2014/03/09 - 2014/03/09
73位(同エリア93件中)
entetsuさん
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- 旅行記673冊
- クチコミ3920件
- Q&A回答16件
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このところ、週末の度に雪が降ったり、低温で強風だったりして自重していたウォーキングを再開。
大田観光協会HPのウォーキングコース「池上本門寺と池上七福神」を参考に歩きます。
七福神にはあまり興味はないですが、コースには池上梅園もあり、ちょうど見頃の梅も観られるし期待していいかも〜。
出発です!!
※大田観光協会HPのコース「池上本門寺と池上七福神」
http://www.o-2.jp/tour/06ikegami.html#
なお、宜しければ、最近ウォーキングした旅行記も併せてご覧いただけると幸甚です。
鶴見市場〜鶴見↓
http://4travel.jp/travelogue/10831490
生麦〜鶴見↓
http://4travel.jp/travelogue/10832388
川崎宿↓
http://4travel.jp/travelogue/10853185
神奈川宿↓
http://4travel.jp/travelogue/10853660
六郷土手〜雑色(ぞうしき)商店街↓
http://4travel.jp/travelogue/10855362
京急川崎〜川崎大師↓
http://4travel.jp/travelogue/10859321
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
自宅からは、いつもは京急本線「八丁畷」駅を利用していますが、今日はJR南武線「尻手」駅を利用します。
少し風が強いですが、午後になって弱まるという話もこれあり、出かけましょう。尻手駅 駅
-
南武線で一駅、JR川崎駅に到着。
川崎駅 駅
-
京浜東北線で、蒲田まで行きます。
蒲田駅までは一駅。 -
JR「蒲田」駅です。
蒲田駅 駅
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「東急蒲田」駅。
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ここから発着するのは、「東急多摩川」線と「池上」線。
この車両は多摩川線で「多摩川」駅行き。
この路線は、かつての目蒲線の一部でした。
「多摩川」駅は、以前は「多摩川園」駅でしたが、多摩川園遊園地が1979年(昭和54年)6月に閉園したこともあり、「多摩川」駅に改称。
現在では、東急東横線・目黒線・東急多摩川線が乗り入れています。 -
こっちが「池上」線で、「五反田」駅行き。
本門寺には池上線で行きます。
1976年(昭和51年)に「西島三重子」さんがリリースし大ヒットした「池上線」。
「池上線が 走る町に〜
あなたは二度と 来ないの〜ね
池上線に 揺られながら〜
今日も帰る 私なの・・・」 -
揺られるまでもなく、二駅で到着(笑)。
この曲で、池上線はその名が日本全国に広がったが、歌詞に池上線の車両の古さや状態の悪さを思わせる箇所があり、東急がそれらを否定するコメントを出す事態があったとか(笑)。
でも、ホントに古かった〜。
ミドリ虫みたいな車両でしたよね。池上駅 駅
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本門寺の門前駅が、「池上」駅。
五反田、蒲田両ターミナル駅を除くと、池上線中最多の平均乗車人員を誇ります。 -
こんなポスター発見。
都立小山台高校は、今春の「第86回選抜高等学校野球大会」に21世紀枠として出場することが決まりました。都立高校としては史上初のセンバツ出場だそうです。
実は、長男がここの卒業生。
その割には、応援や寄付をするつもりもないみたい。
結構、画期的なことなんだが・・・。 -
更に、我が家は現在横浜市鶴見区(最寄り駅は京急「八丁畷」駅)に住んでいますが、その前にはこの池上線の「石川台」駅に住んでいて、この近辺、懐かしい・・・。
「池上本門寺」は、日蓮宗の大本山で、日蓮聖人入滅(臨終)の霊場として日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつとされ、七大本山のひとつにも挙げられている大刹です。日蓮宗の総本山(祖山)は、山梨県身延町にある「久遠寺」ですね。 -
本門寺通りに入って行きます。
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「元祖久寿餅 池上池田屋」。
元祖久寿餅 池上池田屋 グルメ・レストラン
