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<2004年6月25(金)><br /><br /> 今日がパリへ着いて4日目となります。昨日、ベルサイユ宮殿の見学をした後、パリ市内の名所、美術館などを回りましたので、近場では大分対象が絞られてきました。<br /> 当初は、少し足を伸ばして、世界文化遺産のモン・サン・ミッシェルの寺院を見学しようと検討してみましたが、個人旅行としては少し時間がかかりすぎるとの結論になりました。それで、次回、ゆっくりと時間が取れた時の見学先として残しておくことにしました。<br /><br /><モンマルトルの丘へ><br /> 朝一番にモンマルトルの丘、サクレ・クール寺院に出かけました。登りの坂道の事を考えて、朝の涼しい時間を選んだためです。いつもの地下鉄13号線、ポルト・デ・クリシー駅から3つ目のプラス・ド・クリシー駅で乗換です。2号線に乗換えて、ナシオン駅方面、3つ目がモンマルトルの最寄駅、アンベールです。今日は朝から快晴に恵まれました。<br /> 地下鉄の乗換にも大分慣れてきました。一番の要点は、終点方向の駅を覚えることです。2号線の場合、既に降り立ったことがある、英語読みでネイション駅と覚えた、ナシオン駅往きに乗ればよいことを予め調べておきました。<br /> 勿論、全部覚えきるのは大変なので、路線図は必携です。この旅でも、私の路線図を見せて欲しいと、話し掛けてきた学生さんもいました。初めての路線ですと、地元の人にも有用です。<br /> 降りたアンベール駅は、パリの中心部からは少し外れていますので、静かな住宅街と言った雰囲気の中にありました。<br /><br /><サクレ・クール寺院><br /> サクレ・クール寺院への道筋は、駅から北側で、登り道と言うことで、適当に見当をつけて歩き始めました。写真で見た寺院が、丘の上に建っているということからの見当です。歩き始めて直ぐに、その白い尖塔が見えてきましたので、この勘は当っていました。<br /> 白い尖塔の全貌が見える位置まで来ましたが、鉄柵はまだ閉まっており、中では開門の準備のための人が働いていました。その前を過った左手、西側に寺院往きの小さなモノレールがありました。こちらは既に運転を開始していましたが、乗客は殆んどいませんでした。しまし、その左横に石段がありましたので、こちらを登ることにしました。<br /> 朝の早い時間に出てきたことは正解でした。モノレールがある位ですから当然ですが、石段を登るのは結構骨が折れました。ほかに観光客はほとんど見当たらず、石段を登っていたのは、犬を連れた散歩の人や、ジャージ姿の地元に人達でした。並木の木陰がありがたい天候でした。<br /> サクレ・クール寺院は、1876年に着工され、1914年に完工したと言いますので、かなり新しい寺院です。一通り外観写真を撮った後、中に入りました。写真禁止の表示がありましたので、カメラはバッグに仕舞いました。<br /> 中では賛美歌が歌われ、何人かの信者の人が長椅子に座って参列していました。観光客はその一角とは仕切られた区域に椅子が用意されていました。賛美歌を歌っていたのは尼さん達5、6人でした。ご年配の尼さんが、ほかの尼さん達と向かい合って座り、全体の指揮をとっているようでした。撮影禁止の意味が、この荘厳な雰囲気で理解できました。<br /> 写真は撮れませんでしたが、サクレ・クール寺院の内部は印象に残りました。聖歌隊席を飾るキリスト像は、まだ若い時代を表現しているようで、手を広げたポーズでした。その頭上には神のシンボルの後光が描かれていました。吹き抜けのドームは85mの高さがあり、ステンドグラスも綺麗でした。東側から、このステンドグラス越しに朝日が射していました。<br /> 寺院を出た後、パリ市内の眺望を暫く楽しみました。南側にはセーヌ川が蛇行していて、今まで回ってきた幾つかの建物などが確認できました。西の外れにはエッフェル塔が遠望できました。この日は朝から快晴で、モンマルトルの丘に登るには絶好の日和でした。帰りも石段を使って、新緑の並木道の散歩を楽しみました。<br /><br /><スリにご注意><br /> 今回の旅行で、一番日冷や汗をかいたのが、サクレ・クール寺院からの帰りの地下鉄の中でした。寺院の見学を終えても、その電車は通勤時間帯で混み合っていました。私が乗車したのは、地下鉄2号線のアンベール駅です。<br /> 満員で奥の方へ進むことが出来ず、出入口付近の中央に立っていたら、右手の方に乗ってきた人がアンベール駅を発車して直ぐ<br /> 「ホワット タイム?」<br /> と英語で尋ねてきました。がっちりした若い人で、ひげを生やして眼つきの鋭い人でした。時計は持参していなかったので<br /> 「エクスキューズミー アイ ハブント」<br /> と、返事しました。相手は、まだ何か聴きたそうでしたが、取り合いたくなかったので、続けて<br /> 「アイ ドント ノー」<br /> で会話を打ち切りました。