2025/09/24 - 2025/09/24
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kummingさん
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この旅行記のスケジュール
2025/09/24
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ジョブ・バザールでランチ
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徒歩での移動
イスラムカリモフ通りをお散歩
-
Chorsa Chaihana
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この旅行記スケジュールを元に
ウズベク鉄道の購入について
アプリの不具合、誤作動に惑わされました
おそらくweb siteでは起きないであろう、怪奇現象の数々
さらに発売開始がいつなんだか?45日前~30日前、とゆー噂ありますが、朝見てまだ発売されてなかったのが、夕方UPされてたり、ある日売り切れてた列車が1週間後に復活!?
早朝3時発→5時発に変更(買い直し→キャンセル→返金)
ヒヴァ発ブハラ行きも、1つ早いのんに変更
さて、やって来たのは、ウズベク高速鉄道アフラジャブ号の名前の由来でもあるアフラジャブの丘
アフラシャブ博物館、フレスコ画目当てでよー知らんと行ったけど、帰国後説明書き読んで、すこーし、サマルカンドの歴史がわかった気、になり
ブログ内に禁断の「長文説明」入れてもうてm(._.)m
ある時、写真の絵の人物特定できずAIに尋ねて、『唐辛子婆さん』さまとめぐり逢い♪ とても内容濃く、示唆に富む、想像力溢れるブログでございますよ!
↓
刺激を受けて、さらに長い説明を挿入
写真と説明の順番、テキトーやし、いつものように華麗にthroughしてください。
その昔、アフラシャブに都の中心あったのを、チンギス・ハンが壊滅的に破壊した、後、テイムールさんが現サマルカンドを再建しはった、ってことやろな
ウズベキスタンでテイムールさんが崇拝されてる理由に頷く旅路となりました♪
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
シャーヒズインダ廟を見下ろせる
ココに立ってること自体が間違いで
この時、同じ目的地に向かうさっきのイタリア人かわい子ちゃんと再会
バス停探してたみたいやけど、行けたんやろか? -
道路渡らんとよかったんやて(;o;)
はじめに戻り
てくてく
なるだけ日陰探して歩く←日差し強いんで -
最初は右回りの予定やったんを、左回りに修正。Googleくん情報よりYandex Mapの方が、坂道、階段など実際の道路状況を反映した順路を示してくれるみたい
シャーヒズインダ廟→ダニエル廟→アフラシャブ博物館、の順路を
↓
シャーヒズインダ→アフラシャブ博物館→ダニエル廟
に修正 -
この門はくぐるだけ
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Hazrat-Hyzr Mosuque ハズラテイ・ヒルズ モスク
今は先を急ing 、なので帰りに -
ー通りすがりの、なんや墓地?
小◯△さん、サービスショット -
(*_*)(°_°)∑(゚Д゚)
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ひゃー、まっすぐのびる一本の道(-。-;
-
最後の700m
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Afrasiyab Museum アフラシャブ博物館 40000uzs
着いた時には青息吐息
トイレは外にございます♪
アフラジャブの丘は、BC1000年頃~13世紀までの古代サマルカンドが存在した、サマルカンド最古の遺跡で、防衛上の理由から丘の上に建設された。
この地に住んでいたソグド人(イラン系)はシルクロード交易の担い手で、サマルカンドは重要なオアシス都市として発展した。
8世紀以降イスラム化し、数々のイスラム王朝に支配されたが、13世紀のモンゴル軍の侵略により壊滅した。
14世紀テイムール朝建国者テイムールにより、アフラジャブの丘の近くに現在のサマルカンドが再建された。
