2014/10/19 - 2014/10/19
222位(同エリア874件中)
entetsuさん
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- 旅行記672冊
- クチコミ3920件
- Q&A回答16件
- 1,993,197アクセス
- フォロワー97人
ふと京急川崎駅に貼ってあったポスターを見ていると、「川崎大師商店街ツアー」なるものが告知。
主催:川崎大師表参道商業協同組合仲見世通会
協力:京急電鉄、京急観光、NPO法人かわさき歴史ガイド協会
後援:神奈川新聞社、日本経済新聞社横浜支局、テレビ神奈川
事務局:公益社団法人商連かながわ(商連かながわ)
参加費@1500円で、食事・観光ガイド付き。
先着20名限定。
http://www.kenshoren.com/files/tour_daishi.pdf
ダメモトで応募すると、なんとこれが当選。
「水鳥の祭り」も当日行なわれているらしい。
何だそれ?
前日、「大田・川崎 旧東海道ウォーク」で12㌔22,000歩を歩き、足の裏が攣りそうなんですが、参加してみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
集合は、京急大師線「川崎大師」駅前。
10:00集合です。川崎大師駅 駅
-
参加費は@1500円。
食事付ですので、まぁ、ただみたいなもんです(笑)。
パンフレット類やバッジ、領収証を頂きました。
あんまり調べなかったけど、今日は「水鳥の祭り」というのが開催されるんだとか。 -
「はーい、集まって下さーい」。
真ん中の紺色の服を着ている人が、商連かながわ事務局の方。
「お世話になりまーす」。
「商連かながわ」は、正式名称「公益社団法人商連かながわ(旧:神奈川県商店街連合会) 」で、HPによりますと『都道府県レベルで全国唯一の商店街を中心とした公益社団法人として、広く一般に開かれた団体運営を目指します。
動向調査事業などを通じて商店街の情報を集め、
商店街の活性化のために配信していきます。』
とありました。
今回我々が参加させてもらったような、「商店街を巡る商店街ツアーの実施」や、「かながわ商店街ガイド・ウェブサイト」公開したり、「優れた商品を持つ個店を表彰」したりすることで、商店街の振興と活性化を図っている団体だそうです。
神奈川県産業労働局や商工会との連携のもと、頑張ってるみたい・・・。
-
先ず、午前中は川崎大師とその近辺の観光です。
観光には、「NPO法人かわさき歴史ガイド協会」のガイドさんが付いてくれます。お一人ずつ挨拶されています。
「よろしくお願いしまーす」。 -
「今回のツアーには新聞・雑誌・TVなどのメディア取材が同行します。
ツアーの様子を、撮影・掲載・放映する可能性がありますが、肖像権の利用については、ご了承のうえご参加ください」
へぇー。
TVメディアは、テレビ神奈川(tvk)制作の地域情報バラエティ番組「ありがとッ!」のなかのコーナー「秦万里子の半径5mをもっと明るく」だそうです。
どうせ、カットされるだろうけど(笑)。 -
大師電気鉄道「発祥之地」記念碑。つまり「京急電鉄発祥の碑」。
京浜急行電鉄株式会社は、1898年(明治31年)2月25日大師電氣鐡道株式会社として設立され、1899年(明治32年)1月21日、川崎六郷橋〜川崎大師間の営業を開始しました。大師電氣鐡道は、翌年の1899年(明治32年)4月25日「京浜電気鉄道株式会社」に社名変更。
その後品川方面や横浜方面に延伸を続け、戦争を経て、1948年(昭和23年)「京浜急行電鉄株式会社」を設立。今日に繋がります。
江戸時代から多くの参拝客を集めていた川崎大師とともに発展したのが、京急だということですね。 -
続いてやってきたのが、「池言坊」。
池上家の墓所とあります。
ん?
池上家?