ところがその間に、その男性の左側にいた眼つきの鋭い小柄な女性が、左手の方から強引に割り込んできました。どう言う訳か、手には大き目の黒いスカーフを被せていました。実は、このスカーフに隠した手で、私のバッグを開けようとしていました。<br /> 財布はバッグに入れておらず、デジカメを2台入れていただけでした。そのカメラの1台が落ちそうになったところで、スリは、未遂に終わりました。バッグのチャックは完全に開けられていました。<br /> ジプシーと思われる小柄な女性は、私に話し掛けてきた男性と、険しい顔で短い会話をした後、次の駅で、あわてて二人で降りていきました。<br /> スリの女性が強引に割り込もうとしていた、私の隣の男性が、この女性のおかしな動作に気付いてくれました。これが、未遂に終わったことに寄与してくれました。スリのペアが次の駅で降りた後、直ぐにその男性に「メルシー」と頭を下げてお礼を言いました。その男性は、車内が空いてきたところで座席に腰掛けられました。その後、私が先にその電車を降りることになりましたので、改めてもう一度お礼を言って、その電車を降りました。<br /> スリ被害無しで済んだことは、実に貴重な体験となりました。乗換駅であるサン・ラザールでは、その後気が付きましたが、フランス語、英語、中国語、日本語でスリに注意の構内アナウンスを流していました。自分で経験して、はじめてその意味が実感できました。<br /><br /><凱旋門近くでの火事騒ぎ><br /> モンマルトルのアンベール駅からは1号線との交差点駅まで乗りました。凱旋門駅です。ここから西に向かって歩くことにしました。ブローニュの森や、新都市、ラ・デファンスの方面です。<br /> 凱旋門駅からは通りの北側を歩きましたが、けたたましい音を立てて消防車がその前を走っていきました。その火災現場は、凱旋門から程近い場所でした。すぐに先ほどの消防車が止まっている場所に行き着きました。ホースを伸ばしたり、ボンベを背負った消防士の人たちが慌しく立ち回っていました。歩道の交通規制がされていなかったので、暫く近くで様子を窺がいました。<br /> 火災があった建物は、改修工事用のシートがかかっていました。火災原因が工事中の火花ではないかと推測されました。その1階は開店中の飲食店なので、こちらが原因かも知れませんでした。<br /> 現地で指揮をとっていたのは、ジーパン姿の私服の若い女性の方でした。その腕には、「ポリス」の腕章をつけ、手にしたトランシーバーで本部へ連絡を取りながら、現地でも指揮をとっていました。<br /> 消防士は全員ボンベを背負っていました。先頭の人は、大きなハンマーを手にしていました。放水は一時休止されて、幾つかのグループに分かれて火災現場に入って行きました。飲食店から団体客が出てきたのは、5分以上も経ってからです。ハンカチを手にしたり、咳き込んだりした人が多くいました。火災現場からは、時々白煙が吐き出されました。救急車も到着していましたが、その時点で、重傷者はいないようでした。<br /> 思わない火災現場に遭遇しましたが、日本の火災現場との違いは、個人主義が徹底していることでした。立ち入り禁止のロープを張ったり、交通規制は全くありませんでした。それぞれが、自己責任で火災現場を見守っていたような気がします。<br /><br /><新都市、ラ・デファンス><br /> 火災現場には15分ほどもいたでしょうか?その後は、更に西に向かって歩きました。遠くには新凱旋門と呼ばれる箱型の建物が見えてきました。地図で確認しますと、ブローニュの森の北側を過ぎてセーヌ川にかかる橋に達していました。<br /> 更に西に歩きますと、ラ・デファンスと呼ばれる超近代ビル群が立ち並ぶ新都市に達しました。凱旋門からは4kmの位置です。町全体が立体都市のような不思議な空間です。超近代ビルの中にオアシスや噴水、並木がありました。有名企業の商業ビルと、ショッピングセンター、レジャーセンターが複合した近未来副都心を形成していました。<br /> この辺りで昼食を摂ろうとも思いましたが、実は、少しこちらの料理に飽きて、朝から鰻を食べようと決めていましたので、ここでは我慢しました。噴水のある広場付近には、ファストフードの店も開き始めていました。かなりの距離を歩きましたので、お腹も空いてきました。目指す鰻の店は、ルーブル美術館の北側にあることを下調べしていました。<br /> ルーブルまでは地下鉄1号線で乗換無しです。お洒落で近代的なビル群の真中に、ラ・デファンス駅がありました。ルーブルまでは12、3駅、始発駅のようなので、ゆっくりと腰掛けることが出来ました。<br /><br /><パレ・ロワイヤル><br /> 昼食の前にもう1箇所だけ見学しました。そのパレ・ロワイヤルは、ルーブル美術館とは道路を挟んだ北側になります。もともと、宮殿の一部であったらしく、ルイ14世が幼少時代を過ごしたと言われます。