2008/02/09 - 2008/02/09
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SUR SHANGHAIさん
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この日は朝からサンダカン周辺巡りで、内容の濃い一日。
サンダカンの町自体は小さくても、日本とは歴史的接点が多い町。
山崎朋子氏著の『サンダカン八番娼館』『サンダカンの墓』とも関わりの深い日本人墓地もその一つ。
第二次世界大戦中には日本軍がオーストラリア人捕虜、イギリス人捕虜を収容していた収容所跡が戦争記念公園になっていると聞いたので訪れてみようと思います。
その収容所は、大戦末期の≪サンダカン死の行進≫の出発点でもあったのだそう。
その死の行進とは何だったのか…。
表紙の画像は、サンダカンの町にある三聖宮に捧げられたロウソクの灯。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
この日は見学内容がとても濃い日。
前々編でサンダカンの日本人墓地、前編でアグネス・キースの家やセピロック・オランウータン・リハビリテーション・センター+αを見学したSURSHANGHAIとその旦那。
お次はサンダカン空港近くにある戦争記念公園へ。
画像に見えているのは、サンダカンの町の入口のゲート。
それにしても今日のこの蒸し暑さ。
旦那は元々汗かきだけど、今日はもう黒いシャツに塩が白く浮き出して見えるほどだった。 -
サンダカンの戦争記念公園は、サンダカン空港とワニ園の間の脇道を入って行くらしい。
気を付けて見ていたはずなのに、見落としてしまったらしく、いつのまにかサバ・サンダカン・ホテルの近くまで来てしまっていた。^^ゞ
慌てて引き返して行くと、今度はちゃんと標識が出ていた。
何でさっきは気付かなかったんだろう。
茶色い標識にマレー語と英語で
TAMAN PERINGATAN PERANG SANDAKAN、
SANDAKAN WAR MEMORIAL PARK と出ています。 -
上の画像の標識に従って脇道に入って行くと、新興住宅地になりつつあるような街並み。
ここに元日本軍の捕虜収容所だった戦争記念公園が本当にあるんだろうか…。
ゆっくり車を進めて行くと、この画像で見えている白い柵に囲まれた場所がそうでした。 -
入口右側の柵の下にP.O.W.ROUTEと書いてある、元日本軍の捕虜収容所だった戦争記念公園。
注: P.O.W.と言うのはPRISONER OF WARの略で、戦争捕虜のこと。
左手に見えている標識には「サバ州政府は、この土地、サンダカン死の行進、及びラナウで亡くなった捕虜、及び地元民の犠牲を追悼するために、ここを記念公園とする。」という旨の文章が英語で出ていました。
マレー語の文章もその下に出ていましたが、記載内容は同じなのだと思います。
注: ここで言う捕虜というのは、1942年2月に陥落したシンガポールから送られてきた捕虜のこと。
この旅行記の中で後述しようと思います。
この戦争記念公園は毎日9:00〜17:00まで。
入場無料。
敷地内の追悼パビリオンでは英語版資料が手に入ります。
画像左上に出ている標識はマレー語で書かれていましたが、この公園の管理上の連絡先などが書かれてあるようでした。 -
これはサンダカンの戦争記念公園入口そばにあった記念碑。
この碑の上に示されているのは、≪サンダカン死の行進≫だったルート。
この戦争記念公園は、第二次世界大戦中の1942年から日本軍がオーストラリアとイギリスの捕虜を収容していた捕虜収容所だった以外に、大戦末期には捕虜たちをサンダカンから260km離れたラナウまで移動させた時の≪サンダカン死の行進≫の出発点でもあったので、それを示すこの碑も作られたのだと思います。
