2025/09/27 - 2025/09/27
98位(同エリア729件中)
kummingさん
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この旅行記のスケジュール
2025/09/26
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徒歩での移動
歩いて99番バス乗り場へ
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バスでの移動
99番バスでウルベグ天文台へ
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バスでの移動
バスでハズラティヒルズモスク、ジョブ・バザール近くへ
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徒歩での移動
イスラムカリモフ通りへ
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サマルカンドの教育の歴史展
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車での移動
Yandexでサマルカンド駅へ
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電車での移動
ウズベキスタン鉄道Afrasiyab号でタシケントへ
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この旅行記スケジュールを元に
サマルカンド編が多過ぎてm(_ _)m
写真編集←減らす、作業が苦手(;O;)
今回も展示系の写真が多くて、端折るかどうか悩ましく
今日タシケントへ向かうアフラジャプ号、購入時点で痛恨のミス
ある日突然売り出しに気づき、人気の路線!?
売り切れ危惧して慌ててポチる
あれ~、ビジネス買っとるやん! 他の区間で買い直し←返金、やったので、ココでも買い直しても良かったんやけど、安いしたまには良いか~、と自分を甘やかす(笑)
今日までYandex使いまくり、未だ未踏の路線バスで、最後に取っておいた? ウルグ・ベグ天文台を訪れ、サマルカンドをあとにします♪
……美都サマルカンドは、テイムールの果敢な軍事行動と、ウルグ・ベクの非凡な文化的才能なくしてはあり得なかった……
ウルグ・ベグの軍事的指導者としての手腕のほどは、テイムールが広げた版図をほぼウズベキスタンの大きさに減らしてしまう、ことから想像するに…。
が、しかーし、学問の分野においては多大なる功績を遺した。ミルゾ・カーリー・ウルグ・ベグといい、字も上手く、コーランもよく覚え、生物学、数学、地理、物理、天文学を普及、発展させた。
ウルグ・ベグは戦争が嫌い、学問が好きで、国家も宗教も消滅するが科学はなくならない、永遠だと考えていた。
ウルグ・ベグ天文台の博物館で、天文学を通じてウズベキスタン~中国~朝鮮、ウズベキスタン~イスタンブール~カイロというルートで繋がっていた事、「中世ではイスラム社会の方が科学、学問全般の研究が盛んに行われて、キリスト教世界より進んでいてこと、キリスト教社会はイスラム社会からギリシア哲学、数学などを逆輸入した」という事を確認できて、この旅も有終の美を飾ることに^o^
終わりよければすべてよし♪
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
毎度お世話になりますm(._.)m
「このバスでウル・ベク天文台行くんやけど、バス停どこ?」
「Yanndex 呼びなはれ!」
「このバスで行けるんやで!」
「ほな、がんばりーや、バス停はソコやで」
とゆーやり取りを経て -
洗濯物ふぇち♪
↑
ウズベク初かも -
Yandex Mapでバス停探してうろうろ
行き止まりだった件← Googleくんに負けてないやん -
見覚えあるライオンさんたち
-
ここやー^o^
-
一緒に?待ってた中国人女性2人組も目的地は同じ、とわかって
旅は道連れ♪ -
乗るのはこれ
99番バス -
Yandex Mapで現在地、途中のバス停など確認しつつ
-
中国人女性2人組と