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同じく久寿餅の「相模屋」。
相模屋 グルメ・レストラン
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参道正面に階段が見えてきました。
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「呑川」。
世田谷区桜新町付近を水源とし、世田谷区深沢〜目黒区八雲〜東急東横線都立大学駅付近〜東急目黒線大岡山駅付近(東京工業大学付近)〜大田区石川町〜雪ヶ谷〜久が原〜池上〜蒲田を流れ、糀谷を抜けて東京湾に注ぎます。
石川台に住んでいた時、潮の流れの影響でか、ボラが大量発生したことがありましたが、調べると最近もあったみたいです。 -
「本成院」の山門です。
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「本成院」本堂。
1282年喜多院として開創後、1704〜1711年に火災焼失。
1716〜1736年、本成院と称し再建されたとされています。
池上七福神では、「福禄寿」(福と禄と寿命を授ける老人神)が祀られています。 -
こちらは、「本妙院」。
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これは、「池上本門寺」の「総門」。
総門は、寺社へ参詣する人が最初に通る門で、清浄の心身にて通らねばならないとされます。
本門寺の建物では、五重塔、大宝塔、経蔵などと共に、昭和20年4月15日の戦災を免れた数少ない古建築の一棟として重要です。
昔から世に知られ、歌川(安藤)広重の「江戸百景」や「江戸近郊八景」にも描かれています。
扁額「本門寺」は門より古く、寛永4年(1627)本阿弥光悦の筆になると伝えられています。(現在掲げられている額は複製で、オリジナルは霊宝殿に収蔵され常設展示されているそうです)池上本門寺 花見
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総門の脇には見事な紅梅。
「池上本門寺」の総門をくぐり96段の石段坂を「此経難持坂」といいますが、ここを登らずに右に折れます。池上本門寺 花見
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大田区立の「池上会館」。
地下1階4階建てで、会議室、集会室、研修室、科学室、教育センターなどがあり、屋上には展望台、庭園などがあります。
エレベータで屋上まで行けば、本門寺には階段を使わずとも行けそうですが・・・。 -
「照栄院」。
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日蓮宗の寺院で、正応4年(1291)日朗聖人の庵室として創建、日鏡上人が中興したといいます。
寛文四年(1664)には、加藤清正の娘瑶林院が、夫の紀州徳川頼宣の現世安穏後世善処を祈念して妙見菩薩立像を当院に奉納した他、元禄年間(1688-1704)には当院内に南谷檀林が開設され、檀林所となっていたといいます。
大坊本行寺、理境院と共に池上三院家の一つです。照栄院 寺・神社・教会
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南谷檀林(「池上本門寺」に附属する僧侶の学校)の「棟札」と「板頭寮」遺構があるそうですが、非公開みたいです。
-
イチオシ
「妙見坂」。
妙見堂に繋がる坂です。
総門からの、石段坂を「此経難持坂」と同様に結構キツイ〜。
写真におじさんが写っていますが、「はぁ、はぁ」云いながら、何回も往復していました。
家内と二人で「凄いね・・・(笑)」。 -
坂を上り、「妙見堂」にやってきました。
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「妙見堂」は照栄院の鎮守堂で、加藤清正の娘の瑤林院の納めた室町時代の妙見菩薩像を祀っています。
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池上七福神では、寿老人(長寿と学を授ける神様)が祀られています。
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「妙見堂」を過ぎ、なにやらあります。
ここは、「永寿院」の敷地ですが・・・。
「万両塚」とありますね。 -
大田区指定史跡「芳心院の墓(俗称万両塚)」。
芳心院は、紀州徳川頼宣の娘(養珠院お万の方(徳川家康の側室)の孫)で、鳥取藩主池田相模守光伸の正室です。