そのルイ14世は、パリを嫌ってベルサイユへ宮殿を移してしまいました。目指す鰻屋「野田岩」方面には順路です。<br /> パレ・ロワイヤルには回廊が設けられ、今はブティックや骨董品屋さんが店を連ねています。回廊の石柱が宮殿の名残を残していました。回廊には挟まれた中には並木道があり、綺麗に刈り込んでありました。木陰のベンチでは、ゆっくりと時を過ごす年配の方を多く見かけました。花壇も手入れされていて、バラやダリア等が咲いていました。<br /><br /><鰻に白ワイン><br /> パレ・ロワイヤルの見学を早々に終えて、「野田岩」を探しました。地図で見ますと、日帰りロンドン旅行を諦めたシティ・ラマ社の少し北側に当たります。目印にしておいたアンドレ・マルロー広場にやって来た後、すぐに「野田岩」の店が見付かりました。まだ準備中でしたが、日本人の女将さんが店に通してくれました。ほかに日本語が分かるフランス人スタッフもいました。<br /> ガイドブックから「野田岩(のだいわ)」を紹介しておきます。「東京麻生の老舗鰻店が出展したフランス初の本格鰻店」とありました。最初に鰻重とハウスワインのグラスを頼みました。突き出しに酢の物が出されました。焼きもタレもいい、本格的な鰻でした。山椒も容器に入ったものが用意されていました。<br /> 鰻重が運ばれてきたところでハーフボトルの白ワインを追加注文しました。15ユーロ程したその白ワインは、「Chateau Tourte Des Graves 2002」でした。まだ若いワインですが、鰻によくあう辛口でした。今回の旅行では一番贅沢をした食事で、締めて50ユーロと少しでした。<br /> 隣の席では、旦那さんのフランス転勤でご一緒されていると思われる30代から40代の女性4人が座られました。入店されるなり、お喋りに余念がありませんでした。<br /> 漏れ聞く話から、どうやら久し振りの外食のようでした。それぞれの悩み事を、思い思いに話されていましたが、話している人ばかりで、聞いている人がいないような雰囲気でした。それでも、お互いに満足されている風でした。<br /><br /><2回目のルーブル美術館><br /> 食事の後は、2回目のルーブル美術館見学を楽しみました。1回目に見落としたミロのビーナスを最優先しました。比較の意味もあって、もう一度サモトラケのニケも見学しました。陶器類もゆっくりと見学しました。<br /> ガイドブックから少し紹介します。現在のルーブルは、故ミッテラン大統領の指揮により1981年から大改造計画により、1993年に新しく生まれ変わったと言います。今は完全にルーブルの顔となりました、出入口であるガラスのピラミッドも、この時に出来上がったものです。収蔵品は30万点にのぼるとされ、常時展示されているのは、その内の2万6千点と言われます。代々の国王の所有品、ナポレオンの戦利品、一般からの寄贈品などが元になっています。<br /><br /><夜のシャンゼリゼ大通りで赤ワイン><br /> 今晩もホテル前のカフェーで生ビールを飲んだ後、夜に備えて早めにホテルへ戻りました。と言っても外は明るいものの夕方です。夜の10時位にならないと暗くなりません。それからが、夜の散策へのお出かけ時間です。<br /> この日、いつも通り、10時頃に、地下鉄の乗って出かけました。行き先はシャンゼリゼ大通りです。13号線はシャンゼリゼ・クレマンソー駅で交差しますので、この駅で1号線に乗り換えました。1号線では、1つ西のフランクリン・ルーズベルト駅で降りました。<br /> ここはもう、シャンゼリゼ大通りの中間に位置しています。最初、この駅から凱旋門までを南側の通りを歩きました。昼間は気が付かなかったのですが、夜になるとクラシックな建物の奥まで明りが煌々と灯され、大勢の人で賑わっていました。<br /> 凱旋門の手前で北側へ渡り、東へ戻りながら夜のシャンゼリゼの賑いを楽しみました。車から身を乗り出して青い旗を振ったり、単車で隊列を組んで大声を上げている人達が、賑やかな通りを、一層賑やかにしていました。この人たちはテレビでもニュース番組でも報道されていました。どうやら、欧州サッカーで優勝したギリシャの選手達を応援する人達だったようです。<br /> 歩き疲れたところで路端のカフェーに入って赤ワインを頼みました。テーブル席に座って、ゆっくりとパリ最後の夜の雰囲気を楽しみました。泊ったホテル近くの、立ち飲みのカフェーでは3.5ユーロでしたが、ここでは8.5ユーロと少し高めでした。しかし、量は多く、十分に満足できる赤ワインでした。<br /><br /><br />  サクレ・クール寺院で<br /> 石段を登りて猶も石畳モンマルトルの寺院に続く<br /><br /> 賛美歌を聞きつ聖堂仰見ぬ朝日彩るステンドグラス<br /><br /> 賛美歌を歌い終えたる聖女らはしじまの中を退席したり<br /><br /> 白き雲従へ聖堂丘に建ちセーヌの流れ遥か見下ろす

