2008/02/08 - 2008/02/08
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SUR SHANGHAIさん
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前日はヴィエンチャンからクアラルンプール経由でコタ・キナバルに到着したSUR SHANGHAIとその旦那。
エア・アジアも初体験できた空の旅。
今日はコタ・キナバルで車を借りて、一路サンダカンを目指す陸の旅。
サンダカンはボルネオ島の北東に位置する港町。
スールー海に面したこの町は、サバ州ではコタ・キナバルに次いで大きい町なのだとか。
それ以外にもさまざまな歴史を秘めていたり、絶滅の危機に瀕する動物たちを保護する自然公園もあるサンダカン。
観光地としてはマイナーだけど、SUR SHANGHAIにとっては訪れてみたい場所が多い所。
この編では手始めに、サンダカンに至るまでの道筋をご紹介します。
表紙の画像は、コタ・キナバルからサンダカンへ向かう22号線(=A4号線)。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
昨日の夜になって着いたボルネオ島のコタ・キナバル。今回の宿になったのはル・メリディアン コタ・キナバルでの朝食ブッフェ。
広いスイートの部屋は、居心地も寝心地もよくてご機嫌。
でも、この朝食スペース、ちょっと冷房が効き過ぎじゃないかな。羽織るものを持って来てよかった。
食事の内容やお味の方は、う〜ん、今後のさらなる改善に期待します。
このまま今日はコタ・キナバルのあたりを見て回るんだとお思いでしょうが、今回は別の目的があるSUR SHANGHAIとその旦那。 -
今日はコタ・キナバルからサンダカンへの移動。
サンダカンは、ボルネオ島サバ州ではコタ・キナバルに次ぐ第2の都市。
コタ・キナバル⇔サンダカンの間は空路もあるんですが、SUR SHANGHAIたちは車を借りて行ってみます。
コタ・キナバル国際空港の第1ターミナルに入っているHERTZで借りたのはオンラインで予約した普通車。
カウンターにはいい地図が無かったので、この後市内のTIMESという書店で買っていきました。
PERIPLUSという会社のサバ州+コタ・キナバルの地図が26.40リンギット。
コタ・キナバルを出たのは午前10時頃。 -
マレーシアはやっぱりイスラム教徒も多い国。
信号待ちしてる車の前を横切る女性の服装で一目瞭然。
色合いは各人の好みでいろいろ選べるようで、同じイスラム圏でも黒一色の服装の国とは大きな違い。 -
マレーシアでは車は左側通行。
最初、コタ・キナバルからサンダカン方面へ抜ける道がよく分からなかった。
方角的にはこっちの方へ行けば、どこかに標識が出てるんじゃないの〜、とウロウロ。
この時間が長かった。^^ゞ
大分郊外まで出て来てから、あ! ありました!
この画像だと見えにくいでしょうが、
RANAU(ラナウ)84km
TELUPID(テルピッド)181km
SANDAKAN(サンダカン)324km
TAWAU(タワウ)555km
と出ています。 -
上記の標識を見つけるまではちょっと難儀だったこの日の出だし。
それから先は、コタ・キナバルとサンダカンとの間にある要所要所の地名が出た標識も多数あって一安心。
この標識では、サンダカンへの途中にあるラナウが右方向。
ラナウは、キナバル公園周辺訪問の基点にもなる避暑の町。 -
上記のラナウ方面へのジャンクションに出ていた旧正月を祝う看板。
お祝いの言葉がマレー語、英語、中国で出ているのが、マレーシアは多民族国家なんだと思い出させてくれる。 -
上記のジャンクションから1号線でラナウ方面へ進んでいると、また次の方向を示す標識が。
このまま1号線を進むとTAMPARULIという町。
22号線に入るとキナバル公園まで57km、
KUNDASANG(クンダサン)まで63km、
ラナウまで77km。
サンダカンはラナウより先にあるので、SUR SHANGHAIたちは22号線へと入ります。
注:標識には22号線と出ていますが、コタ・キナバルで買った地図にはA4号線と出ていました。
この旅行記では、標識の方に合わせて22号線と書いておきます。 -
22号線に入ってしまえば、あとはサンダカンまでまっしぐら。
ここに出ている標識だと、あと297km。
あ、22号線は途中で13号線(=A5号線)に枝分かれして、タワウまで行くんだな。あと517kmだって。
タワウは同じボルネオ島のサバ州でもセレベス海に面した町。シパダン島への足がかりになっているようです。 -
ラナウやサンダカン方面へ向かう22号線の途中に数ヶ所あった工事中の場所。
距離的にはそれぞれ数百mほどで、普通車でも問題無しでした。
工事中以外の22号線は、舗装が快適に出来た片側一車線。 -
22号線の高度が上がって山越えの道になった。
途中、キナバル山が見えるスポットという場所もあったけど霧が出たので素通り。