19世紀以降アフラジャブの丘で考古学調査が行われ、アフラジャブ壁画をはじめとした様々な出土品が発見された。 -
アフラシャブの名は、伝説の最初のソグド王から採られたもの。当時の町は、4つの大きな門がある城壁に囲まれていた。これらの門を通じて、サマルカンドはシルクロードと結ばれていた。
当時のサマルカンドは、道は舗装され、水道は各家庭に延び、緑にあふれた「人間が見た中で最も美しい眺めの1つ」を作り出していたという。
大きな鉛管で引かれる大量の水がそれを可能にしていたが、モンゴル来襲の後町が打ち捨てられた理由は、生命線だったこの「給水システム」を破壊されたことにある。
by 地◯の迷い方 -
この地域の地層
発掘調査の結果、11層もの厚さの文化の痕跡が罪かさなっている事が確認された(*_*)
現在のアフラジャブの丘は、見渡す限り枯れた大地に時々草、みたいな土の塊化、していますが、モンゴル軍による徹底的な破壊の前の数世紀、この丘の上にサマルカンドの街が築かれていた、らしい -
たくさんの展示がございますが
華麗にスルー
帰国後の後付け
↓
説明書き その1
紀元前1千年紀の半ば、ゼラフシャンオアシスとカシュカダリヤオアシスの渓谷に、古代ソグド人国家が誕生、紀元前6世紀にはソグド人は古代ペルシアのアケメネス朝の一部となる。
アフラシャブ防壁の出現と発展の歴史を研究することは、その存在によって都市の出現時期の特定が可能になる事からも、極めて重要である。
アフラシャブ集落は紀元前6世紀半ばまでに既に防御用の城壁に囲まれていたが、紀元前5世紀のサマルカンドの防御壁の建設は、この都市がアケメネス朝の属州の1つとして、行政の中心地として変貌を遂げた事と関連している。
居住地は丘陵地帯に位置し、水は主要運河によって都市に供給されていた。
説明書き その2
紀元前4世紀半ば、マケドニア王フィリップ2世はギリシア半島を征服し、アジアへの軍事遠征の準備を始めた。が、宮廷の陰謀によりフィリップが暗殺され権力は息子のアレクサンドロスに継承された。
紀元前334年、アレクサンドロスはアジアへの進軍を開始、紀元前329年半ばにイランのアケメネス朝ダレイオス3世を破り、中央アジアの国境に迫った。アレクサンドロス軍はアムダリア川を渡り、バクトリア北部、ソグデイアナを占領、ソグデイアナの首都マラカンダ(サマルカンド)を占領した後シルダリア川へ東進し、遠征を続けた。
説明書き その3
紀元前312年、アレクサンドロス大王の将軍の1人、セレコウスはバビロンを首都とする自らの国家を建国、後に中央アジアまで支配を広げた。
以下省略
説明書き その4
5世紀後半、南ソグドはキダル王国の一部となり、後にシアン遊牧民の支配下に入った。サマルカンドは1世紀以降、陶器の品質、生産が衰退し、鉄器の製造がひろまった。
説明書き その5
豊穣の女神アナヒタ(ナナ)はソグドで最も崇拝されゾロアスター教の神々のでは1人で、太陽神ミトラはしばしば彼女と共に描かれた。
アフラシャブ宮殿神殿の壁には、この2人の神が並んで座る像が発見された。鳩と孔雀がアナヒタに捧げられ、常に彼女の像と共に描かれている。 -
左
ソグドは4世紀~5世紀にかけて、キオニア人、キダル人、エフタル人の支配下にあった。6~7世紀にかけて、ソグドはテユルク・カガン国の支配下に入った。当時ソグドの領土には多くの自治公国が存在し、サマルカンド公国が政治の中心地として機能していた。考古学的発見によると、5世紀には都市の領土が拡大し、長さ2.5kmの第2の二重城壁に囲まれ、約72hrの面積を覆っていた。7世紀には、第3の城壁が都市を取り囲み、貴族の邸宅が出現し、8世紀までに第4の外壁である城壁が修復されている。
右
6世紀半ば、突厥汗国と呼ばれる新たな国家が中央アジアの政治舞台に登場し、アルタイから黒海地域に至る領土を占領、中国からの貢物として莫大な富を保有し、戦争中には支配者たちはシルクロードでの貿易を積極的に発展させることに関心を持ち、この交易ネットワークのルートに参加するゾグド人商人を支援した。 -
-
葬儀儀式には、イスラム以前の中央アジア諸民族間でゾロアスター教が継続し、活発に活動していたことを雄弁に物語っている。
納骨堂は、ゾロアスター教の埋葬儀式に従い、軟部組織を取り除いた故人の骨を納めるために特別に作られた容器で、ソグド地方で出現したと考えられている。
ソグド地方で発見された箱型納骨堂には、豊かで多様な装飾が施され、ゾロアスター教のモチーフに加え、後期ヘレニズム時代、ユダヤ教、キリスト教のモチーフも見られる。 -
納骨堂?