この墓所は約六〇〇平方メートルの墓域を有し、周囲に二重の堀溝が構築されており、当時その建設費が、一万両に及んだといわれ俗に「万両塚」と呼ばれているそう。 -
「弥生時代集落の跡」。
万両塚調査の過程で、約二千年前の弥生時代の住居跡が十棟以上発見されました。
それらは時間的なズレがあり、かなり長い期間この地に集落が存在していたことがわかりますが、その中の一棟、江戸時代に万両塚を築くときに半分壊れた住居跡を、歴史が重層する貴重な遺跡として現位置に再生保存をしました。
また住居跡からは完全な形に近い土器が数多く発掘されました。
発掘された土器は弥生時代後期のもので、櫛描文や縄文が描かれています。
土器の表面に焼け焦げたあとがあるものもあり、火災にあったためだと考えられています。 -
万両塚の南隣は、『堤方権現台古墳─大田区遺跡』として、文化財保護法にいう埋蔵文化財の包蔵地に登録されていました。
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江戸時代の地誌にも、堤方権現台から古刀古器が出土したという記録があり、この地が古墳であることは推定されていましたが、最近の調査によって、古墳の周濠と土器・埴輪・須恵器が発見され、古墳の存在が確認できました。
また、弥生時代中期〜後期の竪穴住居跡が10棟も出土したほか、馬の尻部分を飾る馬具が見つかり、およそ6世紀前半と見られている貴重なものだそうです。 -
万両塚はこちらが正面。
なお、2003年秋から万両塚の調査、改修工事が行われました。
宝塔内部からは、法華経巻子本八巻と火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されました。
芳心院の法華経信仰を、三百年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓なんですね。 -
堀溝は、芳心院が生前蛇嫌いであったために、没後も蛇を遠ざける目的で常時水が湛えられていたと伝えられていましたが、最近の調査で堀溝に水が湛えられていた形跡はなく、空堀であったことがわかったとのことです。
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「永寿院」。
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戸川肥後守から下屋敷の寄進を受けた池上本門寺16世日遠聖人が開基となり、池上本門寺17世日東聖人(蓮乗院)が堂宇を建立したといいます。
紀州家初代徳川頼宣の娘「芳心院」の帰依により、永寿院と改称したといわれます。 -
イチオシ
「五重塔」。
「池上本門寺」の境内に入ってきました。
これは、関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔です。
本塔のそもそもの発願は、のちに徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあったとのこと。
当初、「大堂」の右手前、現在の鐘楼堂と対の位置に建てられたが、直後の慶長19年(1614)の大地震で傾き、元禄15年(1701)、5代将軍綱吉公の命で現在地へ移築、修復され、その後、数度の修理を経て、平成9〜13年、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施され、全容を一新しました。
国の重要文化財指定。池上本門寺 花見
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重要文化財の五重塔は立派です。
この近くに・・・。 -
ありました。
日本プロレス界の父と呼ばれる「力道山」のお墓。 -
イチオシ
「力道山」は、1924年11月14日-1963年12月15日(満39歳没)。
彼は、日本併合下の朝鮮半島にて現地人の両親のもとに生まれ、後に長崎県大村市の農家・百田家の養子となりました。
大相撲の二所ノ関部屋に入門し、1940年5月場所初土俵、1946年11月場所に入幕し、最高位は関脇。
プロレスでのリングネームは、この頃の四股名「力道山」に由来します。
その後、1951年9月にプロレス転向。
シャープ兄弟を招聘し、1954年2月19日から全国を14連戦した初興行は、テレビ放送が1953年にテレビ放送が始まったことに追い風を受け、全国民の支持を受けて大ブームとなりました。
ルー・テーズ、フレッド・ブラッシー、パット・オコーナー、カール・ゴッチ、デストロイヤーなどと名勝負を繰り広げました。
しかし1963年12月8日、遊興中の赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、暴力団住吉一家傘下の大日本興業構成員と、「足を踏んだ踏まない」で口論になり、馬乗りになって殴打したところ、村田に下から登山ナイフで腹部を刺された。