元画像で見てもそのルートや文字が見えにくいので、青の点線と赤い数字でルートを示してみました。
1: サンダカン空港
2: 8マイル (注:これは8マイルという地名で、この元捕虜収容所跡=戦争記念公園がある場所。)
3: ムアノド川(MUANOD RIVER)
4: ミルル(MIRURU)
5: トムピオス(TOMPIOS)
6: パギナタン(PAGINATAN)
7: ラナウ(RANAU) -
上の方に出した画像にある入口から戦争記念公園に入ると、最初は大きな池に沿った歩道。
知らずに見たら、普通の公園のよう。
向こうに何人かいる場所から先は、小高い丘のようになったジャングル。
歩道が付いているので、迷う事はありませんでした。
1時間ほどあれば十分見て回れると思います。
売店などは見かけなかったので、飲み物や防虫スプレー、汗をぬぐうタオルなどを持って行くといいですよ。 -
上の画像で数人が立っていた辺りにはサンダカン戦争記念公園の見取り図が出ていました。
その図の画像は今ひとつはっきりしないので、敷地内の追悼パビリオンに置いてあったパンフレットの図でご紹介します。
画像をクリックして元画像で見てみると、文字もはっきり表示されます。
この図だと左下が記念公園の入口。
そこから出ている黒い実線が敷地を巡る歩道。
その歩道沿いに捕虜収容所だった1942年から43年当時の遺物や、建物、後に造られた追悼パビリオンなどがあります。
薄青い四角形が集中している場所はバラックで、オーストラリア人捕虜用、イギリス人捕虜用に分かれているほか、日本軍用のバラックなどの場所も出ています。
このパンフレットに出ていた説明によると、第二次世界大戦中の1942年2月にシンガポールが陥落した後、約2700名のオーストラリア人捕虜・イギリス人捕虜がこのサンダカンの捕虜収容所に送り込まれ、日本軍の軍用空港建設に駆り出されたのだそう。 -
戦争記念公園内の歩道は、敷地外側の住宅地からジョギングにやって来る人も結構たくさん。
そんな人の流れが途絶えると、途端に鬱蒼としたジャングルの雰囲気。
この敷地のすぐ外側に車道や住宅、それに空港も近くにあるのが信じられないくらい。
こんな道脇には、日本軍の食糧倉庫や厨房だったらしい場所などもありました。 -
戦争記念公園内にあった追悼記念碑。
「この土地、サンダカン死の行進、及びラナウで亡くなった人々を記念する。」という旨の英文が彫られていました。
この記念碑の近くにあった標識によると、この記念公園設立には、OLD SANDAKAN'S ASSOCIATION OF AUSTRALIAのメンバーや、同じくオーストラリアのTHE SANDAKAN MEMORIAL FOUNDATIONも寄与しているようです。
その大きな記念碑を見上げているのは、サンダカンを訪れた人々? -
これは、戦争記念公園内にある追悼パビリオンでいただいた説明パンフレット。実際にはもっと緑がかった色合いですが、スキャンしたところ青くなってしまいました。
このパンフレットは、オーストラリア政府のDEPARTMENT OF VETERANS' AFFAIRSで作成された物。
その表紙には数種類の花の絵柄が出ていますが、よく見てみると、オーストラリアの国花のテロペア(ワラタ)、イギリスの国花のバラ、マレーシアの国花のハイビスカスが組み合わされているようです。
上の画像の大きな追悼記念碑にも、これと同じ絵柄が彫られていました。
日本軍の捕虜となって送り込まれて来たオーストラリア人やイギリス人、このサンダカンがあるマレーシアの人々を一緒に追悼するという意味が込められているのだと思います。
追悼パビリオンには、第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけてのサンダカン捕虜収容所や≪サンダカン死の行進≫の歴史が写真と解説(英語、マレー語)付きで出ています。