-
見たかったのはこちら♪
フレスコの壁画
玉座の間を飾っていた、当時の華やかな貴族たちや中国人の姿も描かれているという、7世紀の領主の宮殿から見つけられた壁画 -
この壁画については
『唐辛子婆さま』のブログを推奨♪させて頂きたい -
当時の各国の大使が描かれている??
-
アフロジャブの壁画
前世紀の1956年、ウズベキスタンの人々だけでなく、世界全体の文化史研究において、大きな出来事が起こった。サマルカンドのアフラジャブ遺跡で、考古学者たちは先アラブ時代(西暦7世紀)の壁画が描かれた宮殿群が発見された。
11m四方の大きな広間の四方の壁一面には、多彩色の絵が描かれ、高さは2.5~2.7m。この発見は考古学界にセンセーションを巻き起こし、瞬く間に全世界の注目を集めた。
古代都市アフラジャブにある博物館の中央ホールに展示されている壁画は、当時としては他に類を見ないもので、博物館から数百m西に位置する家の応接室を飾っていた。絵画で再現されたホールは、発掘されたホールの比率と向きを忠実に再現、発掘調査により、大きな貴族の邸宅が発見された。
これは王自身の宮殿(城塞の麓、アフラジャブ集落の北に位置したと推定)であり、おそらく7世紀の第3四半世紀に統治したヴァルフマン王の家族の住居であったと考えられる。
壁画は1人の芸術家によって作られるのではなく、1つの工房で、1つのアイデアに触発され、1つの完璧な技術を持つ作家によって作られる。
画家たちは、中国の風景を描く方法についての指示が書かれた巻物やスケッチが書かれたノート、といった処方箋を持っていた。
ペンジェケント(サマルカンドの東60km)の膨大な壁画と比較すると、アフラジャブの絵画の特徴は、その独創性と革新性によって際立っている。宗教、英雄譚、寓話という3つの主要なジャンルをもつペンジェケントでは、それぞれのプロットが壁画構成の中で独自の位置を占めているが、アフラジャブではプロットは自由に混ざり合い、壁画空間の中で特定の位置を占めていない。 -
これさえみれば満足♪
と思っていたら、小冊子を勧められて、なぜか買ってしまう 30000uzs
まだ開いていない→その後『唐辛子婆さん』さまのブログに触発されて、読んでみた -
↑
その後時を経て、テイムールさまとウルグ・ベグさまのどちらか?判別できず(;o;)
AIに尋ね→『唐辛子婆さん』さまのブログにたどり着く→俄然、ソグド人への興味が再燃ww
以下、購入してた小冊子より -
博物館中央ホールに展示されている絵画は、ここから数百m西に位置する邸宅の応接室を飾っていたもので、当時としては他に類をみないもの。
1965年にタシケントへの道路の舗装工事中に、偶然発見され、地中に潜んでいた壁がブルドーザーによって破壊され、絵画が保存されていた2層めも破壊されたが、その後特別な設計図に基づいて移設され、1985年から博物館中央ホールに展示されている。
ホールは発掘された応接室の比率と向きを忠実に再現している。
発掘調査によって発見された、かつて王の宮殿であった大貴族の邸宅は(城塞の麓、アフラジャブの北側に位置)は、おそらく紀元7世紀第3四半期に統治したヴァルフマン王の家族の住居であろう。
西側の壁
西側の壁(入口の反対側)の絵画の余白部分左上には、白い服を着た人物と、その裾16本の縦線でソグド語の碑文が刻まれている。
(ソグド語は東イラン語族を指し、アラビア時代以前はソグドの公用語で、ソグド語のアルファベットはアラビア文字に由来している)