池上本門寺しか知らないけど・・・。 -
ガイドさんの説明で、徐々に話が見えてきます。
まず、この近辺「大師河原」一帯の開発に大きく寄与したのは、世襲名主の池上家であったということ。
池上家の祖には池上本門寺と関わりの深い10代目「池上宗仲」がおり、20代目の池上幸種が大師河原一帯の開発に着手したと伝わります。
幸種の息子、幸広は父の遺志を継ぎ、1625年(寛永2年)から大師河原に隣接する海辺の寄州100町歩を開発し、これが後の稲荷新田村となります。
稲荷新田村は、1702年(元禄15年)には1450石の石高となり、川崎市域で最大の石高を持つ村に発展します。
21代目の池上幸広は、「大師河原の酒合戦」に登場する「大蛇丸底深」本人であり、酒豪で知られました。
この酒合戦を再現したのが、毎年10月の第3日曜に行なわれる「水鳥の祭り」という訳です。
更に、幸広から数えて4代目にあたる池上幸豊は、1746年(延享3年)から多摩川河口の海辺の新田開発を開始し、1761年(宝暦11年)に耕地面積14町歩の池上新田を完成させます。
池上新田の耕地面積は小さく、さらに移住者も家数5軒と少なかったのですが、海を埋め立てる方法は18世紀半ばの当時としては画期的であったそうです。
幸豊は新田開発以外にも、製塩や芒硝(火薬の原料)、養魚、ニンジン栽培、ナシ・ブドウの果樹栽培、和製砂糖の製造と関東諸国への製法伝授の行脚など殖産興業に多大な貢献を果たし、また文人としても貴重な記録や随筆などを残したそうです。 -
このように、一家の墓だけが残されているのは、極めて珍しく、いかに池上家がこの地に貢献していたかを象徴しています。
ただ、震災や戦災で、池上家歴代の当主全員の墓が残っているわけではないそうです。 -
池上本門寺と池上家の関係について。
10代目池上宗仲が鎌倉幕府の番匠の頭を務めていた時、鎌倉出仕中、日蓮上人の説法を聞き、深く帰依し信仰を結ぶ事になります。
日蓮上人は、弘安5年(1282)10月13日旅の途中病になり、宗仲の屋敷で入滅されます。
池上宗仲は法華経の字数(69,384)に合わせて六万九千三八四坪を寺領として寄進し寺院の基礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼ばれるようになります。
21代池上幸弘は、先祖より伝えられた宝物、家財、家屋敷を池上本門寺に寄進し、川崎の大師河原に移り開拓に着手します。 -
これは、「池上幸豊」の墓。
-
「若宮八幡宮」にやってきました。
若宮八幡宮 金山神社 寺・神社・教会
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この神社は、六郷神社(東京大田区東六郷にあり、源頼朝が鎌倉政略のとき、この地に陣を張り勝利し、その御礼に鶴岡八幡宮を分祀した)の氏子たちが、大師河原干拓のために移り住んだおりに、御祭神を分祀したのがはじまりといわれ、仁徳天皇をお祀りしています。
-
「六郷神社」から別れた「若い宮」という意味で、若宮というという説もあるそうです。
また、若宮という名から、子ども・若者の守護神でもあるとされています。
ガイドさん、熱弁です。 -
「若宮八幡宮」には、境内社の「金山神社」があります。
HPによると、「金山神社」は、明治中期まで京急「川崎大師」駅前付近にあったらしいが、京急が当時終着駅だった大師駅に折返し用のループ線施設を建設する際、同位置に金山神社が存在していたため、神社ごと現在の「若宮八幡宮」境内に遷されたそうです。 -
「金山神社」は、「性と鍛冶屋の神」とされています。
鉱山や鍛冶の神である金山比古神と金山比売神の二柱を祭神として祀っています。
両神は、イザナミノミコトが火の神を生んだ祭、下腹部に大火傷をしたのを、治療看護した神とされており、お産、下半身の病にご利益があると言われています。
現在の社殿は、鉄をイメージして外側を黒色の鉄板で覆った一辺約3mの正六角形で、高さ約8mの吹き抜けの建物です。
祭礼のないこの日は館内に入れるかどうかわかりませんでしたが、内部は床を土間として仕切り、正面中央部に鞴(ふいご)と炉を設置して金床を埋め込み、鍛冶屋の作業場が再現されているそうです。 -
「金山神社」の御神体は金属製の男根で、別称「かなまら様」(金魔羅様)とも呼ばれています。
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境内にある、金床。