「降りるバス停分かるかな?」
相談しつつ
バスのドライバーさんに↑見せたけど、
見てくれん、そりゃそうや -
たぶんここやろ、ってんで3人揃って下車
歩1~2分でこの広場 -
♪
テイムール王朝の中で、ウルグ・ベグ統治期間を東方の2番目のルネサンスと呼ぶ -
ウルグ・ベクさま
偉大な業績を遺したウルグ・ベグは、玉座の争いの中自分の息子によって殺される、という恐ろしい運命を迎える。しかしその死後も彼の業績は世紀を超えて残り、依然として人々の尊敬を集めている。
ウルグ・ベグは文学だけでなく音楽も自分で作曲するなど、その才能は別格だった。特に、ジンギスカンの国家体系に関する歴史的な書籍も遺し、96人の学者が研究するアカデミーを設立した。 -
テイムールは遠征に出る一方で文化の振興を奨励したが、彼の孫ウルグ・ベク(1394~1449)は自ら教鞭を執り、学問の発展に努め、為政者というより、聡明な学者肌の人だった。
天文学者であり、詩に通じ、鑑賞眼をもち、音楽、神学、歴史学にも造詣深い、稀有な君主だった。
サマルカンドには彼の指示で多くのメドレセやモスクが建てられ、ウルグ・ベクのメドレセでは、貧しい家の子どもたちにも数学や天文学が教えられた。
天文台にはペルシアなどから著名な学者が集められ、天文表が生み出され、それは17世紀半ばにヨーロッパに伝えられて評価を得た。
こうして世界文化の粋が集まり、「花咲けるサマルカンド」と謳われるようになった。 -
ところが、学問、文化の振興に努めたウルグ・ベクは、保守的なイスラム指導者の反感を買ってしまう。当時はまだ宗教が科学に優先しており、イスラム指導者たちはウルグ・ベクの息子を騙して父親に刺客を向けさせた。
ウルグ・ベク55歳の非業の死だった。
↑
ヨーロッパでガリレオが地動説唱えて宗教裁判にかけられる、100年前の話 -
40000uzs→75000uzs
ここも値上げ(-。-;
Ulughbek’s Obeservatory ウルグ・ベク天文台 遺跡博物館
ウルグ・ベグの天文台に関する文献資料や当時の天地観測に欠かせない六分儀をもつ天台の模型、ウルグ・ベグより200年以上前にポーランドのグダンクス天文台を開発したヤン・へベリウス(Jan Geveliyning)についての資料などが展示されている。 -
ミルゾ・ウルグ・ベグの肖像画 (1394~1449)
ウルグ・ベグは、単なる為政者というより、学者であり文化人だった。
テイムールは軍人、為政者としてテイムール帝国を創造したが、ウルグ・ベグは学者(天文学者、数学者)教育者、詩人、神学者、哲学者、歴史学者として、学術、文化、芸術を嗜み、テイムール朝においてイスラム文化を開花させた人物といえる。 -
テイムール王朝、テイムール帝国の版図は、ソ連時代のトルキスタン、現在のウズベキスタンを遥かに超える西はトルコ、シリア、ヨルダン、イラク、パキスタン、インドの一部、東はタジキスタン、新 ウイグル自治区の一部、北はカザフスタンの一部、南はトルクメニスタン、アフガニスタン、ペルシャという広範囲に及ぶ。
-
Baburnama, Memoirs of Babur, Prince and Emperor
バーブル・ナーマ、王子、皇帝の回顧録 (ワシントンで出版)
ザヒル・アッデイン・ムハンマド著
ウルグ・ベグはアミール・テイムールの孫で、1394年、シャー・ルフの長男として生まれた。シャー・ルフは息子を祖父の名に因んだムハンマド・タラガイと名付けたが、テイムールの意向で、テユルク語で「偉大な指揮官」を意味する「ウルグ・ベグ」に改名された。
ペルシア語で「偉大な指揮官」を意味する「アミーリ・キャビール」「アミーリ・ボゾルグ」と称されていたテイムールは、自分の称号と同じ意味をもつ「ウルグ・ベグ」の名前を与えた孫に、大きな期待をかけていたと考えられている。 -
テイムールについての歴史書(15世紀)
「ザファルノマ アミール・テイムールの戦勝記」
シャラファデイン・アリ・ヤズデイ著 -
サマルカンド年代記「ルバイヤート」
アミン・アマルーフ著 -
アクサライ
14世紀の金箔を施したマジョリカ焼きの破片 -
14世紀 シャフリーズのアミール・テイムールのアクサライ邸宅