この碑文には「ウナシ族出身のヴァルフマン王」による大使の接待について記され、665年、王は市民権の承認を求めて唐帝国に大使を派遣した。これはおそらく、イランとの戦争終結後に特に深刻化した、アラビアの脅威への対応だと思われる。
その他の詳細も、712年のアラブ人によるサマルカンド侵攻の半世紀前の闘争として、この絵画の年代を裏付けている。
西側壁の下部は明らかに碑文の記述と関連して、場面は武器が密集した屋外で、支えられた槍、積み重ねられた奇妙な仮面が描かれた板、がある。
2段目の登場人物は、長い三つ編みをして観客に背を向けて座っているトルコ人で、君主の護衛をしている。
550年~630年、ソグデイア王国は「西トルコ」の帝国に従属していた。帝国は中央アジアにおける最初の大きなトルコ帝国で、カガン国が崩壊した後も、軍事力を強化し続けた。 -
碑文のある人物の前にいる3人の髭を生やした人物を見てみよう。
彼らはベルトに水平に下げた剣と短剣で武装し、動物の絵で飾られたカフタンを着ている。彼らは装飾品を持ち、もう1人は絹の巻物を持っている。
黒い顔と白い顔が交互に描かれ、ソグドに2つの異なる身体的特徴が存在する事を反映している。(このコントラストは画家が構図のリズムとして用いたもの)
中央の黒い顔の人物の特定は碑文から明らかで、職業はチャルチ(タシケントの古い称号)の長官。
右側のより控えめな服装をした人物は、体格からみておそらくモンゴル人。
壁のほぼ中央には、対称的に行列を組んで上っていく2つのグループがあり、右側には黒い帽子を被った中国からの使者が果物の束、絹の巻物を運んでいる。
他の中国人の横顔はここに描かれて、赤い輪郭で示されている。
右側にはトルコ人、彼らは外国人(突厥汗国の廃墟の上に生まれた連合の1つの代表者)、大使として描かれている。
さらに右には、フードと長いストッキングブーツのようなものを身につけた3人の人物、おそらく鉱山公国の代表者が描かれている。
サマルカンドの君主が絵画の主要な場所を神々の描写にしようとしたのではないか、と考えられる。「サマルカンドの神々」を尊重する義務が大きな碑文に記されている。 -
北壁
北壁の構成から、別の世界、もはやサマルカンドではなく、中国へ入りこむ。雰囲気は5~6世紀から変わらず、ソグド商人の優位性はシルクロードのあらゆる段階に反映されている。
輝かしい文明が、波線で区切られた2つの絵画に蘇っている。左側は、2艘の小舟に乗った貴婦人たち、船尾には楽師たち(1人はリュート、もう1人はサンとウールを演奏)が配置され、中央には他の女性より大きく描かれた皇后の姿が描かれている。召使いが他の女性と手を繋ぎ、皇后を指差し、2人は和解を望んでいるが、皇后は両手を握りしめ、いらただしげな仕草をしている。
水中には様々なものが浮かび、山羊の鼻と蛇の尾を持つ翼のある竜など、中国の幻想的なエッセンスをイメージさせる。右側にはシニヨンヘアの人物と浮かぶ馬が描かれている。
2つの絵画を分ける波線は、おそらく丘陵地帯を描いていると思われる。唐の時代特有の服装の中国人がトルコ人から借用した装備(アブミ骨、矢筒、弓矢)でヒョウを狩っている。右側には他の人物より大きく描かれた主人公(ソグデイア人の芸術では、不均衡は王、または神々を示す)が描かれている。 -
中国年代記によると、ゾロアスター教徒の新年は毎年、ソグドの統治者たちが首都の東と南に位置する両親の霊廟へと行列を率いていたことが分かっている(ゾロアスター教徒にとって、東と南は天国の方向)。構図の中央は、儀式の最後に動物の犠牲が捧げられる、という解釈を裏付けている。顔に帯を巻いた2人の人物は、ゾロアスター教の聖職者が呼吸によって聖なる火を汚さないために、現在も使用する方法。社交服を着て武装した男性は聖職者ではなく、犠牲の動物に付き添うことは名誉と考えられていた、知識の代表者である。
