2004/06/22 - 2004/06/27
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旅人のくまさんさん
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<2004年6月26(土)>
あっという間に時が経ち、今日が日本へ戻る日になってしまいました。往きは時差の関係で時間の貯蓄、帰りは借金払いのようなものです。フランスへその日の内に着くことが出来たましが、帰りは機中泊で1日がどこかへ飛んでいってしまいます。ただし、今日の出発は夜なので、目一杯最後のフランス旅行が楽しめます。
<ホテルのチェックアウト>
パリへ着いた最初に日にHISのガイドさんから、「お帰りの日は、26日、土曜日の午後3時に係りの者がホテルのフロントに伺います」と聞いていましたので、今日はその時間に合わせ行動することにしました。
その朝は、いつもより少しだけ遅い8時頃に朝食を摂って、荷物の最終チェックをしました。と言っても、部屋のセーフティボックスに入れておいたのは、パスポートと、現金の一部だけでした。チェックアウトする前に、現金をニ分割して、パスポートは内ポケットに入れ、ボタンをしっかり締めておきました。
チェックアウトは、簡単な英語ですべてが事足りました。チェックインした時に、「フランス語はぜんぜん駄目です」とガイドさんを通じて話しておいたのが役に立ったようです。チェックアウトの時は、たまたま、同じフロント係の女性の方でした。精算金は全くありませんでした。
その女性の方にバッゲージをお願いしたら、フロントの右横の手荷物置き場の鍵を開けてくれました。置き場所を確認し、預り証を受け取りました。もし聞かれたら、「15時までには戻ってきます」と話す予定でしたが、全く尋ねられませんでした。多分、スケジュールは旅行社から聞かれていることでしょうし、フランス語の分からない日本人相手には、くどい話はしたくないとの本音もあったかも知れません。ホテルに着いた日に、両替の事で、少し悶着があったことを先方も覚えていたようです。
<バスティーユ広場>
荷物を預けて身軽になったところでホテルを出ました。時間は9時半を回っていました。最初に向かったのはピカソ美術館でした。地下鉄回数券が一枚だけになっていましたので、1回券を買って乗車しました。
バスティーユ駅は13号線のサン・ラザール駅で3号線に乗換え、更にレ・ピュブリック駅で8号線に乗換えることにしました。バスティーユ駅までは13号線から1号線へ1回乗換えで行くことができますが、出発した時には、ピカソ美術館の最寄駅であるシュマン・ベール駅のことが頭にありましたので、選択したコースでした。1つ先の駅がバスティーユ駅です。
バスティーユ駅で降り、地上へ出たのは広場に面した西側でした。高い緑青を吹いた塔が交差点の真中にあり、直ぐにバスティーユ広場であることが分かりました。その塔の先端には、金色の天使像がありました。フランス国旗も飾られていて、この天使は片足で立っていました。
オペラ・バスティーユは、この塔より東側であり、道路を渡るには、もう一度地下に潜る必要がありました。もとよりピカソ美術館の見学が主目的でしたから、こちらは近くまで見学に行くのは諦めました。フランス革命200周年を記念して1989年に建設された、新しいフランス文化の殿堂です。
<パリ国立ピカソ美術館>
バスティーユ広場の見学を簡単に済ませ、歩いてピカソ美術館に向かいました。最初の目印はバスティーユ駅の1つ北、シュマン・ベール駅です。通りの名前を見当に、適当に方角を決めて歩きました。最初に歩いた並木道には、小さなテントショップが軒を並べていました。具象画や現代画等の展示即売があり、工芸品や衣類を売っている店もありました。後で地図を確認しましたら、リシャール・ルノワール大通りでした。
シュマン・ベール駅があるのはボーマルシェ大通りの方です。この通りへは、中庭のような所を近道して、斜めに歩いてたどり着きました。地下鉄駅も直ぐ近くでした。ピカソ美術館は、この駅から10分とはかからない距離です。そんな短い距離でしたが、昨日も遅くまで飲みましたので、のどが渇いてきました。途中でコンビニがありましたので、冷たいジュースを買いました。本当はミネラルウォターの方がよかったのですが、適当なサイズのものは半ダース単位であり、1本単位は2リッターほどあったので、諦めました。
ピカソ美術館の建物の前身はホテルだったようです。そのホテルを改造して美術館に作り変える際の工事途中の写真も展示してありました。切符売り場と入口は別になっていて、入場料は5.5ユーロでした。ピカソの死後、相続税として納められた3500点もの作品がベースになっています。制作年代は1894年から1972年までに及び、絵画だけでなく、彫刻、陶器なども展示してありました。
