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泉岳寺を出るとそこは伊皿子坂、その先にある魚藍坂を含め、このあたりは歴史を感じさせる名前の付いた坂が多い。ついその地名に誘われて泉岳寺の駅とは逆方向の坂を上ってしまいました。

高輪歴史散歩

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2007/04/07 - 2007/04/07

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旅行記グループ 街歩きシリーズ1

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

泉岳寺を出るとそこは伊皿子坂、その先にある魚藍坂を含め、このあたりは歴史を感じさせる名前の付いた坂が多い。ついその地名に誘われて泉岳寺の駅とは逆方向の坂を上ってしまいました。

  • 泉岳寺の中門を抜け道路に出ると、伊皿子坂の文字が目に入ってきて、誘われたように思わず坂を登ってしまいました。<br />そう、ここ高輪界隈は歴史を感じさせる名前のついた坂が多いため、ついつい名前に惹かれてしまいました。この坂を登って行くと今度は魚藍坂というまた魅力的な名前の坂があります。<br />名前の由来は、明国人「伊皿子」(いんべいす)が住んでいたと伝えられるほか、大仏(おさらぎ)がなまったとも、いいさらふ〔意味不明〕の変化ともいわれていて、どれが由来なのか定かではないようです。。

    泉岳寺の中門を抜け道路に出ると、伊皿子坂の文字が目に入ってきて、誘われたように思わず坂を登ってしまいました。
    そう、ここ高輪界隈は歴史を感じさせる名前のついた坂が多いため、ついつい名前に惹かれてしまいました。この坂を登って行くと今度は魚藍坂というまた魅力的な名前の坂があります。
    名前の由来は、明国人「伊皿子」(いんべいす)が住んでいたと伝えられるほか、大仏(おさらぎ)がなまったとも、いいさらふ〔意味不明〕の変化ともいわれていて、どれが由来なのか定かではないようです。。

  • 更にその先の桜田通りに下りる交差点の角にある高輪消防署二本榎出張所。

    更にその先の桜田通りに下りる交差点の角にある高輪消防署二本榎出張所。

  • 伊皿子坂を登りきって左に曲がって高松宮邸を過ぎたあたりにあった和菓子の「虎屋」、同じ名前ですがあの宮内庁御用達のお店とは全く経営は違うようです。<br />でもなかなか風格もあり、路上でわざわざお店のスケッチをしていたおばさんがいましたので、きっと由緒あるお店なんでしょうね。

    伊皿子坂を登りきって左に曲がって高松宮邸を過ぎたあたりにあった和菓子の「虎屋」、同じ名前ですがあの宮内庁御用達のお店とは全く経営は違うようです。
    でもなかなか風格もあり、路上でわざわざお店のスケッチをしていたおばさんがいましたので、きっと由緒あるお店なんでしょうね。

  • ここは、昭和8年に間組の施工により建てられたユニークな外観の消防署で、見た目は「空に聳え立つ陸の灯台」といった感じです。帰ってからわかった事ですが希望すれば中も見せてくれたそうで残念。<br />家が近いのでまた行きます。

    ここは、昭和8年に間組の施工により建てられたユニークな外観の消防署で、見た目は「空に聳え立つ陸の灯台」といった感じです。帰ってからわかった事ですが希望すれば中も見せてくれたそうで残念。
    家が近いのでまた行きます。

  • 桜田通りに下りると交差点の角にある明治学院大学が見えてきました。<br />ここは、140年前にヘボンによって創設されたキリスト教系の大学です。クリスマスのシーズンにはクリスマスイルミネーションときれいにライトアップされたこれらの歴史ある建物を見ることができます。<br />http://4travel.jp/traveler/kincyan/album/10108194/<br />

    桜田通りに下りると交差点の角にある明治学院大学が見えてきました。
    ここは、140年前にヘボンによって創設されたキリスト教系の大学です。クリスマスのシーズンにはクリスマスイルミネーションときれいにライトアップされたこれらの歴史ある建物を見ることができます。
    http://4travel.jp/traveler/kincyan/album/10108194/

  • 前々から気になっていてじっくり見たかった建物でしたが、いつもは車で前を通り過ぎるだけ。今日は歩いての訪問なので、守衛さんにお願いして中に入れてもらいました。<br />これは明治学院記念館で、明治23年(1890年)宣教師だったH.Mランディスの設計により建てられたものです。<br />もともとは神学部の校舎と図書館として使われていたようです。

    前々から気になっていてじっくり見たかった建物でしたが、いつもは車で前を通り過ぎるだけ。今日は歩いての訪問なので、守衛さんにお願いして中に入れてもらいました。
    これは明治学院記念館で、明治23年(1890年)宣教師だったH.Mランディスの設計により建てられたものです。
    もともとは神学部の校舎と図書館として使われていたようです。

  • 中には入れないとのことで、入口からちょっとのぞいてみました。

    中には入れないとのことで、入口からちょっとのぞいてみました。

  • 下から見上げるとまた違った感じです。

    下から見上げるとまた違った感じです。

  • この建物、もともとは赤煉瓦造2階建て、瓦葺き屋根でしたが、 1894年(明治27年)6月の大地震で大破し、2階部分を木造に改造されたそうです。

    この建物、もともとは赤煉瓦造2階建て、瓦葺き屋根でしたが、 1894年(明治27年)6月の大地震で大破し、2階部分を木造に改造されたそうです。

  • 尖塔は1914年(大正3年)の火災により類焼して改造されています。 関東大震災では煉瓦の煙突が倒壊し、2階部分が大破し復元されています。

    尖塔は1914年(大正3年)の火災により類焼して改造されています。 関東大震災では煉瓦の煙突が倒壊し、2階部分が大破し復元されています。

  • 小講堂のようですが神学部で使っていただけあって教会のようです。

    小講堂のようですが神学部で使っていただけあって教会のようです。

  • 1F部分はレンガ造のままのようです。

    1F部分はレンガ造のままのようです。

  • 明治学院インブリー館<br />旧宣教師館で、1889年(明治22年)頃建てられたもので、 ウィリアム・インブリー博士が住んでいたことにより名づけられました。 竣工時は、瓦葺でしたが、1914年(大正3年)の火災により屋根と外壁の一部が類焼し補修されています。<br />

    明治学院インブリー館
    旧宣教師館で、1889年(明治22年)頃建てられたもので、 ウィリアム・インブリー博士が住んでいたことにより名づけられました。 竣工時は、瓦葺でしたが、1914年(大正3年)の火災により屋根と外壁の一部が類焼し補修されています。

  •  1964年(昭和39年)に現在地に移築され、平成9年に修復が完成しました。<br />

    1964年(昭和39年)に現在地に移築され、平成9年に修復が完成しました。

  • 1916年(大正5年) の建てられた木造の礼拝堂で、明治学院のシンボル的なチャペルです。<br />下半分が写っていないのは、白い鋼板の仮囲いがされ現在改装工事中だからです。<br />

    1916年(大正5年) の建てられた木造の礼拝堂で、明治学院のシンボル的なチャペルです。
    下半分が写っていないのは、白い鋼板の仮囲いがされ現在改装工事中だからです。

  • 工事中のため中も見ることができませんでした。

    工事中のため中も見ることができませんでした。

  • まだキャンパスの桜残っていました。

    まだキャンパスの桜残っていました。

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