だが、自ら持ちかけた喧嘩ということもあり警察沙汰にはせず、知り合いの医師の勤める山王病院に入院。12月15日に化膿性腹膜炎で死去しました。 -
「力道山」のお墓は、五重塔の近くで、案内板が出ていてすぐ見つかります。
懐かしい。
大木金太郎も。ジャイアント馬場も、アントニオ猪木も彼の弟子ですもんね。 -
すぐ近くには、東京ガスのドン「安西浩」さんのお墓。
東京ガスの社長・会長として20年以上も君臨し「法王」と呼ばれた人。 -
「片岡仁左衛門(三代)」の墓がありました。
三代仁左衛門は生没はハッキリしていず、一説には1851〜1895年(明治28年)とも言われているそうです。右側は9代目片岡に左右衛門の墓。
現在は十五代目で、襲名前の名前は「片岡孝夫」です。
墓は五重塔への参道入り口近くにあり、すぐに分かります。
近くには、片岡市蔵(三代)、市川左団次(初代)(三代)、市川小団次(四代)の墓もあるそうですが、分かりませんでした。 -
ここ本門寺には、紀伊徳川家、寿福院(前田利家側室)、肥後熊本藩細川家、出羽米沢藩上杉家の墓所があります。
その他、財界では第一生命保険創始者矢野恒太、日経連の今里広記。
政治家では、星亨、大野伴睦、実業家では児玉誉士夫などのお墓があり、映画界では往年の美人女優栗島すみ子、永田ラッパで知られた大映の永田雅一社長、溝口健二監督、今なお花が絶えない市川雷蔵のお墓(太田家彼は養子)、歌舞伎役者の七代目松本幸四郎、新派の花柳章太郎などあるようですが、見つかりませんでした。 -
これは、大田区戦没者慰霊のお墓。
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「此経難持坂(シキョウナンジザカ)」。
有名な表参道から続く96段の石段。
熱心な法華信者で築城家としても有名な、加藤清正の築造寄進だそうです。
清正は、母の七回忌にあたる慶長11年(1606)、その追善供養のため、祖師堂を建立寄進し、併せて寺域も整備しているので、その折の築造と考えられます。
今日は、ここから上がって来なかったので、見おろすだけです。 -
仁王門(山門)ですが、ここをくぐらず脇の方に行ってみます。
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「日蓮聖人像(説法像)」。
宗祖七百遠忌記念のとして昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納されたそうです。 -
日本看護婦協会の従軍看護婦慰霊塔。
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「長栄堂」。
守護神「長栄大威徳天」を奉安しています。 -
イチオシ
「仁王門(三門)」。
昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰し、三門は同52年に再建、仁王尊は同54年に新造されました。
三門は山門とも称されるますが、正式には三解脱門の略。中心伽藍へ入る重要な門であり、三種の解脱(さとり)を求める者だけが通れるとされます。 -
イチオシ
山門の仁王像のモデルは、若き日のアントニオ猪木だそうです。
最近の猪木は、北朝鮮行ったりして変ですが昔はかっこ良かったぁ。
そう云えば、最近、ビル・ロビンソンが亡くなりました・・・。 -
「鐘楼堂」。
第17世日東聖人の代、加藤清正公の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣公の正室となった瑤林院が、正保4年(1647)に寄進したとされます。
昭和20年4月15日の空襲で火をかぶり、一部に亀裂と歪みが生じたため、現在は傍らに仮安置しています。 -
「手水殿」。
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「霊宝殿」。
立教開宗750年慶讃事業の一環として、平成13年に完成。
本門寺の数々の霊宝を永代に亘って保全しており、通常、毎週日曜日に観覧出来ます。 -
イチオシ
「大堂(祖師堂)」。
旧大堂は、昭和20年4月15日の空襲で焼けてしまい、戦後は仮堂でしのいでいたが、第79世伊藤日定聖人が精力的に各地を行脚し、全国の檀信徒ならびに関係寺院等からの浄財寄進を得て、昭和39年、ようやく鉄筋コンクリート造の大堂の再建にこぎつけました。
元々は、熱心な法華信者として有名な加藤清正が、慈母の七回忌追善供養のために建立、間口25間の堂々たる大建築であった。清正公が兜をかぶったまま縁の下を通ることができたと伝えられます。 -
香炉台と大堂。
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ご覧のとおり大きい!