鞍作止利を付けアブミ骨を持つ濃い灰色の馬は、葬儀の焼身供物に使われる、おそらく太陽神であり死者の審判者であるミトラのためのものと考えられる。4羽のガチョウの群れは、ソグデイア人はズルヴァンをブラフマー神(無限の時間の神)と同一視し、ブラフマー神は4回出現、その姿は野生のガチョウだったことを示す。供物動物の前には、崇拝の対象である木のトークンを持ったラクダに乗った2人の騎手がいる(ゾロアスター教では、供物動物は苦しみを和らげるため犠牲にする前にトークンを首に押し付けた)。
行列の終わりには、赤いカフタンを着て、エナメルビーズのメダリオンとアップボウを身につけヒョウの皮に覆われ、黄色い馬に乗った大きな人物がいる。それは間違いなくヴァルフマン自身である。
南壁の左側
王の祖父母の霊廟の近くでは、白い像が高位の人物(絵画ではこの部分は失われている)を乗せた輿を運んでいる。これはヴァルフマンの妻と思われ、その後ろには3人の若い女性が続き、女性用の鞍で馬に乗っている。 -
ここまでこのホールの壁画を3つの場面で説明したが、それはヴァルフマンの政策の3つの側面、華麗な外交(西壁)、中国との連合(北壁)、王朝崇拝(南壁)、に基づいている。この区別はサマルカンドにおいて目新しく、安定した王朝は存在せず、1人の王(710年のタルファン)が民衆によって廃位された事がわかっている事からも貴族制の慣習の存在を意味している。
ヴァルフマンの世襲君主制を築くという試みは失敗したと推測される。
675年、当時サマルカンドがアラブ人の最初の攻撃にさらされた時、街は短期間王不在となった。現在残っている絵画には意図的な損傷の跡(発掘調査で明らかになった碑文、刺し傷)が見られるが、それはアラブ人によるものとは考えられない。絵画は(保管される前)レンガで塞がれていたからである。
この破壊行為(意図的な損傷)は、ヴァルフマンまたは彼の後継者の権力が終焉した時期に起きた可能性がある。文献にはこのエピソードに関する記述はない。
これらの絵画は1人の画家によってではなく、アイデアを刺激し完璧な技術を備えた1つの工房で制作された。画家たちは、注文が記された巻物や、中国の風景をどう描写するかについて記されたスケッチという形で指導を受けていた。
ペンジケント(サマルカンドの東60km)の膨大な絵画と比較すると、アフラジャブの絵画の特徴は、その独創性と革新性によって大きく異なっている。
ペンジケントでは、宗教画、英雄画、寓話画という3つのジャンルがあり、それぞれの場面が絵画を明確に構成しているが、アフラジャブの場面ではそれらは自由に混ざりあっている。
ペンジケントの貴族や商人とちがって、ヴァルフマンは国内最高の美術工房を自ら招き入れることができた。 -
Afrasiyab Settlement Ruins アフラシャブの丘
サマルカンドの北東部に位置するアフロシャブ遺跡は、紀元前6~4世紀に発展した、中央アジアで最も文明が進んだ都市の1つだった。
1220年にチンギス・ハンによって完全に破壊されたが、19世紀以降の発掘調査により、都市の詳細な形態が徐々に明らかになり、特に1965年にアフラシャブの壁画が発見され、世界的な注目を集めた。
アフラシャブ遺跡は総面積220hr で、この4階建の城壁に囲まれた古代都市内には、居住区、公衆浴場、井戸、儀式のための神殿があり、郊外には墓地もあった。