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14世紀 アミール・テイムールのレジデンス模型
アクサライ= レジデンス? -
ミルゾ・ウルグ・ベグは祖父アミール・テイムールの愛した建築、創造的伝統を継承した。彼の治世中にアミール・テイムール宮殿が再建、拡張され、サマルカンドには水路が建設、周辺地域は開放され、庭園や公園が造られた。
ウルグ・ベグはレギスタン広場の近くに、宝石で装飾された壮麗な浴場を建設した。 -
ミルゾ・ウルグ・ベクによって刻印されたコイン
ハン国における地租は農業の発展に最も不可欠な条件であり、経済的にも社会的にも大きな重要性をもっていた。ウルグ・ベクもまた、このために必要な条件を整えた人物だった。
1428年にミルゾ・ウルグ・ベクによって行われた通貨改革は、この国の経済社会関係の強化において大きな意義があった。改革の主な目的は、人々のニーズを満たすために必要な商品の小売り取り引きに適した環境を整備することだった。 -
15世紀半ば サマルカンドで活躍した詩人たち
左から
サッコイ、ルトフィー、ジョンリー、アトル(左下)
ミルゾ・ウルグ・ベクの詩的センス、文学分野における彼の知識は極めて高く、15世紀半ばマヴェロンナール(マヴォルンナクル)では文学と芸術が発展し、ウイグル語学栄えた。
当時最も才能ある詩人だったサッコイ、ルトフィジョンリー、アトルはサマルカンドで活躍した。 -
世の煩いは消え去り、神殿に平安が訪れた。
人々よ、喜びなさい。永遠の喜びの日が来たのだ。
この日以降、多くの人々が国の物語を聞きに来るようになり、何千もの慈悲の手が人々に向けられた。
偉大なるスルタン、ウルグ・ベグ
この世には多くの人が来ては去って行ったが、あなたのような人はただ1人だけ。もし空に舌があったら、いつあなたが来たのか教えてあげられるのに。
王は神に恵みを与えてくださるように祈りながら、全身全霊でこの儀式に臨んだ。 -
上
『Kentaur and Wolf groups of stars』
「ケンタウルス座とレオ座(狼群星群)の星座」
中
『Shri group of stars 』
「サメ群星群」
下
『Pegasas group stars』
「ペガサス星群」 -
アミール・テイムール時代のワクフ(寄付) 土地所有権文書
-
ミルゾ・ウルグ・ベグの治世には、写本の装飾においてミニチュア美術が重要な役割を担うようになった。図書館向けに美しくデザインされた本を制作する工房が数多く設立された。
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パーティの祝祭 15世紀のミニチュアからの複製
ミルゾ・ウルグ・ベクが音楽、芸術に大きな関心を寄せていたため、マヴォルンナルクでは音楽、芸術が発展し、特に上流階級では音楽と詩への関心が高まっていた。
この時期、ダルヴェシュ・ムハンマドとハーフィズは民衆の間で非常に人気があった。 -
アミール・テイムールとミルゾ・ウルグ・ベク時代の戦士たちの衣装、軍服(ミニチュア)
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天体をテーマにした図象、モチーフは、ウズベキスタンの中世および近代美術・応用美術において、重要な位置を占めていた(中世絵画、応用美術には天体モチーフが内在していた)。
濃い赤色の背景に色糸(スザナ)を用いて天体を描いた刺繍は、天文学的モチーフを用いた刺繍の鮮やかな例で、「スザナ」という言葉は「針」「編み物」を意味し、文字通り「言葉で刺繍された」という意味である。
太陽、月、星が花や動物の模様と調和して描かれた「スザナ」と呼ばれるこの刺繍は、人々の宇宙に対する想像力を示している。 -
ウルグ・ベグは男女共学を夢想していたとか
アミール・テイムールとテイムール朝の治世下、音楽、芸術は栄え、高みに達した。15世紀にはサマルカンドの職人たちの様々な楽器制作技術が飛躍的に向上し、例えばウド(木材の原料となる木にちなんで名付けられた)は、楽器としてだけでなく、音楽理論の向上にも広く用いられた。後にウドはヨーロッパで広く普及した様々な楽器(リュートの原型)の源となった。 -