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生殖器崇拝は、ヒトの男女の生殖器をかたどった象徴的造形物に、多産、豊穣などをもたらす呪術的な力をみとめ、その分布も全国的です。
また、その象徴を男女で分けると、女陰よりも男根が多いとか。
ここ川崎の「金山神社」の祭礼には、男根を形どった神輿が担ぎだされ、面掛け行列などが繰り出します。 -
イチオシ
この日は別の祭り(水鳥の祭り)で倉庫が開いていて、たまたま、その男根神輿を観ることができました。
祭礼は、「かなまら祭り」といって、4月の第1日曜日に開催されます。
謂れですが、「金山神社」は鍛冶の神様を祭る神社ですが、江戸時代には川崎宿の飯盛女達の願掛けに端を発しこの「かなまら祭り」が行われるようになります。
商売繁盛・子孫繁栄(子授け)・安産・縁結び・夫婦和合のご利益があるといわれます。
近年では、エイズ除けの祭りとして国際的にも話題となり、海外からの取材や観光客などでごった返すようです。
13時からの面掛行列には、男根の張形が納められた「かなまら舟神輿」・「エリザベス神輿」・「かなまら大神輿」の3基の神輿が巡幸します。
ピンクのものが「エリザベス神輿」、中央が「かなまら舟神輿」、左にちらっと写っているのが「かなまら大神輿」だと思われます。
家内は、度肝を抜かれて、さっさと行ってしまいました(笑)。若宮八幡宮 金山神社 寺・神社・教会
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「水鳥の祭り」記念碑。
酒徳利やおちょこなどをアレンジして記念碑が出来ていました。酒合戦350年を記念して建立したといわれています。
「水鳥の祭り」は、三日三晩、酒飲みの強さを競ったという実史にのっとった豪快な酒合戦の物語を、実際にお酒を飲みながら競った様を再現したお祭りです。
『水鳥』とは、「水」は「さんずい」の意味で、「鳥」は「酉」の意味、二つの文字を併せて『酒』という字になります。
10月第3日曜日に「水鳥の祭り」は開催されます。
それが、この日という訳です。
詳しくは、また後ほど書きたいと思います。 -
近くの公園では、「水鳥の祭り」のリハーサル中でした。
どんなことするんだろう・・・。 -
川崎大師の表参道にやって来ました。
ここから、既に厄除けのご利益があるんだとか・・・。 -
手焼きせんべいの「雷神堂」さん。
雷神堂 グルメ・レストラン
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熱々、焼き立てのせんべいを試食。
焼き立てってこんなに美味しいものなんだ・・・。 -
参道を進みます。
右側は川崎大師の建物です。 -
「馬頭観音」。
「縁結び」にご利益があるといわれます。
その昔、川崎大師への参拝者がお堂の格子に手綱を結ぶと、どんな暴れ馬でもおとなしく待っていたそうです。
そしていつの間にか、結んだ縁が切れないということから、赤い布に好きな人の名前を書き、格子に結んで良縁を祈願するようになったとのことでした。馬頭観音 寺・神社・教会
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「明長寺」。
天台宗の寺院で、創建年代は不詳ですが、静圓法印(永正16年1519年寂)が文明年間(1469―1487)に創建したと伝わります。
所蔵の「葵梶葉文染分辻ヶ花染小袖」は、桃山時代に流行した絞り染めの技法といい、国重要文化財となっているそうです。明長寺 寺・神社・教会
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ここで表参道は終わりです。
観光ガイドさんによると、昔はもっと沢山のお店があったそうですが、子供達が店を継がない所が多く、マンションになったりしていて、随分様変わりなんだそうです。
店も土日休業の店に代わっていたりして、寂しい限り(ガイドさん)。 -
「布間提灯店」さん。
名入りの提灯が作れる店です。布間提灯店 専門店
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イチオシ
七五三からのお帰りみたいですね。
可愛い。 -
「川崎大師仲見世通商店街」にやってきました。
さすがにこの通りには、シャッターで閉まっている店はありませんね。
飴切りで有名な飴屋さんと、厄除け・開運のだるま屋さんが多い商店街です。
正面が、川崎大師です。川崎大師仲見世通商店街 市場・商店街
