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高昌故城に続いてアスターナ古墳群を見学しました。古墳は役人、商人と庶民クラスで内装などが異なっていました。更にその後は、火焔山方面に移動し、ベゼクリフ千仏洞を見学しました。<br />ところで、中国はイタリアと並んで世界遺産登録数が40を超えていますが、暫定リストへの登録数も数多くあります。シルクロードに関連する部分をざっとピックアップしても、次の通りです。<br />①シルクロードの中国部分(2008年3月):文化遺産<br /> 白馬寺、玉門関、高昌故城、アスターナ古墳群等。<br />②明・清の城壁(2008年3月):文化遺産<br /> 西安城壁等<br />③カレーズ井戸(2008年3月):文化遺産<br />④新疆の天山山脈(2010年1月):自然遺産<br />

2009夏、中国旅行記16(29/39:シルクロード):6月25日(3):トルファン、高昌故城、アスターナ古墳群、火焔山、ベゼクリフ千仏洞

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2009/06/21 - 2009/06/27

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

高昌故城に続いてアスターナ古墳群を見学しました。古墳は役人、商人と庶民クラスで内装などが異なっていました。更にその後は、火焔山方面に移動し、ベゼクリフ千仏洞を見学しました。
ところで、中国はイタリアと並んで世界遺産登録数が40を超えていますが、暫定リストへの登録数も数多くあります。シルクロードに関連する部分をざっとピックアップしても、次の通りです。
①シルクロードの中国部分(2008年3月):文化遺産
 白馬寺、玉門関、高昌故城、アスターナ古墳群等。
②明・清の城壁(2008年3月):文化遺産
 西安城壁等
③カレーズ井戸(2008年3月):文化遺産
④新疆の天山山脈(2010年1月):自然遺産

交通手段
観光バス
  • まだ高昌故城の近くでの撮影です。部屋の中に『高昌故城管理処』の表札が懸かっていた建物です。

    まだ高昌故城の近くでの撮影です。部屋の中に『高昌故城管理処』の表札が懸かっていた建物です。

  • 濃い緑色に塗られた郵便ポストです。『中国郵政』の名前が記された現役の郵便ポストです。

    濃い緑色に塗られた郵便ポストです。『中国郵政』の名前が記された現役の郵便ポストです。

  • 高昌故城の見学を終えて、次のアスターナ古墳群に向かう途中での光景です。どちらも世界文化遺産の暫定リストに登録された遺跡です。この立派な石造りの塀は、既にアスターナ古墳群の施設に関連するものかも知れません。

    高昌故城の見学を終えて、次のアスターナ古墳群に向かう途中での光景です。どちらも世界文化遺産の暫定リストに登録された遺跡です。この立派な石造りの塀は、既にアスターナ古墳群の施設に関連するものかも知れません。

  • 同じく、アスターナ古墳群近くの光景です。この古墳の広さは10平方キロに及び、唐代の墳墓を中心に約2000基があります。因みに、アスターナは、ウイグル語で『眠い』の意味とされます。『首府』の意味があるとのネット情報もありました。

    同じく、アスターナ古墳群近くの光景です。この古墳の広さは10平方キロに及び、唐代の墳墓を中心に約2000基があります。因みに、アスターナは、ウイグル語で『眠い』の意味とされます。『首府』の意味があるとのネット情報もありました。

  • アスターナ古墳群に到着しました。アスターナの漢字表記は、『阿斯塔那』でした。ウイグル語を音訳したもののようです。アラビア文字での表記もありました。

    アスターナ古墳群に到着しました。アスターナの漢字表記は、『阿斯塔那』でした。ウイグル語を音訳したもののようです。アラビア文字での表記もありました。

  • アスターナ古墳群の説明看板です。設置されて間がない新品でした。高昌故城から約2キロ、古くは秦時代の273年から、唐時代の778年までの500年に亘る墳墓であること等が記されていました。

    アスターナ古墳群の説明看板です。設置されて間がない新品でした。高昌故城から約2キロ、古くは秦時代の273年から、唐時代の778年までの500年に亘る墳墓であること等が記されていました。