2004夏、フランス旅行記(11):6月25日(1)パリ:モンマルトルの丘、サクレ・クール寺院

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2004/06/22 - 2004/06/27

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2004年6月25(金)>

 今日がパリへ着いて4日目となります。昨日、ベルサイユ宮殿の見学をした後、パリ市内の名所、美術館などを回りましたので、近場では大分対象が絞られてきました。
 当初は、少し足を伸ばして、世界文化遺産のモン・サン・ミッシェルの寺院を見学しようと検討してみましたが、個人旅行としては少し時間がかかりすぎるとの結論になりました。それで、次回、ゆっくりと時間が取れた時の見学先として残しておくことにしました。

<モンマルトルの丘へ>
 朝一番にモンマルトルの丘、サクレ・クール寺院に出かけました。登りの坂道の事を考えて、朝の涼しい時間を選んだためです。いつもの地下鉄13号線、ポルト・デ・クリシー駅から3つ目のプラス・ド・クリシー駅で乗換です。2号線に乗換えて、ナシオン駅方面、3つ目がモンマルトルの最寄駅、アンベールです。今日は朝から快晴に恵まれました。
 地下鉄の乗換にも大分慣れてきました。一番の要点は、終点方向の駅を覚えることです。2号線の場合、既に降り立ったことがある、英語読みでネイション駅と覚えた、ナシオン駅往きに乗ればよいことを予め調べておきました。
 勿論、全部覚えきるのは大変なので、路線図は必携です。この旅でも、私の路線図を見せて欲しいと、話し掛けてきた学生さんもいました。初めての路線ですと、地元の人にも有用です。
 降りたアンベール駅は、パリの中心部からは少し外れていますので、静かな住宅街と言った雰囲気の中にありました。

<サクレ・クール寺院>
 サクレ・クール寺院への道筋は、駅から北側で、登り道と言うことで、適当に見当をつけて歩き始めました。写真で見た寺院が、丘の上に建っているということからの見当です。歩き始めて直ぐに、その白い尖塔が見えてきましたので、この勘は当っていました。
 白い尖塔の全貌が見える位置まで来ましたが、鉄柵はまだ閉まっており、中では開門の準備のための人が働いていました。その前を過った左手、西側に寺院往きの小さなモノレールがありました。こちらは既に運転を開始していましたが、乗客は殆んどいませんでした。しまし、その左横に石段がありましたので、こちらを登ることにしました。
 朝の早い時間に出てきたことは正解でした。モノレールがある位ですから当然ですが、石段を登るのは結構骨が折れました。ほかに観光客はほとんど見当たらず、石段を登っていたのは、犬を連れた散歩の人や、ジャージ姿の地元に人達でした。並木の木陰がありがたい天候でした。
 サクレ・クール寺院は、1876年に着工され、1914年に完工したと言いますので、かなり新しい寺院です。一通り外観写真を撮った後、中に入りました。写真禁止の表示がありましたので、カメラはバッグに仕舞いました。
 中では賛美歌が歌われ、何人かの信者の人が長椅子に座って参列していました。観光客はその一角とは仕切られた区域に椅子が用意されていました。賛美歌を歌っていたのは尼さん達5、6人でした。ご年配の尼さんが、ほかの尼さん達と向かい合って座り、全体の指揮をとっているようでした。撮影禁止の意味が、この荘厳な雰囲気で理解できました。
 写真は撮れませんでしたが、サクレ・クール寺院の内部は印象に残りました。聖歌隊席を飾るキリスト像は、まだ若い時代を表現しているようで、手を広げたポーズでした。その頭上には神のシンボルの後光が描かれていました。吹き抜けのドームは85mの高さがあり、ステンドグラスも綺麗でした。東側から、このステンドグラス越しに朝日が射していました。
 寺院を出た後、パリ市内の眺望を暫く楽しみました。南側にはセーヌ川が蛇行していて、今まで回ってきた幾つかの建物などが確認できました。西の外れにはエッフェル塔が遠望できました。この日は朝から快晴で、モンマルトルの丘に登るには絶好の日和でした。帰りも石段を使って、新緑の並木道の散歩を楽しみました。