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僧侶が二人読経していました。
以前、早朝に来た時は、30人ぐらいで朝のお勤めをやっていて、壮観でした。 -
「経蔵」。
幸いにも昭和20年4月15日の空襲の際も、五重塔・大宝塔・総門などと共に炎上を免れた建物。
江戸中期の本格的かつ大型の経蔵で、全国的にも注目されています。
堂内の輪蔵には、天海版一切経が架蔵されていましたが、別の所に保管されています。大田区文化財。 -
駐車が許されていないスペースに車(土浦ナンバー)があるな、なんて思っていると、どうやら厄落としをしているようです。
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「お休み処」。
お茶や甘味などのドリンク類や、蕎麦などのお食事がいただけます。池上本門寺 お休み処 グルメ・レストラン
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「客殿・寺務所」。
昭和53年9月完成で、地上2階、地下4階建て。
受付・寺務所・書院・山主執務室・役課寮・学僧寮などがあります。 -
「本殿」。
昭和20年4月15日の空襲で灰燼に帰した釈迦堂を再建したのが本殿で、場所は旧祖師堂の左隣から、境内の奥の方へ移されました。
昭和44年完成と新しい。 -
トイレ休憩しましょう。
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「日蓮大聖人御入滅之霊場」の看板。
この前は自動車が通れる道で、何度かこの看板も見たことがあったけど、気に留めたことはなかった。 -
看板の指示に従い、階段を降ります。
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「日蓮大聖人御荼毘所多宝塔」とあります。
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赤くて目立ちます。
「多宝塔」。池上本門寺 花見
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イチオシ
この地は、重要な浄域の一つで、日蓮聖人御入滅(臨終)の折の御荼毘所です。
その霊場に建てられた木造の多宝塔は、第47世日教聖人代の文政11年(1828)に再建されました。
石造基壇は、高い方形基壇および蓮華形台座からなり、軸部は平面円形で、やや伏鉢状。側柱8本を円形に配し、内部の上に、12本の側柱および8本の柱を円形に配して、上層をなしています。
年代は江戸後期と新しいですが、境内に建立された大型の多宝塔として、全国的にも類例の少ない、極めて貴重な遺構で、国の重要文化財です。 -
色合いが見事です。
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この一帯には数人の見物人が・・・。
「狩野探幽の墓」とあります。狩野探幽の墓 名所・史跡
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「狩野探幽の墓」。
狩野探幽(1602〜1674年)は、考信の子供で狩野永徳の孫に当ります。
狩野派中興の祖と呼ばれ、幕府から神田松永町に屋敷と所領200石の優遇を受けていました。代表作品には、日光東照宮縁起、二条城・名古屋城の障壁画などがあります。
墓は、奥の瓢箪型のもので、都の文化財に指定されています。狩野探幽の墓 名所・史跡
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手前は、「狩野友信夫妻の墓」。
狩野友信(天保14年3月25日(1843年4月24日) - 明治45年(1912年)7月15日)は、幕末から明治時代にかけて活躍した狩野派の日本画家です。 -
このお墓も狩野家の墓。
昭和に入ってからのものです。
ここ一画が全て狩野派・狩野家のお墓でした。 -
さっき降りてきた「大坊坂」を下から見上げます。
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「本行寺」(ほんぎょうじ)。
山門です。
「本門寺」墓所敷地を出て、しばらく進んだところにあります。本行寺 寺・神社・教会
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「本行寺」は、日蓮宗寺院で、通称を大坊。
池上本門寺の子院(末頭)の中で朱塗りの赤門を許された池上三院家の筆頭とされました。
これは、本堂。本行寺 寺・神社・教会
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「本行寺」は、日蓮宗の宗祖である日蓮大聖人がご入滅(にゅうめつ)、すなわちご臨終された地とされています。
日蓮大聖人は、弘安5年(1282年)9月8日、常陸国での湯治療養などのため、9年間にわたり住み慣れた山梨県の「身延山久遠寺」を発ち、同月18日、武蔵国池上郷(現在の大田区)の鎌倉幕府の作事奉行であった池上宗仲公の館にお着きになられました。
