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前の打ち合わせが順調に進んで、錦糸町での打ち合わせ時間まで1時間の余裕ができました。天気がいいのでお茶して時間を潰すよりは、いつもの散策かな・・・と言うことで途中両国で途中下車。<br />ここ両国は大相撲の国技館のある町として有名ですが、本格的な日本庭園や歴史的な建造物も数多く残る、ゆっくり訪ねてみたかった町でもありました。今日は打ち合わせの合間の限られた時間のためとりあえず気になるところだけ駆け足で回りました。

相撲の町 両国散策

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2007/06/01 - 2007/06/01

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旅行記グループ 街歩きシリーズ1

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

前の打ち合わせが順調に進んで、錦糸町での打ち合わせ時間まで1時間の余裕ができました。天気がいいのでお茶して時間を潰すよりは、いつもの散策かな・・・と言うことで途中両国で途中下車。
ここ両国は大相撲の国技館のある町として有名ですが、本格的な日本庭園や歴史的な建造物も数多く残る、ゆっくり訪ねてみたかった町でもありました。今日は打ち合わせの合間の限られた時間のためとりあえず気になるところだけ駆け足で回りました。

  • 「相撲の町」両国駅は1904年(明治37年)総武鉄道のターミナル駅として開設され、その後東武線が乗り入れ埼玉と房総方面のターミナル駅として長い間賑わったそうです。当時は駅名も「両国橋」だったそうで、この駅舎も昭和4年に竣工したものでから駅名が今の両国に変わる前の駅舎です。<br /><br />

    「相撲の町」両国駅は1904年(明治37年)総武鉄道のターミナル駅として開設され、その後東武線が乗り入れ埼玉と房総方面のターミナル駅として長い間賑わったそうです。当時は駅名も「両国橋」だったそうで、この駅舎も昭和4年に竣工したものでから駅名が今の両国に変わる前の駅舎です。

  • 隅田川に近いせいか、軟弱地盤で当時6mものの松杭を2000本も打ち込んだそうですからかなりの難工事だったようです。

    隅田川に近いせいか、軟弱地盤で当時6mものの松杭を2000本も打ち込んだそうですからかなりの難工事だったようです。

  • 駅のロータリーのすぐ真横に大相撲の国技館があります。<br />5月場所が終わったばかりで、カラフルなのぼりがはためいていました。

    駅のロータリーのすぐ真横に大相撲の国技館があります。
    5月場所が終わったばかりで、カラフルなのぼりがはためいていました。

  • この櫓は、約20mあり、相撲が終わると太鼓が叩かれるそうです。

    この櫓は、約20mあり、相撲が終わると太鼓が叩かれるそうです。

  • 入口の脇には力士の姿が描かれていました。相撲博物館が併設されていて入館無料と言う事で見学しました。<br />ちなみに今は、怪童力士と巨人力士展開催中でした。<br />大相撲の歴代力士の中で一番大きかったのは18世紀の半ば頃大関として活躍した「釈迦ケ嶽」で身長227cm、体重180kgもあったそうです。当時の平均的日本人男性の身長が154センチ程度と言いますから半端でないでかさですね。でも本当にこんなでっかい人間が250年も前に日本にいたんですかね?ちょっと怪しい感じがします・・・。<br />ちなみに現役で一番でかいのが琴欧州の203センチ

    入口の脇には力士の姿が描かれていました。相撲博物館が併設されていて入館無料と言う事で見学しました。
    ちなみに今は、怪童力士と巨人力士展開催中でした。
    大相撲の歴代力士の中で一番大きかったのは18世紀の半ば頃大関として活躍した「釈迦ケ嶽」で身長227cm、体重180kgもあったそうです。当時の平均的日本人男性の身長が154センチ程度と言いますから半端でないでかさですね。でも本当にこんなでっかい人間が250年も前に日本にいたんですかね?ちょっと怪しい感じがします・・・。
    ちなみに現役で一番でかいのが琴欧州の203センチ