  • 『墓葬平面示意図』のタイトルがあった、新しい造りの説明プレートです。多分、大きな墓の例でしょう。墓道→墓門→井天→左右の耳室→主墓室の構造が図示されていました。墓道が石造りの下り階段です。

    『墓葬平面示意図』のタイトルがあった、新しい造りの説明プレートです。多分、大きな墓の例でしょう。墓道→墓門→井天→左右の耳室→主墓室の構造が図示されていました。墓道が石造りの下り階段です。

  • 説明プレートで、現地ガイドさんの説明で一通りの知識を得て、これからが実物の見学です。アスターナ古墳群区域への出入口の光景です。扉はありませんでした。

    説明プレートで、現地ガイドさんの説明で一通りの知識を得て、これからが実物の見学です。アスターナ古墳群区域への出入口の光景です。扉はありませんでした。

  • アスターナ古墳群区域の光景です。2000基の内、40%くらいが発掘調査を終えたようです。

    アスターナ古墳群区域の光景です。2000基の内、40%くらいが発掘調査を終えたようです。

  • アスターナ古墳群区域の光景です。墳墓らしい独特の雰囲気を持った塑像がありました。オリジナル品ではなく、発掘調査や資料などを元に再現された像のようです。

    アスターナ古墳群区域の光景です。墳墓らしい独特の雰囲気を持った塑像がありました。オリジナル品ではなく、発掘調査や資料などを元に再現された像のようです。

  • 伏義(ふくぎ)と女禍(じょか)と呼ばれる像です。モデルはこの墳墓から出土した画が元になっているようです。アダムとイブやノアの箱舟に似た説話を持つとされます。右側の伏義が曲尺(定規)、左側の女禍がコンパスを手にしています。周りには、干支像もありました。

    伏義(ふくぎ)と女禍(じょか)と呼ばれる像です。モデルはこの墳墓から出土した画が元になっているようです。アダムとイブやノアの箱舟に似た説話を持つとされます。右側の伏義が曲尺(定規)、左側の女禍がコンパスを手にしています。周りには、干支像もありました。

  • 現在も発掘調査中のアスターナ古墳群区域の光景です。現在は2箇所だけか公開されていませんが、発掘調査が進めば増える可能性もあります。

    現在も発掘調査中のアスターナ古墳群区域の光景です。現在は2箇所だけか公開されていませんが、発掘調査が進めば増える可能性もあります。

  • 同じく、現在も発掘調査中のアスターナ古墳群区域の光景です。作業用と、見学用を兼ねたような石畳の通路が造られていました。

    同じく、現在も発掘調査中のアスターナ古墳群区域の光景です。作業用と、見学用を兼ねたような石畳の通路が造られていました。

  • 発掘調査中のアスターナ古墳群区域の光景が続きます。低い石垣や溝は、発掘作業中に出現した遺構のようです。

    発掘調査中のアスターナ古墳群区域の光景が続きます。低い石垣や溝は、発掘作業中に出現した遺構のようです。

  • アスターナ古墳群区域の境界を示す石塀のようです。その先に展望台の様な施設がありました。

    アスターナ古墳群区域の境界を示す石塀のようです。その先に展望台の様な施設がありました。

  • 石塀と展望台のアップ光景です。展望台らしい塔は複数設けられていましたが、登るのは止めました

    石塀と展望台のアップ光景です。展望台らしい塔は複数設けられていましたが、登るのは止めました

  • 墓番号、73TAM210の説明看板です。主な項目を拾い読みして、箇条書きにします。役人だった人の墓のようです。<br />①年代:唐代(618~907年)<br />②全長:20.05メートル、深さ:5.55メートル<br />③出土品:木椀、木罐、木梳、銅鏡柄等<br />④埋葬形態:夫婦葬<br />

    墓番号、73TAM210の説明看板です。主な項目を拾い読みして、箇条書きにします。役人だった人の墓のようです。
    ①年代:唐代(618~907年)
    ②全長:20.05メートル、深さ:5.55メートル
    ③出土品:木椀、木罐、木梳、銅鏡柄等
    ④埋葬形態:夫婦葬