今は戦争記念公園になったこの元捕虜収容所に2700名のオーストラリア人捕虜とイギリス人捕虜が送り込まれて来たのは、1942年2月のシンガポール陥落後。
サンダカンでは日本軍の軍用空港建設のために過酷な労働を強いられ、それが元で亡くなった人々も多かったようです。
1944年末には連合軍の攻撃によってその空港も爆破され、日本軍は260km離れたラナウへ移動を決意。
1945年の1月から6月にかけ、捕虜にも強制されたサンダカンからラナウへの移動の行進が≪サンダカン死の行進≫だったようです。
ラナウ近くのクンダサンという場所にも、同じような戦争記念公園があるらしいので、この翌日コタ・キナバルへ戻る途中に寄ってみようと思います。 -
イチオシ
戦争記念公園内にある追悼パビリオン内部。
熱帯の風物を表したステンド・グラスが美しい。
でもよく見ると、捕虜たちが力無く歩いて行くシルエットも混じる怖い絵。
追悼パビリオンの中の展示を見ると、元捕虜収容所だった1942年から45年当時の様子、その後の≪サンダカン死の行進≫の悲惨さが写真や英文・マレー語文で紹介されていました。
説明によると、1943年終わりには2500人いた捕虜のうち生き残ったのは、1945年6月の≪サンダカンの死の行進≫から別々に脱走した2人のオーストラリア人と、1945年7月にラナウ収容所を脱走した4人のオーストラリア人の計6名だけ。
その6名の名や顔写真、日本兵の名や顔写真なども展示されていましたが、ここでは掲載はしないでおこうと思います。 -
イチオシ
戦争記念公園内にある追悼記念パビリオン。
上の画像と同じ扉部分。
黒いアイアンの装飾は、やはりオーストラリアの国花テロペア(ワラタ)、イギリスの国花のバラ、マレーシアの国花のハイビスカスの花。
その中に混じるのはLEST WE FORGET.(直訳すると「我々が忘れてしまわないように。」)の言葉と、そのマレー語文らしき言葉。 -
戦争記念公園の追悼パビリオンの中には、1942年から45年当時の捕虜収容所全体の模型も展示されていました。
天井の照明がガラス板に反射して見えにくい部分もありますが、画像左寄りに固まって見える建物群はオーストラリア人捕虜のバラックで、その広場に聳えているのはビッグ・ツリーと呼ばれていた木。
その木の堂々たる大きさに心の慰めを得ていた捕虜も多かったのだそう。
戦後にはその木も倒されたということで、無くなっていました。 -
これは、同じく戦争記念公園内にある遺物。
ボイラーや発電機があった場所だそうです。 -
これも戦争記念公園内にあるショベル・カー。
故障したままで放置され、二度と使われる事が無かったというエピソードがあるようです。
戦争記念公園を一通り見終えたSUR SHANGHAIとその旦那。
これで今日予定していた場所の見学は終えたので、サンダカンの町へと戻ります。 -
サンダカンの町に戻って、サンダカン遺産博物館のあたりで見つけたサム・シン・クン寺。
漢字で書くと三聖宮。
サンダカンの華僑は、中国広東省東部の潮州出身者が多いようだから、サム・シン・クンという発音は広東語かな?
真っ赤な門のすぐ隣にアパートが立っているのがシュール。
参拝できる時間は7:00〜16:00。
この日はもう閉まっていたのですが、翌日の朝にまた行ってみた時の様子をこの日の旅行記に入れておこうと思います。 -
イチオシ
三聖宮は小さいお寺さん。
航海の守り神の女神である媽祖(清代には天后に封ぜられた)も祀ってあるようなので、道教のお寺さんなのだと思います。
祭壇近くにずらりと並んだロウソクの揺らめく炎。
瞑想に誘われそう。 -
三聖宮に入ってすぐの場所に祀られていた神様。
道教の神様はたくさんいらっしゃるので、この神様はどちら様なのかSUR SHANGHAIには ・・?