地名の標識は英語の時もあればマレー語で書いてある時もあるね。
TAMANって公園の意味だと思ったから、TAMAN KINABALUってキナバル公園のことだよね。
そうするとキナバル公園まであと7km。
この標識にはラナウと並んでKUNDASANG(クンダサン)という地名が出ていますが、ここには≪サンダカン死の行進≫の終着点ラナウにまつわる戦争記念公園があります。ここはサンダカンからの帰りに寄ってみます。
下の方に出ているKOLAM AIR PANAS PORINGって言うのは、AIRは水、PANASは熱い(暑い)だから、ポーリン温泉の事なんだろうな。間違っていたら失礼しました〜。 -
キナバル公園へは22号線から分かれて入っていくようになっていて、ラフレシアの絵が付いた大きい看板が立っているのですぐ分かります。
キナバル公園には以前行った事があるので、そこは素通り。
で、ここはキナバル公園入口から20km先のラナウの町。コタ・キナバルから2時間半ほど。
SUR SHANGHAIたちは、コタ・キナバルを出てくる時に迷ったので、時間はもう少し短縮できると思います。
ラナウはキナバル公園訪問のためや避暑に訪れる人も多くて、22号線沿いでは賑わっている町。
宿や食堂、商店、ガソリン・スタンドも道沿いに並んでいます。ここで休憩していくといいですよ。
ガソリンも補給しましたが、お値段は失念。
スタッフが給油してくれました。 -
数字の2がたくさん並んだ標識を発見。
22号線
TELUPIDまで92km
BELURANまで192km
SANDAKANまで222km
TELUPID、BELURANというのは、このあと22号線から外れて行った所にある小さな町。 -
またちょっと舗装が途切れて工事中になっていた22号線。
未舗装になっていたのは数百mほどだけで、ここも普通車で問題なし。
≪AWAS≫と書かれている標識は、≪注意≫とか≪危険≫の意味なんだろうな。
ちょっと注意が必要そうな場所でよく見かけます。 -
舗装が出来た部分は快適だった22号線。
ジャングルを緩やかに縫うように通っていました。
この22号線とほぼ同じルートが、≪サンダカン死の行進≫のルートだったとは思えない。
≪サンダカン死の行進≫と言うのは、第二次世界大戦末期に日本軍がイギリスやオーストラリアの捕虜たちをサンダカンから260km離れたラナウまで移動させた時の行進の事。
ラナウに近いクンダサンに戦争記念公園があるほか、サンダカンにも戦争記念公園があって、そこの説明によると1943年には2500人いた捕虜のうち生き残ったのは、1945年の死の行進から別々に脱走した2人と、ラナウを脱走した4人の計6人のオーストラリア人だけだったのだそう。
それらの戦争記念公園については、これからの旅行記でご紹介しようと思います。 -
またまた数字の2が並んだ標識。
22号線の22は画像の上が切れて写っていませんが、
TELUPIDまで12km
BELURANまで112km
SANDAKANまで142km
上の方に出した標識と同じ地名が並んでいるし、これは単なる偶然? -
イチオシ
ちょっと視界が広がって、ボルネオの山々が遠く近く見える22号線。
-
サンダカンが近づくに従って、両脇にオイル・パームの農園が続く22号線。
オイル・パームのしつこいほどに茂った緑色が延々。
熱帯の生命力の象徴のよう。
新しく開墾して、若木を植えてある場所もありました。 -
サンダカン方面の22号線とタワウ方面の13号線の分かれ目。
コタ・キナバルからここまで5時間。(ラナウでの休憩込みの時間)
上の方でも言ったように、SUR SHANGHAIたちはコタ・キナバルを出て来る時に迷ったので、時間はもう少し短縮可能だと思います。 -
サンダカンの空港への標識が見えてきた。
サンダカンの町ももうすぐだね。 -
サンダカンの町の入口にはオランウータンの像が出たサークルが。
あ、セピロック・オランウータン・リハビリテーション・センターはここから入っていくんだね。
明日、時間があったらここにも行ってみようか。 -
オランウータンの像が出ていた場所からさらにサンダカンの町に近いサークルにはテングザルの像が出ていた。
そう言えば、ラブックベイ・テングザル保護区なんて言う場所もあるんだよね。
う〜ん、オランウータンとテングザルとどっちを見に行こう。
明日の状況を見て決める事にしたSUR SHANGHAIとその旦那。 -
サンダカン空港を通り過ぎたあと、町へ下りて行く車道脇にあったサバ・サンダカン・ホテル。
サンダカンの町の中心あたりへは約1km。
到着したのはコタ・キナバル出発から6時間。
ジャングルが後ろに控えている中庭のプールがあって、ちょっとしたリゾートのようなアット・ホームな雰囲気のホテル。
あ、感じがいいね。
ここで見えているプール脇にプランテーション・カフェの夕食はブッフェよりアラカルトの方が良かったですよ。 -
オンラインで予約していったサバ・サンダカン・ホテルのツイン。朝食ブッフェ込みで368リンギット。