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ポスターが貼ってありました。
今回、一緒に回っている、テレビ神奈川(tvk)制作の地域情報バラエティ番組「ありがとッ!」のなかのコーナー「秦万里子の半径5mをもっと明るく」ロケの告知です。 -
仲見世商店街は、午後ゆっくり観光するそうで、「平間寺(川崎大師)」の大山門にやって来ました。
ここで、総勢20人いたツアーが5人ずつの小グループに分かれます。
1グループに1人、観光ガイドさんが付いてくれます。
さっそくガイドさん、「平間寺っていうのは、よく「へいげんじ」と濁って発音されますが、正しくは「へいけんじ」といって濁らないんです・・・」
へぇー、そうなんだ〜。
やっぱり、ガイドさんと回ると色々教わることができて、いいですね(笑)。平間寺(川崎大師) 寺・神社・教会
-
「大山門」。
開創850年記念事業として昭和52年に建立されました。 -
これも全く気付かなっかたことで、ガイドさんの説明で知ったことですが、ここにあるのは仁王様(金剛力士像)ではなく、四天王像なんだそうです。
-
イチオシ
大山門は、堂塔伽藍を囲う浄域結界の総門で、四方に京都・東寺の国宝尊像を模した四天王像がいます。
知らなかった・・・。
普通、正面からみて、「あぁ、仁王さんだ」で左右にあるのを見たら、振り返ったりしませんので・・・。
尤も、平成の大修理中で、四天王像が拝めなかった時もあったりしました。
この写真を見ると、確かに前・後ろにありますね(笑)。
一緒にガイドさんの説明を聞いていた人も、誰も知らなかった風でした。 -
大山門をくぐり、境内にやって来ました。
ガイドさんの説明は、「なるほど、なるほど」という内容ばかり。
やっぱり、もちは餅屋です。 -
「経蔵」。
実は、入ったことがなかった建物。 -
ここは、平成16年の大開帳奉修記念事業として落慶されました。
「大開帳奉修」は10年毎ですので、今年の大開帳の1回前の大開帳の時ですね。
ご本尊は釈迦如来です。
なお、私が行った今年の「大開帳奉修」の様子です。
宜しければご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10886169 -
「経蔵」には、中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7240巻が収蔵されていて、大蔵経を拝みながら一周すると、ご利益があるそうです。
また、この「経蔵」の落慶により、川崎大師には七堂伽藍が整い、戦後復興が完了したとされています。 -
天井の四方には、仏画家・染川英輔氏による「飛天」図が納められています。
館内、カメラOKです。 -
イチオシ
天井の中央には韓国人間国宝・李萬奉氏の手になる「双龍」。
龍の爪は4本でした。
初めて入りましたが、荘厳な雰囲気で身が締まりました。
また、天井画は大変立派でした。
入館無料です。 -
「大本堂」。
昭和39年5月「大開帳奉修」記念行事として落慶されました。
50年前ですね。 -
堂内にはご本尊の「弘法大師」他、不動明王・愛染明王などの諸仏が奉安されています。
弘法大師をご本尊にしているお寺は、大変珍しいとのことです。
(ガイドさん) -
大本堂から、逆に大山門側を眺めています。
中央にあるのが、「大供養塔」。
大開帳期間中、ご本尊に繋がるお手綱がこの大供養塔に設けられ、これに触れることでご本尊と結ばれ、より親しくご縁を結ぶことができるといいます。
手綱こそありませんが、大供養塔はまだ残っていましたが、12月に撤去されるそうです。
(これもガイドさん) -
「中書院」にやって来ました。
中書院の前にあるのが、「茶筅塚」。
ここで、毎年「茶筅供養」が行なわれます。
この法要は、抹茶を点てるときの茶筅が古くなり使用できなくなったものに感謝の気持をこめて供養する法要です。
料理人が包丁を供養した「包丁塚」なども各地の寺院にありますが、 「茶筅供養」は、鎌倉の建長寺などでも行なわれているようです。 -
「中書院」は、1966年(昭和41年)5月落慶したとされます。
南側「光聚庵」(崇仁親王妃百合子命名)と北側「心月庵」(茶道裏千家家元汎叟宗室(鵬雲斎)命名)、「静嘉軒」(立礼席)からなります。
いつもは閉まっていますが、この日は開いていました。
庭に入ってみます。 -
こちらには、「六字名号塔」という、川崎市の重要郷土資料の碑があります。
謂れは、江戸京橋の作内という無筆文盲の酒売りが川崎大師に日参したところ、ある日の夢に弘法大師が現れ、六字の名号「南無阿弥陀仏」の書き方を教えました。