<スリにご注意>
 今回の旅行で、一番日冷や汗をかいたのが、サクレ・クール寺院からの帰りの地下鉄の中でした。寺院の見学を終えても、その電車は通勤時間帯で混み合っていました。私が乗車したのは、地下鉄2号線のアンベール駅です。
 満員で奥の方へ進むことが出来ず、出入口付近の中央に立っていたら、右手の方に乗ってきた人がアンベール駅を発車して直ぐ
 「ホワット タイム?」
 と英語で尋ねてきました。がっちりした若い人で、ひげを生やして眼つきの鋭い人でした。時計は持参していなかったので
 「エクスキューズミー アイ ハブント」
 と、返事しました。相手は、まだ何か聴きたそうでしたが、取り合いたくなかったので、続けて
 「アイ ドント ノー」
 で会話を打ち切りました。ところがその間に、その男性の左側にいた眼つきの鋭い小柄な女性が、左手の方から強引に割り込んできました。どう言う訳か、手には大き目の黒いスカーフを被せていました。実は、このスカーフに隠した手で、私のバッグを開けようとしていました。
 財布はバッグに入れておらず、デジカメを2台入れていただけでした。そのカメラの1台が落ちそうになったところで、スリは、未遂に終わりました。バッグのチャックは完全に開けられていました。
 ジプシーと思われる小柄な女性は、私に話し掛けてきた男性と、険しい顔で短い会話をした後、次の駅で、あわてて二人で降りていきました。
 スリの女性が強引に割り込もうとしていた、私の隣の男性が、この女性のおかしな動作に気付いてくれました。これが、未遂に終わったことに寄与してくれました。スリのペアが次の駅で降りた後、直ぐにその男性に「メルシー」と頭を下げてお礼を言いました。その男性は、車内が空いてきたところで座席に腰掛けられました。その後、私が先にその電車を降りることになりましたので、改めてもう一度お礼を言って、その電車を降りました。
 スリ被害無しで済んだことは、実に貴重な体験となりました。乗換駅であるサン・ラザールでは、その後気が付きましたが、フランス語、英語、中国語、日本語でスリに注意の構内アナウンスを流していました。自分で経験して、はじめてその意味が実感できました。

<凱旋門近くでの火事騒ぎ>
 モンマルトルのアンベール駅からは1号線との交差点駅まで乗りました。凱旋門駅です。ここから西に向かって歩くことにしました。ブローニュの森や、新都市、ラ・デファンスの方面です。
 凱旋門駅からは通りの北側を歩きましたが、けたたましい音を立てて消防車がその前を走っていきました。その火災現場は、凱旋門から程近い場所でした。すぐに先ほどの消防車が止まっている場所に行き着きました。ホースを伸ばしたり、ボンベを背負った消防士の人たちが慌しく立ち回っていました。歩道の交通規制がされていなかったので、暫く近くで様子を窺がいました。
 火災があった建物は、改修工事用のシートがかかっていました。火災原因が工事中の火花ではないかと推測されました。その1階は開店中の飲食店なので、こちらが原因かも知れませんでした。
 現地で指揮をとっていたのは、ジーパン姿の私服の若い女性の方でした。その腕には、「ポリス」の腕章をつけ、手にしたトランシーバーで本部へ連絡を取りながら、現地でも指揮をとっていました。
 消防士は全員ボンベを背負っていました。先頭の人は、大きなハンマーを手にしていました。放水は一時休止されて、幾つかのグループに分かれて火災現場に入って行きました。飲食店から団体客が出てきたのは、5分以上も経ってからです。ハンカチを手にしたり、咳き込んだりした人が多くいました。火災現場からは、時々白煙が吐き出されました。救急車も到着していましたが、その時点で、重傷者はいないようでした。
 思わない火災現場に遭遇しましたが、日本の火災現場との違いは、個人主義が徹底していることでした。立ち入り禁止のロープを張ったり、交通規制は全くありませんでした。それぞれが、自己責任で火災現場を見守っていたような気がします。

<新都市、ラ・デファンス>
 火災現場には15分ほどもいたでしょうか?その後は、更に西に向かって歩きました。遠くには新凱旋門と呼ばれる箱型の建物が見えてきました。地図で確認しますと、ブローニュの森の北側を過ぎてセーヌ川にかかる橋に達していました。
 更に西に歩きますと、ラ・デファンスと呼ばれる超近代ビル群が立ち並ぶ新都市に達しました。凱旋門からは4kmの位置です。町全体が立体都市のような不思議な空間です。超近代ビルの中にオアシスや噴水、並木がありました。有名企業の商業ビルと、ショッピングセンター、レジャーセンターが複合した近未来副都心を形成していました。
 この辺りで昼食を摂ろうとも思いましたが、実は、少しこちらの料理に飽きて、朝から鰻を食べようと決めていましたので、ここでは我慢しました。噴水のある広場付近には、ファストフードの店も開き始めていました。かなりの距離を歩きましたので、お腹も空いてきました。目指す鰻の店は、ルーブル美術館の北側にあることを下調べしていました。
 ルーブルまでは地下鉄1号線で乗換無しです。お洒落で近代的なビル群の真中に、ラ・デファンス駅がありました。ルーブルまでは12、3駅、始発駅のようなので、ゆっくりと腰掛けることが出来ました。