展示は地階から2階まであり、ピカソの作品をまとめてこれだけ見学できたのは初めてでした。何年か前に、名古屋市美術館でピカソ展が開かれましたが、これだけの作品は展示されていなかったように記憶しています。「青の時代」の作品は自画像を含めてかなりの数がありましたが、「赤の時代」の作品は気づきませんでした。作品数そのものが少ないのかも知れません。「キュービスム時代」から「新古典主義時代」更に自由な作風となった晩年の作品も実に豊富に展示されていました。
暫く見入ったのはデッサンでした。古典的で模範的なデッサンから、線が自由に踊っているような円熟期のデッサンなども身近に見学できました。つい、写真を撮るのも忘れてしまいました。この美術館でも、フラッシュを焚かなければ、係員の方が横にいても、クレーム無しでした。
前身がホテルだけに、中庭が整備されていて、一角には小さな売店もありました。ワインがありましたが、午前中なので思いとどまりました。
ところで、ピカソを観賞する時、いつも思い出す人がいます。小学校1年から3年までの担任だった樋口先生です。図画・工作が専門の先生で、作品の観賞仕方を身振り手振りで教えて頂きました。その1人がピカソです。
子供心には上手い画とは思えませんでしたが、教科書にあった母子像の腕に注目して、「この腕に母の感じる重たさがある」と言った主旨の説明をして貰ったことが記憶に残っています。
円山応挙筆の幽霊の絵の時も、身振り手振りだったので、このこともよく覚えています。ピカソの場合には、元々デッサンでは天才的な人だとも、教えて貰いました。今回、その天才的なデッサンの数々も目の当たりにし、感慨深い見学でした。
手元に1998年に名古屋市美術館の開館10周年記念で開催されたピカソ展の冊子がります。この中に展示会に出品されたピカソ美術館の作品は「デッサンするクロードを見守るフランソワーズとパロマ」くらいでした。メトロポリタン美術館と、国内では彫刻の森美術館の収蔵品が目立ちました。母子像も2点ありましたが、小学3年の時に目にしたものとは少し違うように感じました。1920年代の作品です。
<今日も少し贅沢な昼食>
ピカソ美術館の次はポンビドー国立芸術文化センターへ向かいました。途中、フランス歴史博物館がありましたので、外観だけを見学しました。垂れ幕が下がっていて、何かイベントが開催されているようでした。そこから更に西に歩きますと、写真で見たことがあるポンビドー国立芸術文化センターの赤、青、黄色などの原色で塗り分けられたパイプだらけの建物が見えてきました。
その建物を確認できたところで昼食の場所を探しました。と言うより、歩いてきた通りに、お洒落な店が多くありました。丁度昼時になっていましたので、少し後戻りする形で店を選びました。目星をつけておいたのは、イタリア風のパスタの店、フランスパンを使ったサンドイッチの店、魚料理の店等でした。
1番に選んだのが「パスタ+ワイン」次が「サンドイッチ+ワイン」3番目に「中華料理風和食+ワイン」でした。ところが、1番目も2番目も店の奥まで満席で、結局は「中華料理風和食+ワイン」の店にしました。
この店は、出来合いの料理が並べられていて、その中から野菜の旨煮、寿司を頼みました。飲み物の最初はハイネッケンビールにしました。先ずはこの分を先払いでした。他の店よりは少し割高の感じもしました。先客は何人かいましたが、あまり流行っている店ではなかったようです。多分、値段のためかも知れません。
少し大き目のテーブルに座りましたので、その後でキャリアウーマン風の黒人女性の人が相席になりました。この人は、絶えず携帯で話をしながら、チャーハンの上に焼き鳥を2本載せて美味しそうに食べていました。ビールを飲んでいた先客の男性は、勘定を済ませて帰っていきました。後払いもあったようです。常連客かも知れません。
店番は、二人の東洋系の若い女性でした。1人はほとんど話をせず、見習風で、もう1人の人が頑張っていました。この人に、棚に見本で置いてあったワインのハーフボトルを追加注文しました。10ユーロでお釣りがきました。白ワインは辛口で、まずまずでした。見本のボトルではなく、ちゃんと下の棚から、冷やしてあったワインを出してくれました。
寿司は、サーモンなどの赤魚で、一応、山葵と醤油がついていました。透明のパック詰めにしてありました。酢の物とガリも付いていました。旨煮はブロッコリーと人参が主体で、まずまずの味付けでした。かなりの量でした。寿司の方を先に食べましたので、旨煮が少し冷めてきました。これを見て、先ほどの娘さんがフランス語で何か話し、旨煮をもう一度レンジで温めてくれました。店内の飾りは、中国風と和風とごっちゃでした。
<ポンピドー国立芸術文化センター>
十分にお腹が膨らんだところで、ポンピドー国立芸術文化センターのビルに入館しました。入場料は無料でしたが、入場の際に手荷物検査がありました。レントゲン検査装置も備えてありました。
1階の照明はかなり薄暗かった。節電と言うことではなく、若い人向けの感覚で選択された意匠のようでした。この薄暗い1階に、人出は多かったですが、やはり若い人が主体でした。