翌朝、六郷の橋で筆1本を拾い、それで弘法大師の書式そっくりに六字の名号を書したというもの。
弘法大師が書の達人であるということと、阿弥陀信仰が結びついてできた霊験譚であろうとされます。 -
碑はこのように、覆われてしまっていて、反射して写真もろくに撮れませんが・・・。
また、碑は関東大震災の時、倒壊し十数片に砕けたものを復元したため、判読不能の部分が生じているそうです。
ただ、記録などから、1600年代の前半のものと考えられています。 -
イチオシ
「福徳稲荷堂」。
大本堂と不動堂の間、中書院の隣にあります。
昭和20年4月15日未明の空襲では大本堂をはじめ、ほとんど全ての建物を焼失しましたが、その難を逃れた唯一残る貴重なお堂だそうです。
ガイドさん、「大山門や大本堂などは鉄筋で、いずれも戦後の建物なんです」
私、「鐘楼堂や不動門は木造ですが・・・」
再びガイドさん、「その二つは、もともとこのお寺にあったものではなく、福島県のあるお寺から買った物なんです〜」
へぇー。
この稲荷は、倉稲魂神といい五穀を司る神で、当山では毎年2月21日には福徳稲荷年祭が執り行われるのだそうです。
川崎大師内にある、唯一の「神社」でもあるそうです。
またまた、へぇー。 -
「不動堂」。
明治23年の創建で、現在の不動堂は、昭和39年4月に建立されたもの。
ご本尊の不動尊像は成田山新勝寺ご本尊のご分躰・大聖不動明王を勧請し奉ったものだそうです。 -
「信徒会館」。
弘法大師生誕1200年と、昭和49年(40年前)「大開帳奉修」の記念事業として建てられました。
2階、3階は主に信徒接待等に利用され、3階には「吉祥殿」という結婚式場もあります。 -
イチオシ
「八角五重塔」。
-
この五重塔は、昭和59年(30年前)の「大開帳奉修」を記念し落慶しました。
八角は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しています。 -
八角五重塔は、3月21日〜12月20日の第1日曜日と、縁日(毎月21日)に公開しているのだそうです。
知りませんでした・・・。 -
「遍路大師尊像」。
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昭和48年(1973年)の弘法大師生誕1200年記念事業として造顕され、同年5月開眼法要が執行されました。毎年9月20日には遍路大師年祭が執り行われるそうです。
弘法大師が四国霊場の八十八ヶ所を歩いたことから、「遍路大師尊像」には健康、健脚を祈念して、献水されるご信徒の姿が多く見られます。
手順としては、まずお水を大師尊像と大わらじに掛けることから始まります。 -
併せて、大師尊像を結界する新四国八十八ヶ所霊場も創設されています。
当山第44世・中興第1世貫首(隆天大和上)が四国霊場巡拝の際にいただいてこられたお土砂がこの1本1本に埋められています。
ここをぐるっと回ると、実際に四国八十八ヶ所霊場をお参りしたのと同様のご利益が得られるお砂踏み霊場として、多くの信徒が参拝されています。 -
86番志度寺・87番長尾寺は、私の実家の近くのお寺です。
宜しければ、少し前に行きましたので、ご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/10819633 -
「道標」。
この道標は元々は、「旧東海道川崎宿」の万年屋の脇、東海道より大師道が別れる地点に建てられていたものを、道路改修のため、戦後こちらに移築されたのだそうです。 -
「鐘楼堂」。
毎年大晦日には除夜法楽が執り行われたのち、午前零時より境内に鐘の音が鳴り響きます。
不動門と共に有縁の地より譲り受けたものだそうです。
ガイドさんの話では、大晦日以外にも、6月10日の時の記念日、8月6日の広島原爆忌、8月9日の長崎原爆忌、8月15日の終戦の日に梵鐘が打たれるそうです。 -
平成26年、10年ごとに行なわれる「大開帳奉修」記念事業として建立された、正岡子規の句碑。
つまり、今年の記念事業です。 -
「つるの池」。
昔は、大師河原一帯に鶴が沢山いたことに由来するそうです。
ガイドさん、「今は鶴は居なくなったけど、この池には亀がいっぱい居ます。面白いもんでしょう?」
そんなにも面白くはないけど、一応、なるほど・・・(笑)。 -
「やすらぎ橋」。
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同じく今年の「大開帳奉修」記念事業として建立されました。