<パレ・ロワイヤル>
 昼食の前にもう1箇所だけ見学しました。そのパレ・ロワイヤルは、ルーブル美術館とは道路を挟んだ北側になります。もともと、宮殿の一部であったらしく、ルイ14世が幼少時代を過ごしたと言われます。そのルイ14世は、パリを嫌ってベルサイユへ宮殿を移してしまいました。目指す鰻屋「野田岩」方面には順路です。
 パレ・ロワイヤルには回廊が設けられ、今はブティックや骨董品屋さんが店を連ねています。回廊の石柱が宮殿の名残を残していました。回廊には挟まれた中には並木道があり、綺麗に刈り込んでありました。木陰のベンチでは、ゆっくりと時を過ごす年配の方を多く見かけました。花壇も手入れされていて、バラやダリア等が咲いていました。

<鰻に白ワイン>
 パレ・ロワイヤルの見学を早々に終えて、「野田岩」を探しました。地図で見ますと、日帰りロンドン旅行を諦めたシティ・ラマ社の少し北側に当たります。目印にしておいたアンドレ・マルロー広場にやって来た後、すぐに「野田岩」の店が見付かりました。まだ準備中でしたが、日本人の女将さんが店に通してくれました。ほかに日本語が分かるフランス人スタッフもいました。
 ガイドブックから「野田岩(のだいわ)」を紹介しておきます。「東京麻生の老舗鰻店が出展したフランス初の本格鰻店」とありました。最初に鰻重とハウスワインのグラスを頼みました。突き出しに酢の物が出されました。焼きもタレもいい、本格的な鰻でした。山椒も容器に入ったものが用意されていました。
 鰻重が運ばれてきたところでハーフボトルの白ワインを追加注文しました。15ユーロ程したその白ワインは、「Chateau Tourte Des Graves 2002」でした。まだ若いワインですが、鰻によくあう辛口でした。今回の旅行では一番贅沢をした食事で、締めて50ユーロと少しでした。
 隣の席では、旦那さんのフランス転勤でご一緒されていると思われる30代から40代の女性4人が座られました。入店されるなり、お喋りに余念がありませんでした。
 漏れ聞く話から、どうやら久し振りの外食のようでした。それぞれの悩み事を、思い思いに話されていましたが、話している人ばかりで、聞いている人がいないような雰囲気でした。それでも、お互いに満足されている風でした。

<2回目のルーブル美術館>
 食事の後は、2回目のルーブル美術館見学を楽しみました。1回目に見落としたミロのビーナスを最優先しました。比較の意味もあって、もう一度サモトラケのニケも見学しました。陶器類もゆっくりと見学しました。
 ガイドブックから少し紹介します。現在のルーブルは、故ミッテラン大統領の指揮により1981年から大改造計画により、1993年に新しく生まれ変わったと言います。今は完全にルーブルの顔となりました、出入口であるガラスのピラミッドも、この時に出来上がったものです。収蔵品は30万点にのぼるとされ、常時展示されているのは、その内の2万6千点と言われます。代々の国王の所有品、ナポレオンの戦利品、一般からの寄贈品などが元になっています。

<夜のシャンゼリゼ大通りで赤ワイン>
 今晩もホテル前のカフェーで生ビールを飲んだ後、夜に備えて早めにホテルへ戻りました。と言っても外は明るいものの夕方です。夜の10時位にならないと暗くなりません。それからが、夜の散策へのお出かけ時間です。
 この日、いつも通り、10時頃に、地下鉄の乗って出かけました。行き先はシャンゼリゼ大通りです。13号線はシャンゼリゼ・クレマンソー駅で交差しますので、この駅で1号線に乗り換えました。1号線では、1つ西のフランクリン・ルーズベルト駅で降りました。
 ここはもう、シャンゼリゼ大通りの中間に位置しています。最初、この駅から凱旋門までを南側の通りを歩きました。昼間は気が付かなかったのですが、夜になるとクラシックな建物の奥まで明りが煌々と灯され、大勢の人で賑わっていました。
 凱旋門の手前で北側へ渡り、東へ戻りながら夜のシャンゼリゼの賑いを楽しみました。車から身を乗り出して青い旗を振ったり、単車で隊列を組んで大声を上げている人達が、賑やかな通りを、一層賑やかにしていました。この人たちはテレビでもニュース番組でも報道されていました。どうやら、欧州サッカーで優勝したギリシャの選手達を応援する人達だったようです。
 歩き疲れたところで路端のカフェーに入って赤ワインを頼みました。テーブル席に座って、ゆっくりとパリ最後の夜の雰囲気を楽しみました。泊ったホテル近くの、立ち飲みのカフェーでは3.5ユーロでしたが、ここでは8.5ユーロと少し高めでした。しかし、量は多く、十分に満足できる赤ワインでした。


