ガイドさんが説明されていた、小石混じりの『ゴビ』の光景のようです。
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『ゴビ』の光景が続きます。モンゴル語の『ゴビ』は、『沙漠、乾燥した土地、礫が広がる草原』の意味とされます。日本での呼び名の『ゴビ砂漠』は、中国の内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる東西約1600キロ、南北約970キロ、世界で4番目の大きさの砂漠です。
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道路の中央に建物が見えてきました。この建物が玉門関見学の改札ゲートになっていました。
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玉門関見学の改札ゲートを過ぎた後も、玉門関まではかなりの距離がありました。朝一番の見学ですから、行き交う車は全くありませんでした。
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この光景も、モンゴル語の『ゴビ』のようです。『礫が広がる草原』に相当するようです。遠くにはなだらかな山並みが見えました。
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玉門観に到着しました。右手に殺風景な『玉門関』の看板がありました。左手の案内看板には、4キロの地点に漢長城があることが記されていました。漢王朝は紀元前202〜紀元220年に存在しました。日本では弥生時代から卑弥呼の時代です。
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看板があった場所から緩い坂道を下ったところが玉門関の入口でした。
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玉門関入口付近の光景です。木陰に小さな奇石や化石などを販売していたお店がありました。
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化石や奇石が並べられていた台の頭上の光景です。青空を掃いたような白い雲と、葉裏が銀色に輝く樹木の光景です。
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玉門漢の入口付近に屯していた地元の方達です。仕事の打合せのようでした。
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打合せが済んだのでしょうか、全員トラックに乗って出掛けて行きました。
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見学用に造られた玉門関の出入口光景です。玉門関の時代を考慮したような出入口の建物光景でした。
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出入口の建物の屋根部分のアップ光景です。ッ暗くなった軒下の部分ですが、『玉門関』の扁額がありました。
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見学者サービスの品々です。古代の武器が並んでいました。金属製ですが、刃は研いでありませんでした。
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玉門関の入口付近で咲いていた赤い花です。名前は分かりませんでしたが、マメ科の植物のようです。
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玉門関遺跡の光景です。敦煌からは北西約90キロに位置します。『小方盤城』の別名を持ちます。最初は漢代に武帝が河西回廊を防衛する目的で造られ、唐代にも2度建設されました。
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方角を変えて撮影した玉門関の光景です。一辺が25メートル、高さが10メートルほどの真四角な造りで、西側と北側に入口があります。1988年に全国重点文物保護単位に指定されました。
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少し近くから撮影した玉門関遺跡の光景です。土を突き固めて作られた建築物です。盛時には二万以上の兵が周りに駐屯していたとされます。
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思い思いに遺跡を見学されたり、記念撮影をされる同行の皆さん方です。
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直近から眺めた、玉門関の光景です。現在見ることが出来る遺跡は、唐代に造られたものとされます。
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玉門関の出入口のようです。周囲が鉄柵で囲われていましたので、入場しての見学は出来ませんでした。
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灌木や草が一面に生えていた玉門関付近の光景です。棘が一杯のラクダソウ(駱駝草)の姿もありました。
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小高い場所から眺めた光景です。岩山の光景に見えますが、これも玉門関と関連する遺跡の1つかもしれません。
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大きな蟻が出入りしていた巣穴付近の光景です。巣穴の上の白い石の周りに3匹ほどの姿が見えます。噛まれたら、大量の蟻酸で痛そうでした。
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玉門関を詠った漢詩が刻まれた石碑です。唐代の詩人、王之渙(696〜?年)の七言絶句、涼州詩でした。
黄河遠上白雲間
一片孤城萬仞山
羌笛何須怨楊柳
春風不渡玉門關
読み方は、次の通りです。
黄河遠く上る白雲の間
一片の孤城万仭の山
羌笛何ぞ須(もち)いん楊柳を怨むを
春風度らず玉門関
(注1) 羌笛(きょうてき)は、異民族の笛です。
(注2)揚柳は、『折揚柳』、別れの曲です。 -
三々五々に玉門関の見学から戻られる、ツアー同行の皆さん方です。歴史に興味がなければ退屈する遺跡見学ですが、皆さん熱心な見学でした。
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