1428~1429年にかけて、当時世界最高の天文台工事を完成した。天文大学ではウルグ・ベグを含む素晴らしい学者たちが30年間天文学を研究した。
その結果として誕生したのが「ジズジ・ジャデイデイ・グラゴニ」(Zidiji Jadidi Guragoni : 新しい星の地図)という。
この星座表から1018個の星座が明らかになり、1648年イギリスオックスフォードでジョン・グレイブス教授によって初めて出版され、その後インドや中国などでも発刊された。 -
天文台模型
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ミルゾ・ウルグ・ベク天文台の模型
ウルグ・ベグの最大の功績がこの天文台。
地上から地下へ入る巨大な六分儀で、太陽や星々を観測し、その業績は当時の欧州を超えていた。
64度の子午線に沿って作られ、ここでつくられた1018の星の運行はオックスフォード大学に渡った。
ここでの観測において1年が365日6時間5分8秒と観測され、現在の観測ともほぼ変わらない精度だった。 -
イチオシ
実際に六分儀を使用している様子
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ミルゾ・ウルグ・ベグ天文台ではラス四分儀に加えて、他のいくつかの観測機器が使用されていた。その中には渾天儀(ザト・アシュバ・タイン)のような機器もあったが、現在どれも残っていない。
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惑星の年次運動
1年間の期間
天の赤道に対する黄道の傾斜 -
ミルゾ・ウルグ・ベクの死後、天文学者のほとんどは独力で観測を行った。ウルグ・ベクは多くの科学者や思想家を結集した真の科学学派をを築きあげた。数百人もの才能ある天文学者、数学者、技術者がたった1つの天文台から研究成果を世に送り出した。その中には当時のプラトンと称されたサラデイン・ムサ・カッツオダ・ルーミー、ミルゾ・ウルグ・ベグが息子とみなした時代のパトリモス(プトレマイオス1世)と称されたアル・クシュチ、コーシャンから招聘した学者グリョスッデイン・コシー、そして著名な学者ムイニデイン・コシーといった傑出した科学者がいた。
-
イチオシ
ACTPOAR6NR
アストロラーべ
中世の天文学者や占星術者が使用した天体観測用の機器。
天体の位置測定や予測、時刻の変化、測量などに用いられた。現代の星座早見表のルーツとも言われ、円盤状のアナログ計算機として機能した。
主な機能と用途
・太陽、月、惑星、恒星の高度を測り、位置を測定、予測
・ある日時の日の出、日の入りの時刻を調べたり、経度と現地時刻を変換
・建物の高さを測る
構造と特徴
・円盤状で、各パーツが軸を中心に回転する仕組み
・現代の星座早見表が天球の内側から見た投影図であるのに対し、アストロラーべは 天球の外側から見た投影図(天球儀と同じ)
・観測地に合わせて、それぞれの緯度に対応したプレートが付属している -
ミルゾ・ウルグ・ベグ天文台の内部構造模型
-
天文台開発当時の六分儀とそれを覆う建屋の模型
現在は六分儀の大部分が地下にあるが、当時は大部分が地上にあり、一部分が地下にあったと思われる。 -
ミルゾ・ウルグ・ベグ天文台の天球儀の複製、渾天儀(復元)
天球儀はギリシアで発達し、3世紀にはすでに教育用の道具として使われ、さらに重要な用途として、観測の補助として使用されていた。 -
ポーランドの著名な天文学者ヤン・へヴェリウスによる「Prodromous astranomiae 」天文ガイドには、ミルゾ・ウルグ・ベグが編纂した星のカタログが掲載されている。 1690年出版
ヤン・へヴェリウス(Jan Geveliyning) コペルニクスに続くポーランドが生んだ天体学者で、月の地形学の創始者とされ、天文台も建設した -
ウルグ・ベグが観測した恒星の表、天体観測に関する著書
トーマス・ハイド編纂 ミルゾ・ウルグ・ベグの星表の出版
オックスフォード 1665年
ウルグ・ベグはポーランドのコペルニクス、イタリアのガリレオよりも100年以上前に、天体観測を行い、地動説に類する所見も出している。 -
ミルゾ・ウルグ・ベグの星のカタログ
サラデイット作 パリ 1547 -
イチオシ
この話は韓ドラになっとるやん?
