豊臣秀吉公の行なった京都での都市遺構のひとつ
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- 旅行時期:2018/05(約8年前)
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by えいちゃんさん(女性)
今出川・北大路・北野 クチコミ:6件
豊臣秀吉公が頻繁に発生する鴨川の氾濫と京都への外敵の来襲に備えて築いた太塁、台形の土塁と堀から構成しており延長22KMある、東は鴨川まで西は紙屋川まで続く、元々あった川や池沼は利用している、土塁の内側を洛中、外側を洛外という、土塁の要所に七口を設け洛中と洛外の出入口としていた 関所の機能を持っていたと想像されます京都市内は高低差がない平らな盆地状の土地なので土塁を築く土砂をどこから工面したのか考えると昔の人の知恵はすばらしいと感じさせられました北野天満宮のすぐ西が土塁の西端に当たり紙屋川が流れている、この付近に当時の土塁が残されています、神社神域を守る為紙屋川を天満宮の西20mの間を暗渠とする配慮がなされています、
- 施設の満足度
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2.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.0
クチコミ投稿日:2018/05/15
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