日蓮大聖人は、この宗仲公邸で療養につとめながら、小康時には弟子や信者に「立正安国論」の講義などをされていましたが、病がいよいよ重くなり、入滅されました。本行寺 寺・神社・教会
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日蓮大聖人ご入滅のことを書いた碑。
さて、このあと幾つかお寺を巡りながら、「池上梅園」を目指します。本行寺 寺・神社・教会
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「南之院」。
弘安5年(1282)日蓮聖人の直弟子の中でも最長老、日昭聖人の庵室として開創しました。南之院 寺・神社・教会
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「厳定院」。
これは、山門です。 -
こちらは、正応2年(1289)、池上本門寺2世日朗聖人の直弟子、厳定院日尊聖人が開創しました。
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池上七福神では、弁財天(芸術、弁舌、才知、財宝をつかさどる女人神)が祀られています。
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説明板もありました。
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「西之院」の山門。
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「西之院」本堂。
日蓮聖人が、池上宗仲公の館に逗留されていたとき、直弟子日興聖人の庵室として創建されたと伝えられ、その弟子日法聖人を開山とされています。
創建時期は、日蓮聖人入滅後40〜50年頃といわれております。 -
「真性寺」。
寛永2年(1625)に池上本門寺16世日遠聖人によって麻布今井町に開創されました。戦災で全焼したため、昭和27年(1952)現在地に移転しています。真性寺(江戸六地蔵尊) 寺・神社・教会
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「実相寺」の山門。
実相寺 寺・神社・教会
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それにしても沢山のお寺が集まっています。
23寺院あり、「池上本門寺」と合わせ24寺院が「朗師講」と呼ばれます。 -
実相寺は、天文19年(1550)江戸馬喰町に開創し、明暦の大火の後、浅草新寺町に移転、関東大震災後当地へ再転したとのことです。
ここの枝垂桜は見事です。
満開になったらきっと素晴らしいんでしょうね。 -
なかなかの迫力。
池上七福神のうち、回れたのは「本成院」(福禄寿)、妙見堂(寿老人)、厳定院(弁財天)の三つだけですが、まぁいいかぁ。
池上梅園に向かいましょう。 -
着きました。
「大田区立池上梅園」。
東急池上線「池上」駅からは15分ほどでしょうか。
国道1号線沿いです。池上梅園 公園・植物園
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自転車置き場。
無料。
おじさんが整理してくれています。 -
これはあり難い。
来ようと思えば、自宅から自転車でも来れるし、ちょっと遠いけど歩こうと思えば歩ける距離です。
さすがに、ベストシーズン。人出は多いようです。 -
「大田区立池上梅園」は、「池上本門寺」の西側にあり、丘陵斜面等を利用した閑静な庭園です。
池上梅園 公園・植物園
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入園料は@100円。
これもあり難い〜。池上梅園 公園・植物園
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前日、朝のNHKニュースで、水戸の偕楽園で梅が3分咲きと報道されていました。
大田区は水戸より暖かく、まさにドンピシャの8〜9分咲き!! -
戦前まで北半分は、日本画家伊藤深水氏の自宅兼アトリエで「月白山荘」と呼ばれていましたが戦災で焼失。
戦後築地の料亭経営者小倉氏が南半分を拡張し、別邸として使用していました。
小倉氏没後、ご遺族の意思により、庭園として残すことを条件に東京都に譲渡されました。
その後昭和53年に大田区に移管され、紅梅を中心に植林・拡張(現在9,880?)をすすめ、現在では大田区の区花である梅は370本(白梅150本・紅梅220本)を数えるまでになりました。 -
毎年一月上旬の蝋梅から、三月中旬の八重揚羽まで2か月にわたり、30種あまりの梅を楽しむことができるとか。
また、梅の他には50本のボタンや800株のツツジなど50種500本の樹木があり、季節ごとに違った花に出逢え、四季を通じて楽しめるそうです。 -