このセンター、創設されたのは1977年ですが、余りもの斬新なデザインに物議を醸したとされます。しかし、現在ではルーブルを凌ぐほどの年間入場者を誇る設備として育ってきています。このビルの4、5階にある国立近代美術館の人気が高いのかも知れません。
この国立近代美術館には入場しませんでしたが、3階まではエスカレータを使って中を覗いてみました。近代図書館、インターネットセンターと言った趣でした。やはり学生さんたちが殆どで、必要な図書類をパソコンを使って検索したり、インターネットを使って情報収集をしていました。私語を発する人もいませんでした。静かですが、緊張感のある雰囲気が印象的でした。
この建物の北側からベランダに出ることができ、眼下の広場の様子を窺がうことができました。建物に向かって下り勾配になった舗装広場では、何組かの大道芸人の人たちが観客を集めていました。通りがかりに立ち見をする人もいましたが、グループで座り込んで、じっくり見学する人達も遠望されました。この後、私のその中の1人として、ゆっくり見学しました。
残念だったことは、この国立近代美術館を見学する時間がなかったことです。入場料はピカソ美術館と同じ5.5ユーロです。常時1400点が展示されていて、5階には1905年から1960年までの作品が年代順に並べられています。4階には、その時代以降の作品が入れ替え展示されていると言います。
フォービスム(野獣派)のマティスの作品や、キュービスムのピカソの作品などもあり、パリで名声を得た日本の藤田継冶の作品も展示されているようです。この美術館も次回の旅行の楽しみとしておきます。
<広場の大道芸>
北側の広場では、最初にモンゴルの3人組の演奏を聞きました。推定年齢ですが、30代1人、50代2人のトリオ演奏でした。若い人は20代後半かもしれません。3人とも弦楽器を手にし、もっぱら楽器演奏主体の人は弦で、歌唱の人たちは指で爪弾いていました。3人とも濃い青地に白・黒・金の刺繍のお揃いの民族衣装を身に着けていました。
曲名は全く分かりませんでしたが、低音を効かせたソロ、高音のソロと、そのハーモニーが独特の世界を作り出していました。歌唱そのものが楽器のような響きを奏でていました。おそらくモンゴルの草原で朗々と歌われ、遠くへ響き渡る歌唱法なのでしょう。ソロの後には、大きな拍手が沸きました。15ユーロ、2千円弱でCDを売っていましたので、私もチップ代わりに1枚購入しました。
広場を一番沸かせていたのは上半身裸の曲芸の人でした。観客を惹きつけ、その場でアシスタントも手当てしていました。曲芸の種類も豊富で高度でした。
例えば、テーブルの上でのボールの曲芸では、8個ほどを同時に操っていました。この時も、簡単な演技の際に、わざとボールを1個落として、俄かアシスタントに拾いに行かせることもストーリーに含まれていました。とにかく、観客を沸かせることと、引き入れる手管はプロそのものでした。
年配の男性二人をアシスタントに棒上の倒立、長い棒のバランス芸、テーブルの上に更に不安定な道具を積み重ねた曲乗り、曲芸倒立等、拍手と笑いと賞賛の拍手が絶えませんでした。石垣の上からの観客には、曲芸に使った棒を伸ばして、ここから箱へ小銭を落としこむ仕組みになっていました。
もう一組は、黒人の人たちの民族舞踊でした。打楽器でリズムを刻み、それに合わせて4人がダンスを披露していました。民族舞踊のようでしたが、残念ながら少し単調で、余り盛り上がっていませんでした。隆々とした筋肉を躍動させながら踊っていたのが見せ所でした。
<セーヌ河畔、古本屋さん>
ポンピドー国立芸術文化センターの広場での大道芸を見学した後、パリ市庁舎を見学の後、セーヌ川沿いを歩いてルーブル美術館に向かうことにしました。3回目、今回の旅行では最後のルーブル詣でです。
パリ市庁舎は、フランス革命の際の本拠地となった所ですが、1871年のパリコンミューンで焼失し、1882年に現在のネオ・ルネッサンス様式で再建されたと言います。修復工事用の足場が正面に組まれ始めていました。現在、ツアーの場合に月曜日だけ一般見学が許可されていると言います。かつて、広場は処刑場でした。
最初にセーヌ河畔を散歩した時、堤防に鍵がかかった木箱が連続して設置してあったのを見て、用途の見当が付きませんでした。「防災用の器具でも仕舞ってあるのでは?」位の想像でした。パリに到着した翌日、23日のことです。
それで、早速ホテルでガイドブックを調べましたら、古本屋さんであることが分かりました。今回、その扉が開いていましたので納得できました。1人の本屋さんで、複数の収納庫を持っていたり、1つだけの人もいました。この日も開いていない収納庫もありました。
「これで商売になるの?」と言った新書版や軽い小説風本を沢山置いた店があり、あるいは古い雑誌を専門にしている店など、それぞれに個性がありました。結構、パリ市民に重宝がられているのでしょう。