  サクレ・クール寺院で
 石段を登りて猶も石畳モンマルトルの寺院に続く

 賛美歌を聞きつ聖堂仰見ぬ朝日彩るステンドグラス

 賛美歌を歌い終えたる聖女らはしじまの中を退席したり

 白き雲従へ聖堂丘に建ちセーヌの流れ遥か見下ろす

同行者
一人旅
交通手段
鉄道
航空会社
大韓航空

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  • モンマルトルの丘へはホテルから1回乗換えで、地下鉄を使って訪れました。ここはその地下鉄出入口付近の景色です。

    モンマルトルの丘へはホテルから1回乗換えで、地下鉄を使って訪れました。ここはその地下鉄出入口付近の景色です。

  • 登り道があることを下調べしていましたので、モンマルトルの丘へは朝一番に出かけました。その日は朝から快晴でした。

    登り道があることを下調べしていましたので、モンマルトルの丘へは朝一番に出かけました。その日は朝から快晴でした。

  • モンマルトルの地下鉄近くの町並光景です。中層階のビルが密集していました。住宅街のようです。

    モンマルトルの地下鉄近くの町並光景です。中層階のビルが密集していました。住宅街のようです。

  • 大方の目星をつけて歩き始めましたら、直ぐにサクレ・クール寺院の真っ白な尖塔が見えてきました。まだ、観光客の少ない時間です。

    大方の目星をつけて歩き始めましたら、直ぐにサクレ・クール寺院の真っ白な尖塔が見えてきました。まだ、観光客の少ない時間です。

  • 正面出入口の鉄柵はまだ閉まったままでした。その内側では、少し盛りを過ぎた赤い小輪のバラが咲いていました。

    正面出入口の鉄柵はまだ閉まったままでした。その内側では、少し盛りを過ぎた赤い小輪のバラが咲いていました。

  • モンマルトルの丘の頂上への2つのコースです。右がゴンドラ左が石段です。石段のコースを選びました。

    モンマルトルの丘の頂上への2つのコースです。右がゴンドラ左が石段です。石段のコースを選びました。

  • 息を切らして登った石畳と階段の道です。ゴンドラが運転を始めていましたが、歩いて登りました。隣を散歩の人が、犬を連れて登っていました。

    息を切らして登った石畳と階段の道です。ゴンドラが運転を始めていましたが、歩いて登りました。隣を散歩の人が、犬を連れて登っていました。

  • こちらの写真は、その帰りの下り道です。登りと違って、今度は並木の間を楽々と下って行きました。まとめて掲載しておきました。

    こちらの写真は、その帰りの下り道です。登りと違って、今度は並木の間を楽々と下って行きました。まとめて掲載しておきました。

  • 石段を上りきりますと、右手に白い尖塔が見えてきました。上る前に遠望でしたサクレクール寺院が、もう目の前です。

    石段を上りきりますと、右手に白い尖塔が見えてきました。上る前に遠望でしたサクレクール寺院が、もう目の前です。

  • サクレ・クール寺院は、1876年に着工され、1914年に完成されました。比較的新しい寺院です。ローマ・ビザンチン様式とされます。

    サクレ・クール寺院は、1876年に着工され、1914年に完成されました。比較的新しい寺院です。ローマ・ビザンチン様式とされます。

  • この建物は尖塔の西側にありました。東側の壁には石積のような意匠の部分がありました。アーチの内側の茶色部分です。

    この建物は尖塔の西側にありました。東側の壁には石積のような意匠の部分がありました。アーチの内側の茶色部分です。

  • アーチ型に造られた部分には、石組になっていました。普通はステンドグラスが使われることが多いようです。珍しい造りでしたからその部分だけのアップです。

    アーチ型に造られた部分には、石組になっていました。普通はステンドグラスが使われることが多いようです。珍しい造りでしたからその部分だけのアップです。

  • モンマルトルの丘からのパリの景観、方向は南側、セーヌ川がある方向です。写ってはいませんが、右端にはエッフェル塔も見えました。

    モンマルトルの丘からのパリの景観、方向は南側、セーヌ川がある方向です。写ってはいませんが、右端にはエッフェル塔も見えました。

  • モンマルトルの丘から眺めたパリ市内の写真が続きます。もう一段下から景色を眺める人たちもいました。セーヌ側へ向けて平地が広がっています。

    モンマルトルの丘から眺めたパリ市内の写真が続きます。もう一段下から景色を眺める人たちもいました。セーヌ側へ向けて平地が広がっています。

  • 少し場所を変えての撮影です。持参したコンパクトデジカメも交互に使用しました。中央付近に、珍しく超高層ビルが見えました。

    少し場所を変えての撮影です。持参したコンパクトデジカメも交互に使用しました。中央付近に、珍しく超高層ビルが見えました。