↓
サマルカンド天文学派の天文学の成果は、は中国人(モンゴル人)を通じて朝鮮に伝わった。1432年、朝鮮王李度(世宗、1367~1450)は、天文学者、科学者からなる特別代表を中国に派遣し、天文学の手法を記した中国の書籍をいくつか朝鮮に持ち帰ることに成功した。その後、ミルザ・ウルグベグ学派の伝統は朝鮮でも発展した。
ミルゾ・ウルグ・ベグの『Zij 』に掲載されている中国とウイグルの表には、暦の日付をヒジュラ暦に転記する方法が詳細に記述されている。これは、ミルゾ・ウルグ・ベグが中国天文学の成果をよく認識していたこと証明している。
ポーランドの天文学者、 ヤン・へヴェリウス(ポーランド語Jan Hevelius)の著書「Prodromus Astronomiae)(1690)には、素晴らしい学者たちと一緒にウルグ・ベグが描かれた2枚のイラストが載っている。 -
イチオシ
ウルグ・ベグの「Zintuenced in the development of Traly Musim countries 」について、彼の忠実な弟子アル・クシチは「Zij」に関する最初の注釈を書き、「シャルテイ・ジージー・ウルベグ」と名付けた。注釈書の10冊以上の写本が現存している。
左下
カイロ出身の僧侶ムハンマド・アル・モニー(16世紀)は著作の中で、ミルゾ・ウルグベグの表をカイロの緯度に合わせて改変した。他の2つの著作でもウルグ・ベグの「Zij」から引用した例に言及している。
右
ミルゾ・ウルグ・ベグの死後(1449年)、天文台の管理はアル・クシュチに全面的に委ねられ、1470年、彼は天文台の書籍、写本、そして最も重要な書籍『Ziji Kuragoniy グラゴーニー』のコピーを積んだ隊商を率いてイスタンブールへ出発した。
アル・クシュチはイスタンブールに2年間滞在し、この間、有名なアヤ・ソフィア・マサドラで教師を務め、多くの弟子を育て、ミルゾ・ウルグ・ベグの科学学校の成果を広く普及させた。
星はミンクスのウルグベグ天文台で巨大な四分円儀を使って観測されたが、この四分円儀の高さがコンスタンテイノープルのアヤ・ソフィアの高さに等しい、というクラビウス?の発言は驚くべきものだ。 -
1908年の考古学的発掘中に発見された、ミルゾ・ウルグ・ベグ天文台の天文機器の一部 15世紀
六分儀は天体や物標の高度、水平方向の角度を測るための道具。
弧が60°(360°の6分の1)であるところから、この名がついた。天体の高度測定、自身の位置の割り出しなどに利用される。
大型の六分儀が主に天体観測用に使われたのに対し、小型の六分儀は船舶の天測航法用に使用された。 -
左
テイムール朝の歴史年代記
右
テイムール朝の歴史物語 -
現代の世界の天文台
-
右
ハーバード大学小惑星センターが、2009年にウズベキスタンのマイタナック天文台で発見された小惑星210271「サマルカンド」の命名を認める証明書
左
ウズベキスタンに関連する名前をもつ小惑星 -
ミルゾ・ウルグ・ベグ博物館 複合施設 15世紀
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天文台はずっと探されていたが、1908年にロシアの考古学者ヴァシリー・ヴィヤトキンが発見した。
地上部分は破壊されてしまったが、地下部分(天文観測施設の一部)は残っている。 -
ミルゾ・ウルグ・ベグ天文台と博物館 マップ
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中世のスーパーカミオカンデ?
