えいちゃんさんのクチコミ(16ページ)全837件
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都が平安京に遷都された時大和から遷座した四座を祀っている神社
投稿日 2018年05月20日
総合評価:4.0
都が平安京に遷都された時大和から遷座した四座を祀っている、旧社格は官幣大社、北野天満宮参拝後天満宮北門を出て左へ向かい紙屋川を渡ると平野神社正門前に出ました、朱色の大鳥居の上段の扁額には”平野皇大神”と記されていた、御本殿は当初から皇室との関連の深い古社で当時の威厳を保っていた平日お昼であったので参拝者かごくわずかで御本殿は静寂の中に鎮座されてました、南門方向へ向かうとそこは桜の庭園が広がっていました桜の時期ではないので葉桜の見物になりましたが満開の時はさぞきれいなことと思います
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年05月20日
総合評価:4.0
京都の有名な観光地である嵐山に流れている桂川(橋の欄干には大堰川と記されています)に架かる橋、嵐山のパンフには必ず掲載されていて嵐山のシンボルとなっている。橋から上流やや左上方の一番高い山が嵐山です、桂川の清流、嵐山津の緑、そして渡月橋で嵐山全体が美しく表現できています中央は車道で大型の定期バスが運行しており両側の歩道はいつ来ても観光客であふれている今年はめっきり外国の人の方が多く感じられた、パンフを片手に迷うことなく先へ進んで行くのは事前によく下調べをしてきているのだと感心させられます外国での知名度も高いのでしょう、嵐電=らんでん(京福電鉄の愛称)嵐山駅から徒歩3分阪急嵐山駅から徒歩8分の場所に架かっている
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年05月20日
総合評価:4.0
阪急電鉄嵐山線は京都線桂駅から支線が出ており途中に上桂と松尾大社の二駅がある、全線単線、通勤通学路線であるが京都の有名な観光地である嵐山への主要交通機関になっている。先般(大阪から出発)、嵐電四条大宮駅から嵐電の途中にある神社仏閣巡りを終えて阪急嵐山駅から帰路についた、片側一席反対側二席のロマンスシートの車輛に遭遇、わずか4km程の路線ですが旅の最後を楽しませてもらえました、通常は桂駅と嵐山駅の折り返し路線ですが行楽シーズンは八両編成で大阪梅田、神戸三宮、宝塚などから直通運転などで行楽客のピストン運転を行っています
- 旅行時期
- 2018年05月
- 車窓:
- 3.5
-
投稿日 2018年05月17日
総合評価:4.5
仁和寺の正面入り口が二王門、ここに来るまでは”仁王門”と思っていましたが”二王門”でした、門の入り口左右に厳つい顔をした金剛力士像が睨みつけています、でも顔をよく見ると案外優しそう、”ようこそ仁和寺にお参りしてくれました”
と迎えてくれたようにも思います、像に敬意を表して一礼参
道へと進む、二王門は京都の三大門の一つとされ重要文化財に指定されている- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
内裏紫宸殿を移築し金堂(現存の金堂=国宝)するなど皇室との深い関連寺院であった
投稿日 2018年05月17日
総合評価:4.5
仁和寺は平成6年に世界文化遺産<古都京都の文化財>に登録されている寺院、仁和4年宇多天皇時に完成し法皇となった以降皇子、皇孫が門跡を務めていたことから御室御所とも言われていた、場所は判らなかったが境内に仁和寺御所跡が史蹟として指定されている、
慶長年間に造営された内裏紫宸殿を移築し金堂(現存の金堂=国宝)するなど皇室との深い関連寺院であったように思えます、広大な敷地にはさほど沢山の建物が無くゆったりとした伽藍配置となっているのが奥ゆかしさを感じさせられます、参考文献*京都市が設置した駒札、仁和寺が立てた説明板- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2018年05月16日
総合評価:3.5
都城の方除守護神として大内裏北西の地に造営された神社
平安遷都の際、都城の方除守護神として大内裏北西の地に造営され当初は”大将軍堂”と称していたが現在”大将軍八神社”と呼ばれている、大将軍とは陰陽道で方位を司る神とされ建築や移動、旅行に関して方除けの神として崇敬されています、今日でも引っ越しの時向かう先の方向が悪いと法除けの神社(地域に拠っては方違)でお払らいをして頂く習慣は残されています大将軍八神社の様に方除専門神社があれば心強いです平安の都を守る由緒ある神社を一般市民が同様のご利益を受けられるのは素晴らしいことです、嵐電北野線北野白梅町駅から徒歩10分の大将軍商店街に面した所に鎮座されています参考資料**現地に京都市が立てた駒札- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年05月16日
総合評価:4.0
御室仁和寺の正門である二王門をくぐると広い参道が広がる、広がると表現する方がぴったりするほど横幅が広く約100m進むと登り階段になり登り終わった場所に朱塗りの八脚門がある,中門(ちゅうもん)と呼ばれており此処から先がお寺の伽藍となっています、伽藍とされているが他寺のように閉鎖的ではなくさらに奥に控えている金堂、経蔵、鐘楼前まで自由に拝観可能です(但し建物内は不可)中門設置の意図は判からないがここから境内参拝の為御本堂に向かって一礼して進むこととしました(国の重要文化財指定)