  • 相撲の町だけあって周辺に相撲部屋も数多くあるようでこんな光景を良く見かけます。

    相撲の町だけあって周辺に相撲部屋も数多くあるようでこんな光景を良く見かけます。

  • 安田庭園に向かってもチャリンコにのったお相撲さんがいました。

    安田庭園に向かってもチャリンコにのったお相撲さんがいました。

  • 両国国技館の全景はこれ。

    両国国技館の全景はこれ。

  • 国技館の北側には安田庭園があります。<br />ここは下野足利藩の本庄氏の屋敷のあった場所で、安政年間(1854〜1860)に隅田川の干満を利用した庭園として整備されました。これが汐入門。<br />同じように汐を引き入れていた庭園に、芝離宮、浜離宮などがあります。

    国技館の北側には安田庭園があります。
    ここは下野足利藩の本庄氏の屋敷のあった場所で、安政年間(1854〜1860)に隅田川の干満を利用した庭園として整備されました。これが汐入門。
    同じように汐を引き入れていた庭園に、芝離宮、浜離宮などがあります。

  • 明治になってから 旧安田財閥の安田善次郎の所有となり、公園内に安田善次郎の寄付した大正15年に建てられたドーム型の屋根が特徴の両国公会堂があります。

    明治になってから 旧安田財閥の安田善次郎の所有となり、公園内に安田善次郎の寄付した大正15年に建てられたドーム型の屋根が特徴の両国公会堂があります。

  • 庭園は隅田川の水を引いた汐入り回遊式で、江戸名園の一つとして数えられていた場所です。しかし関東大震災の影響でほとんど跡形なく壊れてしまい、墨田区が平成8年に全面改修工事を行い今の姿に復元されたそうです。

    庭園は隅田川の水を引いた汐入り回遊式で、江戸名園の一つとして数えられていた場所です。しかし関東大震災の影響でほとんど跡形なく壊れてしまい、墨田区が平成8年に全面改修工事を行い今の姿に復元されたそうです。

  • 今の姿を見ていると、本格的な大名庭園なので古くから引き継がれた由緒ある庭園にしか見えませんね。

    今の姿を見ていると、本格的な大名庭園なので古くから引き継がれた由緒ある庭園にしか見えませんね。

  • この両国公会堂が竣工したのは大正15年(1926)。関東大震災の記憶も生々しい時期でした。隣の被服廠では、火災によって3万人もの人が焼死し、本所一帯は焦土と化したのそうですから、当時はこの建物は復興の象徴のように映ったんでしょうね。<br />

    この両国公会堂が竣工したのは大正15年(1926)。関東大震災の記憶も生々しい時期でした。隣の被服廠では、火災によって3万人もの人が焼死し、本所一帯は焦土と化したのそうですから、当時はこの建物は復興の象徴のように映ったんでしょうね。

  • 両国公会堂は老朽化が進み閉鎖されています。どうするのかまだ方針が決まっていないようですが、こういう歴史的建造物は保存してもらいたいですね。

    両国公会堂は老朽化が進み閉鎖されています。どうするのかまだ方針が決まっていないようですが、こういう歴史的建造物は保存してもらいたいですね。

  • 公会堂の目の前は堤防をはさんで隅田川が流れています。

    公会堂の目の前は堤防をはさんで隅田川が流れています。

  • 先に見えるのは蔵前橋

    先に見えるのは蔵前橋

  • 川沿いは遊歩道になっていて格好のジョギングや散歩コースになっています。

    川沿いは遊歩道になっていて格好のジョギングや散歩コースになっています。

  • 墨田川の反対側の浅草方面も随分高層マンションが建ち並んできました。そろそろ打ち合わせ時間のため仕事先の錦糸町に移動です。

    墨田川の反対側の浅草方面も随分高層マンションが建ち並んできました。そろそろ打ち合わせ時間のため仕事先の錦糸町に移動です。

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