1972/02/02 - 1972/03/11
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マキャヴィティさん
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昔から卒業旅行はありました
多くの若者が世界を目指して出国していきました。昭和47年初春、45年前,
札幌オリンピックの年でした。
必修科目試験が1月いっぱいあり、就職企業ガイダンス始まる3月中旬までの期間に旅行することにして 約40日間エジプト、ヨーロッパ各国、モロッコ、タイを1人で回りました。
当時、普通ヨーロッパには、横浜からナホトカに船、そしてシベリア鉄道で1週間以上かかるところを、当時パレスホテルの1階にあったエジプト航空に安く航空券を売ってくれるように交渉したらOKをもらい、JTB虎ノ門支店を紹介されました。
当時正規料金の48万円が24万円になり、ロシア回りより高いけど、ストップオーバー付なので途中で各国回れましたし、何より時間が節約できました。
初任給が4万円でしたので高額ですが、学生時代に中小企業の工場に守衛として住み込んで昼間も働いて貯金をしてお金はありました。
変色したアルバムからのスキャンなので写真は良くありません。
10か国に行きましたが最終地パリのエリアの旅行記に集約しました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 2.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 2.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス ヒッチハイク 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エジプト航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
エジプト航空の時刻表に合わせて計画を立案
今みたいに現地旅行案内書が無いので、丸善でミシュランの英語版を買った -
往路は羽田→カイロ→アテネ→ミュンヘン→ロンドン
ミュンヘン→ロンドン間は捨て
復路はロンドン→パリ→バンコク→羽田
日程の都合でロンドン→パリは捨てることに -
パスポート
行くかもしれない国を羅列 -
-
-
-
こんなのも必要でした
ちょっと前まで持ち出し制限金額は500ドルでした
1ドル308円の時代です -
伝染病(天然痘)予防注射
-
ヨーロッパ鉄道ユーレイルパス
1か月間1等に乗れます
コンパートメントを独り占めできた -
ドーハ
当時はほんとになんにもなかった
各駅停車の飛行機ゆえターバン巻いた人が乗って来たり
面白かった
飛行機はボーイング707
香港の飛行場は建物に囲まれていて着陸は建物にぶつかると
思い、離陸はほとんど垂直に上がりました -
カイロ飛行場で客引きをしていた業者の案内でピラミッドと
博物館に行く
クフ王のピラミッドに入る 外では地元民がピラミッド登頂の
ガイドをしている どこから登るかルートがあるらしい -
博物館
番傘を差ている、どこでもこんなバカがいるものです
男同士で手をつないで気持ちが悪い! アラブの国では当たり前のことと、知る。
観光が終わって飛行場にタクシーで行く途中、隣を走っていた、日本人グループのバスに同乗させてもらう
JTBのエジプトツアーでお年を召した方が多かった 当時ツアーはハワイ
などが一般的な時に、エジプトツアーとは進んだ人達です
カイロからギリシャまでコメットに乗った
空中分解はしなかったけど狭い飛行機だった -
アテネは観光客が非常に少なくパルテノンでは管理する人たちと
仲良くなった
45年後再び訪れた時には遺跡は変わっていないけど、写真の人を
知っている人はいなかった。 -
お土産屋で火縄銃のピストルを買う
帰国の羽田の税関で別室に連行されるが、骨董品として登録し今も手元にある
パイレーツ オブ カリビアンに出てくるような物 -
ミュンヘンに着いて夜行列車でコペンハーゲンに向かう
人魚姫の首が切られた事件後で、首はつないであった
当時、デンマークのポルノ本は良いと評判だった
1番北はクロンボルグまで行った -
ドイツを南下して、
ローテンブルク
駅から坂道を上った先にある味のある町でした -
ロマンチック街道をアウグスブルグからフッセンまで
日本人は珍しいので泊めてもらったり楽しい時を過ごした
教会のパイプオルガンを聴きたくて方々の教会を訪ねて聴くことがでた -