<モナリザを最後にもう一度>
HISのガイドさんとの約束の時間を守るためには、ルーブルの見学は1時間以内と計算しました。それで、今回は焼物とモナリザに的を絞って早足で見学をしました。一日通し券のカルト・ミュゼ・モニュメントではなく、1回券を購入しました。幸い行列は出来ていませんでした。
最初にモナリザを見学しました。デウノン翼から入場しますと、モナリザ見学は便利です。案内標識に従って奥に進むとイタリア絵画の部のコーナーにたどり着くことが出来ます。
ここには17世紀から18世紀のイタリアの作品が展示してあります。さすがにモナリザの前には人だかりがしていました。しかし、少し待って最前列に進むことが出来ましたので、3枚ほど撮影して、モナリザに別れを告げました。
この日はそれまで見落としていたイタリア絵画の傑作も見学できました。レオナルド・ダビンチのその他の作品とラファエロの作品などです。これらの見学と撮影を終えて、半地階の「中世のルーブル」コーナーに向かいました。
この小冊子の紙面の都合で、これらの写真は収録できませんでした。中世時代のルーブルの濠が実物の石を使って大規模に再現してあり、中々の迫力がありました。
最後の最後は、ミロのビーナスを見学しました。この名作はデウノン翼から近いシュリー翼の南西部に展示してあります。この見学は2回目です。やはり名作なので、多くの人が集まっていましたが、少し待って撮影することが出来ました。女性の方は、ミロのビーナス、アフロディテをバックに記念撮影をするのがお好きなようです。
ミロのビーナスでも小学校3年の頃に樋口先生に款賞の仕方を教えてもらった記憶があります。少し記憶に曖昧な点はありますが、サモトラケのミケとの比較論でした。ビーナスの場合には、無くなった腕の形をいくつか実演されていたような記憶も残っています。
この時の結論は、「腕が無くなっていたことが歴史的傑作になった大きな要因」それと、「サモトラケのミケの顔はビーナスよりも素晴らしかったかも知れない。しかし、こちらも顔がなくなったことが歴史的名作になった」との大筋の説明だったような記憶があります。10歳の子供でも、尊敬する先生が真剣に教えて戴いたことは、簡単には忘れられないものです。
<迎にきてくれたHISの現地ガイドさん>
ルーブル美術館の見学を終えて、地下鉄でホテルに向かいました。乗換えを間違えなければ、30分もあれば到着できます。預けておいた荷物を引き取って、ロビーでHI*のガイドさんを待ちました。荷物は自分で運んだし、チップを出しても、間違いなく断られるので「メルシー」だけの御礼にしました。預けた時とは別のフロント係りの人でした。
ガイドさんとの約束の時間である18時半には20分ほど余裕があり、暫くロビーで待つことにしました。やがて、予定の時刻にガイドさんがロビーに来てくれました。早く着き過ぎた場合、停車場所で困るのでしょう。空港到着の時と同じ、日本人スタッフでした。後で話を聞きましたら、パリへ来て6年目になるそうでした。「あっという間に年数が経ちました」と話されていました。まだ20代と思われる若いガイドさんでした。
ほかに客はなく、自分ひとりだというので、真っ直ぐシャルル・ドゴール空港へ向かいました。道路は混み始める前の時間で、順調に走りました。ガイドさんは「多分説明しなくてもよいと思いますが」と前置きして一通りの出国手続きを説明してくれました。
その後で、
「今回の旅行で何か困ったことはありませんでしたか?」
と聞かれましたので、
「HI*さんにクレームは出しませんので安心して聞いてください」
と前置きして、イギリス日帰り旅行の際のトラブルの事を説明しておきました。
「日本でオプショナルツアーを売り出す時に、『ユーロ圏のイギリスの場合、日帰りでもパスポートは持参して下さい』 と、どこかへ必ず記載しておいてください」
と言う注文でした。ガイドさんは直ぐに手帳にメモしていましたので、多分次回からは改善されるに違いないと期待しました。
「それともう1つ、両替が出来ないホテルに遅い時間へ案内される時は、『両替』の事は少し気を配ってください」
と言うことも付け加えておきました。これも、
「クレームにはしませんので」
と、言う前置き付でした。シティ・ラマ社への丸投げツアーなので、HI*さんとしては力が入らなかったのでしょう。
雑談しながら「スリ被害」のことにも話が及びました。ガイドさんもスリでは沢山の被害例を経験されているようでした。日本で予め貰っていた黄色いパンフレットにも「盗難対策」がありました。
私の場合、「ペラペラと話し掛けられているうちに、・・・もう1人が財布などを抜き取る」のパターンでした。
英語で話しかけられても、「エクスキューズミー アイドント ノー」と取り合わなかったので、辛くも被害を免れました。ガイドさんの話によると、パスポートと現金を纏めて盗られ、困ってしまうケースも後を絶たないようです。「フランスは特別に治安が悪い国ではありませんが、決していい国とはいえません」と表現していました。