横浜に引越し前は、同じく大田区池上線沿線の「石川台」に住んではいたものの、この梅園の存在自体を知らなかった・・・。
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「伊東 深水」(いとう しんすい(1898年(明治31年)2月4日 - 1972年(昭和47年)5月8日))は、大正・昭和期の浮世絵師、日本画家、版画家。
実娘は女優・タレント・歌手の朝丘雪路さん。
朝丘雪路さんのご主人が、俳優の津川雅彦さん。
朝丘雪路さんといえば11PM。懐かしいですが、その雪路さんももう78歳。津川さんは74歳。 -
一重の白梅。
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イチオシ
見晴らし台から望みます。
バリアフリーになっていて、車椅子でも台の上に行けます。 -
ピンク。
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満開近し。
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北陸の冬の風物詩、「雪吊り」と梅。
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紅白の枝垂れ梅。
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接待所で休憩。
家内は甘酒、私は梅こぶ茶。
@200円。 -
八重の紅梅。
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清楚です。
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ガクがピンクで、花は白。
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ウーン、綺麗ですね。
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小さいながら池もあります。
奥の竹も趣きありますね。 -
「和室」の庭です。
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八重の白梅。
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「清月庵」。
茶室です。
伊東深水のアトリエを設計した数寄屋建築の設計家、川尻善治氏が自宅に建てた離れ家でしたがこれを移築したものだそうです。
平成元年から茶室として一般公開されていて、利用料金は、午前9時〜正午・・・ 1,400円、午後1時〜午後4時30分・・・2,200円だそうですが、区外利用者の使用料は約2割増しだそうです。 -
大胆に剪定した白梅。
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枝垂れの白梅です。
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イチオシ
「座論梅」という珍しい種類の梅らしいです。
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「聴雨庵」。
政治家、藤山愛一郎氏所有の茶室でしたが、昭和58年に藤友倶楽部から大田区に寄贈され、ここに移築されました。 -
「聴雨庵」も現役の茶室で、一般公開されています。
利用料金は、午前9時〜正午・・・2,700円、午後1時〜午後4時30分4,200円で、区外利用者の使用料は約2割増しです。 -
人出は多いです。
絶好の気候と、正に見頃。
近くて便利、手軽ですものね。 -
枝ぶりも梅らしい枝。
尾形光琳の紅白梅図を髣髴させられます。
そろそろ、「大田区立池上梅園」を後にします。
堪能しました。
熱海や偕楽園に行かなくても、ここでいいじゃん(笑)。池上梅園 公園・植物園
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何やら行列がある店で足を停めます。
「村田商店」とありますが。村田商店 グルメ・レストラン
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イチオシ
ここは、1962年3月20日設立の、 あんみつ・みつまめ・ところてんのお店。
http://kanten.koguma.jp/toppage.aspx -
あんみつ(大・12人前) 1850円、(小・6人前)1100円
みつまめ(大・12人前) 1500円、(小・6人前) 900円
ところてん(大・12人前) 1100円、(小・6人前) 580円。
あんみつ(小)を買いました。 -
ご他聞にもれず、池上本門寺周辺には何店かの「そば屋」さんがあります。
昭和2年に宮大工が建てたという建物で有名な「蓮月」などありますが、私はどうしても、こういう寺社門前にあるそば屋が信用ならないんです。
観光そばの域を出ないのでは・・・と。
で、久しぶりにマクドナルド!