フッセンからヒッチハイクでノイシュバンシュタイン城に
外はかっこいいけど中わね 悪趣味でした -
ハイデルベルク
-
ザルツブルク
-
ザルツブルク
-
ウイーン
当時ウイーン少年合唱団が流行っていたので、つい。
テレビでは札幌オリンピックを放映している -
シェーンブルク
オーストリアから北は冬は昼間でも暗い
ギリシャでもらった兵隊さんのブローチを付けてあげたこの子も50歳になっているでしょう -
インスブルックからベルンを経由してミラノに
イタリアに入って空が明るくなりほっとする
フィレンツェからローマへ -
ロムルスとレムスの像を探しまくり、発見
-
2月はどこも観光客は少ない
バチカン大聖堂内では信者が聖ペトロの像の足に接吻していた
接吻だけで足が摩耗していた -
何気なく撮った写真が役に立つことも
「ローマの休日」で王女が寝ていた、深夜の出会い場所が映っていた
その後この道路は取り壊されたので、ローマの休日の撮影場所をたくさんの人が
探しても見つけられない
あれ、ティベレ川に浮かんでいるのは -
ローマからニースを通ってポートボウからスペインへ
電車の車輪の幅が違うからと付け替えで降ろされた
バルセロナでフライパンごと出されたパエジャを食べて涙を流して感激
パエリアじゃありません、スペインではみんなパエジャと言ってました
今有名なガウディですが、特徴的なベンチは覚えていますが
あのサグラダファミリアは記憶にありませんが、写真を見ると遠くに
写っていました
スペインが誇る特急タルゴに乗ってマドリッドに
マドリッドはソルのデパートガレリアプレシアドスの近くのビル
の中の民宿 深夜遊んで帰ってきたら手をたたくと、どこからか
おじいさんがカギをジャラジャラもって来て開けてくれます
フランコさんが存命で治安はとても良く、物価が安く
夕食コース料理ワイン1本付きで1000円と快適 マドリッドに
長居をしてしまった -
トレドや、フラメンコ、すいているプラド美術館に通ってぶらぶらして
いるうちにモロッコが良いとこだと聞いて行くことにした
セビリア、カディスを見てアルヘシラスからジブラルタル海峡を
渡ってスペイン領セウタへ
ジブラルタル海峡の船の上からガスオッサのビンに手紙を入れて流したけど
未だに返事がない -
タンジェ、フェス、ミケネス、カサブランカ、マラケシュ
交通手段はバス主体 -
タンジェからフェスまで4等の夜汽車で行く
客室に暖房が無く、木の椅子に座って寒くて眠れないに、
現地人はすっぽりかぶるネズミ小僧みたいな着物の中で
床に座って膝を抱きまんまるになって寝ていた
本当にうらやましいと思った -
スペインサハラまで行ってみたかったけど、マラケシュから引き返す
-
グラダナに寄る
噴水のライオンにまたがってみる
観光客がいないので何でもやり放題ですが、写真を撮ってくれる人を探すのが大変 -
マドリッドに帰り、も一度プラド美術館に行ってムリーリョの作品マリア様に
別れをして、預けた荷物を取ってパリ行きTEEに乗る -
パリでは中心街の2区の肉屋の多い地区の安宿に滞在
朝食は富士山の形をしたパンとカフェオレだけだけど美味しい
富士山の形をしたパンは、その後行ったパリで見つからない
エスカルゴをいっぱい食べたし、スペインでは今は幻のアンギラスを食べた
小鉢にウナギの子沢山をニンニクとオリーブ油で調理したもの。
けっこう食生活は充実していた -
オペラ座でバレー・ジゼルを見る
ルーブル美術館を隅々まで見る リシュリュー翼の先に印象派美術館があり、
狭い部屋部屋に有名な絵が所狭しと展示してあり、座り込んで1日いた。
その後移転した。 -
ロンドンに行きたかったけど日程が詰まり、変更してパリ・ブルージェ飛行場
から帰る 「あれがパリの火だ」のル・ブルージェです
カイロで1泊してバンコクで降りる
タイはビザが必要なのを知らず、怒られても、何とかビザを出してもらう -
YMCAホテルで冷房付きの部屋で快適に過ごす
食事は屋台で飲み物はビニール袋に入った物でお腹は壊さなかった
いまだ理解できないが、飲み物の自動販売機に女性が付いていて、
お金を彼女に渡すとお金を挿入してくれましたがなんだったのでしょう
飛行場からバンコク市内まで乗合バスで混み込みだったのに、
市内から飛行場へはエジプト航空差向けのベンツで高級なオリエンタル
ホテルから送り付き 飛行機のお客は大事にされてる時代でした
機内でパーサーにポルノ本を見せたら機長に見せに行き、それから
サービス満点になりました
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