最近増えている被害に、「知らない人に飲み物を勧められて、リュックごと纏めて被害」のケースをテレビで紹介していました。飲み物に睡眠薬が入れてあるケースのようです。
黄色のパンフレットにも「面識のない人から飲酒食物を貰わない(睡眠薬が混入されている場合がある)」と、ちゃんと記載してありました。これらの事も、実際に経験してみないと中々理解し難いことです。しかし、経験してしまっては遅過ぎます。そう言った意味では、被害ゼロで、貴重な経験をさせて貰いました。
ピカソ美術館で
母子像の児を抱く重さ例つつピカソ教わる十歳の時
ルーブル美術館で
旅終て帰るひと時工面してモナリザ訪ね区切付たり
ダビンチの作品並ぶコーナーに息整へてその名をなぞる
さり気無く通路歩きつ眺むるも吸寄られしラファエロの在
アフロディテ腕なき姿を絶賛の教え忘れじ小学三年
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- 大韓航空
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朝一番にメトロに乗ってやってきたバスティーユ広場です。昨日の内から、今日の見学場所は決めていました。帰国日ですが、まだ時間はたっぷりあります。
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デジカメの望遠機能を最大限に発揮して撮影しましたが、余り鮮明な写真ではありません。緑青を吹いた高い塔の天辺です。金色の天使像が見えます。
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一番の目的はピカソ美術館ですが、同じ方角にバスティーユ広場がある事を確認していました。バスティーユ牢獄跡地にモニュメントが建っています。正面はオペラハウスです。
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道路を渡るのは億劫だったので、その塔の台座越しにオペラ・バスティーユを写しました。この広場一帯は、夜、賑わいを見せるようです。
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まだ朝の早い時間です。道路にはみ出したカフェでは、三々五々に朝のティータイムを楽しんでいました。
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フランス革命は、このバスティーユの監獄襲撃から始まったとされます。今はその面影は全く残っていません。新緑が美しい並木路です。
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バスティーユ広場の見学を終えたところで、次はピカソ美術館です。出発する前にざっと位置関係を調べていましたから、歩いての移動です。
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その途中で立ち寄った展示即売の露店の画廊です。バスティーユ広場に隣接する場所でした。絵だけでなく彫刻類、衣類店もありました。民芸風の木工細工のお店です。
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この並びの露店は、三方を締め切って、正面がオープンになった簡易なものでした。鉄パイプに布張りです。陶板や、絵皿のブースです。
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芸術家らしき人たちが、それぞれのスペースで自作の展示即売をしていました。このお店では、黒い幕を張って、絵画が並べられていました。
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照明器具も付けられた大型の販売ブースです。おそらくスペースに応じて、使用料が支払われているのでしょう。抽象絵画のブースです。
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露店が並んでいた並木道です。この場所だけは、別の時間が流れているようでした。中央付近に先程見学してきたバスティーユ広場のモニュメントが見えます。
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展示販売の露店見学を終えた後、建物の中抜け道を通って西北方向へ歩きました。抜け道で、大分近道になりました。通勤らしき人の後ろに付いての通り抜けでした。
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地下鉄を降りたボーマルシェ大通りのシュマン・ベール駅からピカソ美術館までは、約10分でした。この場所から更に北西方面になります。