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ウルグ・ベグ天文台跡
天文台はウルグ・ベグの死後1449年に、保守的なイスラ教信者によって、大部分が破壊され、約450年後の1908年、サマルカンド出身のロシアの考古学者ヴィヤトキンによって地下部分が発見された。
発見されたのは、最も重要な天体観測施設。幅2mの溝が子午線に沿って丘の地下に掘られ、溝は地中でアーチ状になっている。天文台の位置には元の構造を示す円形の基礎部分と扉があり、扉はファフリーの六分儀の地下部分へ繋がっている。 -
ウルグ・ベグ天文台での発見や研究は、当時の天文学者にとって、日食を予測し、日の出や天体の推移の時刻を計算する上で極めて重要なものだった。
彼らは恒星年(1年の長さに相当)を365日6時間10分8秒と計算していた。これは約600年後の現代の計算で得られる数値365日6時間10分9.6秒と、約2秒しかちがわない、驚異的な正確さである。
1449年に天文台は破壊されたが、その後も75年間にわたってサマルカンドで天文学の研究が続けられた。 -
-
予想を超える充実した展示でした♪
来て良かったー -
ここでもウェディング記念撮影
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ウズベク文明の礎を築かれたともいえる?
非業の死を経て、現在の評価でも余りある功績♪
ミルゾ・ウルグ・ベグの生涯が極めて悲劇的な最期を遂げたにも関わらず、彼が遺した不滅の科学遺産の名声は世界中に広まった。偉大な祖先は望遠鏡以前の時代に、最大かつ完璧な天文施設、天文台を建設した。
この基盤の上に、彼は天体観測計画ウズベク徹底的に実行し、得られたデータを分析し、表にまとめ上げて「Zidiji Jaddi Guragoni」という類い稀な著作を創作した。
ミルゾ・ウルグ・ベグの科学的業績が中世東洋の最高峰であるという事実は、世界科学史において長きにわたり認められ、正当に評価されてきた。 -
最後にウルグ・ベグさまの御御足をすりすり♪
これ以上の経年劣化、脳力の衰退を防いでねー、の祈りを込めてww -
帰りのバス停どこ?
歩きながら通りすがりの数人に尋ねて
ナーンにも標識ないココ
たどり着くww
海外バス停事情、あるある -
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なんとなーく
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バス待ってまーす??
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もっと先まで乗るつもり
↓
見覚えある風景
↓
で下車 -
Visa touch で乗車したっけ?
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ココ上れば
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ハズラテイヒルズモスク
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歩道橋渡って
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ジョブバザールからの
ビビハニムモスク (←デカくてどこからでも認知できる!ランドマーク)
イスラムカリモフ通り
は
覚えてた♪ -
-
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ここは2度目
マンテイの中はぎっしりお肉でお腹にたまるww -
3個にしてください!って言うの忘れてた←なんかハーフでオーダーできる噂あり
うーん、がんばれわたし
マンテイ 50000uzs
アイスコーヒー 25000uzs
とTax 10% -
からの
勝手知ったる?イスラムカリモフ通り -
サマルカンドの教育の歴史展
まだ時間に余裕あるので寄ってみよー -
無料だよ♪
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15~20世紀 装飾の断片 サマルカンド
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19~20世紀の建築記念碑の建築装飾の断片
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マサドラのカリキュラムに含まれる複雑なテキストや学術書、論文を、学生が習得できるように代替的な教授方法を発見することが重要だった。
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写真