建物内部からは様々な種類の陶器、貨幣が出土し、当時の住民の生活様式を物語っている。
アフラシャブ遺跡から出土した遺跡は、サマルカンド歴史博物館「アフラシャブ」に保存・展示されている。 -
-
アフラシャブの丘→ダニエル廟、歩いて目指そうか?と
Yandex Mapが、次行くダニエル廟への道順で、示した2択で近い方の道を選択
↑
これ、無謀な試みやった -
が、しかーし
Yandex Mapがちょっとルート外れると「culuculated!」を連呼する(-。-;
「うざーっ!」
5m先右やで、次左!ゆーても、どっちがどっち? -
という事で、初めに戻って
-
小◯△さんが彷徨っとられたんは、ココやったんやろか?
↑
このセリフ2度目 -
遠回りでも安心安全(迷いようがない)大通りへ
でもって
タクる?
気持ちが萎えたとき、そんな時こその、Yandexさまさま
あれ、歩いたんやった? ←記憶消滅
いや、この辺りで車降りた気、もする(-。-; -
-
奇岩が聳え立つ中にある
-
一画には東屋
手洗い場でしょうか
泉の水 -
Prophet Daniel Mausoleum ダニエル廟
ダニエル廟の昨日~今日
紀元前4~3世紀の聖人ダニエルが祀られている霊廟。
遺骨は国外に持ち去られたが、14世紀にテイムールがイランから持ち帰り、以前寺院があった場所に、長さ18mもの墓を造って葬った。 -
階段上って振り返り
-
伝説によると、100年ことに聖人ダニエルの骨が成長するため、長い墓を造って葬ったとか。
全長14m、写真1枚には収めきれず
てか、覗ける間口狭っ、で、撮影困難な仕様どした -
Yandex 呼んだのに、なかなか来ない?
waiting timeは5分→3分→10分とゆー謎い変遷ww
「今どこに?何やってるん?」
「ガソリン入れに行ってまー」
(°_°)(*_*)∑(゚Д゚)
↑
ドライバーさんんとチャットでやり取りできるシステム
キャンセルして呼び直したドライバーさんが、へたり込んでる私の前をスルー
思うに、主要観光地では、pick up pioint 決まってるらしい←やっと理解♪
駐車場とか、停めて待っていられる場所←私はタクシーの勧誘避けて、そーゆう所を避けがち
1つ賢くなれたかも -
-
よーやっと戻って来て
Hazirat-Hyzr Mosque ハズラテイ・ヒズル モスク -
見晴らし台的な
-
ハズラテイヒズル→歩道橋渡って
-
ジョブバザールでランチ♪
のつもりで飛び込んでしもた
↑
まだ、ジョブバザールのちょい手前、だという事実に気づいていないww
すぐの市場?入口にあったレストラン -
混んでて「相席でいいやろ?」
初ラグマンスープ付き
とお水で 41800uzs
この時のお釣りの計算があやしかってん
足りないからと私の手からお札抜き取り返されたけど、いくらだった? -
で、わたしが相席させてもろたんが、1人旅タイ人男性
プーポッパンカレーー、食べてみたい!ゆーたら、タイは地方によって多種多様なカレーがあるんやで、とのたまう
トイレ行く間、場所keepしといてやー、ってどゆこと
テーブルでチェックすませて、ほな、さいなら♪ -
ジョブバザールの入口見えてんやけど
おー、良いお天気やなー^o^ -
しばしおやすみタイム
で
芝生にごろん -
至福のひととき♪
青空が目に沁みるー -
街歩き再開
Saib Bazaar ジョブバザール -
-
-
-
これはアレやな、唐辛子婆さんさまが紹介されてた
-
まあるいのんは、プレゼント、お土産用のナッツ
-
重さで買うんやろか?