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これから見学するパリ・国立ピカソ美術館は、パリの中でも最も歴史の古い地域のひとつ、マレ地区に17世紀半ばに建てられた壮麗な個人の大邸宅、サレ館を修復・改装し、1985年9月に開館されました。
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ピカソ美術館は、ガイドブックにも載っていましたが、その中でも優先した理由は、HISのガイドさんの熱心な勧めでした。
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ピカソ美術館はもうすぐです。途中、街路風景などをカメラに収めながら歩きました。マレ地区と呼ばれる古い街路は、車の通りが少なく、散策にはもってこいです。
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ピカソ美術館は、少し入り組んだ旧市街の中にありますが、赤い看板が目印です。左前方に見えてきました。
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パリの歴史説明の洒落た標識です。現在のピカソ美術館の建物が、歴史建造物の「塩の館(ホテル・サレ)」と呼ばれ、ベネチア大使館や美術学校だったことが記されているようです。
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こちらは現在のピカソ美術館の案内標識です。英語表記もあります。4月1日から9月30日までは朝9時半から午後6時まで、それ以外の期間は、9時半から5時半までと記されています。水曜日が休館日です。
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このパリ・ピカソ美術館の素晴らしさは、遺族と政府側の専門家が6年もかけて選んだという「各時代のバランスのとれたコレクション」と評されています。右手が美術館の入口です。
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美術館の中庭です。ピカソ作品の見学を一通り終えてから、中庭に出ました。テントで飲物や軽食が販売されていました。午前中でしたから、ワインは思いとどまりました。
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中庭の光景を続けて紹介します。日本のお寺ですと、山や林が借景になりますが、看板が一つもない歴史的建造物が借景と言ったところです。芝生の中にオブジェがあります。
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今度は建物自体のそ愉快です。先程会談を上り下りしてピカソの各年代の作品を見学してきました。展示室の数は20室ほどです。
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大いに満足できたピカソ美術館見学でした。次にパリに来る機会があったら、もう一度訪れてみたい美術館です。ルーブルもオルセーも外せませんから、美術館巡りだけでパリ見物が終わりそうですが。窓に飾られたゼラニュウムの花です。
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ピカソ美術館見学の後は、地下鉄駅には戻らず、更に西南方角へ歩きました。パリ市庁舎とポンピドー美術館見学のためです。
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移動時間そのものが、パリの旧市街見学となりました。セーヌ川の北岸、ノートルダム寺院の少し西のパリ市庁舎までは2キロとはありません。20分弱で歩ける距離です。
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パリ市庁舎見学の前に、フランス歴史博物館の建物に出逢いました。見学の時間はありませんでしたから、建物と中庭だけを写真に収めました。
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カーブを描くように作られた正面玄関付近の建物です。前庭の芝生が、石造りの建物によく似合っています。ピカソ美術館から、200mとは離れていない場所です。
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正面玄関横にあった垂れ幕風のポスターです。特別展示の案内ではなく、常設のもののようです。国立古文書館が併設されています。
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