(いいのかぁ、この落差〜) -
「マクドナルド池上店」。
何故、こんなに混んでいるのか??
駅から結構遠いのですが・・・。
確かに、駐車場には交通整理の人が出ていました。 -
私は、ビッグマック。
家内は、えびフィレオ。
コーヒーはジャフの雑誌に付いていたクーポン利用で無料。 -
私の、時々無性に食べたくなる物のNo.1は、このビッグマック。
2位が吉野家の牛丼、3位がラーメン二郎です(笑)。 -
マックは国道1号線沿いにあって、バス停も程近いところにあります。
東急バスが「五反田〜川崎」間で運行中。
「池上線に揺られながら〜」と帰ってもいいのですが、これに乗ります。
バス停は「本門寺裏」から。 -
やや混んでます。
運賃は200円。
4/1からはパスモだと206円、現金だと210円の二重料金制がスタートします。
時刻は、2:30頃ですが、ポカポカして眠くなってくる〜。
こういう路線バス、普段あまり乗らないので、なんか「失業者」になったような気がしてきます(笑)。 -
ウォーキングしていたはずが、軟弱にもバス利用(笑)。
終点「川崎駅・西口北」に到着。
ちょうど、「ラゾーナ川崎プラザ」脇でした。
ラゾーナで夕食の材料を買って、歩いて帰ることに。
川崎から自宅までは徒歩圏で、約18分くらいで自宅です。ラゾーナ川崎プラザ ショッピングモール
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「ミューザ川崎」。
ラゾーナの道を隔てた反対側にあって、音楽ホール 「ミューザ川崎シンフォニーホール」や高層オフィスビル 「ミューザ川崎セントラルタワー」などからなります。
また、1Fには飲食店もあって、ここの「サイゼリア」には時々来ます。
「真イカとアンチョビのピザ」絶品です。安くて美味い。
最近、「あきんどスシロー」が入店し、連日大変な混雑のようです。
また、NTT系のカード会社「NTTファイナンス」さんの本社もここに移りました。ミューザ川崎シンフォニーホール ドリンクコーナー グルメ・レストラン
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村田商店で買ったあんみつです。
寒天、みつまめ、餡、蜜、牛皮がそれぞれ小分けされています。
甘すぎず、爽やかな味。
人気も頷けます!
という訳で、今回の大田区の池上本門寺・池上梅園ウォーキングにお付き合い下さり、有難うございました。
自宅まで、約11000歩余りのウォークでした。
「池上本門寺」素晴らしいですし、熱海や偕楽園に行かずとも、こんなに近くに梅園があったなんて・・・・。
また、勉強になりました。村田商店 グルメ・レストラン
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この旅行記へのコメント (1)
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- yummyさん 2014/03/14 00:54:41
- こんばんは!
- 11,000歩でこんなにも色々見て回れるのですね!
山門の仁王像のモデルが若き日のアントニオ猪木なんですか?
かなり驚きました・・・!写真では似てないような気がしましたが 笑
実際はどうでしたか?
梅綺麗ですね〜!こちらは梅はまだ咲いていないので、綺麗に咲いている梅が見られて羨ましいです^^
ラーメン二郎って野菜(というよりキャベツ?)がたっぷりのったボリュームのあるラーメンですよね?
私が気になるラーメン店の1つです!あとは蒙古タンメン(辛いのが好きなので)!
同じ学部の東京出身の友達が写真を見せてくれて以来気になっているんですよね〜!
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