サンダカンは小さい町ながら、道教のお寺さん以外にも、イスラム教のモスク、カトリックの教会もあって、宗教色が濃い感じ。 -
三聖宮付属の義祠という祠の中に並んでいたのは、日本で言うと位牌に当たるもの。
本名らしき名の下に、之神位と続けて書いてありました。
位牌がずらりと並ぶ祠の中に溢れる静けさ。 -
イチオシ
三聖宮の外側には、釣鐘型渦巻き線香を下げるために簡単な屋根が架けてある場所があった。
小さいお寺さんなのに、参拝に来て線香を下げていく人は多いらしい。
いくつもいくつも下がる線香がゆらゆら…。 -
三聖宮は、この通り小さいお寺さん。
一度に大勢一緒に参拝に来るわけではなく、三々五々何かのついでに立ち寄ってお参りをしていくと言った感じ。 -
車道からちょっと高い所にある三聖宮に上がって来る時には気付かなかったけれど、階段の曲がり角に泰山石敢當があった。
泰山石敢当というのは、気の流れが直撃する村の入口、河の流れのそば、三叉路などに置いて、邪気が入り込まないようにする役目を持っています。
由来はよく分かっていないそうですが、中国・山東省にある泰山は古代から信仰の対象になっていたので、その名のご利益で魔除け・厄除けにされたとも言われているのだそう。
8世紀に福建省からその風習が始まり、その後は沖縄(琉球)にも伝わったのだとか。
これまでにも中国各地のほか、華僑が多いフィリピンのマニラでも見た事があったっけ。
「泰山」は省略して「石敢当」とだけ書かれたものもあります。
この三聖宮のものは「泰山石敢当」の文字の下にさらに「之神」という文字も付け加えられています。 -
上の画像の泰山石敢當のそばにあったのは三聖宮の基になった部分。
ここには昔この大きさの祠があったらしい。
上の方の画像で見た三聖宮は、この後ろに建て増しされた部分。 -
車道に下りてきて、釣鐘型渦巻き線香が盛大に下がる三聖宮を見上げる。
風が止むと、線香の煙で視界が曇るほど。
画像右手に下がるのは、隣のアパートの住人が干したシーツ。
線香の煙と香りが濃厚に焚き込められたシーツになりそうだけど…。
それとも何かご利益があるのかな。 -
三聖宮のあたりからまたブラブラと行って見つけたのは観音廟。
今日の締めくくりにここも見てみようか。 -
観音廟のお膝元まで来てみると、とてもカラフルな外観。
階段まで真っ赤。
ここで見えている門は閉まっていましたが、脇道があったので行ってみます。 -
サンダカンの観音廟も可愛らしい造り。
その色合いや装飾が、シンガポールやマラッカで何度も見たプラナカンの住居と相通じるものがあるような雰囲気。
プラナカンと言うのは簡単に言うと、17世紀にマレー諸島に渡った中国系移民の子孫で、文化、伝統、生活様式、食生活も、中華風にマレー風の入り混じったスタイル。
建築様式も、西洋+東洋の建築様式や装飾が折衷されたスタイルで色鮮やかなのが特徴になっています。
中華料理とマレー料理がミックスされたニョニャ料理(ニョニャ=プラナカンの未婚女性)の名を聞いたことがある方も多いのでは? -
観音廟のこの彩りは、やっぱりプラナカン独特の色彩じゃないかなあと思うのはSUR SHANGHAIだけ?
-
観音廟のお隣にも普通の民家があって、サンダカンの町並みの一部になっている。
-
サバ・サンダカン・ホテルに帰って夜になった。
プール脇に立つヤシの葉擦れのざわめき。
これと同じ音をサンダカン日本人墓地に葬られた人々も、アグネス・キースとその一家も、元日本軍の捕虜収容所の捕虜たちも聞いたのかと思うと切なくなる夜。 -
サバ・サンダカン・ホテルのプールサイド。
不思議に静まり返った水の面。 -
今日はずいぶんあちこち見た日だったね。
サバ・サンダカン・ホテルのプールに落ちるヤシの木の影。
まるで今日見てきた場所に捧げる記念塔のようにも見えるね。
明日はサンダカンからコタ・キナバルに移動。
途中にあるクンダサンの町では、≪サンダカン死の行進≫が目指したラナウ関連の戦争記念公園を訪れてみようと思います。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- あじぼんさん 2009/03/23 23:22:48
- きれいです
- こんにちは、SUR SHANGHAIさん。
表紙のろうそくの写真、不思議できれいです。
サンダカンは一度いったのですが、ウータンたちの保護区へ行ってコタキナバルへとんぼ返りだったので、市街地の写真を興味深く見せていただいております。行けばよかった('_')・・・。ではまたっ。
あじぼん
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2009/03/24 10:17:21
- RE: きれいです
- こんにちは。ご訪問と書き込み、ありがとうございます。(*^^*)
サンダカンの町自体は本当に小さいのですが、日本との歴史上の接点が多く、日本人墓地や戦争記念公園もありました。
このお寺さんもとても小さいのですが、一つ一つに焦点を当てて撮ってみたら結構迫力が出てしまいました。
あじぼんさんも私も行ったオランウータン保護区以外にも、テングザル保護区、タートル・アイランド…と動物保護区関連の場所もあるようですから、機会があれば再訪してみるのもいいと思います。
またナシ・ルマッが食べたくなりました。(^0^)
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