災難を除き、幸福を招くといわれる朱色に塗られ、欄干には、梵字20文字が刻まれています。
過去の五重塔や大本堂などに比べると、ショボこいですけど・・・(笑)。 -
つるの池に架けられたやすらぎ橋を渡ると「釈迦如来像」があります。
池はお釈迦さまが沐浴された尼蓮禅河を表現し、周りの樹木は悟りを開かれたウルビルバーの森を表現しているそうです。
そして、後ろの薬師殿が、ブダガヤの大塔に準られ、お釈迦さまが成道された情景を想起することができます。
最近、金ピカに塗装し直したそうです。 -
イチオシ
「薬師殿」にやって来ました。
インド風の建築。 -
薬師殿は、開創880年記念事業として平成20年(2008)11月1日に開設しました。
-
この色味がなんとも、美しい。
真言密教独特の色遣いですね。 -
堂内中央には薬師瑠璃光如来尊像、薬師瑠璃光如来を信仰する人々を守る武神である十二神将が奉安されています。
また、右側は薬師瑠璃光如来のご分身で、「なで薬師」。
体の気になる部分を撫でることにより身体健全、病気平癒が祈念できます。 -
天井。
イスラムのモスクを見ているようです。 -
薬師瑠璃光如来の回りには、十二神将が干支の順番に奉安されています。
頭の部分に、小さい干支があります。
こんなことも、ガイドさんと一緒じゃないと知る由もない・・・。
館内、カメラOKです。 -
高浜虚子の句碑です。
-
「不動門」。
先に書きましたとおり、川崎大師の建物の大半は、戦争で消失してしまいます。
この門は、第42世隆超大僧正が昭和23年に有縁の地から譲り受け移築建立され
その山門として存在していました。
昭和52年、現在の「大山門」が建立されたことに伴い、不動門として移築されたのだそうです。 -
さて、12:00になりました。
いよいよ、「水鳥の祭り」の始まりです。
京急「川崎大師」駅を出発した川崎方と、「東門前」駅を出発した江戸方とが川崎大師境内で合流します。 -
イチオシ
すぐさま始まるかと思いきや、はい、記念撮影だって(爆)。
前列中央の袈裟をかけ法衣を着ている方はどうやら平間寺・川崎大師の貫首さまのようです。
また、その右隣の方は、「若宮八幡宮」の宮司さんらしい。
川崎市長などもいるようですが、選挙区が違うので、どの方やら解りませんが・・・。水鳥の祭 (大師河原慶安の酒合戦) 祭り・イベント
-
この後来賓のご挨拶やら、奉納の舞やらが始まって、酒合戦の始まる気配はありません。
境内でまだ見ていない所をうろうろしてきます。
菊花展開催中。 -
まだ少し時期が早いのか、満開には程遠い感じでした。
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「聖徳太子堂」。
聖徳太子講並びに諸職人により昭和41年に奉納された聖徳太子像が奉られたお堂です。 -
さて、この祭りは、「水鳥の祭り」といいます。
「酒」という字の「さんずい」は「水」の意味で、「酉」は「鳥」文字を当てて、「水鳥」と呼ぶらしい。
祭りは実際に行なわれた、「大師河原酒合戦」に由来し、江戸時代初期の仮名草子「水鳥記」に書かれている故事を再現したお祭りです。
慶安元年(1648年)8月に、大師河原で行なわれたこの酒合戦は、東軍(江戸側)は、地黄坊樽次(茨城春朔、江戸の儒教者)を主将とし、総勢16名で太子河原村の大蛇丸底深(池上太郎左衛門、大師河原の領主)の家に押し寄せます。
西軍(川崎側)は、大蛇丸底深を主将とし、14名でこれを迎え撃ちます。
一説では、西軍が勝利したという説があるそうですが、いずれにせよ、三日三晩飲み続けた合戦だったということです。 -
場所を川崎大師の境内中央付近に移し、まず、口上合戦です。
-
出演者全員が口上を述べるので、長い時間が掛かってまーす。
役者に扮するのは勿論アマチュアで、地元の商店街やサラリーマン、年齢も性別も多彩です。 -
東軍、西軍が交互に口上を述べます。
記録に残る実在の人物に扮していますので、その特徴を述べる人も居れば、全く関係ないことを言う人も居たり・・・。
素人ゆえ、セリフを忘れてしまったり、変なアドリブが入ったり、失笑も含め笑いが湧きます(笑)。 -
この人、女性が演じていますが、どうやら大変胸毛が濃かった人を演じているらしい。
口上はしばらく続きます。
全員がやるので、大変・大変(笑)。 -
口上が全て終わると、場所を移します。
境内を出て、大山門前にやってきました。 -
場所は、大山門前で、「蕎麦膳はやま」さんの前。