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年05月16日
総合評価:4.0
御室仁和寺の宿坊として利用されている、境内の東門を入った場所で、京都の賑やかな市街から離れており参詣の際の宿泊場としては打って付けの場所、宿坊と云えば少し味気ない精進料理で朝のお勤めに参加しないといけないのかなどちょつと勝っての判らない面があるがここは宿坊をさほど意識していない、希望するとしかるべき修行の場へ連れていってくれるそうです、会館の一階は普通のレストラン風で営業していました、
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 12,500円未満
- アクセス:
- 3.0
- 接客対応:
- 4.0
-
投稿日 2018年05月16日
総合評価:4.0
今出川通に面して立つ高さ約11m木曽の花崗岩による一本造りの太いどっしりとした重量感のある鳥居です、大正10年に建立、鳥居上部中央の扁額に金文字で”天満宮”と誇らしげ記されていました、ここから先が境内なので結界の位置、一の鳥居前で思わず一礼、自然と頭を下げさせる雰囲気がここに滲みだしていました、通り抜けてまず拝殿へと向かった
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
宰府天満宮などと共に北野天満宮は全国の天満宮の基幹となる神社として君臨
投稿日 2018年05月16日
総合評価:3.5
御祭神の菅原道真公を祀るのが本殿と拝殿、学問の神様として全国にある天神さん、天満宮など呼び方に違いはあっても元祖は道真公、大宰府天満宮などと共に北野天満宮は全国の天満宮の基幹となる神社として君臨している、境内の拝殿前にはびっくり、平日昼であったが修学旅行と思える生徒たちで拝殿前にはバス一台分もあろう
人垣ができておりお祈りしている生徒の姿は真剣そのもの、我が身にかかわる重大な願いを長い時間かけてお祈りしていました、拝殿横に設けられているお守り、絵馬などの授与所も10人程の職員?巫女さん?で対応しているのも北野天満宮ならでの風景他の有名神社のお正月風景がここでは日常的、京都の有名社寺には外国の人でいっぱいであるがここはなぜか少なかった、- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年05月15日
総合評価:4.0
世界文化遺産<古都京都の文化財>に登録されている御室仁和寺の金堂右側にある建物、建立は江戸時代初期とされており建物は禅宗様で統一されている、やや床が高くなっているのも用途から頷なずける、金堂の古色蒼然とした横にあって金堂に負けない風格と金堂との調和を保っています経箱収納倉庫の為付近に建築物は造られていないし金堂からも20mは離れている、防火に細心の注意が払われている、参考資料*経蔵前に御室仁和寺が設置した説明板、説明板追記事項、禅宗様とは鎌倉時代禅宗と共に入ってきた宗の建築様式
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2018年05月15日
総合評価:4.5
世界文化遺産<古都京都の文化財>に登録されている御室仁和寺境内にある。二王門からまっすぐ数百M先に位置する御室仁和寺の金堂は本堂でもある、慶長年間に造営された内裏紫宸殿を移築したものとされています、仁和寺の規模にしては質素な感じがしたのは本堂を宮殿建築再利用するなどが影響ししているのではないか思います現在の京都御所にある紫宸殿に比べるとやや小ぶりに感じましたが当時の宮殿建築として現在日本に残る最古の紫宸殿の姿を垣間見ることができました、遠足や修学旅行生が多数参詣する寺院なので各施設説明板に建物、用語の簡易な解説がされているのも親切だった、例*紫宸殿とは御所の中心的建物、参考資料*金堂前に御室仁和寺が設置した説明板
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2018年05月15日
総合評価:4.5
世界文化遺産<古都京都の文化財>に登録されている仁和寺境内の五重塔は重要文化財指定、塔内の御本尊は大日如来、寛永21年(1644)の建立、高さ約36m 樹木の隙間から頂部を見ていると感じなかったが各方向から全体の姿を眺めるとすごくスマートな五重塔と気づいた、地上基礎部の縦横の長さも塔の高さから考察するとかなり狭い。上層階から下層階まで幅に差がない、これが御室仁和寺五重塔の特徴だそうです、ほっそりした塔には寺院のやさしさを感じさせられます、参考資料*五重塔前に御室仁和寺が設置した説明板
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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御室仁和寺の中で伽藍を守る社
投稿日 2018年05月15日
総合評価:4.0
世界文化遺産<古都京都の文化財>に登録されている仁和寺の境内鎮座する明神社、御室仁和寺の中でも伽藍を守る社、社殿は中央に本殿(八幡三所=石清水八幡宮)左殿(松尾大社他三座)右殿(稲荷大明神他三座)の計九坐が横一列にならんで祀られている、鎮座されている神々は仁和寺付近にある有名な寺院ばかりです、招聘した仁和寺の力があったから此処に祀られたと思う、仁和寺と云えども多数の神様に守ってもらう必要があったことになり神と仏の相互協力体制が古くからできあがっていたと思う、参考資料*九所明神前に御室仁和寺が設置した説明板