左上 レギスタン広場 右上 ミルゾ・ウルグ・ベグ マドラサ
左中段 レギスタン広場 右中段 ミルゾ・ウルグ・ベグ マドラサの修復作業
国民はウズベキスタン国民の歴史的、精神的、文化的遺産を保持し、保護する義務を負う。文化遺産は国家によって保護されている。 -
サマルカンドでは、17世紀にシェルドリ・マドラサ、テイルコリ・マドラサ、ノデイル・デヴォンベギ・マドラサが存在し、サマルカンドの教育と科学の発展に重要な役割を果たした。
写真
左下 テイルカリ・マドラサ 右下 シェルドリ・マドラサ -
サマルカンド レギスタン広場の触知模型
ウルグ・ベグ マドラサ(1417~1420)
テイルカリ マドラサ(1646~1660)
シェルドリ マドラサ(1619~1636) -
過去のイベントや夜のライトアップ
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レギスタン広場でフェスティバルが開催された
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ミルゾ・ウルグ・ベグ マドラサは、色鮮やかなモザイク装飾、巨大なドームのた華麗な屋根、を備えた東洋建築の比類なき建造物である。マドラサに刻まれた碑文は、建築装飾としてだけでなく、建造の歴史に関する貴重な情報も提供しており、深い意味をもっている。
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1520年代、サマルカンドでは、統治者であり偉大な学者、科学者ででもあったミルゾ・ウルグ・ベグの指導の下、様々な学問分野の100人以上の学者が「ドヌル・ヒクマ」(知恵の家)と呼ばれるユニークなアカデミーを設立した。
このアカデミーでは、数学、幾何学、歴史学、天文学、医学、音楽、論理学、哲学、会計学、神学、ハデイース、法学、文学、知恵の哲学、アラビア語、といった科学分野の研究が行われた。 -
良質な紙の生産は、ウズベキスタンの教育の発展にとって非常に重要だった。8世紀半ばから19世紀半ばまでの数千年にわたり、植物繊維や織物から様々な種類の筆記用具が生産され、世界中に流通していた。
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6世紀から7世紀にかけて、人々の識字能力への欲求が高まり、中国の史料によると、ソグデイアナでは、男子は5歳になると、読み書き算数(書記、会計の勉強)を始め、20代前半には外国へ送られ、商業、貿易について学んだ。
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ウズベキスタンでは、初等教育は学校で行われ、子どもたちは5歳から15歳まで教育を受けた。マドラサでの教育は15歳から45歳まで続いた。アカデミー会員のV.バルトルドによると、848年にはサマルカンド市だけで17のマドラサがあり、当時の著名な学者たちがそこで教鞭をとっていた。
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論理学と哲学の2つのグループに分かれて、マドラサで学ぶ校長と学生たち
デイスカッションのプロセス
こーゆーお人形仕立ての展示は好きかも♪ -
シメは
ウェデイングフォト撮影現場 -
遂に
レギスタン広場も見納め -
荷物をpick up
Yandex で空港へ
向かうはずが、大通りに出れなかった件 -
何やら厳重な警備体制?
-
-
思わずドライバーさんさに聞いてみた
なんや、大統領がみえるんやてー(*_*) -
ほどなく、厳重な警備は解かれてほっ
空港着まで余裕ある時間取ってて良かったー
10分くらい足止めされたかも
裏道?通ってがんがんとばすドライバーさん(*_*) -
サマルカンド駅
-
その近くには
ウズベクにあるイスタンブールホテルww
と
乗ってみたかったトラム -
サマルカンド駅の入口
セキュリティチェックの列がハンパなかった件
間口が狭すぎる、セキュリティチェックの体制不備、問題あるよーな
列も割り込みあり、おばちゃんたちが強引だったり、大荷物持ち込みあり、で混乱 -
大荷物の方々多し
-
サマルカンド着いた時は建物内に入れなかったので
駅ナカはお初
カフェやお土産屋さんが充実してます -
-
が、
トイレは地階
荷物抱えてえんやこら(-。-; -
アフラジャブ号
初めて乗車♪ -
お顔撮、で先頭移動
カッコえーやん
からの
自分の車両へ -
我が人生久々のビジネス席よん♪
買い間違えた怪我の功名ww -
食堂車がございます
-
列車が動き出してすぐに、コーヒー何にする?って聞かれてアイコをオーダー
しばらくして今度はホットコーヒーとパン入りの紙袋が配られ
↓
もうすぐ着く? のタイミングで、最初のアイコの支払い請求??