ここで、昼食を食べると聞いている店ですが・・・。蕎麦膳はやま グルメ・レストラン
-
「蕎麦膳はやま」さんと、「久寿餅住吉」さんの間の広場に、ステージが設えられていて、両軍が対峙します。
観光客がそれを取り囲んでいます。住吉 専門店
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ここで、問答合戦の後、酒合戦が始まりました。
直径50?大盃で酒を一気に飲みます。
両軍が、掛け声で煽ります。
「吸い込め、吸い込め〜」。
吸い込むように、酒を飲めと・・・(笑)。 -
青いハッピを着てる人は、川崎方の西軍。
酒を注ぐ人に「ちょっとにして・・・」。
その割に飲み干すと、「どうだぁ・・・」(笑)。 -
この方、驚きのあまり・・・。
-
東軍(江戸側)の茨城春朔に扮する方は、舞川流の家元、「舞川扇彩」さんだそうです。
6歳の頃、日本舞踊の世界に入り幾多の困難も乗り越え、41歳のときに舞川流の家元になったそうです。
この世界では、有名な人らしく、三越劇場やラフォーレミュージアム六本木などで独演会を開いたり、福島の復興支援活動をされたりしているらしい。
一番元気で、目立ってました(笑)。 -
両軍からの代表がある程度飲み進むと、観客にも「助太刀をお願いしたい!」となります。
手を挙げたのは、我々のツアーの一員の女性の方。
お強い方でした(笑)。 -
イチオシ
この女性は、横浜銀行のOLさん。
「浜銀(横浜銀行)が出たのに、川信(川崎信用金庫)は出ないの??」なんて、さっきの舞川家元に言われて、「かわしん」代表の女性もステージに上がり大盃をあおる破目に・・・(笑)。
「水鳥の祭り」の酒合戦は見物客を巻き込みながら、この後、大師駅前→商店街→若宮八幡宮で大盃での飲み比べをします。
最後は、大将同士の飲み比べとなるそうですが、決着をつけず引き分けとし神社境内で和睦の舞が披露されます。
舞は、東軍大将・茨城春朔に扮した「舞川扇彩」さんが舞われたとのことです。 -
我々ツアーの酒合戦観戦は、ここでお仕舞いで昼食です。
時間は14時近い。
腹減った〜。蕎麦膳はやま グルメ・レストラン
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料理は、カンパチ丼と盛りそばのセット。
まぁまぁでした。
魚は新鮮で、いい魚でした。 -
「寺子屋本舗」。
昔作りもち焼き煎餅。
知らなかったけど、京都・大原に本部のあるチェーン店でした。寺子屋本舗 川崎大師店 グルメ・レストラン
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川崎大師店は、出店7年目だそうです。
関東では、他に江ノ島、川越、草津にあるようです。 -
「かどや開運堂」さん。
-
ご主人がダルマについての薀蓄を教えてくれました。
結構、奥が深い。
例えば、「ダルマの眼はどちらから入れるのが正しいか」とか・・・。
正解は、「だるまの左目より目を入れ、願い事が成就したら、右目を描き入れてください」
説明は続き、
「左目から入れるというのは、陰陽五行からきています。だるまの赤は火をあらわし、火は南の方位を示します。陰陽五行では、東より物事が生まれ、西で無くなるといわれており、だるまを南に向けた場合、東が左目、西が右目の方向を示しているからではないかといわれています。」
なるほど・・・。 -
暖簾。
デザインが可愛い。 -
「柏屋植松商店」さん。
ここもだるま屋さんですが、こちらではご主人が「まねき猫」の薀蓄を教えてくれました。
まねき猫も、なかなか奥が深い。
「右手を挙げている猫は金運を、左手を挙げている猫は人を招くとされます。また、色は白い招き猫は幸せを、黒い招き猫は病気や厄を寄せ付けない招き猫です。」
なるほど、なるほど・・・。 -
「高橋太一商店」さん。
-
またまた、だるま屋さんです。
ツアー事務局が根回ししてくれていて、全て解説付きです。
ここは、「だるまなら何でもある!」というのが売りの店。
赤・・・ 開運・厄除 交通安全・家内安全
白・・・ 幸福 新築祝・結婚祝・長寿
金 ・・・金運
五色・・・ 緑・黄・赤・白・紫 釈迦の五体
これは、「ドラえもんだるま」。
藤子・F・不二雄プロとの関係で、非売品で観賞用です。 -
この後、3グループに分かれて飴切り体験です。
我々は「老舗 松屋の飴総本舗」さん。
家内が切ってますが、なかなか上手く行きません。
トントコ、トントコのリズムを取るだけでも難しいのに、更に加えて柔らかい飴を切る・・・?