「◯◯gくださーい!」みたいな -
蜂蜜の塊り?と思ってたん、飲み物に入れたら溶けるらし
やっぱり正札ないし、値段不明で買い方分からず、戦利品ゼロ(;o;) -
近づくにつれ
-
その巨大さに(*_*)
-
ビヒハニムモスク
デカっ!
入らんどこww -
疲れてたタイミングでカートを見つけ
ただぢゃなかった件(-。-;
10000uzs -
こーゆうゴルフ場カートみたいなん、いっぱい走ってます
ジョブバザールあたり→レギスタン広場 -
イスラムカリモフさん♪
-
ほー
-
-
美しいタマネギ♪
-
おー
-
やって来ました
噂のレギスタン広場
で
記念のselfie -
滞在中、ここから何枚の写真を撮ったことやらww
-
そこから歩3~5分(慣れたら裏道)
今日からお世話になります
Diplomat Premium -
口コミにたがわぬ仕様で、おススメ♪
-
バルコニーの前にはバスケの練習コート
-
すっきりブルー系のインテリア
アジア系のお客さんよく見かけました -
レセプションのおにーさん、唯一の英語話者で、めちゃ助かった
街歩きして、??だったこと、行き方、バス停とか、色々答えてくれました -
建物続きで、隣にはミニスーパー
今回、お水は潤沢にもらえるし、朝昼夜の食事も充実で、スーパー寄らず
前はバスケットボール場、ってさっきも言うた -
途中のお肉屋さん
-
レギスタン広場の脇にある公園
の中にあるチャイハナへ
お手頃価格、庶民の食堂的な
故に
夕方以降は売り切れ多しww
サマルカンドでよく見かけた鳥さんたち♪ -
レギスタン広場横の公園?敷地内にあるチャイハナ
汁ありラグマン頼んだら、売り切れでした(TT)
で
プロフをオーダー 40000uzs
サラダとパンは無料で付いてくる
お水は別料金 8000uzs
しめて 48000uzs -
お散歩中のみなさん
-
今まさに
レギスタン広場のライトアップが始まらんとす
その時 -
マジックアワー
https://youtu.be/cvHc2ejbe_M -
-
-
続々と増える観客
-
-
同じよーな写真、よーけ撮ってしもた
サマルカンド編、まだまだ続きます(-。-;
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 唐辛子婆さん 2025/11/15 19:46:56
- AIさまに知られてしまった私?
- kummingさん
何度も唐辛子婆さまと連呼されてこっぱずかしや^^
AIさまにまで知られていたなんて知らんかったわん。
でも嬉しいです。
唐辛子婆
- kummingさん からの返信 2025/11/15 22:54:16
- RE: AIさまに知られてしまった私?
そうですね、今や有名人(笑)
> 何度も唐辛子婆さまと連呼されてこっぱずかしや^^
すみません、勝手にお名前拝借、しかも、連呼!?
このような無断借用→事後承諾は、常套手段でございますm(_ _)m
今後も覚悟のほどを、よろしくですー
> AIさまにまで知られていたなんて知らんかったわん。
Chat GPTはガセ情報も多いですが、ティムールさんと孫のウルグベグさんの絵、似てますよね?何処かに展示されてた肖像画の見分けがつかず、質問したら、唐辛子婆さんさまのタシケントのティムール博物館のブログに誘導されました。
> でも嬉しいです。
ご迷惑ではなかったかな(←連呼し過ぎは?)、と、反省しております、が、有名税と思ってください!?
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旅行記グループ Uzbek旅
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