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2018年05月15日
総合評価:2.5
豊臣秀吉公が頻繁に発生する鴨川の氾濫と京都への外敵の来襲に備えて築いた太塁、台形の土塁と堀から構成しており延長22KMある、東は鴨川まで西は紙屋川まで続く、元々あった川や池沼は利用している、土塁の内側を洛中、外側を洛外という、土塁の要所に七口を設け洛中と洛外の出入口としていた 関所の機能を持っていたと想像されます京都市内は高低差がない平らな盆地状の土地なので土塁を築く土砂をどこから工面したのか考えると昔の人の知恵はすばらしいと感じさせられました北野天満宮のすぐ西が土塁の西端に当たり紙屋川が流れている、この付近に当時の土塁が残されています、神社神域を守る為紙屋川を天満宮の西20mの間を暗渠とする配慮がなされています、
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
-
愛称で椿寺と呼ばれています
投稿日 2018年05月15日
総合評価:3.0
正式名称は昆陽山(こんようさん)地蔵院で浄土宗の寺院、愛称で椿寺と呼ばれています西暦726年行基が商務天皇の勅願により当初は摂津國の昆陽野池(こやのいけ)付近に建立した地蔵院とされています、:昆陽の池は現在も兵庫県伊丹市にある大きな池です、現地蔵院境内に樹齢120年に達する椿の大木があり五色の八重椿で椿は花ごと落下しますがこの椿は桜の花びらと同じ花びらから散っていくのが特徴です椿の花は首から落ちるとして嫌がる人もおられますが八重はその点安心できます椿の寺として付近の人々から慕われ崇拝され続けています、参考資料*:現地に京都市が立てた駒札
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
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投稿日 2018年05月15日
総合評価:3.0
山号を覚雄山と称し臨済宗の寺院 西暦1380年足利義光がこの地に禅寺として建立した古刹、当時から鹿王院と称しており山門上部に”覚雄山”の扁額が掲げられ古刹としての風格を残していました、御本尊は釈迦如来坐像、足利尊氏像などを祀っている、嵐電(京福電鉄)鹿王院駅から徒歩4分、この付近は閑静な住宅街に囲まれており境内にはモッコクやモチなどの樹木が茂り更なる古刹を感じさせています、参考資料*現地に京都市が立てた説明板- 旅行時期
- 2018年05月
- アクセス:
- 3.0
-
投稿日 2018年05月15日
総合評価:3.0
車折(くるまざき)神社の境内社で芸能神社境内には献上された芸能人、演劇関連会社などの名前がびっしりと朱色の板に書き込まれて掲げられていたのは壮観であった正確に何枚かは判らないが400から500枚はありそう、知った人の名前はないかと少し時間をかけて探したが見つからなかった宝塚の肩書の方は多数見かけたが知る方ではなかった芸能関係者は縁起をかつがれるのですね、嵐電(京福電鉄)車折神社駅を下車するとすぐ前が車折神社入り口鳥居、境内を50M進むと左側に鎮座されています
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 2.5
-
投稿日 2018年05月15日
総合評価:3.5
昔ある貴人の乗った牛車?がこの神社前を通行中車が倒れて車が折れたので車折神社と呼ばれるようになったとされています、おとぎ話のような言い伝えに感じますが起こり得ることでもある、神社名称の起源はさておき商人がこの神社の小石を持ち帰り家内に納めて満願の時持ち帰った石数を2倍にして神社にお返ししたとする習わしは現在も続いています境内に沢山の願いを書いた小石(直径5cm程)が奉納されていました、境内社に芸能神社が祀られており芸能関係者から朱色の立札???(正式な呼び名判りませんので添付写真見てね)が献上されておりその数500枚はありそうで壮観でした、嵐電(京福電鉄)車折神社駅を下車するとすぐ前が神社入口鳥居です
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
西ノ京禅坊普通賢寺の守護神として阪本日吉山王大神を勧請して創建された神社
投稿日 2018年05月15日
総合評価:4.0
西ノ京禅坊普通賢寺の守護神として阪本日吉山王大神を勧請して創建された神社
この付近は比叡山延暦寺山門領内である、京都市が山王神社前に立てた駒札に記載されていました、この地の高い建物上から晴れた日ならば比叡山を眺められるが遥か遠方にある。この地が山門領内と初めて知り当時の延暦寺はすごい力があったのだと思いましたこの付近にある念仏寺は天台宗の開祖最澄上人の母の寺院とされており母の死後太子がこの地を比叡山ノ内と称したことから延暦寺の勢力範囲であったと推測されます、この地にあった西ノ京禅坊普通賢寺の守護神として阪本日吉山王大神を勧請して現在至っています神社と寺院の機能分担もここでも発揮していました、京都の神社や寺院の歴史は実に長い歴史の中で今日まで受け継がれていることにすごい感動を感じさせられました- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5





