家内の前には私が飴切り体験しましたが、飴が柔らかいので包丁にくっ付いて、スパッと切れないんです・・。松屋の飴総本舗 専門店
-
同じツアーの人。
相変わらず、苦戦。
店主さん、「まぁ、3年もやれば出来るようになりますよ」・・・(笑)。 -
別のグループは、「松屋総本店」さんで、飴切り体験。
-
TV取材で来ている「秦 万里子」さんも挑戦中。
松屋総本店 専門店
-
この方、歌手・音楽家ですので、リズムを取るのは抜群に上手いけど、飴を切るのは・・・。
苦戦です(笑)。
言ってました。
「リズム取るだけでなら雇ってくれる?」(笑)。 -
この人達も、ツアー参加者。
「まぁ、3年もやれば・・・」。
初めての人が上手く行く訳ないけど(笑)。 -
もう一組は「評判堂」さんで。
-
大師の仲見世通りに飴屋さんが3軒ありますが、いずれも微妙にリズムが違うらしい。
この店の飴切りの音は、「トトトントン、トトトントン」。
(同社HPより)評判堂 川崎大師本店 専門店
-
一方の人は(つまり我々ツアー参加者)は、トン・トン、トン・トンと二拍子で音を出しさえすればいいと言われますが・・・。
隣の人が、トコトン、トコトンと入ってくると、音を合わせるだけで大変・・・(笑)。 -
それなのに、飴を切れと(笑)。
この子は、川崎大師参拝・観光で同じグループだった子ですが、一番上手でした。 -
イチオシ
飴も何とか切れている・・・(驚)。
-
テレビ神奈川(tvk)制作の地域情報バラエティ番組「ありがとッ!」のなかのコーナー「秦万里子の半径5mをもっと明るく」のラストシーンロケ。
放送日は、2014年11月13日(木)。
番組自体は12:00〜14:00ですが、「秦万里子の半径5mをもっと明るく」放映時間は13:00頃だそうです。
私たちも写ってるんでしょうか?
※11/13オンエアー確認しました。
家内はおそばをすすってる所、私は飴切りしてる所がしっかり写っていました。
私は、それ以外にもちょこちょこ写っていて、体がでかくて恥ずかしい・・・。 -
「秦 万里子」さん。
国立音楽大学器楽科ピアノ専攻卒業。
在学中よりバンドのキーボーディストなどで活躍。
その一方、作曲家・鈴木邦彦経営のポップスク講師として、スタジオにもミュージシャンとして出入りを始めます。
祖父は日本コロムビア元社長の秦米造氏。
祖父の病の看病のため、一切の外部音楽活動をやめて子どもたちの音楽教室を開きますが、持ち前の絶対音感、即興性、コピー能力を活かし、徹底的に楽しい「生徒がやめないレッスン」を提供します。
祖父死去の後、1985年にアメリカ・バークリー音楽学院へ留学。
CRAIG NAJJARに師事、ピアノ、アレンジ、ソングライティング、指揮などを習います。帰国後 ピアノプレーヤ(YAMAHAの自動演奏ピアノ)のソフト作りに関わり、日本テレビ「スクスクのびのび」、ソニーハンディカムのコマーシャルなどの音楽を制作。
一方、幼稚園などで幼児教育にも力を注ぎ、即興でその現場に合う歌をつくり、ライブ感溢れる授業をつづけた。それが主婦の歌へとつながります。
2006年よりNYパワーハウスと共に歩み始め、「半径5メートルの日常を歌う音楽家」として2009年1月、52歳で徳間ジャパンコミュニケーションズからライブアルバム「半径5メートル物語」でメジャーデビュー。
TBS「はなまるマーケット」にも出ていたそうです。 -
再び、「蕎麦膳はやま」の2階へ。
ここで、アンケートなどを記入して、ツアーもお仕舞いです。
「蕎麦膳はやま」のご主人のご挨拶です。
仲見世商店街の会長さんだそうです。(羽山宏会長)
店名の、「蕎麦膳はやま」は本名から取ったそうです。ご挨拶の中で説明がありました。
という訳で、商連かながわ企画の「川崎大師商店街ツアー」も終了です。
川崎大師もガイドさんの説明で知らないことを知れましたし、「水鳥の祭り」なんてのは全然知らなかった〜。
でも、一番はやっぱり飴切り体験ですね。
(上手くは切れなかったけれども)
普段は、仲見世商店街を歩いて、ただ飴を切ってるのを観るだけ。
良い思い出になりました。
お付き合いいただき、有難うございました。蕎麦膳はやま グルメ・レストラン
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この旅行記へのコメント (1)
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- キラキラcmさん 2014/12/31 08:32:59
- おはようございます。
- entetsuさん、おはようございます。
川崎大師商店街ツアー、参加費も安いしお昼付き、ガイドさんの詳しい案内もあって良いですね。
やはりガイドさんが付いてくれるのは知らないことが詳しくわかっていいなぁ。
だるまや招き猫のお店の方の話も興味深いです。
水鳥の祭り酒合線も楽しそう!
今年もentetsuさんの旅行記楽しませて頂きました。
私の旅行記もいつも見て下さってありがとうございます。
今年も終わりますが、来年もよろしくお願いします。
良いお年をお迎えください。
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