  • 内部を見学した墳墓の入口光景です。内部の撮影は禁止されていました。

    内部を見学した墳墓の入口光景です。内部の撮影は禁止されていました。

  • アスターナ古墳群の紹介はこれでおしまいです。墓地の中にあった大きな擂り鉢状の穴です。蟻の姿は写っていませんが、蟻を狙った蟻地獄の穴のようです。蟻地獄は、成長すればウスバカゲロウ(薄翅蜉蝣)になります。

    アスターナ古墳群の紹介はこれでおしまいです。墓地の中にあった大きな擂り鉢状の穴です。蟻の姿は写っていませんが、蟻を狙った蟻地獄の穴のようです。蟻地獄は、成長すればウスバカゲロウ(薄翅蜉蝣)になります。

  • アスターナ古墳群の見学の次は、ベゼクリフ千仏洞です。その近くにあった火焔山の光景です。西遊記でお馴染の山です。砂岩が浸食されて出来た赤い地肌に、炎の様な文様があることからの呼び名です。

    アスターナ古墳群の見学の次は、ベゼクリフ千仏洞です。その近くにあった火焔山の光景です。西遊記でお馴染の山です。砂岩が浸食されて出来た赤い地肌に、炎の様な文様があることからの呼び名です。

  • 火焔山の周りの光景です。孫悟空が登場する西遊記では、炎が上がる山として描かれています。

    火焔山の周りの光景です。孫悟空が登場する西遊記では、炎が上がる山として描かれています。

  • 灼熱地獄を取り仕切るような、火焔山の威容です。漢時代の古い伝承によれば、火焔山はサルの王が天界で窯をひっくり返し、その残り火が地上に落ちたものと伝わります。

    灼熱地獄を取り仕切るような、火焔山の威容です。漢時代の古い伝承によれば、火焔山はサルの王が天界で窯をひっくり返し、その残り火が地上に落ちたものと伝わります。

  • 火焔山の岩肌のアップ光景です。平均標高は約500メートル、比較的平らな山頂が、長さ98キロ、幅9キロに亘って続きます。

    火焔山の岩肌のアップ光景です。平均標高は約500メートル、比較的平らな山頂が、長さ98キロ、幅9キロに亘って続きます。

  • 同じく、火焔山の岩肌のアップ光景です。この特徴的な地形は、火山活動による溶岩が、長年に亘ってガリ侵食などで削られてできたものです。雨水によるガリ侵食で出来た地形は、『雨裂』とも呼ばれます。

    同じく、火焔山の岩肌のアップ光景です。この特徴的な地形は、火山活動による溶岩が、長年に亘ってガリ侵食などで削られてできたものです。雨水によるガリ侵食で出来た地形は、『雨裂』とも呼ばれます。

  • 火焔山の標識と、その近くにいた観光用のラクダさんです。標識は、ラクダに乗っての記念撮影のために設置されているようでした。

    火焔山の標識と、その近くにいた観光用のラクダさんです。標識は、ラクダに乗っての記念撮影のために設置されているようでした。

  • 日本の富士山を連想させるような山の姿です。一年中、赤富士の光景の火焔山です。

    日本の富士山を連想させるような山の姿です。一年中、赤富士の光景の火焔山です。

  • 火焔山は、頂上が平らなことが特徴とされます。この山も典型的な平らな頂上をしていました。

    火焔山は、頂上が平らなことが特徴とされます。この山も典型的な平らな頂上をしていました。

  • 火焔山の近くにあったベゼクリフ千仏像の石碑です。1982年に国務院から全国重点文物保存単位に指定されたことなどが記してありました。

    火焔山の近くにあったベゼクリフ千仏像の石碑です。1982年に国務院から全国重点文物保存単位に指定されたことなどが記してありました。

  • 崖の上から見下ろした場所にベゼクリフ千仏洞の石窟入口が見えました。更に深い谷の中間でした。火焔山の中腹に当たる場所です。

    崖の上から見下ろした場所にベゼクリフ千仏洞の石窟入口が見えました。更に深い谷の中間でした。火焔山の中腹に当たる場所です。

  • カメラでズームアップした、ベゼクリフ千仏洞の入口付近の光景です。内部の写真撮影は禁止でしたが、この後、もう少し詳しく紹介します。

    カメラでズームアップした、ベゼクリフ千仏洞の入口付近の光景です。内部の写真撮影は禁止でしたが、この後、もう少し詳しく紹介します。

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