どゆこと? ワケワカメ、でガン無視したら、それっきり徴収に来なかった(-。-;
あれはサービスじゃなかったのか? 乗務員の小遣い稼ぎだったかも? -
ほぼ定刻にタシケント着
Yandex でホテルまでスムーズに移動♪
やっと次回でウズベク旅もラスト^o^
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旅行記グループ
Uzbek旅
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ふりだしにもどってぼっち旅 In Uz 12 Samarkand その5
2025/09/26~
サマルカンド
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ふりだしにもどってぼっち旅 In Uz 14 Tashkent Last Day ♪
2025/09/27~
タシケント
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ふりだしにもどるぼっち旅 In Uz 1 INC→TAS
2025/09/17~
タシケント
-
ふりだしにもどってぼっち旅 In Uz 2 Tashkent
2025/09/18~
タシケント
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ふりだしにもどってぼっち旅 In Uz 3 Khiva その1
2025/09/19~
ヒワ
-
ふりたしにもどってぼっち旅 In Uz 4 Khva その2
2025/09/19~
ヒワ
-
ふりたしにもどってぼっち旅 In Uz 5 Bukhara その1
2025/09/20~
ブハラ
-
ふりだしにもどってぼっち旅 In Uz 6 Bukhara その2
2025/09/22~
ブハラ
-
ふりだしにもどってぼっち旅 In Uz 7 Bukhara その3
2025/09/23~
ブハラ
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この旅行記へのコメント (6)
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- 唐辛子婆さん 2025/12/09 22:18:02
- 充実のウルグベク
- kummingさん
こんなに丁寧にウルグベクのことをほめたたえて下すってありがたうござります。
って、わたしゃウルグベクのママか^^?
唐辛子婆
- kummingさん からの返信 2025/12/09 23:33:01
- Re: 充実のウルグベク
- 唐辛子婆さんさま、最近寂しい我が掲示板へようこそおいでまし~m(._.)m
ウルグベグまま、なんとも良い響き♪
あちこちで贔屓を見つけてはのめり込むタイプのわたくし、ウズベクでもやっと「推し♪」に出会えまして、一件落着ww
世界中に「推し」がいれば、それだけで人生が豊かになりそーですよね^o^
事前申告になりますが、次回ウズベク旅最終回にて、また「唐辛子婆さんさま」登場しますm(._.)m←連呼、はナシ、
テイムールさんとウルグベグさんがあまりにも似ていらして、どっち? となった肖像画、テイムール博物館での出来事、それが唐辛子婆さんさまとのご縁の始まりでございました。
それにしても、自分が婆さんなのに唐辛子婆さん、と呼ぶのはどうなんだ⁈ と毎度自問しております。
カキコ嬉しゅうございました♪
- 唐辛子婆さん からの返信 2025/12/09 23:49:08
- Re: 充実のウルグベク
- kummingさん
>次回ウズベク旅最終回にて、また「唐辛子婆さんさま」登場します
わあ、ワクワク。ところで「さま」は要りませぬ。
>自分が婆さんなのに唐辛子婆さん、と呼ぶのはどうなんだ⁈
来年2月には喜寿やで!私の勝ちや^^。
唐辛子婆
- kummingさん からの返信 2025/12/10 19:14:53
- Re: 充実のウルグベク
- ま、負けたっ⁈
てか、来年古希やでー、そうは変わらんのやないか?←心の声
海外滞在歴、旅キャリア、実人生、全てにおいて先輩やのに、「さま」敬称略していいんかな(-。-;
- 唐辛子婆さん からの返信 2025/12/11 00:21:00
- 7歳も若いんだ^^(羨ましいぜっ!)
- kummingさん
さんにさまをつけるなんて、めんどっちい^^。
Simple is the best!
70歳ともなると昨日食べた夕飯が何やったかいなあと
1時間も考え抜くやうになるで、わはははは。
>あちこちで贔屓を見つけてはのめり込むタイプのわたくし
似てる~~~、嬉しい~~。
ウズベキスタンではソグド人にのめりこみ。
今超多忙なんですけど来年になったら
奈良にソグド人安如法のお墓を探しに行くつもりです。
唐辛子婆
- kummingさん からの返信 2025/12/11 09:03:38
- Re: 充実のウルグベク
- たまたま?一昨日拝見した唐辛子婆さまのブログにて、ソグド人安如法のお墓探し♪ のあれこれ、寅さんとおっしゃる方の手引きで、何やら方策が見つかった⁈
という事のようで、好き♪を極めてどこまでもー^o^
お気に入りの絵、一枚を求めて旅するお姿にも、心からの賛同を^ ^
唐辛子婆さまがご覧になった絵のお話、とっても楽しんでおります♪
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