お部屋はシンプルでしたが、気持ちよく泊まれました。
部屋からのネット接続は不可。フロントで一ヶ月有効のホット・スポット・カード(30リンギット)を買うとロビー・ラウンジで接続できました。
シャワー・スペースのガラス戸が外れかけていたのはちょっと怖かったな。
それを除けばまずまずよかった宿。
サイトはこちら http://sabahhotel.com.my 英語版 -
サバ・サンダカン・ホテルにチェック・インした後は、サンダカンの町の雰囲気を見に行く事に。
ん? サバ州第2の町と言う割りにずいぶんこぢんまりしている。
全部徒歩で見て歩けそう。
サンダカンの港に面したあたりへ行ってみると、新しく建ったばかりのような @ EASE BOUTIQUE HOTELというビジネス・ホテル的な宿が。
海側に部屋を取れば、スールー海の水平線もよく見えそう。 -
イチオシ
上記の @ EASE BOUTIQUE HOTEL前の岸壁に座って夕涼みをしていた親子。
スールー海の水平線や沖に浮かぶ貨物船を眺めて、それぞれに何を思っているんだろ。 -
サンダカンの港の埠頭には海軍が入っている場所もあるらしくて、こんな警告標識が出ていた。
この標識にもマレー語、英語、中国語で表示されているのは他民族国家のマレーシアらしい。
これと同じ標識はこれまでにもマレーシアのあちこちで見たけど、やたら怖い感じの絵柄。
怖いからこそ、≪立ち入り禁止≫に効果があるんだろうな。 -
イチオシ
曇りがちだった今日の空。
夕方になってちょっと日が差し始めたサンダカンの町角。
これから家に帰るらしい地元の人たちがやって来る。
このあと、町の中で食事にしようと思っていたら、金曜日のイスラム教の礼拝でマレー系のお店はどこもガラ〜ン。
こういう時に限って「中華はイヤだ。」という旦那の気が知れない…。^^ゞ
結局、大分経ってから、開いていた食堂を見つけてマレーご飯を食べたっけ。 -
サンダカンと聞くと、明治から大正にかけてサンダカンに送り込まれてきたからゆきさんについて山崎朋子氏が綴った『サンダカン八番娼館』や『サンダカンの墓』の著書を思い浮かべる人も多いのでは?
『サンダカンの墓』によると、八番娼館の外観は赤い屋根にクリーム色の壁、緑色の窓枠がある2階建てだったのだそう。
第二次世界大戦末期に連合軍に爆撃されて壊滅したサンダカンの町なので、その当時の建物は残っていないようですが、それらしき面影がありそうな道を歩いてみたSUR SHANGHAI。 -
この日最後に歩いてみたのはサンダカンの町の三番街(JALAN TIGA)。
山崎朋子氏の『サンダカン八番娼館』の続編『サンダカンの墓』の中で、サンダカン八番娼館はここにあったとされる通り。
その著書に出ていた薬局の名が見つからなかったのは時の流れのせい? それとも探し方が悪かったのかな…。
この画像は、サンダカンの港を背にして見た三番街(JALAN TIGA)の様子。
画像奥の背の高い建物はウィスマ・サンダカンというショッピング・センターで、その裏手に見えている丘はサンダカンの日本人墓地へと続いています。
サンダカンの日本人墓地へは翌日の朝訪れてみる事にして、SUR SHANGHAIとその旦那は今日はホテルでリタイアします。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 横浜臨海公園さん 2009/03/20 13:39:54
- サンダカン
- SUR SHAGNHAIさま、こんにちは。
何時も素晴らしい旅行記、感歎しながら拝見させていただいております。
小生、サンダカンに1度訪れた事がございます。
当時の厚生省派遣で旧日本軍の遺骨収集です。
母国から遠く離れた異郷の地で眠る英霊の方々の遺骨を手にして感涙止まりませんでした。
当時、小生が訪れた際に目の当たりにした光景をSUR SHANGHAIさまの旅行記の写真で改めて拝見して当時を思い出しております。
横浜臨海公園
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2009/03/24 09:56:25
- RE: サンダカン
- お返事が遅くなりまして大変失礼いたしました。
サンダカンへは遺骨収集のお仕事でいらっしゃったようでお疲れ様でした。
私はサンダカンとは縁もゆかりも無いのですが、学生時代に『サンダカン八番娼館』を読んで興味を持ってから、その土地の周辺にはその後の戦争時代の歴史も数多くあったのだと知りました。
それらの場所にもこの時に訪れてみたのですが、いざ旅行記に仕立てようと思うと難しいものですね。
間違った事を書いては大変と思い、あれこれ資料も見ながら書いているので中々先に進みません。
何かお気付きの点などありましたら、お知らせくださるようお願いいたします。
サンダカン旅行記はまだもう少し手直しをします。次はラナウ方面の旅行記をアップする予定です。
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