  • モンマルトルの丘から眺めたパリ市内の写真はこれが最後です。一番東側に移動して撮った写真です。市街地中心街からは、少し離れた方角のようです。

    モンマルトルの丘から眺めたパリ市内の写真はこれが最後です。一番東側に移動して撮った写真です。市街地中心街からは、少し離れた方角のようです。

  • サクレ・クール寺院は、普仏戦争、パリ・コンミューンの騒乱などで亡くなった兵士や市民を悼んで建てられた、カトリック系教会です。

    サクレ・クール寺院は、普仏戦争、パリ・コンミューンの騒乱などで亡くなった兵士や市民を悼んで建てられた、カトリック系教会です。

  • これから先は、手造りの小冊子では割愛した写真です。サクレクール寺院の建物の詳細です。最初は尖塔正面近くからの写真です。

    これから先は、手造りの小冊子では割愛した写真です。サクレクール寺院の建物の詳細です。最初は尖塔正面近くからの写真です。

  • 建物の一番高い位置にアーチ型の空間が設けられ、聖人の立像が安置されていました。右手を軽く掲げ、説教か、祈りのポーズのようです。

    建物の一番高い位置にアーチ型の空間が設けられ、聖人の立像が安置されていました。右手を軽く掲げ、説教か、祈りのポーズのようです。

  • 今度は正面から少し右に回っての撮影です。先程の聖人像のほかに、緑青を吹いた騎馬像も見えます。青空に白い尖塔が映えます。

    今度は正面から少し右に回っての撮影です。先程の聖人像のほかに、緑青を吹いた騎馬像も見えます。青空に白い尖塔が映えます。

  • 騎馬像は2体ありました。2つとも紹介します。こちらの騎馬像は鎧兜姿です。右手で剣を翳し、左手には月桂冠のようなものを持っています。

    騎馬像は2体ありました。2つとも紹介します。こちらの騎馬像は鎧兜姿です。右手で剣を翳し、左手には月桂冠のようなものを持っています。

  • こちらも鎧兜で実を固めています。はっきりと顔を窺うことはできませんが、女性かも知れません。女性であれば、ジャンヌダルクでしょうか。

    こちらも鎧兜で実を固めています。はっきりと顔を窺うことはできませんが、女性かも知れません。女性であれば、ジャンヌダルクでしょうか。

  • サクレクール寺院の中での撮影は禁止でした。そのため外観写真が続きます。今度は門の上部に飾られた彫刻群の紹介です。説教像です。

    サクレクール寺院の中での撮影は禁止でした。そのため外観写真が続きます。今度は門の上部に飾られた彫刻群の紹介です。説教像です。

  • 次の彫刻は、キリストの磔刑図です。傍らには嘆き悲しむマリアも刻まれているようです。

    次の彫刻は、キリストの磔刑図です。傍らには嘆き悲しむマリアも刻まれているようです。

  • 聖人による説教図です。中央の人の頭部には光背が描かれています。因みに光背とは、仏教、キリスト教共通に、聖人から発せられる後光を表すものとされます。

    聖人による説教図です。中央の人の頭部には光背が描かれています。因みに光背とは、仏教、キリスト教共通に、聖人から発せられる後光を表すものとされます。

  • こちらの説教図は、先程の写真の彫刻部分だけのアップです。光背が描かれていませんから、高名な方でしょうが、聖人に列せられた方ではないようです。

    こちらの説教図は、先程の写真の彫刻部分だけのアップです。光背が描かれていませんから、高名な方でしょうが、聖人に列せられた方ではないようです。

  • 正面奥の建物は、鐘楼のようです。近寄っての見学はしませんでしたが、アーチ型の窓で、四方に開放された細長い建物です。

    正面奥の建物は、鐘楼のようです。近寄っての見学はしませんでしたが、アーチ型の窓で、四方に開放された細長い建物です。

  • 教会に付属した小さな建物も紹介しておきます。写真、右手正面に規模の小さな教会がありました。回廊で本堂とも繋がっています。

    教会に付属した小さな建物も紹介しておきます。写真、右手正面に規模の小さな教会がありました。回廊で本堂とも繋がっています。

  • 中央部分イマッチ坊のように見えるのは、間違いなくエッフェル塔です。写真を部分的に拡大して確認しました。

    中央部分イマッチ坊のように見えるのは、間違いなくエッフェル塔です。写真を部分的に拡大して確認しました。

  • モンマルトル付近の平面図です。中央付近の緑部分がモンマルトルの丘、その中に十字架がマークが記されている場所が、サクレクール寺院です。麓で撮影しました。

    モンマルトル付近の平面図です。中央付近の緑部分がモンマルトルの丘、その中に十字架がマークが記されている場所が、サクレクール寺院です。麓で撮影しました。

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2004夏、フランス旅行記

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